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<PCシナリオノベル(シングル)>


悪夢のゆうべ

「ああ!!」
 孤島での夏休み。昼間は大騒ぎをし、午後はまったりし、夜は海の幸に舌鼓を打ち。
 そろそろ寝るかか……という時間。
 布団を敷いていた守崎北斗が叫んだ。どうやらこの旅館、人手が少ないらしく、そういった用意は客自らが行う。旅館というより民宿の程度の規模なのだ、仕方ない。
「うるさいな。どうした?」
 隣で浴衣の帯を結んでいた、兄の啓斗が嫌な顔をする。こちらは布団の用意も終わり就寝体制である。
「お笑い爆走ファイトのビデオ忘れた!」
 お笑い爆走ファイト。最近の北斗のお気に入り番組である。毎週かかさず見ているのだ。中ノ鳥島は孤島なので、民放地上波もろくに放送していない。
 携帯電話を握り、部屋を出ようとする北斗。その背中に問う兄。
「先に寝てるぞ」
「電話したらすぐ戻るって」
「眠いから。疲れてる」
 バカンスだ、それなりに二人ははしゃいだ。都会ではお目にかかれない広い青空や、透明度の高い海。面白そうな洞窟もあった。
「起こすなよ」
「わかってるって」
 部屋を出て、廊下で折りたたみ式の携帯電話を開く。
 宿の廊下は照明が少なく薄暗い。部屋に続くドアを閉じると、ほとんど真っ暗だった。左右隣の部屋は泊まり客がいないらしく、静まりかえっている。数メートル先にぼやっと消火栓のランプだけが灯っている。
「あ、もしもし……?」
 北斗は携帯電話に耳を付ける。
「あ?」
 電話の向こうでは電子音が流れている。笑い声もした。どうやらゲームセンターで遊んでいるらしい。
 島はどこかしこも闇色で、ネオンさえないというのに。
 電波で繋がっているこの距離が素晴らしく遠く感じる。
「俺、俺。お前爆走ビデオ撮ってたよな? 今度貸してよ」
 電話先のクラスメイトは快く了承する。簡単な挨拶をして、電話を切った。
 さて、部屋に戻るか、と踵を返す。出来るだけ静かにドアは開けなければならない。
 啓斗は神経質だ。眠りも浅いし、寝付きも悪い。うとうとしている状態で起こしてしまったら血を見るだろう。逆に自分は、「昨日の夜地震あったよな」という話題に付いていけないほど熟睡する。
 そろそろと扉を開けようとした時。
 手を止めた。
 先刻と空気の色が変わっている。手触りもだ。古い血の臭いがする。
 この空気には覚えがあった。
 島に足を踏み入れた瞬間に感じたものだ。身体にまとわりつく粘質の視線。
 何かをめ爪を研ぎ、唇を舐めている存在。
 北斗は瞳を閉じ、右目を押さえる。右目に秘められている力を解放すると、視界が広がったように世界が変わる。
 体の回りに、空気の渦が集まっていた。渦は室内へ入ろうと、ゆっくり進んでいる。
「ビンゴ」
 どうやら一般的に幽霊と呼ばれる存在が集まっているようだ。
 兄の中にある場を狙っているのだろう。
 場。
 魂の安らぎを失った存在が、平穏を求めて探す場所。
 それが兄の体内にある。だから、兄は霊的なモノに求めらやすい。
 たまに考える。場に幽霊が溜まったら何か悪いことでも起きるのだろうか。
 取り憑かれた人間が体調を崩すとか、精神の異常をきたすとか。そういうのがあるのだろうか。
「……守ってやるか。あれでも兄貴だしな」
 刹那、北斗の右目が深紅に閃く。
 ぱしん。
 足元の空気が弾ける。渦が一つ減る。
 右目から脳にかけての深い部分が痛む。鈍い痛みだ。
 ぱしん。ぱしん。
 連続して爆ぜる。
「痛てて……」
 目を押さえ、俯く。連続しての使用に慣れていないのだ。そもそも一対一に特化した能力なのである。
 空気の歪みは確実に減っているが、ひたひたと進んでくる気配が減らない。どうやらまだまだいるらしい。何体倒したかわからない。
「手伝ってもらった方がいいな」
 ドアを盛大に開け布団で丸くなっている兄を蹴った。
「起きろ!」
「……ん……」
「兄貴!」
 啓斗は寝返りをうち、布団をかぶる。
 思わず腹を踏んでしまった。人が一生懸命働いているのに、すやすやと寝くさって。
「なんだよ!」
「あ。ごめん」
 流石に飛び起きた。毛布を投げつけられる。
「それよりさ、ほら。わかるだろ」
 北斗は廊下を指さす。兄も廊下から訪れる霊派を感じ取ったらしい。とたんに引き締まった表情になる。
が、寝癖は直らない。
「ここでは戦えない。狭すぎる」
「それに数も多しな」
「……持ってるか?」
「何が?」
「俺たちの目で大量に祓うことはできないだろ」
 はだけた浴衣を直しながら啓斗は持ってきた荷物を探す。二振りの忍者刀を取り、片方は北斗に投げる。
 いつも使っている刀だ。どんな所に赴いても持ち歩いている。
「狭いからな。外へでよう」
 起き抜けのくせに兄はてきぱきと指示をだす。
「え? ああ。うん。他には道具いるか?」
 とりあえず旅行バッグの中にはかぎ爪や手裏剣など一通り揃えている。
「幽霊相手に通じると思うのか?」
「だって刀……」
「いいから」
 刀は良くて、他の道具は必要ないらしい。兄が言うのだから間違いはないだろうが、腑に落ちない。
「行くぞ」
「行くぞって……」
「いいから!」
 いいらしい。
言われたまま刀を持ち、縁側から出た。縁側は宿の中庭に続いている。飛び石の上を走り、啓斗は闇をすり抜ける。慌てて追った。中庭にある裏口を抜け、往来へ出る。
嗅ぎ慣れない潮の香りがする。風が凪ぐたびに香りがする。兄の背中の向こうから潮の匂いと並の音が流れてきていた。


