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<PCシナリオノベル(シングル)>


罪が支払う報酬

 夜露を結んだ草を踏みしめれば、繁茂する雑草の類は膝まで育ち、着流しの裾を湿らせた。
 それは、人の手の入らぬ場であるのを如実に示し、頭上では木々が枝を重ねて月と星を遮り、更に光を奪う。
 時折、木立を割って鋭い光が断続的に目を射るのは、林を貫く自動車道の絶対的な通行量は少なさにヘッドライトをアップにした車が行き交う一瞬のみだ。
 その視界の悪さに草や木の根に足を取られる事もなく、岸頭紫暁は黙々と木立の奥へと足を進める。
 濡れた草の実が毛皮につくのを厭う為、胸に抱いてやっていた黒猫がまるで二つの灯火のように金の瞳を光らせて短く鳴いた。
「大丈夫だ、覚えている」
低く応えて猫の背を撫で、紫暁は紅い眼差しを僅か上方に向けた。
 間遠に枝の重なりより向こう、紺天をその形に切り開いて更なる闇を露出させたような、木の影が濃淡なく聳えている。
 紫暁の足の下で枯れ枝が軽い音で折れ、まるでそれが合図であるかのように、空間が開けた。
 その形から桜と知れる古樹の周囲、自然に形作られた広場に黒猫を下ろす。
 黒猫は下ろされたその場にちょこんと座ると、紫暁の着物に擦れて乱れた毛並みをさりさりと舌で整えながら、早く済ませろとでもいうかのように一瞥を投げかけた。
「まったく……」
小動物のなんとも居丈高々とした態度に紫暁は苦笑を洩らすと、黒猫はそのままに、桜の表皮に手を添えた。
 固い樹皮の感覚を確かめるように幹に沿って巡り、半周ほどで紫暁は足を止める。
 桜の根元に、ひっそりと佇む祠を前に。
 強く、大地に張り巡らされた根は、その生命の旧さを支えるに応じた太さで、その祠を下から持ち上げて斜めに傾がせるのに…随分と古くからこの場所にあるという事が知れた。
 朱塗りの屋根は赤く錆たような色味に鮮やかさは失せきり、いつまで風雨に耐えられるのか、過ぎた年月だけ案じさせる風情だ。
 詣でる者もなく時に置き去りにされ、朽ち行くに任された筈の祠に紫暁は指をかけた。
 頑なささえ感じさせる古びた扉は存外容易く開き、紫暁に内に奉じられた御物を示す…それは、長い何かを包んだ布、の固まり。
「一真」
紫暁は懐かしそうに目を細め、まるで人にそうするように呼び掛けた。
 ずしり、と重量を感じさせるそれを手に取り、布を解く…現れたのは一振りの太刀。
「俺を殺してくれるという奴が現れたよ」
両手で胸の前に掲げた太刀に語りかける。
 それは、親友が彼へと遺した…ただ一つ。
 彼は、弔いを許さなかった。墓を残せばそれを守っていつまでもこちらに渡って来ないつもりだろう、と戯れ言めいた笑いに続けて、自分が先に死んだら捨て置いてくれ、と酒杯を差し出した。
 待っているから、と。
 その言のまま、彼の名を刻む墓標は何処にも存在しない。
「……長く、待たせてしまっているな」
その太刀だけを、彼岸に渡った親友は此岸に残す事を許した。
「今度こそ本当に死ねるだろうか」
決して答えはしない、太刀に問いかける自分に紫暁は苦い笑いを浮かべた。
 魂の依代ですらない太刀は何処までも太刀でしかなく、ただ紫暁が親友を想い出す、その縁に過ぎない。
 繰り返す思い出は形を変える事はなく、交わされた言葉は響きも口調も変わらずにただ紫暁の裡に反響し続ける谺のようなもの。
 自嘲の濃さに暗い笑いに小さく肩を震わせた紫暁に、黒猫が喉の奥から高い音を発して警戒を促した。
 何に対して、か注意を払うよりも先。
 盛大に枝の折れる音を立て、天からぼたりと薄い炎を散らしながら影の固まりが眼前に落ちた。


「よ、紫暁」
咄嗟、手にした太刀の鯉口を切りかけた紫暁は気楽そうな呼び掛けと上げられた手の平の白さに肩の力を抜いた。
「ピュン・フー……」
吐息に似せて、その名を吐き出す。
 影の固まり…覗く肌以外は隙間なく黒々しい姿、相も変わらぬ黒革のロングコートと顔に乗った真円のサングラス、そして落下の衝撃を吸収して自然、踞るような体勢に見上げる不吉な月の赤さを思わせる瞳が印象の強さに直結する。
 その瞳がニ、と笑う。
「今幸せ?」
紫暁はパチリ、と太刀を鞘に収めると思わぬ再会…予想だにせぬ登場をかました青年に微苦笑を浮かべた。
「随分と派手な登場だな、ピュン・フー」
