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人との間で(後編)
「立てるか」
焔は人間の姿に戻った狼娘に手をさしのべた。
払いのけようとするその腕を掴み、強引に引き立てる。肩を貸した。
「俺は黒月。お前が匿おうとしてたあの二人をこれから救出に行く」
通りかかったタクシーを止め、娘を乗せる。
「先に病院の方がいいか」
「平気よ。二人が先」
娘は首を振る。焔は草間から伝えられた住所を運転手に告げた。
車が発進する。娘は辛そうに後部座席にもたれかかった。
ちらちらと後ろを振り返る運転手に、バックミラー越しの冷たい一瞥。運転手は機械のように運転に集中するようになる。
これで今夜、客を乗せたことも忘れるだろう。焔は腕を組んだ。
「璃音」
娘がふと口を開く。
焔が視線を向けると、ふいっと横を向いた。
「名前」
「そうか。辛いなら寝ておけ。かなりかかるぞ」
焔は璃音に言い、再び目を閉じた。
どうアジトに潜入するか、考えることにする。
×
タクシーは都内からどんどん離れ、すでにかなり郊外へ来ている。道幅は広く、建物はまばらで車も少ない。山も見える。
あきる野市。東京都で最も広い土地を有する市だ。東京都の西側である。
あきる野市小峰台。小峰工業団地――。
工場団地は名ばかりで、アジトである三つの工場以外にそれらしい建物はない。
焔はタクシーの運転手の耳元で指を鳴らす。
歩道へ下りると、タクシーは走り出した。
焔は親指で峠の上を指した。
「この道を少し上ったところにあるトンネルは、心霊スポットとして有名なんだ。宮崎なにがしが、幼女を殺害して埋めたとかって場所だ。女の子供の霊が出る。
シュミのいい場所にアジトもってやがるぜ」
くくっと璃音が喉を鳴らす。
「どっちが先かしらね。狂ったロリコンとアジト。どのみち、このあたりは嫌な空気だわ」広大な駐車場の向こうに、殆どの窓にアルミの鎧戸を下ろしてた研究所か工場が見える。いや、その両方かも知れない。外法な実験をし、それを兵器に作り替える工場兼研究所。
建物の上には、黄色い菱形に似たモニュメントがおかれている。何処かの大手会社の社章だった筈だ。
「行くか」
「ご自由に」
璃音は焔の言葉にそう答えた。
焔の目の前で狼の姿になり、一跳びでフェンスを越えていく。
焔は首を振り、フェンスを掴んだ。
飛び越えた。
×
駐車場から続く入り口には鍵が掛かっている。非常口らしい。その前を通り過ぎ、運搬用のフェンスに近づく。すぐ横に、警備員控え室である小さなボックスルームがあった。
ガラス窓に肘を叩きつける。鍵を開けると、静かに中へと滑り込んだ。
──あった。監視カメラ。
焔は赤い瞳を輝かせる。カメラのレンズを睨んだ。
これでいい。
廊下は病院のようなリノリウム床だった。足音が響くかもしれない。気をつけて歩きながら、扉をもう一つ越える。
細い廊下が伸びている。両側はガラス窓で、階下の部屋が透けて見えるようになっている。奥を透かして見ると、碁盤のように細い廊下が延び、階下にある部屋の観察が出来るようになっているようだった。
ひょいと窓の下を覗き込み──焔は絶句した。
巨大な頭部だけが、台座に固定され顔中頭中に電極を取り付けられている。その額の部分には釘のようなものが打ち込まれている。巨大な頭部は、ごふっごふっと時折体液のようなものを吐き出していた。
「何だ、これは……」
日本の妖怪であるようだったが、あいにく焔にはその名前が判らない。下はパーテーションで細かく区切ってあった。
隣のブースにはマーマンがいた。死にかけているのか、水槽の中に入れられているというのにぐったりと動かない。身体には無数の傷と縫合の跡が見て取れる。身体の半分ほどの鱗も失っていた。
予想以上にとんでもない場所に来ちまったみたいだな。
焔は内心でひとりごちる。だが、こいつらを解放してやる義理まではない。一臣少年が理不尽な暴力に晒され続けた被害者であることは判ったが、ここに捕らえられている魑魅魍魎どもまでそうだとは言い切れない。不用意に助ければ、さらなる災厄を招きかねない。
まあ、あの狂った連中に悪用されるのとこいつら個人に暴れられるののどっちがいいかというレベルの問題だがな。
焔は舌打ちする。ガラスに囲まれた通路を走り抜けた。まずは、どこに二人が捕らわれているのかを調べなければならない──
