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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


秩序世界
●序
「最近、急速に増え続けているです」
 そう言って、男は名刺を草間に渡しながら言った。そこには『交通課:秋永・鉄夫(あきなが てつお)』と書いてあった。
「この一ヶ月だけで、5倍。5倍ですよ。逆橋交差点だけでの交通事故が、今までの5倍なんですから」
「はあ……」
 多少興奮気味の秋永に押されつつ、草間は頷いた。秋永の話によると、交通事故の原因はどれも交通違反をしていた者達なのだという。例えば、信号無視をした車が人をはねた。しかし、実際に救急車で運ばれたのはその信号無視をした車の運転手であり、はねられた筈の人は全くの無傷だという。
「今までに事故にあった人のリストです。参考までにお渡ししますよ」
 秋永はそう言って紙の束を草間に渡した。かなりの量がある。
「こんなにも事故が起こったんですか?」
「ええ。尤も、擦り傷程度の軽い事故から、死亡者が出るほどの大きな事故まで様々ですけどね」
 草間は「ふむ」と頷き、ぱらぱらとリストをめくった。
「事故者たちは、皆声を揃えて言っています。『女の子を見た』と。だけど、私には一回も見たことが無いのです」
「ほう、女の子、ですか」
 草間の目が、鋭く光った。全ての原因は、そこにあるのかもしれない。
「お願いします。逆橋交差点の謎を解いてください。でないと、毎日駆り出されて大変なんです」
(本音はそれか)
 草間は苦笑しながら「分かりました」と答えた。秋永が帰っていくと、早速依頼書を作成する。
『逆橋交差点交通事故発生原因の究明』と題名をつけて。

●逆橋交差点
「民間に泣きつくとは、何たる情けなさだ」
 嘆かわしいと言わんばかりに大きな溜息をつき、影崎・實勒(かげさき みろく)は呟いた。現在、午後5時半。勤務を終え、逆橋交差点近くに来ていた。
「ここが交通事故多発場所か。……ふん、確かに多発しそうな場所ではあるな」
 實勒はそう言って交差点を見つめた。一見、何の変哲も無い交差点のようではある。だが、ここで事故が多いのは納得できうるものであった。交通量は多い上に、見通しが余りよくない。交通違反者でなくても、事故を起こしてしまいそうな場所だ。
「そういえば、最近救急の方で噂になっていたな。事故者がやけに多いと」
 かすり傷から緊急手術の必要になる大怪我まで、果ては實勒を含む監察医の出番が必要となるものがこの逆橋交差点での事故が原因なのだと。ある者はそれを「呪い」だとか「怨念」だとか言っていた。だが、實勒はそれら全ての説を鼻で笑って一掃していた。
(呪い?怨念?……馬鹿馬鹿しい。そんなものが実存するとでも思っているのか?)
 實勒には何の興味も関心も見出せないものだ。信じてよいのは目の前で起こる、現実の全て。目の前でその不可解現象とやらを目撃したのならば、少しは信じるという考えも起こしていいと思っても良いのだが。勿論、考えるだけで肯定はする気は無い。
(大体、全ては不確かなものだ。そのような不確かなものを簡単に肯定してしまってどうするのだ)
 實勒は鋭い目つきをより一層鋭くして交差点を睨む。
(事故の件数が増えたのは、この1ヶ月だけの事なのか、それとも、もう少し前からの事なのかどちらだ?)
