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<PCシナリオノベル(シングル)>


ヘビースモーカーの為の探検講座

 それは晴れたる青空の広がる全くもって爽やかな日の事。
 望む辺りの風景は緑濃く、どこからかカナカナの無く声が聞こえ、涼風も身体に心地よい。
 得体の知れぬ差し出し人からの招待を受け、中ノ鳥島へ渡ってきてから数日…この島が何か、次のフェリーはいつ来るのか…謎ばかりであるというのに、これほどまでにゆったりした気持ちになってしまうのは、この旅館がいかにもノスタルジックな空気に包まれた非常に居心地のいい宿であったから、でもあるし、非常に現実的なこの物語の主人公が『時がくれば何かが起こるだろうし、起きたら対応すればいいのだ。』というような、大変効率的なことを考えていたからでもある。
 と、いう訳でその日も彼女…シュライン・エマは団扇でけだるく風を起こしながら、旅館の一部屋にしつらえられた縁側で、紺の浴衣に麦茶に風鈴にという具合に寛いでいた。
「今日も一日過ぎていくわねぇ…」
 呟いた彼女の言葉に
「東京に戻ったこうは行かないな。」
 答えた声の主は、彼女の部屋で新聞を広げ、同じく浴衣姿で胡坐をかき、足の爪をパチリパチリと切っていた。
 彼は、シュラインが時折手伝いをしている草間興信所の所長、草間武彦。そして彼も彼女と同じ考え方をする一人。とはいえ極端にもこの島に着いてから今日という日まで、たったの一歩も旅館から出ず、自分の部屋と温泉と宴会場のみを往復する生活を送っているというのは、流石にどうかと思うが…彼にとってそれが何より有意義な生活だと思えるならば仕方が無い。
「ちょっと武彦さん、ちゃんと片付けることを考えて頂戴ね。」
声を掛けられて我に返ったシュラインは、くるりと振り返って草間に言った。「大体どうして自分の部屋でやらないの?」
「また返しにくるのが面倒だからだ。」
 と、草間は答えた。この爪切り、用意のいいシュラインが持ってきていたものだったし、こんなに天気の良い真昼に海にも山にも行かず、旅館に居座って暢気にしているのは、草間のほかにはシュラインくらいなものだったからだ。
「面倒って…ほんの数メートル歩いてくればいいだけでしょうに。」」
 たとえ爪切りのためとは言え彼が尋ねてきたのが嬉しいシュラインではあったが、こうして2人きりになると、ついこんな素直でない口調になってしまう。だが草間はそんなシュラインの言葉などいつもの事と気に留めない様子で、足の爪を切り終わり、浴衣の袂を探りながら言った。
「ん? この部屋には灰皿はないのか?」
「何言ってるの。私は吸わないわよ。」
 団扇をひらひらさせながらシュラインが答えると、草間は納得したように頷き、取り出しかけた煙草の箱をちらりと見、そしてふと何かに気付いたようにそのままじっと手元を見詰めた。
「? どうしたの?」
 ここで一服していくつもりだったのだろう草間は指先で箱の中身を探り、次には眼鏡の奥から目を細めるようにその中身を覗き込んだ。
「ん…いや…。」
不審そうな顔をしたシュラインの視線をはぐらかし、彼は煙草を袂に収めて立ち上がる。「邪魔をしたな。まあゆっくり休んでくれ。」
 そして、この島でシュラインが彼の落ち着いた様子を見たのは、それが最後となった…。


