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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


魂吸坂

<序>
「転んだら3年で死ぬ」
 紙面に向けていた視線を上げて、草間は机の上にある煙草のパッケージに手を伸ばした。片手だけで煙草を一本取り出すと、短く吐息を漏らしてからフィルターに唇をつけた。
 手にあるのは、昔なじみの知り合いからの手紙だった。
 久しぶりに連絡をよこしたかと思えば。
「……少しは昔を懐かしめるようなまともな手紙を送ってこれないのか、あの男は」
 別に懐古主義というわけではないが、この手紙の内容を見た後ではそんな言葉がこぼれてしまうのも仕方ないことかもしれない。
 再び白い紙面に目を落とす。罫線が入ったシンプルな便箋には、神経質そうな文字が青いインクで綴られていた。
 京都にある、清水の三年坂。
 昔から「転んだら3年で死ぬ」と言われている坂なのだが、ここ数ヶ月の間に転ぶものが続出。その転んだ者は、3年どころか一ヶ月以内に不可解な死を遂げている。
 ある者は事故。ある者は自殺。ある者は病死。
 死因に共通点はないものの、死した者に共通するのは「三年坂で転んだ」ということ。そして、亡くなった者は皆、小指ほどの小さな瓢箪型のキーホルダーを持っていたという。
 遠いところ申し訳ないが、もし手隙なら調べてみてはくれないか、という一文で手紙は締めくくられていた。
「京都、か」
 手紙を机の上に置き、手に馴染んだライターで銜えていた煙草に火を点ける。夕暮れが迫っている窓の外へ向けられた眼差しは、頭の中にある知人リストを見つめている。そしてその中から適任者をピックアップすると、緩やかに唇を歪めて笑みを浮かべた。
「また金にならない仕事だな。この借りは大きいぞ、鶴来」
 知己の名を呟くと、宙に煙を吐き、窓の外に広がっている赤い空を見やった。

<出発・前B>
 駅構内の中央切符売り場。
 その一角の壁に背を預けるようにして立っているのは、里見史郎だった。
 右手に笛の入った袋を持ったままゆったりと腕組みをし、何かを避けるようにしばし伏し目がちにしていたのだが、ふとその眼差しを上げる。
 途切れることなく流れる人の波。誰もが他人に無関心で、そして自分もまた、ここにいる誰も気にかける気にはなれなかった。
 否、たった一人を除いては、と言うべきか。
「悪い、ちょっと遅刻か」
 駆け寄ってきた従兄の斎司更耶を見、史郎は目を細めて笑った。
「電車に間に合えば上等だよ」
「途中で本屋に寄ったから。それさえなければ間に合ってたんだけどな」
「長旅になるから、賢明な選択だったと思うよ」
 それじゃ行こうと史郎は声をかけると、二人は人の波の中へと分け入って行った。

<京都・着>
 乗り物ばかりの旅路にいささかうんざりしていた更耶は、市バスから降りると大きく一つ伸びをした。なんとなく子供じみたその仕草に穏やかな笑みを浮かべながら、史郎はゆっくりと辺りを見渡した。
「さて。まずはどこから手をつけようか」
「どこからって、やっぱりその三年坂ってところからじゃないのか?」
「三年坂より、俺としてはまず瓢箪の方を調べたいかな」
 歩き出しながら、史郎はここに来る前に調べてきたことを更耶に伝えた。
 三年坂。けれど人々が妙な噂を恐れたことから、「産寧坂」と改名された、その坂。
 本来、三年坂の瓢箪は「転んでも死なない」ために持つものだという。転んだ時に飛び出してしまった魂が壊れないように、瓢箪に吸い込んでもらい、守ってもらうという意味があるのだ。
「なのに、今回はその瓢箪を持っていても死を迎えてしまった。坂自体より、瓢箪を持っていたのに亡くなってしまった、ということが気になるんだ」
 あらかじめ下調べしてあるあたり、さすがは史郎と言うべきか。
 隣を歩く従兄の顔を見てから、更耶は空へと視線を移した。
