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人との間で(後編)
床に放り投げられる痛みに、千里は目を覚ました。
がちゃりと乱暴にドアが閉められる。千里は身体を起こした。
休憩室のような一室だった。下は薄いカーペット張りで、作りつけのベンチが二つ。やはり床にしっかりと取り付けられた棒状の灰皿が何本か。
天井には空気清浄機と蛍光灯があった。窓はない。
ずきりと腕に痛みが走り、千里は顔をしかめる。
隣で倒れている深山に近づく。目を閉じて、部屋に入れられた格好のまま倒れている。
「マスター」
呼びかけて身体を揺すると、小さく呻いて目を開けた。
「ああ、着いたみたいだな」
そう言ってゆっくりと身体を起こす。
太腿と腕、脇腹に大きな血の染みがある。千里は息をのむ。深山は辛そうに、脇腹の傷を押さえている。
千里は手を組み合わせ、祈るようなポーズを取る。
長い髪がふわふわとなびく。白く細い光が、千里の身体を包み込んだ。
「えいっ」
空中から、白い箱が現れる。千里はそれを抱き留めた。
箱の裏に、赤い十字が印刷されている。
ナース姿になり、千里は深山に近寄った。そして、ハタと気づく。
看護婦では、包帯は巻けても傷は治せない。
「しまったーっ」
深山の前でへなへなと座り込み、頭を抱える。
「ごめんね、マスター。看護婦さんじゃ傷は治してあげられないみたいっ。ごめんね、ごめんねー!」
ぐすぐすと泣きべそをかく。深山はふぅとため息をつき、手を差し出した。
「応急処置なら出来るんだろう? まずは動けるようにならなくては」
×
深山のデザートイーグルでドアノブを破壊し、二人は外に出た。
廊下は細長く左右に伸びている。見張りなどは一切居なかった。
深山が迷うことなく右を選んだので、千里もそれに従った。周囲が、異様な「気」に満たされている。
なんか、地獄に来ちゃったってカンジ。
深山の後ろを歩きながら、千里はぶるっと身震いする。あたりには、ありとあらゆるマイナスの感情が染み込んでいる。怒り、苦痛、悔しさ、悲しさ、憎しみ。そう言ったもの全てが、床や壁に淀み、漂っている。
一度、高校の友達と「出る」と評判のトンネルに肝試しに行ったコトがあったが、そこの雰囲気に似ている。実際幽霊ぐらいならば簡単に出そうだった。もっとも、肝試しをして何の被害もなかったあのトンネルとは、気の密度が違う。
千里は深山の体調が心配だった。傷に加えてこの気の中を歩くのだ。苦痛は増すだろう。
暫く歩くと、深山が千里の腕を引っ張った。二人とも、壁にぴたりと身体をつける。
少し先の部屋から話し声が聞こえる。深山は千里を残してドアに近づき、中の会話を盗み聞きしているようだ。
手招く。
千里が近寄ると、すぐ先の曲がり角を示す。
そろそろと進んだ。
「二階に二人はいるらしい。早く助けた方がいいな──雌の方が研究対象に向くようなら、雄は殺しても構わないという結論が出たらしい」
「えっ」
千里は低く悲鳴を上げる。
「そんなのダメッ」
「ああ、ダメだ」
深山は頷く。
「だから、早く助けるんだ」
×
檻に入れられた華はぐったりとしていた。
一臣も頭がくらくらするのを感じる。華が入れられている檻は木製で、その木からもの凄く気持ちの悪い臭いがするのだ。車酔いに似た気分の悪さだった。
一臣は椅子に縛り付けられていた。それも、かなり太く強い縄でだ。
目の前に、大きな胸をした女性が立っている。金髪に緑の瞳。外国人だった。
一臣の周りで、白衣を着た男たちがせわしなく動いている。大部分は日本人のようだった。髪が黒い。
一人が一臣の腕を取り、注射針を突き刺す。一臣はじっと耐えた。反対側の腕にも注射針を刺される。何かを注射された。
金髪の女性は、それを冷ややかな眼差しで見ている。
「照合にはどれくらいかかって?」
居丈高に、一人に問いかける。呼びかけられた男は、「急いで一週間ほど」と答えた。女性は頷く。
「雌の方、採取終わりました」
「至急解析を始めなさい」
周囲が更にあわただしくなる。一臣はじっと女性を見つめた。
「坊や」
女性が一歩一臣に近づく。
「初めて虎になった気分はどう? もう一回、虎になれそうかしら。坊やが進んで虎に変身してくれて、大人しく私たちに従うというのなら、あまり乱暴なことはしないわ」
冷たい瞳だった。は虫類を思わせる。一臣は視線をそらし、華を見た。
「その雌虎と一緒にしておいてあげてもいいわ。でも、お前がNoといえば、どちらかは不要だから殺すしかない」
ふふふ。唇の端だけを持ち上げて笑う。
