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<PCシナリオノベル(シングル)>


悪夢のゆうべ

「ああ!!」
 孤島での夏休み。昼間は大騒ぎをし、午後はまったりし、夜は海の幸に舌鼓を打ち。
 そろそろ寝るかか……という時間。
 布団を敷いていた守崎北斗が叫んだ。どうやらこの旅館、人手が少ないらしく、そういった用意は客自らが行う。旅館というより民宿の程度の規模なのだ、仕方ない。
「うるさいな。どうした?」
 守崎啓斗は先刻から結びにくい帯と格闘していた。肌触りはいいものの、さらさらと滑りやすい帯なのだ。啓斗は洋服をきちっと着るのが好きなのである。
「お笑い爆走ファイトのビデオ忘れた!」
 お笑い爆走ファイト。最近の北斗のお気に入り番組である。毎週かかさず見ているらしい。中ノ鳥島は孤島なので、民放地上波もろくに放送していない。
 携帯電話を握り、部屋を出ようとする北斗。その背中に問う。
「先に寝てるぞ」
「電話したらすぐ戻るって」
「眠いから。疲れてる」
 バカンスだ、それなりに二人ははしゃいだ。都会ではお目にかかれない広い青空や、透明度の高い海。面白そうな洞窟もあった。
「起こすなよ」
「わかってるって」
 部屋を出て行ったのを確認してから電気を切った。しん、と降り注ぐような静寂が訪れる。かすかに潮騒が聞こえた。海が近いのだ。
きちんとのりの効いたシーツをそっと触る。家のと手触りが違う、何より自分の臭いがしない。他人の顔をした布団に枕。知らない天井。
目を閉じるが眠れない。眠いのは確かなのだが。
ドアの反対側は障子になっていた。障子の向こうは中庭で、庭木が夜風に揺れる音がする。あるかないかもわからないほど弱い月光が、さらさらと障子越しに差し込んでいた。
「……」
 寝返りを打つ。
眠りと現実の合いだを行き来する。海を泳いでいて、波の上下に揺られるような感覚だ。
夢、だろうか。
それとも眠っているのだろうか。
頭だけ起きていて、身体だけ眠っているのだろうか。
身体が重い。動きがとれない。意識さえ霞に囚われたようではっきりしない。ふわふわと不安定で、布団に沈んでいくようだ。
北斗はまだ戻ってこないだろうか。
もう一時間近く経っている気がする。携帯電話を持って出て行ったのだから、長電話でもしているのだろうか。
身体にかけていた毛布がじりじりと重さを増している。肌を締め付け呼吸を妨げる。
ここに来てやっと空気が自分の上に渦巻いているのが判った。小さな渦は爪の先や口元から入り込もうとしている。
自分の中に存在する場を狙っているのだ。
気配が手足にすがりついてくる。懇願するようにだ。
だが。
受け入れるわけにはいかない。この場所は自分のモノだ。誰にも分け与えるわけにはいかないし、そんな余裕もないのだ。
左目に意識を寄せる。ぎりぎりと真剣を振り絞り、奪われた自由を取り返そうと賢明になった。意識は熱となり、右目に宿る。
ちりっと髪の毛が逆立つような感覚を覚えた。ふっと空気の手触りが変化し、渦が左目の中に消えた。
一瞬だけ渦、一般的に霊と呼ばれる存在の悲鳴が聞こえる。それは右目に閉じこめられた霊の悲鳴だ。いつまで経っても慣れないため息、血のため息。
ほっと一息を落とす。
やっと二度目の寝返りが打てた。
これでゆっくりと眠れる。