 何事も無く流れて行く車達を視界に入れながら、實勒は考える。
(いきなり事故が増えた時期を特定して、その前後にあの交差点で起こった出来事を洗い直してみるのも方法の一つ。秋永とか云ったか……その警官に聞けばわかるだろうが)
 そう考えて、實勒は渋い顔になる。どうも交通課が民間に泣きついてきたという事実が嘆かわしくてたまらないのだ。
(それから……そうだな、事故者の話も聞いてみるか。現場の立地条件も確認しておくべきかも知れん)
 ぱらぱらと依頼書をめくる。そこに、秋永の連絡先も書いてある。實勒は携帯電話を取り出す。……その瞬間だった。
 目の前が一瞬光ったかと思うと、キキキキ、と耳の中を掻き回すような激しい音がした。實勒は急に起こった音に誘われるかのようにそちらに視線を向ける。赤い車が、空中で一回転していた。それは、美しい一瞬のようにも思えた。大輪の赤い華が舞い散るような、芸術的な一瞬。スローモーションのような、長い長い一瞬。
(……不謹慎か)
 現実に、目の前で起こった事故を冷静に見つめて實勒は考える。秋永と連絡を取る筈だった携帯電話は、通報の道具として用いられた。それから、實勒は事故車に近づいて中の人間の安否を確認する。幸い、命は落としていなかった。手際よく応急手当をしてやると、救急車とパトカーが到着する。
「やれやれ、何回目だよ」
 警官の一人が呟く。もう一人の警官が、呆れ気味に答える。
「9件目だ。因みに、この1時間で三件目」
「はあ……全く、どうなっているんだ?ここは」
(9件目)
 實勒はそれを反芻する。一箇所で起こっている事故数として、多いものだ。これから更に見通しの悪くなる、夜がやってくる。また事故を起こす車は増えていく事であろう。實勒は大きく溜息をつき、ふと逆橋交差点を見てしまった。後で、充分に後悔をする事になる視線。
(しまった)
 後悔しても、もう遅い。實勒の目は、そこに残された残留思念を読み取ってしまった。物や場所に残されている強い思念を見てしまう能力を持つ雅は、それを快く思ってはいない。寧ろ鬱陶しいものだと認識していた。何事も目に見えた現実しか信じる気の無い實勒にとって、それは厄介な能力であった。不可思議現象を鼻で笑うものの、自分がその不可思議現象に加担しているようにも思えてくるからだ。
 實勒の思いとは裏腹に、残留思念は容赦なく實勒に現実を突きつける。そこにいたのは、少女であった。長い黒髪を靡かせ、赤いリボンをしている少女。それと同じ赤いワンピースを着ている、12歳くらいの少女。恐らく報告書にあった、事故者が見たという少女。
(しまった)
 もう一度、實勒は強く後悔した。少女は笑っていたのだ。事故を見て、少女は心底楽しそうに笑っていた。
(何と、醜悪な少女)
 眉間に皺を寄せ、實勒は考える。少女はくすくすと笑いながら、事故をおこした者達に話し掛ける。幼子を諭すかのように。
「あなた達は、秩序を守らない。無秩序は愚かしく、醜い。秩序は美しく、聡いのに。秩序を守れないのは……哀しい事」
(少女として似つかわぬ言葉)
「私は気付いた。この世が無秩序で溢れている事を。無秩序は秩序として正されるべき」
(無秩序、秩序)
「無秩序を憎み、秩序を愛する」
(最低だ)
 そこで、思念は終りを告げた。何とも、不愉快な思念だった。實勒にとっては、不愉快以外の何者でもないものだ。それを増長させているのがあの少女。少女に似つかわない言葉は、酷く滑稽に見せた。
「醜悪だ。あの少女は、何と醜悪なのか」
 見た目は、可愛いらしく美しい少女だったように思える。だが、あの思念はどう見ても醜悪以外の何者でもなかったのだ。實勒にとっては、あの少女は醜悪以外の何者でもなかった。
「まずは、解決する事が先だ。あの少女の存在を無視するわけではないが……まずは調べる事が先なのだ」
 實勒はそう呟き、遠ざかっていくサイレンを見つめた。赤く實勒の顔を照らす。ふと、目の中に凹んでしまっているガードレールが入ってきた。誰かが殴って凹ませたのであろう、拳がはっきりと浮かび上がっていた。
