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<PCシナリオノベル(シングル)>


蒼天に架ける橋

「頼みたいことがある」
 草間興信所から電話があったのは、先日のことだった。
 電話の相手は草間・武彦。草間興信所の所長だ。
「仕事ですか? 構いませんよ。ちょうど大学も休みに入りますし」
 大学の講義終了直後に電話を受けた雨宮・戒が軽く応えると、草間は助かったとばかりに声のトーンを上げた。
「お前にうってつけの仕事があるんだ。体験留学がてらアメリカへ行って欲しい」
 戒は昼食時の騒がしい教室を出ると、廊下の隅を陣取って携帯電話の向こうから響く声に耳を傾ける。
「俺が留学するのはイギリスですよ」
 柔らかい笑顔から受ける印象とはうらはらに、返す戒の声は低く良く通った。
「それに、行くのは構いませんが旅費はちゃんと頂けるんでしょうね」
「うちには経費を出す程の余裕はない」
 草間は何を今更といった調子だ。
「経費ゼロ。争い事も、仕事も、煩わしいと思える事は何も無い。雨さえも降らないと言う、まさに夢のようなアメリカ西部への旅だ。いいぞ〜」
「……草間さん。暑さでどうかしたんですか?」
 思わず口から出かかった言葉を、戒はぐっと飲み込んだ。

 その後仕事内容を説明してもらったのだが、電話越しに聞いた限りでは写真の中にいる老人を外に連れ出して欲しいなどと言われ要領を得ない。
 何であれ依頼内容に興味を抱いた戒は、夏期休暇に入ってすぐ興信所を訪れた。
 挨拶もそこそこに、草間は戒に三枚の古びた写真を手渡す。
 それらはどこか片田舎を思わせる風景で、いつ撮ったのかさえも不明だと言う。砂っぽい町のメインストリート、寂れたストアの店内、それに墓地。
 唯一いる人間と言えば店の前に揺り椅子を持ち出し、パイプをふかしている老人だけだ。
「この写真を見てみろ」
 言われるまま写真に目を落とす。
 揺り椅子に腰掛けた老人が写っている。その老人と“目が合った”。
「テレビでも見ているみたいですね」
 そこで初めて「夢のようなアメリカ南部への旅」という言葉の意味を理解する。
 草間はこの生きた写真の中へ入り、老人を連れ出せと言うのだ。
「その爺さんは<時渡り>と言ってな、写真の中に住んでいて、望んだ者を連れ去っていく。俺が誘われた時に中へ入れば良かったんだが――」
「いいですよ」
 戒は草間のセリフをさえぎって声を上げた。
「面白そうじゃないですか。このご老人に話しかければいいんですよね?」
 頷く草間に、柔らかく微笑みかける。
「任せて下さい」
 そして老人と二言三言言葉を交わすなり、青年の姿は虚空に消えた。


 写真世界へ入る感覚、というものは戒が思い描いていたよりも案外心地良いものだった。
 少しばかりの浮遊感とめまい。
 降り立ってみれば、そこには現実とまるで変わらない青空が広がっている。
 いや。その空は、現実よりも高く清々しい。
 頭上を覆う青から視線を降ろすと、高層建築物のない見晴らした地平が目に入る。畑があるのだろう。空との境は緑に覆われていた。
「どうだ。良いところだろう」
 声のした方へ視線を移すと、先ほど見た写真の老人が、ゆったりと揺り椅子を動かしながら戒に微笑みかけていた。
 背後にはこぢんまりとしたストアがある。あまり大きな店ではないが、店の景観は良く町に馴染んでいた。住人にも親しまれているのだろう。店先を出入りする者は皆、老人に気軽に会釈をしていく。
「そうですね。“田舎”と言ったら失礼かもしれませんが、こういう穏やかな風景というのは、確かに心惹かれる部分があります」
 微笑みを浮かべて町を見渡す戒に、老人はすかさず問いかける。
「では、この町で暮らしてみるかね?」
 表情を動かさず、戒は応えた。
「しばらく、この町を見て回ってこようと思います。けれど、俺がここに永住したいと思うかどうかは別ですよ」
「いいだろう」
 老人は満足そうに頷くと、いたずらっぽい笑みを浮かべてこう言った。
「タケヒコに話は聞いているよ。好きなようにやってみるといい。ええと……」
「戒です。カイ・アマミヤ」
 こうして、戒の仕事は始まった。

