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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


プリトリアス博士のペット探し
「‥‥もう一度言ってくれ」
 草間は、その日訪れた依頼者に、丁寧な口調という物をすっかり忘れて聞き返した。
 それに、応接セットのソファに深々と腰掛けた30絡みの白衣の白人男性が、依頼内容を繰り返す。
「4次元生物が逃げた。探して捕まえてくれ」
 その男‥‥クロフォード・プリトリアス博士は、彼の所有する研究所兼自宅の4階建てビルの一室に、特殊な空間断層(特殊じゃない空間断層なんてあるのかと草間は思った)を発生させ、その部屋の中で4次元生物ハイパースフィア(3次元的には宙に浮かぶ球体にしか見えないらしい)を飼っていたという。
 それが、ちょっとした事故(時空振動弾の暴発で空間断層が崩壊したという)で4次元生物が逃げ出してしまったのだ。
「3次元空間を湾曲させて檻を作ってあるから、研究所のビルの中からは逃げない。君らは空間断層を用意した部屋に4次元生物を追い込むなり、連れ込むなりしてくれれば良い。もっとも、4次元生物は4次元軸上に移動する事が可能なので、君達には神出鬼没に見えるだろう。当然、3次元的な障害物は無効だ。単体であるが3次元空間上には同時に複数出現する事もある」
「そんな物をどうやって‥‥」
 草間が言いかけるのを聞かず、プリトリアス博士は軽く肩をすくめてから口を開いた。
「幽霊、妖怪等という奴らを相手に仕事をしてるんだろう? 4次元生物は、4次元空間に住み、4次元の性質に従うというだけの普通の生物だ。臆する事はないだろう?」
 言い終えて博士は、応接テーブル上のコーヒーの残りを啜り込み、草間に更に言い放つ。
「ペット探しは探偵の仕事だ。違うかね?」


「クロフォード様、他の興信所の方にお話を聞いてみたのですが、ペット探しのお仕事は普通、興信所では受けないんだそうです。そういうのは『何でも屋』さんのお仕事なんだそうですわ」
 金色の長い髪を縦ロールにした、天使のように可憐な美少女、御影・瑠璃花の何気ない一言にクロフォード・プリトリアス博士は首を傾げた。
「そうなのか? ふむ‥‥リサーチが足りなかったか。邪魔をしてしまったようだな、このお詫びは改めて‥‥」
 言いながらプリトリアス博士はそのまま立ち上がりかける。と‥‥それを、草間は手を挙げて止めた。
「いや、うちでお受けしますよ」
 草間は博士を引き留めながら、内心では苦々しい思いを感じていた。
 探偵の仕事ではないから等と言い出せば、草間の所に来る仕事のほとんどが探偵の仕事ではない事になってしまう。
 何処に怪奇現象に携わる探偵がいるというのか‥‥答は“ここ”以外に有り得ない。
「ここは、そう言う変な事件への経験だけは無駄に豊富ですから。我々にお任せ‥‥」
「止せ」
 その時、食べ物をたかりに事務所にやってきて、そのまま昼寝していた犬の太郎がむくりと起き上がり、草間を止めた。
 犬に見えても実際には数百年を生きた妖物である太郎は、達者な口振りでプリトリアス博士に向かって言う。
「帰っておのれで始末をつけるがいい。それは他の誰でもない、貴様の仕事だ。貴様以上に貴様の仕事のことを知っているものなどいないのだから、貴様以上に上手く片付けられるものもいる道理はない」
 犬に口をきかれれば大概の物は驚く。だが、プリトリアス博士は驚く事もなく言い返した。
「人間相手に道理を説く前に、理路整然と考えろ。人を頼ったのには、それなりの理由があるという事もわからないのか? 自分で片付けるのが最良の手段ならば、わざわざ来るものか」