(何とも怪力がいるものだ。まるで愚弟のようだ)
 そこまで考え、實勒は今まで以上に眉間に皺を寄せた。今、尤も考えたくない事実の一つであったのだ。
「まずは電話だ!」
 全ての思いを振り切るように實勒は秋永に電話をかける。事故処理の済んだ交差点は、また何事も無かったのかのように動き始めるのだった。

●行動開始
 翌日、午前十時。實勒は秋永と話をする事を約束する事が出来た。とある喫茶店を指定され、そこに實勒は辿り着く。秋永によると、もう一人草間興信所から派遣された調査員とも約束をしているので、一緒にどうぞ、との事であった。
「もう一人……か」
 實勒はそう呟き、喫茶店の中を見回す。ふと、見覚えのある男が煙草を吸っているのを見つける。金髪の派手な格好をした男。
「お前は……」
 思わず實勒は口に出す。男が振り向く。
「確か、真名神・慶悟(まながみ けいご)と言ったな」
 眉間に皺を寄せつつ、實勒は言った。慶悟の派手な格好は、嫌でも目立つ。自分の銀髪も充分に目立っている事は、この際置いておいて。
「ああ。あんたは確か影崎・實勒だったか。……秋永氏との約束は、あんただったのか」
「ふん」
 實勒はそう言って、仕方無さそうに慶悟の前に座った。すると、そこに秋永が現れた。どこにでもいる、中年男性といった印象が持たれる。
「お待たせ致しました。何分、すぐに仕事ができるものでして」
 秋永はそう言って椅子に座る。コーヒーを頼み、實勒と慶悟に向き直った。
「それで、私に聞きたいことというのは?」
(先に聞いてもいいのだろうな、これは)
 實勒はちらりと慶悟を見、口をあけた。
「事故が、増えているそうだな」
「ええ」
「それは、この一ヶ月だけの事なのか?それとも、もう少し前からの事なのかどちらだ?」
 秋永は少し考え、慎重に答える。
「一ヶ月だけの事、といって間違いはないでしょう。それまでも事故がおきていないと言えば嘘になります。もう現場を見られたかとは思いますが、逆橋交差点は何と言っても見通しが悪い交差点ですから」
「だが、この一ヶ月で飛躍的に事故数が増えた?」
 慶悟が尋ねる。秋永は神妙な顔で頷く。
「そうですね。異常な数と言えるでしょう」
(異常な数、か)
 實勒は昨日の警官の会話を思い出しながら反芻し、手帳にメモをする。そして次の質問を口にする。
「何かきっかけと言えるような事故は無いのか?」
「そうは言われましても……ふと気付くと事故数が増えていた、としか申し上げられないのですよ」
 秋永は困ったように答える。實勒は「ふん」と言って『きっかけは不明』とメモに書く。
(使えない奴だ)
 實勒の質問が途切れたのを見計らい、慶悟が口を開く。
「俺からも尋ねたいことがある。女の子だ」
(女の子……あの醜悪な少女か)
 實勒は残留思念で見た少女を思い出し、密やかに眉を顰めた。
「女の子……?事故者が悉く見ているという?」
「そうだ。女の子が事故の被害者になったという事が、無かっただろうか?」
「それならば、草間さんに渡したリストの方にあると思いますが……」
「そうじゃない。……できれば、写真などがあればいいのだが」
 秋永は少し考え、口を開く。
「女の子を、捜そうとしているのですか?」
「ああ」
「ならば、あなたは女の子を見られたのですね」
 秋永の問いに、慶悟は頷く。
(こいつも見たというのか、あの少女を)
 實勒はそう考えて慶悟をちらりと見る。慶悟は小さく笑っていた。
(こいつ、何がおかしいというのか)
 慶悟の表情に、實勒の眉間はますます深く刻まれてしまう。慶悟は慌てて緩んでいた口を元に正す。
「どのような女の子でしたか?」
 秋永は興味深そうに尋ねてきた。
「長い黒髪を靡かせた、12歳くらいの少女だ。赤いリボンを額につけ、赤いワンピースを着ていた」
 慶悟は上を見上げた。少女の風貌を思い出すかのように。
「印象的だったのは、その少女の目が余りにも虚ろだった事だ。何も瞳に写さぬ、空虚な印象を受けた」
(空虚、だと?)
