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調査コードネーム:巴里の怪奇探偵
執筆ライター :水上雪乃
調査組織名 :草間興信所
募集予定人数 :1人〜5人
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「講演? 俺が? なんで?」
驚きのあまり、草間武彦の言語能力は、一時的に失調してしまったようだ。
普通は驚くだろう。
彼は高名な学者でも政治業者でもないのだ。
「私が行ければ良かったんですけど、ちょっと都合がつかなくて」
無意味に晴れやかな笑顔を浮かべながら、稲積秀人が答える。
否、回答になっていない。
草間が訊きたいのは、どうして自分が、パリ第二大学探偵学科で講演などという恥ずかしい真似をしなくてはいけないのか、ということだ。
この際、悪友の都合は関係ない。
「いくらでも人材はいるだろ」
「でも、探偵の知り合いは一人しかいないんです」
どうせ講演するなら、本職の探偵の方が良い。
捜査官と民間の調査機関では、自ずとやり方が異なるのだ。
まあ、草間では知名度が少々足りないが、学生相手の講演くらいはできるだろう。
稲積が笑いながら説明するが、むろん、草間は喜んだりなどしなかった。
「俺、フランス語なんてできないぞ。日本語以外不自由だらけだからな」
微弱な抵抗をする。
「通訳を雇えば問題なしですね」
あっさり粉砕された。
「‥‥外国、行ったことないんだよ‥‥」
「良い経験じゃないですか。観光気分で行ってらっしゃい」
にこにこと笑いながら追い詰めてゆく。
「パスポート持ってないし‥‥」
だんだん、中学生の言い訳のようになってきた。
いささかならず、草間は情けない気分である。
「もちろん報酬は払いますよ。講演料として五百万円。渡航費として一千万円。なかなか破格でしょう」
破格というより滅茶苦茶である。
ノーベル賞受賞者の講演料だって、そんなには貰えない。
「‥‥なにを企んでやがる‥‥」
「珍しく、なにも。ほら、例の件でもお世話になりましたし。心尽くしってところですよ」
「心尽くしで講演させるのか?」
「いやあ。タダで招待ってのも悔しいじゃないですか」
身も蓋もないことを言う。
「‥‥わかったよ」
ついに草間は折れた。しかし、ただでは起きないのが怪奇探偵だ。
「でも、俺一人じゃ行かないからな。友達も連れてく。増額しろ」
「はいはい。じゃあ、あと一千万だけですよ」
事も無げに言って、小切手台帳を取り出す稲積。
「あ、私へのお土産は、シャネルのブローチで良いですよ」
「‥‥そんなもん、なんに使うつもりだよ‥‥」
海よりも深く、草間が溜息をついた。
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巴里の怪奇探偵
どこまでも広い蒼穹を、大型旅客機が突き進んでいる。
遠く眼下には、海と大陸が連なっているはずだが、雲海に阻まれて視認はできない。
一三時間の空の旅。
午後一時に成田を出発した一行が、目的地たるシャルル・ドゴール空港に到着するのは、同日の午後五時の予定である。
「‥‥おかしいじゃないですか? 着くのは明日の午前二時でしょう」
生まれてこの方、ちいさな島国を出たことのない草壁さくらが、青ざめた顔で訊ねた。
せっかくのファーストクラスなのに、あまり楽しんでいる様子はない。右手に握りしめた交通安全の御守りが、じっとりと汗で濡れている。
「時差だ。向こうは日本より七時間遅い。本当は八時間なんだが、いまはサマータイムだからな」
苦笑をたたえて、武神一樹が簡潔に答えた。
機内で提供された日本酒などを愉しんでいる。
「‥‥そうですか‥‥」
曖昧に呟く金髪の美女。本当は、時間と空間の認識について色々と訊ねてみたいのだが、とてもそんな余裕はない。
ふと視線を転じると、さくらと似たような状態のものが、もう一人いる。
美髭の絵本作家、那神化楽だ。
クリスチャンでもないくせに、聖書とロザリオを抱きしめていた。
まあ、共通点のないこともない二人なのだが。