×


「起きろ!」
 誰かの声がした。
だが、折角眠ったのだ。放っておいてほしい。全力で遊んで、深夜に力まで使ったのだ。疲れて仕方がない。
「……ん……」
「兄貴!」
 啓斗は寝返りをうち、布団をかぶる。
腹部に強烈な痛みが訪れ、飛び起きた。反射的に毛布を投げつける。
「なんだよ!」
「あ。ごめん」
「それよりさ、ほら。わかるだろ」
 弟の北斗が廊下を指さす。
先刻も祓ったはずなのに、じりじりと霊的なものが廊下から部屋に入ろうとしていた。どれだけ祓わせれば気が済むのだろう。
「ここでは戦えない。狭すぎる」
「それに数も多しな」
 両肩を北斗は上げる。
「……持ってるか?」
「何が?」
「俺たちの目で大量に祓うことはできないだろ」
 はだけた浴衣を直しながら啓斗は持ってきた荷物を探す。二振りの忍者刀を取り、片方は北斗に投げる。
 いつも使っている刀だ。どんな所に赴いても持ち歩いている。
「狭いからな。外へでよう」
 ぼうっと立っている弟にてきぱきと指示をだす。
「え? ああ。うん。他には道具いるか?」
「幽霊相手に通じると思うのか?」
「だって刀……」
「いいから」
 今は説明している暇はない。ここで暴れ回るわけにはいかないのだ。
「行くぞ」
「行くぞって……」
「いいから!」
 返事も待たずに障子から縁側から出た。縁側は宿の中庭に続いている。飛び石の上を走り、啓斗は闇をすり抜ける。後ろからは北斗の足音と、渦巻く殺気が追いかけてくる。中庭にある裏口を抜け、往来へ出る。
嗅ぎ慣れない潮の香りがする。風が凪ぐたびに香りがする。視線の先に潮の匂いと並の音が流れてきていた。


×


 海だ。
 夜の海は黒く沈んでいる。ネコの爪のような鋭い月だけが上がり、無機質な波音だけが規則的に続く。
 背中にはじりじりと忍び寄る霊ども。振り返ることもな走る。
 防波堤を乗り越え、砂浜に降り立つ。ざっと煙のように砂が舞い上がった。
 する、と啓斗が忍者刀を抜き放つ。月光を受け刀身が冷たく光る。
 啓斗の左目が深紅に閃く。淡い輝きは薄い膜のように刀を覆った。
「文字通り付け焼き刃だが……」
 構えた瞬間、北斗の上を飛び越えて霊が一匹飛んだ。滑るように啓斗が迎え撃ち、一振りで切り捨てる。
手応えはないが、耳の近くに蚊の羽音のような悲鳴が聞こえた。どうやら幼女の魂を切ってしまったようだった。苦い後味が残る。
「なんで……」
 刀など物質的な攻撃が聞かないはずの霊。それが消滅したので北斗は眉をひそめた。
「俺たちの瞳は霊を祓ったり閉じこめたりできる。つまり、この力の方向を変えてやればいい。攻撃力は下がるものの、弱い霊なら切り伏せることができる」
 霊的な力を刃で包み込むことにより、刃自体が霊的な力を帯びる。それは鍛え上げられた霊刀と同じように壊魔の力を宿すのだ。一重に双子の持つ生まれながらの能力のお陰である。
「ようは使い方次第ってコトか」
「ああ。目より疲れない」
 瞳を力の出入り口にするのではなく、刀に宿らせる。
「やってみるか」
 北斗も習って刀を抜く。冷たい輝きを持った刃が、北斗の表情を写しこんだ。
「おっと!」
 炎のような光がせり上がり、刀を覆った。見慣れた剣のはずなのに、輝きと存在感がまったく違う。冷たい霊水で鍛え上げられた直刃を、下段の構えで持つ。
流石に同じ血筋だろう。大して説明しなくてもやってのける。
実際この戦い方も、啓斗が戦闘中偶然思いついたものなのだ。資質は既に備わっている。
「……ったく。なんで遊びに来て戦わなきゃいけないんだよ」
 北斗は言うが、幽霊が手取足取懇切丁寧理由を説明してくれるわけでもない。されても納得しそうにないほど、不機嫌そうだった。
 動物の姿を取った霊や、不定形の影。様々なものが啓斗に襲いかかる。守るように北斗は前に立った。それをなぎ払うように纏めて切り捨てる。ざっと二、三体の気配が消え失せた。
背を向けて戦う弟。
すっと北斗は身を沈める。気配を消し、その場から離れた。
戦いながら感じていた視線がある。小物を相手取っている間、じっと観察するように見据えているモノがいる。
それが親玉だろうか。
先刻から襲ってくる霊は有象無象、ある意味弱々しくただその場に留まっているような霊なのだ。それが襲ってくるとは考えられない。指揮を執っているモノがいる。
有象無象は弟に任せて、肝心のそれを退治しに行こう。
「……出てこいよ」
 呟くと、海がうねった。意識せずとも唇が笑いの形になる。
「来いよ。欲しかったら奪ってみせろ!」


