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<東京怪談・PCゲームノベル>


殺虫衝動『コドク』


                    ■さいごのこどく■


 冗談のように大きい蜘蛛がいた。
 天井からすべてを見下ろしていた、88の眼を持った蜘蛛を見た。

 御国将は倉庫の裏側の部屋に入ったまま戻らない。
 そうして数分が経過していたが、相変わらず周囲は鎮まり返っていた。

「『御国さん、ウラガはあなたの影です』」
 祈るようにして囁くと、皇騎は踵を帰し、特別製の愛車に駆け戻った。皇騎がこれほど急いだのは、自分でも珍しいと思えるほどに珍しいことだった。
 携帯電話を取り、実家に連絡を入れる。しかし、ここでいま手配したところで、手練れの陰陽師が東京の晴海埠頭前に到着するのはいつになるだろうか。保険をかけないでおくわけにはいかなかったが、皇騎は期待はしていなかった。伝えた大至急という言葉がどれほど真に受け止めてもらえるかどうかが鍵だ。
 あとは――自分が動かなければならない。
 男性には手厳しい皇騎のこと、御国将と嘉島刑事の行く末よりは、この日本全体の未来を危惧していた。小さな蟲にも一分の魂。その蟲でつくる蠱毒ですら、人間の一族を末代まで呪う力があるのだ。蠱毒を昇華させたものと考えてもよい猫鬼、犬神ともなると、結果は考えるだけでおぞましい。
 そして今完成しようとしている『蠱毒』は、人間だったものでつくられるのだ。何故蟲が倉庫の中で血を流しているのか、皇騎はすでにその疑問に答えを出していた。
 人間が蟲の『黒』に塗り潰されていたのだ。

『蟲は、現れるべくして現れた。喰らい、潰し、殺すために!』

 恐らくあの蟲たちには、すべてを喰らいつくす力がある。

「持ってきて正解でしたね」
 思わず呟くと、皇騎はダッシュボードから結界符を、車のトランクから『ゲート』と名付けた装置を取り出した。
 この倉庫――『壷』を開けてはならない。何が壷の蓋に手をかけるのかはまだわからないが、この世に出してはならない呪いが成長している。
 皇騎の知識と能力が生み出した『ゲート』ならば、蠱毒を壷の中に封じ込めておける。いつまで封じていられるか、これもわからない。奈良と京都から術士たちが到着するまでの間だけでももてば満足だ。
「急々如律令!」
 まさに。
「如何閉門!」
 ごぅん!

 その音は、皇騎の耳だけに届いたか。
 朱色のペイントが施された『ゲート』が目覚め、壷たる倉庫を封じた。
 あとは、
「髪切!」
 符の1枚から小太刀を呼び出し、
「蜘蛛切!」
 符の1枚から太刀を呼び、
 あの冗談のように大きな蜘蛛を、打ち滅ぼすのだ。


『蜘蛛切』が蜘蛛の糸を断ち切った。糸にはさほど粘着性がなく、思っていたよりも簡単に部屋の中へ戻ることが出来た。元より、この刀は土蜘蛛を斬った霊刀だ。あの蜘蛛は、ヒトの心の影から生まれながら、真に蜘蛛であったのか。
 だが――御国将と、嘉島刑事の姿はなかった。
 そこに佇んでいるのは、皇騎よりも大きな体躯の蜘蛛だった。何も言わずに身構えつつ、皇騎は蜘蛛の目を覗きこんだ。
 驚くべきことだろうか、
 88の眼には知性があって、苛立ちを支配しているようだった。
『タイラー・ダーデンを知っているか』
 かさこそと蜘蛛が動いて、囁いた。
 いや、蜘蛛が言葉を話したわけではないようだ。
 皇騎の視線は、自然と蜘蛛の足元に向けられた。彼はやはり、蜘蛛とは話そうと思わなかった。黙ったままの皇騎をみつめ、影は陰鬱な声で語り始めた。
『すべてを棄てて初めて人間は自由になれると、名言を遺した。だが、タイラー・ダーデンはどこにも存在してはいないのだ。はじめからどこにもいなかったし、最期を迎えてもどこにも行かなかった』
 蜘蛛の影が――
 すう、と盛り上がり――
 真っ黒な人間のかたちを取ると、電源が入ったままのノートパソコンの前に音もなく移動した。
『かつてネットの中でのみ、私は平だった。タイラー・ダーデンを抱えた名無しの主人公だったのさ。「世界」に囚われるまでは。そう言えばきみは、この間私に接触してきたな。面白い能力を持っているようだ』
 ようやくそこで、皇騎は口を開いた。この蜘蛛は、しっかりとした知性を持っていることを知ったからだった。影が動いている間、異形の蜘蛛はじっと動かなかった。
「……御国さんと刑事さんを、蟲になってしまった人々を……帰していただきます」
『私に言われても困るな。変化は訪れてしまった。今の我々はこの世を呪うためにある』
「あなたが蟲を集めたのでしょう?」
『私は仲介役を買って出ただけだ。世界が望んだのだ……この世を呪う蠱毒を作り上げることを』
 影は慣れた手つきでマウスとキーボードを駆り、ゴーストネットOFFに代表されるオカルトサイトをまわっていく。
 すべてのサイトから、すでにムシの噂は消え失せていた。ログはきっと、半永久的に残る。おそらく、人間の記憶の中にも残るだろう。
 だが、すべては過去のものになっていた。
『確かに、蟲は集めた。蟲は単純な生命体だ。餌で誘い出すのは簡単なことだ。集まった蟲が何を為すかは、蟲に任せておいた。倉庫の中がどんなことになっているかは見たのだろう? あれが生命そのものの出した答えだ。――呪いだよ』
 影はムシの噂が消えたことに満足したようだった。パソコンから離れ、すうと縮み、蜘蛛の足元に戻っていった。
『最後の1匹は、すべての蟲の想いと呪いを背負う。脳はただひとつの衝動で満たされるはずだ。ひどい苛立ちの矛先を、苛立ちの大きさに見合った規模のものに向けずにはいられなくなるだろう』
「……それこそが――」
『蠱毒だ』


