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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


糸切りの刃
------<オープニング>--------------------------------------
「は?」
目の前の男が言い放った言葉に、思わず口を付いて出たのがこの声。
「ですから。――『私』を殺す男を止めてもらいたいのですよ」
くすんだ色のダークスーツに身を包んだ、ごく穏やかな顔の男がさっき告げた言葉を繰り返した。私、という部分に何故だか力をこめて。
「それは警察の管轄でしょう?」
「ダメなんですよ。いえ、警察機構を馬鹿にしているわけではないのですが、彼らには止められません。引き受けてもらえませんか?」
「そんなことを言われても…」
男が困ったように眉を寄せた。あまり善良とは言いがたいこわもてなのだが、表情が柔らかなせいでか印象はかなり救われている。
「誰が襲いに来るのか判っているのですか?」
「まあ、一応は。『私』の顔見知りですから」
「って。それじゃ逃げるなり訴えるなりしてくださいよ。此処に来るよりはずっと建設的だ」
「困りましたね…ああ、もうこんな時間か。急がないと遅れてしまう…それじゃ探偵さん、また明日」
「あ、ちょっとちょっと」
呼び止めの声も空しく、男はさっさと事務所を出て行ってしまった。
「――なんだったんでしょうね?」
「冷やかしなんじゃないのか?どっちみち、あれだけあっさり帰ったんだ、もう来ないだろ」
熱いお茶に口を付けながらそんな事を言う草間。
だが。
「駄目じゃないですか。やっぱり殺されちゃいましたよ」
昨日来た時刻と全く同じ時間に事務所を訪れた男は開口一番にそう言った。言葉には非難する調子はなかったが、草間も零もぽかんとして男を見つめている。
「あの。殺されたって、じゃああなたは?」
「私はここにいますけどそれが何か?」
「いや、何かじゃないでしょ。殺されたって言ってる本人が来てどうするんですか」
「仕方ないじゃないですか。まさか犯人が連れに来てくれるわけじゃなし」
そうは言いながらも落ち着いた様子でソファに座っている男。どう見ても傷があるようにも見えないし、一体?
「あの」
「なんです?」
「あなたは誰なんです?」
「―――」
一瞬何かを言いかけた男が天井を見上げて指を折り始め、
「スズキ――確か、セイジです。そうだ、今日の夕刊か明日の朝刊には載っているかもしれませんね。それを見ていただければ多少は判るかと思います。さて、私にもいかねばならない場所がありますので、失礼します」
あからさまに偽名っぽい名前を告げ、昨日とほぼ同じ時間に外に出て行こうとする。
「何処に行くんですか」
その背中に声をかけると、にこりと笑いながら男が振り返り、
「――『私』が死ななければならない場所で、殺されに」
そう告げ、あっけにとられた2人の前から姿を消した。

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「これ、これ読みましたか!?」
翌朝、コーヒーと煙草という優雅?な朝の時間を過ごしていた草間に、新聞を振り回しながら零が草間に呼びかける。どうやら何か見つけたらしいが、と新聞を開いてそこにある文字に絶句した。
『――殺害されたのは金融業を営む鈴木正治さん(36)で――』
「…ただ、殺害された時期が、もっと前らしいんです」
改めて新聞を読み返してみると、死亡時期は最低でも一週間から一ヶ月程前のことらしい。知人が少なく、普段から孤立していたせいで発見が遅れたのだという。