 コツ…ことん…。
 真夜中。シュラインは不審な物音をその鋭い耳に感じて目を覚ました。
 こと…。
 音がまた、した。
 彼女は自分のこれまでの記憶と今の物音を聞き比べて、それが旅館の中庭を巡る渡り廊下の戸を開ける音だと気付いた。
── 泥棒? …それとも…。
 この得体の知れない島で、いよいよ何かが起こるというのだろうか。彼女は油断無く起き上がり浴衣の胸元を掻き合わせると、枕元に置いた眼鏡を首からかけた。
 彼女の耳はその間も物音を追いかけ続ける。だがどうやらその音は、内側から戸をあけようとしているものの様だ。誰かが外へ出ようとしている、そうと気付いて彼女は少し困惑した。
 シュラインは布団から出ると立ち上がり、重く古いカーテンをうっすらと持ち上げて中庭を覗いた…と、その視線の先には。
 良く晴れた月明りの中、辺りをきょろきょろと見回しながら表へ出て行く草間の姿があった。昼間までのゆったりとした様子は何処へやら、まるで興信所に居るときのような黒のタートル姿。勿論靴を履いて、おまけに何処から持ち出してきたのかペンライトまで持っている。
 それが得体の知れぬ人物ではなかったことにホッとしながらも、シュラインは驚いて彼の行動を目で追った。すると彼は地面に座り込み、辺りを手で探っていたかと思うと、また移動し、また辺りを探り、また移動し…そんな行動を繰り返し始めた。どうやら、草を摘んでいるらしい。
── 植物採集の癖なんかなかったわよね。
 彼にそんな隠れた趣味があったとしても、こんな夜中にやる理由は薄そうだ。ということは他に理由があるに違いない。何か事件が起きたのか…それともこれから起きるのか。
 彼が一人でもしっかりと物事を片付けられる人間だとは判っているが、しかし彼を一人にはしておけない。そう考えたシュラインは、中庭から裏手の森の中へ姿を消そうとする草間に気付き、自分も着替えて彼の後を追うことにした。

 森の中へ消えていく草間にシュラインが追いついたのは、その後10分ほどしてからだった。草間という男は不思議と動きに隙がないもので、普段であったらもっと離されていたであろうが、今日という日は…見つけたその時も地面に這い蹲るようにしていたから追いつくのは簡単だった。
「ちょっと武彦さん、そんなところで何をしてるの?」
 僅か咎めるような口調でシュラインは彼に声を掛けた。すると草間は心底驚いたような顔をして彼女を振り返る。どうやら彼らしくも無く、後を付けられていたことにさえ気付いていなかったようだ。
「シュライン…君か。」
 木の根元に蹲った彼は、彼女の突然の登場に驚いた様子だったが、それをなぜ?と思う余裕が無いように見えた。その顔色は月明りに分るほど青ざめて、そして動きには落ち着きが無い。
 今まで幾度も彼の事務所で依頼をこなしたりバイトをしたりしてきたシュラインであったが、こんな草間の様子など見たことがない。彼女は不安になって彼の傍に歩み寄った。
「どうしたの、武彦さん。…具合でも悪い?」
 すると草間は少しだけ迷う様子を見せ、それから辺りを見回して彼女のほかに誰も居ないことを確認すると
「……だ…。」
と、呟いた。それは耳のいいシュラインにも一瞬聞き取れず、彼女は彼の傍に一緒に屈みこみ、え?と彼の顔を覗き込みながらもう一度尋ねた。すると草間は眼鏡の奥からこれまでで一番真剣な瞳でシュラインをじっと、じっと見詰めた。
 心臓が、なぜかドキリと跳ねる。
 辺りはしん…と静まり、風一つ無い。ただ木々の葉を透かして下りてくる月の光だけが2人を照らし出している。と…その時。
「無いんだ。」
草間は、彼女をじっと見詰めたままゆっくりと口を開いた。「煙草が無い。…もう一本も。」
「………。」
 我知らず、雰囲気に息を詰めていたシュラインは、じっと黙り込んだ後、その整った眉根を寄せた。が、一方草間はそれで箍が外れたかのように、一気に話し始める。
「この島に居る時間がどれほどになるか分らなかったからな。煙草は箱買いして来ておいたんだが、まさか全部吸いきってしまうとは思わなかった。」
 シュラインは、船に乗ったときの彼の荷物をふと思い出していた。確かに彼は大きな黒いバックを肩にかけていた。それは大きさの割には軽そうに見えて、そして他の荷物よりもずっと大事にしている様子も見て取れた…が。
── バカだ…。
 彼女はがくりと肩を落として思わず心の中で呟いた。彼が極度のヘビースモーカーだとは知っていたが、まさか滞在期間と自分の消費量を考えてまで準備を整えていたとは思わなかった。
 草間は立ち上がり、もう一度月明りで辺りを見回す。
「兎も角、昼間最後の一本が終わった。それから4時間と25分…あれが無ければ俺は眠れないし、睡眠時間以外でこんなに吸わないで居たのは、もう何年ぶりか…。」
 そう呟く目がうつろに見えるのは、シュラインの気のせいか。
「こうなったら何が何でも吸ってやる。煙の出るものならなんでもいいっ!!」
 拳を固めて叫んだ草間の手には、雑草とライターと、葉を丸めるためか新聞を丁寧にも5センチ四方に切ったもの…それらが抱えられていた。
「あのね、武彦さん…。」
シュラインは、額にほっそりした指先を当てて溜息をつきながら立ち上がった。「何でもいいって…そんなの煙草以上に身体に悪いでしょ。」
 少しずつ吸っていれば最後までもったかもしれないのに。と彼女は思ったが、この娯楽の少ない場所であるからペースがいつも以上に速くなってしまったのかもしれない、と彼の性格と行動パターンを考えて、そう思い直した。
「何かないか…吸えそうな葉…。」
 草間は彼女の心配気な声など聞こえなかったかのように、ふらふらと森の中へ入っていく。
「ちょっと、武彦さん!」
 シュラインは彼の背に声を掛けるが「もぉ…。」
 彼女は小さく溜息を付き、彼の後を追って森の奥へと踏み込んで行ったのだった。

