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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


大いなる作戦


 みあおは最後までごねていた。あの島には行きたくないと訴え続けていたのだ。しまいには泣き出した。この鳥は泣き出すとなかなかとまらない。みあおの姉たるふたりの人魚は、こまって顔を見合わせた。
 だがそれでも、みそのとみなもというふたりの姉は、焦らずゆっくりと時間をかけ、みあおをなだめすかして、港まで連れてきたのであった。
「この『お手伝い』には、わたくしたち3人の力が必要なのです」
 みそのは困った笑顔でみあおの顔を覗きこみ、
「お洗濯とか、お茶碗洗いとはわけが違うの。お父さんとお母さん、とっても困ってるのよ」
 みなもはどこかすがるような視線で、みあおの顔を覗きこんできた。
「……うん、わかった。みあお、行く」
 大好きなふたりの姉にこうまで見つめられてしまっては、みあおも頷くしかなかった。
 夏の終わり、海原姉妹はある孤島へと旅立つことになった。
 こうして姉妹が3人とも揃う機会はそうそうない。せっかく一同に会したというのに、ショッピングやテーマパークに行くこともなく、両親の手伝いをするために出かけるのだ。しかも、危険な『手伝い』だった。


 島へと発つ前夜、姉から話を聞かされて、みあおは恐ろしい夢を見た。彼女が海原家に迎えられるまでの出来事が、荒唐無稽で残虐にアレンジされ、混ぜ合わされて、座席にくくりつけられたみあおの前の銀幕に映し出されていた。
 みそのはそっとみあおの中を流れる恐怖の濁流を覗きこみ、胸が張り裂けそうな想いに駆られた。神の寝つきが悪い夜、胸を掴まれるあの想いとはまた違ったものだった。それは恐怖のようでいて、深い哀しみなのだった。
「お姉さま――あたし、やっぱり、この子をつれてくべきじゃないって思うの」
「わたくしも思います」
 みあおの寝顔を見守っているのは、今やみそのだけではなかった。
 歩み寄ってきたみなもの顔も、痛ましさに歪んでいた。
「けれど、お母様とお父様も、この子のためを思っているのではないでしょうか。すべてを無に返して初めて、この子は救われるのではないかと――」
 翌日の「お手伝い」は、三姉妹にとってはとにかく、大いなる意味を持つものとなっていた。


 ふたりの人魚が泳ぎつき、青い鳥が舞い降りた島は、何の変哲もない無人島であるように見えた。日本本土とはだいぶ離れているが、ぎりぎりで国土内には入っているはずである。それが地図にも載らず、最寄りの港から出る船も近づくことがないのは、何らかの力によるものであることは間違いなかった。
 この島ではかつて、人道を踏み外した慄然たる研究が日々行われていた。それを知る者は世界でもほんの一握りだろう。その一握の小石の中に、青い鳥みあおの魂が含まれている。しかしその研究が成されていたラボも、「何者かに」爆破され、今は見る影もない。ただ、ラボを爆破した者がひっそりと危惧していたのは、研究者たちそのもののその後の行動だった。ラボは破壊され、データもすべて消し去るか、しかる筋に流すかしたのだったが、研究員たちすべての命を取るまでの時間がなかったのである。
 娘たちが幸せな日常を送っているその裏で、父と母はじっくりと情報を集めていた。そしてつい先日、島の中央――ラボの地下には地底湖があり、貌も名も忘れられた神を奉る祭壇と儀式の間があることを掴んだのである。さらに、その地底湖のほとりで残党たちが息を殺し、今しもその守り神を自分たちのそばに置こうと画策しているらしいこともわかっていた。三姉妹の両親は、残党を一掃することを決意した。
 はじめこの話を持ちかけられたとき、長女のみそのはめずらしく渋面をつくった。舞台はみあおの悪夢の原因である島であり、別次元の神が絡み、血を見ることにもなる――妹ふたりには荷が重いと考えたのだ。
 だが、奇妙なほどに『幸運』が続いており、叩くのは今、それも水が関わっているのだからと、粘り強く説得されてしまったのだった。みそのの押しが弱かったとも言えるだろうが。
 いま辿りついたこの島は、みそのが思っていたよりも深刻な事態に陥っているようだった。すでに水と気の流れは歪み、ねじくれて、自然の流れに逆らっては集束していっていた。
 流れが引き寄せられている先は、地下のようだった。