×


 海だ。
 夜の海は黒く沈んでいる。ネコの爪のような鋭い月だけが上がり、無機質な波音だけが規則的に続く。
 背中にはじりじりと忍び寄る霊ども。兄は振り返ることもなく走っている。
 防波堤を乗り越え、砂浜に降り立つ。ざっと煙のように砂が舞い上がった。
 する、と啓斗が忍者刀を抜き放つ。月光を受け刀身が冷たく光る。
 啓斗の左目が深紅に閃く。淡い輝きは薄い膜のように刀を覆った。
「文字通り付け焼き刃だが……」
 構えた瞬間、北斗の上を飛び越えて霊が一匹飛んだ。滑るように啓斗が迎え撃ち、一振りで切り捨てる。
 刀など物質的な攻撃が聞かないはずの霊。けれど、二つに裂かれた魂は燃え上がり、闇に消えた。
「なんで……」
「俺たちの瞳は霊を祓ったり閉じこめたりできる。つまり、この力の方向を変えてやればいい。攻撃力は下がるものの、弱い霊なら切り伏せることができる」
「ようは使い方次第ってコトか」
「ああ。目より疲れない」
 瞳を力の出入り口にするのではなく、刀に宿らせること。
「やってみるか」
 北斗も習って刀を抜く。冷たい輝きを持った刃が、自分の表情を写しこんだ。
 右目が燃えるように熱く疼く。言葉では説明出来ないが、実践した兄を想像する。力と視線を刃の柄から先まで宿らせる。
 散漫にするのではなく、全体を見る。集中するのではなく、全てを感じる。
「おっと!」
 炎のような光がせり上がり、刀を覆った。見慣れた剣のはずなのに、輝きと存在感がまったく違う。冷たい霊水で鍛え上げられた直刃を、下段の構えで持つ。
「……ったく。なんで遊びに来て戦わなきゃいけないんだよ」
 一人呟いても返事はない。幽霊が手取足取懇切丁寧理由を説明してくれるわけでもない。されても納得出来ない。
 動物の姿を取った霊や、不定形の影。様々なものが啓斗に襲いかかる。それをなぎ払うように纏めて切り捨てる。空気を切っているような心許ない感触だが、確かに倒したと瞳が教えてくれる。
一つ、また一つと確実に敵意は減っている。
「そろそろ打ち止めか!?」
 構え、夜闇に叫ぶ。
最後の殺気の根本を叩き割り、一息入れる。無機質だと感じた波の音がやわらかく感じられた。ほっとする。全身にぬるい疲れが溜まっていた。
「終わりだろ、戻ろうぜ……兄貴?」
 いない。
回りを見ても人影がない。戦っている音さえしない。ただざらざらという深い波音だけしかしない。
「兄貴!」
 まさか乗っ取られたとかそういうのだけじゃないだろうな。
足元から思い不安が上ってくる。
「俺に刀の使い方教えてくれたわけだし……自分に寄ってくる奴らは一人でどうにかするつもりなのか?」
 己の身は己で守る。つまり、他人に頼りたくない。迷惑をかけたくない。
生を受けた瞬間から側にいるのだ。兄のつまらない意地などお見通しである。
「ったくどこ行きやがった馬鹿兄貴!」


×


「兄貴!」
「……」
 あちらこちらを探していたら、海から啓斗が泳いできた。びしゃびしゃに濡れていて、浴衣ははだけているわ、裾から海水は落ちているわですごい状態だ。
しかも不機嫌そうにしている。
左目だけが不規則に光っていた。
それだけで疲労の理由が判った。
 何も言わず、啓斗の左目に触れる。
指先から熱い熱のようなものが自分の右目に伝わってくる。
 誰かの泣き声がした。
兄の瞳に封じられていた命だ。既に消えてしまった命だ。
命はゆっくりと北斗に語りかけてくる。ただ聞いてほしいのだ。兄の体内に場を求めていたように。誰かに受け止めてほしいだけだのだ。
 既に消えてしまった命は、北斗に自分が死んだ理由などを告げた。
生きているときに何をしたかったのか。何が出来なかったのか。
ある未練があって、どうしてもこの世を離れることができなかった。その未練のせいであの世への道を見失ってしまったこと。
それらをゆっくりゆっくりと魂は語った。
「……今度は、間違うなよ……」
 そっと北斗は呟いた。
道になんか迷うなよ。
右目から何かが舞い上がって行くのがわかった。
魂が昇華されていく。
「あ」
 ぱっと手を離す。
「兄貴、ほら」
 北斗は海の向こう側を差す。
水平線が、皮が向けたようにぴりっと輝く。輝きは一直線に海を伝い、やがて赤い太陽が姿を現した。
「あー世が開けちまったよ」
 うん、と北斗は朝日に向かって背伸びをした。
「夜明けの太陽ってどうして眩しくないんだろうな」
「さぁ? 宿戻って寝直そうぜ」
「え!!」
 眠そうにしていた啓斗を睨む。
「今日は山行くんだろ! 昨日行ったじゃん」
「疲れてる」
「行こうぜー島に居られる時間って少ないんだし」
「……一人で行ってくれ」
 二人で行った方が面白いのに。
 今夜の戦闘の元凶が何を言う。誰のせいで寝不足になったのだ。
 これは無理矢理にでも連れて行く他ないだろう。