 全く違う印象に、實勒は怪訝な顔になる。
「空虚、か。……私の受けた印象とは随分違うな」
「え?少女を見たのか?」
 慶悟の問いに、實勒は不愉快そうに答える。
「私はその少女を醜悪なものだと感じた。何とも醜い少女だと」
 人それぞれの見方がある。だが、慶悟の受けた印象と自分の受けた印象は随分違ったものになっていた。何とも不思議な事だ。
(私とこいつは同じ少女を見ているはずだ。それなのに、全く違う印象を受けているとはどういう事だ?)
「女の子でしたら……あ、ちょっと貸してください」
 秋永はそう言って依頼書を慶悟から借りて、ぱらぱらと捲った。そして、とある場所を開いて實勒と慶悟に見せた。写真は無いものの、そこには12歳の少女のデータが乗っていた。名前は、乃木・真実(のぎ まみ)。事故が起こったのは丁度三週間前。車のスピード違反によるもので、真実は違反など何もしてはいなかった。全面的に悪いのは、相手の車であった。
「……成る程」
 實勒はそう言って真実のメモを取る。そして確信する。自分の見たあの少女は、この真実なのだと。根拠などは無い、直感。
(これで、あの醜悪な少女の正体は分かった。次は……現場とやらに行ってみるか)
「おや、もうこんな時間ですか」
 秋永が時計を見て言う。時刻は既に11時を指し示していた。秋永は口にしていなかった、冷めたコーヒーを一気に飲むとお金を置いて去っていった。
「……律儀な奴だ」
 ぽつりと實勒が呟いた。慶悟は苦笑しながら頷いた。
「確かに」
 實勒は書いていたメモを懐にしまい、自らも頼んでいたコーヒーを口にした。すっかり冷めてしまったコーヒーに、實勒は怪訝そうに眉を顰めた。
「これから、どうするつもりだ?」
 慶悟も實勒につられたようにコーヒーを口にし、尋ねた。實勒はコーヒーカップを置いて、口を開く。
「これから現場とやらに行ってみる。あまり気は進まないのだがな」
「気が進まない……か。確かに」
 慶悟はそう言って考え込んでしまった。實勒は、そこでふと気付く。
(そういえば……確かこいつはあいつと知り合いだったか)
 溜息を小さくつきながら、向き直る。ものを頼むのは本意ではないが、この際仕方が無い。
「そうだ、お前に頼み事があるのだが」
 改まる實勒に、慶悟は続きを促した。
「もしも私の愚弟に会っても、私が今回の件に関わっている事を内緒にしていて欲しいのだ」
「愚弟?」
「影崎・雅(かげさき みやび)の事だ」
「え?何故」
 慶悟の問いに、實勒は心から不愉快そうに眉を顰める。先程の冷めたコーヒーを口にした時とは比べ物にならないほど深く刻まれた、皺。
「面倒な事は、極力避けるに越した事は無い」
 真面目な顔で言う實勒に、思わず慶悟は苦笑した。
「分かった。なるべく喋らないようにする」
「なるべく、では無い。絶対に言うな」
 強く念を押し、實勒は立ち上がった。レシートと秋永が置いていったコーヒー代を手に取り、レジにさっさと向かう。
(今回、私が特に気をつけねばならぬことは、雅に会わない事。それに尽きる)
 實勒はそう考え、喫茶店を後にする。逆橋交差点に向かう為に。

 逆橋交差点に着くと、赤信号になってしまった横断歩道を焦って女の子が渡っていくのが見えた。ぎりぎりで信号が変わってしまったのであろう。車の信号が青なのをいい事に、向こう側に走って渡ろうとする。すると、突如女の子は元の所に吹き飛ばされていた。
(ここの噂を聞いていない訳ではないであろうに、馬鹿な事を)
 その女の子に、金髪と緑の目を持った女が慌てて近寄った。實勒は溜息をつきながらそこに近付く。煙草を口にくわえ、火をつける。
「大丈夫か?」
 女の子は震えていた。奥歯ががちがちと震え、うまく噛み合わない。
「どうした?……あなたも見たのか?少女を」
 その言葉に、女の子は目を大きく見開いてレイベルを見つめた。うっすらと目には涙が浮かんでいる。
「見た……見たわ……!女の子が……私に秩序を愛せと言ったわ……!私が、私が無秩序だからって……無秩序は、罪だって……!」
 叫ぶようにそう言い、女の子は泣き始めた。
「怪我は、無いのか?」
 宥めている女の背後に立ち、實勒は口を開いた。
「……自業自得だ」
 女が實勒の方に視線を移した。
「秩序、無秩序など言う気は毛頭も無い。だが、先程そこの女が吹き飛ばされたのは自業自得というものだ」
「そうかもしれないが……今問題にすべき事は、そこではないだろう」
 女は真っ直ぐに實勒を見つめた。
(この女、さては医者か?)
