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<東京怪談・PCゲームノベル>


幻想交響曲 3 田園の風景

【3_0zero】

「……、」
 確か、道路交通法に拠れば法定速度と云うものは自転車にも適用された筈だ。
 が、結城・レイ(ゆうき・れい)はそんな事はどこ吹く風、どうせパトカーだろうと白バイだろうと追い付けないだろう事をいい事にロードバイクの限界速度で東京の路上を飛ばしていた。
 信号無視は常識だ。免許の存在しない自転車がそんなものを守ってどうする。日本の安全神話を信じ切っている歩行者の方が危険を察知して通過を見送る有り様だった。

──お願いがあるのよ、
 今、彼女の頭にあるのはそんな或る少女からのメッセージと、某高級アパートメントへのショートカットだけだ。

【3_1ABCDEGI】

「……、」
 空を見上げた柾・晴冶(まさき・はるや)の表情に笑みが現れた。彼は今迄とは別人のように生気を取り戻した瞳を閉じ、風に煽られた前髪を掻き上げ、その手を大きく広げて清々しい風を全身で受けている。
「……は?」
 逸早く彼を追い掛けた倉塚・将之(くらつか・まさゆき)は、その余りの変貌振りに気抜けして間の抜けた声を発した。……何なんだよ? 普通じゃねぇか、これじゃ。
 果てしない草原をゆっくりと歩み出す柾の足取りは確りとしている。……先刻までの茫然自失振りは何だったんだ、と気力を削がれる程。
「……ようやく会話が成立しそうだな」
 柾には云いたい事が山程ある。じっくり話し合おうじゃないか、と歩を進めたケーナズ・ルクセンブルク(けーなず・るくせんぶるく)の肩を、セレスティ・カーニンガム(せれすてぃ・かーにんがむ)が穏やかに制止した。
「それも結構ですが、今少し黙って様子を見ませんか。折角落ち着きを取り戻した所なのですから。彼の千鶴子嬢に対する本音が聞きだせるかも知れません。どの道、──最後には」
「……、」
 遠くの方で、無邪気な笛の掛け合いが聴こえる。──知っているのだ、彼らは。千鶴子へ呼び掛ける柾の声を象徴するようなその笛の音が、楽章の終わりにはもう、呼び掛けには応じて呉れない事を。
「今の内に、柾氏の本音を探ってみたいですね」
 意味深長な微笑みを浮かべて、ケーナズに云う。──分かっているのだ、ケーナズの内面のバイオリズムも。彼もこの中では「年長組」とは云え、所詮このリンスター財閥総帥に比べれば彼の1/29年月しか生きていない。
「だが……」
「ねえ、ケーナズ、セレスティさんの云う通りにしましょ。……あなたも、休んだ方がいいわ」
 イヴ・ソマリア(いヴ・そまりあ)がケーナズの顔色を覗き込みながら腕を取る。ここまで、ケーナズは精神への負担を顧みずサイコ能力を解放しっ放しだった。弱音は吐くまいとしても、顔色が悪い。
「そうなさい。周囲の気配には私も注意していましょう。……どの道、これ程開けた場所では相手も仕掛け難い筈」
「……」
「……俺もちょっと休んでいい?」
 肩を回しながら将之が大きく息を吐く。セレスティは微笑して頷き、ケーナズもイヴに誘われて柾の傍を離れた。
 続けて草原へ出て来た陵・彬(みささぎ・あきら)と無邪気にも歓声を上げている草壁・鞍馬(くさかべ・くらま)は青い草の香りを満喫して息を深く吸い込んでいた。
「……、」
「すげェ、懐かしいよなあ、な、彬! っあー、久し振りだわ、こんなド田舎!」
 ド田舎とは失礼な発言だ。これでも、新進気鋭の若手映像作家柾晴冶のイメージなのである──多分。
 然し田舎の出身である同郷の彼等二人にしてみれば、この青臭さは郷愁を誘う香り以外の何物でもないだろう。
「……『無関心な東京の優しさ』も良いが……、やはり懐かしいには変わりないな」
「だよなー、東京にはこんな場所無いもんな。あー、やっぱり田舎は良いよ、田舎は!」
 鞍馬は美しい大草原を一言「田舎」「田舎」と連呼する。柾のファンが聞けば何と云って嘆くか──そんな事にはお構い無しだ。あくまで無邪気な赤毛の青年は腕を大きく振って駆け回っている。
「あまり遠くへは行かないで下さいよ、状況把握も大変だから」
 自分より年上の鞍馬に微笑みを送っているのは御影・涼(みかげ・りょう)、柾を見守って大人しくしている篠原・勝明(しのはら・かつあき)はその傍らに居る。
「……手の傷、本当にもう大丈夫なんですね。驚きました」
「……。──皆さん元気の良い事ですね、──では、柾氏には我々で付き添うとしましょうか」
「柾さんと……話が出来るかな」
 勝明はぽつりと呟いた。

