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<PCシナリオノベル(シングル)>


求めよ、然からば与えられん
「いっくしょん!」
笹倉小暮は唐突な悪寒とくしゃみに襲われて長身を二つに折った。
 平日の日中、人通りの多い通りの真ん中で連続したくしゃみの発作は肺の空気を全部使いきってもまだ納まらない。
 これはひたすらに症状の波が去るまで待つしかなく、背に通りすがりの人々の一瞥を感じつつ、道を斜めに切って小暮はよろよろと街路樹にすがりついた。
 ごつごつとしたポプラの幹に手を付いてどうにか体を支える小暮に係わり合いになるまいと、人は自然と其処を避ける形で流れて行く。
 ぞわりと背筋を這い上がった寒気に鳥肌は立ったまま、傍目にどうにも重症の風邪を引き込んでいるようにしか見えないのだが、本人の思考は
(今回のは長いな〜)
と、苦しいながらも妙に呑気であった。
 その傍らから、覗き込む気配。
「おい、大丈夫かよ」
こういう状況下では、大体は小暮と同世代の子供を持っていそうな年代の主婦が見るにみかねて声をかけて来るものだが、今の声は低く、背をさする手も大きい。
「っくしょ、だ…いっくしょん!じょへっくしょん…ぶ!」
きつく閉じた目の眦から、こちらもどうにも堪えられない涙を零しながら、小暮は酔狂な呼び掛けに力なく片手を挙げて横に振る。
「全然だいじょうぶじゃねーだろ」
くしゃみに邪魔されて日本語にはなってくれない意思をその動きと切れ切れの言葉から汲み、背を回って肩に掴んだ手にどうにか薄く目を開くと、視界に黒皮のコートの裾が入り込んだ。
「ちょっとだけ歩けるか。空調効いてる茶店に入りゃ、多少はマシだろ…」
ぐいと肩を引かれるのに、咄嗟に踏ん張ると苦笑が低く耳についた。
「心配しなくても学生相手に看病詐欺なんか働きゃしねーよ。奢ってやっから」
ポンポン、と軽く肩を叩く手に未だ収まらぬくしゃみにどうにか声の主を横目に見る…と、覗き込む赤。
 どこか不吉に赤い月を思わせる色で、僅かに眇めて鋭さを感じさせる双眸と目が合う…一瞬、くしゃみが止まった。
 ……見つめ合う形に奇妙な無言の間。
 収まったかと思った次の瞬間、
「ぶぇっくっしょん!」
と、小暮は特大のくしゃみをかました。


 ぐす、と鼻を鳴らして小暮はボックスティッシュから新たな一枚を引き出した。
 とりあえず、一番手近な喫茶店に腰を落ち着け…ティッシュは店の人の厚意の頂き物である…親切な青年は椅子に背を凭れて天井を仰いだ顔に広げたおしぼりを乗せている。
「参った…」
親切心が仇になり唾をまともに被ってしまった彼、それでも小暮を見捨てないあたりはかなりお人好しの部類か。
 これでもか、という程に黒尽くめ、重そうな革のロングコートを纏った彼は、ピュン・フーと名乗った…見るからにアヤシイのだが人は外観で人を判断してはいけない、と小暮はしみじみとする…今、自分の前だけに湯気を上げる暖かなレモンティーは、入店するなりに「大至急で!」とピュン・フーが注文した代物である。
 曰く、殺菌効果を持つレモンの香りで鼻の粘膜を刺激し、同じく殺菌効力の高い紅茶で喉を洗いながら暖めれば、鼻炎の症状は多少緩和されるのだという。
「………詳しい、ですね」
「昼の番組でミノさんが言ってた」
まるで主婦のようなニュースソースを明かし、ピュン・フーは顔からおしぼりを除けた。
「アレルギーも大変だな」
見るに見かねて、と呆れと同情を含んだ口調で笑い、彼は少し長い前髪を払った。
「別に………」
アレルギーというワケではない。
 子供の頃から、奇妙にくしゃみが止まらなくなる時は、地震・雷・火事・人災…いずれを問わず、己に害が及びそうになると出てくる癖だ。
「へぇ?面白いなそれ」
「……でも、そう………かも」
深く考えてみれば、危険に対して身体が拒絶を示すというのは、一種のアレルギーなのかも知れない。
「便利じゃん。でもそのたんびに動けないほどくしゃみが出るってのは役に立ってんだか立ってねーんだかわかんねーな」
小暮の言を素直に面白がっているピュン・フーだが、平素はここまで非道くない…と考えてふと気付く。
 くしゃみが始まったのは、人混みの中に黒い影を見たからではないか…そう、まるで目の前の青年の姿のように、ひたすらに黒く…いくらもう秋とはいえ暑くはないのか、と小暮は心中で首を傾げた。くしゃみの理由に思いが及ぶまで行かないあたり、紙一重な大物っぷりを匂わせる。
「そういやぁ、小暮、学校は?」
今更な質問だが、漸く気付いた風でピュン・フーはメニューを取りかけた手を止め、顔と問いわ向けた。
 そう、小暮は平日の日中に勇気のあり余った制服姿である。
 朝、学校に行こうと思って家を出たのは確かなのだが、ラッシュ時に運良く座れたのがある意味運の尽き…それは気持ちよく爆睡してしまった小暮、次に目が覚めた時、そこは見知らぬ土地だった。
 ようやく戻った頃には昼近く、今更登校するのも馬鹿らしい、とサボりを決め込んで昼食を取ろうとファーストフード店に向かっていた矢先に先の発作に襲われたわけだ。
