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女神の祈り【王国】
■序■
草間武彦がリチャード・レイと出会うのは、これが初めてであった。噂は聞いている。灰色の髪、灰色の眼、灰色のスーツのイギリス人――まさに噂通りの姿だった。
「優れた調査員を探しております」
彼が話す日本語は、多少の英語訛りがあるものの、充分流暢だった。
「『キングダム』という機関を調査していただきたいのです。本部はイギリスにあります。旅費はこちらで持ちますので、何名か紹介していただけませんか」
非常に単純明快な依頼だ。草間自身が動く余裕がないことを理解しているらしい。ふむ、と草間は煙を吐いて、短くなったマルボロを灰皿にねじ込んだ。
「あんたは、よくアトラスで協力者を集めてるって聞いたが……」
「少し、厄介なことになりましてね。別件ですでに何名か集まっていただいています。そちらにわたしが同行すると足手まといになりかねませんので」
「『キングダム』……な」
王国、か。
名前を聞いただけではどういった組織なのか見当もつかない。草間は呟き、コーヒーカップを口に運んだ。
草間のそんな表情を察してか、レイが自ら話を切り出す。
「邪神を信仰している教団です」
ぶっ、と草間は軽くコーヒーを噴いた。
……ある程度覚悟はしていたが、やはりこのテの組織だったか。
「ここ数十年はなりをひそめていましたが、つい先日、このニッポンに厄介ごとを持ち込んできました。本国ではもっと深刻なことになっているかもしれません。組織の活動内容や拠点をつきとめ、ＩＯ２やＡ.Ｃ.Ｓ.といった組織に報告したいのです」
「Ａ.Ｃ.Ｓ.？ また聞いたこともない団体名が出てきたな」
「まあ、民間が組織したＩＯ２のようなものですよ。少なくとも敵ではありません」
レイは草間の疑問に淡々と答えたが――
草間には、まだ解せないことがあった。
「……しかし、なぜ、うちに来た？ そりゃ、調査員はかなり抱えてるようなもんだが」
「『優秀な調査員』が欲しいと、申し上げました」
レイはわずかに目を細めた。
「穏便に進む調査とは思えませんから」
灰色の男はまたしても、答えを用意していたかのように――さらりとそう答えたのだった。
■派遣員は５名、あくまで５名■
「パ＝ドゥ」
灰色の男は、渋谷の街角で呼び止められた。
男の名は、リチャード・レイであるはずだった。にも関わらず、パ＝ドゥという言葉を名前だと認識し、彼は足を止めて振り返ったのである。
「やはり、パ＝ド＝ドゥ＝ララ様なのですね。もしやと思い、店で『黒き目録』を確認しましたよ」
「……」
闇色の髪を持った黒外套の女が、レイの傍に歩み寄った。レイは狼狽した様子こそ見せなかったが、厄介なことになったと言わんばかりに軽く溜息をついた。
「わかっています。世間の前では、貴方はリチャード・レイ様。４００歳の魔導師だとふれ回っては、何かと生きづらい世界ですから」
「儂も、そなたを見たとき、もしやと思うた。その髪と目を見たことがあった気がした。ジョン・ディーとともに歩いてはいなかったか？ ……だが、黙っていた――儂にはその勇気がなかったからだ」
「でも貴方は今回、勇気ある決断をしましたよ」
女は、傍らの白狼に目を落とした。
後日――とはいっても翌日、レイは再び草間興信所にやって来た。すでにイギリスへ渡る準備をしてきたようだった。全くの手ぶらというわけではなかったが、荷物は少ない。しかも一匹の白い狼を伴っていた。
興信所の応接間では、草間に呼びつけられた海原みあおと草壁さくらがレイを待っていた。
「レイ様、お待ちしておりました」
「みあおだよ！ よろしくねっ」
「……お待たせして申し訳ありません。よろしくお願いします」
みあおとさくらにそうは言ったものの、レイは首を傾げ、草間にちらりと目をやった。
「５名集まったとお聞きしましたが？」
「ああ」
草間は眉を寄せると、短くなった煙草を灰皿に突っ込んだ。
「最初に乗ってきた星間信人ってやつは、先に行っちまったよ」
「また彼ですか……」
「またあの方ですか……」
「……？？」
深い溜息をつくレイとさくらの顔色を、みあおはぴょこぴょこ交互に伺った。星間信人という男が何者なのか、この少女は何も知らなかったのだ。
「追々お話しします」
そんなみあおの顔色を察してか、レイが静かにそう言った。彼はどうやら誰に対してもこの態度らしい。