 平はかつて、平という名前ではなかったし、蜘蛛でもなかったし、影でもなかった。
 ある人物の影が蜘蛛であり、平だったのだ。
 それがある日、くるりと反転してしまった。
 それが始まりだったのだろうか?
 そこから始まったのか?
 ――きっと、違う。
 おそらく、人間が自然の色を拒絶したそのときから始まっていたのだ。
 いまの皇騎の脳裏に浮かぶのは、御国将とウラガのことだった。
 もし将がこの『会合』を蹴ったとしても、いつかはきっと、影になってしまっていたのではないか。ウラガがこの世に現れて、将という存在は名無しの語り部になってしまうのだ――


『だが、私が恐れているのは、「蟲」なのだ。血を流す蟲を見たか。あれは、苛立ちと嫌悪感に食い潰された人間の慣れの果てだ。あの浅ましさと獰猛さを見たか。私はあの蟲たちを見たとき、ぞっとすることを考えたよ。……人間も虫と同じで、衝動だけで生きているのではないかと』
 蜘蛛の刃のような足が、汚れた床をかさこそと踏みしめた。
 88の眼の光が不愉快に瞬き、蜘蛛は胸部と繋がった頭を、ぶんぶんと苛立たしげに打ち振った。
『……私も、私は、ひどい頭痛に苛立っているのだ。この頭痛が消えるのならば、私は、誰かに喰われてしまっても、たった独りになってもいい。この痛みは……私の、衝動だ!』

 蜘蛛はいらいらと床を踏みしめ、そのとき初めて、88の眼には苛立ちと悪意が満ちた。爪なのか足なのかわからない八つの刃が、床に穴と傷をつける。
 来る、と皇騎が蜘蛛切を構えたその時、蜘蛛は出し抜けに横へ跳んだ。凄まじい体当たりが、壁を破った。蜘蛛は恐るべき殺戮の場へと身を投じたのである。
 しかし――
「そんな……ウラガ……?!」
 破られた壁の向こうには、広い天井の倉庫がある。壁や天井、放置されたコンテナやドラム缶に、殺戮の爪痕が残っていた。血とはらわたが塗りたくられて、死臭にも似た生臭い悪臭を放っていた。
 そこで鎌首をもたげた巨大な百足は、凶悪なあぎとに1匹の御器噛を咥えていた。その顎が蟲をばりばりと咀嚼するたびに、百足の身体はぶくぶくと膨らみ、蠢く。
 皇騎が見る限り、倉庫の中の蟲はその百足1匹になっていた。
 その百足に、蜘蛛が牙を剥いたのだ。
 蠱毒になるつもりだ。或いは、苛立ちからくる衝動のままに、百足に襲いかかったか。
 皇騎は砕けた壁の向こう側へと駆けこんだ。