【3_1zero】

 水谷・和馬(みずたに・かずま)は背筋を走る冷や汗を感じつつも、土足で駆け込んで来たレイを眉を顰めて睨み付けていた。──彼女の手には、バタフライナイフ。
「……何のつもりだ、ZERO」
「さあね。でも、怪我したくなかったら大人しくそこ、退いて『彼等』から離れて頂戴」
「……そんな脅しが通じると思うか?」
「現にあんた、腰抜けかかってるわよ。……今どきの若者はね、キレると怖いの」

 以下、草間興信所調査依頼参照

【3_2DE】

「……、」
 草の上に座って頬杖を付いた彬はぼんやりと空を見上げた。東京に来てから久し振りにこんなに広い空を見た気がする。──草いきれに胸が詰まる。
 銀白色の髪、赤い瞳。その容姿の為に故郷の田舎では敬われもし、また畏れられもした。あの土地では「陵家の白子」は常に特別視されて来た。その窮屈を嫌って飛び出した田舎だが、──結局、完全に捨て去る事など出来ないのだな、と思う。今になれば無性に懐かしい、山の中の家。出奔同前に上京した彬を、両親はどう思っているだろう。一番上の妹、楓はよく世話を焼きに来てくれるが、他の兄弟──充は、桜は、椿は元気だろうか。 
「……、」
 静かに望郷の想いに耽っていた彬の耳に、センチメンタルを一瞬で破壊するような姦しい音が響く。
「何……?」
「彬! ほらほら、草笛! ……懐かしいよなー、昔、よくこうやって遊んだろ」
 羨ましい程屈託のない表情ではしゃいでいる鞍馬の元気良さに、急激に疲労感を覚える。
「……そうだな」
「……あー、いいよなー、ほんと」
 鞍馬は口唇の端に草を銜えたまま彬の横に腰を降ろした。
「彬」
「何だ」
「……迷惑かけてごめんな」
 云い難い事を一気に勢いに乗せようとしているのか、鞍馬は殊更明るく云う。
「迷惑?」
「……ほら、色々迷ってて怪我させた事とか……」
「……、」
 彬は冷めた表情で傍らの鞍馬に視線を向ける。彬にしてみれば、迷惑と云えば既に癒えた傷よりもダンスホールで女役をやらされた屈辱の方が大きいのだが、どちらかと云えば。鞍馬にはそんな事は大した問題ではないらしい。……楽しんでいたからな、こいつは。
「……けど、俺思い出したから。ちゃんと。……ケーナズに比べりゃ、やっぱり俺なんか甘いかもしんねぇけどさ、でも、この先は何があっても、彬だけは護るから、俺」
「それは良かったな。……俺に云わせれば寧ろ、そうやって過保護に扱われる事の方が余っ程迷惑だが」
「彬ぁ」
 つい、と視線を再び空へ向けた彬は取りつく島もない。鞍馬は話題の切っ掛けにあれこれと頭を悩ませている内、結局そんな悩みは忘れてまた意識を澄んだ空気を享受する事に極め、組んだ手の上に頭を乗せて仰向けて寝転がった。
「んー……、いいな、自然は」
「そうだな」
「俺さぁ、バンドやってんじゃんか。すると矢っ張り東京離れる訳には行かねぇけど、その内また田舎に帰ろうかな」
「ああ、そうしろ」
「……楓、元気かなぁ」
「……、」
「楓さぁ、どんどん彬に似てきれいになってくよな」
「どういう意味だ」
 結局、彬にとって都合の悪い話題しか出てこない鞍馬への返答はどんどん素っ気なくなって行く。だがそうしている内に、将之が鞍馬をちょっと聞きたい事がある、と連れ出して呉れた。
「……、」
 やっと一息付ける。そう、彬が大きく息を吐いた時だ。

──あに様。

 彼を過度に慕う楓の声が聴こえた気がした。彬は他人から心配される事が嫌いだ。楓が上京する度に、彬の小さな傷や暑さから来る窶れなどを目敏く見咎めては何があったの、無茶してないわよね、鞍馬、また妙な事にあに様を巻き込んだんじゃないでしょうね、などと騒ぎ立てるのをその時は煩く思いもしたが、──離れてみるとその有り難みがよく分かる。
「楓……どうしてるかな」
 
