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<東京怪談ノベル(シングル)>


唯一ノ声

(もしもわたくしに名前がなかったなら)
 わたくしはどれだけ、歯がゆい思いをしたのでしょう。
《みその》
 そのたった3文字で、わたくしは"占められている"と、感じることができるのです。
(わたくしのすべてが)
 あの方のものであると――。



 海原・みその。
 それがわたくしの名前。
(あの方に呼ばれる)
 そのためだけにつけられた。
 いとおしくもある名前です。
 本来わたくしたち深淵の巫女には、名前など必要ありません。何故ならそれを使わなくとも、互いを呼ぶことができるからです。
 例えばわたくしは、個人個人に直接呼びかけることができます。名前が本当に必要であるのは、大勢の中から1人に呼びかける時だけですから、直接に1人に呼びかけることができるのであれば名前などいらないでしょう。
 またわたくしは、自分が呼ばれていることを感じ取ることもできます。ですからやはりわたくしにも、名前はいらないのです。
 他の巫女たちも、わたくしと似たような力を持っておりますから、誰も名前を必要としません。
 では深淵の巫女以外の者たちから見るとどうか……と言いますと、やはり名前などいらないのです。
 単に"巫女"と言えばわたくしたち全員のことですし、わたくしを示したければ"流転の巫女"と言えばいいのですから。
 こんなふうに、わたくしたちにとって名前というものは、互いに意味を持たないものでした。
(名前が意味を持つ時)
 それはたった1つだけ。
(あの方がそれを、口にした時だけ)
 あの方はご自分が呼ばれるために、わたくしに名をお与えになりました。
 わたくしの名前は、初夜にあの方からいただいたものなのです。
(その時のことは、忘れません)
 わたくしはすぐに意味をお訊きしました。あの方がどんな気持ちをこめてわたくしにこの名前を下さったのか気になりましたし、それに恥じぬよう生きたかったからです。
《深苑》
 日本の言葉ではそういうのだと、あの方は教えて下さいました。
(深い……苑?)
 わたくしは何故だか、とても満たされた気持ちになりました。今にして思えば、それは"許された"のだと感じたからでしょう。
(何を許されたのか――?)
 それはもちろん、こうしてあの方の傍に在ることを、です。
 深海に眠るあの方を、囲む深い苑。温かく包み込むことを許されたような、そんな気がしたのでしょう。
(あの方もそれを)
 望んでいるような……。
(――実際は)
 あの方がわたくしに名前をつけたのは、海原の者は陸(おか)での活動も必要であると考えた上での行為でもあったようです。陸で生活するためには、どうしても名前が必要になってきますから。
(あの方は)
 こんな深い海の底に永いこと眠っていながら、陸の上のそんなことにまで詳しいお方なのでした。
 わたくしは陸での常識も、あの方から学んだのです。
(本当に――凄いお方)
 あらゆる"もの"の流れを読み、操るわたくしでも。あの方だけは決して読むことができません。その人となりですら、片鱗を見知っているだけなのでしょう。
 "豪快"や"大胆"、"物怖じなき"といった陳腐な言葉では到底表現しきることなどできません。その特殊能力は、できないことはないのではと思わせるほど。
(決して、勝てない――)
 そんなふうに考えると、苦笑すらこぼれるのでした。
(そう)
 勝てるはずがない。
 初めて目にしたあの時から。あの身に触れた時から。わたくしは到底たとえようのない魅力に、抗う隙もなく負けてしまっていたのです。
 そのすべてに、魅了されていたのですから。
「みその」
 他の誰に呼ばれても、それはわたくしの名前ではなかった。
(その声と)
 吐息と。
 熱量と。
(すべてが揃ってこそ)
 わたくしは初めて、自分が呼ばれているのだと。あの方が自分を呼んでいるのだと理解する。
(初めて)
 わたくしの"名前"となるのです。



(くり返される夜)
 あの方はわたくしを呼ぶ。
 わたくしは応える。
 惜しみなき愛撫で――。







(了)