 百足が居る。
 もたげる鎌首が天井にまで届くほどに膨れ上がったウラガだ。百足の身体に生じた瘤は、絶えず蠢き、脈動しているようでもあった。ひとつひとつの瘤が、いちいち触覚や脚や頭のかたちをとっているようにも見える。ウラガはすでに百足ではなくなっているのかもしれない。これほどおぞましい姿をした虫はこの世にないはずだ。
 百足はぶくぶくと泡立つ己の身体を、苛立たしげに掻き毟った。鋭い脚先は甲殻すら引き裂き、破れた瘤からだらだらと膿じみたものが流れ出した。
 いや、これは――膿ではない。虫を潰したときに腹から飛び出す、はらわただ。
 皇騎は息を呑んで、百足を見上げた。
 これが、世界そのものを呪える蠱毒に、いま最も近いものの姿か。
「……宮小路!」
 ドラム缶に寄りかかった男が、呻き声を上げた。
 皇騎が振り向き、その声が御国将のものであると気がついたとき、蜘蛛の牙が百足に達していた。

 百足の右半身についた脚が、100本ほどごっそりともぎ取られた。
 将が同時に断末魔じみた悲鳴を上げた。彼の右腕が――たちまち細切れになって、床に散らばった。
 蜘蛛が百足の長い胴体の半ばに咬みついた。
 またしても、将が苦悶の声を上げた。脇腹から鮮血が噴き出して、ドラム缶をしとど濡らす。
 ――いけない、まただ。ウラガが自分だと認めている。
 皇騎が、血塗れになった将の前に屈みこんだ。
「時間が要るか」
 皇騎の背に、疲れた声が投げかけられた。
 振り向けば、ぼろぼろにくたびれ果てた刑事が、影のように突っ立っていた。
「ムシはまだ、3匹居るんだ」
 嘉島は格闘する百足と蜘蛛を見上げて、息を吸いこみ――
「おおい、コラ! 平ぁああああぁぁぁあッ!!」
 篭城する凶悪犯に対しての檄のよう。
 嘉島の声が、蜘蛛を振り向かせた。
 その隙に、皇騎は将の左の耳元で囁いた。
「御国さん」
 焦りたくはなかったが、将の今の状態を見ては、さすがの皇騎も渇いた唇を噛み締めた。将は今や右腕も右脚も右目も右耳も失っているではないか。

「平ぁッ! もう1匹居るぞ! こっちは何にも喰っちゃいない! 先にこっちを喰っちまえッ!」

「『あれはあなたの影です』」

 嘉島の足元の影が、ざわざわと蠢き、かさこそと囁く。
 まだそれが何の形を生すか定かではない――
 蜘蛛は百足から離れると、嘉島に組みついた。皇騎が動いたときにはすでに、嘉島の首が咬み千切られ、噴き出す血を蜘蛛が残らず飲み下していた。
 残りは2匹。

 蜘蛛の88の眼は、再び百足をねめつけた。
 百足はすでに横たわり、ぶくぶくと泡立つ身体を痙攣させている。
 蜘蛛の牙は、とどめとばかりに百足の首に突き立てられた。
 悲鳴が上がった。
 それは人間のものではなく、獣の咆哮と蟲の囁きを混ぜ合わせたような、異様なものだった。

 百足の、蜘蛛が一撃を与えた首筋の傷口から、恐ろしい勢いで血が噴き出した。陳腐な噴水のような音がした。どす黒い血は、倉庫の天井と壁をキャンバスにして、見るもおぞましい絵画をつくりあげていく。
 それは壮年の男や成人したばかりの青年たちの顔であり、まれに意思の強そうな女性も混じっていた。いまの世界を支えている者たちのポートレートだったのだ。どれもが苛立ちと怒りと悪意に歪み、口汚く罵っていた。
 百足の身体は見る見るうちに小さくなっていき、ただの影になった。噴き出す血を飲み下す蜘蛛の身体が、変わりに醜く膨らんでいく。先ほどまでこの場に存在していた、百足と同じような姿へと変貌を遂げていった。百足と違うのは、脚の数と眼の数くらいのもの。
 皇騎のそばで、将ががふりと血を吐いた。
 倒れた彼は、きっと息をしている。
 皇騎は信じて立ち上がり、完成した蠱毒を見上げた。


