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<PCシナリオノベル(シングル)>


ポーカー/VS草間武彦

●雨の日の偶然
「ったく、なんて雨なのさ」
 青い髪から滴り落ちる雫を払いながら、サイデル・ウェルヴァはそうぼやいた。
 逃れて来たドアの向こうは、東京の空模様にしては珍しいアスファルトを激しく打つ雨。悪天候に弱いと評判の電車は、運転を見合わせて久しい。
「お、これまた立派な濡鼠のお出ましだな」
「ふふん、水も滴るいい女だろう?」
 部屋の奥から現れた草間武彦が、手近なソファにひっかけられていたタオルを放って寄越す。それを宙で捕まえ、サイデルは遠慮なく顔を拭う。鼻腔を擽るのは、しっかりと染み付いた煙草の匂い。
「あんたも随分と暇してるみたいだねぇ」
 ひょいっと視線を馳せれば、灰皿から零れ落ちんばかりの吸殻。世話好きな誰かが見たら、思わず換気と掃除をしたくなるような弛みきった空気が、興信所内を満たしている。
「この雨だろ。調査にも行けなければ依頼人も来ない。おかげで俺も暇々ってわけさ。そういうことで、ポーカーでもしないか?」
「はぁ?」
 突然の草間の申し出に、サイデルの瞳が見開かれる。しかしそれは一瞬で不適な笑みへと変化した。
「よっぽど暇してるらしいねぇ。で、その心はなんだい?」
「おや、お見通しってわけか。なら率直に言おう。負けたら買い物に行ってきてくれ。色々と足りないんだ。当然、俺に勝てたら何でも言うこと聞いてやるよ」
「へぇ……随分と気前が良いね。で、ルールはどうするんだい?」
 片眉を聳やかせニヤリとそう嘯いた草間に、サイデルは身を乗り出す。
「ルールは……そうだな。チップ使用なしの三回戦、勝ち数の多い方の勝利。チェンジは各回で1回のみ。同じ役の場合は数字やスートの強弱に関わらず引き分けとする――って言うのでどうだ?」
「ジョーカーはどうするんだい?」
「やっぱりここはありだろう」
「了解。その勝負受けて立つよ。そうさね、あたしが勝ったらどこぞの依頼人から貰ったって言う自慢の酒を頂戴することにしようか」
 先日どこかの依頼人が依頼料の代わりに置いていった『相当な年代物らしい』とここを訪れる面々に噂される酒を、勝利の代価に指定してサイデルは首にかけていたタオルを草間に放り返す。
「カードはあっちの棚だったけね。草間の旦那はそこに座って首でも洗ってなよ」
 そう言いサイデルは軽く胸ポケットの辺りを自信の証のように叩くと、トランプを取りに身を翻した。

●そして勝負は始まった
「旦那も口ほどにないねぇ」
 クッションの効いていないソファに身を沈め、サイデルが豪快に肩を竦めて見せる。
 一回目の対戦は、フルハウスとノーペアという結果でサイデルの勝利に終わった。
「まぁ、なんだ。幸運の女神はあたしに微笑んでいるって感じさね。草間の旦那、勝負を降りたほうが良いんじゃないかい? 今なら頂戴する酒を旦那に半分くれてやっても良いけど?」
 そんなサイデルの挑発を、徹底無視の構えで草間は銜え煙草のまま、次の五枚を互いに配る。無論、草間とてそう簡単に引き下がるような男ではない。
 ますます激しさを増す雨音。それはまるで今の草間の心境を代弁しているようだ、サイデルはそうほくそ笑む。その微笑の中に、純粋に勝利したことへ対する喜びとは違う何かが含まれていることを、草間はまだ知らなかった。
 湿気を含んで重くなった空気を薙ぎ払うように、シャッシャッと軽快な音を立て、それぞれのカードが配り終えられる。
 サイデルは手元に配されたそれを取り上げながら、上目遣いに草間の表情を盗み見た。
 平静さを装う中、微妙な曲線を描く草間の口元。
(「まぁまぁ、って感じかね?」)
 心の中でそう呟いたのを見透かしたように、草間がチラリと顔を上げる。
「何か?」
「いや、今度はそこそこの手札なのかなって思ってさ」
「……」
「旦那、旦那。もう顔に出ちまってるってば。あんたこういうの分かりやすいねぇ」
 俺が分かりやすいんじゃなくって、そっちが隠すのが上手いんだ。
 そう小さく草間がぼやくのを小耳に、サイデルは豪快に声を上げて笑う。雨に崩されることのなかった真紅のルージュが、ご機嫌な笑みを描き上げた。
 隠す・騙すが上手いのは至極当然。それが女優という職業だ。さらに言うならサイデルは専ら悪役担当。こんな場合に如何に相手を上手く自分のペースに乗せるかを、非常によく心得ている。
「さて、旦那はチェンジはどうするかい?」
 ソファに沈めていた身体を引き起こし、余裕を見せ付けるように足を組む。赤い瞳が室内灯を反射し、妖しげに輝いた。
「いや、俺はこのままで良い」
「おや、よっぽどの手札だね。それじゃあたしは二枚チェンジさせてもらうとするよ」
 形良く整えられた指先が自分の手札から二枚を捨て、新たなカードを掬い上げる。
 相手をじらすようにことさらゆっくりとカードを翻らせると、サイデルはその結果にニンマリと笑む。
「そっちもなかなかの好カードようだな」
「おかげさまでね」
 サイデルの様子にも今度は余裕の態度を崩さない草間に、サイデルは片目を瞑って応える。
 悪くない。
 スペードのフラッシュ、一回のチェンジで早々出来る役ではない。
(「これは、頂いちまったかもしれないねぇ」)
 草間の手札が何か「覚え」はないのだが、そう簡単に負ける役ではない。否、むしろ十分に勝ちを見込める役だ。
「オープン」
 草間の声と同時に、手にしていたカードを二人揃ってテーブルに広げる。
 そして二人一緒に目を見開いた。
「……やられたぜ。まさかこれで同じ役とはなぁ」
 草間の役はダイヤのフラッシュ。
 カードの数字の強さから行けば、草間が勝利になっていた筈だった。しかし、同じ役は引き分けにする、と決めたのは草間本人。
「ってことは、これであたしが断然有利ってわけだね」
 サイデルは小さく含んで笑うと、テーブルに置かれた未だ触れられていないカードの山に手を伸ばす。
「さぁ? どうだろうな。最終戦に俺が勝てばドローだぜ?」
 自分に向いてきた運なのか。それとも強引に手繰り寄せた運なのか。
 どちらにせよ勝利への確信、つまりは美酒に預かれる幸運への手ごたえをより確かなものにして、サイデルは三回戦のカードを配り始めたのだった。

