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<PCシナリオノベル(シングル)>


王子様へ

 まろやかに続く砂浜。
 東へ進むと岩場がある、その場所に夜も昼も選ばず現れるものがあると言う。
 上半身は美しい女。
 下半身は魚の美しい鱗とヒレで飾られた、人ならず魚ならず、その名を人魚と呼ばれし者。
 彼女は今日も何かを探す。
 自分が探している者を。
 この場所でしか聞けないような美しい旋律を刻みながら。

 夜。
 九尾 桐伯はあまりに静かなこの場所で眠るのも勿体無いように
ゆっくりと、この砂浜を歩いていた。
 同じ日本の筈なのに、空に見えるのは満天の星とあまりの細さに
パキン、と悲鳴をあげそうな月。
 そして‥‥‥‥夜空にうねりをあげるかのような、海。

(ん‥‥‥‥?)

 微かな音に気付いて桐伯は、歩みを止めた。
 いや、音ではない。
 かと言って旋律とも違う。
 高くもなく低くもない微妙な「声」

 その「声」につられるように桐伯は白浜から東の方向へと歩き出した。
 先ほどまでの、ゆっくりした歩みとはまた違うしっかりした足取りで。
 そして。
 その場所に居たのは。

「あ‥‥‥‥」
「こんばんは、いい夜ですね?」

 にっこりと微笑み、桐伯はその声を出していた人物の横へと腰をおろした。
 桐伯の穏やかな笑みの所為だろうか、はにかむような微笑を傍らの女性も浮かべている。
ただ、その姿は人ではない者ではあったけれど。
月光に輝く金の髪と、腰から下はきらきらと水を含んで輝く鱗とヒレがあり
見惚れんばかりの肢体を惜しげもなく夜風にさらしている。
そう、まるで小さい頃、眠る前に聞いた御伽噺の人魚姫そのままの姿なのだ。

「ええ、いい夜ですね? 貴方は‥‥‥‥つい最近此処へこられた方?」
「そうですね‥‥正確には今日‥‥いや、もう昨日ですか‥‥来たばかりなのですけれど」
「そうですか‥‥困ったわ‥‥‥‥」
「? 何かお困りの事でも?」
「いえ、そんな見ず知らずの方に言えばご迷惑になりますし‥‥‥‥」
「そんな事はありませんよ。困った時はお互い様ですし、こうして出会えたのも
何かの縁です、私で良ければお力になりましょう」
「そ、そうですか? では笑わずに聞いていただけます?」

人魚の戸惑うような視線に桐伯は一瞬何か妙な物を覚えたが、それについては
深く考えずににっこり頷いた。
目の前の人魚は歩く足がないのだから、と。
が、これが後に桐伯本人に奇妙な美しい思い出を残すことになろうとは思いもよらなかったし
また、思いもしなかったのである。

にこりと頷いた桐伯を見て人魚も安心したかのように笑みを深くし微笑を返した。
息をついた。
目の前の男性自身に気取られてはいけないと思いながら。

「あの‥‥私、王子様を探しているんです‥‥‥‥」
「王子様、ですか?」
「ええ、私だけを愛してくれる誠実な王子様‥‥叶うのなら一目でいいから逢いたいんです。
そして、私に微笑んでくれる‥‥それが私の夢」
「成る程、素敵な夢ですね。では調べてまいりましょう…その方の名前と特徴をお聞かせ下さい」
「‥‥名前は、解らないんです」
「解らない? 何故ですか?」
「だって、それをこれから調べていただくのですもの‥‥」
「ああ、そうでしたね‥‥では特徴を‥‥出来るだけ詳しい方がいいのですが‥‥」
「はい、髪は黒くて長いです…瞳は…赤、かしら?色白の方で
微笑みがとても素敵な方です」
「‥‥解りました、では調べてまいりましょう‥‥あ、そう言えば名乗るのを忘れてましたね。
私の名は九尾 桐伯。貴方の名は?」
「九尾 桐伯さんですね?私の名は‥‥特にありません、好きなようにおよび下さい」
「好きなように、とは?」

桐伯は自然と眉を顰めた。
好きなように呼べといわれても、どう呼んで良いか解らない。
そんな桐伯の感情に気付いたように人魚は慌てて首を振った。
その様な意味ではなかったのだと言うかのように。

「ゴメンなさい‥‥言葉が悪かったですね。私達には名前、というものが無いのです。
ですからお好きなようにと」
「ああ‥‥そういう事でしたか。すいません、こちらこそ早とちりをしてしまって‥‥。
では"アリア"と呼ばせていただきましょう‥‥オペラの歌の一つです」
「歌、ですか?いい響きですね」
「そうですね…では、調べてみますので暫くお待ちください…また明日、来れたら
来るようにしますので」
「はい、お待ちしています‥‥‥」

人魚の瞳がゆらゆらと波の様に揺れ、桐伯はその瞳の揺らぎに昔聞いた人魚姫の
ラストを思い出していた。
恋が叶わず海の泡になる悲運の姫。
出来るだけ、そのような事は起きて欲しくないが‥‥‥‥。