「レイ様、その白狼はステラ様のお供ですわね？ ステラ様もこの調査に？」
「はい。ただ、同行していただけるのはこのオーロラさんだけだそうです。ホシマさん同様、彼女も単独で調査をなさると」
ということは、
「……あと１名は……」
草間が黙って窓際のソファーを指差した。
みゃう、と一声泣きながら、灰色の猫がソファーから飛び降りる。軽やかに音もなく調査員たちに近づき、見上げて、また鳴いた。
「なるほど」
「わぁ、猫さんもついてきてくれるの？」
いやに冷静に事実を受け止めるレイの横で、みあおが猫を抱き上げた。猫は不可思議な輝きを持つ蒼の瞳で、調査員たちを興味深げに見つめている。
「名前はエリゴネだ」
草間はパッケージから煙草を取り出しながら、ぶっきらぼうに告げた。
「草間様のところにいらっしゃる猫ですから、当然普通の猫ではありませんのでしょうね」
さくらはにっこりと笑いながら、草間の心をぐさりと抉る。草間は渋い顔をしてあらぬ方向を見つめ、黙りこくった。
沈黙もまた、答也。
「……旅費が二人分、浮きましたね」
レイはみあおの腕の中のエリゴネと、傍らのオーロラに目をくれながら、ぽつりとそう呟いた。
■王国の中の王国へ■
ロンドン着の便が突然の突風で墜落したのは、16:21のことである。
ステラ・ミラは、さっと顔を上げた。
彼女の瞳はヒースロー空港ロビーのテレビではなく、実際の現場を見つめていた。身体がどこに在ろうが、彼女の視線はあらゆる時間と場所を渡るし、使い魔オーロラの視界と同調することも出来る。
だが――彼女は、ほっと胸を撫で下ろした。
不思議な感覚だった。オーロラが飛行機事故如きで死ぬはずはないし、どれほどの人間が死のうが迷惑を蒙ろうが責任を負わせられようが、彼女には関係のないことだ。
それでも、死傷者が『奇跡的』に誰もいないということを知り、ステラは胸を撫で下ろしたのである。一時間もするとマスコミが『奇跡』という言葉を連呼するに違いない。
――風……。ハリの神が荒んだ風を吹かせたのね。でも、あの神も身動きが取れないはず。彼の力をここへ呼んだ誰かがいる。
その人物も、きっとこの報道を見ているはずだ。今はまだ、死傷者が出ていないことを知る由もないはず。ほくそ笑みながら、見ているはずだ。懸命に冷静を装い、ニュースを読み上げるキャスターを見ているはずだ。
――居た。貴方ね、星間信人様。
彼女の闇色の視線は、たちまちロンドンの町並みへと飛んでいた。
同時に彼女の姿はかき消えていた。ヒースロー空港には今日も多くの人間が居たが、誰一人その光景を目にしていなかった。そればかりか――すでに人間たちの記憶の中では、彼女は初めからここに居なかったことにされていたのである。
――いやはや、事故というのはいつ起きるかわからないからこそ、恐ろしいものなのですよねえ。これからも、ずっとそうであるべきです。
灰色の街角のテレビで、航空機墜落事故を見ていたのはイギリス人ばかりではない。
ひとりの小柄な日本人男性が、人だかりの最前列に居た。星間信人、彼はまるでこれから事故が起きることを予見していたかのように、数分前からこの新聞社前の街頭テレビを眺めていたのである。果たして、ニュース番組は速報を伝えることになった。
まだ詳しい情報は入ってきていないようだ。しかし、『墜ちた』ことを確認するだけで、信人は満足した。これで邪魔が入ることなく、先方とディナーを楽しむことが出来るというものだ。
テレビの前を離れた信人の影が、一瞬揺らめいた。
いや、影だけが一瞬、髪の長い女のものになったのだ。信人は背後に不可思議な気配を感じて振り返ったが、彼の影やテレビに群がるロンドン市民からは、何の異常も伺えなかった。
■灰色の街■
星間信人はロンドンを発ち、すでにブリチェスターに到着していた。すでに、とは言ってもすっかり日は沈み、うら寂しい地方都市にも古ぼけた灯りが燈された。川沿いの灯は今だにガス灯であった。観光客の目を楽しませるためならばいいとしても、この街の場合はおそらく、ただ単に付け替えるのが億劫なだけなのだろう。こんな薄暗い田舎町に来る観光客は奇異だ。
星間信人もまったく、奇異な人物である。
彼はガス灯の灯を望めるレストランに入り、２階の席へと通された。彼が祝辞を述べようとしていた人物はすでに席についていた。
黒に近いグレーのスリーピースを着た紳士が、信人の姿を認めて微笑む。信人もまた、紳士のものとよく似た笑みを浮かべた。……ふたりの笑みは、ひどく虚ろで、狂気じみていた。