 ちなみに補導員が近付いてもくしゃみの発作が起きる為、今から病院へ、とか行き着けの薬局へ、とでも言ってどうとでも切り抜けるあたり、小暮も強かだ。
 そんな事情をかいつまんで説明した所、ピュン・フーは腹を抱えてテーブルの影に隠れてしまった…どうにか視界にひっかかるテーブルの端を掴む手が、もう声にすらならない笑いに震えている。
 小暮は己を棚に上げ、面白い人だな…という感想の元、紅茶を飲み干す…くしゃみの連続に体力を消費して、余計に空腹な健康な高校生男子の食欲がささやかな甘みで誤魔化せようはずもなく、腹の虫が声高に不平を主張した。
「は〜………すげぇ笑った、腹痛ェ…」
やっと気が済んだのか、ピュン・フーはようやく身体を起こして目尻に浮かんだ涙を拭った。
「寝る子は育つってぇもんな。まぁ遠慮なく食って更に育ってくれ」
まだまだ成長期の17歳、190の大台に乗るか乗らないかの図体をこれ以上育ててどうする気かは知らないが、ピュン・フーは気前良く言ってメニューを広げ…そして止まる。
 広げたメニュー、天の川を思わせて斜めに紺色の川に散らばるメニューは「流☆の宴」やら「ダイヤモンド・スター☆」やら。
 白とピンクを基調にしたファンシーな色彩の店構えに、所々アクリル製の星のオブジェが飾られる…そういえば、備え付けの砂糖壺の中身の角砂糖も星型であった。
 そんな徹底した経営理念の追求がメニューにも現れているのだろうが、特に添え書きがあるワケでなく、その名だけで如何なる料理が出てくるのか掴めない。
 ピュン・フーはしばし悩むと目配せで店員を呼んだ。
 手持ち無沙汰にしていたウェイトレスは、すぐにやって来てオーダー票を片手に脇につく。
「ご注文はお決まりですか?」
「満天の☆と…コレ。それからこの巡る木☆…と、コレも」
すかさず注文する小暮にピュン・フーは目を瞬かせる…続くウェイトレスの「何になさいます?」の質問に、
「えーと……なんか冷たいヤツ」
と、頼りない注文をする。
「かしこまりましたぁ」
そんなでもオーダーの出来た不思議さを残したまま、ウェイトレスが奥に消えるのを見送り、ピュン・フーは首を傾げた。
「小暮、何頼んだんだ?」
「わかんないけど、腹減ってたから…」
せっかくの奢りだし食い溜めとこう、という考えと、どうせ奢りだから何が来たとしても惜しくない、という判断からの行動、小暮の中では筋が通っているのだが、ピュン・フーにはイマイチ理解出来なかったらしい。
「面白いなぁ小暮は。かなり普通じゃねーし」
何やらしみじみとしているピュン・フー。
 初対面の相手に洩らされる感想にしてはあまりにあまりな気もするが、よく知る友人に評させても小暮は「宇宙人」である…それにすらなんとなく納得してしまっている小暮にとって、ピュン・フーの感想はわりとマシ、に分類される。
 不意にピュン・フーはテーブルに腕をついて、ずいと身を乗り出してきた。
「なんか興味あんだよ。そういうヤツの生きてる理由みたいのがさ…」
彼の纏う黒、その中で瞳の評しがたい赤色が深い。
 小暮に据えられた揺るがない視線、裡に深い何かを暴こうとする強さを秘めながら、ピュン・フーはニッと口の端を上げる笑い方をした。
「あんた今幸せ?」
明確な問いの形でいながらひどく曖昧な。
「知りたい事がたくさん有る。見たい物がたくさん有る。会いたい人がたくさんいる。だから、今はまだ死にたくない。それに、幸せなのかは知らないけど、不幸だとは絶対に思わないし」
が、小暮は悩むそぶりすらなく、予め答えを用意していたかのようにスパンと答えを返した。
 垂れ気味の目尻に眠そうにぼんやりとした小暮の思わぬ反応に、ピュン・フーは呆気に取られたように目を瞬かせた。
 とはいえ、小暮が平素からそんな哲学的な思考形態はしている為にすぐ様答えを導き出せたわけではない。
 小暮自身、あまりにあっさりと答えが口をついた為に驚いたほどだ。
「………まぁ、そういうこと」
だが、何故にその答えが出たかを改めて考えるのは面倒で、小暮は投げ遣りにそう締めくくった。
 本気で面倒そうな小暮に、ピュン・フーは笑みを深めて身を引いた。
「なんとも若者らしくねーのか、らしーのか」
楽しげな様子の彼は、ふと胸元を押さえると渋い表情に転じて懐から振動を繰り返す携帯電話を取り出す。
「悪ぃ、仕事入っちまった」
二つ折りのそれの液晶画面だけを確かめる。
「今日はこれでお開き…まぁ、小暮はゆっくり食ってってくれ。払いはコレでな」
ピッと指に挟んだ二つ折りな万札をメニュー立てに入れ、ピュン・フーはオーダーした品が来るのも待たずに席を立ち、身を屈めた。
 小暮の顔を至近に覗き込む形に、赤い瞳が笑いの形に細まり、一瞬真紅に染まったように見える。
「このまま生きて幸せ追求したきゃ東京から逃げな」
 真摯さを込めた忠告…それが楽しげな色にとって変わる。
「そんでももし死にたいようだったらも一回、俺の前に姿を見せればいい。ちゃんと殺してやるから」
まるで不吉な予言のような約束を笑みすら浮かべて一方的に請けおったピュン・フーの言、意味を掴めなかった小暮は眉を強く顰めて動きを止めた次の瞬間…警戒も警告の余地もなく、特大のくしゃみが弾けた。