無言のまま、桐伯は立ち上がり人魚の髪を撫でて歩き出した。

じっと、自分の背中を見つめる人魚の視線を肌に感じながらも。


場所は変わって、中の鳥島にある旅館の一室。

桐伯は一緒に来ていた草間武彦に人を探して欲しいと頼んでいた。
が、肝心の草間はと言うと‥‥‥‥
「‥‥黒髪、赤瞳の青年を探せだぁ? で長髪で微笑みが素敵? ‥‥寝ぼけてんのか?」
と言うばかりで取り合おうという気がまるで無い状態と言うか、何と言うか‥‥‥‥
桐伯としても、もう少し真剣にやって欲しいと思うところであるが、何故こうも
取り合ってくれないのか、それが解らず妙にタチが悪い。
「いえ本気なんですけれど」
「なら、もっとタチが悪い。自分の顔、鏡で見たことあるだろ?」
「はい。それは勿論。毎日見てますが?」
「なら、解るだろ? そりゃ、ほぼお前じゃないか。何か妙な物に化かされてるとしか俺には思えんね」
「つまり‥‥‥‥言い寄られていた、と?」
「そう言う事。誰から言い寄られたか知らんがな?」

にやり。
そんな音が聞こえてきそうな笑いを草間は桐伯に向けたかと思うと煙草を取り出し火を点けた。
紫煙がまるで波のように先ほどの人魚の瞳のようにゆらり‥‥と揺れ、流れた。

(‥‥どうしたものでしょうか)

その流れる紫煙を見、岩場にまだ居るであろう人魚を思った。
言い寄られていた、と気付かずにいたのは自分のミスだ。
逃げることは容易だし、本当に嫌なら帰る予定の日まであの岩場に行かなければ良いだけの話。
だが、本当にそれで良いのだろうか?

良いわけが無い。
言い寄られても、きちんと自分の気持ちを伝えねば頼ってくれた彼女に対する答えが無い。

無い無い尽くしは駄目だ。
これは、そう‥‥請け負った「仕事」の様な物なのだから。
先ほどとはうって変わり、重い気分を抱えながら桐伯は眠りへとつくべく割り当てられた
部屋へと向かった。



その頃、岩場では先ほど桐伯から「アリア」と名をつけられた人魚が
再び高くも無い低くも無い絶妙の声で音を奏でていた。
旋律、とはまた違う音の重ね合いが微妙な歌を作り出し夜風がそれを空へと運ぶ。
彼女の目に浮かぶのは先ほど逢った人の事ばかり。
優しげな顔をしていた「彼」
「彼」は、明日来るだろうか?
来ないのなら、いつもの通り。
人は結局嘘の言葉しか吐かないモノだと諦めもつく。
来るのなら…信じられそうな気がする。

何を?

‥‥純然に誰かを慕い、願う心を。

波は、ただ静かに音を繰り返している。
夜がやがて明け朝のまばゆい光が降り注いでも、淡々と、ただ。


(‥‥ふう)

明るい陽射しが白浜に降り注ぐ。
波は陽射しを受け眩しいばかりにきらめいていた。
この時間、居るか居ないか解らない彼女に逢うべく桐伯は岩場へと向かい‥‥、
そこで、見たものは何よりも嬉しそうに微笑う、彼女の姿で。
きっと人ならば走って抱きついてきただろうと思えるほど。

「あの‥‥‥‥先日のお話の件なのですが」
「はい、解りましたか?」
「ええ、解りました‥‥私のことだったのですね、言い寄られていると気付かずに
とんだ粗相をしました」
「いいえ‥‥私も解らないようにと考えながら言ってましたから」
「そうですか‥‥で、申し訳ないのですけれど‥‥その‥‥」

口ごもる。
どう言っても、意に添えない言葉であるだけに。
普段の桐伯ならば、かなりの話術を駆使して切り抜けることが可能だったろう。
だが、相手は人に近い物でありながら人ではないもので。
好きになりたい人を探しているだろうになり得ない自分が嫌に胸を打つ。


「やはり、無理、なんですよね‥‥‥‥」
「と、言いますか‥‥私自身、まだ解らない事の方が多いのですよ。
なのに、アリアの好意に応えたら私自身が後に悩むでしょうし‥‥貴方も戸惑うでしょう」
「そのようなもの、なのですか? 私一人の思いだけでは無理でしょうか?」
「一人では、それはまだ思いではありませんよ? こう言う事は双方の間に
思いがあって初めて成り立つ物なのですから」
「‥‥‥‥‥‥」
「いつか、アリアが人魚であってもそれで良いと言う方がいて、貴方もその方以外に
考えられなくなる時が必ず来ます‥‥それまで、その気持ちはそっとしまっておきなさい」
「はい‥‥‥‥」

陽の光の元で見ると美しい青い瞳から、大粒の涙がこぼれた。
知らず知らずの内に育てていた、この岩場に来る人間たちへの情。
それだけが大きくなっていたのだと漸く気付くことができたかのように涙は
頬を伝い岩場へと、砕けた。

「‥‥何だかワインか何か飲みたい気分ですね」
「え‥‥‥‥?」
「泣かせてしまったお詫びやその他諸々含めまして、ね」
「まあ‥‥もし、ここで飲むとして名目はどうなさるんです?」

涙を細い指で拭うと人魚は微笑む。
最初に出会ったときと同じ、はにかんだような笑顔で。

桐伯はそれに対し、やはり同じような晴れやかな笑みを返すと呟く。

「勿論、貴方のこれからの王子様探しが幸福でありますようにと‥‥貴方の門出を祝して」
乾杯、と。
祝福だけを願いながら。



-End-