「地味に生きられねー男なんだよ、俺は」
膝を伸ばして中腰に、申し訳程度にコートの裾を払う…ピュン・フーは黒猫に気付くと、再度地面に座り込んだ。
「お、猫じゃん。お前も幸せ?」
チッチッチッと短く舌を鳴らして呼ぶが、対する黒猫はふいと顔を背けてわざわざ彼を避けて大回りに紫暁の元へ戻る。
「ありゃ、嫌われちまったなぁ」
残念そうに眉尻を下げたピュン・フーだが、紫暁は空振りに終わった警戒に黒猫が自尊心を傷つけただけであって、ピュン・フー自身に他意はないのを知っている。
「黒猫……」
小動物に大人気を求めても詮無いのだが、それでも注意を促そうとした紫暁に、今度は明確に黒猫が道路へと金の瞳を向けて威嚇音に毛を逆立てた。
「動くな裏切り者!」
草を踏み分ける足音に、複数人が林の内に入り込んだのだと知れる。
「あ、いけね。忘れてた」
はったと片手を打つピュン・フーだが既に、立木を盾に身を隠した男達の銃口が向けられていた。
「お前は?」
問いは紫暁に向けて、だがピュン・フーと男達…多分、二人の前後関係が読めずに紫暁は説明を求めてピュン・フーを見た。
「詳しく説明したら長いのと、単純に説明して短いのとどっちがいい?」
紛れのない敵意、をぶつけられているにしてはのほほんと、ピュン・フーは指を二本立てた。
「簡潔に」
紫暁の要請に、ピュン・フーは少し笑って肩を竦めた。
「アイツ等が持ってる薬がねェと、死ぬんだよ、俺。だからくれっておねだりしてんの」
あっさり過ぎる答えだが、咄嗟に呑み込みかねる顔で紫暁は渋面になる。
「おねだり……」
という可愛い響きが呼んだ状況にしては、殺伐とし過ぎている。
 その会話の様子に痺れを切らしたか、紫暁に再度、声が放たれた。
「お前も『虚無の境界』のメンバーか!?」
聞き慣れない名に紫暁が首を傾げる。
 どうやらピュン・フーの仲間と見なされかけているようだが、その意味を問うより先より先、ピュン・フーが紫暁に代わって男達に告げた。
「こないだ街でナンパに成功したヤツー」
両手で作った筒を口元にあて、声の通りをよくしてみている子供めいた所作、だが、相手は緊張感を解かぬまま苦々しげに…ピュン・フーは無視、の形で紫暁に言う。
「一般の能力者か……ならば早く行け。この場を無かった事にすれば、今後の生活に支障はない」
居丈高々とした物言いに、紫暁は小さく息を吐いた。
 一方的な情報ばかりで、いっかな状況が掴めない。
「そいつは我々の組織に反してテロリストについた裏切り者だ。与するならばお前も処分する」
知人が銃口を向けられている事態に、立ち去る理由も確とない事態に悩む彼に、男が告げる。
「信じる?」
どちらを、とは明確にしないピュン・フーの問いに紫暁はまた一つ、息を吐き出す。
「信じるも何もそう親しげでは……既に仲間と思われてはいまいか」
先の言が最終宣告のようで、銃口の一つは既に紫暁へと向けられている。
「黒猫は暫し離れていろ」
主の低い呼び掛けに、黒猫は直ちに桜の裏側へと回る。
 その主従の遣り取りを、興味深そうに見ていたピュン・フーは笑った。
「何?もしかして手伝ってくれんの?」
紫暁が手にしたままの太刀に、ちらりと視線をやる。
 紫暁は応意に頷くかのように、瞠目し首を垂れた…身の裡、奥深くに巣くう異形の力を引き出す為の集中に苦労は要しない。
 それは紫暁の中に満ち肌を裂くだけで溢れそうな程に湛えられ、ともすれば呑み込まれそうに純然たる力。
「陀牙鵺、少しの間だけ力を貸せ」
呟き、紫暁は目を開いた。
 その真紅の両眼…左眼が金の光に満たされる。
「間違っても暴走などしてくれるなよ」
釘を刺すのは自分の内側、紫暁は何気のない所作で空気を薙いだ。
 手首から先を包む紫の炎、残光をなぞるように中空に止まった熱の帯は、その流れのまま地へと水の動きで拡がり、地を埋めた。
「何……ッ!?」
木立に隠れた人影が、現出した紫炎に驚愕の声を上げ、それが衣服に纏い付く熱に肌を焦がすのに、痛みが現実であると知らせる。
「おー、何コレ?面白ェじゃん」
足下を埋め尽くす炎の流れに、楽しげに手を突っ込もう身を屈めかけたピュン・フーの腕を、紫暁が掴んだ。
「遊んでいる間があるか。行くぞ」
そのまま返答も待たずに駆け出す紫暁、動きに引っ張られて踏鞴を踏みながらも続くピュン・フーの後、最後尾を守って従う黒猫が、炎から逃れようと木に登る男達にゆら、と尾を振って挨拶に代えた。