警報が鳴り響き、廊下が赤く輝く。
焔は身を屈めた。
「東棟に侵入者あり。東棟に侵入者あり。戦闘員は直ちに急行せよ」
甲高い女性のアナウンスが流れる。英文だった。
璃音だ。
焔は新たな扉を開け、階上に向かうことにする。どうせ地下室は拷問をされている異形たちがひしめいているだけだろう。彼らは他にいる。
一人ぐらい通りかかればいい。そうすれば、記憶ぐらいいただける。
三階で捕らえた戦闘員から必要な情報を得ると、焔は舌打ちした。東棟だと。
棟を間違えたらしい。すぐ隣の建物の二階に、一臣少年は捕らわれている。
屋上へ上がると、隣の棟までは10mほどの距離だと知れる。焔は迷うことなく跳躍した。
ザザッと音を立て、東棟の屋上に転がる。立ち上がると、目の前が入り口だった。
窓が割れる音がする。下を覗き込むと、二階の窓が砕け散っている。
強烈な気があたりに満ちた。
「急いだ方がいいな」
ひとりごち、階段へ向かう。
ドアを叩き破り、場内に入り込む。監視カメラが気になるが、これだけ警報が響いていては無意味だろう。
階下へ下りようとしていた武装兵を一人捕まえる。
例の棘を発射する銃を持っている。焔は兵士を殴りつけた。
「地獄へ堕ちろ」
囁き、男のゴーグルを外す。
男の服の中から、腐敗した掌が伸びる。掌は男の身体をなで回し、頬を撫でた。
兵士が絶叫する。
身もだえし、転げ回る。己ののど元を掻きむしった。
焔は兵士の銃を遠くに投げ捨て、懐から護身用らしい銃を奪い取った。
窓からのぞくと、武装した男たちが続々と出てくる。
焔は階段を駆け下りた。
×
黄金色の虎がいた。
二階の開け放たれたドアに飛び込み、焔は絶句した。
巨大な虎だった。太陽のような黄金色の毛並みに、墨で描いたような濃密な黒い模様が走っている。
琥珀色の瞳は大きく凶暴だった。
白い虎と銀色の狼に押さえ込まれている。だが、その身体から闘志は消えていない。
寒気がするような殺意を発散している。
グァオッ
狼が吼える。前足と腹部から、血があふれ出す。傷口が開いたのだ。
焔は銃を構えた。
この虎が一臣少年であることは間違いない。そして璃音が暴走を止めようとしているのだと悟ったのだ。
前足をねらう。
黄金の虎が吼え猛った。
前足を折り、崩れる。
狼と白虎が虎から離れた。
「目が覚めたか」
額の汗を片手で拭い、焔は叱咤する。
璃音がこちらを向いた。
「人間に戻ってる暇はねえぜ。外は武装兵でいっぱいだ」
璃音が小さく鳴く。
白虎が低く唸る。無視した。
「強行突破ね、黒月」
狼の声が頭に響く。黒月はビッと親指を立てて見せた。
×
焔は白虎の背中に掴まった。
窓の下は武装兵で埋まっている。そこに飛び込み、幻覚を見せてやれば隙は出来る。
白虎も手追いのようだったが、それでも残りの二匹よりも闘志に溢れている。
窓から跳んだ。
龍眼に意識を集中させる。
地面がひび割れ、炎が吹き出した。その幻の炎にまかれ、兵士たちはもがき始める。
被催眠性の高い者から死んでゆく。幻覚や催眠術に掛かりやすい体質のものは、顔にまで火傷を負い、倒れてゆく。
龍眼の幻覚は、幻覚を見ている者にとっては現実だ。炎に焼かれ、服は燃えずとも火傷を負って死んでゆく。
もう一押しするか。
割れた地面の間から、腐敗した腕が伸びる。兵士たちを掴み、灼熱の炎の中に引きずり込もうとする。
「地獄を弄んだ罰、たっぷりと受けるがいいぜ」
焔は吐き捨てた。
虎と狼が、窓から飛び降りてきた。
×
「何なの、これは!」
ヘリコプターの窓の外を見、エリザベスは悲鳴を上げた。
警報装置の発動と共に工場は爆破、本国へ帰ること。それを決定し、秘書に極秘文書の一部を持たせてヘリに乗り込んだのだ。
運転手も悲鳴を上げる。秘書は声も出ないのか、沈黙してガタガタと震えている。
ヘリは古風な鎧をつけた男たちに囲まれていた。
二人は黒い馬に跨っている。もう一人は、炎のように赤い馬に乗っていた。
正面に立った男が、頭頂部に長い刃のついた槍のような得物を横たえている。
巨大で無骨な薙刀。
赤い馬が、天を引き裂く雷鳴のようないななきを発した。
×
上空で爆発が起きた。
飛び立とうとしていたヘリが、真っ二つに断ち割られて落下していく。
爆発した。
爆風が吹き付け、焔は白虎の背で身を伏せる。