「どうせ俺があれこれ考えたって史郎の考えることには敵わないんだ。だったら史郎が思うとおりに動けばいい。俺はどこまでもついていくから」
「だったら、遠慮なく好きにやらせてもらおうかな。フォローは任せるよ」
「了解」
 ぴ、と親指を立てて更耶は短く答えた。

<花と霊気>
 古めかしい、良く言えば「古きよき時代の」街並みを見、更耶は吐息をついた。
「なんか、何がいてもおかしくなさそうだ」
「古都・京都だからね。時代が古いと、その場に染み付いている思いも深いから」
 普段住まう近代的な建物が建ち並ぶ風景を見慣れている者にとっては、ひどく違和感を覚える。けれどもその心のどこかでは、懐かしさも感じている。それが人々をこの街へと導くのだろうか。
 観光客の多い三年坂から少し外れた場所に移動した更耶と史郎は、とりあえずその周辺で少し聞き込みをしてみることにした。とてもじゃないが、「瓢箪と三年坂」だけではお手上げである。亡くなった者たちの家へ訪れてもよかったが、今回、自分たち二人の他にもう一人調査に出すからと草間からは聞かされている。ならば、その一人がすでにその家に向かっている可能性もある。二度手間をならべく省けるものなら省きたいという、史郎なりの考えだった。
「それじゃ、とりあえずは――更耶?」
 歩き詰めで疲れた身体を癒すように缶コーヒーを口にしながら考えをまとめた史郎が、今後の行動について更耶に意見を求めようとしたが、更耶はスチール缶を手にしたまま、首を捻じ曲げるようにして道端の方を眺めていた。
「どうしたんだ、更耶?」
「……あそこ」
 更耶がちらりと史郎に視線を返してから、顎をしゃくって視線の先を示した。そこには、道端に置いてある小さなビンに白い花を生け、その前に線香を立てて手を合わせている中年の女性がいた。交通事故の現場の跡らしい。
 ふとそちらにつられるように目を向けた史郎も、わずかに眉宇を寄せた。
 奇妙な「気」が漂っていることに気づいたのだ。更耶の方も、そこにいる女性よりもその「気」のほうが気になっていたのである。
「とりあえず、話聞きに行ってみようか。何か引っかかるかもしれないし」
 史郎は空になった缶をゴミ箱に放り込むと、小さく頷いて了承の意を示した更耶と共に祈りをささげている女性へと向かった。
 女性は足元に置いていた、花を包んでいたと見られる新聞紙などを手早くたたみ始めた。そして腰を上げたところに、史郎が声をかけた。
「すみません」
「っ」
 女性がいきなりの声に驚いたようにぱっと振り返った。一見するに、年齢は三十代半ば、といったところか。緩く癖のついた髪の襟足を琥珀色のバレッタで留めて一つにまとめている。
「何や用ですか?」
 訛りの入った柔らかい響きのある言葉を紡ぎ、女性はにこりと微笑んだ。
「道に迷いはったんやろか? 産寧坂やったらこの道戻ってもろたらすぐわかる思いますけど」
 どうやら観光客か何かと思われているらしい。更耶はちらりと隣に立つ史郎を見やった。史郎はその品のいい相貌に穏やかな微笑を浮かべ、更耶に視線だけを返し、また女性の方へと目を戻す。それを「ここは任せて」のサインだと受け取り、外交は史郎に任せて更耶はその隣で沈黙を保つことにした。もっとも、そんなサインを出されずとも最初から史郎に任せるつもりでいた更耶である。
「いえ、産寧坂はさっき行きました」
「あら、せやの?」
「古い町並みと落ち着いた空気。心が休まる気がしました」
「あらあら。若いのにそういうのが判るやなんて、えらいんやねえ」
 片手で口許を押さえるようにして上品に笑うその女性からは、警戒心というものが失せている。さすがというかなんというか、更耶は改めて史郎の人当たりのよさというか外ヅラのよさというか――そういうものは自分には到底真似できないなと思う。
 ところで、と言葉をつないで、史郎はちらりとその怜悧な眼差しを道端に添えられた花へと落とす。白い菊の花が丁寧に生けられている。街角にささやかな彩りを添えているかのようだった。
「ここで事故かなにかあったんですか?」
