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<PCシナリオノベル(シングル)>


いつかの君に
「だからこうやってプロクシサーバを通せば、アブないアングラサイトも足跡残す心配がないワケ☆」
「……いや、そこまでディープな情報収集するつもりはないんだが」
少女が説明と共に軽快なキータッチでPC画面の情報を切り替えていく様を後ろから覗き込みながら、少女遊郷は声音に少し呆れを含ませた。
「えー、でもこの位は常識の範疇だよ〜」
それに対し、椅子にかけたまま首を巡らせて少女、瀬名雫は郷を見上げた。
 怪奇情報を扱うサイトで随一の情報量を誇る怪奇サイト「ゴーストネット」…其処の管理を一手に担う雫、電脳世界に関しては中学生の身でありながらも玄人裸足だ。
 今までインターネットカフェを利用してはいたが、最近になって漸く自宅にPCを購入した郷、詳しかろうとネットについての説明を雫に求めたのだが…今までもなんとなくPCを扱っていた郷はほとんど初心者と言ってよく、雫の専門用語を多用した説明は半分も理解出来ていればよい方だろう。
 なんといっても郷の本業…退魔刀専門の鍛冶師にPCの必要はなく、よって知識を得る機会もほとんどなかったと言って良い。
 最近、同居人の強請りに負けて漸く、パソコンを購入したのはいいが分厚い説明書を読むのも面倒で詳しいヤツに話を聞けば早い、とばかりに出掛けて来たのである…ようは、暇だったのだが。
 土曜の午後、いつものようにインターネットカフェに巣くう雫と遭遇したはいいが、コアなユーザーは説明書よりも難解であった…そのディープな知識が初心者に果たして必要か、という意識にイマイチ欠ける為、教授願うには些か厄介な人間を捕まえたと言える。
「もぅ、郷さんたら勉強不足〜」
一回り以上年が違う上に長身で体格の良い郷は譬え立ち上がっても首が痛くなるほどに見上げなければ視線が合わない…まるで相対するように小柄な雫がぷんと可愛く頬を膨らませて言い込めている様は、なんとなくほのぼのとした光景である。
 神妙な顔で雫のお説教を拝聴していた郷は、ふと顔を上げた。
「なんだ、ありゃあ?」
「話を逸らさなーい!」
言いつつも、つられて…通りの側に大きく取られた窓へと視線を向ける。
 硝子に、べとりと張り付く掌。
 それは外からの逆光に黒い影から伸びる…だが、それは遮光によるだけでなく、夏の盛りが漸く過ぎようとしている昨今に、黒いコートのフードを深々と被った異様な風体…体格から察するにどうやら男らしいは、唯一覗く口元を笑いの形に引いた。
『ミツケタ』
ゆっくりと、それは確かに音のない言葉を紡ぐ。
 ズ、と硝子に突かれた手をそのまま下ろす…その手の形に、軌跡に…赤黒い液体が後を残して線を引く。
「いや……血…ッ!?」
それに気付いた店内に客が悲鳴と共に窓際の席から離れると同時、パン!と高い音を立て、窓は外側から粉砕された。
 コートの男の目を伺う事は出来ない…が、そのねとりと絡むような視線が雫を捉えたままであるのに、郷は咄嗟、少女を庇って引き寄せ自分の背へと押しやった。
「何か用か?」
硝子の残る窓枠、桟を乗り越えて店内に侵入して来る男に郷は低く声を発する…が、応えはなくその口元は笑ったまま、視線は郷を透かすようにその背に庇われた雫へと据えられたまま。
 言葉は通じている…が聞いていない、と郷は勘からそう判じ、五指の関節を半ばで折るような拳を作る。
 肌で感じる邪悪な気、そして殺意。
 理由は知らないが、雫にそんな物騒な感情をぶつけられる謂われはあるまい。
 ただ、立っているだけの郷から隙が消える。
 古流柔術の達人の認可を持つ郷、明確な構えでないそれ自体が攻守に長ける構えだ。