 そこに混じるあからさまな侮蔑の情‥‥知恵の無い生き物は困るとでも言わんばかりのその言葉に、太郎は怒りを覚えて言い返した。
「違うと言うなら、まず包み隠さず話せ! 我々に何をさせたいのだ!?」
「言っただろう‥‥ペット探しだ。犬のくせに耳が悪いのか? それとも、俺が騙そうとしているとでも考えたのか? 被害妄想が激し過ぎるのじゃないか?」
 プリトリアス博士は、太郎を完全に馬鹿にしきった目で言う。
 まあ、仕事の依頼をしに来て、そこで自分の事は自分でしろと言い捨てられ、あげくに何の根拠もなく疑われては怒りもするだろう。
 こういう、嫌みな切り返し方をするのは大人げないが‥‥ともかく、プリトリアス博士は太郎の事を馬鹿にしきった口調で言う。
「ここへ来たのは主に経済的な理由からだ。確かにハイパースフィアを捕獲する装置はある。最初にそれで捕まえたのだからな。それを使えば、万事解決‥‥だが、装置を動かすには莫大なエネルギーが必要だ。それを用意するよりも探偵を雇う方が安い‥‥疑問はあるか?」
 捕獲装置を動かすには高額の費用がかかるから、もっと安くすむ探偵を使おうという結論に達したという‥‥あまり格好の良い話ではない。だが、無駄をしないという意味では合理的ではあった。
 しかし、そんな理由など太郎には関係ない。太郎が怒っている理由は別にある。ただ、一つの事が気になって太郎は聞き返した。
「捕まえた? 4次元生物は、貴様が生み出したのではないのか?」
 太郎は、4次元生物はプリトリアス博士が生み出したのだと考えていたのだ。
 だが、プリトリアス博士は太郎の問いに、大げさな溜め息をついて太郎の無知を嘆いた。そして、小さな声で神に祈り、この様な愚かしい生き物が存在する事を許して欲しいと乞う。
 そうしてからプリトリアス博士は太郎に答えた。
「3次元空間で、4次元生物を創り出せる筈がないだろう。高さのない2次元空間で、高さのある3次元構造物を創れるか? 同じ事だ」
 低い次元を高い次元は内包できるが、逆は不可能である。3次元空間は4次元軸方向への厚さが0なので、4次元軸方向への厚さを持つ4次元構造物を3次元空間内で創る事は出来ない‥‥そう言う事なのだが。
 太郎には良くわからない説明だった。
「‥‥何だかわからないが、そんな事はどうでも良い! ペットに対して投げやりな態度をとる、貴様のその不義理な態度が許せんのだ!」
 吼え盛る太郎に、プリトリアス博士は尊大な態度で言い放つ。
「どうでも良いなら聞くな。それに、犬ごときに許してもらう必要は全く無い」
「貴様‥‥私を侮辱するのも大概にしろ!」
 怒りのあまり、牙を剥き出す太郎。今はただの犬の姿ではあるが、その牙ならばプリトリアス博士の首を食いちぎる事も可能だろう。
 だが、プリトリアス博士は全く動じず、軽く肩をすくめてみせる。
「噛むなら、狂犬病の予防注射を受けてからにしてくれ。まぁお前は、普段は威張り散らしてはいても、いざ注射となったらキャンキャン吼えて尻尾を丸めるクチだろうから無理かもしれないがな。それから噛んだ後は、保健所に通報させてもらうが‥‥かまわないな? 薬殺処分で無駄に長い一生を終えるも一興だろう」
「貴様!」
「太郎、止めろ! 事務所で騒ぐな!」
 襲いかかろうとした太郎を、草間が止めた。
 暴言を吐いたのは太郎が先であるし、プリトリアス博士を攻撃されでもしたら、本気で太郎を駆除しなければならなくなる。今まで、幾度かあった同様の事件と同じように‥‥だ。
「博士も挑発するような真似は止めて下さい」
「わかった。悪かったな‥‥」
 草間に言われ、プリトリアス博士は特に悪びれる様子もなく言う。自分が悪かったと思っていないのは明白だった。
「まあ良い。仕事を引き受けてくれるなら、明日にでも研究所の方に人をよこしてくれ。それから、うるさい犬はいらん。毛でも撒き散らされて、機械が故障したら困る」