その前方の席では、九尾桐伯と斎悠也がワイン談義に花を咲かせ、さらにその横では、草間武彦と藤村圭一郎が、制覇すべき高級レストランの目星をつけるのに余念がない。
呑気なものだ、と肩をすくめるのは、シュライン・エマと斎木廉だ。
もっとも、彼女らの前にもファッション誌が広げられている。
旅行の出資者たる稲積警視正への土産を考えているのだ。
「やっぱり、シャネルよりカルティエの方が良いかな」
「稲積さんは、ブローチなんてなんに使うつもりなのかしら?」
「‥‥着けるのよ‥‥自分で‥‥」
「‥‥やっぱり‥‥」
脱力したような笑みを交わす美女たち。
まだまだ先は長い。焦って定める必要もないであろう。滞在予定は五日間もあるのだから。
花の都を目指し、旅客機が空を駆ける。
空港から一歩出ると、意外などの寒気が一行を包んだ。
四月も終わりに近いとはいえ、まだまだパリは冷える。
「北海道より少しだけ寒いかもってところかしら」
荷物から春物のコートを引っ張り出し、シュラインがひとりごちた。
視線の隅に、黒塗りのリムジンが滑り込んでくる。
二台。
稲積が用意してくれた迎えであった。
「ようこそパリへ。心より歓迎いたします。ムッシュ草間とお友達がた」
家令とおぼしき人物が車から降り、慇懃に一礼する。
「ああ。よろしく頼む」
などと、草間が尊大に応える。が、緊張のあまり、わずかに膝が笑っている。
どだい高級が似合う柄ではないのだ。
もちろん、それはほとんどの同行者とて同様だった。
乗り慣れていない高級車に、皆、緊張気味である。
もっとも、この程度で緊張していては先が思いやられるというものだろう。一行の今夜の宿泊先は、パリに冠たる五つ星ホテル『リッツ』なのだから。
このホテルの名は、一世紀を越える歴史と高級ぶりで、日本でも有名である。英国のエドワード七世や、アーネスト・ヘミングウェイ、ココ・シャネルなどの著名人が常連として名を連ねていたほどだ。
一行はここに一泊し、そのあと稲積家の別荘に移る予定である。
べつに、ずっとリッツに滞在しても良いのだが、資金的な問題があるのだ。
彼ら九人の宿泊費を合すれば、一泊で一五〇万円を少し超える。自分の懐が痛まなくとも忸怩たるものがあるだろう。
それに、会計を預かるシュラインあたりとしても、無原則に寛大であるわけにはいかない。稲積から受け取った二五〇〇万円のうち、渡航費用と宿泊費用と食事の費用を抜いた分が興信所の収入になるのだ。なるべくなら経費は安く済ませたいところである。
ただ、せっかくパリにきたのだし、高級感を味わってみたいのが人情だ。それで一泊だけは、高級ホテルに泊まることにしたのだった。ちなみに、今日の晩餐は三つ星レストランたるルカ・キャルトンに予約済みである。
「あれが、国立オペラ座です」
家令が説明する。
リッツのあるヴァンドーム広場は、もう目と鼻の先であった。
盛大な拍手が起こる。
草間とシュラインは、わずかに緊張した面持ちのまま、壇上で一礼した。
どうやら講演は成功のようである。
十日もかけて原稿を作った甲斐があったというものだろう。
一応は心配して聴きに来ていた仲間たちも、ほっと息を吐いた。
滞在二日目。
このあと一行は稲積の別荘へと移り、そこからは完全に自由行動である。
ショッピングを楽しむもよし。
平均的な日本人観光客を見習って、名所巡りなどをするも良し。
わずか三日間だが、完全な自由が約束されている。
もちろん、自由を物質次元で保障する力、すなわち軍資金も分配済みだ。ひとり頭、三〇〇〇ユーロ。日本円にすると三四万円ほどである。極端に多くはないが、二、三日の活動資金としては充分だろう。
「余ったら、ちゃんと返してね」
と、シュラインが念を押しているが、果たしていくら戻ってくることか。
「では、みんなで記念写真を撮りましょう」
演台から降りてきた二人に手を振りつつ、那神が提案した。
絵本作家はカメラ持参なのである。いずれ自分の作品の資料にでも使うつもりなのか、昨日から数えてフィルムは三本目だ。
やがて、第二大学講堂の正面に並んだ九人を、機械の目がしっかりと記憶した。
「む‥‥逸品ではあるが‥‥高いな‥‥」
武神が呟く。
のみの市としても有名なクリニャンクールである。
