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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


潮風の姉妹


 海原みそのは浮世離れした少女である。
 テーマパークとは無縁の存在だ。何しろ、普段は光さえ届かない深淵に身を置いているのだから。
 今日この日、そんな彼女が関東の某テーマパークに来ていた。まだオープンした頃の記憶も新しい、海の上のテーマパークである。
 彼女がここにきたきっかけは、月刊アトラス編集部であり、先日オープンするはずだった別のテーマパークであった。ペアチケットを手に入れたみそのではあったが、自分の身の上や妹のことをよく心得ていた。彼女はふたりの妹を持っている。そのふたりのためにペアチケットを手に入れたのだ。自分は、遊び場とは縁がないのだから。
 しかし――
 みそのが今、テーマパークに来ているのである。妹に薦められ、またねだられたために。


 海が、泣いている。呻き声を上げている。
 人間たちの歓声と希望を背負い、この辺りの海は悲鳴を上げている。
 人魚たるみそのにとっては、その声を聞いているのがつらかった。だがこのテーマパークを訪れている人々も、みそのの横ではしゃいでいる銀の髪の少女も、この声を聞いていない。
 銀の髪を潮風に流しているこの少女は、みそのの妹。海原みあお。
「わぁ、すごいなぁ! 見て見て、ねえさま! 外国みたい!」
 みあおは感傷に浸るみそのの腕を引き、駆け出した。
「み、みあお! 転びますわ!」
 しかし、みそのの警告などは今のみあおに届いていない。
 周りを見ろ――
 ふたりの少女が馳せていても、誰も注目しようとしない。それは、この空間では当たり前の光景だからだ。見たとしても、好奇の念や煩わしさからの一瞥ではなく――微笑ましそうに見守っているだけ。
 ここは楽園なのだ。海の上に築かれた希望の地。
 そう妥協し、さらにみあおの幸せそうな笑顔を見れば、海の悲鳴を忘れられるような気がした。
 みそのはようやく微笑み、みあおとともに走った。

 言ってしまえば世間知らずであるみそのは、このテーマパークのおそろしさを知らなかった。混雑の具合もおそろしいものだが、第一にこの広さがおそろしい。とても1日では踏破出来ないだろう。特に、みあおを連れていては……。
 みそのひとりだけでも、土産話のための見聞に3日はかけるところだ。みそのにとっては全てが興味深く、好奇心をつつかれて仕方がない世界であったから。
 姉妹といえど、みそのはあまりみあおとこうして2人きりで出かけることは少なかった。もうひとりの妹に任せっきりだった。どう『子守り』をしたものか。
 しかしみそのがその漆黒の目に頼ることなく、たゆたう周囲の『流れ』を見つめていると、みあおの気持ちが理解できた。確かに、ここは楽しい。彼女自身が戸惑うほどに、うきうきしてくる。いつの間にか彼女は、身を削られた海の悲鳴を忘れていた。
「……あっ?」
 我に返る。
 みあおの姿がない。
 これでもう5度目だ。
「みあおったら……」
 みそのは少しばかり眉根を寄せて、目を閉じた。
 流れを辿る。目を閉じたまま、足早に進む。青い流れが――見えた。
 みあおはリスの着ぐるみを着たスタッフから、風船と飴をもらってはしゃいでいるところだった。みそのとははるか30メートルも離れていた。
 要するにこの調子。少し目を離して思いを巡らせていたら、あの妹はあっと言う間にみそののそばから消えている。
「みあお!」
「あっ、ねえさま! 風船もらっちゃった! ……きゃあ、あっちでシャボン玉が飛んでるー!」
「……」
 みあおは光のような勢いで走り出した。みそのにも、虹色にきらめく泡の流れを感じ取ることが出来る。それほど距離は離れていない。危ない足取りでみあおを追いかけて、みそのは苦笑を浮かべ、小さく溜息をついた。
「こんなに、手のかかる妹でしたか……」
 これで、自分と同い年だとは。
 だが、悪い気はしなかった。