 實勒もじっと女を見た。先程から。どうも同じ匂いを感じる。
「あなた、もしかして草間興信所の手の者か?」
「そうだが?」
 素っ気無く實勒は答えた。何事にも興味無さそうに煙を吐き出す。
「私もそうだ。レイベル・ラブ(れいべる らぶ)と言う。医者をしている」
「医者……?成る程な」
 くつくつと笑いながら、實勒は頷く。
「あなたも医者だろう?同じ匂いを感じる」
(同類は同類を察知できるものだな)
「そうだ。監察医だがな。……私は影崎・實勒」
「影崎?……實勒は雅と血縁者か?」
(雅を知っているのか?)
 實勒の顔が変わった。眉間の皺は極限まで深く刻まれる。實勒は渋い顔のまま、吐き出すように言葉を紡ぐ。
「残念ながら、雅は私の愚弟だ」
 實勒は渋い顔のまま、溜息をつく。
「どうして雅を知っている?」
「さっきまで一緒にいた。話していたと思っていたら、事故が起こり、突然雅は歩道に投げ出されてきたのだ」
「突然?」
 實勒の眉が、ぴくりと動く。
「そうだ、突然だ。……心配はいらない。大した怪我はしてはいない」
「別に心配などしていない。奴は驚くほど頑丈だからな」
 レイベルは小さく笑い、それから大分落ち着いた女のこの方を向く。
「もう大丈夫か?」
「は、はい」
 顔色が戻っていた。体に傷も見られない。女の子はふらふらと立ち上がり、その場を後にした。
「それで、調査の方はどうだ?進んでいるのか?」
 レイベルが口にすると、實勒は新たな煙草をくわえて火をつけた。
「全てが分かった訳ではない。まだ謎は多いままだ」
「そうか」
「そっちこそ、どうなんだ?」
 實勒の言葉に、レイベルは暫く考え込む。
「データ的なことは、もうすでに依頼書の方に書かれてしまっている。私が起こせる行動は一つしか残されてはいないのだ」
「そうか」
 それだけ言うと、實勒は煙草を近くにあった灰皿に押し付けた。そして、その場から去ろうとする。
「弟には会っていかないのか?」
 レイベルが尋ねると、實勒は今まで以上に不機嫌そうな顔で振り返る。
「私がここにいた事は、是非とも内緒にしていて欲しいものだ」

●少女
 午後11時。實勒は逆橋交差点から少し離れた所に立って、煙草を吸っていた。今夜、レイベルとかいう女が真実と接触しようとしている。恐らく、それに雅と慶悟も便乗するに違いなかった。
「今夜、決着がつくかもしれない」
 實勒はそう呟き、煙を吐き出す。生憎、實勒にはレイベルの接触に便乗する気はない。否、便乗しても良いとは思ったのだが、雅と合う羽目になるのはごめんだと思っていたのだ。
(結末は知りたいが、雅には会いたくは無い。となれば、ここからの観察が一番だ)
 そう考えていると、向こうから声が聞こえてきた。かすかに、車のエンジン音も聞こえる。
(始まったか)
 吸っていた煙草の火を消し、實勒はじっと様子を窺う。向こうから見て、こちらは逆光となっていた。万が一ここにいる事が分かったとしても、それが一体誰なのかは分からない筈だ。そのような場所を見つけてわざわざ選んだのだから。
 空気が変わる。恐らく、真実が現れたのだ。何故か實勒もその結界の中に入り込んでしまう。真実が作った結界ならば、實勒が入り込めるはずは無い。
(おそらくは、真名神とかいう奴が結界をあらかじめ張っていたのであろう。ふん、幸いだったというべきか)
「……さて、真実ちゃん。君の言う秩序は、本当にそれでいいのか?」
 雅の声が、聞こえてきた。しかし、その問いに真実の答えは無い。
「お前の秩序、何故に守り通そうとするか?」
 慶悟の声が聞こえてきた。しかし、その問いにも真実の答えは無い。