 コートの男は笑いを深め、前の袷からコートの中に手を入れ…何かを掴みだした。
 ズルリと伸びるそれは、幾らコートの内側であっても物理的に収納の不可能な長さで…黒い柄に鍔はなく伸びる僅かに反った片刃の刀身…身のうちから引きずり出したかのように刃紋すら見えぬ程の血にまみれた日本刀。
「うわぁ…♪」
背後で雫が声を上げた。
 眼前で起きる常識の範疇ではない現象、普通ならば動揺して泣くか叫ぶ位はしそうなものだが、語尾がどうしようもなく弾んでいるのを流石、怪奇大好き少女、と感心してよいものだろうか。
 男が動く。
 こちらは無手である…郷はリーチの不利は承知の上、長い刀身の刃先に気を払いながら間を詰めようとした時、横合いから小柄な人影が割り込んだ。
「ここは僕に任せて逃げて!!そこの貴方!雫様!早く」
毛布を巻き付けたようなボロボロのコート…そしてサングラスに顔の半分を覆った少年が、男の持つ日本刀に比べればあまりに小さな小太刀でその刃を受け止めた。
「邪魔だ」
初めて、男が声を発した…嗄れて耳障りに荒れ、悪意の籠もった響きに少年の身体が蹴り上げられ、郷と雫が寸前まで使っていたパソコンに激突して机上から薙ぎ倒し、一緒に床に転がる。
「ぐ…ッ!」
少年は痛みと衝撃に激しく咳き込んで乱れた息で、それでも警告を止めない。
「早…、逃げ…!」
「そうは行くか」
立ち上がれないまま逃走を促す少年を、郷はひょいと右手で抱え上げた…その左手には、落ちた衝撃でコードが抜けたデスクトップのディスプレイ。
 郷はその豪腕で軽々と男に向かって投げつけた。
 が、予想の容易なその動きにあっさりとかわされる…けれども次の動きは誰にも読めなかった。
 デスクトップが幾つも並んで横長なテーブル…多分、総重量tは行ってるんじゃないかというそれを郷は片足で男に向かって蹴り上げ、一旦、直立するかのように天井に端を擦ったテーブルはじゃらじゃらとコードで繋がったPCを鳴らしながら男に向かって倒れかかる。
 豪快としか言い様のない荒技を辛くも逃れた男が気付けば、三人の姿は店内から消えていた。


 で、右手に少年、左手に雫とを抱えた郷が通行人に通報される憂き目を見ずに辿り着いたのはとある廃ビルである…まだ新しく立地も都心であるにも関わらず、テナントが入っては倒産し入っては不祥事を起こし…と、入れば必ず呪われるという曰くに人がよりつかなくなった…実際は土地を狙った地上げ屋の謀略だったのだが、その地上げ屋自体が潰れた事で呪いの噂が顕著になったその場所には昔お稲荷さんがあったとかなかったとか。
 人気のない場所へ、という少年の要望に応えての、雫イチオシの心霊スポットだ。
「びっくりしたねー、凄かったー☆」
デジカメに撮っとけば良かった、と雫は胸の前で手を組んではしゃぐ…彼女の中では命を狙われていたという事実はスリルに凌駕されるらしい。
 そう、先の男は雫の命を狙っていたのだと…そう、少年は語った。
 彼は美月と名乗った。
「信じて頂かなくとも構いません」
そう前置いた彼の話は、俄に信じろと言われても無理な内容だった。
 男は…そして美月は、『未来』からやって来たのだという。
 その世界は、『現代』に於いて起きた『怪異』により人とそうでない者との境界が崩れ、人間という種はヒエラルキーの頂点から追われた。
 人間には人外の者の侵攻に抵抗する術はほとんどなく、生きたまま食らわれる者、愉悦の為に殺される者、己が命の為に他を犠牲にする者…だが、世界が地獄と化す中でも一握り、闘う者達も居た。人外の勢力に対抗する力を、意思を持ち、力無き命を守る為に。
「抵抗者達の数は絶対的に少ない…一人が欠ければその分、人類を守る盾がなくなる。ですから、多用な敵に対応する為、僕等には正確、迅速な情報が必要不可欠なんです」