 ふと、女性の顔に翳りが走る。目を伏せるようにして、女性も史郎と同じ花の方へと顔を向けた。
「うちの家のすぐ近所の娘さんやねんけど、去年事故で亡くならはってねえ。まだ5つやったんよ。ほんまに、かわいい盛りやったのにねえ」
 ふう、と憂い顔で吐息をつく。
「遅くに出来た子やったから、寺崎さんとこの旦那さん、目に入れてもいとぉないゆうくらいに可愛がってはったから、その落胆ぶりゆうたらねえ」
「……そうですか」
「清水寺の子安の塔に向かう安産祈願の坂でもあるさかい、寺崎さんとこ、ご夫婦でよぉお参りに行ってはったんよ、産寧坂。それでやっと授かった子やったから、美弥(みや)ちゃん――娘さんの名前やねんけどね、連れて坂にお礼に行かはったんよ。せやのにまさか、そこで美弥ちゃんが転んでしまうやなんてねえ……」
 ぴくりと、同時に史郎と更耶が女性の顔を見た。
「ここで亡くなった女の子って、三年坂で転んでいたんですか?」
「ええ。寺崎さんはちゃんと瓢箪持ってたさかい大丈夫やゆうて言うてはったけど、それから2年後の去年、ここで居眠り運転の車に撥ねられて」
 瓢箪を持っていたのに、亡くなった。
「おい、史郎……」
 頭の芯が冷たくなるようだった。
 ただの偶然なのか? それとも。
 史郎は更耶に目だけで答えると、また女性の方へと向き直る。
「寺崎さん、娘さんを亡くされてさぞや気落ちされていることでしょうね」
 女性は、また大きくため息をついて片手を自分の頬に当てて小首を傾げた。物腰が柔らかい史郎にまったく警戒心を抱きもせず、女性は口を開く。
「それがねえ、なんや最近遅うまで家の明かりが消えへんさかい、どないしはったんゆうて尋ねてみたら、内職で瓢箪作りはじめましてん、ゆうて言わはって」
「?! 瓢箪ですか」
「美弥ちゃんが亡くなった時には、瓢箪なんか嘘っぱちやゆうてわめいてはったのに。なんや顔つきもえらい怖い感じになってはって。ここにも全然お参りに来てはらへんしねえ。奥さんは家出て行かはったみたいやから、顔見知りのよしみで私がお花の世話やらしとるんやけど」
 思ったよりも早く、糸口がつかめたかもしれない。
 その寺崎某の家の場所を女性から聞き出し礼を述べると、史郎と更耶は足早に歩き出した。
「こういうのって、瓢箪から駒って言うんだったか」
「今回は何かと瓢箪に縁があるみたいだね」
 軽口を叩くその顔に、笑みはない。まっすぐに前を見据える二人の眼差しは、研ぎ澄まされた刃のようだった。

<瓢箪師>
 入り組んだ路地に、その家はあった。
 斎司更耶と里見史郎の二人が、表情を険しくして錆が浮いた鉄柵状の門扉の前に立つ。そして門柱の「寺崎」という石の表札の下にあるインターホンに史郎が手を伸ばしたときだった。
「もしかしてキミたち」
 突然入り込んできた声に史郎が手を止めて顔を上げた。僧衣姿に錫杖を手にした大男が歩いてくる。
 抜剣白鬼だった。
「草間興信所から依頼を受けた俺以外の二人、ってキミたちのことかい?」
「ああ、それじゃあなたがもう一人の方ですか」
 手早くお互いの自己紹介を済ませると、更耶が顎で家の方をしめした。
「のんびり話してる場合じゃないだろ。行くのか、行かないのか」
「行くに決まってるさ。これ以上人死を出すわけにはいかない」
 言いながら、白鬼が懐から呪符に包まれた瓢箪を取り出す。それを見て、史郎が眉宇をひそめた。
「穢れた気が残っていますね。けれど、本体はもうすでに抜け出た感じが」
「……って、本体ならそこにいるだろうが!」
 言うなり、更耶が軽く両足を開いてスタンスをとり、右腕を自分の前に構えた。うっすらとその腕に蒼く煌く銀色のオーラが発しはじめる。鋭く飛ばされた更耶の言葉に白鬼と史郎が家の方へと視線を向けると、いつのまにか開かれた引き戸の玄関から中年がらみの男が一人、のっそりと出てきていた。
「誰や、人の家の前でごちゃごちゃ騒いどるんは」
 ひどいクマが出来た目元は、まるで眼窩か落ち窪んでいるかのようだ。伸び放題の無精ヒゲ。ばさばさの髪。庭木で薄暗くなっている玄関口に立っていると、まるで彼自体がこの世ならざるもののように見える。