新聞には他にも、最近街で起こっている不可解な連続通り魔事件の話題で盛り上がっていた。
死人は出ていないようだが、何人もの人間が襲われ、大きな曲がった刃物のようなもので切りつけられたと証言している。だが、何故か誰一人として犯人らしき人物の姿を覚えていない。顔を隠していたとかいうことではなく、どういった姿をしていたのかさえ話すことが出来ないらしいのだ。
数人の中で1人2人ならありえる話だろうが、その場にいた者や傷を負わされた者全ての記憶から消えているとなると話は変わってくる。お陰で警察も犯人の特定すら出来ず、パトロールを強化した他、被害にあった地域に注意を呼びかけたり情報提供者を募るといったことしか出来ないらしかった。
「扱い小さいですねえ」
「こっちの事件の方が話題性あるしな。…金融業ねえ。とてもそうは見えなかったが」
新聞を覗き込んでいる零に話し掛けると同時に、スズキと名乗った男がそうは見えなかったどころか本来なら既に死んでいる筈だったことに気付き苦笑を浮かべた。
そしてその日の――。
「こんにちは。どうです、引き受けてもらえますか?」
昨日とまた全く同じ時間に、スズキが――死んだ筈の男がにこやかな笑みを浮かべて現れた。
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「何しろ今の私は無力なものでしてね、あなたにでも引き受けてもらえなければどうしようもないんですよ」
あ、煙草いいですか、と草間の箱から遠慮も何もなしに一本抜き取ってライターで火を付ける。
「――ああ…やっぱり、いいですね、『ここ』の煙草は」
2人で煙を吐いている様子を眉をしかめて見ていた零が、けほけほ、とややわざとらしい咳をして奥に引っ込んでいってしまった。
「…普通の銘柄ですよ」
それに、一番好んで吸う銘柄はこの所零の財布の握り具合が厳しくて買わせてくれないし、と明後日の方向を見てぶつぶつ呟いてみる。
「――『私』を殺しに来る男と言うのが、これまた困った奴でね。私のとっときの道具を持って行っちゃったんですよ。困りますよねえ。困るでしょ?」
ずい、と男が思い切り身を乗り出した。
いくら穏やかな顔とは言え、こうも至近距離で言われると脅されているのも同じことだ。オマケに2人して吹かしている煙草の煙が顔にまともにかかるとあっては…。
「わ、分かりましたよ。引き受けますって。でないと、毎日でも来るんでしょう?」
「よくお分かりで。だって毎日続いてますからね、あいつも――『私』も」
すくっと立ち上がって満足げな笑みを浮かべる『スズキ』。
「さて、仕方ない、今日も殺されに行きますか。…待ってますからね?『私』もあいつも、救って下さることを期待して」
出て行き間際にそう告げた男は、それじゃ、とこれから『殺され』に行くとはとても思えない穏やかな表情のまま立ち去っていった。

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「――で、これはなんですか」
生臭い。
大きな物体が、接客テーブルの上に置かれている。
というより、その物体の下にテーブルがなんとかあると言ったほうが正しい。
「お土産ですわ。久しぶりに草間様の所に御伺いしますのに、何もないのは無作法ですもの」
「そういうことを言っているのではなくて」
「困りましたねえ。冷蔵庫、こんなに大きいものは入らないですよ」
「いやそういうものでもなくて。…まいったな。どうすりゃいいんだよこんなの…」
草間が頭を抱える傍で、海原みそのが頬に手を当てて困ったような顔をする。
「…お魚はお嫌いですか?」
「だーかーら」
しゅん、となってしまったみそのの頭の上で、狐の耳がぴこぴこと揺れた。更に折れ曲がる…先程までゆらゆらと揺れていた尻尾までがだらんと垂れ下がってしまった。
「――義兄さん」
背後からのたしなめる声に、草間ががりがりと頭を掻く。
「…零、近くの魚屋で知り合いがいるだろ。あそこの親父呼んでコレを解体して預かってもらってくれ。あとは何人来れば喰いきれるかな。…マグロパーティか…?」
零が電話に向かう様子を見ながら、次第に狐耳が立ち上がっていく。どうやら機嫌が直ったらしい。
「エマが居ればリストアップもすぐなんだろうが…帰ってくるのを待つかな」
「あら、お出かけですの?」
「ああ…変わった依頼の調査に出ていてな」
「――変わった?」
きらん、と一瞬みそのの目が輝いたが、草間は気づいているのかいないのか煙草を咥えながら軽く頷く。
「見に行って見たいですわ」
「――調査に?」
「ええ。是非」
こっくり、と大きく頷くみそのを見て暫く考え、ごそごそと書類を取り出してその手に渡した。
「調査している間に準備が整ったら、一緒に食べていくといい。他の知り合いにも会いたいだろう?」
「まあ、それは素敵な思い付きですわね。是非お願いします」
ぱむ、と手を打ち鳴らし、ころころ鈴が鳴るような音で笑い、見た目どおりの幼さで喜ぶみその。
「待っていればもう一人調査員が来るから、合流させよう」
「はい」
渋く決めたいのだろう、咥え煙草のまま微笑んでみせる草間。
だが、その背後にある存在を隠し切れない大きさのマグロが、見事に其れを裏切っていた。