指先で、一臣の顎を撫でる。長い爪が、かりかりと皮膚を引っ掻いた。ベージュ色のマニキュアが塗ってある。
「どちらもいやです」
一臣は首を振る。
女性の平手が頬に当たった。
「選択権はないの。従うか、従わないか。もう、この身体は坊やの自由になんてならないのだから」
もう一度、平手が頬に炸裂する。激痛と共に、口の中に血の味が広がった。
容赦がない。
一臣は黙って平手を受け続ける。最後の方では、それは拳になっていた。
女性は一臣の顎を掴み、上向かせる。
「強情ね、ハンサムが台無しだわ。少しずつじわじわと苦痛を与えて、私の足下にはいつくばらせてあげようかしら」
ダンッとドアが開かれたのはその時だった。
×
「一臣ちゃんっ!」
千里は深山が蹴り開けたドアから中へ飛び込む。
部屋の中には金髪の女が一人。それから、檻に入れられてぐったりとしている華。椅子に縛り付けられ、鼻血を出している一臣。
「あら。一般民間人ではなかったようね」
女はそれでも余裕という態度だった。腰に手を当て、居丈高に千里たちを睨みつける。
「千里」
深山が千里の背中を押す。
千里は一臣たちに向けて走り出した。鮮やかな赤い光が千里の身体を包み込む。
銃声と、千里が一臣の椅子の背後に立つのが同時だった。
「一臣ちゃん!」
千里は手に持った細い剣を一閃させる。
一臣を縛り付けていた縄が切れて床に落ちる。
くるりと返した剣に、千里の今の姿が小さく映っている。黒いチョーカーに、胸元が割れたセクシーな衣装。
キューティーハニーである。
女性の視線は深山の方に釘付けだった。彼女のつま先すぐのところに、黒い穴がうがたれている。
千里は一臣を従え、今度は檻に向かう。天井部分を切り離し、遠くに蹴り飛ばした。
「華ちゃん!」
呼びかける。巨大な虎が、のっそりと起きあがった。
跳躍する。
虎の牙が、女性の頭を──食いちぎった。
千里は一臣の頭を抱き寄せ、その光景を見せないようにする。女性は悲鳴を上げる暇もなく、華に頭を食いつぶされた。
ぐるるっ。
獰猛なうなり声が響く。華の目は怒りに燃えていた。
「脱出するぞ」
深山が呼びかけた。
×
廊下は赤い光で満たされていた。ブーンブーンと胸の悪くなる警報が鳴り響いている。壁全体が脈打っているように見えた。負の気も、一層濃密さを増している。
三人と一匹はその廊下を駆け抜ける。階段を下り、重たい鉄扉を開いた。
外の空気が流れ込んでくる。千里はホッと息をつき──
「あれ、ナニ!?」
空を指さして声を上げた。
研究所の、窓という窓が砕け散っていた。悲鳴と怒号が聞こえてくる。
割られた窓から、鎧を着た兵士たちが大量になだれ込んでいるのだ。それも、空から続々と舞い降りてきて。
「とにかく、逃げよう」
深山が言う。一同は頷き、広い駐車場を一気に走り抜けた。
フェンスを乗り越える。
振り返ると、兵を指揮しているらしい三人組が見えた。
筋骨逞しい男性三人だった。古風な鎧を身につけているが、日本のものではなさそうだった。血のように赤い馬に跨った男性は、髭が腹の辺りまである。巨大な槍のような武器を構えていた。
「カンローヤって、何? ハナ?」
「関老爺か」
一臣のつぶやきに、深山が頷く。
「何、カンローヤって。マスター」
千里が深山の袖を引っ張った。
「三国志に出てくる三兄弟の次兄、関羽・雲長のことだよ。日本の平将門のようなものかな。中国の道教の神様だ。正しくは関帝」
華が甲高い声で吼えた。
見れば、屋上からヘリが一機、飛び立とうとしている。千里は息をのんだ。
全く見えていないのか、ヘリはまっすぐに三人組の方へ発進する。
髭の長い男が、槍のような武器を横たえた。
赤い馬が夜空を駆ける。
ヘリは真っ二つに断ち割られ、ぐらりと大きく傾き──
深山が千里と一臣を掴んで引き倒す。その上に覆い被さった。
轟音。
強い熱風が吹き付け、千里は悲鳴を上げる。
意識が遠くなった。
×
喫茶店『深山』の二階で、千里はベッドに寝転がっていた。
隣のベッドでは、深山が死んだように眠っている。気を失った千里たちをここまで運んできてくれたのだ。疲れているのだろう。
ベッドとベッドの間には華がうずくまっている。
千里の隣で、一臣がすやすや寝息を立てていた。
ぼうっとして疲れているのに、眠れない。真っ黒な天井を見上げ、千里は何度も瞬きをする。
ベッドから手を下ろすと、華の硬い体毛に触れる。
これから、どうしたらいいのだろう。一臣ちゃんに華ちゃん、草間さんに渡しちゃっていいのかな。
暖かな体毛に触れていると、気持ちが安らいでくる。
とりあえず、寝よう。寝不足じゃ頭も働かないよね。
「おはよう、お寝坊さん」
