<東京怪談ノベル(シングル)>


海辺の王女

0.露天風呂

ある夜、エルファリアの別荘。
敷地内であるが、屋根が無い風呂…露天風呂である。
壁も床も全て大理石で造られている辺り、さすがに王女の別荘といった所だろうか。
立ち上る湯気に隠れるようにして、エルファリアとレピアが体を洗っていた。
「また魔本で遊ぶの?」
少し苦笑しているのはレピアである。
最近、立て続けにエルファリアの魔本遊びに付き合わされている。特に嫌なわけではないが、苦笑は出てしまう。
「そうです、今度は魔本の中でも私は王女なのです」
「それって魔本の意味あるの?」
言いながら、レピアがエルファリアの頭からお湯をかけると、石鹸の泡に覆われた彼女の体が流されていった。
お互いの背中を流すというより、体ごと流すという勢いで、体を洗いあっている二人である。
「ま、まあ、普通に王女のまま冒険に参加っていうのも、リアリティがあって良いかも?」
頭からお湯を被りながらエルファリアが答えた。
「リアリティ…か。まあ悪くないわね」
そんな風に軽くお風呂で戯れた後の二人は、夜の読書の時間である。

1.エルファリアとエルファリア

海からの風が常に吹いている屋敷である。
魔本の世界でも王女のエルファリアは、気づけばテラスで潮風を浴びていた。
肌が少しベトベトするのは、空で輝いている太陽よりも、風に含まれる塩分のせいだろう。
独特の海の匂いが刺激的ではあるが、肌のケアをするのは大変そうだ。
…うーん、海辺の王女様って感じですね。
とりあえず、エルファリアはいつもと違った王女様気分を味わっている。
やはり、海が目の前にあるというのが、いつもと違う。
それは雰囲気だけの問題でも無かった。
海は潮風よりも現実的なもの…富をもたらしてくれる。
海を行く船は馬車よりも多くの物を積めるし、馬車よりも早い。
船と船を操る技術さえあれば、海というのは陸よりも物を運ぶのに適しているのだ。
港を所有するような王侯貴族であれば、尚更である。
少し遠くに見える自分の港を眺めながら、エルファリアは感嘆のため息をつくばかりだった。
だが、船を扱う海での交易では、陸よりも多くの人が関わる事になる。
船を造る者、操る者、航海の準備を整える者…
多くの人が関わるという事は、それだけ問題も起きやすい。
エルファリアが巻き込まれようとしているのは、そうした揉め事だった。
テラスで潮風をのんびりと浴びていたエルファリアは、何気なく室内の方を振り向き、絶句した。
エルファリアが部屋の中に見たのは、エルファリアだった。
薄いが、しかし太陽を避ける為にしっかりと体を覆った王女の衣装。同じ物を室内のエルファリアは纏っている。
その顔も、エルファリアそのものだった。
「こんにちは、古いエルファリア様」
室内の『エルファリア』は、にっこりと微笑んだ。
「今日からは私が新しいエルファリアになりますんで、宜しくお願いしますね」
その笑顔はエルファリアそのものだった。
室内に自分の姿を見たエルファリアは混乱して、金縛りにあったように体が動かなくなる。いや、それどころか息も苦しかった。
恐ろしくなって自分の姿を見直すと、真っ白に血の気が失せている事に気づいた。
体の感覚が徐々に失われ、石のように硬くなっていく。
「うきゃああ!」
自分の体が変化していく感覚に、エルファリアは思わず悲鳴を上げた。
石化の魔法だ。エルファリアは生きたまま石にされようとしていた。
それから…数分の時間が流れた。
優雅な王女の屋敷に似合わない足音が響き、エルファリアの部屋に女騎士が一人入ってきた。レピアである。
「あら、どうしたの?」
室内に居た『エルファリア』は、いつもと同じ笑顔をレピアに返す。
「悲鳴が聞こえたわ。どうしたの?」
緊張した面持ちのレピアに、しかし『エルファリア』はいつもと同じ笑顔を返す。
「うふふ、ごめんなさい。
 装飾品に買ってきた石像の顔が怖かったんで、悲鳴を上げちゃったの」
そうして、彼女が示したのは一体の乙女の石像だった。
恐怖の表情を浮かべる石像の顔は、何故かエルファリアによく似ているようにレピアには思えた。