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『どけぇぇぇぇ、く、来るなぁぁぁ!!!』
びんびんと響く悲鳴じみた声。いや、実際悲鳴を上げながら叫んでいるのかもしれない。途中で合流し、被害現場に行った皆を待っていたのは、そんな声だった。
「きゃぁっ!」
「いやぁぁっ」
その声が聞こえた向こうで新たな悲鳴が上がる。
「まずい」
誰かがそう呟き、顔を見合わせるまでもなく何人かが走り出す。
角を曲がった丁度その時、目の前に人影が見えてぶつかりそうになる。
『う、うあああああ』
ぶぅん。
風切り音と共に、涼の鼻先を巨大な刃が掠めた。――と。
「っ!?」
ほんの一瞬だったが、何かを切り取られたような嫌な感覚にパニックに陥る。その瞬間、その場に居た者の意識から、高揚していた気分がまるで奪い去られでもしたかのように一斉に静まった。――鎌を持った人物も、だらんと鎌を下げて呆然と立ちすくんでいる。
そして。
「――あ」
鎌を持ったまま、小男は皆の目の前で寂しそうな表情を浮かべたまま消えていった。
ようやく皆に遅れてやってきたみそのの目にも、其れは映っていた。
「――大丈夫ですか?」
襲われて地面に転がっていた制服姿の少女二人が、初めは恐怖のあまりか口もきけずにいたのが次第に落ち着きを取り戻し、聞かれたことに素直に答え始める。
やはり、今までの被害者と同じように、大きな刃で襲われたことは覚えていたものの誰がどんな格好でという問いには首を傾げるだけだった。
二人とも軽傷だったため、簡単な手当てをしてやり、病院に行くように言って二人と別れる。
「あんなにはっきり見えていたのに忘れてるのね。おかしな話だわ」
「…ちくしょう。あんな直ぐ消えちまうんじゃ捕まえようがないじゃないか」
状況を分析するシュラインに、悔しげに男が消えた辺りを睨みつける秋隆。
「…あのさ。聞いていいかな」
その場に立ってああだこうだと言っていた皆に、涼が困った顔で訊ねる。
「何だ?何か判らないことでもあったのか?」
「――あいつ、って…どんな顔だった?」
ぴたり、と。
皆の動きが止まる。
「もしかして――目撃者がいないのって」
「はい。あの鎌の作用なんです」
不意に割り込んできた声に皆が一斉に振り向く。
スズキが、――写真で見た男とはずいぶん印象の違う穏やかな表情をした男が、其処に立っていた。袈裟懸けに切られたのか、斜めにぱっくりと開いたダークスーツを着たまま。
「スズキさん?今まで何処に居たんですか」
「さっきまで殺されてたところです。…どうにかしてアレを取り戻さないと私たちは救われることも出来ません」
「あの男は、今は?」
「今は何処にいるかまでは…明日同じ時間に、あのビルから出てきますから」
私がまた殺されてしまった場合ですけどね。
この辺りから見える一際高いビルを指差した男がにこやかにそう告げ、それじゃ、と皆が止める間もなく去っていってしまった。
「…とりあえず…今日は帰るしかなさそうね」
これ以上は何も起こりそうもないし。
「明日、また此処に来ましょう。――場所は、あのビルの入り口近く。時間は今日より三十分早めにね」

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「そろそろね」
時計を見て時刻の確認をしながら、シュラインが呟く。
ビルは今日も立ち入り禁止の状態になっていた。
そして、昨日とほぼ同じ時刻。
『うがぁぁぁぁ!!ど、退けぇぇぇ!!』
呂律の回らない舌で、口から泡を吐きながらビルを飛び出してくる人影。ぎゃあ、という悲鳴を聞くと、どうやら現場保持のために配備されていた警官たちがやられたらしい。
「あちらは――」
「後よ。まずは、このヒトを止めなければ」
みそのの言葉にシュラインが言葉を被せる。こくり、と頷いてみそのと戦力外宣言をしている啓が一歩体を引いた。入れ替わるように、秋隆と涼が前に出る。秋隆は嬉しそうに歯をに、っと剥き出して笑い、涼は心を静めながら、いつでも飛び出せるように秋隆の後ろに回った。
「鎌を振っている間は近寄らないで!」
「分かってるさそんなことは!――さあ…来いよ」
夜の商売に手を染めている以上、酒の回った暴漢や組関係とのいざこざに巻き込まれることは珍しいものではない。このくらい出来なくてどうする、と寧ろ嬉しそうに此方に走りこんでくる男に向かって行く。
ぶぅん。
歪んだ軌跡を描いた鎌を余裕を持って避ける。――昨日と同じ動き、『見覚えた』秋隆に見切れない筈はなく。
「うらぁっ!いい加減にしろよテメエっ!!」
素早いステップで小男の後ろに回りこむと、大ぶりながら慣れ切った――綺麗なフォームで回し蹴りを思い切り小男の後頭部に叩き込んだ。小男がもんどりうって頭から地面に倒れこむ。
「――普通、まともにアレを受けたら死ぬよな」
遠目にその様子を見ていた啓が、忘れまいと状況を頭に叩き込みながら呟く。こくこく、とその隣にいたみそのが無言で頷いた。
「でも、見事です」
「――同感ね」
小男の背を踏みつけながら嬉しそうに勝利宣言をしている秋隆を見、批評をしている三人の後ろから、
「全くですね。私は彼に切られるくらいしか出来なかったのに」
突然、聞きなれた声がして三人が振り返った。
今日は腹部を切られたらしく、その辺りを手で押さえている。表情は変わらないままだったが。
倒れながらも悔しげに顔を上げて、未だ握り締め続けている鎌を奪い取ろうと柄に手をかけた涼が悲鳴を飲み込んで手を離す。少し持ち上げたお陰で小男の手からは僅かに離れたが、しかし。
握った感触の残る手をもう片方の手でごしごし擦る。その間に、涼の持つ気に当てられたのか、これ以上暴れることもなく小男はすぅ…っとその場から溶けるように消えていった。背中の感触が急に無くなった秋隆も不思議そうに周りを見回す。
鎌だけは、その場に残っていたが。
「ああ、良かった。これで半分取り返せました」
そう言いながら、涼の足元に転がる鎌の柄を何事も無く掴み上げるスズキ。
「――なんともないんだ」
「何がです?」
思わず口にした涼に不思議そうに問い返すスズキに、いえ、と曖昧に答えてようやく感触の去った手を元に戻す。
「どうかしたの?」
嬉しそうに鎌を持つスズキを見ながら集まってきたシュラインが不思議そうに聞き、
「――あれ、物凄い嫌な感触だったんでね」
涼がそう答えた。
「で?半分って言ったな。残りは何処にあるんだ?」
近寄ってきた秋隆の言葉に、スズキが男が飛び出してきた建物を指差した。

