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鎮魂
●夢の中へ
「うにゃ……空飛ぶかつおぶし〜……生クリームの雲がいっぱいにゃ〜……」
手を伸ばしてつかもうとするが、手は空を切るばかり。それはそうだ、空飛ぶかつおぶしも、生クリームの雲もそこにはないのだから。
けれど色気ある20歳そこそこの女性、白雪珠緒は幸せそうな表情を浮かべ、何度も同じ動作を繰り返していた。
「何じっと見てるにゃ……全部あたしのにゃ、七星にはあげないにゃ……えへへへへ〜」
そうつぶやいて珠緒はごろんと寝返りをうった。そう、ベッドの上で寝返りをだ。
今の珠緒は夢の中の住人であった。夢の中でかつおぶしやら生クリームやらをたらふく食べているのだ。何とも珠緒らしい夢である。
しかし珠緒の幸せもそう長くは続かなかった。夢の中に突然霧が立ち込め、空飛ぶかつおぶしと生クリームの雲がすすぅ……っと遠ざかってゆくではないか。
「にゃっ!? 待つにゃっ、かつおぶし、生クリーム、どこへ行くにゃ〜っ!」
ぐぐっと手を伸ばし、悲痛な叫びを上げる珠緒。夢の中に、入れ違いに謎の少女が姿を現したのはその後のことだった。
●礼儀を教えてあげるのにゃ
翌日朝、珠緒は憮然とした表情を浮かべて森の中を歩いていた。この先にあるのは古い洋館のみ。そこには少女が1人で住んでいるはずだと珠緒は記憶していた。
「あれ、2人だったっけ?」
あー……それはともかく、珠緒が洋館に向けて歩いているのには理由があった。
(変な夢だったにゃ。過去の遺物のお願いごとにゃ)
それは昨夜かつおぶしや生クリームと入れ替わりに姿を現した少女のことだった。黄金色のまっすぐに長い髪と真紅の瞳を持つ黒いドレス姿の少女は、『私たちを止めてください』と珠緒に助けを求めてきた。そして今日、珠緒が今向かっている洋館を襲うのだとも言っていた。
「確かあれ作ったの、ちょっと前の人間だったと思ったけど……」
珠緒は両方のこめかみに人指し指を当て、記憶の糸を辿っていった。何せ500年以上生きているのだ、記憶量はそこいらの人間には負けやしない。
「……忘れたにゃ」
まあ……記憶量はあっても、それが必要となる時にきちんと出てくるかはまた別問題だということだ。
「それはそれとして、人に物頼むのに、手ぶらというのは許せないにゃ。労働基準法違反にゃ」
ぶつぶつと文句を言い放つ珠緒。正論のようにも思えるが、幸せな夢を邪魔されたことによる恨みが入っているように感じるのは気のせいだろうか。
「とりあえず、珠緒姐さんに物を頼む時は報酬必須! 安くないって、行って再教育してやるのにゃ!」
珠緒は拳をぐっと握り締めた。
「もし払えないんならかじってやるにゃ☆」
そんなことを言っているうちに、洋館がすぐそこに見えてきていた。
●名前は難しい
珠緒は両開きの重厚な木製の扉のある玄関前に立っていた。ばりばりと爪を立てたらさぞかし気持ちいいことだろうが、珠緒はぐっと堪えてその扉を激しく何度も叩いた。
「こら〜っ、出てくるにゃ〜っ!」
洋館の少女を呼び出そうとする珠緒。
「早く出てくるのにゃ、借金返すにゃ〜っ!」
珠緒は激しく扉を叩き続けた。しかし、こういう言葉をどこで覚えてくるのか、何とも不思議である。
ぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃ……。
ようやく人が来たのだろう、扉は軋む音を響かせながら内側にゆっくりと開いていった。扉の向こうには漆黒の髪を純白のリボンで結んでいる少女の姿がある。その瞳は深紅だ。
珠緒は少女の名前を呼ぼうとして、はたと考え込んだ。
(あれ、何て名前だっけ? 大丈夫、覚えてるのにゃ。噂には聞いたから……確かエグザンプルに近い言葉だった気がするにゃ。エグ……エッグ……スクランブルエッグ……お腹空いたにゃ……って違うにゃっ!)