 そう言って、プリトリアス博士は席を立った。そして、草間に一礼して事務所を出ていく。
「何て無礼な奴だ! 月夜になれば、必ず喰い殺して‥‥」
「止せ、お前を討伐なんかしたくないぞ。まあ、今日は帰って寝ろ。相手が悪かったな」
 草間は怒気を吐き散らす太郎を宥めた。
 ‥‥太郎の同行は断られて当然。喧嘩を売ってる相手を雇わなければならない理由はない。
 草間は気を取り直すと、事務所にたむろしていた連中に聞いた。
「さて‥‥こんな依頼で気が重いかも知れないが、誰か行ってくれるか?」


 都心から僅かに離れた場所にそのビルはあった。5階建てくらいの雑居ビル風だが、その脇につけられた看板には『プリトリアス時空次元研究所』とだけ書かれている。
 まるで‥‥怪しい通信販売の会社みたいだ。
 いかにも怪しげな研究所を名乗っている所と言い、中途半端なビルに居を構えている所と言い、実にろくでもない怪しさに満ちている。
 草間興信所からやってきた者達はそのビルの中に足を踏み入れ、玄関をくぐってすぐの応接室らしき場所に通されていた。
 なお、らしきと言ったのは‥‥どうも、プリトリアス博士が応接室で寝起きしているようで、カップ麺の残骸やらタバコの吸い殻が山盛りになった灰皿やらで汚れまくっていたからだ。
 まるで零が来る前の草間興信所のようだった。
「さて‥‥よく来てくれた。まあ、こんな物しかないがとりあえず楽にしてくれ」
 プリトリアス博士が出した湯飲みとコーヒーカップの混成部隊。その中には、灰緑色の得体の知れない液体が入っていた。それと同じ物を、博士は歯磨き用のカップらしき物で飲んでいる。
「じゃあ‥‥いただきます」
 チョッキに半ズボン姿の青年、唐縞・黒駒が、とりあえずそれを飲んでみた。
「!?」
 直後、脳天を突き抜ける不可思議な味わいに黒駒は絶句する。黒駒の意識は、大気圏を突き抜け、星々の深淵の中に遊び、ブラックホールの暗黒を通り抜け、ホワイトホールの爆発の中から帰ってきた。
 そしてそのまま、青い顔をして動かなくなる黒駒。彼にプリトリアス博士は言った。
「味はともかく、体には良い」
 そんな二人の様子を見‥‥黒髪の少女、ササキビ・クミノは出された物を勝手に毒物指定し、飲むのは止めた。そして、
「さっそく、依頼の話を聞かせて欲しい。特に、私達が相手をするハイパースフィアについて。個体名、物体としての組成・性状、生態、餌と時間、意思疎通方法、睡眠はとるのか‥‥これくらいは教えて欲しい」
 クミノに聞かれ、プリトリアス博士は答える。
「個体名はハイパースフィア。組成は哺乳動物の肉体に酷似する。ただし、3次元的な攻撃では決して死ぬ事はない」
 プリトリアスの説明をそこまで聞き、クミノはホッとした。
 クミノを覆う致死性の結界は、時間を超えて作用する物ではない。つまりは、4次元的な攻撃ではない為、ハイパースフィアには効果をほとんど及ぼさない。
「生態は活動の大部分を我々では認識が難しい4次元空間で行うので不明。餌は他の4次元生物を捕食している。意志疎通の方法だが、言語は通じないが直接の接触は向こうも感じるらしい」
「そう‥‥お話はできませんのね」
 御影・瑠璃花は、少し残念そうに言う。そして、新しい質問をぶつけた。
「では、クロフォード様。スフィアさんはどのくらいの大きさなのでしょう?」
「スフィアの大きさ? さて、3次元空間上の大きさは常に変化するからな‥‥最大で部屋一杯に膨らむ事もあるし、最小ならば文字通りの0まで。普段はそう‥‥直径50cmぐらいだ」
 考えながら答えるプリトリアス博士。
 瑠璃花は少し考え、そしてニッコリ笑って言った。
「普段くらいの大きさなら、抱っこして差し上げられますね」