「お姉さま――気持ち悪い」
 みなもが顔をしかめて咳こんだ。捻じ曲げられた水の流れが、彼女の身体にまで影響を及ぼしているのだ。
 みあおは島に着いてから一言も喋っていない。泳ぐ視線と、かすかな風のたてる枝ずれの音に身を強張らせている。
 ――やはり、無理ではないかしら。
 みそのは少しだけ顔を曇らせて、東の空を見た。
 三姉妹が侵入したのは、島の西側である。みそのは島の周りの流れを読み、両親率いる傭兵師団が東の海岸に到着したことを、たったいま確認した。傭兵たちは大した期待にもならないが、母親と父親の存在は心強い。みそのは思わず、ふと微笑んだ。
「大丈夫。お母様とお父様が到着されましたわ。わたくしたちがお手伝いをしたら、すぐに済みます」
 みそのはみなもとみあおにそう言葉をかけた。あまり成果は出なかったが、みなもは何とか頷いてくれた。
「みあお……案内を、お願いしますわ」
 小さな島だったが、草木が鬱蒼と茂っており、ラボの焼け跡の位置はよく把握できなかった。流れも乱れ、みそのの感覚すら狂わせようとしているのだ。ここは、かつてこの島を脱した鳥の記憶を頼るしかなかった。
「……う……みあお、いやだよぅ……」
 しかし、みあおはこの状態である。
 銀の瞳はたちまち潤み、みなもが慌ててその小さな身体を抱き寄せた。
「こわいよぅ……もう、来たくなかったよぅ!」
「みあお、わかるよ、その気持ち。でも……」
 みなもがみあおの顔を覗きこみ、ゆっくりと言葉を選んで、言い聞かせ始めた。
「まだ、みあおをひどい目に遭わせた悪い人たちが生き残ってるの。放っておいたら、みあおと同じような――ううん、もっとひどいことされる子が出てくるかもしれない。だから、今のうちにやっつけておかなくちゃならないの。……わかる?」
「……うん」
「こんな島なんか、無くしちゃえばいい。みあおはそう思ってたんでしょ? みあおひとりじゃ、それが出来なかったけれど……あたし『たち』には、出来るんだよ。――ほら、もう泣かないで! みその姉様も、お母様も、お父様もついてるんだから。みあおはもうひとりじゃないの!」
「……うん……」
 みあおは頷きながらごしごしと目を拭い、じっと黙って見つめていたみそのに目を向けた。銀色の目は真っ赤になっていたが、いくらか強がりを帯びはじめてもいた。
「ごめんね、ねえさま」
「よろしいのですよ。もう大丈夫ですか?」
 みあおは強く頷いた。
 それから、はっきりとした確信と意思をもって、森の奥をするどく指差したのである。
「こっちだよ!」

 青い羽根が舞っている――
 亜熱帯のこの島に住んでいる鳥のものだろうか。

 『幸運』なことに、ラボの焼け跡を見つけ出し、さらにその地下へと続く隠し通路を見つけ出すに至るまで、ひとりの人間とも出くわすことはなかった。大切な儀式を執り行っているのだから、見張りのひとりやふたりはいそうなものだが(このとき姉妹は知らなかったが、見張りふたりはたまたま仕事をサボっており、たまたま木陰で一服しながら、花札に勤しんでいたのだった)。
「そろそろ、潮が満ちますわ」
 地下に潜る前に、遠い海岸に『目』を向けて、みそのは呟いた。
 敵は満潮を待っているに違いない。
 水の神の加護を得たいのならば、潮が満ちたその瞬間が決め手となるだろう。海が割れ、神は目覚め、島に覆い被さるのだろう――
「急がなくちゃ!」
「お姉様!」
 みなもが、みそのの右腕を強く引いた。続いて、みあおが左腕を引く。視力を持たないみそのは、ふたりの妹の力によって、深淵へと続くが如く石段を下り始めたのだった。


 湿った磯の匂いをかき消す、香の香り。麝香でも白檀でもない、胸騒ぎと頭痛を呼び起こす陰気な香りが、地底湖のほとりにたちこめていた。
 地底湖の湖面はいやに静かだった。

  イア! イア!
  フングルイ ムグルウナフ クトゥルフ ルルイエ ウガフナグル フタグン
  アイ! アイ!
  シュブ=ニグラス!

