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<PCシナリオノベル(シングル)>


●紙一重の囚われ人
 ジュースを買いに行った、その僅かな隙に一体何が起きたのだろう。
 笑い交わす少女達や、夏の太陽を満喫中のカップル、休憩時間に外へ出たらしいOL等、等、等。
 シュライン・エマの視線の先に、珍獣でも見るかの如く、くすくす笑いながら囁きかわす人の山。
 その人垣の向こうにあるベンチには、確か、他称「怪奇探偵」草間武彦が居たはずなのだが‥‥。不吉な予感が一筋の汗となって背を伝う。
「一体、何があったのかしら?」
 訝しみながら、シュラインは人を掻き分けた。
 目に飛び込んで来る「KEEP OUT」の文字と黄色と黒の非常線に、彼女は眉を寄せる。警察御用達のこのテープが張り巡らされているというのは、ただごとではない。
「‥‥まさか、武彦さんに何か‥‥?」
 悪い予感に眉を顰めたシュラインは、人の合間に見えた草間の姿にほっと息をついた。
 ベンチに座り込んだままの草間の姿は、彼女が離れた時と変わる事がない。最悪の事態には陥っていないようだ。
「無事のようね。‥‥よかった」
 では、一体何が?
 再度、訝しみつつ、シュラインは非常線を潜って草間へと一歩、足を踏み出した。
 見れば、草間は汗だくである。彼が非常に困っている様子は、その表情からも窺い知れる。この非常線に集まった野次馬の視線に‥‥だろうか?
「どうしたのよ。こんな‥‥」
 ふいに途切れるシュラインの言葉。
 表面に冷たい水滴を纏った缶が彼女の手から落ちてくぐもった音を立てる。
「た‥‥武彦さん?」
「‥‥見ての通りだ」
 だらだらと草間のこめかみを伝う汗。それが暑さの為ばかりではないと、シュラインは気付いた。
 両の足にはめられた、手錠の輪っかを彷彿とさせる金属製のリングから伸びたワイヤー‥‥これは、とシュラインの頬に苦笑が浮かぶ。
−‥‥怪しい人よね、確かに。
 真夏の太陽が燦々と照りつける臨海公園で、足を拘束されてベンチに座る男‥‥などは‥‥。
 落とした缶を拾い上げて、シュラインは草間へと歩み寄った。
「私が居ない間に何があったと言うのかしら? ねぇ、武彦さん?」
「シュライン‥‥からかうな」
 絞り出した声に苦々しさを滲ませて、草間はベンチの裏を指し示した。
 覗き込んだシュラインに、偶然に見かけた中畑の手により、僅かな油断でこのベンチに仕掛けられた罠に陥った事を手短に語る。
「何をどうすれば、こんな罠に引っ掛かるの?」
 気持ちよさそうに眠る子泣き爺に溜息をつくと、シュラインはがっくりと肩を落とした。草間自身が居眠りをしていたならともかく、僅か程度の油断では陥りそうにもない罠である。情けないと言うか、馬鹿馬鹿しいと言うか‥‥。
 それでも、草間を放ってはおけない。
 シュラインは冷えた缶を草間の手に渡すと、ハンドバッグから携帯を取り出した。呼び出す番号は、今、目の前にいる男の事務所。
「こんな炎天下でいつまでもこうしていちゃ日射病か熱中症‥‥脱水症状を起こして病院行き確定だわ。とりあえず、それ、飲んで。私は零ちゃんに‥‥あ、零ちゃん?」
 電話に出た零に、草間の替えズボンとペンチの手配を頼むシュラインの声を聞きながら、安堵とも不安とも取れぬ溜息をつき、草間は渡された缶のプルトップを起こした。
「‥‥‥‥‥」
 勢いよく溢れ出る、甘さを含んだ泡。
 やがて、それは草間の服から染み込んで、べたべたとまとわりつく不快な液体へと変わっていく。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ごめんなさい、零ちゃん。1つ追加‥‥武彦さんの上着も、お願い」
 恨みがましい草間の視線に背を向けて、シュラインは幾分早口に続ける。
 買って来ていた缶コーラを落とした事に今更ながら気がついても、それは後の祭りであった。
 
