コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


記憶の蝶

執筆ライター  :織人文
調査組織名   :草間興信所
募集予定人数  :1人〜5人

------<オープニング>--------------------------------------

 「記憶を探してほしいのです」
小谷和也と名乗った男は言った。一見して、50代半ばぐらいだろうか。風采の上がらない男で、身なりにも構わないのか、白髪混じりの髪は、ぼさぼさだった。
 事務所のソファに、背を丸めるようにして座り、話す。
「ああ、記憶といっても、私のじゃありませんよ。私の、最愛の女性――妻の瑠璃子の記憶です。一番幸せだったころの、妻の記憶を結晶化させたもので、瑠璃色の蝶の姿をしています。まるで、夢のようにきれいなものですよ」
小谷は、その姿を脳裏に思い描くように、目を細める。
「それなのに、夢中になって眺めていて、うっかり逃がしてしまってね。……ああ、そうそう、もしも見つけたら、捕えてこれへ入れて下さい」
言って、彼は傍に置いてあった、小さな丸い虫かごを手に取り、草間の方へと掲げて見せた。銀細工の、繊細な作りのもので、その中に瑠璃色の蝶がいるところは、さぞや絵になるだろうと思わせる。
「これには、特殊な魔法が掛かっていましてね。記憶の蝶は、この虫かごでないと、捕えておくことができないのです」
 言うだけ言うと、小谷は「お願いします」と草間に頭を下げ、銀細工の虫かごを置いて、立ち去って行った。