その最も重要な情報伝達ライン「ゴーストネット」を率いるのが『未来』の雫だというのだ。
「とても可愛らしいのに逆境に強く聡明でいて…光のような女性で、僕等にとってとても重要な人物なんです。そしてそれ以上に、敵にとっては邪魔な存在なんです」
故に、『未来』で巧妙に存在を隠された彼女に変わって、『現代』の雫を…近接する世界の命を屠って呪詛の贄とし、『未来』の雫を殺そうというのだ。
「SFでよくあるな…邪魔なヤツの祖先を殺して、子孫が生まれないようにしちまえってヤツか」
「いえ…厳密に言えば、ここは僕等の『過去』ではありません。僕等の時代は2041年ですが、いわば魂が同期しているとでも言えばいいでしょうか…『未来』と『現代』の雫様はどちらも同じ時間を生きている…パラレルワールドのようなモノ、です」
郷の疑問を補足した美月は、途中、自販機で買い込んだ烏龍茶を差し出されるのをおず、と受け取った。
「すごーい、カッコイイ…ナイスバディなレジスタンスのリーダーかぁ☆」
「いえ、かなりスレンダーですよ、彼女」
うっとりとした雫の感想に、容赦ない現実を突きつけ、美月は郷を見上げる。
 濃い遮光グラスに表情を隠し、だが下唇を噛むような仕草は何か堪えるような。
「お願いします。彼女と何処か安全な所へ非難して下さい。あの男は…人でありながらあちら側に堕ちて鬼となった者でとても血を好みます。巻き込まれれば、貴方も無事では…」
「お前さんは?」
美月の言を遮って、郷は笑みを見せた。
「お前さんはどうするんだ?」
「僕は、あの男を倒します」
烏龍茶の缶を握りしめたまま、少年は決然と顔を上げた。
「時間移動装置はあの男と、僕とを送り込んだ物以外、全て破壊しました。奴さえ倒してしまえば雫様の命が危険に晒される事もなくなる…たとえ、刺し違えたとしても雫様を守り抜いて見せ…」
ピン、と郷の指が美月の額を弾いた。
「あ、郷………様?」
デコピンといえども痛いは痛い。
 呆然とする美月を見下ろし、郷は精悍な顔が笑みを刻む。
「面白そうじゃねぇか」
己が実力も弁えない分不相応な刀を打て、と金を積んで来た馬鹿な依頼を蹴って、退屈と暇とを持てあましていた所に、誂えたかのような厄介事…危険に首を突っ込む事は三度の飯より好きな男、と相棒が居れば的を射た表現をするだろう。
 それと同時に咎める顔も浮かんだが郷は、小さく頭を振ってそれを払うと口元の笑みを深めた。
「何なら力になるぜ?」
「いけません、貴方には関わりのない…」
言いかけて、郷がまた親指と人差し指で輪を作るのに身構える美月。
「もう『現代』のことでもあんだろ。あんなのを野放しにしておくワケにゃ行かねェしな?」
浮かんだ笑みは決して美月を安心させる為だけではなく、自信から。
「そうそう、郷さんなんておばけをやっつける刀を作れるんだから、平気平気♪」
姿形は違えど、尊敬する女性と言わば魂を共有している雫の後押しに言葉を詰めた美月、多勢に無勢とはこの事だ。
「ま、そんなワケだからもっと詳しい話、聞かせろや」
視線の圧力に徐徐に項垂れて行く美月…彼が小さく頷くのに、郷と雫は軽く掌を打ち合わせてささやかな先勝を祝った。


「やっほーッ☆」
雫は絶え間ない車の流れの向こうに見えた異質な黒に向かって大きく手を振った。
「鬼さんこちらーッ♪」
パパン、とカルメンよろしく顔の横で手を打つ雫に、男は…鬼はまた笑った。遠目に表情が見えたわけではないが、それは確かだ。
 行き交う車の存在を無視し、鬼はガードレールを血に染まった日本刀で切り上げた…ぶわりと血煙が立ち上り、金属製に白く塗られたそれはあっという間に赤黒く腐食して溶ける。
「作戦開始ッ☆くーッワクワクするぅ♪」
雫は踵を返した背に甲高いブレーキ音とクラクションとを聞きながら、先の廃ビルへと誘き寄せる為に着かず離れずの距離を慎重に移動し始める。
