<聖獣界ソーン・PCゲームノベル>


 あっさりと虎王丸はゲートを越えた。

 オパール色に輝く空間のゆがみを越えると、そこは別天地であった。風が強い。吹き抜ける突風の様な風があちこちの方角から吹き付けて来る。虎王丸は小さな浮島の端に立っていた。当然遮る物は何ひとつなく、この世界を駆け巡る風が髪を、まとう衣の裾をパタパタと戦場をゆく軍旗の様にはためかせていく。
 その強風にあおられ紐で止められた髪が逆巻くように揺れ、一瞬それは長く白銀に輝き‥‥浅黒く少し大きな手で押さえるとすぐに色を戻して紐の中に収まる。髪だけではない。虎王丸の虹彩も一瞬だけ獣のソレのように金色の月食環を表した。
「なんだここは‥‥力が、なんて不安定な場所だ」
 不審そうに虎王丸は眉をひそめた。獣形ならば鼻に皺を寄せていることだろう。この世界はまるで生まれたばかりのように混沌としている。全ての光がバラバラに輝き続け、闇さえも規律なくうごめいている。
「こんな場所は生まれたばかりの世界としか思えないが‥‥そうでもないらしいし。美しいが、面妖な場所だ」
 少しでも風に強くあおられれば墜落してしまいそうな浮島の端から虎王丸はその世界を見る。風が吹き抜ける大空には大小様々な浮島が点在し、そのどれもにこんな強風にも負けず若草色の緑‥‥森がある。その森から流れる水が浮島の端から滝の様に流れ落ち、キラキラと日の光に輝き虹色の半円を伴っている。
「あの声だけの美人サンは命がないとか言っていたが、確かに気配は希薄だな。だが全くないわけでもなさそうだ」
 声しか聞いていなくても虎王丸には依頼主が美人だという確信があるのだろう。少しのブレもなく美人の頼みを聞くのだという目的は変わっていないのだが、心の奥で少しずつこの奇妙な世界への『好奇心』が生まれてきている。馴染みの深い別の世界の『樹海』と、遠くに見える大きな浮島にあるこの世界の森とを比較するようにじっと見つめている。
「まぁ見ていても判らない。直で行ってみるか」
 落下すれば命を落とすとも言われている空を、ふわりと浮き上がるように虎王丸は跳躍した。

 背に見えない翼でも隠しているかのように驚異的な跳躍をみせ次々に小さな浮島へと飛び移り、幾度目かの跳躍の途中で虎王丸は殺気を感じた。
「何!?」
 チリチリとした不快感が首の後ろをさいなむ。身を翻して反転すると視界を大きく埋め尽くす巨大な飛竜の姿があった。細長い身体を上下にくねらせながら大きく口を開けて虎王丸に食らいつこうとしている。
「俺は貴様の餌じゃねェぞ!」
 攻撃力と反して打たれ強さにはやや不安がある。鋭角で小さなこの密集した牙に食らいつかれても平然と生きている自信はない。怒声とともに目に強い力を集める。一瞬で獣化した鋭い眼光が肉薄する飛竜を睨め付けた。その途端、あれほど激しく殺気をみなぎらせていた飛竜の動きがわずかに鈍る。ひるんだ、と言えなくもない。刹那の間隙、だが虎王丸にはそれで十分だった。反転していた身体を更にひねって飛竜に正対し武器を抜く。だが飛竜には命あり、魔物でもなく穢れた存在でもない事が判っていた虎王丸は鎖に封じられた刀でもなく、また赤鞘の破魔刀でもなく小刀を抜いた。青白い抜き身の刀身に白い炎が宿る。その切っ先が迫り来る飛竜の牙をかっちりと受け止めた。燃える炎に飛竜が身をよじる。だが、虎王丸の身の丈ほどもある巨大な前肢が払うように振り下ろされた。
「当たるか!」
 風に乗る虎王丸は飛竜の拳、その先にある鋭い爪をスレスレで回避するが衝撃波が虎王丸の黒髪を数本薙ぐ。ニヤリと笑う虎王丸の目前に飛竜の顔がある。飛竜の拳を踏切板代わりに使い、虎王丸は凄まじい速度で飛竜に向かって飛んだ。
「行くぜ」
 至近距離からの高速な攻撃を飛竜は回避出来ない。わずかな刃渡りしかない小刀だが、虎王丸の手にあれば数段上の武器となる。白炎を帯びた刀身に眉間を斬り付けられ、飛竜は悲しげな咆吼をあげて落下した。

 飛竜が墜落した浮島へとふわりと虎王丸は着地した。飛竜は斬られた眉間をかばうように顔を身体の内側へと潜り込ませて低い声で警戒の声を発していたが、虎王丸が首の辺りをポンポンと叩いてやると静かになった。
「俺を喰う気になんかなったおまえのせいなんだぞ。どうだ、もう懲りただろう?」
 笑って虎王丸は堅い鱗で覆われた飛竜の身体を手荒く撫でる。すっかり改心してしまったのか、飛竜は情けなさそうな高い声を発して顔をあげ虎王丸に撫でられるままになる。
「そうか、そうか。わかってくれたならそれでいいんだ。そら、傷をみせてみろ」
 獣達になつかれる事には慣れているのか、虎王丸は手慣れた様子で自らがつけた傷を布でぬぐって血をふき取ってやる。生来頑強なのか、飛竜の怪我は鱗が数枚裂けてその奥がうっすらと傷ついた程度の浅手だ。
「よし、これでいい」
 虎王丸は飛竜の額と首に赤い布を巻く。数歩後退して飛竜を見るが、なかなかに似合っている様にも見える。
「おまえと俺が仲良しになった証だ。どうだ、気に入ったか?」
 返事をするように飛竜が鳴く。
「そうか、気に入ったか」
 嬉しそうに虎王丸は笑った。

 背を示す飛竜に乗って虎王丸はこの世界を飛んだ。
「すげっー」
 この世界は風の吹く空で出来上がっている。飛んでみてわかるが、世界は吹き渡る風の力で形を保ち、支えられている。風が吹く事を止めた時この世界は崩壊するのだろう。
「何もかもが風任せの世界‥‥か」
 それこそが世界を不安定にさせる原因なのだろうか。それも少し違うと虎王丸は思う。
「やっぱりあそこに行くしかないみたいだな。頼むぜ」
 応とばかりに飛竜が鳴く。常人ならば気絶しかねない超高速で風を引き裂き飛竜が飛ぶ。向かうは最初に虎王丸が目指していたあの浮島だ。

 赤布を巻いた飛竜と別れ、虎王丸は本来の目的地であった浮島へと降り立った。クルリと前転をして恐るべき高度からの落下の衝撃を回避する。身軽に立ち上がってぱんぱんと服についた土を払う。
「ここは少し、違うな」
 そこは大きな、そしてうっそうとした森の入り口だった。浮島の赤茶けた大地には淡い緑の草が生い茂り、森を形成するのは3メートル級の広葉樹達だ。そして多くの木々が桜の花の様に薄茶色の葉をハラハラと散らし始めた。見る間に地面は草を覆い隠すほど枯れ葉がたまっていく。
「変だな。森が急に葉を落とすなんて聞いた事がない」
 森の奥で何かが起こり始めている。それは理屈ではなく直感だった。自分がこの世界に来訪した事が何かの『きっかけ』となったのかもしれない。美人サンの願い通りにそれが救いとなればいいが、逆に滅びのトリガーとなってしまったのでは寝覚めが悪いし、美人サンに合わせる顔がない。
「ちょっと待ってろよ!」
 虎王丸は森の中央へと向かって走り出した。