●勝負の行方、そして結末
「旦那、悪いね。この勝負あたしが貰ったよ」
 いよいよ最終戦。
 配されたカードを眺め、サイデルは余裕の笑みで草間にプレッシャーをかける。
 実際、手元にあるカードは悪くない。チェンジで狙ったカードが来てくれれば、かなりな役を狙える。
(「今日は本気でツイてるのかもしれないねぇ」)
「これまでの二回戦、使ったカードは全て覚えている。その上でこの手札なら、旦那に勝ち目はないよ」
 ハッタリ半分、本気半分。
 ここで勝負を降りてもらった方が楽に勝てる。でも、この手札がどう成長するのかを見てみたい気持ちも湧いていた。
「生憎と、こんなところで引き下がるタマじゃ俺もなくってな」
 不敵に笑むサイデルに、まるで鏡で映したような笑顔を草間も返す。
「そんじゃ、勝負と行こうかね」
 チェンジは共に一枚づつ。互いに見せつけるように手札は捨てられ、そして新たな一枚が引かれていく。
(「……来たね」)
 面に張り付けた表情はそのまま、心の中でだけサイデルは唇の端を吊り上げた。
 草間も今度は表情を読み取られまいとしてか、俯き加減の姿勢。そのため彼の瞳を窺い知ることは出来ない。けれど、ゆったりと下ろされた肩が、彼の中の勝利への自信を物語っているようにも見えた。
 じんわりと手の平に滲んだ汗に、勝負事特有の高揚感が自分を包んでいることをサイデルは自覚する。そう、このゾクゾク感が堪らないのだ。まるで日頃の自分から一枚、何かを脱ぎ捨てていくような感覚が。
「オープン」
 その瞬間、サイデルの声に合わせたかのように、雷鳴が轟いた。
 ガラスの窓を激しく打つ大粒の水滴。曇天に覆われた暗い空が、一瞬だけ紫色に輝く。
 眩い閃光に思わず目を伏せる二人。
 そしてゆっくりと瞼を押し上げ、見た視線の先にあったものは――
「……二人ともフルハウス?」
「しかもジョーカー込みで?」
 テーブルに広げられた二人の手札、それは二回戦に引き続き、奇遇な同役。その上、二人揃ってジョーカー使用でのものだった。
「なんていうか……こういうこともあるもんだねぇ」
「そうだな……」
 あまりといえばあまりの結末に、思わず二人は揃って言葉を失う。
 ここがいつものように人でごった返す賑やかな状態だったなら、カードを広げたテーブルを挟んで二人の大人が硬直している、という図はさも異様なものとして周囲の目に映ったに違いない。
「ってことは、二回戦、三回戦ドローで一回戦勝者のあたしがこのゲームは勝ちって事だね?」
「まぁ……そういうことになるかな」
 先に硬直状態から脱しニカリと笑うサイデルに、ようやく草間の思考も流れ始める。
「ってわけで、旦那。戦利品を頂くとしようじゃないか?」
「――仕方ないな……!?」
 回り始めた頭で「勝負は勝負」と潔く負けを認め、サイデルの要求に応じかけた草間の動きが不意に止まった。
 そしてソファから立ち上がりかけていた姿勢そのままで、食い入るようにテーブルを見つめる。
 再び訪れる奇妙な膠着と沈黙。
「……なぁ?」
「―――!!!」
 草間がカードを指差そうとした、まさにそのタイミングでサイデルの顔色が変わる。
「おや? あたしはそろそろ仕事の時間だね。ってことでこのカードはとっとと片付けちまわないとね」
「っていうか、ちょっと待て」
 いそいそと腰を上げながらカードをかき集め始めたサイデルの肩を、草間の両腕が対面からガシッと掴む。
「おや、旦那? あたしは忙しいんで、これ以上遊ぶならまた今度……」
「なんでジョーカーが二枚あるんだ?」
 ピカッっという強烈な光の後に、まさに大地を揺るがす轟音が都会の空気を震撼させる。ビリビリと窓枠が悲鳴を上げ、室内の蛍光灯は小刻みな明滅を繰り返す。
 そして訪れるなんとも微妙な静寂。
「…………」
「…………」
「…………んじゃ、そーゆことで」
「『そーゆーこと』じゃ意味が分からないだろ?(微笑)」