「秩序とは何か。お前は本当にその秩序とやらを守っているのか?」
 レイベルの声が聞こえてきた。やはり、その問いにも真実の答えは無かった。
(答えられる筈は無い。あの少女は密やかにその事に気付いているのだから。それを認めたく無いが為に、沈黙と言う方法を取っているのであろう)
 しばらくし、今度はレイベルの声が聞こえてきた。諭すような口調で。
「なあ、真実。人は愚かしいだろう?人は哀しい生き物だろう?それでもお前が裁きを行うのはおかしいのだ」
「……どうして?私がここにいるのは、無秩序を正す為」
 初めて、真実の声が聞こえてきた。
(愚かな)
 思わず實勒は考える。真実の声が、今にも泣き出しそうなものであったからだ。すでに、秩序と無秩序の意味でさえも理解してはいないであろう。
「あなたは無秩序を犯した。私はそれを正さなくてはいけない!」
 真実が叫んでいた。そして、地面に何かを叩きつけた音がした。続いてばたばたと駆け寄る音がする。
(違反者……レイベルとかいう女を地面に叩きつけたな。ならば、一応の目的を果たしたとし、逃げるかもしれないな。つまり、雅も来るかもしれない)
 實勒はそう考えてその場から離れようとした次の瞬間、雅の声が聞こえる。
「追え、慶悟君!」
(つまり、雅はこちらに来ないな)
 實勒はそう判断し、その場所から離れるのをやめた。恐らくは慶悟がこちらに向かっていた。同時に、真実も。
「今後ここでは違反が起こらぬよう、何とかする!お前の言う秩序が守られる形となるだろう!そうなったとしても、お前は満足できないのか」
 慶悟が叫んでいた。
「煩い」
 真実が言い放つ。
「お前はただ復讐したいだけなのだろう?そして、その思いを手助けする霊達がいた」
(恐らく、そうだろう)
 實勒は慶悟の言葉に、頷く。
「煩い」
「そこでお前は始めたんだ。裁きと言う名の復讐を!」
「黙って」
(相変わらず、醜悪な姿だ)
 だんだん姿が見えてきた。慶悟の言葉を振り切るかのように、真実は首を振っていた。慶悟の放ったのであろう式神に動きを止められている真実の姿がそこにはあった。慶悟は溜息をつき、式神によって動きを固められた真実の目線に合わせる。
「お前、そろそろ成仏しろ」
 真実は頑なに口を閉じたまま、式神を振り切ろうともがく。
(愚かしいな)
 實勒はそう考え、そこに近付く。慶悟が気付いたかのようにこちらを見てきた。それに構わず、實勒は真実を蔑んだように見下ろす。
「……お前の言う秩序は、矛盾に満ち、統一性の失われたものだ」
 實勒の言葉に、真実ははっとしたように動きを止めた。
「さっきから、そこの男と後にいた二人も言っていただろう?お前はただ、逃げていただけだが」
 真実は小さく震えている。
(やはり、この少女自身も分かっていた事なのだな)
 實勒は確信する。
「お前の秩序こそが、無秩序なのだ」
 その言葉が言い放たれると同時に、真実は全く動かなくなった。目を大きく見開いたまま、涙を流し始める。
「そんな事……分かってた……」
 真実はそれだけ言うと、小さく笑った。そこで初めて實勒は少女が醜悪ではないと感じた。初めて。
「分かってたけど、どうしようも無かった」
 慶悟が溜息をつき、真実に向き直った。實勒も蔑むのをやめ、真実を見ていた。真実は既に醜悪な姿ではなかった。少なくとも、今では。
(これがこの少女の真の姿なのであろう)
「成仏しろ。手伝ってやるから」
 慶悟が印を組む。すると、慶悟の背後からもう一つの術の光が向かってきた。恐らくは雅が真実を成仏させる手伝いをしているのであろう。こちらの様子が分からなくても、成仏させようとしている事は察知できたのかもしれない。實勒はただその様子をじっと見ていた。
