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<PCシナリオノベル(シングル)>


灰は灰に、塵は塵に

『KEEP OUT』の文字が地の黄色に黒く浮き上がって、拒絶する。
 子供の悪戯めいて縦横に、そして執拗に張り巡らされたテープだが、切れば侵入は容易だ。
 純粋に阻むだけだけが目的なら、出入り口に板でも打ち付けて完全に封じてしまえばいいのだろうが、侵入を試みる者の有無、を把握する意味もあって容易に切る事の出来る素材は意地の悪さが垣間見える。
 十桐朔羅は思案に淡い色合いで統一した和装の袂に手を入れ、人工物の照りに影と同化すら出来ず行く手を阻むテープの奥、固く閉ざされた扉を注視した。
 先週末から、ニュースは謎の神経症を報じ続けている。
 ある地下鉄の沿線に添うように発症し、少なからぬ死傷者を出すその突発的脅迫神経症は何等かのウィルスが原因とか、密閉空間に於ける人間の精神作用から生じるものだとか、様々な争論を戦わせながら未だに原因が確定しないまま、willies症候群と名付けられる。
 何かに追われるように突然走り出したり、周囲の人間に殴りかかったり…それが、ビルや駅、同じ施設・空間を共にする女性全てが、突如としてその症状に見舞われるのだ。
 個人差によってほんの十数分で症状が治まる者も居れば、そのまま精神に異常を来してしまう者もいる…症状を示した女性達、証言を得られる者は全て、その間にどうしようもない恐怖に襲われたのだと訴えた。
 事の始まりは、そのwillies症候群に関するある情報からであった。
 それは噂などではなく…数多の被害者の中で、被害者に成り得なかったたった一人の女性の証言であった。
「きっとあの神父様のおかげで無事だったんです」
地下鉄の路線、その前に立ち止まる金髪の青年、どこから見ても立派な異国人に声をかけようと思ったのは、彼が杖を持っていたからに他ならないと、彼女は言う…その色は白。それが意味する所を知らぬ者は居まい。
 路線図の剥げかかった点字に指を走らせる彼だが、心ない者がガムを貼り付けていた為に読む事が出来ずにいたのを、彼女は丁寧に路線の説明をしたのだ。
 そして、日本語に堪能な彼は物見えぬ目に涙を浮かべてこう言った。
「親切な者は幸いである、彼等はそれ以上の物を与えられる…と主は仰られました。光に似た貴方の尊い心に添う物を私は何も持ってはおりません、せめて」
言いながら、懐内から小さな小瓶を取り出しキュ、とそれを開くと片掌の内に包み込み、二本の指で瓶の口を押さえるようにして、彼女に向かって十字を切った。
 僅かに開いた口から雫が彼女の額に飛沫として降りかかる…放置自転車とちらしとゴミ、そんな物の中でも行われるのが神聖な儀式だと、宗教に詳しくはない彼女にも分かった。
「神の祝福が、貴方の上にありますように」
彼女の髪に置かれた手の温かさに涙腺が緩み、泣きだしてしまった彼女が落ち着くまで、神父は穏やかに待っていてくれた。
 申し訳ながる彼女に、彼は別れ際に告げたのだという。
「『死の灰』にお気をつけなさい」
と。
 そして、willies症候群の流行…その皮切りとなったのは、彼女が勤務する事務所の入った雑居ビルから。
 そしてそれは、神父に説明した地下鉄の沿線添いであった。
「あの方はきっとそれをご存知で教えて下さったんだと思います…そしてきっと何らかの関わりを持っていらっしゃると」
出来るなら、彼に力を貸してあげて欲しい、と彼女はそう話しを締めくくった。
 そして、流れてきた情報の最後、「『虚無の境界』というテロ組織の関与が推測される」という一文が添えられていた。
「……心霊テロ……『虚無の境界』か」
朔羅は、光を弾いて時折銀めく柔らかな質感の白い髪を掻き上げた。
 その名称に、朔羅が想起するのは一人の青年の姿。
 街にも影にも溶け込めない程に、ただ黒い闇を体現したかのようなその形が視覚に与える印象を裏切って、挙動の明るさに憎ませない…身を異形に蝕ませて平気で笑い、会話を楽しむ事も、人を傷つける事も同じ引き出しに放り込む、赤い瞳を持つ異形の。
 嘘か誠かは判別するにはあまりに材料が足りないが、テロリストだという彼が所属するという『虚無の境界』の関連というのも手伝って、調査に乗り出した朔羅は先ず、最初に事件の起こったビルへと足を向けた。
 ここでは、死者こそ出なかったが、全治1ヶ月以上の重傷者が4人出ている…まずは『死の灰』、それが何なのか、手がかりが得られればと考えたのだが、未だ収まらぬ怪異の原因が掴めぬのに、一度現象が起きた場所は厳重に封鎖されたままだ。