 幸いに走り出す様子はなく…とはいえ、こちらの意図に乗るつもりで動いているのかも知れないが、それはそれなりに幸い、と雫は自分の命の掛かっているというのにこの現状を楽しんでさえいた…怪奇好きにも程があるがこっちの雫にこれ位に肝が据わっていなければ、あっちの雫もレジスタンスなど務まらないのだろう、多分。
「郷さーん♪来た来た、来たよーッ☆」
エントランスに駆け込む雫の元気な声が響く。
「な、何故こんな危険な…ッ」
「まぁ腹くくれや。手段は選んでらんねーだろ?」
 合流するなり、三人は暗いビル内を非常階段へ向かって駆け出す…目指すは地下駐車場、電気は止められているので、エレベーターは使えない。
 最後尾を守る形に少年少女を先行させて、郷は背後を振り向く。
 四角く外界の光を切り取る出入り口の硝子が、赤黒い靄に染まって砕ける様が見て取れた。
「急げ!」
「手、の鳴る、方へーッ♪」
全力疾走に息を切らしながらも歌わずに居られないらしい雫の呼び掛けに、鬼はゆっくりと非常階段へと向かう。
 闇へ沈むように暗い階段を、コツ、コツ、と。
 殊更に恐怖を煽るように、死神の足音が降りて行く…地下一階、閉じられた防災ドアが腐食して砕けた先に広がるのは暗く、僅か路面に接するように取られた採光窓から洩れる灯りにようやく人影が認識出来るような灰色の空間だ。
「よぉ、こんなトコまでご苦労さんな話だな。出張旅費は出るのかい?」
真上からかけられた声に鬼は首を巡らせた…管理用に細く壁を取り巻く通路、通用口を背に立つ大柄な人影は、先に逃れた男のものか。
 無駄に広い空間に、柱と壁とに反射した声が反響する。
「諦めろ…お前にはもう帰る場所はない。時間移動装置は元々、我々の世界と画すべき貴様達の次元を限定する為の副産物として生まれた物…雫様の計画通り、世界中のオンラインを使って次元を封じる計画はもう動き出しているんだ。譬え、雫様のお命を奪ったとしてももう無駄だ」
鬼の正面…ボロボロのコートとサングラスのまま、手にした小太刀の刃先を向けて美月が告げる。
「雫………なぁ」
嗄れた声で名を呼び、鬼はもう一度通路へ顔を向けた。
 広い背に隠れた少女は自分に鬼の視線が向けられたと見るとビクリと身を震わせ、脅えて郷のシャツを掴んだ。
「そんなモンはどーでもいいんだよ…なぁ?美月…お前、俺に敵わないのを知ってるクセになんで追っかけて来た…?計画とやらにゃもう雫は必要ねーんだろ?だったらもう死んでかまわねー…」
ぼんやりとした口調からは、鬼の次の行動は掴み取れない程に早かった。
「よなぁ!?」
狂気としか呼びようのない高い笑いで、鬼は跳躍した。
 中空で身体を捻り、通路の鉄柵に飛び降りると、動きについて来れていない郷の頬を掠めるように刃を壁に突き立てる。
「カワイイコイツが渇いて仕方ねぇって啼くんだよ…まずコイツ等を殺して…それから美月のいい具合の絶望に染まった血を呑ませてやろぅなぁ!」
言い、壁から引き抜いた刃が郷の肩に振り下ろされようとした。
 が、鬼は途中で動きを止めた…否、止めざるを得なかった。
 ピタリと。
 自体から鮮血を溢れさせて血の飢え続け、呪いを発し続けるそれ…触れる者の生気を吸い取るその刀身を眼前に手も足も出ない筈の男が掴んでいる。
 否、両の掌が互い違いに刃を挟み、それぞれに押し出す形で動きを止めているのだ。
 そして。
 男の背後、脅えて竦んでいたはずの『現代』の雫…抱き付くように男を介して回された腕、その両手が突き出したのは…蒼い、光刃。それは『未来』で開発された、精神を具現化する武器。
「美、月…」
雫の衣服を纏って…美月は蒼い月の光のようなその精神の色で鬼の身体を貫いていた。
「二人ともすごーいッ!やったね☆」
眼下の駐車場…ピョンピョンと跳ね回るのは、反対に美月のコートとサングラスを身に着けた雫だ。
