|
真夏の夜のパイナップル
●読者からの投稿
月刊アトラス編集部――ここの編集部は皆精力的に動き様々な記事を掲載しているが、それを支えているのは編集部に出入りする外部の人員および読者からの投稿であった。
編集部員が全員動いても、得られるネタはたかがしれている。けれど投稿はそうではない。日本全国津々浦々、多種多様なネタを提供してくれる。面白そうなネタであれば、いくら遠くともそこへ出向く価値はある。近場のネタであれば、予算がない時に向かう価値がある。どちらでもなければそのまま読み流すか、万一ネタがなくなった時の抑えに回しておく。そういう使い方が出来るので、読者からの投稿というのは重宝されていた。
そして読者からの投稿は編集部員が目を通すだけでなく、アトラスの場合は編集長である碇麗香も直々に目を通していた。
その日の麗香もそうだった。読者からの投稿を次々に読んでいた。しかしこれといったネタがないのか、その表情は険しい。
と、そんな時だ。読者からの投稿に目を通す麗香のスピードががくんと落ちたのは。麗香は手にした手紙に視線を注いでいた。やがて微笑みのような表情を浮かべ、編集部中に聞こえるような声でこう言い放った。
「ねぇ、この内容、ちょっと誰か調べてきてくれないかしら? 嘘か本当か分からないけど」
「どんな内容ですか?」
その麗香の言葉に最初に反応したのは、肩で揃えた色素の薄い茶色の髪を持つクールな印象のある女性、派遣社員の霧島シエルだった。シエルはちょうど今、アトラス編集部へと派遣されていたのだ。
「まあいいから、それ読んでみて」
つかつかとやってきたシエルに、麗香が手紙を手渡した。さっそく目を通すシエル。そこには次のような内容が記されていた。
『私の家の近くの公園には最近怖い噂があります。夜中にひとりでゴスロリっていうブランドの服を着て歩いていると、後ろからパイナップルで殴られるんだそうです。被害者も数人いるって話です』
「……これを調べろと」
眉を寄せるシエル。じろりと麗香を見つめると、麗香は面白そうに微笑みながら答えた。
「ええ。当然囮捜査でね。内容次第でバイト代は弾むから」
『バイト代を弾む』――その言葉に、シエルの心は少しぐらっときた。派遣の給料はもちろん出るが、その上さらにバイト代が手に入るチャンスなのだ。ここは引き受けておいて損はないはず。
(確か浅草橋のあそこのブティック、来週からセールのはずよね……)
シエルの脳裏に、狙っていた秋物のスーツがぽんっと浮かぶ。もう結論は出たようなものだった。
「分かりました、調べさせていただきます」
きっぱりと言い放つシエル。麗香は満足げに頷いた。
●ゴスロリの定義
「あの……ゴスロリって言ったら、アレですよね?」
シエルが確認するかのように、麗香に尋ねた。
「そうね。私はあまりよく知らないけど、それだわ」
やや自信なさげに答える麗香。
「でもブランドじゃないけど……」
ぼそっとシエルがつぶやいた。
ゴスロリとはゴシックロリータの略で、どこぞのブランドではなく洋服のジャンルのことだ。乱暴な説明になってしまうが、中世ヨーロッパの貴族が着ていたような服のイメージを取り入れつつ変化したロリータということになるのだろうか。
ゴスロリの特徴としては、黒が基調になっており全体的に色はダークである。また形は凝っているが、過度な装飾は施されていない。他にはモチーフとして、薔薇や十字架等が使われている……といったとこか。まあ、色々と系統があるので、一概にそうとは言えない部分もあるのだが、それはさておき。
「それでは、さっそく今夜にでも調べてみようと思います」
シエルは手紙を折り畳み、麗香の机の上へと戻した。
「ええ、お願いするわ。怪我する可能性もあるから、十分気を付けてね」
「パイナップルで殴られたら痛いでしょうね」
シエルがぽつりとつぶやいた。輪切りになったパイナップルならともかく、丸ごとのままのパイナップルは重いし固いし、それにちくちくしている。殺傷能力は十分にあると言えるだろう。
(殴られるの、嫌だもの)
などとシエルが思っていると、不意に麗香が提案を出した。
「そうね……なんなら、三下くんでもボディーガードにつける? 枯れ木も山の賑わいって言うでしょう?」
酷い言われようだが、三下は編集部を留守にしている間にシエルのボディーガードとなることが決定してしまった。
「あ、そうだ」
一通り話を終えて、自分の席へ戻ろうとしたシエルが思い出したように麗香の方に振り返った。
「服は自前ですか?」
「……きちんと記事が書けたなら、領収書を経理に通すわよ」
シエルの少しピントのずれた――しかし本人にとっては切実な――質問に、麗香は苦笑して答えた。
●準備万端
真夜中――少し広めの緑豊かな公園に、三下を引き連れたシエルの姿があった。
さて、今のシエルの姿はというと、レースをふんだんに使ったドレスっぽい黒のワンピースを身にまとい、頭にはやはり黒のヘッドドレスをつけている。ややボリュームのあるスカートの丈も短かめで、ハイソックスも黒。靴も黒で、あまつさえ手にはテディベアがちょこんと顔を出した紙袋まで持っている。どこからどう見ても、ゴスロリ姿であった。
「はあ……それがゴスロリって言うんですか」