 ──彬は未だ知らない。彼と、鞍馬にとっての「嵐」がもうすぐそこまで近づいている事を。

【3_2ei】

「悪い、良かったかな」
「ああ、何、倉塚」
「……刀の事なんだけど」
「ああ、これ?」
 ぱっ、とその手の中に御神刀「雪月花」を具現化して見せた鞍馬に、将之は頷く。
「そう、それなんだけど」
 先程から気になっていた事がある。御神刀「雪月花」を必要に応じて呼び出している鞍馬や、「正神丙霊刀・黄天」を具現化してしまった涼を見るにつけ。
 ……どうやら、この幻想世界内では手許にない獲物まで具現化出来るらしい。そんな便利な事が出来るのか……、とぼんやり考えた時に、将之はある方法を検討した。
 楽曲も半ばまで過ぎたとは云え、持久戦には違いが無い。それに、相手と云えば不意打ちばかりで何時、その辺を走り回る羽目になるか分からない。
 ……小回りが利き、且つ軽量な「あれ達」に変える事が出来ないだろうか、今担いでいる大剣「破神」を。
「それ、どうやって呼び出してんだ?」
「どうって、普通に」
「いや、普通じゃないだろ、それは」
 将之は軽く眼鏡を押し上げ、冷静に矛盾点を付く。……普通に呼んで「刀」がやって来るものか。
「……そっか」
「そっか、じゃねぇよ」
「……あー、」
 鞍馬は視線を「雪月花」に向け、暫し思案した。
「……結局、意思の強さじゃねぇかな。『今、お前が必要なんだ!』っつー」
「意思ねぇ……」
「……呼んでみれば、倉塚。そいつらが納得する位の意思が通じれば現れるかも」
 ……抽象的な云い方だな、と思いつつも鞍馬は提案してみる。将之は考えつつ、短く礼を述べて頷いた。
「……、」
 将之は「破神」を地面に突き立てると、軽く目を閉じてイメージを眉間の裏辺りに集中させた。
「……、『神楽』、『風鳴』」
 ──……あ。
 呼び掛けに応えるように左右それぞれの掌中に現れたのは、外見は「破神」とは対照的な、極一般的な日本刀だ。
「……こりゃいいや」
 将之は笑みを浮かべた。「神楽」、「風鳴」、これ等は霊体も斬る事が出来る。両手の刀を軽く一度払って感覚を取り戻す。──当分、こっちで行くか。

【3_2zero】

「……、」
 レイは脱力して床にへたり込んで居た。
 覚悟を決めて彼等の肉体を水谷から護るべく、バタフライナイフを携えて某ネットカフェからロードバイクを飛ばして来てみれば某怪奇探偵の恋人(とレイは認識している)と、別の探偵事務所(これもまた怪奇事件もカバーしている)の主が乗り込んで来て、その弾みでやたらと肥大化した怨念を暴発させた水谷が間の抜けた事にその反動で自らが幻想世界へ取り込まれてしまい、──そして、今は某怪奇探偵の許へ帰った二人の持ち込んだ調査結果を何とかして幻想世界内の連中に届けようと取急ぎのデータベース化作業が済んだ所へ、これだ。
 ああ、……疲れた。若いっていいわね……。レイは21だが、あの元気な中学生に比べれば……。何より、とレイはつい今し方、兄の為に危険も厭わず幻想世界へ乗り込んで行った陵・楓(みささぎ・かえで)を思い浮かべた。
「兄思いの妹なんか、羨ましい限りだわ……」
 羨望の眼差しを彬へ向けたレイは、彼に寄り添って倒れている楓の手にしている一枚のコピー用紙に気付いた。
 何気なく、それを抜き取って目を通したレイは前髪の奥で目を細めた。
「……成る程ねえ、」

【3_2xxx】

 某ネットカフェ。
 「出張」から戻った結城・磔也(ゆうき・たくや)は同じ頃、姉が楓と彼を比べて溜息を吐いている事など知る由もなく幻想世界の傍観を続けていた。
「……何だこれ」
 姉と違って普通に露出している眉が顰められた。その視線の先に、幽かだが幻想世界を覆い得る黒い影が映っている。
「……これ……、水谷じゃねぇか?」
 何故彼が此処に? と少年は訝る。姉にでも聞き出してみるか、と個室を出て店内を見回した磔也は舌打ちした。先程まで窓際の席に居たレイの姿が無い。
「あの女、……反則だぞ」
 賭けの対象に干渉しやがって。……なら、こっちも、と個室へ引き返す。
 メールボックスをチェックした後、既にハッキング済の次楽章のデータを弄っていた磔也はふとある事に気付いた。
「……水谷もあっち行ったのか。……って事は……次で処刑されるのって、どっちになるんだ?」