ふるふると頭を振る珠緒。少女は笑みを浮かべたまま首を傾げている。
(英語じゃないにゃ。日本語だったはずにゃ。んっと、エグザンプルは『例』って意味だから……)
そして珠緒はぽんっと手を打った。ようやく少女の名前を思い出せたようだ。
「零にゃっ!!」
びしっと珠緒は少女――零を指差した。一瞬、零から笑みが消え、びくっと反応した。
「どなたですか?」
零は再び笑みを浮かべ珠緒に話しかけたが、珠緒はにっこりと微笑むと、手を伸ばして零の首根っこをむんずとつかんだ。
「召し捕ったにゃ!」
「え? え? え?」
予測つかない行動だったのか、零の表情には動揺の色が浮かんでいた。
「ふっふっふ、零には餌になってもらうにゃ……」
不敵な笑みを浮かべ、珠緒は大声で叫んだ。
「ぎるど〜っ! 出て来〜い!」
し〜ん。誰も姿を現さない。
「違ったかにゃ……もう1度。うるど〜っ! 出て来〜い!」
しぃ〜ん。やはり誰も姿を現さない。
「また違うのにゃ? うー……うぃろう〜っ! 出て来〜い!」
しぃぃ〜ん。それでも誰も姿を現さない。
「いい加減に出てくるにゃっ!! うぃるど〜! 出て来〜い!」
がさがさ……っと木々が揺れ、1人の少女が姿を現した。黄金色のまっすぐに長い髪と真紅の瞳を持つ黒いドレス姿の少女――珠緒が何度も名前を間違えていたウィルドだった。少し怒っているように見えるのは気のせい……でもないかもしれない。
「ようやく出てきたのにゃっ! この礼儀知らずめっ!」
今の名前間違いでそれはお互い様だとも思わないでもないが、珠緒はきっぱりとウィルドに言い放った。
「問答無用!」
ウィルドが右手をすうっと頭上にかざした。どこからか青白い光が集まってきて、たちまちにそれは日本刀へと変化する。
「アーネンエルベ様の命により、零……貴様を捕獲する!」
ウィルドは刀を手にまっすぐに駆け出した。もちろん零と珠緒目掛けて。瞬く間にウィルドは距離を詰め、零に刀で斬り掛かろうとした――。
●珠緒裁き
バリッ、と何かを引っ掻く音が聞こえた。ウィルドの動きがピタッと止まる。その顔には幾筋もの引っ掻き傷がつけられていた。
「ふ……火付盗賊改方、鬼の白雪珠緒さまを侮っちゃいけないにゃ」
……だから、そういう言葉をどこで覚えてくるんですか、あなたって猫は。まあ500年以上生きてる珠緒のことだから、実際に火付盗賊改方の役人を目の当たりにしている可能性もあるのだが。
そして珠緒はウィルドと零の顔を交互に見比べて、おもむろに2人の頭をばちばちと叩いた。
「詳しい事情は知らないけど、ケンカ両成敗! 痴話ケンカは猫も喰わないのにゃ! やめるにゃ!」
珠緒は2人をぎろっと睨み付けて言った。気迫に押されたのか、それとも呆れているのか、2人は何も答えなかった。
「とにかく、いいからこっちへ来るにゃ。2人とも正座するのにゃ。そして珠緒さまのありがた〜いお説教を、たっぷりと聞かせてあげるのにゃっ!」
2人の首根っこをつかみ、珠緒はずるずると館内へ引きずっていった。
●説教の果てに
だだっ広い1階広間。その中央に零とウィルドがちょこんと正座をし、2人の前で珠緒が長々と説教をしていた。
「……それにしてもあんたたち。人造人間としてのプライドはないのにゃ!?」
ぱしぱしと2人の頭を叩く珠緒。説教が始まってからすでに30分近くが経過していた。2人は黙って珠緒の説教を聞いていたが、どうにも納得がいかないといった表情を浮かべていた。
「どういう経緯であんたたちが造られたかは、この珠緒さまにはぜーんぶお見通しだけどにゃ。それを踏まえてあんたたちに言うにゃ」
珠緒は得意げに言った。ちなみに経緯をきちんと思い出したのは、つい5分程前の話である。
「『縛られてる』と思うから何も出来ないのにゃ。人に使われてちゃダメにゃ! 自分で考えて、自分の意志で生きるのにゃ!」
珍しく正論を言う珠緒。けれど確かにそうなのかもしれない。命令に強制力がなければもちろんのこと、呪術的な強制力があったとしても、命令を破ることは不可能ではないのだから。
零とウィルドは互いに顔を見合わせた。どちらからともなく苦笑いを浮かべ、やがてくすくすと笑い出した。
そして互いに頷き合うと、ぎゅっと手を握り合った。この様子からすると、どうやら敵対感情は失われたようである。
「うんうん、それでいいのにゃ。『人』という字は互いに支え合って出来てるのにゃ……先生はとても嬉しいのにゃ」
いつから先生になったのだという突っ込みは横に置いておくとして、珠緒は瞳に浮かんだ涙をそっと手で拭った。
珠緒は打ち解け合った2人を残し、この場を去ろうとしたのだが、はたと肝心なことを思い出し2人に言った。
「あ、忘れてたにゃ。人に相談しておいて、ただで済ませる気じゃないにゃ?」
にっこりと微笑む珠緒。きょとんとなる2人。
「相談料、耳を揃えて払うのにゃ。もし払えないんなら、一口かじらせるのにゃ☆」
そう言って珠緒は口元を手でぐいっと拭った。2人の少女たちは、怯えの表情を浮かべてこの場から逃げ出した。
「あっ、こらっ、待つにゃっ! 払うか、かじらせるかするのにゃ〜っ!!」
珠緒は慌てて2人の少女たちを追いかけた――。
【了】
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