千里が眠い目をこすりながら階下へ下りると、あたりは香ばしいコーヒーの匂いでいっぱいだった。
一臣の前にはホイップクリームを載せたココア。女性の姿になった華の前には緑茶が置かれている。コーヒーの匂いは、深山本人が飲んでいるものだった。
「何がいい?」
「おまかせ」
千里は半分眠ったような状態で、ふらふらとカウンターへ近寄る。
一臣の隣にちょんと座り、出されたコーヒーを口に含んだ。
「うーーーーー。目が覚めるゥ」
唸る。
くすくすと一臣が笑う。昨日真っ赤に腫れていた頬や唇、目元はすっかり元通りになっている。
優しい瞳をしている。千里は嬉しくなって、一臣の頭をぐりぐりと撫でた。
「草間興信所に連絡はするのかい」
カウンターの向こうで問いかけた深山の腕には包帯が巻き直されている。
「マスター、病院行かなくて平気?」
「普通の病院に行ったらダメだろうから、知り合いにこっそり診て貰うよ」
「ダメなの?」
「喧嘩は保険がきかないし、銃跡は通報する義務が医者にあるんだ。まあ銃跡はないけどね。普通の医者じゃ、どうしてこんな怪我をするんだって詮索される」
「虎を助けようとしましたって、言うとか」
「はは」
千里の言葉に深山が笑う。
華が立ち上がった。
一臣も慌てて椅子から降りる。深山がカウンターから出てきた。
華はすたすたとドアに向かって歩く。
「行く、って言ってます」
一臣は華を追いかける。
華がドアを開く。
朝の日差しが飛び込んでくる。千里はまぶしさに目を細めた。
燃えるように赤い馬が、いた。
「わーっ」
千里は店の外へ飛び出す。
ポーチから出たところに、炎のようなたてがみをもった美しい馬がいる。
その横には、髭の長い男性が立っている。
関帝──。
両脇には、馬の手綱を握った二人の男性が控えている。
精悍な顔をした青年と、青黒い顔をした壮年の男性だった。
「迎えに来た」
関帝は短くそう言う。華が頭を下げた。
「おぬしたち。ファンと一臣を助けてくれたこと、礼を言う。儂がこいつらを、故郷の地まで送っていく」
「は、はい」
千里はぽかんと口を開けたまま、こくこくと頷く。
「報酬は二回分、草間殿から受け取るがよい」
青年が華に手を伸ばし、馬の上に押し上げる。自分も馬に跨り、華を抱いた。
絵になる。
関帝が一臣に手を伸ばす。一臣はくるりと千里と深山を振り返った。
「お世話になりました」
丁寧に頭を下げる。
「千里さんと智さんのことは忘れません。ボク、頑張ってちゃんとした虎人になります」
千里は一臣に飛びついた。
柔らかい髪に頬をすり寄せる。
「手紙書いてねっ。私も書くよ。絶対、絶対だから。一人前になったら遊びに来てね。待ってるから!」
一臣は頷く。
その頭に、深山がぽんと手を載せた。
関帝の馬に跨った一臣を、千里はずっと見送っていた。
「あんまり待たせたら、私が遊びに行っちゃうからねーー!」
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0074 / 風見・璃音 / 女性 / 150 / フリーター(継続)
0165 / 月見里・千里 / 女性 / 16 / 女子高校生(継続)
0281 / 深山・智 / 男性 / 42 / 喫茶店「深山」のマスター(継続)
0599 / 黒月・焔 / 男性 / 27 / バーのマスター(継続)
0284 / 荒祇・天禪 / 男性 / 980 / 会社会長(継続)
0606 / レイベル・ラブ / 女性 / 395 / ストリートドクター(継続)
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■ ライター通信 ■
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お待たせしました。後編です。
原稿自体は出来上がっていたのですが、いろいろ問題が起きまして(笑)
登場人物横の継続は、前後編ご参加されたかた、新規は後編のみの方です。
ほとんどの方が継続してくださったので、ほっと一息。
継続参加者様にはオプションを設定したのがよかったのでしょうか?
続編ものをやるときは、この形で行こうと思います。
最後に、次回から依頼は周防きさこ改め和泉基浦で出させていただきます。
よろしくお願いします。
早ければ本日中に新しい依頼を公開しておりますので、そちらもご覧ください。
前後編ともにありがとうございました。
またの機会がありましたら、よろしくお願いします。 きさこ。
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