 そして…。
「この葉の香りなら…いや、これじゃダメだ。」
 草間武彦は本気の本気で、その辺にある草を吸ってみるつもりらしい。時折葉を摘みあげては鼻先に持っていっている。
「ねえ武彦さん。煙草って乾燥させて吸うものじゃないの? 生でしょそれ。」
 シュラインが冷静且つ至極尤もな事を聞くと、草間はジト目で彼女を見返した。
「無いよりマシだ。」
 煙草と言うものは香りや味を楽しむものであるはずなのに、一線を越えてしまった者にとっては口元に何かが有る無しの話になってしまうようだ。
「煙草タバコたばこ…。」
 呟きながら彼はとうとう一枚の葉を手にとって、細かく千切り始めた。更にあらかじめ切っておいた新聞紙にどうにか包み、火を点けようとする。
「ほ…本気で吸うつもりなの!?」
 もし万が一毒草の類だったらどうするつもりなのか。シュラインは自分が植物図鑑を持ってこなかったことを一瞬後悔したが、よくよく考えたらそんな場合ではない。慌てて彼を止めようとした…が。それは幸いにもくすぶるばかりで煙など吸えるほど出てこず、それどころか新聞紙では紙が弱すぎて、あちち…などと慌てて火を消す始末。
「全く…猫にマタタビ、草間武彦に煙草ね…。」
「悪かったな。」
 草間は火傷をしかけた指を舐めつつ憮然とした調子で答える。シュラインは彼の手の具合を見て、大した事がなさそうなのを確認すると、ほうっと溜息をついた。これはどうやら、絶対に無理なのだと分らせるまで止める様子はなさそうだ。
「もう…分ったわよ。そこまで言うなら協力してあげる。そうね、手始めにあの木の皮なんてどうかしら?」
 彼女が指差した先には、暗い森の中、いかにも怪しげに捻くれた得体の知れない一本の木。
「ほらほら、それともあっちの実を砕いてみる? 乾燥してるし煙だけなら出そう。」
冗談めかして更に指差した所には、いかにも毒っぽい形をした実がたわわに実っている。「それにこの怪しげなキノコだって燃やそうと思えば燃えるわね、きっと。」
「………。」
 草間武彦は、そこで漸く自分のやろうとしていたことに気付いたようだった。苦い顔をして怪しい実を眺めている。
── まさかこんなの吸おうとは思わないでしょ。これで諦めてくれるならいいわね。
 つくづく後を付けて来て良かったと彼女は思った。放って置いたら草間は本当に毒草を吸って、『草間興信所、所長死亡の為閉鎖です』などと言う張り紙がボロい扉に張られていたかもしれない。
 そして彼女は月明りに慣れて来た目で更に辺りを見回した。と、何かに気付いて声を上げた。
「あら? あれは何?」
そちらの方向だけやけに明るい。「森の端まで来ちゃったのかしら?」
 それならそれでも良い。森を抜けてしまえば吸えそうな葉も少なくなり、草間ももっと落ち着きを取り戻す時間が取れるだろう。と、シュラインは思い、草間の腕を引っ張るようにしてそちらに歩いて行った。が。