【3_3】

「──ルクセンブルク、」
 セレスティがケーナズに耳打ちした。
「そろそろ、ですよ」
「……ああ、」
 何が? とイヴは二人に吊られて視線を空へ向けた。──急に雲行きが怪しくなって来た。
「嵐が来るか、それとも落雷でもあるかな?」
 ケーナズは口唇の端を吊り上げた。
「……あれ、……」
 勝明が声を緊張させ、遠方を指した。あまり強くはないが、どうにも不穏な気配が近づいて来る。涼は安心させるように勝明のその手を取った。自らは神経を研ぎすましてその気配を探りつつ。
「……似てるな、『侵入者』の時と、気配の現れ方が……」
「……、」
 セレスティは無言で、独りぼんやりしていた彬と、刀が現れたの現れないのと大騒ぎして盛り上がっていた鞍馬と将之を呼び寄せた。ばらけていては、またいつ分断されるか分からない。
「やっぱり、『一雨』来たか……、」
 将之はすぐ駆けて来て、柾を庇う。──柾がまともに「誰だ、君」と応えたのに違和感を感じた。
「『侵入者』のようなのですが……、それにしては少し悪意が無い気もします。不穏な気配には違いありませんが」
 そうする間にも、その気配はどんどん近づいて来た。近づくにつれ、それが小柄な少女の形態を取っている事が分かる。
「千鶴子さん?」
 涼が目を細めながら呟く。勝明は首を振った。
「いや、違う……」
「何だ、また侵入者か、結局」
 ケーナズの呟きを掻き消すように背後で悲鳴が上がった。鞍馬だ。
「あ……まさか……、……彬──!」
 何事かと振り返った一同は、近づいて来る気配に一人慌てふためいている鞍馬と、呆然とそれを眺めている彬を見た。
「何なんだ、一体!?」
 将之が業を煮やしたように鞍馬を急っつく。急に鞍馬は彼の手を取ると、哀願に近い声を上げた。
「倉塚、俺、逃げていい?」
「は? 莫迦、何云ってんだ」
 将之は今にも踵を返しそうな鞍馬の手を逆に確りと引き止めた。
「……訊きたいんだが、ここは妖しに化かされる所か?」
 彬が目を軽く擦りながらケーナズ、セレスティ、涼を交互に見遣って訊ねた。
「一言じゃ何とも答えようはないけど……どうして」
 涼の応えに彬が口を開く前に、甲高い少女の声が響き渡った。

「あに様──!!」

「あ、おい待てよこら、」
 隙を付いて逃げ出しかけた鞍馬を、将之があっさりと掴まえた。振り返った鞍馬の表情は、魑魅魍魎を前にした時よりも明らかに怯えている。
「ああもう駄目だ、絶対殺される、俺」
 と云うより、軽蔑される、嫌われる。絶対。選りに選ってこんな時に「彼女」が現れるとは──。

「あに様! 無事で良かった!」
 少女は脇目も振らずに呆然としていた彬の胸に飛び込み、確りとその胸に取り縋った。
「……つまりだ、」
 自分の胸に顔を埋めている少女を、冷静、というよりは何かを諦めたように落ち着きを持って指しながら彬は涼に説明した。
「これが、幻なのか妖しに化かされているのかどうか知りたいんだ」
「明らかに生きた人間の意識ですね」
 セレスティが代わりにさらりと答えたが、流石の彼も多少の混乱を隠せないと見える。──おかしい、全く予定外だ。一体どこをどう通ってやって来たのだ、これ程悪意のない存在が。
「……で、誰?」
 将之が覚悟を決めたように俯いて大人しくなった鞍馬に訊く。全く同じ言葉を、他の面々は彬に向けて発していた。