「そうですね‥‥3次元的接触は可能。それは予想通りでした。でも、3次元的拘束は長続きしませんよ?」
 言ったのは、トリップジュースから回復した黒駒。ここに来る前に色々と考えてきた黒駒は、瑠璃花とクミノに向かって更に言葉を続けた。
「例えると『鳥は飛べるが、法則はある』と言うことです。判りにくいですか? すみません‥‥」
 瑠璃花は首を傾げているし、クミノも熱心に耳を傾けているようだが理解は出来ていないと言う様子。黒駒は言葉を重ねて説明をする。
「前後左右上下以外に過去未来方向に移動できる、逆に言えば幽霊にみたいに壁抜けができたりはしないと言うことです。三次元的拘束が不可能というのは、今から用意できるレベルの障害は過去や未来に移動してから逃げれるからですね」
 例えば、瑠璃花がしっかりとハイパースフィアを抱き締めたとする。その時、逃れようとするハイパースフィアはどうするか? 前後左右上下に動けなければ、時間軸を移動するのだ。
 過去か未来には、瑠璃花がその場所でハイパースフィアを抱き締めていなかった時間がある。
 そこを通過する事によって、瑠璃花から逃げることが出来る‥‥
「それは‥‥時間軸を移動されると言う事は、歴史が変わるのか?」
 クミノが首を傾げて言った。
 黒駒の言った通りならば、ハイパースフィアは時間を移動することで、起こっていた事実をキャンセルする事すら出来る訳だ。
「僕達から見るとそうなりますが‥‥彼ら四次元生物にしてみれば、障害物を除けた程度の事でしかないわけですから」
 黒駒も良くはわからない様子で答えた。
 この辺り、想像するのは何となく出来るが、理論だって現象を説明しようとすると言葉に詰まる。
「しかし、捕獲は可能と思いますよ。例えば透明ケ−スや蜘蛛の糸みたいなのを放置して拘束状態を継続するなら未来には動けませんしね」
「未来を塞いでも、過去に逃げられたらどうにもならないだろう。それに、我々は現在にしか干渉できないしな」
 黒駒にクミノは言う。そしてクミノは、黒駒の説明から結論を導き出した。
「これはもう遊んでやって断層内に連れ込むしかない、ハイパースフィアが三次元生物と遊ぶには、ほぼ同じ時空線上につきあう必要があるからな。聞き忘れたが、ハイパースフィアは人間に友好的か?」
 クミノはプリトリアス博士にもう一度問いをぶつけた。それを受け、博士は苦笑を浮かべる。
「俺以外の人間には概ね友好的だ。そして、俺は恐らくハイパースフィアが嫌う最悪の人間だろうが、それでも攻撃された事はない」
「スフィアさんはお優しいんですのね」
 瑠璃花が嬉しそうに頷く。そして、指先を合わせて、にこやかに言い放った。
「では、宙に浮かぶスフィアさんと鬼ごっこして遊べばよろしいんですね☆」
「‥‥‥‥」
 それは‥‥概ねクミノの考えと一緒であったが、どうにもそれは違うとクミノは言いたくてたまらなかった。


 2階‥‥次元研究フロア。
 ハイパースフィアの出現率が最も高い。
 ビルは意外に広く、内部も入り組んでいる。確かに、ここに神出鬼没の生物が現れるとなれば、誰かの力を借りたくなるだろう。
 2階で比較的大きめの部屋‥‥皆はそこを遊び場と定め、そこから研究室に誘導するという段取りを組んでいた。
 そこに‥‥黒駒が駆け込んでくる。
「戸を全部閉めて、不要な通路にはネットを張ってきました!」
 黒駒は、軽く息を付かせながらクミノと瑠璃花に言った。
 戸を閉め、行って欲しくない通路にはネットを張る。それで、ハイパースフィアは逃げにくくなる筈だ。
「ご苦労様です」
 一仕事を終えてきた黒駒に瑠璃花はねぎらいの言葉をかける。そして、クミノはふともう一人いる筈の人物がいない事に気付いて聞いた。
「博士は何を?」
