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<東京怪談ノベル(シングル)>


桜花ノ刻

 語らいや交わりのない日。時折やってくるそんな淋しい日でも、わたくしは神のために過ごします。
(深海では見ることのできない)
 星の数ほどにくり返される会話。
 それを続けていくためには、それだけの話題が必要です。
 だからわたくしは、そんな日は陸に上がって話の材料を探すのでした。



 水面から顔を出したわたくしは、この時期に陸へ上がれることをとても感謝しました。
(まるであの方の腕の中のよう)
 海と桜のコントラストが、とても幻想的で。
 水面に舞い落ち揺れる桜。けれどその花びらの1つたりとも、神の御傍まで届くことはありません。
(美しい桜……)
 あの方はこれを、見ることができないのです。
 そう思うとどこか淋しくて、わたくしは少し沈んだ気持ちで砂の上に座っていました。
「お待たせ」
 そこへやって来たのは、わたくしの妹の一人であるみなもです。色々なお話を聞くために、こうして待ち合わせをしていたのでした。
 みなもは何故か事件に巻き込まれることも多く、たくさんの楽しいお話を知っているものですから。
 そんなみなもと並んで座り、耳はみなもの話を聞き、口では受け答えながらも。わたくしの瞳は、まだ揺れる桜を見ていました。
(こんなふうに)
 共に見ることもできない。
 神自身の夢の中でしか。しかしそれは、本物ではないのです。
(見せて差し上げたいなぁ……)
 けれど神にこれを見せるためには、神も陸に上がらねばなりません。深海に桜などないのですから。そしてそのためには、神を起こさなければならないのです。
(でもそれでは――)
 わたくしたちの存在意義がなくなってしまいます。神を目覚めさせぬよう永遠に夢を引き延ばすことが、わたくしたち巫女の役目なのですから。
 みなもが帰った後も、わたくしはしばらくそこで物思いにふけっていました。散りゆく桜のさだめを想いながら。
(時間という呪縛に囚われた桜は)
 巫女という"鎖"に繋がれたあの方のよう。
 そして同時に、その呪縛があるからこそ美しく人々を楽しませる桜は、神がいるからこそ存在する意味のあるわたくしたちのよう。
(――そう)
 本当の意味で繋がれているのは、わたくしたちの方なのです。あの方なしの"生"など、わたくし自身にとっても意味がないのですから。
(あの方との……夢なしでは)
 力強く優しい腕を思い出して、わたくしは急にその場所へ還りたくなりました。しかし今日のお勤めがないことは当然わかっておりますから、深海へ戻ってもあの方に会うことはできません。
(ならば)
 わたくしも幻想(ゆめ)の中で――
 幸せに包まれている瞬間を思い出しながら、わたくしはゆっくりと目を閉じました。
 幾度となく重ねてきた身体。温もり。吐息。いくらでも思い出すことができます。それだけでたまらなくなってしまうほど。
(この衝動も、桜のよう)
 わたくしだけがそこにいたら。お相手がわたくしだけだったなら。逆にこれほどまで、求めはしないでしょう。
 与えられた時間の中で、より心地よく過ごしたいと願うから、その衝動は増幅してゆくのです。
「――っ」
 ひとりきりの砂浜で、わたくしは声にならない声をあげました。自分でも感情のわからぬまま、涙に濡れてゆきます。
(こんな想い――)
 まさかわたくしに訪れることになろうとは、誰が想像できたでしょう。
(辛い)
 確かに辛いのです。けれどその辛さを、感じられることが嬉しい。
(幸せ)
 なのです。
 2つの文字を考えた人は、知っていたのでしょうか。相反するように見えて、実はすぐ近くにある感情。どちらか1つでも欠けていたら、きっと満たされない。
(今の辛さが幸せを育み)
 過去の幸せが辛さを浮き立たせる。
 それは必要なバランスなのでしょう。
(――それでも――)
 わかっていても、わたくしは望んでしまうのです。
(いつか)
 いつか。
 すべてのしがらみを捨てて、この場所に。
 あの方と立てたらいいのに。
 2人だけで。
 永遠の桜を――。








(了)