 みあおは一時たりとも同じ場所に留まらない。
 まるで流れだ。青く清い流れではあるが、清流は大概上流にある。そして上流というものは、流れが速く迷走するもの。みあおは、まさに。
 入場ゲートをくぐってから5時間が過ぎていた。みあおは疲れを知らず、見たまま思うままに走り回り続ける。みそのはすでに、見失った回数を数えるのをやめていた。追ううちに転んだ回数もだ。みそのは目が見えないことを差し引いても、あまり動き回るのが得意ではない。
 そのうち、みそのにも余裕が出来始める始末だった。みあおの『流れ』はすぐに掴める。探さずとも感じ取れるほどだ。みそのはみあおとはぐれると、探す傍ら見聞を広めるようになっていた。
 しかし本当に、みあおが言った通り、ここは海に浮かぶひとつの国だった。
 人間たちが暮らし、遊び、食べている。
 ふと、空に昇る流れをとらえて、みあおの手を引きながら、みそのは空を仰いだ。
 誰かが飛ばした風船だ。潮風に乗り、空を旅している。雑踏を忘れ、みそのはその風船をみつめていた。
「ねえさま! 見て見て!」
 呼び戻されて、みそのは慌てて視線を下ろした。今日、何度「見て」とみあおが言ったかわからない。
「まあ……」
 みそのは思わず、感嘆の声を上げた。見る価値のあるものだった。
 水路を帆船が渡っていく。それも、何隻も。花火が上がり、歓声が上がる。帆船の上からは、キャラクターの着ぐるみが手を振っている。子供たちが――みあおが手を振り返す。柵の周りは人で一杯だったが、ふたりは何とかその間に入ることが出来た。
 水の上のパレードだ。洗練された美しさと楽しさがある。
 見とれるみそのの頭上を、今度は多くの流れが飛んでいた。
 船から放たれた色とりどりの風船が、潮風に流れていくのだ。
 音楽が聞こえる。
 振り返れば、通りでもパレードが行われていた。海色の服を着た鼓笛隊が通り、着ぐるみが通り、風船を持ったピエロが通る。
 歌姫のドレスを見て、みそのは目を細めた。その服がいたく気に入った。かなりの服を持つ彼女だが、近いうちにまた一着増えるだろう。
「……あ」
 うっかりしていた。
 今度こそは離さないと、みあおの手を握っていたはずの右手。気づけばその白い手は何も掴んではいなかった。
 慌てて、みそのはみあおの姿を探した。パレードはまだ続いており、人込みはひどくなる一方だ。柵から離れるのも一苦労である。
「みあお!」
 呼び声は音楽と雑踏に消えてしまう。もとより、みあおは今耳など聞こえてはいないだろう。すでに別世界の住人だ。この『国』に呑まれてしまった。
 『流れ』を読もうとしたみそのは、この楽園に相応しくないものを感じ取った。しかも、すぐ隣だ。
 みそののそばで、4・5歳の女の子が泣いていた。
 みあおと同じだ。その純粋さも置かれた状況も。違うのは、みあおが(おそらく)今は泣いていないというところくらいか。
 放っておくことが出来ずに、みそのは屈み込んだ。
「ああ、はぐれてしまいましたのね」
「ママあ……ママが……」
「わたくしが、探して差し上げますわ」
 みそのの微笑みにも、女の子は泣きやまない。だが、その手を伸ばしてきた。みそのはしっかりとその小さな手を握った。
 この手を離してはならない。
 もう、何度こう誓ったかわからなかった。
 女の子の持つ母親への想いを辿ることは、みそのにとっては造作もないことであった。パレードで沸く通りの中、母親は必死になって子供を捜していたらしい。みそのと同じだ。この楽園の中で、この親子は、束の間の恐怖を味わっていたのである。
 母親に子供を引き渡して、みそのはすぐに人込みの中に消えた。母親からの礼は確かに受け取った。あの、ふたりの安心しきった顔――母親の胸に飛び込む女の子の姿を見ただけで充分だ。
 つぎは自分とみあおの番。

 音楽がやみ、雑踏と潮風が戻ってきた。
 みそのはときにはつまづき、ときには転び、ときには着ぐるみにぶつかりながら、みあおを探した。今回は間に別の仕事が入ったためか、なかなか見つからなかった。どういうわけか、みあおの流れも微弱なものになっている。
 彼女はふつふつとした不安を感じ始めていた。
 あの母親と同じだ。
 みあおは、あの子供だろうか。泣いているかもしれない。
 いや、
 今は、自分が、あの女の子と同じなのか――。
「みあお!」
 すでに日が沈もうとしている。アトラクションの間から、橙の光が射しこみ始めていた。風も心地良い涼しさを含み、みそのの黒髪を撫ぜる。
 そして、みあおの銀の髪も。
 みあおはソフトクリーム屋の前のベンチで、すやすやと眠っていた。
 すぐそばに、青い服を着た某キャラクターが佇んでいる。大きな黒い耳と、にこやかな笑顔を持ったネズミだ。彼は駆け寄るみそのを見て、軽く跳び上がった。みあおの代わりに喜んでくれているようだ。
「まあ、見ていてくださったの?」
 着ぐるみはこくこくと頷いた。
「有難う御座います!」
 目頭が熱くなりかけた。だが大きなネズミは、『いいってことです』と言いたげな素振りを見せたきりで――ピエロのように愉快なステップを踏みながら、たったかたったかと立ち去っていった。
「もう、みあおったら……」
 注意する気も、その寝顔を見るとたちまち失せた。
 この妹は、何時間も走りっぱなしだった。さすがに疲れただろう。
 みそのはその傍らに座って、優しく揺り起こした。
「潮風が冷たくなって参りましたよ。風邪を引きます」
「うぅん……」
 みあおがその銀の瞳を開いた。すぐにその顔から疲れが消え失せ、喜びと元気に溢れた。この子はまた飛び出すつもりかしらと、みそのは思わずぎくりとしてしまった。
 しかし――みあおは、その喜びを消して、済まなそうな顔で頭を下げたのである。
「ねえさま! ごめんなさい、離れてしまって!」
 もう、いまさら何を言うのでしょう。
 みそのは苦笑を浮かべたが、ふるふると首を横に振った。
「いいのですよ。さ、次はどこに行きましょうか? わたしを離さないで下さいな」
 手を差し伸べると、みあおはパッと顔を輝かせた。
 おそらく、そろそろ帰ろうとみそのが言い出すのを覚悟していたのだろう。
「あのね、おっきな山があるの! 海の上なのに、火山があるんだよ! 見に行こう!」
 みあおはしっかりとみそのの手を握り、
 走り出した。

 ――そう、こうしたら良かったのですね。わたくしが連れるのではなく、連れられるべきでした。

 みあおは自由な風である。
 とらえることは難しい……。


 海は悲鳴を上げつつも、人間を支えて、見守っているのだ。この人工の島もまた、存在し続けているということは――少なくとも今のところ、認めているということだろう。神が人間を赦しているように。
 夕陽を飲みこむその姿を見た。
 海は、『いいってことです』と言いたげであった。
 みそのは今日という日を与えてくれた海と妹に、改めて感謝をするのであった。


(了)