「ハイパースフィアを研究室に追い込んですぐに檻を閉じ直す必要があるそうで、研究室のコントロールルームに残りました。それに、嫌われ者の自分はいない方が良いだろうと。ここは僕達にお任せのようです」
「なるほど‥‥正解だな」
 クミノは頷く。確かに、仲良くやろうという作戦に、嫌われているらしいプリトリアス博士がいるのは邪魔だろう。
 何をしてそんなに嫌われたのかは謎だが‥‥
「まあ良い、ではハイパースフィアの出現を待つか」
「では、お茶にいたしましょう☆」
 クミノの言葉が終わるや、瑠璃花の言葉が響く。そして、瑠璃花の傍らには、テーブルに乗ったティーセットが用意してあった。
「おいし‥‥そうですね」
「‥‥まあ、良いがな」
 ちょっと戸惑った黒駒とクミノをさておき、瑠璃花は嬉しそうに自らお茶の準備をする。
「このお茶、大変おいしいんですのよ」
 言いながらお茶缶を開ける瑠璃花‥‥と、その手が不意に止まった。
 お茶缶の代わりに、瑠璃花の手の中にいたのは西瓜ぐらいの大きさの玉だった。
 猫柳の芽の様な銀色の短い毛に覆われたそれは、その大きさを絶えず変え続けながら瑠璃花を窺うようにその手の中に収まっている。
「え‥‥いつの間に?」
「時間移動で、お茶缶を取ったと言う現実に割り込んだんですよ。きっと」
 テーブルの上に落ちたお茶缶を見、黒駒が正解を弾き出す。
「でも、これは良い兆候ですよ。少なくとも、未来で僕達はハイパースフィアに嫌われなかったと言う事ですから。だからハイパースフィアは、こんな悪戯をしたんでしょう。もっとも、僕達にとって、その未来は変わってしまいましたが‥‥」
 未来で自分達はどんな接触をしたのか。向こうはこちらを知っているのに、こちらは向こうを知らないと言うのはやりにくい。
 慎重に当たらないと‥‥と黒駒が思った時、瑠璃花は早々と行動に移っていた。
「可愛いですわぁ☆」
 瑠璃花は、柔らかい毛玉みたいなハイパースフィアを抱き締め、その毛皮の中に頬を埋めた。
 柔らかな毛がとても気持ちが良い。
「きゅいあ?」
 その時、ハイパースフィアは鳴いた。
「きゅるるるるる。るぅい」
「これ、何て言ってるの?」
 瑠璃花は黒駒を振り返り見る。
「いや、僕も専門じゃないんですけど‥‥」
 黒駒は困りながらも考え、仮説を説いた。
「言葉ではないと思います。4次元生物の『声』が存在するとしたら、それは時間軸方向にも広がりを持つものでしょうから‥‥時間軸の振動を関知できない人間には、正確な認識は出来ない筈です」
「まあ、声なんかよりも、態度の方がわかりやすいな」
 クミノは、じゃれあってる様にしか見えないハイパースフィアと瑠璃花を見、安堵しながら言う。大きな問題は起こっていないようだ。
「何にせよ、このまま‥‥」
 言いかけたクミノ。と、その眼前に瑠璃花が持っているのと同じ毛玉が現れた。
「ハイパースフィア? 2匹?」
「違います。同じ個体ですよ。プリトリアス博士が、同時に複数出現する事があるって言ってました」
 答える黒駒‥‥彼の前にもハイパースフィアが姿を現す。
 どう反応するか困った二人に、瑠璃花は微笑みかけながら言った。
「大丈夫ですよ。とっても、可愛いですわ」
「‥‥まあ、確かにな」
 クミノはそっとその毛玉を手に取り、撫でてみる。柔らかい毛がとても気持ちよかった。
「このまま、研究室の方に持って行けばいいのか‥‥何をしている?」
 クミノは、ハイパースフィアを抱き締めながら黒駒の方を見‥‥そこで、相撲取り位の大きさに膨れ上がったハイパースフィアに押し潰されている黒駒を見て言葉が止まった。
「ちょ‥‥ちょっと、未来の僕は、君とどんな遊び方をしたんです!? お、重い‥‥」
 黒駒の悲鳴混じりの声。
 見たところ、少なくともハイパースフィアの方はじゃれついているだけなので安心である。
「唐縞様とスフィアさん、とっても仲良しですのね」