三千店にのぼる露天商は、壮観とさえいえる。
もちろん、売っているのは価値のある骨董ばかりではない。
絵画、陶器、貴金属、衣料、ありとあらゆるものが広場に溢れ、なかでも最も多いのはガラクタだ。
「ふぁ‥‥はい」
欠伸混じりにさくらが応える。
時差ボケの上に早起きは、けっこう厳しいものがある。
金髪の上に乗った大振りのベレー帽が、頭の動きにあわせてふわふわと揺れている。
「おいおい。大丈夫か?」
「‥‥ふぁい」
苦笑しつつ心配する調停者に、なんとも情けない返事が返ってくる。
どうやら、あまり大丈夫ではないようだ。
この状態で人混みは辛かろう。
「そうだな、もう少し落ち着いたところに移動するか」
軽く提案する。
緑の瞳の美女は何事につけ控えめで、こちらから水を向けないと、どこまでも無理をしてしまうのだ。
だいたい、かぶっている帽子も、寝ぐせを隠すためではあるまい。
「‥‥無理をしすぎだぞ。さくら」
「‥‥はい」
ぶっきらぼうな口調に、優しさが滲み出している。
なんとなく、さくらは頬を染めた。
シャンゼリゼ通りから凱旋門を抜け、ヴィクトル・ユゴー通りを歩く。
区でいうと一六区だ。
パリの全域は、山手線の内側より少し広い程度。これが二〇の区に分割されている。区ごとに特別な名称はなく、一区、二区と数字で表す。
「芸術の街にしては、散文的なことだ」
とは、日本語のガイドブックを携えた武神の皮肉である。
ちなみに、一六区とは、高級住宅街だ。
西側にはブーローニュの森が口を開き、独特の情景を現出させている。
「このあたりにも、お国の方がいらっしゃいますねぇ」
妙に感心した口振りのさくら。
さすがに市街地とは比較にならないものの、日本人の姿もちらほら見える。
「まあ、スパイと日本人観光客はどこに行ってもいるからな」
肩をすくめながら、黒髪の調停者は東西冷戦時代のジョークを口にした。
くすりと、さくらが微笑する。
目を引く二人だ。
若草色のブラウスを着た金色の髪の美女と、カジュアルなスーツに身を包んだ堂々たる美丈夫。
慣れない洋服のせいか僅かにぎこちないが、それを差し引いても充分に美しい。
すれ違うカップルたちが、一瞬だけこちらに視線を送り、羨望と敗北感に支配されながら視線を逸らす。
「‥‥どうも不必要に目立ってしまっているな‥‥」
ジャケットの襟を右手で弄びつつ、武神が呟く。
市街地ならば、洒落たパリジャンとパリジェンヌが多いため、ふたりもそれほど目立つことはない。だが、このような高級住宅街にはあまり若年層のカップルはいない。いるのは、物見遊山の日本人観光客か、紳士淑女だけだ。
喧噪とは程遠い。
ブーローニュの森の木々はアクロバットダンサーのように枝をくねらせ、街角のアンティークショップからはシャンソンのメロディーが流れる。
「こういう雰囲気は好きです」
武神の腕に自らの腕を絡めながら、さくらが言った。
「そうだな」
短い返答。
古い街並みと閑雅な雰囲気。
若年層には退屈きわまりないだろうが、この二人にはちょうど良い。
パリに到着して三日。初めて歴史の重みを感じたような気がする。
やがて、ふたりは喫茶店の扉をくぐった。
骨董品店に併設された、小さな喫茶室である。
コーヒーとケーキを注文する。
余談だが、武神は少しだけフランス語が話せる。まあ、日常会話とすら呼べないようなものであるが、出発前に勉強したのだ。櫻月堂の商品を仕入れる機会もあるかと思い。
骨董の世界では、値札は指標以上の意味をもたない。売買の場において役に立つのは、爽やかな弁舌と値切りのテクニックである。このとき、フランス語が全く出来ないと、損をする可能性がかなり高いだろう。
青リンゴのタルトが運ばれてくる。
さくらの瞳がキラキラと輝き、邪魔なベレー帽を脱ぎ捨てた
どきりとした武神だったが、おろした金髪からのぞく耳は人間のものだった。
あまり驚かせないでくれ。
内心で軽く嘆息する。
「そうそう」
調停者の心も知らず、満面の笑みを浮かべたさくらが切り出した。
「なんだ?」
「絵梨佳さまが、明日到着するそうです」
意外な報告に武神が驚く。
時期の関係で、合流は難しかろうと半ば諦めていたのだ。
