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人との間で(後編)
「立てるか」
差し出された男の手を、璃音は乱暴に振り払った。
だが、力が入らない。あっさりと手首を捕まれ、抱き起こされる。
「これから、ヤツらを追う。お前は先に病院に行く必要がありそうだな」
「結構よ」
璃音は首を振る。じろりと男を睨みつけた。
「手を放して」
「どんな方法で追いかける気か知らんが、俺と行った方が早いぞ。草間からアジトは聞いた」
男はじろりと璃音を睨む。
「目的を達成するためには、つまらねえ意地っ張りはやめるんだな」
男は手を挙げ、タクシーを止める。
璃音は男から離れ、タクシーの中に転がり込んだ。
「あきるの市の小峰台まで」
「はあ」
運転手と男が行き先を話し合っている間に、璃音は後部座席でうずくまる。傷の毒素は消えたが、傷自体が治ったわけではない。
苦痛を耐え、新陳代謝を落とす。体温も落とす。狼の時はそうでもないが、人間の身体ならある程度まで肉体に干渉できる。
出血が止まる。
車が発進した。
「俺は黒月」
男が言う。璃音は目を開いた。
「璃音よ」
ふぅっと息を吐き出す。振動で気が散るが、何とか出来そうだった。
傷付近の細胞を活性化させ、傷口をふさぐ。完治は無理だが、何とか動けるくらいまで回復したい。
一臣君、華。必ず行くわ。あなたたちにまで、私と同じ思いをさせはしない。
そしてターナー。誇り高き狼を侮辱した罰を与えてやる……!
×
日がとっぷりと暮れた頃、璃音は何とか動けるほどにまで回復した。
タクシーは都内からどんどん離れ、すでにかなり郊外へ来ている。道幅は広く、建物はまばらで車も少ない。山も見える。
あきる野市、と黒月は言った。東京都で最も広い土地を有する市だ。東京都の西側である。
タクシーが止まったのは、小峰工場団地という場所だった。璃音は歩道に立ち、ぐるりと周りを見回す。
確かに華と一臣君の匂いがする。だが、それにもまして強烈なこの甘ったるい匂いは何だろうか。気分が悪くなる。
タクシーが走り去る。
「この道を少し上ったところにあるトンネルは、心霊スポットとして有名なんだ。宮崎なにがしが、幼女を殺害して埋めたとかって場所だ。女の子供の霊が出る。
シュミのいい場所にアジトもってやがるぜ」
くくっと璃音は喉を鳴らす。
「どっちが先かしらね。狂ったロリコンとアジト。どのみち、このあたりは嫌な空気だわ」 四角い建物がそびえ立っていた。広大な駐車場の向こうに、殆どの窓にアルミの鎧戸を下ろしてた研究所か工場が見える。いや、その両方かも知れない。外法な実験をし、それを兵器に作り替える工場兼研究所。
建物の上には、黄色い菱形に似たモニュメントがおかれている。何処かの大手会社の社章だった筈だ。関係があるのか。
「行くか」
「ご自由に」
璃音は黒月の言葉に素っ気なく答える。
狼の姿になり、一跳びでフェンスを越えた。
協力すると言った覚えはない。
×
檻に入れられた華はぐったりとしていた。
一臣も頭がくらくらするのを感じる。華が入れられている檻は木製で、その木からもの凄く気持ちの悪い臭いがするのだ。車酔いに似た気分の悪さだった。
一臣は椅子に縛り付けられていた。それも、かなり太く強い縄でだ。
目の前に、大柄な男性が立っている。公園で、突然現れた男性だった。
一臣は、この男を以前に一度見た記憶がある。
黒い車が家の前に停まっていた。一臣が学校から帰ってくると、それに乗り込んで立ち去った男だ。
一瞬のことだったが、一臣は覚えている。
一臣の周りで、白衣を着た男たちがせわしなく動いている。大部分は日本人のようだった。髪が黒い。
一人が一臣の腕を取り、注射針を突き刺す。一臣はじっと耐えた。反対側の腕にも注射針を刺される。何かを注射された。
男は、一臣を無遠慮に見つめている。一臣はまっすぐに男の瞳を見返した。
男の唇が皮肉っぽく歪む。
「採取、終わりました」
「雌の方、採取終わりました」
「よし」
同時に左右から伝えられた言葉に、男は満足そうに頷く。
「これで、どちらかが死んでもいいということだな」
ぽきぽきと手の骨を鳴らす。白衣を着た男たちが眉を顰めた。
「ターナー様。出来れば瀕死でおさえていただきたい。またクローンから育てるのは時間がかかります」
また……?