 やわらかな風の吹き渡る森の中に、抜剣白鬼は立っていた。
 年は、30前後というところか。大柄で長身の、僧衣に身を包んだ男である。手には錫丈を持ち、周囲を見回している。
 森は、うっそうと木々が生い茂り、枝が重なりあって、頭上をおおい、暑い陽射しを遮っている。吹き渡る風は涼しく、あたりには、梢のざわめきが満ちている。
 記憶を結晶化させた蝶を捕まえてほしいという、奇妙な依頼を引き受けた白鬼は、今朝早く、依頼人である小谷和也を訪ねた。
 蝶を捕える対策を練るために、小谷に聞きたいことが幾つかあったのだ。
 だが、彼が聞かされたのは、今一つ要領を得ない話だった。
 まず、記憶の本来の持ち主である、小谷の妻、瑠璃子だが、彼女は5年前から行方不明になっているのだという。それも、当時隣家に住んでいた男と不倫の末、駆け落ちしたのだと。では、いつ、どうして彼女の記憶を蝶になどしたのかと問えば、小谷は口をつぐんだきり、話そうとしなかった。なおも問い詰めると、小谷はふいに顔色を変え、「あんたは、蝶を探してくれれば、それでいいんだ!」と怒鳴り出し、結局、こちらが問いを引っ込めるよりほかはなかった。
 それでも、収穫がなかったわけではない。この森のことを聞き出せた。
ここは、小谷夫妻にとっては、「思い出の場所」なのだという。蝶となった瑠璃子の記憶は、主に新婚時代のもので、ここは、そのころ二人でよく訪れた所らしい。当然、蝶の中には小谷のことも記憶として存在しているはずだ。白鬼は、その記憶を使って、この森に、蝶を誘い出すことにした。
 白鬼は、懐から一枚の写真を取り出した。写っているのは、今よりもずっと若く、明るく溌剌とした様子の小谷だった。新婚当時のものだ。返せないかもしれないという白鬼に、蝶を探すためならばと、小谷が提供したのだ。裏には、文字とも文様ともつかない奇怪なものが、筆で描かれている。本来は、呪符とする紙に描かれるべきものだ。
 彼は、口の中で低く何事かを呟いて、空中へそれを投げ上げた。途端、写真は蝶へと変化(へんげ)する。アゲハほどの大きさの、ルビーのように赤い蝶だ。蝶は、白鬼の傍を離れて、あたりをひらひらと飛び回り始めた。
 しばらくそれを眺めていた白鬼は、ふと風が途絶え、同時に何かの気配がするのを感じた。まるで、赤い蝶に呼ばれたかのように、気がつくと、同じような大きさの瑠璃色の蝶が姿を現し、赤い蝶に戯れるようにして、ひらひらと舞っている。
「小谷瑠璃子さん、だね?」
白鬼は、まるで人間にするように、声をかけた。瑠璃色の蝶は、それへふり返るかのように、一瞬空中で停止し、すぐに羽根を動かして、彼を誘うかのように少し離れた場所にある、一本の木の根方に舞い降りた。赤い蝶が、慌てて追いすがる。
 それを目で追いながら、白鬼はゆっくりと歩き出した。錫丈が、軽く涼やかな音を立てる。蝶が舞い降りた木の根方に立ち止まり、彼は、小さく吐息をついた。
 森に入った時から、この木の根方が気になっていた。おそらく、そこには誰かの死体が埋まっているのだろう。もしかしたら、とは思っていたが。
(やはり、小谷瑠璃子は死んでいたのか……)
胸に呟く。それも、こんな所に埋められているのでは、普通の死に方ではないだろう。
 目を上げた彼の前に、ぼんやりと影のような瑠璃子の姿があった。長い黒髪と、色白の純日本風美人だ。小谷に見せてもらった写真と同じ姿だった。ここに来た時には見えなかったものだが、蝶が姿を現したことで、彼女の意識が鮮明になったのかもしれない。
『あなたは、私を探しに来てくれたの?』
瑠璃子が、普通の人間にはわからない、霊能者にしか聞こえない声で問うた。
「ええ、旦那さんに頼まれて。まさか、墓を見つけることになるとは、思ってなかったけれどもね」
『ごめんなさい。嫌な思いをさせたかしら』
小さく笑って、瑠璃子は言う。
「いや……。職業柄、こういうことに出くわすのは、慣れているから……」
『そう。ならよかったわ』
微笑んで瑠璃子は、瑠璃色の蝶に戯れる赤い蝶を目で追った。
『あれは、あの人の記憶ね。どうして、あんなものが?』
「俺が、君の記憶が結晶化した蝶を誘い出すために、作ったものだよ。そう長くは持たないけれどね」
『面白いことができるのね』
瑠璃子は、また笑った。
 その彼女に、白鬼は真摯な表情で問うた。
「旦那さんの元に、戻るかい?」
『どうして、そんなことを訊くの? 私を、連れ戻しに来たんでしょう?』
「それはそうだけど、俺としては、嫌がるものを無理矢理連れ帰るのは、どうもね。……君が嫌なら、俺はこのまま、見つからなかったことにして、君を逃がしてもいいと思っているんだけど。もちろん、ちゃんと供養してあげることもできる。君が望むなら、旦那さんの記憶を、蝶にすることもできるよ。あの蝶のような、臨時のものじゃなく、もっと、ちゃんとした形でね」
軽く頭を掻いて、彼は答えた。そして、どうする? と問うように彼女を見やる。
 瑠璃子は、やわらかく微笑んだ。
『優しいのね。でも……いいの。戻ります、あの人の元へ。もともと、傍にいるのが嫌で逃げ出したわけではなかったの。ただ、ちょっと焦れて、疲れてしまっただけ……』
「疲れた?」
『ええ。あの蝶の底には、私の、もう一つ別の記憶が眠っているの。あの人が、けして信じてはくれなかった、私の本当の気持ちが……。私は、いつかあの人がそれに気づいてくれると思っていたわ。でも、毎日毎日、蝶を眺めていても、あの人が見ているのは、あの人が選んで、蝶に結晶化してもらった、新婚時代の私の記憶だけ。あの人が、私があの人を本当に愛していた期間だと信じている間の記憶だけなの。私は、ずっと変わらずにあの人を愛しているのにね。……それで、疲れてしまったのよ、私』
言って、彼女はクスリと笑った。
『でも本当は、誰かにこうして話を聞いてほしかっただけなのかもしれないわ。……あの人の記憶を蝶にするのは、魅力的な案ではあるわね。でも、それでどうなるとも思えない。だって、人間は、結局は自分の見たいものしか見ないわ。記憶を結晶化して、傍にいても、やっぱり、同じことだと思うの。それに、あの人が、記憶の蝶になったら、あの人、幸せになってしまうじゃない。世の中のしがらみから解放されて、本当に楽になってしまう。それは少しだけ許せないの。私を信じなかった罰に、あの人は、年老いて、寿命で死ぬまで、ずっと現実の世界で生きるの。生きなければいけないのよ』
 彼女の言葉に、白鬼は一つ小さく溜息をついた。
 おそらく、小谷は実際には起きていない妻の不倫を疑い、潔白を訴え続ける瑠璃子を信じられずに殺してしまったのだろう。その後、何者かに頼んで、新婚時代の瑠璃子の記憶だけを結晶化して蝶にした。腕のいい術師ならば、死体からでも、あるいは生前の姿をうつした写真やビデオからでも、記憶をすくい取り、結晶化することは可能だ。
「わかったよ……」
彼はうなずくと、地面に片膝をついて錫丈を置くと、腰に吊るしていた銀細工の虫かごをはずした。そして、扉を開ける。
 さっきからずっと、木の根方に静かに止まったままだった瑠璃色の蝶が、ふわりと舞い上がり、その中へと飛び込んだ。赤い蝶も、その後に続こうとしたが、白鬼が低く口の中で何事か呟くと、それは、元の写真に戻って、地面に落ちる。
 瑠璃色の蝶は、虫かごの中に飛び込むと、中央にある銀細工の止まり木に、優雅に羽根を休めた。
 それを見やって扉を閉め、落ちた写真を懐へ戻して、錫丈を手に、白鬼は立ち上がる。そして、改めて木の根方を見やった。そこには、瑠璃子の姿はもうない。ただ、風に乗って、小さく、『ありがとう』という囁きが、彼の耳に届いただけだ。
 木の根方には、瑠璃子の死体が埋まっている。だが、心の一部は、蝶に結晶化され、閉じ込められたままだ。そして、当人がその状況を拒んでいない。ならば、経など上げても意味のないことだった。彼女の魂は、小谷の元以外、どこにも行けないのだから。
 それでも白鬼は、目を閉じてしばし瞑目すると、静かにきびすを返した。