ターナーの悲鳴が聞こえた。
片腕の肉が食いちぎられている。白いスーツは半身血にそまっていた。
「エリザベス! エリザベーース!」
ターナーが狂ったように叫んでいる。その頬には、手の形をした大きな火傷が出来ている。
狼が、地を這うように走った。
焔は目を背けた。
血の臭いがあたりに充満する。
「日本で死んだら、日本の地獄に堕ちるんだろうな」
焔は一人ごちる。
「研究対象を、身をもって味わうんだな」
上空から、馬に跨った三人の男が下りてくるのが見えた。
精悍な顔つきをした青年が、白虎から下りた焔に手を差し出す。
「お乗りなさい。ここは爆発します」
焔はその手を取り、黒い馬の上に飛び乗った。
一臣たちも人間の姿に戻り、馬の上に引っ張り上げられている。
青年が手綱をさばいた。
馬が嘶き、空を駆け始める。
風が吹き付ける。
焔は青年の腰に掴まったまま、眼下の工場を見下ろした。
火の手が上がる。四方から。
轟音が響き渡る。
工場全体がひび割れ、地へと沈んでゆく。
熱風に吹かれながら、三頭の馬は夜空を駆けた。
×
「関帝とは知りませんでした」
草間は赤い馬に跨っていた男にそう言い、頭を下げた。
きょとんとした顔をしている璃音の脇腹を、焔は突いた。
「三国志に出てくる三兄弟の一人、関羽・雲長のことだ。人の身で、神に駆け上がった人物だ」
へえ、と璃音は頷く。
関帝が、あごひげをしごいた。
「あの虎二人は儂が故郷まで連れて行こう。報酬はこれでたりるか」
関帝は懐から袋を取り出す。
「砂金だ」
草間に渡した。
「十分です」
関羽が微笑む。ゆっくりと一同に背を向けた。
入り口のところで控えていた女がドアを開ける。
女は璃音に駆け寄ると、彼女の瞳をじっと見つめた。
璃音と女は見つめ合い、璃音が顔をくしゃくしゃと歪めた。
「そうね。私も信じてる」
かすれた声で呟く。
女はさっと身を翻すと、関帝の後を追って事務所から出て行った。
璃音は興信所の窓を開け、彼方へ飛び去る三頭の馬を見つめている。
黒月もその後ろから、彼らを見送った。
「私も華みたいに、早く黒狼様を捜さなきゃ……」
璃音が少し寂しそうに呟く。
黒月は璃音の肩を抱いた。
「彼氏探しだったら、いい男がここにいるぜ」
ぱしっと璃音の手が黒月の手を叩く。音は派手だが、そう痛くもない。
焔はにやにやと笑った。
「おあいにく様。好きな人はもういるのよ」
「俺か」
砂金を計りながら、草間が驚いたように言った。
璃音は肩をすくめた。
「幸せな人たちですこと!」
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0074 / 風見・璃音 / 女性 / 150 / フリーター(継続)
0165 / 月見里・千里 / 女性 / 16 / 女子高校生(継続)
0281 / 深山・智 / 男性 / 42 / 喫茶店「深山」のマスター(継続)
0599 / 黒月・焔 / 男性 / 27 / バーのマスター(継続)
0284 / 荒祇・天禪 / 男性 / 980 / 会社会長(継続)
0606 / レイベル・ラブ / 女性 / 395 / ストリートドクター(継続)
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■ ライター通信 ■
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お待たせしました。後編です。
原稿自体は出来上がっていたのですが、いろいろ問題が起きまして(笑)
登場人物横の継続は、前後編ご参加されたかた、新規は後編のみの方です。
ほとんどの方が継続してくださったので、ほっと一息。
継続参加者様にはオプションを設定したのがよかったのでしょうか?
続編ものをやるときは、この形で行こうと思います。
最後に、次回から依頼は周防きさこ改め和泉基浦で出させていただきます。
よろしくお願いします。
早ければ本日中に新しい依頼を公開しておりますので、そちらもご覧ください。
前後編ともにありがとうございました。
またの機会がありましたら、よろしくお願いします。 きさこ。
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