「昨夜、執事の方が教えてくれました」
のんびりと語を繋ぐ。
それならば、昨夜の内に報せてくれても良さそうなものだが、まあ、当分の補給によって、ようやく脳細胞が動き始めた、というところか。
「判った。では、どこかの店に予約を入れないとな」
「いえ。庭を貸してくださるそうです。がーでんぱーてぃーの方がよろしいでしょうって」
「なんだ。そんなところまで話が進んでいたのか」
「はい。私も絵梨佳さまに腕を振るってみたいです」
「材料は?」
「執事の方が手配してくれました。今夜中には到着するそうです」
手回しのよいことだ。と、武神は肩をすくめた。
稲積といい家令といい、少々気が利きすぎる。
なんとなく借款関係が、借り入れ超過のような気がしてあまり面白くない。
「あら?」
さくらの視線が、一点に固定された。
振り返った武神の目に、宝石をあしらった小さなオルゴールが映る。
かなりの年代物だ。おそらくは、一九世紀初頭の作品だろう。
日本円で七〇万円、といったところか。
目利きのできる武神が、一瞬で計算する。
むろん、交渉後の価格である。まともに買えば、値段は四倍ほどだ。
「欲しいか?」
「あ、いえ。そんなことは‥‥」
口ごもるさくら。
苦笑を浮かべる武神。
「買ってやる」
「そんな‥‥悪いです‥‥」
「遠慮するな」
やや強引に言う。
慎み深いのも時と場合によるのだ。
ふたりで海外に来るなど滅多にないのだから、思い切り甘えれば良い。
「‥‥ありがとうございます」
「‥‥日ごろの感謝。それに、俺の気持ちだ」
「え?」
「俺は、さくらが大切だ。他のなにより。叶うなら、ずっと側にいたい」
真摯な言葉。
だが、さくらの緑玉の瞳に悲しみの気配が宿る。
「‥‥ありがとうございます‥‥でも一樹さま‥‥私は‥‥」
好意は嬉しい。
とても。
しかし、二人は同じ刻を生きる存在ではない。
この生活が一瞬の交錯でしかないことを、さくらは知っていた。
人と妖。
交わらぬ糸。
限られた命と永遠の時。
「私は‥‥」
「さくら」
紅唇が紡ぐ旋律を遮る力強い言葉。
「千歳の時が流れ、この身が一握の砂と化しても、俺はお前を護り続ける」
それは、崇高な誓約。
時の神に対する冒涜。
だが、それでも、
「‥‥うれしい‥‥」
泣き笑いの表情で、さくらが言った。
シャンソンのメロディーが遠ざかってゆく。
古い古い異国の街で、二人の刻が静かに重なる。
終わり
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086/ シュライン・エマ /女 / 26 / 翻訳家 興信所事務員
(しゅらいん・えま)
0173/ 武神・一樹 /男 / 30 / 骨董屋『櫻月堂』店長
(たけがみ・かずき)
0134/ 草壁・さくら /女 /999 / 骨董屋『櫻月堂』店員
(くさかべ・さくら)
0332/ 九尾・桐伯 /男 / 27 / バーテンダー
(きゅうび・とうはく)
0146/ 藤村・圭一郎 /男 / 27 / 占い師
(ふじむら・けいいちろう)
0188/ 斎木・廉 /女 / 24 / 刑事
(さいき・れん)
0374/ 那神・化楽 /男 / 34 / 絵本作家
(ながみ・けらく)
0164/ 斎・悠也 /男 / 21 / 大学生 ホスト
(いつき・ゆうや)
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■ ライター通信 ■
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お待たせいたしました。
巴里の怪奇探偵。お届けいたします。
これにて、わたしの書く草間興信所のお話は終劇です。
拙い文章にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
今後、水上雪乃は界鏡線に専念することになります。
もしよろしかったら、覗いてみてくださいね。
それでは、またいつかお目にかかれることを祈って。
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