「やだねぇ、いつの間に二枚もジョーカーが混じっちまっていたんだろうねぇ?」
「いや、その言い訳は既に遅いと思うぞ(超微笑)」
 右手を軽く上げ「それじゃ」とその場を謹んで辞そうとするサイデル。が、薄ら寒いほど極上の笑みを浮かべた草間がそれを許す筈など無論あるわけがない。
 サイデルの肩に食い込んだ草間の指に、青い血管が浮かび筋肉がフルフルと痙攣する。その動きに同調したように、サイデルの頬もひくひくと引き攣った。
「イカサマ?」
「はて、なんのことだろうねぇ?」
「その言葉、俺の目を見て言えるか??」
「――っふ、バレちまったんならしょうがない! ここはひとまず引くよ! 野郎どもっ!」
「引かせないし。ついでに『野郎ども』なんていないし」
 女海賊か、はたまた女ギャングか。ともかくその筋の男衆を引き連れた女ボスよろしく状態で、サイデルは最後の脱出を試みる。しかし、ここは彼女の本職現場ではない。だから草間のツッコミ通り、都合よく引けるわけもないし、増援があるわけでもない。
「さて……全部吐いてもらおうか」
 草間の両腕が、サイデルの身体を元いたソファにギリギリと沈めて行く。
 ギシリと鈍い音を立て、スプリングが軋む。上からかかる重力に耐えかね、サイデルはついに諦めソファに腰を下ろす。その表情は既に開き直りの満面の笑み。
「で、このカードは?」
「あたしの。いやぁ、偶然同じ柄でさぁ。撮影の合間が暇なんで遊ぶ為に持ち歩いてるんだよねぇ」
 そう言いながらサイデルは胸ポケットを軽く叩いてみせる。
 撮影の合間に遊ぶため――その言葉には嘘はない。けれど偶然同じ柄だったわけではない。こういうこともあろうかと、敢えて同じものを選んで購入して持ち歩いていたのだ。
 ついでに、今までに草間興信所内で何人をカモにしたかは憶えていない。
 発せられたサイデルの言葉の裏にある真実を、探偵の鋭さで――否、別に探偵でなくても容易に推察可能だろうけれど――草間は見抜き、両肩を竦めふっと短く息を吐き出す。
「で、どうやったんだ?」
「まぁ、最初から自分の思うようにカードを並べておいて、一回目はそれでなんとか手札をコントロール。二回目以降はさすがに分からなくなるから、マジ勝負になるんだけど。しっかし最後の最後でヘマっちまったねぇ。まさか予備のジョーカーを抜き忘れてたなんてさ」
 正義のお奉行様に問い質される悪代官のように、あらいざらいを暴露し、サイデルは己のツメの甘さを嘆いた。
 カリカリとこめかみを掻く指先に、すっかり乾いた髪が絡む。それを一気に払い除けると、サイデルは勢いよくソファから立ち上がった。
「仕方ないねぇ、それじゃ今日の勝負はドローってことにしておいてやるよ」
「違うだろ。こういう場合お前の反則負けだろ!」
「何、寝ぼけたこと抜かしてやがんだい。悪事はバレなきゃ悪事じゃないって言うだろ? 最初に旦那が気付かなかった時点であたしの勝ちなんだよ。それをドローにしてやろうってんだから、ありがたく思っときな、迷探偵さん!」
 今、「めい」の発音が「名」ではなく「迷」に聞こえたのはきっと気のせいではないだろう。
 そんなことを推理しながらも、草間はサイデルの怒涛の論理に、条件反射的に頷きを返してしまった。まぁ、大事な酒は守れたし、暇な時間を楽しく過ごさせて貰ったのだからこれで良いのかもしれない。
「そんじゃ、あたしは行くからね」
 こんどこそ、とサイデルが出入り口へ向かう。その背中が「草間の旦那の気が変わらないうちに」なんてことを考えていたかどうかは定かではない。
 豪快に扉が開かれる。
 射し込んだ光と風にサイデルの髪がさらわれ、清涼な水が流れ込むような幻影を一瞬だけ世界に映す。
「今度はイカサマなしで勝負しような!」
「旦那が見抜ければね!」

 いつの間にか雷雨は止み、雲の切れ間から夕焼け色に染まった空が顔を覗かせていた。

【GAME OVER or CONTINUE??】