 この世界へ降り立った時から気付いていたが、戒は英語を話してはいなかった。にも関わらず、挨拶をするどの相手にも言葉が通じる。
 あの老人が無節操に喚び込んだのだろう。彼が見る限りこの世界にはあらゆる人種が見受けられたが、その誰もが言葉に不自由している様子はなく、国籍を越えて気さくに言葉を交わしていた。
 夢のよう、とは良く言ったものだ。
「これでは体験留学にもならない」
 帰ったら草間に文句のひとつも言ってやらねばと思いつつ、町中を探索する。
 まず、町には夜がなかった。
「夜だって? だめだめ。道が暗くなったら危ないじゃないか」
 次に、町には眠りがなかった。
「睡眠? だめよ、そんなもの。時間が勿体ないじゃない」
 当然、時間も無かった。
「時間がなければ何ものにも縛られることがないんですよ!」
 言霊使いである戒には、彼らが本心からそう言っているのがわかる。
「なるほど。言語も闇も睡眠も、果ては時間までもが煩わしい。というわけか」
 この調子では他にも多くの事柄が『煩わしい』と言われ、その法則を無視されているに違いない。
 さて、どうあの老人を説得したものかと歩いていると、路上にらくがきをしている子どもに出会った。アスファルトで固められていない道路の脇に固まって、サクサクと筆代わりの木の枝を走らせている。
 この子どもも、あの老人に喚ばれて来たのだろうか。
 上から覗き込んでみるが、幼子の描く絵だ。なんのことやらさっぱりわからない。
「何を描いているんだい?」
 声を掛けると、地面から目を離さないまま返答する。
「ここ、おそら。これはたいよう」
 じっくり眺めると戒にも彼の芸術が段々と理解できるようになってきた。
 そこでふと、思いつく。
「キミ、『虹』って知ってるかい?」
 返ってきた答えは、予想通りのものだった。
「『虹』ってなあに?」
 そこで戒は、子どもが持っていたスケッチブックと色鉛筆を丁重にお借りして、七色の橋を描くことになった。
「雨が降った後に、こういう橋が空に架かるんだよ」
 その説明を聞いて、再度子どもが声をあげる。
「『雨』ってなあに?」

 子どもの質問攻めを終え、再び町の探索を始める。
 町ですれ違う人々は、皆一様に晴れやかな表情をしていた。
 戒は相手が「もしかしたら」、と思っている事を真実だと思わせることができる言霊使いだ。この世界へ入ってすぐ、老人を説得しようと思えばできないこともなかった。
 しかし無理強いはしたくなかった。どういった理由であれ、この世界に居座り続けるには理由があるはずだ。この町の住人も、そして、あの老人も。
 墓標の前に花を供えて回る女性を遠巻きに眺めながら、戒はもと来た道を戻り始めた。

 再び老人の元へ戻ると、老人は揺り椅子を止めて戒を待っていた。
 その側に立って、戒は来た時と寸分変わらない青空を眺める。
「わしを説得する言葉は見つかったかね?」
「いいえ。特にこれといって見つかりませんでした」
 さらりと言ってのける。
「ではどうする気だね。タケヒコはカイがわしを外へ連れ出すだろうと言っていたよ」
 試すような口ぶりだ。見れば老人は楽しそうに笑っている。
「説得はしません。だから、こうしましょう」
 戒は微笑みを返しながら、老人の目を見て言葉を紡ぐ。
「いつかこの世界に虹が架かったら、外の世界に戻って下さいますか?」
「この世界では雨が降らないというのに?」
「降りますよ」
 老人の問いかけに、戒ははっきりとした声で答えた。
「俺には、あなたが人を喚ぶことによってこの町に変化を与えているように思えました」
 紡ぎ出す言葉の一つ一つに、戒の感じ取った想いを組み込んでいく。
「本当に変革のない世界を望むなら、あなたは俺だって喚ばなかっただろうし、草間さんにだって話しかけたりはしなかったでしょう?」
 興信所で見た写真の印象。この世界へ降りた時の感覚。町の人々の微笑み。虹の絵を見て喜んだ子ども。そして、目の前に座る老人への違和感。
「rainbow chaserか……」
「何ですって?」
「虹追い人。――空想家という意味だよ」
 老人は小さく笑みを浮かべると、観念したように揺り椅子から立ち上がった。
 目の前に広がる空を見上げ、呟く。
「老いは恐れを多くする。わしはそれらから逃げたかっただけなのかもしれないな……」
 その言葉に眉をひそめ、声を掛けようと手を伸ばす。
 だがその指先が老人に触れる前に、戒の意識は闇に沈んだ。


 ふと目を開けると、見慣れた興信所の様子が視界に入った。
 机で依頼書の整理をしていたであろう草間が、驚いたようにこちらを見ている。
「何だ。もう終わったのか?」
「終わった……とは思うんですが……。中へ入ってからどれくらい経っていますか?」
「どれくらいも何も、五分経ったかどうか」
 時計を見ると、戒が興信所を訪れた時間からそれほど経っていない。
 そこへ、奥からお茶を盆に乗せた零がやってきた。
「お茶をお出しするのが遅れてごめんなさい。今回はどういうお仕事なんですか?」
 思わず草間と顔を見合わせる。
 草間は机上にあった写真を手に取り、少しばかり目を見開いた。
「仕事はもう終わったよ」
 いぶかしがる戒と零に写真が見えるように差し出し、笑う。
 写されていたのは、買い物客で賑わうストア。夕暮れの墓場。そして、雲一つ無い空に架かる、色鮮やかな虹。
 そこに、老人の姿は無かった。