「まぁ…。」
彼女は思わず声をあげて空を見上げた。森を抜けたのではない。ここは森の中に開けた小さな野原だった。そしてまるで木々に囲まれたプラネタリウムのように空には星が瞬いている。「綺麗…この島にこんな場所があったなんて…。」
 丁度中天に掛かった半月を見上げ、彼女は傍らの草間に話しかけた。
「御覧なさいよ武彦さん。この空を見てまだ煙草が恋しい? 世の中にはもっと素敵で心惹かれるものがこんなに身近にあるのよ。」
 これで煙草をやめろとは言わないが、多少控えることを覚えてくれれば…などと最近ではバイトの筈が興信所でのボランティア状態になっているシュラインはそう思った。
「あのね、黙っていて悪かったんだけれど。私本当はちゃんと煙草の買い置き…。」
 こんなこともあろうかと持って来てあったのよ。…領収書付だけどね…と、それなりにロマンチックな気持ちにもなりつつ、彼に伝えようと振り返った彼女はそこにとんでもないものを見た。
 草間が…その場にしゃがみ込み、新聞紙はもうダメだと理解したのだろう、いつの間にか巨大な葉を摘んできて、なにやら火を点けようと四苦八苦していたのだった。
「ちょ…。」
── 分って無いわ! ぜんっぜん分ってなかったわ!!
「毒だったらどうするのよ武彦さん! 危ないじゃない!!」
 だが、草間は彼女をふりかえってニヤリと笑った。
「大丈夫だ。これは本物の煙草の葉だ。勿論生だが、野生で生えて居るのは珍しい。」
 と言った彼の手元には大ぶりの葉をつけた草が生えていた。ところどころに星型の花をつけているが夜故に良くは分らない。
「……本当に?」
 シュラインは恐る恐る尋ねた。草間の手元の葉は、彼の努力により煙を立ち昇らせ始めている。
「多分。」
「多分って何!?」
 だが草間は黙ったままで。
 シュラインはそれを見詰めて。
 やがて紫煙が2人の鼻先を掠めるようになり。
「た…け彦さん…?」
シュラインの膝ががくりと崩れる。強烈な眠気が彼女を襲う。「これって…違うんじゃないの…?」
 だが草間の答えは無かった。どうやら既に昏倒しているようだ。
 出し惜しみせずに煙草を渡しておけばよかった…とシュラインは薄れ行く意識の中で、心底そう思ったのだった。


そして。
 朝の散歩中に、森の野原で倒れている二人を発見した瀬名雫が、死ぬほど驚きホテルに走って皆をたたき起こし、一時中ノ鳥島が大騒ぎになった。と言う話や…
 森で野宿をしていた三下が「風一つ無い夜だったんです…なのに辺りの木がガサガサ揺れて、どこからか話し声も聞こえるような気がして、凄く…すっごく怖かったんです碇さ〜ん!」と編集長に泣きついていた。という話など…
 意識を失ったままフェリーに乗せられ、次に東京で目覚めたときにはすっかり何が起きたのか忘れていたシュラインと草間が聞く事になったのは、それから数日経ってからの事となったのであった。

<終わり>