<東京怪談ノベル(シングル)>


はじまりの踊り子

1.はじまりの夢へ

ある日の、エルファリアの別荘。
エルファリアの寝室で、彼女が磨いている穏やかな表情の踊り子の石像は、レピアである。
静かに微笑むような石の顔には、呪いで石にされているという苦悶は感じられない。
…今日も幸せそうに寝てるのですね。
そんな風に、石像として眠るレピアの様子を見ながら彼女の身体を磨くのは、エルファリアの楽しみの一つである。
…いつからレピアは、こうして石になって眠るようになったのでしょう?
専用の布で、彼女の身体を磨きながら、エルファリアは考える。
別に、隠されているという事でも無い。
話では聞いているし、見たければ勝手に夢に入れとも言われている。
それでも、やはり他の他愛のない思い出とも違い、レピアにとっては重大な人生の転機だけに、なかなかエルファリアも覗き見する気にはなれなかったのだ。
…だけど、嫌な思い出を共有する事も、もっと仲良くなるために必要なのですね。
いつかは、見てみようと思っていたレピアの記憶。
今日こそ見てみようと、エルファリアは決心した。
楽しい夢では、無いのだろう。
それでも、一度は見なくてはと思っていた夢だ。
レピアの身体を、いつもより時間をかけて磨き上げたエルファリアは、ベッドに寝ころんだ。
辛い悪夢になるのを想像しながら、心を眠るレピアの記憶へと重ねていった…

2.小国の踊り子

エルファリアやレピアが生きている時代から数百年前の出来事である。
当時、レピアが呼ばれたのは小国の王宮だった。
王宮と言っても、実際のところ、やや豪華な屋敷に過ぎない。それこそ大国の富豪であれば、これ以上の屋敷に住んでいる事も珍しくは無いという程度の屋敷である。
それでも、王宮には違いない。
レピアのように売り出し中の踊り子としては、そうした場所のお抱えになる事には意義がある。他人からしてみれば、レピアは王宮にお抱えの踊り子と言う事になるのだ。
その夜も、晩餐の余興としてレピアは仕事をしていた。
週に一度の、大臣を招いての晩餐である。
王と王妃、大臣の三人が、今日のレピアの客であった。
東洋の神降ろしの巫女…という触れ込みの珍しい衣装を身に付けたレピアは、今日も踊っていた。
その頃のレピアは、踊る事…踊りの技を磨く事を何よりも考えている健気な娘だった。
まだ、その頃のレピアは昼の太陽を見ながら踊る事が出来た。
だが、残念なことに、人の心が今よりも見えなかった。
王妃と大臣の冷たい笑顔の意味を、その頃のレピアは知る事が出来なかったのだ。

3.踊り子の呪い

…何で私が、こんな目に会うの?
レピアは、全くわけがわからないまま、小国の城下町を歩いていた…いや、歩かされていた。
きらびやかな踊り子の衣装も脱がされ、素足で土の上を歩かされている。
後ろ手に枷をはめられ、両足もかろうじて歩ける程度に縛られている。
もはや、レピアは踊り子では無かった。
罪人…
若く美しいその身体も鞭で何度も叩かれ、泥まみれになり、罪人として晒しものになっていた。
「これが、王をたぶらかした踊り子だ。
 国王が我が国を売ろうとしたのも、全て、この踊り子に吹き込まれた事だ」
誰かの声が聞こえる。
確か、大臣の声だろうか?
聞き覚えがあるが、どうでも良い気さえした。
人々の視線を集めるのは嫌いではないが、こうして罪人として晒される事には耐えられない。
レピアは正気さえ怪しくなっていた。
かろうじて理解できたのは、自分…と、パトロンだった国王が誰かの何かの罠にはめられたという事だ。
自分は何もしていない。
ただ、パトロンとなってくれた王の為に踊っていただけなのだ。
王も何も悪い事はしていない。少なくともレピアの見える所では…
だが、王は処刑され、自分は罪人として晒しものにされているのだ。
照りつける太陽の下を、レピアは歩かされていた。
自分は何も知らない。ただ踊っていただけだと必死に言ったが、レピアの言葉に耳を貸す者はなかった。
汗をぬぐう事さえも許されない、晒しものである。
容赦なく光を浴びせる太陽に憎しみも感じたが、それについては、ある意味レピアの望み通りになる事になった。
何故なら、市中引きまわしの後、レピアは、罪人…咎人の罰として、石化の呪縛をかけられたからだ。
苦悶と絶望に泣き叫んだまま石像と化したレピアは、その後太陽を見る事は無かった。