一臣は嫌な予感に胸を焼かれる。また、クローンから育てる? では誰が今……クローンだと言うのだ。
「ふん、つまらんな」
ターナーが一臣に近づく。
大きな掌が、びしゃりと一臣の頬を殴った。
血の味が口に広がる。
「The good thing was thought of. おいBoy、お前、自分が痛い思いをするよりも、他のヤツが酷い目に遭わされるのが苦手なんだってな。正義の味方みたいでカッコイイぜ」
ターナーは野卑な笑みを浮かべる。ぱちんと指を鳴らした。
「Tigerになってもらうぜ」
一臣が華の方を向く。
華の手足に電極が取り付けられている。一臣は目を見開いた。
グォォォンッ!
虎が絶叫する。びりびりと手足を震えさせ、よだれを垂らしながら吼え狂う。
どんっ。虎の頭が檻に叩きつけられる。力が入っていないのか、木製の檻はびくともしない。
「もう一度だ。痛めつけてやれ。死なぬ程度にな」
「やめろっ!」
一臣が叫ぶ。ターナーの平手が再び頬に炸裂する。
今度は唇が切れた。
「やめさせてみるんだな」
ギャアアッ グゴオォッ グルルッ
虎が檻の中で暴れる。一臣は椅子の上でもがいた。
──怒るな、一臣。華は平気だ、まだ死なない
「華ッ」
虎の口から泡が溢れている。それでも、金色の瞳は力をなくさない。
──お前は強い。だから華には止められない。元の姿に戻ってはいけない。
虎が絶叫する。ターナーが哄笑した。
──ダメだ。ダメ、一臣……
一臣はターナーを睨みつけた。全身の血が沸騰する。
熱い。
目の前が真っ白になった。
×
炎のような熱い気の膨らみを感じ、璃音は足を止める。
二階の窓が割れる。破片が璃音に向かって降り注いでくる。
璃音は跳躍し、破片をさけた。
──この気は……華?
建物を見上げる。あそこだ。二階の端。
大きく熱い、気を感じる。
璃音は跳躍し、壁に爪を立てて二階の窓から飛び込んだ。
黄金色の虎がいた。
×
「What is carried out! ターナー!」
爆発音に気づき、エリザベスは書類から顔を上げた。
目の前に、青い肌をした鬼が居る。身の丈およそ2メートル。彫刻のように美しい筋肉に、眉間には短い角。獰猛な瞳は、何度実験で死にかけても変わらない。
刀葉林という地獄を武器にする鬼だ。数ヶ月前、ターナーの部隊が捕獲したものだ。この鬼が出現させる地獄の刃を調べ、武器として使用できるようになったのは最近のことだ。
「このオニを見ていなさい。ターナーが何かしくじったわね」
エリザベスは書類を隣の研究員に押しつけ、スロープを上る。工場の地下は全て繋がっており、広大な妖魔飼育所になっていた。
「アナウンスをしなさい。武装兵を東棟へ。データは全てステイツに送り、滅却なさい! 運べないDevilは殺します。爆破装置の準備。5分以内よ」
階上で待っていた秘書の娘にそう言いつける。
「ターナーは見捨て……」
エリザベスは更に命じようとして沈黙した。
ターナーがスロープを駆け上がってくるのが見えたのだ。舌打ちする。
どこまでも暴力的で馬鹿な男!