「……彬の──、」
「……俺の、妹」
 
『……はい?』

【3_4DEF】

「……楓、一つ訊いていいか」
 半ば事務的に妹の背中を軽く叩いて遣りながら、彬は訊ねた。
「ああ、あに様が無事で良かった、あに様にもしもの事があったらと思うと、私どんなに心配したか……」
「──だから俺の話を聞け!」
「何、あに様」
 二度目には楓はあっさり顔を上げた。
「あのな、……何故お前が此処に居る」
 然し、彼女はその問いに答える前にぱっくりと大きく切れた、彬の肩の部分の衣服に目を止めて再び悲鳴のような声を上げた。
「あに様! これはどうしたの!? 血が、血がこんなに、──ああ、あに様の血が!」
 傷自体はセレスティの治癒で完治していたのだが、同時に切り裂かれた服とそこに付着した血痕はそのままだったのである。
「ああ、少し怪我をした。だが、もう傷自体は癒えているから──、」
「鞍馬!!」
 鞍馬の身体が強張った。つかつかと歩み寄って来る楓の目には鞍馬へ向けた怒気が溢れている。逃げるが勝ち、──と行けばいいのだが、それでもその顔を見て、……ああ、矢っ張り可愛いな、ちょっと見ない間にもきれいになったな……、などと思ってしまう、純情で哀れな鞍馬青年。
「どういう積もりなの、あに様をこんな目に遭わせて、あに様に恨みでも有るの!? ……『雪月花』まで持ち出してあに様にこんな怪我させて、守人の名に恥じるわね、全く情けないったらないわ!」
「いや、だからもう傷は何ともないんだ──、」
「あに様は黙ってて!」
 自分をネタに鞍馬に詰め寄っていながら、自分は黙っていろとは一体どういう理屈だ。思春期の複雑な少女の心理など理解出来ない彬は、嘆かわしい、と溜息を吐いた。言葉に責任を持っていない。そうでないとすれば、文脈が崩壊している。自分の妹ともあろう楓が、情けない。
「楓、ちゃんと国語の勉強はしているのか?」
 勿論そんな呟きが楓に届いている筈も無い。
「鞍馬、今日と云う今日はきっちり説明して貰うから! さあ、どうなの」
「やはり、文法能力を養うに最適なのは作文だ。口頭で済ませてしまうから、矛盾に気付かない。文字に直してみれば整然とした文章がどう云ったものか、自ずから理解できる筈だ。──、聞いているか、楓?」
 そこへ来て初めて楓が小さくなっている鞍馬に突っかかる事で精一杯だと気付いた彬は、溜息を吐きながらようやく腰を上げた。
「楓、そんなに鞍馬を責めるな。鞍馬ばかりが悪い訳じゃない。ここへ来たのも半分は俺の意思なんだ」
「だからってぼんやり突っ立ってていい訳じゃないわ、鞍馬もここに居る以上、自分は死んでもあに様を護るべきなのに、自分は無傷であに様に怪我させてるなんて信じられない」
「……ごめん、楓、本当俺……」
 鞍馬はなんとか言葉を絞り出し、だが、もうこんな失態は犯さない、彬と楓は自分の命に変えても護るから、と宣言しようとして──「役立たず!」という少女の絶叫に掻き消される。
「なんて言葉遣いをする、楓」
「……だって、……」
 矢張り兄には弱いらしい。彬が殊更重視する言葉遣いを窘められては反発もできず、楓は俯いて言葉を詰まらせてしまった。

【3_4defi】

「あのー、……取り込み中悪いんだけど」
 この際の鞍馬に於ける天の救い、将之だ。
「草壁、借りていいかな」
 何でも、非常事態という事だ。向こうの連中は取急ぎ柾の説得に当たる必要があり、その間将之と鞍馬で護りを築く、という。
「俺はどうしたらいいんだ」 
 と所在なげな彬に将之は「妹さんの傍に居てやったら、」と遠慮勝ちに提案する。……そうとしか云えない。
「ごめんなさい、お願いします。鞍馬は好きに使って下さい、盾にしていいですから」 
 将之に対しては礼儀正しく、楓は頭を下げる。将之はその清楚さと云っている内容のギャップに苦笑いし、鞍馬の脇を「いいのかよ」と肱でつつく。
「彬と楓の為なら全然OK!」
 答えた鞍馬は元気は良いが、どうにも自棄半分さが見て取れた。既に柾の事など、完全に忘却の彼方のようだし。

【3_5EI】

 お互い、鞍馬は「雪月花」、将之は「神楽」「風鳴」それぞれの獲物を構えつつ、背中合わせに立って周囲に気を配って居た。
 そうして緊張感を保ちながらも、鞍馬が将之に声を掛ける。
「──なあ、倉塚」
「何だ?」
「あの娘、どう思う? 楓」
「はあ……、……きれいな娘だな」
 敢えて、鞍馬に対して感じた殺気には触れずに無難な答えを返す。
「実は俺、好きなんだ、あの娘」
「……そりゃ、御愁傷様」
「だけど本人は彬べったりで。……結局、空かされるんだよな」
 だろうな、見た感じでは。妙に納得しながら、将之は頷く。
「お前どうなの、好きな娘とか」
「……別に」
 状況が状況だけに、将之はクールだ。……全く、相変わらずこの青年に対しては「仕事しろよ、お前」としか感想を抱きようがない。
「あ、そうか? ……なんか、もてそうな感じだけど。学校とかで」
「そういう草壁は」
「あー、駄目駄目、今でこそバンドやってっからファンとか居るけどさ、俺も彬とか楓と同じ田舎だったから、高校なんか一学年一学級のレベル──」