4.50年後

石像と化したレピアは、その後もしばらく晒し物にされていた。
だが、10年が過ぎ、20年が過ぎると、次第に忘れられていった。
最後には、郊外の廃物場に放置されるようになっていた。
30年が過ぎ、40年が過ぎると王国の所有者も変わり、住人も変わった。
50年が過ぎた頃には、レピアが知っている人間も、レピアを知っている人間も居なくなっていた。
王国の廃物場も、もはや前世代の遺跡のようになり、レピアの噂…傾国の踊り子の話も昔話になりつつあった。
旅の女僧侶が、ふらっと通りがかったのは、そんな頃である。
「な、なんか、この石像、怖いのです…」
旅の女僧侶は、数十年の汚れにまみれたレピアの石像を見て、眉をひそめた。
表面には苔が生え、野生動物の汚物にまみれ、風雨にさらされ続けてきた石像。
しかし、その石像がどういう存在であるのか、旅の女僧侶は一目で理解した。
怖いんで通り過ぎようかと旅の女僧侶は一瞬迷ったが、そういうわけにもいかないと思いなおし、首を振った。
「で、でも、これは強い呪いです。
 このまま放っておいたら、かわいそうなのです」
そう、独り言を言うと、石像と化したレピアの呪いを浄化する事にした。
この辺りには、傾国の踊り子の昔話がある。王をたぶらかした悪い踊り子の話なのだが、この石像は、その踊り子なのかもしれない。
その昔話が真実だとしても、もう、踊り子は十分に罰を受けただろうと女僧侶は思った。
旅の女僧侶は、清めの聖水をかけながら石像を洗う。
少しづつ、レピアの石像は本来の美しい姿を取り戻していった。
気のせいだろうか、汚れを落とした石像が、嬉しそうに震えたように旅の僧侶には見えた。

5.旅のはじまり

夜。
薄い月明りの下で、レピアは久しぶりに目を覚ました。
旅の女僧侶から話を聞いたレピアは、ひとまず彼女に礼を述べ、事情を聞いた。
「昼になると、あたしはまた石像になっちゃうのね?」
「ええ…それも、呪いが解かれるまで永遠に続くみたいです。
 すいません、私の力じゃ、半分も呪いが解けませんでした…」
申し訳なさそうに、旅の女僧侶は言った。
ふう…
と、レピアはため息をついた。
「私は…踊っていられれば、幸せだったんだけどね」
まだ、自分の身に起きた事を完全に受け止めたわけではない。
呟くので精いっぱいだった。
「あのー…レピアさん、これからどうするんですか?」
「そうね…
 ずっと踊っていられるのは嬉しいけど、毎朝石になるのも面倒だしね。
 呪いを解く方法を探しに行くわ」
と言っても、50年前から時をかけてきたようなレピアには、当てもない。
「そうですよね…
 まあ、それなら、しばらく私と一緒に行きませんか?
 ちょうど聖地まで巡礼しているところですので、聖地に行けば、私より力がある人も居ると思いますんで」
旅の女僧侶の言葉に、しばらくレピアは黙っていた。
しばらく一人で居たい…
そういう気持ちがある。
わけもわからずに騙されたのは、彼女にとっては、つい昨日の出来事だ。特に、あの大臣…男には当分会いたくない気さえした。
「でも、しばらく休むのも良いかもしれませんよね…
 それでしたら、うちの教会を紹介しますんで、昼間はご神体でもやって頂ければ、ずっと居て下さって構わないですよー」
女僧侶は、レピアの様子を見ながら声をかける。
…そうね、この子は信じてもいいわね。
と、レピアは…50年振りにほほ笑んだ。
それが、レピアの今も終わらない長い旅の始まりだった。

6.エルファリアの感想

…な、なんか、最後に出てきた旅の女僧侶さん、私にそっくりなのは、どういう事なのでしょう?

(完)



(あとがき)
おまたせしました、MTSです。
2月になってしまってすいませんが、あけましておめでとうございます。
今年も、また機会があったら、宜しくお願い致します。