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<PCシナリオノベル(シングル)>


狙われた瞳
 まるで燃えるような、と評してしまうには暗い色味の赤い髪が目についた。
 一応の方向性を持って流れる人波、それを遡るだけで充分に人目を集めるが、間宮甲斐にとってはそれだけではない。
 その感覚は何と評せばいいか…まるで蜘蛛が張り巡らせた巣に同種が入り込んだような…自分の領域を侵される、そんな不快感を覚える。
 同時に感じる血の香り。
 命は、何かしら命を屠って生きるものだ…知るにせよ知らぬにせよ、それは誰もが拭えぬ業とも言える。
 だが、その錆びた薫りは必要以上の量を、それも己が手で命を絶つ感触を知る者独特の、生々しさがあった。
「随分と…」
剣呑な。
 呟き、甲斐は人の流れに任せたまま己の気配を絶つ…すぐ後ろを歩いていたサラリーマンの歩調が乱れた。
 自分の前にあった背中が突如存在感を失くし、だが視野の中には入ったままであるという特異な現象が起これば誰しも動揺するだろう。
 甲斐は流れのままに道の端に斜めに過ぎる形で移動し、その赤い髪の主と接触する事がないように動く…が、人の多い場所での荒事は避けねばという気持ちからやり過ごそうとする思いに反して、相手はこちらの動きに合わせて移動してきた。
「気付かれた、ようですね」
真っ直ぐにこちらに向かってくるその人物に、通行人が道を譲るように過ぎていく…そして壁際、誰か目を止める者が居るのか疑問な広告の前で足を止める甲斐の前に立った。
 赤い髪と瞳、そして、褐色の肌。東洋にない彫りの深い顔立ちのスーツ姿の青年は、感情の伴わない笑みを浮かべて口を開く。
「…あんた、綺麗な目だな」
真っ直ぐに覗き込むような、無遠慮な視線。
 甲斐は黒い両眼に感情の片鱗すら浮かべず、無言でその目を見返した。
 強い光を湛えた黒い双眸…だが、右の目は本来のそれでない。
 薄い偽りの闇色が隠す、光の金。
 いつだったか、その瞳を綺麗だと称した彼の主の言葉を想起する…が、その声の響きは眼前の青年が発したような値踏みするようなそれでなく、美しい花を見てただ綺麗だというような素直な賛美の響きがあった。
「貴方は?」
警戒を解かぬままの固い声で甲斐が問いかけるのに、青年はほんの少し楽しげな色をその目に昇らせ手を上げた。
 その指に挟まれた名刺大の紙片を差し出す。
「今夜、そこで待ってる」
囁きは耳元で…寄せた頬が触れんばかりの距離に、甲斐は半ば反射的に身体が動きそうになるのを懸命に堪えた。
 青年は身を離すと甲斐の胸に指を向ける。
「いいか…必ず、来るんだ」
赤い瞳は有無を言わさず、命令する事に慣れた口調には是非を判じる事も許さないまま、用は済んだとばかりに彼は踵を返した。
「待って下さい」
甲斐はその背に声をかけるのに足を止め、一顧する、瞳の赤さ。
「……お名前を伺っていないのですが」
了承の意とも取れる問いに、青年は短く答えた。
「…エイラム・ヴァンフェル」
姿はすぐに人混みに紛れて見えなくなる…だが、甲斐はその鋭利な感覚がエイラムと名乗った青年の気配を感じなくなるまで、その方向に目を凝らし…そして漸く、紙片に目を落とした。
 所在は書かれていないが、その名だけで場所を把握出来る高級ホテル…その、最上階と思われるルームナンバーに軽く眉を開く。
「大胆なお誘いですね」
色の薄い唇に紙片の角をあて、甲斐はしばし黙考すると目的とは別のホームへ向かう為、新宿駅の構内を反対方向へ向けて歩き出した。


 上昇するエレベーター、狭いなりにだが平均的なそれより造りの大きい空間は、奥に外を臨んで密閉されていながらも閉塞感はない。
