<東京怪談ノベル(シングル)>


人魚の踊り子

1.人魚の伝承

割と何でも揃っている、エルファリアの別荘。
その書庫には、やはり割と何でも揃っている。
基本的にエルファリアや他の王族の為の書庫なのだが、そこには彼女達が一生かけても読み切れないと思われる数の本が並んでいた。
整然と並んだ本棚には、丁寧に分類された本が並んでいる。
最近、エルファリアがよく訪れるのは、呪いの起源や、その解除法などについて書かれた本が並んでいる棚だ。
もちろん、レピアの呪いについて解除法を調べる為だ。
今日、エルファリアが読んでいるのは、とある人魚族の伝承。
人魚族と言っても、一つの種族では無く、いくつかに分かれている。
最も一般的なのは人間と同様に男と女の人魚が居て、人間と同様に海で生息している種族だ。これらの種族は文字通りの海の民として、人間との交流も盛んである。
エルファリアが読んでいるのは、そうした普通の人魚では無く、少し特殊な人魚族だ。
その人魚族は、何かの呪いか魔法で誕生したのが起源と言われる女だけの人魚族で、生殖能力を持たない。
その代りに、人間に呪いをかけて人魚と化す事で仲間を増やしているのだという。
…それって単に呪いを広めているだけだと思うんですけど。
苦笑いしながら、書庫で、その人魚族の伝承に関する本をエルファリアは読んでいた。
パラパラと本をめくっていたエルファリアは、その挿絵に目を止めた。
何やら人魚の踊り子を描いているようだ。
青色の髪をなびかせて、魚の下半身を揺らしている絵の様だが、その顔がレピアに似ているような気がした。
…これって、もしかして?
彼女なら、あり得るかもしれない。
とりあえず、エルファリアはレピアに聞いてみる事にした。

2.別荘の温泉

エルファリアの別荘には、毒やら呪いやらに効果がある聖なる温泉がある。
レピアの咎人の呪いを解く程では無いが、それなりに大した効果がある温泉だ。
浴室の端では大理石の台座から、噴水のように少しづつお湯が沸きだしていて、浴室の中央にある、一人で入るには少し大きめの浴槽に、そのお湯が集められていた。
レピアとエルファリアが、その浴槽に向かい合って浸かっていた。
一人で入るには少し大きめだが、二人で入るには少し小さい。
どうしても体が触れあってしまうが、それで良かった。
浴室には、二人の女が居る。
エルファリアはレピアの胸を石鹸の泡で覆いながら、書庫で見た人魚の本の挿絵の事をレピアに話した。
レピアはエルファリアのご奉仕に身を任せながら、彼女から挿絵の話を聞く。
「ええ、それは、あたしね。
 大分昔に描いてもらったんだけど、まだ残ってたのね」
エルファリアから話を聞いたレピアは、苦笑しながら頷いた。
確かに覚えがある話で、おかげで人魚の舞…水中以外では完全には踊る事が出来ない舞…を習得する事になった出来事だ。
それは、石像と化したレピアを運んでいた船が、人魚の海域で座礁したために始まった出来事である。

3.人魚の踊り子

今から数百年前。
ある嵐の翌日、海の底で人魚達が騒いでいた。
「ねーねー、近くで船が難破したみたいだよ」
「もう、手遅れみたい。
 かわいそうだね。人間は溺れたら死んじゃうもんね」
「残念だね。生きてる女の子が居たら、私達の仲間にしてあげたのに」
海流に乗って、船の破片やら骸となった人が彼女達の縄張りに流れてきたのだ。
生きている人が居れば、良い意味でも悪い意味でも色々出来たかもしれないが、おそらく手遅れのように思えた。
それでも、人魚達は暇なので海流をたどって難破した船を探しに行った。
嵐が来ても海の中は、海の表面程には荒れていない。その嵐も過ぎっているので、人魚たちにとっては、ちょっとした散歩の様なものだ。
特に苦も無く、人魚たちは難破船を見つけた。
やはり生きた人間の姿は無く、彼女達には興味が無い人間の財宝等が沈んでいるだけだった。
だが、一人の人魚が、船の上に乗ったまま沈んでいる石像を見つけた。昼間のレピアである。
「あれー、呪いの石像だー」
「ほんとだー、女の子の石像だねー」
「今日から、この子も仲間だね。わーいわーい」
クスクスと笑いながら人魚たちが集まってくる。
無邪気に笑う人魚達は、まるで獲物にたかる肉食動物のようにレピアを取り囲んだ。
そして…夜が来た。
レピアは、暗い海の底で目を覚ます。
苦しい…上手く息が出来ない。
『何があったの?』
と、声を出そうとしたら、水を飲みこんでしまった。
「あ、起きたのー。
 大丈夫だよ、すぐ慣れるから」
水を震わせて話す声が聞こえた。
同時に、複数の手が自分の喉元と首筋を撫でているのを感じた。
「慣れる?」
今度は声が出せた。空気の代わりに水を震わせて。
何だろう、頭がはっきりしない。
「どう?鱗を撫でられると気持ち良いでしょ?」
下半身を、やはり複数の手で撫でられているのをレピアは感じた。
確かに心地良い。だが、何かが変だ。
下半身が…足が…
そう、両足が、合わさって一つになったかのような感触だ。
人魚達の愛撫で、ぼやける意識の中、レピアが自分の下半身に目をやると、それが魚の様な鱗に覆われている事に気づいた。
…人魚?
レピアは今の自分の姿を悟った。
驚いて身を揺らそうとしたが、人魚の群れは優しくも力強く、レピアの身体を捕えて離さなかった。
このまま、人魚達に身を委ねていては危険だ。逃れなくてはならない。
そんな意識も、やがて全身を愛撫する人魚達の手の快楽によって消えていった。