「──……!」

 どこまでも無駄口を叩いていた鞍馬を黙らせ得る絶叫が響いた。肩を竦めて同時にその方向を振り返った二人は、それが柾のものである事を知る。
「大丈夫なのかよ、おい」
「……それはそうと、草壁」
 将之の言葉に、鞍馬も頷く。
 今の瞬間を境に、まるで壁が崩壊したかのように一気に邪気を帯びた感情が周囲に傾れ込んで来た。
「お出ましだな」
「──だな、」
 鞍馬と将之は改めて刀の柄を握り直した。

【3_6EI】

 怨念は、何とも微妙な単位で小分けに単体化しつつ流れて来た。
 もしこの思念が水谷のものであるとすれば、その人間性が呪いにまで現れていると云うか──はっきり云って、雑魚だ。うだつの上がらない人間そのまま。

「──……、」
 将之は目を閉じたまま、ふら、と遠慮勝ちにさえ見える動きで飛んで来た人魂のような気配を斬り捨てた。左右両の手にある「神楽」「風鳴」をすいっ、と時間差で持ち上げるような二連斬、流れるような腕から刀身が一体となった動きが僅かに空を切る音を上げて一切を浄化する。
「はい、次俺な」
「はいはい」
 ちゃき、と刀を持ち直して将之は相槌を打つ。──いつの間にか、二人の間にはこんな会話が交わされるようになっていた。
 つまり、余裕が有り余る程度の攻撃だったのだ。怨念から飛んで来るのは。緩慢、かつ非常に脆かった。「一人で全て切ってしまうとそれだけで事足りるから、交代で一体ずつ斬って行こう」という暗黙の了解が成立しつつあり、準備運動には丁度、あるいは少し物足りない、という程度。
 よろ、と飛んで来た「固まり」を鞍馬は刀身ではなく柄尻で叩き落とした。それだけであっさり消えてしまう。
「──……あー、何か気が抜けるよなあ」
 溜息を吐きながらそう呟く。次は、将之の筈だった。──が。
「只でさえ田舎ん中で和み掛けんのにさ、緊張感が無いよ、──な……、」
「……!」
「倉塚!? 何やってんだ!」
 一瞬、動きの止まった将之の鼻先を鞍馬が一閃した。……危ない所だ。
「悪い、……いや、これ……」
 将之は軽く飛び退き、目を細めた。
「……あんた、あの時の……」
 この気配、どこかで覚えがある。一瞬で記憶を辿った将之は、少し前に自分を訊ねて来た血色の悪い青年を思い出した。
 ──千鶴子さんのストーカー男。
 彼は死んだ、とレイから聞かされた。その思念体が何故此処に。
「……、」
 当然か。あれほど陵千鶴子の事で頭が一杯だった男が、死後その思念体が陵千鶴子を取り巻く世界に取り込まれてしまったのも。
「……可哀想にな」
 彼は今や、ただの怨霊と化している。──……死んだ後くらい、落ち着けば良いのに。
「……、」
 将之は視線の先に「彼」の思念体を見極め、周囲の空気を圧縮してそれを拘束した。
「……いい加減、休もうぜ。手伝うからさ」
 成仏しろよ。──「風鳴」の一閃で断ち切った「彼」の思念体から散った邪気を、続けて「神楽」の一閃が打ち消す。──そして。

「……、」
「あ……」
 各所に居る全員が、空を見上げた。雷の閃きや風が止み、代わりに激しい雨が降り注いだ。──癒す雨。薙ぎ倒された草や乾いた大地や、救われない哀れな怨念、そして柾の両手の血を、強固な固定観念をも洗い流す、浄化の雨。
「……、」
 セレスティが思惑有り気に、然し優しく穏やかな笑みを浮かべて居る。

「……、」
 後には、雨だけが強く地面を打って居たが、それもやがて直ぐに止んだ。──雲が流れて晴れ間が覗き、虹が架かる。

【3_7DEFHI】

「どーだ、今度はきっちり仕事しただろ、ぼけっとしてたお前に変わって」
 偉そうに胸を張る鞍馬に、将之はもう溜息しか返せない。
「ぼけっとしたんじゃねえよ。……て云うかな、当然だろ、それで」
 並んで歩きつつ、二人は軽く小突き合った。
「……ま、いい準備運動にはなったんじゃない」
「同感」