 翌日。
 白鬼からの連絡を受けて、小谷和也が草間興信所へやって来た。先日と同じく、なんとなくよれた感じのネズミ色のスーツを着て、髪もぼさぼさのままだ。
 事務所のテーブルを挟んで向かい合った白鬼が、蝶の入った虫かごをさし出すと、小谷はまるで、高価な宝石をでも扱うような手つきで、それを持ち上げ、しげしげと中を覗き込む。そして、深い安堵の吐息をついた。
「間違いありません。私の妻の記憶を結晶化した、蝶です。本当に、ありがとうございました」
深々と頭を下げ、大事そうにそれをかかえて、彼は帰って行く。
 その後ろ姿を見送って、白鬼は深い溜息をついた。
 小谷は、もしかしたら、妻が隣家の男と不倫の末に駆け落ちした、という自分が作り上げた妄想を、本気で信じているのかもしれなかった。そして、妻が自分を愛してくれていたと信じている時間だけを、ああして記憶の蝶に結晶させ、飽かず眺めてくらすことで、自分だけの時間の檻を作り上げて、そこで生きているのかもしれない。
(瑠璃子さんも、辛い道を選んだものだ……)
呟く胸に、昨日見た瑠璃子の微笑みが浮かぶ。
 小谷夫婦の関係が、健全なものだとは、彼にはとても思えない。なにより、愛する相手の言葉を信じられなくなってしまったら、おしまいだとも思う。僧侶としては、瑠璃子の霊をなだめて、成仏させてやり、小谷をも説得して警察へでも自首させるのが、あるべき姿なのかもしれないとも思う。
 だがおそらく、それでは小谷夫婦は救われない。彼らは、望んでその道を選んでいるのだから。
 白鬼は、小さく吐息をついて、せめて、小谷が瑠璃子の真実の思いに気づくようにと祈った――。

□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
□■■■■■■□■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【0065/抜剣白鬼/男/30/僧侶(退魔僧)】

□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
■         ライター通信          ■
□■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□
こんにちわ、織人文です。
依頼に参加いただきまして、ありがとうございます。
今回の作品は、私の初仕事でもあります。
一人一人、別々の作品に仕上げさせていただきました。
どのキャラクターも個性的で、とても素敵で、書きながら、私も楽しませていただきました。
皆さんにも、気に入っていただけて、楽しんでいただければうれしいのですが。
もしよろしければ、お暇な時にでも、感想などいただければ、幸いです。