「グレート・ブリテンへようこそ、ミスター・ホシマ。フロンサック・リトルです」
「初めまして。……『王国』の復活、心からお祝い申し上げます、総裁」
信人の紡ぐ英語は流暢なものだった。これまで読み漁ってきた書物の中には、無意識のうちに音読していたものもあったためだろうか。
ふたりは握手を交わすと、席についた。
「子羊の脳入りのカレーはご存知かな」
紳士ことリトルは、まだ食器しか並んでいないテーブルを前にして、そう話を切り出した。イギリス人は当り障りのない雑談で口火を切り、次第に本題に入るという癖がある。フロンサックという名はフランスのものだが、この紳士の本質はイギリス人であるようだ。
「脳を入れると味がまろやかになる。フライもカレーもスープも何もかもが」
「そう聞きますね」
「私は脳だろうが熊の手だろうが幼虫だろうが美味ければ何でも食べる。……だが、ただの一度も食べたいと思わなかったものがあるんだよ」
「ほう？」
「オクトパスさ」
リトルは身を乗り出してくつくつと笑った。信人の笑顔は多少困ったものになった。リトルが蛸を食べない理由に察しがついたからだ。
「……王国の復活、と言ったね」
笑うのをやめたリトルがようやく本題に入る兆しを見せた。
「きみの教団には情報が入っていなかったと見える。我らが王国は一度も滅んではいないのだよ」
「――では」
「そうだ。ラヴクラフトやダーレスが余計な記録をつけ始めたときも、ヒトラーが台頭したときもみじめに敗北したときも、キリストが教えをばら撒いていたその時ですら、王国は人間とともにあった。ＩＯ２とＡ.Ｃ.Ｓ.が『先日』解体させたものは、我らが王国の片鱗にすぎない」
「王国はひとつだけではないと」
「神は一柱だけかね？」
「面白いことをお尋ねになりますね」
信人は含み笑いをしながら眼鏡を直した。狂信的な彼ですら、ただ一柱の神を信じているわけではない。敵視してはばからない水神、白痴の創造神、豊饒の女神――信仰心はどあれ、存在を信じている。それが問題だ。
料理が来たのはそのときだった。しかし先ほどリトルが話題にした子羊の脳は影も形もなく、日本でもよく見かける牛肉のステーキが皿に載っていた。信人は別段子羊の脳を楽しみになどしていなかったし、もとよりさほど食欲を抱いておらず、ナイフにもフォークにも手をつけなかった。
「今度は、僕からお訊きしてもよろしいでしょうか」
「何だね？」
「Ａ.Ｃ.Ｓ.とはどのような組織でしょうか。日本ではあまり聞かない名前でしてね」
「ふむ」
リトルはステーキを切り分けていたが、信人同様食事に魅力を抱いてはいないようだった。肉を口に入れることなく、紳士は話し出す――
■絶対的対抗呪式■
「Ａ.Ｃ.Ｓ.は１００年ほど前にこの国の富豪によって発足された組織だ。活動内容はＩＯ２とほぼ同じ。怪奇現象や超常能力者から『世界』を護るために動いているのが、ＩＯ２と異なる点だ。ＩＯ２は『人間』を護るために動いている。Ａ.Ｃ.Ｓ.もかつては少々排他的な組織だったのだが、最近総裁が変わってね。方針や思想もだいぶ和らいで、ＩＯ２と協力する姿勢をとり始めている」
リトルの語り口からは、ふたつの組織に対する嫌悪感や侮蔑感は読み取れなかった。或いは、いちいち目くじらを立てる気にもならないのか。
「ＩＯ２もここのところ忙しいようだ。ある系統の事件や人物の監視や処理を、まとめてＡ.Ｃ.Ｓ.に委託していると聞く」
「ある系統――」
「よく『あちら側』絡みと言われている系統だよ。つまり、我々の活動さ。言うなれば現在のＡ.Ｃ.Ｓ.は、ＩＯ２の『邪神対策課』かな」
■町を喰らう光■
ブリチェスターを通る路線は一本しかない。星間信人は、『キングダム』へ誠意を見せた。日本から派遣された調査員のしぶとさはよく知っていたので、念のため列車という移動手段も潰しておこうと、ブリチェスター駅周辺に使いのものを送っていたのである。
――ふむ。あの『名状し難き教団』も、少しは協力的になったかな。
リトルは信人とレストランで別れ、ひとり川沿いを歩いていた。
静かな町だ。遠くで、この地球のものではない生物が鳴き喚いている。その声すらかすかに聞こえてくるのだ。
ガス灯のうら寂しい灯りがリトルを照らし、影を落とす――
「そろそろ出てきてはくれないか」
彼は含み笑いを足元に落とした。立ち止まった彼の影が、ゆらりと動いた。たちまち、影は長い髪の女のものになり――
「不思議な方ですね。だいぶ前から気づかれていたはずなのに」