 コンクリートで覆われた駐車場、その反響を利用して雫と美月とを誤認させた、郷の作戦である。
 ガクガクと鬼が震え出す…魔に対する為の力が、貫かれた傷口から流れ込み浸蝕する。
「ば…か、な……」
「そりゃバカだよな、お前は」
呪いの刃に触れたまま、郷は口の端を上げた。
 反能力者である郷には、一切の呪術超能力魔力等が効かない…長口上に軌道の読みやすい攻撃で刃を取れなかったらこっちが馬鹿…とはいうがそんな芸当が郷以外にそう出来はしない。
「そしておいたが過ぎたな、コイツは」
郷は両の腕に力を込めた。
 互い違いに刃を支えていた掌…その中間で、パキン!と澄んで高い音を立て、血を望み続け、また数多の命を吸い続けた剣は、呆気なく折れる。
 鬼の喉から奇妙な呻きが洩れ、その姿はコートだけを残して土塊に変わり、落ちた。
「おめでとー、二人共♪アレ?この場合はありがとーなのかな?」
ぶんぶんと大きく手を振る雫に、片手を挙げた郷は、どこか呆然とした美月の様子に気が付いた。
「どうした?」
「なんだか………ものすごく、呆気なくって…信じられない……」
シュン、とその手の内から伸びていた蒼い刃が消える。その掌には刃を持たない小柄の柄がある。
「ずっと…ずっと、僕に力が足りないせいだと…」
「正直、あのバカにゃこの『現代』で対抗出来るヤツはお前一人だってぇ油断もあったろうがな」
郷はくしゃりと美月の髪を撫でた。
「正面切って守るだけが、方法じゃねぇって事だ…よくやった、良かったな」
美月はこくりと頷いた。
 パタパタと、その瞳から落ちる涙がコンクリートに染む乾いた音を立てる。
「ねー、そういえば」
雫が両手を振り上げた、万歳の位置で止まる。
「美月クン、どーやって『未来』に帰るのー?」
ごしごしと目元を擦り、美月は顔を上げた…日差しが変わり、その横顔、今は雫の顔を覆うサングラスに隠されていた面差しが照らし出される。
「僕は言うなればこの世界の異物ですから…時間までは分かりませんが、いずれ弾き出された所を仲間達が元の『未来』へ誘導してくれます」
眉目の整った造作、白い肌、光を透かして紫にも見える、青の…瞳。だが、髪だけは黒い。
「美月…そういえばお前、何で俺の名前を知ってたんだ?」
訝しげに眉を寄せた郷に、美月は笑顔を向けた。
「郷様のお陰で、雫様をお守りする事が出来ました。本当にありがとうございます」
その姿が、薄く透け始めた。
 美月は己が片手で郷を押し止めるかのように目の前に翳し、微笑む。
「名残は惜しいですが、もう時間のようです…正直、お会い出来るとは思っていませんでした。母に、良い土産が出来ましたし」
その手には、先に渡した烏龍茶が握られている。
「えー、もう帰っちゃうの美月クン!」
雫の声に一度目を閉じ、美月は郷を見上げた。
「どうか…どうか貴方は幾久しく、お元気で居て下さい」
美月は一歩、二歩と後ろに下がる…その姿は溶けるように徐徐に輪郭を光に溶かす。
「ねぇ美月クン、いつかまた会えるよね!?ちゃんとお礼したいからまた来てね?」
少し寂しそうな、どこか既視感のある微笑みを雫に向け…そして郷に頭を下げ、美月の姿はかき消すように、見えなくなった。


 夢でない証拠に、少年が残していったボロボロのコートとサングラスを手に、珍しく雫が深く溜息をつく。
「ねェ、郷サン…また会いたいな、会えるかなぁ…」
再会を望む動機が怪奇現象目当てでなければ、まるで恋する乙女の風情だ。
「そうだな…」
郷は懲りずに雫の指導を受ける為、その隣のPCに陣取っている。
 美月が最後。唇の動きだけで、郷を呼んだ呼称は気のせいでなければ……『父さん』、と…思い出す毎、自然と口許が笑みを刻む。
「いつか会えたらいいな」
遠く近く、時を隔てた小さな君に。