「セレスティさん、頼みがある」
 楓の肩を抱きながら、彬はセレスティに声を掛けた。
「水の力を以て空間に影響を与えられるあなたなら、──ここから一人位、元の世界へ戻す事は出来ないか」
「……、付いて来なさい。早い方が良い。……もう、そこまで真打ちが迫っていますから」
 少女に目を留め、微笑して踵を翻したセレスティに続こうとした彬に、楓は最後の抵抗をする。
「でも、あに様、私何もやってない。……せめて何か一つ位あに様、──じゃなくて、皆の役に立ってから──、」
 本当は出来るだけ長く兄と一緒に居たかっただけなのだが、向こうからやって来た将之に「データを届けてくれただろ、それで充分だよ」と笑顔で励まされてはそれ以上は粘れない。苛立ち紛れに、将之と一緒に歩いて来た鞍馬に言葉を投げ付ける。
「鞍馬! 二度は許さないわよ、帰って来た時にあに様がまた怪我してたら、私、鞍馬を許さないからね!」
「はい!」
 鞍馬は途端に姿勢を正し、直線的な動作で敬礼した。
「草壁鞍馬、命に変えても彬の身の安全は保証します!」
「余計な事は云わなくて良い!」
 彬が睨む。その手の中から、「本当よ!」と楓が念を押した。

【3_8zero】

「──、」
「……あ、あんた戻って来られたのね、良かったわ」
 自らの肉体に戻り、瞳を開けた楓にレイは声を掛けた。
「……、」
「もー、焦ったじゃない。一時はどうなる事かと。でも、まあ無事で良かったわ。彼、ほらそっちの銀髪の美形、大きな声じゃ云えないんだけど、リンスター財閥総帥。彼に感謝しときなさいよ」
 黙ったまま髪を整え、彬をじっと見詰めている楓にレイが「所で」と云う。元々は楓が持って来たコピー用紙を手にしつつ。
「あんたも陵でしょ。聞いたかどうか知らないけど、あの女優、陵千鶴子と云うのよね。お兄さんは存命でそっちは修一と云うんだけど、彼等の母親、旧家の実家を家出して東京で未婚の母やってたらしいのね。……どうも、近からずも遠く無い所で繋がってるみたいよ、あんた達と同じ霊媒体質の血が」
 霊媒体質、か……。その血と、陵家に生まれた事で兄は悩み、苦しんで来たのだ。一概には喜べない。
「でも彼女、千鶴子さんね。その所為で死んでからもある程度自分の意思で恋人を救いに幻想世界に入り込めたんだと思うわ。……私はただの平和な一般市民だけど、そういう力だって、在ってもいいんじゃないの。使い様に拠っては、大事な人間を助ける事も出来るものね」
「……」
 楓は、矢張り言葉の無いまま押し黙っていた。
「あんたも、折角ならそういう大人になりなさいよ」
「……助けたい人間なんて、あに様以外には居ないわ」
「……、あら」
 ──草壁君も可哀想に、とレイは思う。……そして、何を思い付いたか俄にその口許をニヤ、と歪ませると楓の耳許で囁いた。
「……そう云えばね、私ずっと見てたんだけど、第二楽章の舞台、舞踏会だったのよね。……そこで、草壁君てば陵君に女性役やらせて踊ってたわよ」
「……何ですって?」
 すっく、と立ち上がった楓の気配は殺気立っていた。
「──鞍馬!」
 意識のない鞍馬に飛びかかりそうになった楓を、レイは慌てて取り押さえる。
「ちょっと、ストップ、彼、今意識が飛んでるんだから! 気持ちは分かるけどせめて意識が戻ってからにしなさい、──殴りたければ、代わりにあそこに転がってるおっさんで!」
 ──あそこに転がっているおっさん、イコール水谷の事である。

【3_8】

「後は、脱出するだけ、かな」
 確りと自分の足で立ち、感覚を外の世界へ向けている柾を見て将之はポキ、と指を鳴らす。
「……それはそうだが、」
「……何か、重大な事忘れてない、かな……」
 ケーナズに続けて勝明も、何か引っ掛かる、と首を振った。
「……あれ、だろう」
「……あれ、よね」
 涼とイヴが観念したように指した先には、一人の青年がこちらへ向けて近付いて来るのが見えた。どす黒い影を伴って。
「……、正解だったな、楓を帰して」
「セレスティ、だっけ、ありがとうな、俺、あんたには一生感謝するわ」
 セレスティは青年の軽いのか真剣なのか判断し兼ねる言葉には笑みだけで応えつつも、あの少女を帰した事は正解だったと思う。
 その影は一瞬にして周囲を覆い、空を、美しい虹を暗雲に塗り込めた他、周囲の景色さえ変えてしまう。長閑な自然に満ちた光景は、狭く、閉じられた灰色の景色へ姿を帰る。──石畳を、足音を響かせながら近寄ってくる彼の顔が段々とはっきり認識出来る。