 下へと流れる夜景を横目に、甲斐は、キュ、と革手袋の手首の部分のベルトを締めた…黒革を基調とした衣服はハードなファッションと言えなくもないが、首など要所に配された同素材の装身具は頸動脈などの急所を庇う為の実用的な用途である。
 古来より陰陽師の血と知識を伝える天宮家。
 その傍系である間宮家は、呪法や暗殺の面を担って影の如くに分かち難くあったのだが、何代か前に本家より離縁されて後に、けれども生業を捨てる事なく伝えてきた一族、その長子である甲斐は、心技体に血の伝える全てを受け継いでいる。
 鈴の高い一音で目的の階への到着を告げ、内臓に重力の変化を与えながら、エレベーターが止まった。
 開かれた扉の向こうは、真紅の絨毯が左右に長く、象牙色をした花を浮き彫りにした壁がその鮮やかな色調を華美でない程度に抑える。
 甲斐は、黄金のプレートが順の示す…階下の部屋数から考えれば遙かに個数がないというだけでその広さの想像も容易な…部屋の番号へと向かって足を踏み出した。
 毛足の長い絨毯は足音を殺すまでもなく、体重を吸い込む。
 長い廊下に人影はなく、広い間隔で取られた扉は厚く、容易に人の気配を気取らせない。
 そのはずが、甲斐が指定の部屋に辿り着くほんの三歩の位置で、目的の扉が開いた。
「遅かったな」
ふわりと絨毯を撫でて内側に開かれた扉、エイラム・ヴァンフェルが扉を片手で押さえて僅かに身を引き、甲斐を招じ入れる形で室内を示す。
「入るといい」
断じる口調も変わらないエイラムに、甲斐は無言でその指示に従った。
 背後で扉が閉められ、カチャン、とチェーンを金具に落とす音に押されるように、室内に踏み込めば、眼前に、濃淡のある黒に多彩な光を散りばめた夜景が広がる。
「この街も、陽が落ちればそう悪くはない」
エイラムはそう声をかけながら、部屋の片隅にあるカウンターへと向かった…設えられたミニバーに備えられた様々な酒類はひとつとして同じ代物はなく、またそのどれもが未開封だ。
「何か飲むか」
迷いのない手付きで、その内の一本…透明に肩を張ったような瓶、内に湛えられたとろりとした質感で均一な琥珀が掌の内に包み込める小さなグラスに注がれ、暖色の灯に一点の炎の宿したような色合いである。
 甲斐は無言のまま、差し出されたそれを受け取った。
「やはり澱みのない黒い瞳はそれだけで綺麗だな」
カウンターに着いた片手で体重を支え、甲斐の瞳を覗き込むエイラムの、熱を感じさせない赤い瞳が僅かに感情を宿す。
「貴方こそ……綺麗な瞳ですね」
至近に顔を寄せられても動ぜず、甲斐は僅かに笑んでさえみせた。
「禍々しいほどに」
甲斐はカウンターにグラスを置き、右手の革手袋を外すと、す、と己の右半面を撫でる仕草をした。
 その手が退けられたその下。
 蝕から解き放たれた天空の光を思わせる、金に、エイラムが息を呑んだ。
「カラーコンタクトです…俺の右眼の本来の色を、貴方はお気付きでなかったようですね」
小さく薄い硝子片を指の上に示し、甲斐は自らエイラムの血ようなと称してしまうには熱の薄い瞳に、その金を更に寄せた。
「教えて下さい。目的は?」
彼の右眼…オッド・アイとしても特異な色合いを見せるそれは霊視はもとより他者の精神を見透かし、働きかける事も可能とする…まるで邪眼のように。
 エイラムの視線が、一瞬宙を泳ぐ。
 如何に鍛えた者でも、精神に直接働きかける力に抗うのは難しい…エイラムの膝がガクリと落ち、カウンターについた手でどうにか転倒を免れる。
 …最近、人伝に流布する噂がある。
 美しい瞳を持つ者が次々と殺されている、というのだ。
 その、どのメディアにも掲載されない都市伝説の様相を呈したそれが、瞬く間に広がったには理由がある…老若男女を問わず犠牲となった人々の瞳は奪われ、その眼窩には白い義眼が嵌め込まれているのだという。
 猟奇的な響きに人は好奇心を掻き立てられ、裏付けがないままに広がる噂は甲斐の耳にも届いていた。