三下がシエルの姿を、珍しそうにじろじろと眺めた。
「そうですよ。よかったら、今度着てみますか?」
くすっと笑みを浮かべ、シエルが三下に言った。激しく頭を振る三下。まあ、当然の反応である。
実は三下が編集部に居ない間に、三下にもゴスロリを着せようかという話が持ち上がっていたのだが、よくよく考えれば似合わないだろうということに麗香と2人して気付き、この計画はお蔵入りとなっていたりする。何にせよ、三下には知るよしもない話である。
「そういえば、この近くにはホールがあるんですね」
くるっと振り返るシエル。ここからでは見えないが、向こうの方には立派なホールがあった。
「あ、はい。何でも、よくライブとかイベントが行われてるそうですよ。この間も、何とかという有名なバンドのライブがあったみたいで。帰り、結構ここ通る人が多いらしいですけど……」
三下が手帳を取り出して答える。三下にしては、よく調べた方だと言えるだろう。
「なるほど。狙われたとするなら、その辺りかしら」
頬に手をあて、思案するシエル。バンドの種類にもよるが、最近はライブに行く少女たちがゴスロリを着ているという話をシエルは耳にしていた。先程の三下の話と合わせれば、この公園をゴスロリを着た少女が通るのも納得がゆく話である。
「……それじゃあ、そろそろ調べてみましょうか。ひとまず、公園の外周をぐるっと回ってみましょう」
シエルが三下を促して歩き出した。
「あの……犯人を捕まえたら、どうするんですか?」
おどおどとした様子で、三下が尋ねた。
「そうですね……ゴスロリに恨みを持つなら、少しでも好きになれるように……くすくすくす」
笑みを浮かべるシエル。その笑みは、三下が後日語った所によると、悪魔のような笑みだったという話である。
●強襲
シエルたちが公園の外周を歩き出して10分少々経過した時、突然近くの茂みがガサッと揺れた。足を止め、振り返る2人。
「誰!」
シエルが叫んだ後、その場はしんと静まり返った。茂みはそれ以上動く気配を見せなかった。
「猫かしら……」
ほっと小さく息を吐くシエル。その刹那、背後から大きな声が近付いてきた。年配の男の声だ。
「そんなひらひらの烏みたいな服を着て! この放蕩娘がーーっっっ!!」
シエルがはっとして背後を振り返った。至近距離にはパイナップルを手にし、鬼のような形相で走ってくる中年男性の姿があった。
「う、うわぁぁぁっ!!」
パニックになる三下。慌てて逃げようとするが、何故か何もない所でつまずいてしまい、シエルと中年男性の間へと入る形で前のめりの体勢となってしまう。ということは、つまり――。
げし。
三下は運悪く――シエルにとっては幸運にも――側頭部にパイナップルの直撃を受けることになってしまったのだった。
その隙を逃さず、シエルが叫んだ。
「気を付け!」
シエルの口からは言葉は発せられなかった。いや、発せられなかったように見えただけで、実際はきちんと発せられているのである。人には聞こえない、超高音域の声で。
すると急に中年男性が気を付けの体勢を取った。ついでに三下も。
「休め! 気を付け! その場に正座!!」
立て続けに命令するシエル。中年男性と三下は、面白いように命令通りに動いた。それというのも、他人の意識に自分の言葉を刷り込み他人の行動に干渉することが出来るという、シエルの能力によるものであった。もちろん、目の前の2人はそんなこと知るはずがない。
「さて……どうしてこんなことをしたのか、ゆっくりと理由を聞かせてもらいましょうか」
シエルはにっこりと中年男性に微笑んだ。
●始末
シエルの能力もあって、中年男性はいとも簡単に理由を話した。中年男性は果物屋の親父で、通称助さんと呼ばれる男であった。
「その人って、最近交通事故で亡くなったそうですよ。1人娘を探しに出かけた夜に」
三下がシエルに小声で話した。ということは、目の前に居るこの助さんは幽霊なのか。
(さっきの言葉から推測すると、きっと娘さんもゴスロリを着ていたのね。それが心残りになって……ということかしら)
シエルは無言で助さんを見つめていた。どうすれば最良なのか、思案しているのだろう。
「そんなにゴスロリには恨みがあるの?」
「ああ、嫌いだね! 鳥みたいな服着て、夜な夜な娘が夜遊びに出やがるんだ。当然ってもんだろ!!」
シエルの問いかけに、助さんはきっぱりと答えた。
「なるほど……だったら、少しでも好きになってもらった方がいいのかしらね」
くすくすとシエルが笑った。その笑みに、思わず1歩下がる三下。
「……実はここに、ゴスロリの衣装がもう1着あります」
シエルは紙袋の中から、フリルのたくさんついた黒いワンピースを取り出した。
「さあ、着心地を試してもらいますわ……くすくすくす」
笑いながら言うシエルに対し、助さんは引きつった笑みを浮かべていた。
「う……嘘だろ?」
「いいえ、本当ですわ☆」
シエルが満面の笑みを浮かべた。ゴスロリの持つイメージによく似合う笑顔であった。
その後、助さんがどうなったのか――それは翌日からピタリと被害が報告されなかったことで推測してほしい。
ただ一部始終を見ていた三下が断片的に語る所によると、それはそれは物凄いものだったとのことである。合掌。
【了】
|
|
|