 にこやかに言う瑠璃花。その胸の中には、ハイパースフィアが馴染んで抱かれていた。


 各々が研究室にハイパースフィアを抱いて入ったのは、数時間が経過した後の事だった。
 恐らく、ハイパースフィアは何度か過去や未来への干渉を起こし、実質はその数倍の時間を3人と遊んだのだろう。そして、ようやく満足してくれたというわけだ。
「遅かったな。苦戦したのか?」
 研究室に入ってすぐに、スピーカーを通してプリトリアス博士の声が聞こえた。
 見回せば、部屋の壁の一面がガラス張りになっており、その向こうにプリトリアス博士の姿が見える。そこが機械の制御室なのだろう。
 黒駒は、プリトリアス博士にちょっと困った様子で言った。
「ええ、はい‥‥苦戦はしました」
 遊びなのか何なのか、ずっとハイパースフィアに押し潰されていたいたのだ。これを苦戦と言わずしてなんと呼べば良いのだろう。
 そんな黒駒はさておき、ハイパースフィアを抱いたクミノが、プリトリアス博士に言った。
「苦戦と言う事はない。ハイパースフィアと遊んでやったら、おとなしくここに戻ってきてくれた‥‥ハイパースフィアは、閉じこめられるのが嫌だったのではないか?」
 どうも‥‥そうではないかとクミノは思う。 それに納得したのか、プリトリアス博士は尊大な態度のままだったが、ハイパースフィアに言った。
「そうか。悪かったなハイパースフィア。狭いのは嫌だったのか」
「博士は遊んであげないんですの?」
 不思議そうに小首を傾げて聞いた瑠璃花に、博士は淡々と答える。
「前にも言ったが、俺は嫌われている。まあ、いきなり首に縄を掛けられれば怒るだろう。仕方のない事だ。ゆっくりとつきあっていくさ」
 言いながらプリトリアス博士は、手元のコンピューターに起動命令を打ち込む。直後、甲高い電子音が鳴り響き‥‥そして止まった。
「ハイパースフィアの檻を閉じた」
 見た目情の変化はないが、確かに何かが変わったのだろう。おそらく、その変化は3次元生物には関知できないのだろうが。
 3人の腕の中から解放されたハイパースフィアが、ふよふよと漂いながら部屋の中央に集まる。そこで、ハイパースフィアは一つに重なり、一個になって移動を止める。
 ハイパースフィアは、再び檻の中に閉じこめられたわけだ。
「‥‥プリトリアス博士。ハイパースフィアを逃がしてやってはどうだ? このままでは、また同じ事の繰り返しになるかもしれん」
 クミノは言った。仕事はここまでだが、出来ればハイパースフィアを逃がしてやりたい。
 ハイパースフィアに3次元の檻は狭すぎる。
 だが、プリトリアス博士は、ゆっくりと首を横に振った。
「ハイパースフィアは、研究にも必要でね。4次元軸移動の仕組みを調べて、ある物を作りたいんだ。それには、もうしばらくかかる」
「何を作っているんですか? よろしければ教えて欲しいんですが‥‥」
 黒駒がちょっと好奇心に駆られて言った質問。それに、プリトリアス博士はニヤリと笑ってから大仰に胸を張って答える。
「4次元航行機‥‥タイムマシンだ。まさに人類の夢。完成した暁には、人は歴史を学ぶ事の愚かしさを知るだろう」
 プリトリアス博士は、ここで何らかの反応‥‥例えば感嘆の呻きとか賞賛の拍手とかが返ってくるのを期待したようだが、残念ながらそれは無かった。
 代わりに、瑠璃花が手を挙げて聞く。
「‥‥それはともかく、クロフォード様。スフィアさんと遊びに、また来てもよろしいでしょうか? そうしたら、スフィアさんも逃げないと思いますの」
 ハイパースフィアの丸くて柔らかい感触が病みつきになった瑠璃花が言う。
 プリトリアス博士はともかく、ハイパースフィアは可愛いのでまた会いたい。
 プリトリアス博士は瑠璃花に寛大に言う。