 ひどい発音と声の祈祷がやかましく続けられているというのに、地底湖は静まりかえっているのである。
「お姉様、あの『本』……」
「『本』?」
「すごく立派な表紙の、古い『本』を持ってるみたい」
 みなもの目がとらえたのは、研究員のひとりが掲げている古書だった。
 みそのが見ている流れを掌握し、導いている。だがみそのは、その『本』のことを何も知らなかった。仕えている神からは何も聞いていない。
 というよりも、今回の「お手伝い」で役立ちそうなことを、神は何も教えてくれなかった。ということは、とみそのは考えた。自分には必要のない知識なのだろう。
「『本』はわたくしたちには必要ありません。構わずに流れを正しましょう。あとは、お母様とお父様がやって下さいます」
「あ……」
 研究員たちの背後を見て、みあおが声を上げた。
 円陣を組む男たちの背後で、低い唸り声を上げて動いている機械があったのだ。いくつも並ぶ楕円形のポッドの中には、鳥や少女が入っている。
 いれものの中の液体が、ごぼりと泡立ち、変色し始めていた。
 みあおの唇が震えた。
「……たすけなくちゃ……!」
 
  ひゅるり、
  ひゅうひゅう、

 研究員たちの祈祷に笛の音が混じり始め、
 みなもはそのとき、黒い男の影を見たような気がした。
 男には貌がなかったが、はっきりと彼は嘲笑っていたし、おもしろおかしげに研究員たちの所業を見守っているのがはっきりとわかってしまった。
 ――姉様、あれは、だれ……?!
 あの男こそが、このラボの人間たちに全ての知識を与え、間接的にみあおを苦しめた。みなもはそれを悟ってしまった。なぜなのかは、わからなかった。ただ、その男が振り向こうとしたときに、みなもは本能的に目を逸らしたのである。
 地底湖の水面が不意に揺れた。
 研究員のひとりが、何か鉄板のようなものを湖に投げこんだのだ。そして、地上は満潮を迎えていた。
 雷鳴のような咆哮が、深淵から聞こえてくる――

「だめ!」

 みあおが叫び、青い羽根が飛び散る。
 供物として捧げられようとしていた鳥と少女の入っている機械が、突然機能を停止した。電流が堰き止められたからだ。
 湖の底で光っていた目が、急速に力を失っていく。
 みそのが久し振りに全力を出した。脚は尾びれに、腕と耳はひれに――黒い髪が、まるで空間が水中であるかのごとくにゆらりと広がる。歪んでいた流れが解きほぐされていく。
 香と邪気が乱す島の霊気を、みなもがやさしく撫でつけた。
 突然現れ、儀式を狂わせ始めた3人の少女に、研究員たちが驚き反撃する暇はなかった。島の霊気と流れが正されようとしたまさにそのとき、地底湖からおぞましい片腕がざばりと伸びてきたのである。恐ろしい毒をもたらす鋭い鉤爪のついた指、その間には水かきがあり、ぬらぬらと湿った両生類じみた鱗が、腕や指を覆っていた。香の香りを吹き飛ばす、吐き気を催す臭いが荒れ狂う。
 腕は確かな意思をもって、すべての研究員たちを鷲掴みにした。
 だが『幸運』にも、三姉妹をとらえるほどの余裕が、神のその手はなかったらしい。さらに『幸運』なことに、腕が水面を切り裂いた時に生まれた水飛沫が、姉妹の目の中に飛びこんだ。彼女らはたまらず顔を湖から背けて目を閉じた。おかげで姉妹は神の腕を見ることもなく、ただ研究員たちの悲痛な叫び声だけを聞き、何が起きたのかを推測するだけですんだのである。

 3姉妹の前を素通りした手は、もがく男たちを地底湖の底へと引きずりこんだ。

  ひぅるるる――

 笛の音と、機械の唸りは静かに尾を引き、消えていった。
 地底湖は再び静まりかえり、暗くはあるが、安らかな気と潮の香りが戻ってきていた。


 みなもとみそのは、少しの間地底の調査を手伝った。
 ふたりは揃って首を傾げている。確かに、今回の災厄の中心にあり、みなもがその目で見たはずの『本』が、なくなっていたのだ。
 神がさらっていってしまったのだろうか。
 どちらにせよ、人間が持つべきものではなかった。神が持ち帰ったのならばそれでよし。
 傭兵たちの手によって、地底のすべてに火がつけられた。
 母親と父親は、疲れているだろうと姉妹をねぎらい、すぐに地上にあげて休ませてくれた。冷たい飲物と新鮮な海の幸の料理が待っていた。

 姉妹の両親が率いる傭兵たちが、囚われていた少女を救出し、青い野鳥たちを空へと放した。ヘリを祝福するかのように周囲を飛び回ってから彼方に消えていった鳥たちに、みあおはぶんぶんと強く手を振った。鳥たちの礼は、ちゃんと聞こえたのである。
「気にしないで! バイバイ! 元気でねーっ!」
 口の周りにソースやスープの具のかけらをつけたままはしゃぐ妹をみて、みなもとみそのは微笑んだ。
 きっともう、大丈夫だ。
 自分たちはこの島を消し去ったのである。


<了>