 手にした笛を確かめるように握ると、史郎は静かに口を開いた。
「寺崎さん、ですね」
「俺に何の用や。今忙しいから帰ってくれんか」
「そういうわけにはいかないなぁ」
 白鬼が、呪符を解いて小さな瓢箪を寺崎に向かって見せた。
「これ、見覚えあるはずだけど?」
 びくりと、寺崎の表情が一瞬こわばった。上目遣いに白鬼、史郎、更耶を順に見やる。動揺と警戒が混在した顔で、手の中にある何かを強く握り締めた。
「何や、お前ら。何しに来た」
 その背後に、ゆらりと揺れる黒い影。
 短く舌打ちすると、更耶は目を眇めた。
 ここに来る前に見かけた事故現場。そこにかすかに残っていたのと同じ気を、その黒い影は纏っている。その気の上にフィルターをかぶせるように禍々しい気を帯び、ゆうるりと寺崎の周りを包んでいる。
 まるで、懐いているかのように。
 おそらくあの事故現場の地縛から、父親の念に引かれるようにして引き剥がされてしまったのだろう。
 史郎も、その影が何であるかわかっているようだった。その顔には、いつものような穏やかな色はない。どこまでも冷めた、突き放すような眼差しで寺崎を見据える。
「娘さんをそんな状態にしてまで、あなたは何をしたいんだ」
 手の中にある瓢箪にかすかに残っている穢れた気と、その黒い影が同じ気を放っていることを感じた白鬼が、錫杖を軽く振った。しゃらんと澄んだ音色が響く。
「そこにいるのが娘さんだと言うのなら、早く浄化させるべきだ。これ以上穢れを負うと、手に負えなくなる」
「史郎」
 更耶が戦闘態勢を整えて、身構える。いつでもその退魔の力を宿した手刀で娘の霊を攻撃できる。呼びかけに、史郎がわずかに手を上げて制するような身振りをした。
「あなたには感じられるんでしょう? そこにいる娘さんのことが」
 寺崎は目を見開いて口許を歪めて笑みを作った。
「わかるに決まっとる。美弥は俺とずっと一緒におりたい言うとるんや」
 ぐらりと影が答えるように揺れる。それを見、寺崎は血走った目に狂気の光を宿して手の中にある瓢箪を一同に見せた。
「美弥がこんなんになったのは、瓢箪のせいや。瓢箪が、転んだ美弥を助けてくれんかったせいや。せやから俺は、瓢箪が助けてくれるやなんて信じとる奴らに、それが嘘や言うことを思い知らせてやるんや!」
「だからといってあなたが人の命を奪うようなことをしていいとは言えないだろう!」
 鋭く言い放った史郎の声に、寺崎はわずかに驚いたような顔をした。けれども、すぐに低く笑い出す。
「そうか、死んだんか。これで瓢箪が救ってくれるやなんていうのがただの迷信やとみんな信じるやろ! 俺はこんな阿呆みたいな迷信信じんほうがええて、みんなに教えてやっとるんや!」
「この上もなく大きなお世話だね、そいつは」
 あっさりと答えた白鬼に、寺崎が目を剥いた。白鬼は顎を撫でながら片目を細めた。
「信じる信じないは人の自由だ。キミがやっていることは、ただの押し付けにすぎない。なのにその親切の押し売りで、人を殺してしまった。殺した分だけその娘さんが罪に穢されると、なぜわからない?」
 娘は、悪霊というよりは――寺崎の使い魔になっているといったほうが近い。寺崎が「死ね」と思うから、使い魔である娘はそれを実行しようと動く。
 おそらく、寺崎が作った瓢箪を手にした者を転ばせていたのもこの娘だろう。ただ死ぬということが重要なのではなく『瓢箪を持っている状態で、三年坂で転んで三年以内に死を迎える』ということが重要なのだから。
 寺崎は、ちらりと影の――娘の方を見た。ゆらりと娘が揺れる。それに、こくりと頷いた。
「美弥は俺とおりたい言うとる。……美弥が死んで、その母親も家を出て行ってもうて……もう俺には美弥しかおらんのや!」
「だったら」
 低く、更耶が言葉を紡いだ。手に纏ったオーラが強度を増す。
「親のあんたがそんな考えだっていうなら、無理矢理にでもこの子をあるべきところへ返すしかないな」
 その言葉に反応するように、影が更耶へと襲い掛かった!