だが、生きて合流してしまった以上、連れ帰らねばならない。
虎に食われていればいいものを。
エリザベスは内心で舌打ちしながら、にこりと微笑んだ。
「無事で良かったわターナー。逃げるわよ。武装兵を指揮して時間を稼ぎなさい」
「その前に、手当を」
ターナーは腕から血を流しながら、慌てて首を振る。二の腕を、骨が見えるくらい食いちぎられている。
出血多量で死ぬがいいわ!
エリザベスは笑顔でターナーをスロープへ押し戻した。
×
怒りにたぎる琥珀の瞳。金色の地毛に、黒い文様がくっきりと浮かび上がっている。
璃音は虎と対峙しながら、じりじりと華の入れられている檻に近づいた。
凶悪な甘い匂いがする。檻の中の華はぐったりとしている。檻を壊してやらねばならない。
だが。
巨大な虎がじりじりと距離を詰めてくる。華だけでも璃音よりも大きいのに、目の前の金色の虎は更に大きい。
魂まで打ち割られそうな咆吼をほとばしらせた。
虎が距離を詰めてくる。
避けきれない。
虎の前足に弾き飛ばされ、璃音は檻の上に落下する。
ばりばりと音を立て、檻が壊れた。
華の上に落ちる。華がうめき声を上げた。
「一臣」
華の声が聞こえる。
やはり、この虎が一臣か──。
虎はこちらに走ってくる。璃音が立ち上がるよりも速い。
華が虎の首筋に食らいついた。
「一臣! 一臣!」
華の泣き叫ぶ声が聞こえる。
白虎は弾き飛ばされ、壁際まで吹っ飛んだ。
璃音は立ち上がり、唸り声を上げる。痛撃を与えて、目を覚まさせてやらなければならない。
怒りに我を忘れる時間が長ければ、それだけ痛みは増す。早く……止めてあげないと。
璃音は疾走した。
虎に飛びかかる。後ろから、華も食いついた。
押さえ込む。
傷口が開き、毛皮に血がにじむ。だが、そんなことは気にしていられない。
「一臣君!」
華と共に、名を呼び続ける。虎はじりじりと身体を起こし、唸り声を強める。
銃声が響いた。
虎が吼える。
璃音は銃声の方を向く。
黒月が立っていた。
「一臣!」
華が呼ぶ。璃音も呼んだ。
虎の目から怒りが消える。
押さえ込むのをやめ、璃音は牙を放した。
「目が覚めたか」
呟いた黒月は、ふぅと息をついている。
虎の前足を、銃弾が貫いていた。
「人間に戻ってる暇はねえぜ。外は武装兵でいっぱいだ」
華が唸る。璃音は敵ではないと伝えてやる。
「強行突破よ」
璃音は宣言した。
×
「準備完了。ヘリへ」
秘書がエリザベスの背を押す。二人は屋上へ駆け上がり、発進準備を整えているヘリに駆け寄った。
東棟は刀葉の武器を構えた武装兵で埋め尽くされている。武器の資料は送った。秘書は細胞サンプルと資料の入ったマイクロチップを抱えている。
「爆破すると、兵と共にターナー様まで」
「いらないわ、あんな男。骨まで焼いてしまいなさい」
「了解」
秘書はトランシーバに向けて何か指示する。二人はヘリに乗り込んだ。
ヘリがゆっくりと浮かび上がる。あと二分足らずで爆発だ。一刻も早く離れなければならない。
窓の外を見たエリザベスは、悲鳴を上げた。
空に──三人の男がいた。
黒月は華が乗せた。
二階の窓から跳躍し、着地と同時に黒月がサングラスを外す。
地面が割れる。灼熱のひび割れの中から、腐敗した手が無数に伸びる。兵の一人一人を捕らえ、割れ目の中へと引きずり込もうとする。
璃音は息をのんだ。
幻覚だと説明をされているが、ココに飛び込むのは勇気がいる。
すぐ横から、一臣が飛び出した。着地する。割れ目を一気に駆け抜ける。
璃音は目を閉じ、同じように跳躍した。
「何なの、これは!」
運転手も悲鳴を上げる。秘書は声も出ないのか、沈黙してガタガタと震えている。
ヘリは古風な鎧をつけた男たちに囲まれていた。
二人は黒い馬に跨っている。もう一人は、炎のように赤い馬に乗っていた。
正面に立った男が、頭頂部に長い刃のついた槍のような得物を横たえている。
巨大で無骨な薙刀。
赤い馬が、天を引き裂く雷鳴のようないななきを発した。