(雅か。……こちらに来る様子は無いようだな)
 だんだん真実の作った空間は消えていった。そして真実も。慶悟はそれを確認し、自らの張っていた結界と閉じていた霊道を開放する。すると、川ができる。車の光の川と、霊たちが留まる事なく流れて行く川が。實勒はそれを確認すると、その場を後にした。こちらに近付いてくる足音を聞いたのだ。
(これで全てが終わったのであろう)
 實勒はふと後を振り返る。既に居ない筈の真実の残留思念が残っていた。彼女は醜悪な姿のまま、秩序と無秩序を繰り返していた。だが、それもすぐに消えてしまう。彼女の残した思念は、既に必要の無いものとなっていたからだ。
「安心しろ。事故などというものが全くなくなるわけにはいかんが、少しは気にするようになる筈だ」
 實勒はそう呟いて逆橋交差点を見つめる。
「お前の望んだ秩序とは違うものかもしれんが、お前の嫌いな無秩序とも違うものである筈だからな」
「有難う」
 微かに真実の声が聞こえた気がした。實勒は眉を顰める。はっきり言うと、今回の騒動において自分の信じたくないもの達が充満していた事に、不満を抱いていたのだ。これ以上、そのような事が起こるのは歓迎したくないものだ。
「……まあ、いい。たまにはこういう事もあっていいだろう」
 また歩き始める。が、すぐに歩みを止めて振り返る。
「しかし、たまにだからな。これ以上はお断りだ」
 誰に言うわけでもなく念を押すと、また再び實勒は歩き始める。今夜はともかく早く家に帰って休みたかった。見たくも無い念を見、信じたくも無い出来事を散々見、精神的にどっぷりとつかれてしまったのだから。
「逆橋交差点か」
 これで、事故は減るだろう。秋永も、度々借り出されることが無くなって安心するかもしれない。
(民間に泣きつくのは、絶対的に頂けないがな)
 心の中で密やかに付け加える。だが、實勒の眉間には皺は寄ってなかった。ただ諦めにも似た笑みを浮かべたまま、煙草を吸っていた。煙草の白い煙は風に乗り、空へと運ばれていくのだった。

●結
 翌日、午後3時。實勒は作成した報告書を手に草間興信所を訪れた。報告書を手渡すと、草間は微笑みながら受け取る。
「お疲れ様」
「ふん」
 草間の言葉にそれだけ答え、實勒は煙草に火をつけた。今回の事は既にどうでも良い事になっている。一応の決着も見る事が出来たのだから。
「そうそう、君にお知らせがあるんだが」
 怪訝そうな實勒の目が草間に向けられた。何とも不快そうな目だ。草間は苦笑しながら続けた。
「逆橋交差点は一応の決着をつけた。だが、あそこは霊道の集中している所らしくてね。なるべくならば、あそこを見張っていた方が賢明だという事なんだ」
 草間の言葉に、嫌な予感を覚えて實勒は怪訝そうに見つめた。草間は笑う。にやりと。
「そこで一週間に一度、交代制で見に行って貰う事になった」
「……は?」
 實勒の目が点になる。草間は実に嬉しそうに言葉を続ける。
「それがねぇ、秋永さんが是非君達にと言ってるんだよ。良かったねぇ。頼りにされて」
「くだらん」
 實勒はそう言い捨て、煙草の煙を吐き出す。
「それに手当てが出るんだそうだよ」
 草間は苦笑しながら言う。
「……どの程度?」
「……お昼ご飯くらい」
 完全な沈黙。實勒は眉間に皺を寄せ、不愉快そうに口を開く。
「それは断ってもいいのか?」
「一応断って欲しくは無いんだけどね」
「ふん」
 實勒は不愉快そうに吐き捨てる。草間はくすくすと笑っていた。
「何だ?」
「いや、なんでもないよ。思い出し笑い、思い出し笑い」