 一度出直すか、と踵を返しかけたその背に。
「アレ?朔羅にーちゃんどしたのこんなトコで。今幸せ?」
飽かずにかけられたいつもの問いに、その声の主を疑う余地もなく動きが止まった。
 破られた様子のないテープの向こう…磨りガラスに横文字の社名の入った外開きの扉、開く動作にノブを握ったままきょとんとこちらを見る、相も変わらぬ黒革のロングコートの存在感も強く、眼差しを隠して円いサングラスだが、それでも視線が合った。
「ピュン・フ−、貴方が何故ここに……」
「そりゃこっちの台詞……どしたの」
再度、問われて朔羅は素直に調査に来たのだと告げようとしたが、紛う方なき関係者が目の前に居るという事実に背を正して向き直った。
「慎み隠さず、答えて欲しい……今回の異常現象の裏で何が起こっている?」
朔羅の問いと眼差しを黄色いテープ越しに受け止め、ピュン・フーはちょいとサングラスを指でずらして紅い瞳を垣間見せた。
「裏なんかねーよ」
まるで笑いのように僅か、目を細め。
「自分の大義を振りかざして、他人様を殺すのがテロってもんだろ?」
自分は関係がないような気軽な口調は、恐れを知らない子供のように感じられる。
「詳しい辺りが知りたいんなら、ヒューに聞いてみてくれる?俺、今回はただの護衛だからさ」
そう、おいでおいでと手招かれるが、封鎖を突破してしまっていいものか、その逡巡に朔羅が歩を踏み出せないでいるのに、軽く手を打ったピュン・フーは人差し指を立てた…その爪が鋭利に伸びる。
 何の躊躇なくテープを切り、朔羅が通れるだけの空間を作ったピュン・フーは扉を支えてニ、と笑う。
「不思議の国へようこそ?」
その扉には、『rabbit hole』と記されていた。


「散らかってるけど、入ってー」
と、自室に友人を招き入れるような気軽さで、ピュン・フーは広くはない事務所の中に朔羅を誘った。
 資料には雑貨の輸入業を業務とする、と明記されていた事務所の中は、ちらばる書類と位置の歪んだままの机などから、事件のあった状態からそのまま放置されている事を察せられる。
「ヒュー、お客さんー」
片手を口の横に添え、ピュン・フーは奥へと向かって呼び掛けた。
「……また、お前は勝手な真似を」
不機嫌さも顕わに、上座の机の横に立つ…一見で件の聖職者である事を判じさせる特徴を持った神父が声の方に顔だけを向けた。
 両の瞳は閉じている。
「救い難いとはまさにこの事、お前の愚かさは実に不快です」
あからさまな侮蔑に、けれどピュン・フーは慣れているのか朔羅に軽く肩を竦めて見せるに止まる。
「ピュン・フーは、私の問いに貴方なら答えられると通したのだ……彼に責はない」
朔羅が神父に向かって責任の所在を主張するのに、彼は静かに微笑んだ。
「神の福音を自ら捨て、然るべき時の後に永劫の業火に灼かれ続けても浄化の適わぬ穢れた魂の主…人と共に在る事すら許されぬ者に、心を砕く必要はありませんよ……私は、ヒュー・エリクソンと申します。貴方のお名前を伺っても?」
「……十桐、朔羅という」
用心深く、相手の出方を見るようにゆっくりと名乗った朔羅に、ヒューはス、と薄く瞼を開いた。
 視線を結ばぬ瞳は、静かに穏やかな湖水を思わせる碧を顕わにする。
「私に何を問われるのでしょう?」
朔羅は漆黒と…ヒューの形を得ぬ眼差しを受けたかのように淡い水色の瞳で捉えた。
「女性を狙い、何をする気だ……」
声を荒げるではなく、けれど緊張を孕んだ朔羅の声に肩越しに少し笑みを見せ、ピュン・フーがヒューの傍らに立つ。
「人は何れ神の御手に帰ります……けれど、今の世の人々はあまりにも罪深い。天の門に受け容れられるには、現世に於いての贖いも、必要なのですよ」
辛苦がそれに値する、というヒューの言葉は穏やかで、憎しみは欠片もなく…それどころか慈しむ気持ちすら感じさせる。
「魔女狩りをご存知でしょうか……中世に於ける忌むべき習慣、幾人の女性が謂われのない罪に陥れられ、生きながら火刑に処された事か」
ヒューは懐から小さな箱を取り出した。
 粗末な木のそれはたどたどしい削りで両手で包み込める程度の大きさだ。
「これは、その被害者の灰です。火刑に処された骸は弔いすら許されずに川に流される。これらは血縁者が流された川岸を咎められぬよう深夜に探って回って得た、骸です」
ヒューは蓋を開いた。
 それが人だったというにはあまりに小さく、そして冷たく白い。
「彼女たちもただ生きていただけです。それすらも咎とされて受けた責め苦は地獄のそれに値する……けれど、それによって彼女たちは本来の罪が拭われているとは思いませんか?」