「……っ」
 すぐさまそれに反応するように史郎と白鬼が同時に呪符を取り出し、影に向かって投げた。呪符が触れた瞬間、一瞬怯んだように見えた隙に、更耶が拳を振り上げる。光が強まる。一気に腕を振り下ろし、刀で袈裟懸けするように影を切りつけたが、手ごたえが鈍い。
 身をかわし、史郎の方へ跳躍する。ひらりと更耶が傍らに舞い降りたのを確認すると、史郎は手にした袋から笛を取り出した。唇をそっと当て、柔らかく息を吹き込む。
 奏でられるのは、包み込むような優しい音色。紡がれるのは、霊的攻撃を防ぐ結界。
 きらきらと笛から奏でられる音が、まるで光の粒子を放っているかのように史郎と更耶の周囲を包む。結界陣を敷くと、史郎は笛を放した。
 一方、白鬼の方は右手に刀印を結ぶと宙に横、縦、横、縦、の順で9つの線を描く。
「臨兵闘者皆陣裂在前!」
 流れるように九字を切り、最後に描いたマス目に向けて切りつけるように刀印を腕を振り下ろす。
 見えない風が走るように、九字が影へと飛ぶ!
 その間に史郎と更耶の方へ走り、白鬼は影の方へと視線を戻す。
 九字を受けても、気がわずかにそがれただけで大元には傷がついていない。またすぐに向かってくるところ、呪符を用いて結界を成す。見えないバリアに弾かれたように、影がゆらりと仰け反るように後退した。
「さて、どうしたものかな」
「のんきだな、あんた」
「抜剣さん、霊縛はできますか」
「霊縛? ああ、なるほど。とりあえず動きを封じるんだね」
 にっと不敵に笑うと、白鬼はゆらりゆらりと結界の周りを漂っている影に向かい、霊縛法を仕掛けに入った。先に必要とされる九字切りは、先ほど走らせたもので代用することにする。両手の指を掌の方で組み合わせ、内縛印を結ぶ。
「ノウマクサンマンダ・バサラダンセン・ダマカラシャダソワタヤ……」
 精神集中と共に、順次正しく流れるように印を結び、それぞれに対応した真言を唱える。
 その集中の邪魔をさせないように、更耶と史郎がフォローに回る。ねっとりとした黒い影を手刀で切り裂くが、すぐさま切り裂かれたところから修復されて元に戻る。
 寺崎はというと、家の玄関前で彼らの戦いを薄笑いを浮かべて見ていた。娘が負けるわけはないと、確信しきっている顔だ。
「胸が悪いな、自分の力でもないくせに……!」
 吐き捨てるように言うと、更耶は再びオーラを纏った手を振るう。走る清い光の軌跡。
 それに加勢するように、史郎が呪符を投げた。
 が、不意に影がその呪符を気を立ち上らせて鋭く弾いた。
「っ!」
 弾かれた呪符が、史郎の頬を掠める。
「史郎!」
 一瞬心配したように史郎へと向けられた眼差しは、そのまま鋭く影へと向けられる。
「子供だからと思って手加減してやってれば調子にのりやがって……!」
 更耶の手が、耳につけられた銀のピアスへと伸びる。それは、更耶に宿る強大な力を封じている、枷。
 けれど、それを史郎の声が止めた。
「更耶! 外したらだめだ!」
「なんで……っ!」
 振り返って言いかけたところ、ふと影の動きが不自然に止まったことに気づき、顔を上げる。
「お待たせ」
 にっと強気な笑みを浮かべ、白鬼が胸にかけた数珠を触りながら霊縛完了を告げた。縛られた影が、あがくようにゆらゆらと動くが、白鬼の術はそう簡単に解けそうはない。
 史郎が白鬼に向けて頷く。そして、ゆっくりと再び笛を唇に寄せた。
 流れるのは、先ほどとは別の旋律。物悲しく、切ない音色。胸の奥深くにまで染み入るようなそれは、相手の心を揺さぶるメロディー。
 更耶が、ピアスに伸ばした手を下ろす。
 ――もう、結果は見えていた。
 静かに顔を上げ、寺崎のほうを見る。
「このままこの子を力でねじ伏せて切り裂いて、消滅させることもできる。あんたはそれでいいのか!」
 本当なら、史郎にわずかばかりでも痛みを与えたこの霊を、問答無用で切り捨ててやりたくはあった。けれども、目を伏せて静かに旋律を奏でている史郎が、なんとなくそれを望んでいないような気がしたのだ。
 手に宿した光には、今、白鬼の霊縛法と史郎の精神的攻撃により弱りかけている娘の霊を昇華させることができる力が宿っている。
 美しい蒼銀色のオーラを放っているその腕を見てから、白鬼もまた、寺崎へと顔を向けた。