 そして今日、エイラムと出会った際の奇妙な符号が気にかかり、情報を集めてみれば実際の事件でありながら、捜査上の理由から、と一切のマスコミ報道が禁じられているのだと、カメラマンとして伝手のある新聞記者が苦い顔で教えてくれたのだ。
「何故白い義眼を?」
カウンターの向こうに膝をつくエイラムの手は甲斐の力に抗そうというのか僅かに震え、爪の色が白いまでに滑らかな木の端を強く握り締める。
「答えて下さい」
続く問いかけにその手から力が抜け、甲斐の視界からエイラムの姿は完全に消えた。
「………答えてあげる」
…応える声が高い。
 訝しく思う間もなく、カウンターの向こうから人影が立ち上がった。
 その、抜けるように白い肌、光を透かして流れる髪の色は限りなく白に近い茶で、そして瞳も同色の…エイラムと良く似た相貌を持つ女性。
「エイラムはね、黒い瞳が好きなの。そして私の好きな白を貰った瞳のかわりに入れてあげてるのよ」
微笑む表情は20より後には決して見えず、その身には先刻までエイラムが着ていた背広をサイズが合わないままに纏っている。
 甲斐の視線に気が付き、エイラム…否、彼女は己の姿を見下ろした。
「ごめんなさいね、急にエイラムが眠ってしまったから着替える間がなくって…私はメアリよ。メアリ・ヴァンフェル」
メアリ、は少女の顔で笑う。
「貴方の瞳、とても綺麗ね…ひとつだけなのが残念だけど」
彼女は長く波打つ髪を両の手で梳き下ろし、その一房をつまみ上げて口許にあて、小首を傾げた。
「別に使わなくてもいいわよね。腐らないように、大事に飾っておいてあげる」
「よく掴めないのですが…瞳を奪う意味をお聞きしても?」
甲斐の最もな言にメアリは腰に両の手をあてて、その細さを確かにした。
「呑み込みが悪いわね。ゾンビの材料にするのよ。どうしてか眼球だけはどんなに手を施してもすぐに腐ってしまうの…だから常に新鮮な瞳が必要なのよ。でないと連れて歩くのにコトでしょう?」
とくとくと説明するメアリの言に、甲斐は僅かに眉を顰めた。
「……生憎この瞳は許可なしにあげる訳にもいかないので」
そして次の動きは迅速だった。
 手の内に握られたナイフ、それがメアリの首元、頸動脈の位置に添えられる。
「事と次第によっては」
「どうするの?」
けれどメアリは動じず、無闇な動きを制する目的で首の後ろに添えられた甲斐のもう片方の腕に細いその手を添えた。
「…どうもしません」
必要であらば、無抵抗の女性が相手であろうと甲斐はその手を躊躇する事はないが、今この場で事を荒立てたままにするつもりは元よりなかった。
 ただ、これ以上の惨劇を止める手立てがあれば、また止める事が出来ればと思ったまでだ。
「…俺としては、大人しくこの地を去る事をお勧めしますが」
「他の土地でなら、誰が死んでも構わないというの?私たちを今ここで殺しておかないと、後悔するわよ?私のうちならとっても簡単…ほら、その手に少し力を込めればいいだけだもの。それとも、自分の手を汚すのは怖い?」
くすくすと、メアリの笑いが耳に響く。
 甲斐は僅かに口許を引き…目を伏せると同時にナイフを引いた。
「……俺の怖れは、守るべきを失うより他ないですから」
トン、と軽く肩をつかれて後ろに蹌踉めいたメアリに背を向け、甲斐は戸口へと足を向けた。
「主が守る地で、自分の裁量だけで勝手は出来ません…命拾いをしたと思うのならば、二度と俺の前に姿を見せないで下さい」
一度だけ足を止め、後顧する黒い瞳は紛れもない甲斐自身の意思を秘めて強く。
「次はないと、思って下さい」
警告。
 甲斐は相手の応えを待たずに扉を開き、廊下へと出た。
 片の掌に視線を落とす…金の瞳が、その手が赤く染まっているようにでも見せるかと思ったがそれは普通の肌色のままで、甲斐はその手を一度拳を作り、詰めていた息を吐き出しながらゆっくりと開くと、エレベーターへ向かって歩き出した。