×


「ぷはっ!」
 水面に顔を出し、啓斗は呼吸を整えた。立ち泳ぎを繰り返し、海の波をしのぐ。
喧嘩を売った瞬間、高波が押し寄せてきたのだ。そのままに引き込まれた。どうやら敵は水やそれに準ずるものを操る能力があるらしい。
だとしたら、海の中では分が悪い。夜の海は墨を広げたように暗く、底も見えない。浴衣が水を吸い込んで重りになるし、岸の方向を見失う可能性もある。
短期決戦、か。
ざ、と波がうねる。波が崩れ渦となり、啓斗を飲み込んだ。ぐっと圧力で肺から空気が絞り出される。逃さないように息を止めるものの、流れが激しく海水なので目を開けることができない。
目が開けられないのは致命的だ。
力の出入り口は目。
しかも握っていた刀の柄も、濡れて滑る。流れのあおりを受けて、ぐいぐいと違う方向へ飛んでしまいそうだ。
(どこだ……どこにいる……)
 目が開けられない代わりに、身体の全神経を集中させる。肌の感覚に全てを任せ、海中に潜む本体を探す。
(息が、もたない)
 こぽっと口元から小さな泡が溢れる。
あらがっていた力が抜け、啓斗はふわりと流れに乗った。瞳を閉じ、渦に飲まれて海の底へと沈んでいく。
ふと。
渦の巻く方向が変化し、啓斗の身体が水面へ浮かび上がった。そのまま水柱が立ち登り、啓斗の身体を星空に舞い上げる。持ち上げられた啓斗に、細い髪のような触手が伸びてきた。
海面から現れた触手は品定めのように啓斗の全身に触れる。髪や手、首筋。触手は宿る場を手に入れ、歓喜に戦慄いていた。
 自分の場所だ。見た目も悪くない。
触手は啓斗の
「見つけた」
 閉じられていた左目が開かれる。深紅の輝きを放ち、その輝きが触手を包む。
逃げようと触手は海面へ下がるが、遅い。触手は光にすっぽりと包まれ、分解され、啓斗の左の瞳に消えていった。
「幽霊が死んだふりに騙されるなって」
 言った瞬間、支えていた水柱が崩れ落ち、海に消えた。水面に頭から落下した。
「びしょびしょだ……」
 岸に向かって泳ぎながら、啓斗は愚痴を零した。髪の先からは海水が零れている。やっと岸に登ると、どっしりとした疲れが重くのしかかっていた。


×


「兄貴!」
「……」
 疲れていて返事をする元気もない。犬のように北斗が走ってきて、啓斗の目の前で足を止める。
触手が内部から眼球を引っ掻いているように、ひどく傷む。ぶっ通しで使っていて、最後に強い霊を飲み込んだのだ。もう一杯一杯である。
 何も言わず、北斗が左目に触れる。
視界が狭くなるがそれが心地よい。柔らかい眠りに誘われるようだ。
痛みが消える。北斗の掌から与えられる感覚が、溶かしていってくれる。
「……今度は、間違うなよ……」
 誰かにか、そっと北斗は呟いた。
その涙が出そうなほど優しい呟きだった。
このままずっとこの声を聞いて、眠っていられたら最高だ。
「あ」
 ぱっと手が離れる。
寂しさが残ったが言えるわけがない。
「兄貴、ほら」
 北斗が海の向こう側を差す。
水平線が、皮が向けたようにぴりっと輝く。輝きは一直線に海を伝い、やがて赤い太陽が姿を現した。
「あー世が開けちまったよ」
 うん、と北斗は朝日に向かって背伸びをした。
「夜明けの太陽ってどうして眩しくないんだろうな」
「さぁ? 宿戻って寝直そうぜ」
「え!!」
 太陽を眺めていた北斗が、こちらを睨む。
「今日は山行くんだろ! 昨日行ったじゃん」
「疲れてる」
「行こうぜー島に居られる時間って少ないんだし」
「……一人で行ってくれ」
 どうしてこんなに体力があるのだろう。
霊の行動よりも、弟が不思議だった。