ステラ・ミラが、現れた。彼女は信人とリトルが握手を交わしたその瞬間、影を渡っていたのである。
彼女は、いつも変わらぬ表情をかすかに歪ませる。それは、改めてフロンサック・リトルを見つめたがためだった。
「貴方は……」
「それ以上言って何になる？ きみもまた、自分の正体を他人に訊かれて楽しい気持ちを抱くかね？ そうはならないはずだ。自分のことは自分が一番よくわかっているはずなのに、実は自分が何であるのかを知っている者は居ないからな。きみもそうではないかね？」
風。
「ええ、その通り」
ステラの黒髪は、どこか淀んだ夜風に弄ばれた。
「我らの王国を探っているんだね」
「ええ、それも、その通りですよ」
「きみが何かを『探る』必要はあるのか？ わざわざその目と指を使って探るのは何故かね？ 王国と女神も、人間も地球も、きみにとっては同等の存在であるのでは？」
ステラは、そっと目を伏せた。
「……何から何まで、貴方の言う通り……訊かれるというのは、あまり楽しくありません」
「わかってくれるなら、それでいい。悪かった」
紳士はにこりと微笑んで、ステラに背を向けた。
「でも、リトル様。とりあえず、ひとつだけ質問に答えておきます」
リトルははっきりとは振り向かなかったが、足を止めた。
ステラは、蛾や羽虫を誘うガス灯を見上げて、静かに答える。
「私は、このガス灯が『懐かしい』と感じました。貴方がたは、このガス灯や、夕焼けや、朝露をきっと壊してしまう。私は懐かしいと思うものすべてを、なるべく失いたくはないのです。私が出会ったもの、これから出会うもののすべてが、きっと私の疑問の答えを導き出してくれるでしょうから。貴方がたを知ることで、貴方がたを止める手段を見つけたいのです」
わざわざその目と指を使って探るのは何故かね？
ステラの答えに、リトルが満足したのかどうかは定かではない。
「きみが答えを見つける日が来ることを神に祈ろう」
そう言い残して、紳士は消えた。
ステラはリトルの後を辿るようにして、川沿いを歩き――ふと、足を止めた。
河川敷の公園が、白くぼんやりと光り輝いていたのである。それまで暗雲に隠されていた月が顔を出していた。不安と神秘を孕むその月光が、小さな公園に満ちている。
「『ムーンレンズ』……ゴーツウッドからこの町に運んできたというの……？」
ということは、
ステラはかすかに眉根を寄せると、唇をかみ締めた。
ステラが懐かしさを覚えたこの町は、すでに壊されていた。
■女神の行き場■
ブリチェスターの町が灰色の光に包まれたのは、午後１１時のことだった。
満月がほぼ中天に達し、古ぼけた町を見下ろしていた。
光は、消える気配を見せなかった。
それが光ではないことに彼らが気づいたときには、すでに、灰色の光は形を帯びて、ぐるりぐるりと蠢き始めていた。
「――来たのか。いや――来ていた、のか」
レイが光を見上げて呆然と呟く。
光は、今や煙か雲のようだった。
雲はもくもくとブリチェスターを覆い、恐ろしい臭気を放ち始めていた。その姿からはすでにはっきりとした邪気と狂気と、不可思議なことに、母性のようなものも感じ取れる。
雲の切れ目は、口だった。無数の口が生まれては閉じ、涎と肉芽を垂れ流していた。
「あれは……何ですの？！」
青い鳥を抱きながら、さくらが息を呑む。
エリゴネは後ずさりながらも、雲を睨みつけていた。
「ブリチェスターの守り神、『キングダム』が崇めるものだ。人間は見ることも叶わぬ。あの姿の邪悪さに心を打ち砕かれる」
「千の仔を孕みし森の黒山羊。彼女はこの星ではそう呼ばれているわ」
ステラが姿を現した。オーロラはのっそりと彼女に近づき、頭を垂れる。ステラは静かにその頭を撫でた。
「彼女がこの町にやってきたということは、美原村の件も上手くいったようですね」
「そうか」
「この町に、『ムーンレンズ』がありました」
レイが呻き声を上げた。露骨に顔をしかめてもいた。彼はだらりと垂れ下がった己の右腕を見やると、何の躊躇もなく肩を掴み、ごきりと関節を元に戻した。
首を傾げるさくらと青い鳥、尾を立てて歩み寄ってきたエリゴネのために、ステラはすすんで説明をした。
「彼女の化身を呼ぶための装置です。でも、彼女自身を呼ぶには少し力が足りないから――」
ステラはブリチェスターを覆う雲に目を移した。
「彼女は不完全な形でしか、存在できないのです」
また、空には暗雲がたちこめてきた。流れる雲は、月を覆った。