上空で起きた爆発音に、璃音は顔を上げた。
飛び立とうとしていたヘリが、真っ二つに断ち割られて落下していく。
爆発した。
爆風が吹き付け、璃音は一臣共々地に転がる。
ターナーがすぐ横を駆け抜けていくのが見えた。誰かの名を狂ったように呼んでいる。
璃音の身体を憎悪が駆け抜けた。
走る。
振り返ったターナーの瞳が恐怖に見開かれる。
璃音はターナーの首を食いちぎった。
吹き出した血を浴び、璃音は吼えた。
上空から、馬に跨った三人が下りてくる。
精悍な顔つきをした青年が、黒月を馬の上に引きずり上げる。
青黒い顔をした壮年の男が、人間の姿になった華を抱き上げる。璃音にも手を伸ばした。
「急げ。ここは崩れる」
男が言う。璃音も人間の姿になり、男の手を掴んだ。
一臣が、赤い馬に跨った男に抱き上げられる。
馬が宙を駆けた。
風が吹き付ける。璃音は髪を手で押さえながら、ターナーたちの研究所を見た。
火の手が上がる。四方から。
轟音が響き渡る。
工場全体がひび割れ、地へと沈んでゆく。
熱風に吹かれながら、三頭の馬は夜空を駆けた。
×
「関帝とは知りませんでした」
草間は赤い馬に跨っていた男にそう言い、頭を下げた。
きょとんとした顔をしている璃音の脇腹を黒月がつつく。
「三国志に出てくる三兄弟の一人、関羽・雲長のことだ。人の身で、神に駆け上がった人物だ」
へえ、と璃音は頷く。
関帝が、あごひげをしごいた。
「あの虎二人は儂が故郷まで連れて行こう。報酬はこれでたりるか」
関帝は懐から袋を取り出す。
「砂金だ」
草間に渡した。
「十分です」
関羽が微笑む。ゆっくりと一同に背を向けた。
入り口のところで控えていた華がドアを開ける。
関帝がドアの外に姿を消すと、華は璃音に駆け寄ってきた。
──華は10年、一臣を捜していた。
「え?」
華の真摯な瞳に、璃音は瞬きを繰り返す。
──お前の雄にも、必ず会える。華は信じている。
璃音は顔をゆがめた。
「そうね。私も信じてる」
華が一瞬微笑んだように、璃音は見えた。
三頭の馬が、青空へと飛び上がっていく。
璃音は興信所の窓を開け放ち、いつまでもそれを見つめていた。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0074 / 風見・璃音 / 女性 / 150 / フリーター(継続)
0165 / 月見里・千里 / 女性 / 16 / 女子高校生(継続)
0281 / 深山・智 / 男性 / 42 / 喫茶店「深山」のマスター(継続)
0599 / 黒月・焔 / 男性 / 27 / バーのマスター(継続)
0284 / 荒祇・天禪 / 男性 / 980 / 会社会長(継続)
0606 / レイベル・ラブ / 女性 / 395 / ストリートドクター(継続)
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■ ライター通信 ■
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お待たせしました。後編です。
原稿自体は出来上がっていたのですが、いろいろ問題が起きまして(笑)
登場人物横の継続は、前後編ご参加されたかた、新規は後編のみの方です。
ほとんどの方が継続してくださったので、ほっと一息。
継続参加者様にはオプションを設定したのがよかったのでしょうか?
続編ものをやるときは、この形で行こうと思います。
最後に、次回から依頼は周防きさこ改め和泉基浦で出させていただきます。
よろしくお願いします。
早ければ本日中に新しい依頼を公開しておりますので、そちらもご覧ください。
前後編ともにありがとうございました。
またの機会がありましたら、よろしくお願いします。 きさこ。
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