「‥‥かまわない、また来たまえ。そうだな、今度は俺の科学発明品の数々も見せてやろう。きっと気に入るだろう」
「それは、次に来た時に‥‥今日は、僕達はこれで帰らせていただきます」
 黒駒が、瑠璃花の代わりに返答を返した。プリトリアス博士は、黒駒を見て言う。
「そうか‥‥皆、ご苦労だった。報酬の方は、草間興信所宛に振り込んでおこう。今日は本当にありがとう」
 プリトリアス博士の尊大な態度ではあるが一応は礼である言葉を受け、黒駒は一礼して研究室のドアに向かった。
 何か、出入りを阻害する物があるかと身構えたが、ドアは簡単に開いて黒駒を通す。
 おそらく、4次元的な厚みを持った物のみに有効な檻が作られているのだろう。
「では、これで失礼する」
 クミノは、宙に浮かぶハイパースフィアに複雑な表情を向けてから、背を向けた。
 出来れば逃がしてあげたい‥‥そうクミノは考えたが、今は諦める。
 プリトリアス博士の拘束は永遠ではない。4次元生物にとって、3次元生物の時間など歩いて渡れるものなのだ。それほど重い苦痛ではないだろう。そう考えて。
「では、スフィアさん、クロフォード様、ごきげんよう」
 最後に瑠璃花がハイパースフィアとプリトリアス博士に一礼して去ろうとした。
 その時、何やら思い出したかのようにプリトリアス博士は瑠璃花に言う。
「そうだ、一つ頼まれてくれ」
「はい、何でしょう?」
 問い返した瑠璃花に、プリトリアス博士は特に詫びるという風もなく言った。
「あの太郎とか言う犬に、言い過ぎて悪かったと言っておいてくれ。あの時は、ハイパースフィアが気懸かりで苛ついていた。君達への報酬と一緒に、何か美味い物を見繕って送らせてもらうからそれで許してくれとな」

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
1316/御影・瑠璃花/女/11/お嬢様・モデル
1371/太郎/男/826/野良犬
1166/ササキビ・クミノ/女/13/殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない。
0418/唐縞・黒駒/男/24/派遣会社職員

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■         ライター通信          ■
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 皆さま、今回は参加いただきありがとうございました。
 私にしては珍しく、ほのぼのと終わったわけですが‥‥如何でしたでしょうか?
 SFという題材は、もう何本か書いてみたいと思います。その際に、また参加していただけると幸いです。

御影・瑠璃花さん
 ハイパースフィアと遊ぶという解決方法は良かったです。
 相手は動物ですし、ペットですから懐かせれば勝ちですので。

太郎さん
 客であるプリトリアス博士に選択の余地がある状況で、プレイングの台詞を言ってしまっては、仕事への参加を断られても仕方がありません。
 その為、今回は留守番という事にさせていただきました。

ササキビ・クミノさん
 遊んで3次元空間に引き付けるというのは、正しい回答でした。他の手段では、もうちょっと苦労した事と思います。
 後、クミノさんの結界能力ですが、4次元に本体を置く4次元生物には効果がありません。安心して遊んでやって下さい。

唐縞・黒駒さん
 4次元の解釈と、対応は完璧でした。
 ネットなどの考えも秀逸です。
 逃げ回るハイパースフィアを追って、ネットに追いつめ‥‥という展開も考えたのですが、今回は瑠璃花さんとクミノさんのハイパースフィアと遊ぶというプレイングが良かったので、そちらを採用させていただきました。