「──……和馬……、」
 柾が、憤りと戸惑い、悲しさと寂しさを内包した声で呟いた。

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幻想交響曲 Phantastische Symphonie Op.14
作曲:Hector BERLIOZ (1803-1869)
作曲年:1830

「病的な感受性と、はげしい想像力を持った若い芸術家が、恋の悩みから絶望して阿片自殺を計る。しかし服用量が少なすぎて死に至らず、奇怪な一連の幻夢を見る。その中に恋する女性は、一つの旋律として表れる──」

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【0932 / 篠原・勝明 / 男 / 15 / 学生】
【1481 / ケーナズ・ルクセンブルク / 男 / 25 / 製薬会社研究員(諜報員)】
【1548 / イヴ・ソマリア / 女 / 502 / アイドル兼世界調査員】
【1555 / 倉塚・将之 / 男 / 17 / 高校生兼怪奇専門の何でも屋】
【1712 / 陵・彬 / 男 / 19 / 大学生】
【1717 / 草壁・鞍馬 / 男 / 20 / インディーズバンドのボーカルギタリスト】
【1737 / 陵・楓 / 女 / 14 / 中学生】
【1831 / 御影・涼 / 男 / 19 / 大学生】
【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男 / 725 / 財閥総帥・占い師・水霊使い】

NPC
【1630 / 結城・磔也 / 男 / 17 / 学生】
【1889 / 結城・レイ / 女 / 21 / 自称メッセンジャー】
【水谷・和馬(みずたに・かずま)】
・今回の依頼人にして元凶らしい。アマチュア時代から柾と共に創作活動をしていたディレクターの卵。
【柾・晴冶(まさき・はるや)】
・新進の若手として注目を集めていた映像作家。千鶴子の恋人。現在、精神が音楽の世界に取り込まれている。肉体は藻抜けの殻。傍目には多分廃人に見える。
【陵・千鶴子(みささぎ・ちづこ)】
・一ヶ月程前に轢逃げに拠り死亡。柾の元恋人で舞台女優。今回の件は彼女の怨念が引き起こした物と見られていたが、本当の彼女はただ柾を心配していた模様。
【陵・修一(みささぎ・しゅういち)】
・陵千鶴子の5つ違いの兄。千鶴子殺害の犯人に見当を付けており、草間興信所に依頼に行った。

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■         ライター通信          ■
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皆様、お疲れ様でした。
続投頂きました8名のPC様、多少はお休み頂けたでしょうか。
そして楓さん、……危険を顧みず、お兄様の為に駆け付けて下さって感謝します。
受注後に幻想世界の正体を公開するという意地の悪い方法を取りましたが、如何でしょうか。意外な展開になったと思われた方も、矢っ張り、と思われた方もいらっしゃると思います。
さて、柾は正気に返りました。これも偏に皆様のお陰です。……ありがとうございました、と行けば良いのですが、この幻想世界、黙っては彼を始め皆様を出して呉れそうにありません。
あとは戦闘に次ぐ混乱と狂気のみが待ち受けています。
しかも、第四楽章では某愉快犯による妨害が予想されます。
第四楽章受注は9月20日土曜日午後9時から行う予定ですが、第三楽章までとはやや募集内容が異なっています。続投して頂けたPC様は基本的に今迄同様の立場で扱いますが、……他にどんな募集があるか、受注前でも「現在登録しているクリエーター」から第四楽章の募集内容を見られると思いますので、気になる、或いは寝返ってみようかという方は御覧になって見て下さい。
今回の御参加、有難うございました。

尚、設定や解釈に誤りが在る時等、その方が助かりますので遠慮なく御指摘下さい。
ファンレターだとタイムラグが長いので、結城宛にでも交流メールを出して頂けた方が有り難いです。

■ 草壁鞍馬様

陵君共々、続投ありがとうございました。
……ライターは知りません、楓嬢の事は。何も知りません。
全ての原因は、草壁君に──押し付けました。責任転嫁させて頂きました。
申し訳ありません。が、屹度草壁君なら陵君、楓さんへの愛情で乗り切れますよね?
それ程には強い精神の持ち主だろうと、都合良く思い込んで置きます。

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