 謂われのない恐怖で心の内から蝕む救い。それを恩恵として、現代の人々にも。
「……救いの為と言って、貴方は信じるでしょうか?」
答えを促す沈黙に、朔羅はひとつ、頭を振った。
「貴方達が何を考え、何を望んでいるのか、私には分からぬ」
人が人を断罪の意味で傷つける、意味に理解が示せようはずもない。
「……が、この一連の騒動に関わっているのならば、私は貴方達を止めねばならぬ」
朔羅は喉に手を当てた。
 朔羅の紡ぐ無音の振動は、脳髄に直接働きかけて思考と行動とを奪う。ピュン・フーの前でこれを使うのは二度目、彼に通じるかは解らないが、少なくとも神父の行動を封じる事は出来る。
「残念です……ピュン……」
ヒューは目を伏せ、控える黒衣の青年の名を呼……。
「あーーッ!わーーッ!にゃーーッ!!」
ぼうとしたが、何やら意味不明な叫びが下方から上がるのに、額に青筋を浮かべた。
「なーんにも聞こえねぇッ!俺はなーんにも聞こえてないからなーッ!」
「ピュン・フー……」
朔羅が呆れに頬をひくつかせた。
 床にしゃがみこんで丸まった黒い背が、こちらに向いている。
 両手で耳を押さえ、自分の声を頭蓋に反響させる事でノイズを阻もうという…努力は認める。認めるが。
「黙りなさい」
ヒューは手にした白杖の先端でしゃがみ込んだピュン・フーの頭頂部を突いた。
 頂門の一打に加えられた強かな一撃に、頭を押さえてのたうつピュン・フー…切れた緊張の糸は最早戻らない。
「止めますか?」
ヒューず朔羅に問い掛けるが、どうにもそれはピュン・フーの息の根を、と言下の認識にかかるような気がしてならず、朔羅は強引の話題の修正を試みる。
「……この街を見捨てる真似は出来ぬからな」
朔羅の気配りに苦慮してか、ヒューも付き合いよく応じる。
「ご理解頂けないのは残念です」
そう、ヒューはカツリと床に杖先を打ち付けた。
 机や椅子、障害物の多さに人間が最も頼りとする五感、視覚が欠ける彼の杖先から感じ取る反射から周囲を確かめながら歩みはゆっくりとしたものだ。
 それを朔羅は待つ。
 互いの手を、伸ばせば触れられるその距離で、ヒューは足を止めてひとつ息をついた。
「どうぞ、お持ち下さい」
軽い音で、書類の散らばる事務机の上に…小箱を置く。
「今まで事件のあった場所から、残った彼女達は全て回収出来ています…この最初の場で最後」
ヒューは朔羅に微笑みかけた。
「どうぞ眠らせてあげて下さい」
「……何故」
当然と言うべき朔羅の疑問に、ヒューは穏やかな笑みのまま瞳を閉じた。
「私に与えられた力は神の恵み、それを阻む者があればそれは神の意志……剣を持つ者によって、既に道は示されている……そして貴方がこの場にいらっしゃったという事は彼女達の眠りは貴方に託せという事でしょう」
確かに、神父の手にそのまま…呪具、とも呼べる遺骨が残されるのは不安でもある。それを再び使わぬという保証は何処にもない。
「……預かろう。こちらの流儀で構わなければ、弔いも必ず」
思案の末の朔羅の言に、神父は深く頭を下げた。
 まるでテロリストらしくない。
「戻ります」
朔羅に対した時は全く別の冷たさで背後に向けて発された声に、漸く復活したピュン・フーが「へーい」と気のない返事でヒューに続く。
 朔羅は半身を引き、扉に向かう二人の為、通路を開けた。
「……ピュン・フー」
脇を抜ける、黒いコートの袖を引く。
「ん?」
引かれるまま腕を残したピュン・フーは残された手でサングラスを取り払った。
「何?」
「先日貴方が話した言葉……」
自分と、そして朔羅の死を示唆して交わされた会話は、記憶に新しい。
 それに告げたかった言葉があったのだが…その紅い瞳に、まるで月に向かって語るように、届かない声だとそう感じた。
「……胸に埋め込まれた物は使用するな。いつか必ず……飲まれる」
せめて朔羅の抱く懸念を…汲んでくれればまだ、望みがあるような気がしたが、それに対してピュン・フーは答はせずに軽く肩を竦めて破顔した。
「へぇ、心配してくれんだ。にーちゃんやっさしい♪」
ママはスパルタだけど、と続く呟きに、ピュン・フーが忠告を何処まで本気に取ったかは知れない。
 朔羅は深い嘆息に肩を落とすと、もう少し…届きそうな要求を選んだ。
「それから、その『にーちゃん』はやめろ……」
困惑の方が先に立つ呼称に、げんなりとした朔羅にくつくつと喉の奥で楽しげに笑うと、ピュン・フーはとっとと行ってしまっている神父を追う。
「気をつけるよ」
振り返りもせず、高い位置でひらひらと振られた手を挨拶に代え…どちらを、とも取れず、またどちらとも取れる応えを返した背に、朔羅はまたひとつ息を吐いた。