月が隠れると同時に、ブリチェスターを包んでいた不可思議な光と、ぐるぐると渦巻く雲は消えた。
「あれほどの存在が、まだ不完全だと仰るのですか？」
青い鳥を撫でながら、さくらが呟く。
「日本で実体化しようとして失敗したのでしょう。この次元軸に存在する他の行き場所を探して、ここに仕方なくやって来た――『ムーンレンズ』に縛られている以上、月がなければ彼女は姿を現せません」
「しかし、月があれば確実に現れる。真に、『キングダム』の守護者となったのだな」
女神がそばにいる限り、並みの人間はブリチェスターに入ることも叶わない。
彼女にそのつもりはなくとも、彼女は己の信徒を守っている。彼女の信徒の証、それは筋だらけになって黒く変色し、山羊の角のような鋭い爪を持つ腕だ。レイを掴んだ腕は、まさにそれだった。
今宵彼らが日本のほぼ裏側にあるイギリスにやってきたのは、調査のためだ。
『キングダム』なる組織の現状、そして拠点を探りにやってきた。そうすることで、今日本で起きている悪夢を消し飛ばそうとしていた。それ以上でも以下でもなかった。
彼らは最悪の調査結果を報告書にまとめることになりそうだった。
少なくとも、彼らにとっては、最悪の。
「イア！ シュブ＝ニグラス！ 大いなる森の黒山羊よ！」
星間信人はブリチェスター時計台の尖塔の上で、嬌声にも似た祈祷と歓声を上げている。彼の瞳は川のほとりにある鏡にも似ていた。さながら彼がかけている眼鏡は、『ムーンレンズ』中央の凸レンズか。月の光の下にのみ現れる巨大な煙と雲の姿を、彼の瞳はしっかりととらえていた。だからこそ、その瞳が湛えているのは狂気と邪気なのだ。彼の瞳は、鏡であるが故に。
「千の仔を孕みし森の黒山羊よ！ 我らは鍵を回したり！ 再び地上を歩み給え！」
笑い声が、耳障りな喚き声と重なった。風の翼が下りてきて、信人をつかみ、ブリチェスターは再び陰気な静寂に包まれたのだった。
■英国は本日も平和也■
「レイって力もちなんだねー。みあお、見なおしちゃったよ。おとなをぽーんって投げちゃうんだもん」
「いえ……そういうわけでは……」
「パ＝ドゥ、他人のものは大切に使うべきですよ」
「レイです、ステラさん」
「レイ様、この期に及んでもまだ……」
「――ニッポン行きの便まで時間がありますね。ロンドンを軽くご案内しましょうか」
「……」
「わーい！ みあお、おいしいもの食べたい！」
「……すみません、この国にそれを求めるのは酷な話でして……」
なぁう。
（了）
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登場人物（この物語に登場した人物の一覧）
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【0134／草壁・さくら／女／９９９／骨董屋『櫻月堂』店員】
【0377／星間・信人／男／３２／私立第三須賀杜爾区大学の図書館司書】
【1057／ステラ・ミラ／女／９９９／古本屋店主】
【1415／海原・みあお／女／１３／小学生】
【1493／藤田・エリゴネ／女／７３／無職】
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ライター通信
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モロクっちです。北海道もついに暑くなってきました。勘弁してほしいです。
クトゥルフ大イベント第２弾、『女神の祈り【王国】』をお届けします。皆様のプレイングのおかげで話が膨らみ、ブリチェスターは大変なことになっていることになってしまいました（笑）。特に星間様、登場シーンは控えめですが、プレイングがシナリオに与えた影響はかなり大きいです。みあお様がいなければ多分悲惨なことになっていました。本来文章は一本化する予定でしたが、物凄く長くなってしまったので２本に分割しています。こちらは、ブリチェスターでの『キングダム』との接触を描いたものになっております。ステラ様の方は、今回も心情系でお書きしました。いかがでしたでしょうか。
お暇があればもう片方も、そして日本の運命が気になる方は【召喚】編も合わせてお読みいただけると嬉しいです。
興奮と達成感のあまり長文になりましたが、この辺で。
また一緒にお話を作りましょうね！
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