「親ならば娘が安らかに眠れるように祈るべきじゃないかい? それを、自分の欲望のためだけに振り回し、あまつさえ闇に貶めていいのかい? それで娘さんは喜ぶと思っているのかい? 泣いている娘さんの声が聞こえないとはいわせない!」
 史郎の笛の音の力で、纏っていた黒い闇は払い落とされ、そこには幼い少女の姿が浮かんでいた。わあわあと両手で顔を覆いながら、大声で泣いていた。
「娘さんだって、キミが悪いことをするのをよしとは思っていないはずだよ。それに、彼女を極楽へ見送ってやれるのは、父親であるキミ以外にはいないんだからね」
 がくりと、寺崎はその場に膝から崩れ落ちるとそのまま、大声を上げて号泣した。
 その様に三人は顔を見合わせ、ようやくふっと肩の力を抜いた。
 きっと、もうこの父親は間違えたりはしないだろう。娘への愛情の形を。
 霊縛から解かれた娘は、三人にまるで礼を述べるかのようにあどけなく小さく微笑んで、ふわりと空気の中へ溶け込むように消えていった。

<終・A>
「なんで封印解こうとしたの、止めたんだ?」
 白鬼と別れて夕闇迫る街を歩きながら、更耶は訪ねた。
「解けば、あれくらいすぐに祓えたのに」
「祓うだけじゃ意味がない。今回みたいな一種の呪殺みたいなケースは、法では裁けない。本人にその罪の重さを理解してもらうより他はないから」
 それに、と言葉を継ぐと、史郎は小さく笑った。
「封印を解いた後、大きすぎる身体への負担で動けなくなったら、誰が更耶を背負って帰ると思う?」
「……別に、放って帰ればいいだろ」
「俺が更耶を放って帰れると思ってるんだ?」
「…………」
 拗ねたようにそっぽを向くのは、照れ隠しだとわからない史郎ではない。
 そっとその頭に優しく手を乗せる。
「せっかく京都まで来たんだ。湯豆腐でも食べて帰ろうか」
 ぱっと更耶が顔を上げた。
「そういうことなら奥丹清水店だな。資料館もあるらしいし。お前、好きだろう? そういう意味のありそうでなさそうな知識得るの」
「知識はともかく、よく知ってるね、店」
 言うと、更耶は笑みを浮かべた。ポケットから文庫本を一冊取り出し、その表紙を史郎に見せる。
「ガイドブックで研究済み」
 京都に来る電車の中で一体何を熱心に読んでいるのかと思っていたら……。
 もとより物見遊山もできるだろうと踏んでいたらしいその台詞に、史郎は目を細めて穏やかな笑みを浮かべた。
 もちろん、その口からは否の言葉はこぼれなかった。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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 【      PC名       / 性別 / 年齢 / 職業 】
 【抜剣・白鬼(ぬぼこ・びゃっき) / 男 / 30 / 僧侶(退魔僧)】
 【斎司・更耶(ときつかさ・さらや)/ 男 / 20 / 大学生 】
 【里見・史郎(さとみ・しろう)  / 男 / 21 / 大学生 】
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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、はじめまして。ライターの逢咲 琳(おうさき・りん)です。
 この度は依頼をお請けいただいて、どうもありがとうございました。
 内容は、見ていただけたらお解りのとおり、とにかく長いです(笑)。4人まで募集していたところ、3人で切ってちょうどいいくらいだったようです。
 プレイングは、頭のいい史郎さんらしい大変きめの細かいものでした。
 笛の力の発動の描写などが、お気に召していただけるかとても心配なところです。
 斎司さんとの間に気を許したもの同士の柔らかい空気が醸し出せていればいいなと思いますが、どうでしょうね(笑)。
 言うまでもないでしょうが「鶴来那王」はNPCです。これからも私からの依頼ではちょこちょこと顔を出すと思いますので、またどこかでお会いすることがあるかもしれません。今回こちらのシナリオでは顔出せていませんが。
 もしよろしければ、感想などをクリエイターズルームからいただけると嬉しいです。明日への糧とさせていただきますので。
 それでは、今回はシナリオお買い上げありがとうございました。また再会できることを祈りつつ、失礼します。