●性懲りも無い仕掛け人
 零が用意した着替えとペンチを手に、臨海公園へと駆け戻ったシュラインは、ちらりと腕時計を見た。
 急いだつもりだが、それなりに時間がかかっている。
 無事を祈りながら、彼女は草間の元へと急いだ。
 非常線を取り除いたとは言え、尋常ならざる草間の様子は物見高い若者達の好奇心をいたく刺激する事だろう。もしも、彼らが草間にちょっかいを出し、子泣き爺を起こしてしまったなら‥‥。
「そ‥‥そうなったら武彦さんは‥‥」
 シュラインの脳裏に、最悪の事態が展開される。
 地中に引きずりこまれた場合はまだいい。‥‥いや、よくはないが、彼女が恐れるのはもっと違う事だ。もしも、今後の人生、彼が後ろ指差されて生きていく羽目になったならば‥‥。
 ぞくりと身を震わせて、シュラインは歩みを止めた。
 頭の中を走り抜けて行くのは、背を丸め、競馬新聞を手にシケモク中の草間の後ろ姿。自分はと言えば、ほつれ毛を掻き上げながら督促状の混じった手紙の山を整理している。
「そんな事になっても、誰もが離れて行ったとしても、私は武彦さんの仕事を手伝って行くわっ!」
 心に浮かぶ決意をそのまま口にすると、シュラインは二度、三度と瞬きをした。
 よくよく考えてみると、想像の中の自分達は‥‥
「‥‥なんだ、今と変わらないじゃない」
 今でも十分、「怪奇探偵」の名に恥じない、奇妙な依頼が回ってくる。普通一般の身辺調査や不明人捜索の探偵達とは違う待遇の中にいる。もし、ここで彼の異名に新たな名が加わったとしても、あまり変化は無さそうだった。
 そう思い至ると、安堵と共に、彼女自身に余裕が戻ってきた。
 大きく息をついて、シュラインは周囲を見渡す。
 ごくごく普通の、夏の午後だ。太陽の光を楽しむ人々が思い思いに過ごしている。草間に何か異変が起きているとしたら、口さがない噂となってざわついているはずだ。
−となると、武彦さんはまだ無事ね。
 急いだ方がいいに変わりはないが、彼女が焦っても事態が好転するわけでもない。状況を冷静に見て適切な行動を取る事。それが、一番いいに違いない。
「‥‥って、あれは」
 日光浴を楽しむ人達の間に暑苦しいアフロ髪を見出して、シュラインは表情を険しくした。アフロと言っても色々ある。しかし、見覚えのあるアノ頭は‥‥。
「中畑ッ!!」
 名を呼ばれたアフロ男は、振り返ると何の警戒もしていない間延びした笑みでシュラインに向かって両手を広げた。
「シュ〜ラインちゃん、久しぶり〜っ!」
 再会を祝して、熱い抱擁をば‥‥と、自分へと迫る男の足を尖ったヒールで踏みつけて、シュラインはにっこりと微笑む。口元が少々ひくついているのは仕方がないだろう。
「も〜ぉ、つっれないんだからぁ」
 にやけ笑顔でつんつんと突っつかれて、シュラインの腕に鳥肌が立つ。一発、殴れたならば、どれほど気が晴れるだろう。この男は、前回も今回も、そのずっと前も、厄介な事ばかり起こしている。いわば、草間とシュラインの疫病神だ。殴り一発では足りやしない。
 震える拳をぐっと堪えて、シュラインは鬼気迫る笑みを浮かべたままで、彼の腕をがしりと掴んだ。
「おや〜? いつになく積極的〜♪」
「私が笑っているうちに、教えなさい」
「なになに? シュラインちゃんの質問なら、俺、なんだって答えちゃうよ♪」
 語尾が上がる喋りが胡散臭い。
 けれども、草間に仕掛けられた罠を解除するには、この男から赤と青、どちらのワイヤーを切断すればいいのか聞き出すしかない。
 答えを求めてにじり寄ったシュラインに、にやけ顔で中畑は頭を掻く。
「あー、草間のとっつぁんに仕掛けたやつかぁ」
「そうよ! さっさと教えなさいっ!」
 でれでれとにやけきった男の様子に、ただでは話しそうもないとシュラインは捕まえていた手を解くと無精髭の顎に指を当てた。
「ね? 教えてくれたらご褒美をあげるわよ?」
「え〜? シュラインちゃんのご褒美はイタイからなぁ〜?」
 前回の一撃の事を示唆しているらしい男に、ふふふと笑ってはぐらかす。
「さぁ、どうかしら? 教えてくれたら、私も教えてア・ゲ・ル」
 何とも形容し難い笑みに崩れて、中畑は実は‥‥とシュラインの耳に口を近づけた。
「忘れちゃった‥‥☆」
 てへっ♪
 アフロ男の可愛い子ぶった笑みに、シュラインの中で何かが音を立てる。
 みるみるうちに沸き上がる怒りのオーラ。
 その気配を敏感に感じ取ったのか、中畑はしゅたっと手をあげて回れ右とばかりに向きを変えた。その襟首を逃すかとシュラインが掴む。
 この勝負、シュラインの気迫勝ちのようであった。
 
●行き当たりばったりの解放劇
 中畑を伴って、草間の元に戻ったシュラインは彼の無事を確認してほっと息をついた。
「大丈夫? 武彦さん」
「あ、ああ‥‥。なんとかな」
 ぎろりと中畑を睨み付けて、草間は頷く。
「中畑、あんたも手伝いなさいよ」
「いーいけど。俺が何をするんだ?」
 面白がっているのが丸分かりの口調で尋ねる中畑に、シュラインは無言で彼を指先で呼びつけた。
「ん〜?」
 草間と子泣き爺と繋ぐワイヤーを持つように指示すると、彼は大人しく従った。ペンチをその手元に当て、シュラインははたと気付く。
「‥‥もし、正しい方を切ったとしても、反対のワイヤーを外すのはどうするのよ?」
「‥‥‥さぁ?」
 ぷち×2。
 草間とシュラインの堪忍袋が音を立てて切れた。
「「中畑ッッッ!!!」」
 こわーい〜☆
 首を竦める中畑に、口元を引きつらせたシュラインは自棄を起こしたかのように、ワイヤーを当てたペンチに力を入れる。
「お、おいっ! シュライ‥‥!」
 さすがに慌てた草間と、面白がる中畑。
 対称的な2人を後目にシュラインのペンチは2本のワイヤーを同時に切り離す。途端に、子泣き爺に走る電流が、かの妖怪を無理矢理に昼寝から引き戻した。
 怒りの子泣き爺に、草間は南無三と歯を食いしばる。
「‥‥‥‥?」
 我が身に何も起こらないと、おそるおそる目を開いた草間は見た。子泣き爺と彼を結んでいたワイヤーを持ったまま、地中深く引き込まれていく中畑の姿、その、地面から突き出した2本の足を‥‥。
「シュ‥‥シュライン?」
 冷静に、その様子を眺めていたシュラインは、草間を振り返って肩を竦めた。
「‥‥犬神家って感じ?」
 そうじゃないだろう‥‥。
 草間の突っ込みは、呆れたように腕を組んだシュラインに届く事はなかったのである。