 魂が行き着く果て、残される無機の標。
 人としての生を終えた魂は、冷たい石の中、自分に許された嘗ての肉体の欠片を宿りにただ眠る…墓地である。
 一見、視界が開けているようにも見えるが、古くからの墓所であるこの場所は墓石の形も大きさも様々に入り組んで迷路の様相を呈していた。
 迷いもせずここまで逃れた紫暁は、随所に配置されている水場へピュン・フーを誘った。
 物珍しげに、暗い墓地を見回していたピュン・フーは先導する紫暁に、やけにすがすがしいような声をかけた。
「……あぁ、これが夜の墓場で運動会か!」
公式の解を自力で見つけ出したようなすっきりとした明るさに、紫暁は眉を顰め、手にした太刀を持ち直す手に小さく鍔を鳴らした。
「うるさい、墓地で騒ぐな……此処なら俺がつかえるものが多いから、移動しただけだ」
黒猫と、周囲から呼び集めた鴉とに墓地周囲の警戒を命じる。
「流石紫暁、普通じゃねぇなぁ」
感心しつつ手近な墓石に肘をつくピュン・フーの不敬さを、咎める眼差しで強く睨みつければ、意を察して「へーい」と苦笑気味に立ち直した。
「トコロで、俺ってばなんでまたこんな人気のない薄暗いトコまで連れ込まれたワケ?」
「あのままではゆっくり話も出来ないだろう……黒猫と鴉が墓地に他の者が入れば知らせるから、安心していい」
紫暁の言に、ピュン・フーは軽く肩を竦めた。
「心配しなくても、アイツ等わざわざおっかけてこねーよ。免疫抑制剤の移送が主任務だからな、ちょっかい出さねぇ限り、そっちが優先」
何やら事情に通じた様子に、紫暁は異を挟んだ。
「……あの男達とは、何か関係が?」
何とはなし、はぐらかされるような気に期待しないまでも事情を問う。
「アイツ等は元・同僚。俺、『ジーン・キャリア』っつって、バケモンの遺伝子を後天的に組み込んで爪生えたり皮翼生えたりすんだけど、定期的に薬がねーと吸血鬼遺伝子が身体ん中でおいたを始めるんで命がヤバいワケ」
軽すぎる調子の返答は、何処までに真意が含まれているのか、それさえ掴ませない。
「……テロリスト、というのは?」
「そのまんまの意味さ」
ピュン・フーは悪戯の見つかった子供の表情で、ニ、と笑う。
「それはそーとなんでまだ東京に居んだよ?もう死にたかったんなら殺してやろーか」
差し出された片手に、紫暁は親友の太刀を握った。
「……出来るものならな」
その言は、聞きようによっては不敵と取れるだろう…が、幾度も絶たれた望みとよもや、と思ってしまう希みとが綯い交ぜになった感情に複雑な色を見せる。
 生きた時間は倦みそうな程、生きる時間に果てなどはなく。
 ただ在り続けるのみの魂の有り様は、陀牙鵺を…鬼を、身に宿した時から、彼を人でなく、けれど妖でもない、半端な位置に徒に紫暁を縫い止める。
「出来ないと思うワケ?」
奇妙な自信を滲ませたピュン・フーは自分の眼前にすいと片手を翳し、無形の何かを握る形に五指の関節を折り曲げた爪が、不意に伸びた。
 厚みを増して、白みに金属質の光を帯びた鉱質の感触は十分な殺傷力を感じさせる。
 次いで背、コートの生地を撓ませてぎこちない一瞬の間の後、生地を裂いて夜気に伸び上がる蝙蝠に似た一対の皮翼…限りなく純粋に近い濃さの、闇の質。
 紫暁の裡で、陀牙鵺が動いた。
「やめろ陀牙鵺!」
紫暁が左の眼を強く押さえて制止を叫ぶ。
 が、縄張りを侵す同種に紛れのない敵意を溢れさせた鬼の意識は、宿主の意を介さず、眼前の獲物を焼き尽くす炎を具現させようとした。
「悪いね」
だが、紫暁が抗した一瞬の間に人のそれでは有り得ない瞬発力で距離を詰めたピュン・フーは、逃れられぬよう紫暁の喉を片手で掴み、顔を寄せた。
「遊んでやりてーけど、薬貰いに行かねーとなんで」
少しずらしたサングラスの間から覗く不吉な月の色の瞳が暗い真紅に染まり、眼差しに籠もる魔の力が魂を絡め取る。
「おやすみ?」
二つの意識の拮抗の間に注ぎ込まれたのは、眠りの甘さ。
 力を失って頽れる紫暁の体を抱き留め、その手から落ちかけた太刀を支えてピュン・フーはぐるりと周囲を見渡し、遠くに寺らしき屋根が見えるのに「俺ってば親切♪」と一人ごち、片手に太刀を握ったまま、器用に紫暁を抱え上げた。
「うわ、紫暁軽すぎ肉なさすぎ。ちゃんと食ってんのかー?」
要らない感想を交えながら、空気を打った背の皮翼は、容易に二人分の体重を空へと運び上げた。