4.凍る人魚

それから数年が過ぎた。
人であった事も忘れ、レピアは人魚の踊り子となっていた。
風を震わす代わりに水を震わせて歌う事を覚え、尾びれを揺らして泳ぐと同時に舞う事を覚えた。
今ではすっかり、人魚族で一番の踊り子となったレピアである。
…何で、私はここで踊っているのかしらね?
時々疑問に思う事もあったが、仲間の人魚と戯れ、踊っているとそんな疑問も忘れてしまった。
全てを忘れて踊っているレピアは、ある意味幸せであった。かりそめの幸せではあったが。
だが、それも終わる日がやってきた。
この辺りの海域の主である海の妖精に、レピアは呼ばれた。
毎年、何人かの人魚が海の妖精の神殿に呼ばれるが、そこから帰って来た人魚は居ない。
きっと生贄になるんだと、人魚たちの間では話題になっていた。
「仕方ないわね…」
水を震わせてため息をつくと、レピアは海の妖精の神殿へと行く事にした。
「レピアちゃん、仲間になったばっかりなのにごめんね…」
「うんうん。何で、新しい子を呼ぶんだろうね…」
道案内の人魚達も残念そうに言っている。
それでも、掟なので仕方がない。
せめて、海の妖精に人魚の舞を見せつけてやろうと思った。
海の妖精の神殿の前で、レピアは他の人魚たちと別れ、神殿の様子を伺った。
透き通る、氷のような柱が印象的だった。実際、触ってみると冷たい。
美しい装飾や、人魚の様な氷像も並んでいるが、何となく冷たい印象の神殿だ。
それでも行かなくては、仲間の人魚達が迷惑をこうむる事になるので、レピアは神殿の奥へと入っていく。
神殿は奥へ進むほど薄暗くなる。一番奥の、薄暗くて光も届かない広間に妖精は居た。
それは氷のように透き通った羽根を生やした人魚のようにも見えた。
妖精は表情一つ変えずに、レピアに言った。
「舞って。得意なんでしょ?」
言われるままに、レピアは人魚の舞を舞う。
水が、いつもの所よりも冷たく感じた。
それでも、レピアは人魚の仲間達から教わった舞を妖精に披露した。
それは、ここ数年の間、磨いてきた技の集大成でもあった。
だが、そんな情熱的な水中の揺らめき、レピアの人魚の舞を見ても、妖精の冷たい表情は変わらなかった。
レピアの舞が終わると、相変わらず妖精は顔色を変えずに言った。
「美しいわ…今まで見た誰よりも、私よりも。
 だから…大嫌い」
その声は、ほんの少しだけ感情が籠っているようにも思えた。
冷たい嫉妬。負の感情。
次の瞬間、レピアは寒気を感じた。
いや、寒気どころでは無い。体が冷たくて動かない。
悲鳴を上げようとしたが、それも凍りついてしまった。
海の妖精が氷の神殿を司っている魔法だ。
その魔力に抵抗する事は出来ず、やがてレピアは苦悶の表情を浮かべる氷の人形…妖精の玩具と化した。

5.温かい場所

それから、数百年後。
エルファリアの別荘の温泉である。
レピアは、当時の話を大体エルファリアに話した所だ。
「…というわけで、海の妖精に嫉妬されたあたしは、意識を持ったまま神殿に氷の人形として飾られてたの。
 たまに、海の妖精に悪戯されて傷つけられたりしながらね」
「そ、そうなのですか。いつもながら、災難ですね…」
エルファリアも何だか寒けがしてきた。
「その後は、よくわからないけど、石像に戻された所を神殿に来た盗賊に盗まれたみたいね」
私は石だったから、よく知らないけどね。
と、レピアはクスクス笑った。
何だかんだで、そこまで嫌な思い出でも無い。踊りも覚えたし人魚生活も悪くは無かった。
ただ、こうして温かい温泉に入っていると、少し氷像と化していた時の事を思い出す事がある…

(完)

(あとがき)
毎度ありがとうございます。
人魚の踊りって、具体的に初めて考えました。
また、機会があったらよろしくお願いします。