2.違和感

…ていうか、どう考えても怪しいわよね、あの石像。
エルファリアによく似た石像は、それを目撃したレピアの心に焼き付いていた。
石像自体は、すぐに売られてしまった為、レピア以外は誰も見ていない。
だが、それでも、あの石像はエルファリアに似すぎているとレピアには思えた。
さらに、レピアが石像を見た少し後から、エルファリアの様子がおかしくなった。
いつもと同じ笑顔を浮かべているが、いつもと違う事を始めたのである。
エルファリアは、今まで王家と敵対していた悪徳商人のグループに、肩入れをし始めたのだ。
どうも最近、王家にスパイが居て機密情報が漏れているようなので、調査をした所、犯人はエルファリアという結論に至ったというわけである。
…やっぱり、あの石像が怪しいんだけど。
至ったものの、相手は王女。エルファリア。
なかなか動けず、レピアは困っていた。
エルファリアがエルファリアで無くなっている。それは、何となくレピアにはわかった。
お菓子の並べ方。お風呂で体を洗い合う際の順番。細かい所に違和感を覚えるのだ。
だが、事情がよくわからなかった。
例えばエルファリアの中身…魂のような物だけが、石像に封じられて、エルファリアの身体に何かが乗り移ったのかもしれない。
そうなると、下手に手出しをするとエルファリアの身体を傷つけかねない。
事情が分からない限り、無理は出来ない。
…でも、何が起こってるにしても、あの石像が無関係って事は無いわね。
そうして、レピアはエルファリアの石像の行方を求め始めた。

3.王女の帰還

海を渡る交易船。
その先端には、船首像が飾られている事が多い。
あくまで飾りなのだが、しかし、一種のお守りとして飾るのが船乗りの間では一般的となっている。
とある悪徳商人のグループの船の先端には、美しい乙女の像…エルファリアの像が飾られていた。
船の先端部分…航海を切り開く部分に、ご利益がありそうな物を飾っておくというわけである。
ご利益があったのかは定かではないが、しばらくの間、その船は平和な航海を行う事が出来た。
だが、航海で嵐や事故が発生すると、そうした船首像は縁起が悪いという事で処分されてしまう事も慣習であった。
小さな嵐があった航海の終わりで、エルファリアの像は売られてしまった。
そうして、エルファリアの像は船から船へと渡っていく。
航海の際には船の先端で真っ先に潮風を浴びるから、波に晒され、少しづつ汚れていった。
また、ある時には、風呂に飾られる事もあった。
船から船、人から人の手を渡り、少しづつエルファリアの像は汚されていった。
最後にエルファリアの石像が行き着いたのは、見知らぬ浜辺だった。
座礁した船の船首に、汚れきったエルファリアの像が、それでも飾られていた。
もう、美しいエルファリアの面影を探す事も難しい。
「あらあら、すっかり汚れちゃったわね王女様…」
少し疲れた顔のレピアがやってきたのは、それからさらにしばらく後だった。
…さて、どんな呪いか、魔法かはわからないけど、とりあえず解かなくちゃね。
人気の無い難破船から、レピアは船首像を取り外す。
聖水を持って来たのは正解だった。文字通りに汚れたエルファリアの身体を洗い流す事が出来る。
手入れをする者も無いエルファリアの石像は汚れ放題だ。
レピアは、本物のエルファリアの身体を拭くのと同じ気持ちで丹念にエルファリアの石像を聖水で洗い流した。
「うーん…お風呂、入りたいです」
石と化していたエルファリアの口元が動いた。
少しづつ、その身体が人の物に戻っていく。
「そうね、終わったら、また入りましょう。朝まで時間あるだろうしね」
エルファリアに戻りつつある石像の身体を拭きながら、レピアは言った。
探すのに苦労しただけに、達成感があった。
それから、二人はエルファリアの偽者を倒して魔本の冒険を終える。
疑似体験とはいえ、いつもよりも、後でお風呂に入りたくなる冒険だった…

(完)