 ますます深くなる實勒の眉間の皺に、ますます草間の笑いは続いていく。實勒は苛々しながら立ち上がる。
「仕方ない。ならば、その見張りとやらをやってやろうではないか」
「おお、それはいい事だな」
「ただし、条件がある!」
 實勒はじっと睨みつけるように草間を見る。草間は「何?」と飄々と聞いてくる。實勒の睨みなど、恐れずに。
「雅の見張りの日と隣り合わせになったり、一緒になったりしないようにしてくれ」
「別に、隣り合わせくらい良いんじゃないのか?」
 草間の言葉に、實勒は首を振る。
(いつ何時雅に会うか分からない。そんな危険な橋を渡るわけが無かろう)
 橋。實勒はふと逆橋交差点の事を思う。特に理由は無い、ただ橋と考えて連鎖して浮かんだだけだ。
「可能性は減らしておく。これは基本だ」
 實勒の堂々とした言い方に、草間は苦笑する。これだけ堂々と言い放つ者もいないであろうと思いながら。
「分かった分かった。じゃあ、そうするから見張りをお願いするよ」
 草間はそう言って早速日程を組み始めた。實勒は溜息をついて草間興信所を後にする。とりあえず、当初の目的は全て果たす事が出来たといえよう。逆橋交差点の謎を解き、何より雅に鉢合わせる事も無く依頼を完了できたのだから。
「全く……」
 誰に言うわけでもなく實勒は呟き、歩き始めた。これから交代で見張りをするのが億劫でたまらない、と思いながら。

<依頼完了・交代制見張り付>



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 0389 / 真名神・慶悟 / 男 / 20 / 陰陽師 】
【 0606 / レイベル・ラブ / 女 / 395 / ストリートドクター 】 
【 0843 / 影崎・雅 / 男 / 27 / トラブル清掃業+時々住職 】
【 0965 / 影崎・實勒 / 男 / 33 / 監察医 】

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■         ライター通信          ■
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お待たせしました、こんにちは。霜月玲守です。今回は私の依頼を受けて頂き、本当に有難うございます。
今回は個人的に新しい試みとして、どれだけバラバラに動けるか、という事をしてみました。如何でしょう?
そして、申し訳ありません。いつも私の依頼のオープニングは分かりにくいことだろうとは思うのですが、今回更に輪をかけて分かりにくいものだったろうと思います。自分の好きなように書いたらこんな事になってしまいました。
ですが、みなさまそれにも勝るプレイングで逆に安心しました。有難うございます。

影崎・實勒さんは今回もご兄弟での参加でしたね。有難うございます。
プレイングにて「絶対に雅と鉢合わせしないように」とあったので、別行動です。一応雅さんを除く全員と顔を合わせているし、行動も共にしている。だけど、別行動。
今回の試みを思いついたのは、實勒さんのプレイングがあったからなのです。勉強させて頂きました。
さて、そんな試みはどうでしたか?何とか雅さんには實勒さんがこの依頼に携わっている事を知られてはいません。成功していたら嬉しい限りです。

さて、今回はいつもにも増して4人の方それぞれのお話となっております。宜しければ他の方の話も合わせて読まれると、さらに深く読み込む事ができると思いますので是非。

ご意見・ご感想等、心よりお待ちしております。
それでは、またお会いできるその時まで。