 88の眼の中に、苛立ちと衝動とを見た。
 有り余る衝動を何に向けるか、蜘蛛は束の間考えたようだった。蜘蛛はまるで獣のような咆哮を上げると、シャッターに向かって突進した。シャッターはまるで和紙のように破られたが、蜘蛛は倉庫の外へ行くことは出来なくなっていた。物理の属性を持ちながら、今や窮極の呪詛である蜘蛛は、皇騎の『ゲート』と符によって為された結界に行く手を阻まれたのである。
「あなたは今、ただの蜘蛛です」
 その『呪』は届いたか。
 88の眼の中に無数の視線を持つ蜘蛛が振り向いた。
 無数の囁きが、皇騎の耳と脳に注ぎこまれる。その囁き声はすでに言葉を失っていた。ただひとつの衝動だけで満ちていた。その衝動を受け止められる大きさのものを求めているだけの存在だ。
 しかし、ただの蜘蛛である。
 皇騎はそう信じていたし、『呪』は蜘蛛の狂える脳にも届いているかもしれない。
 皇騎は疾風のように蜘蛛に駆け寄り、そのいびつな頭部に『蜘蛛切』を突き立てた。『髪切』が喉を斬り裂いた。

 蜘蛛の身体が、胸の悪くなりそうな音を立てて裂けた。
 噴き出す闇色にも似た血潮が皇騎を汚した。
 だが皇騎は、その生温かい本流の中で、いくつもの白い欠片を見たのである。それは雪のようで、蛍のようで、まるで蝶のようにはらはらと、おぞましい闇の飛沫をくぐり抜け――天へと昇って行こうとしていた。
 だが、強力な陰陽師の結界がそれを赦さなかった。
 倉庫の天井で、白い欠片たちは踵を返す。哀願するような視線と、言葉に出来ないくらいの礼を、皇騎に送っていた。
 蜘蛛の身体がずるりずるりと崩れていき、ぼたぼたと床に落ちていく。床に落ちた蜘蛛の欠片は、しばらくぐずつくように泡立っていたが、やがてそれも染み入るようにして消えていった。
「『ゲート』」
 皇騎はふわふわと飛び回る白に見とれながら、手首のコントローラーに指令を送った。
「結界解放」
 ごぅん!
 その音は、皇騎の耳だけに届いたわけではなかったようだった。
 待ちかねていたかのように、白い欠片は勢いよく天井へと向かい、天井を越えて、ずっと高みまで昇っていった。


「御国さん」
 返事はない。
「御国さん!」
 やはり、返事はなかった。




「御国さん」

 皇騎が顔を出すと、将は苦笑で出迎えた。顔はほとんど包帯とガーゼの下だが、辛うじてぶっきらぼうな顔と、その表情は伺える。
「妙な夢を見た」
 開口一番がこれだ。
「あなたらしいです」
 皇騎は思わず、苦笑を返しながら呟いてしまった。
「お酒は――」
「呑めると思うか?」
「そう言われるだろうと思って、京都の宇治茶を持ってきました。飲みましょう。淹れますよ」
 皇騎はベッドの横のポットと急須に手を伸ばす。
 テーブルに置かれた果物の皮がきれいに剥かれているのを見て、そっと微笑んだ。何も見なかったことにして、皇騎は宇治茶の入った湯呑みを将に差し出す。
 将はだまって、左手で湯呑みを受け取った。


 月刊アトラスの『ネットにはびこるムシの噂』特集の連載は、その月で終わった。
 御国将のデスクには、新人記者が座っている。
 だが御国将の書く原稿は、今でもアトラス誌面の一部を埋めている。締切の前日には、ちゃんと碇麗香のデスクの上に、原稿が提出されているのだ。
 さしもの碇麗香もさすがに、半身を失った記者に出社しろとは言い出さないようだった。皇騎は、「血も涙もないひとだ」といった皮肉を言えるかと期待していたのだが――逆に、彼女を見直すはめになってしまった。




<了>

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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【0461/宮小路・皇騎/男/20/大学生(財閥御曹司・陰陽師)】

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               ライター通信
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 モロクっちです。『殺虫衝動・コドク』をお届けします。殺虫衝動というお話はこれで終わりです。皇騎様のお陰で、ひとつの物語を作ることが出来ました。
 『コドク』はマルチエンディングとなっており、皇騎様のこのラストはかなり良い結末となっております。「……これでも?」と思われるかもしれませんね(汗)。でも将は、皇騎様のおかげでコドクにならずにすみました。しかしこの「コドク」、プレイングでご指摘された通りのタイトルです。恥ずかしい限りです(笑)
 皇騎様の『殺虫衝動』、如何でしたでしょうか。ご満足いただければ、何か心に残るものがあったのであれば、これ以上の喜びはありません。
 それでは、この辺で。
 全話のご参加、有り難うございました!