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建物の中に入る皆を止める者は誰もいなかった。いや、二人いるにはいたが先程の襲撃で気を失ったままなので止める力は無い。みそのたちが近寄って調べてみたが、特に大きな外傷もなかったので軽く手当てだけしてその場に寝かせておき、エレベーターホールに向かう。
どう見ても法律に反している大きさの鎌を肩に引っ掛けたスズキがにこにこしながら階数を指定した。
――良く、アレが入ったな。
エレベータの中にスズキを含む全員が入った時、皆の視線はスズキの肩に担がれている折れた鎌に注がれていた。
どうやって彼が鎌ごと中に入ってきたのか、見たような気がしながらも誰一人その場面を思い出すことが出来ないで居る。
そのためか、指定階に着いて開いた瞬間の皆の顔は、1人を除いて皆が消化不良な表情を浮かべていた。
「――この部屋です。『私』が殺されるのは」
『スズキファイナンス』と銀色の板に刻まれた看板がかかっている部屋の前で足を止め、スズキが呟いた。
「鍵は?」
「開いてます」
それを聞いて好奇心が湧いたのか、それとも記者魂か、啓がノブに手をかけてあっさりと扉を開く。そして中をひょいと覗き込んで「うっ!?」と喉に何か詰まったような声を上げた。
「どうした?」
「――な、中」
扉を開けたものの、何か見たらしく内部を指差すばかりで入ろうとはしない。涼がそれを見て不審気な顔になり、啓の脇をすり抜けて一歩中に入った。
「っ!?」
視線が、合う。
思い切り目を見開き、悶絶した表情のまま玄関を――皆の居る方向を睨みつけている、『鈴木』と。
「スズキさん」
シュラインの言葉に、微笑を浮かべたまま微動だにしなかったスズキが軽く頷き、
「あれが――殺されてから、あの場に縛り付けられたままの『私』なのです」
そう、しみじみと呟いてすたすたと中へ入っていった。

鬼のような、といった表現が相応しい形相の男は、その首に大きな刃先を食い込ませたまま、血走った目を玄関へと向けている。皆が部屋の中に入っても、其処から視線を戻すことはなく…男の足元を見ると、其処から前のめりに倒れたらしい白いテープの後が妙に生々しさを感じさせた。
そう思うと、部屋の中にしつこく漂っている胸の悪くなるような匂いの『元』がなんなのかも想像が付く――考えないように、視線を逸らした啓が更に小さな悲鳴を上げた。
「どうしたの――」
また何か見つけたのかと声を上げながら啓の視線の先を追ったシュラインが、同じ光景を目にしてぽつんと言葉を切る。
此方に背を向け、頭を抱えながらその場にうずくまっている小男が――微妙に体の線が揺らいでいる男が、ぶるぶると小刻みに体を振動させ続けていた。
「――何か呟いていますわね」
そう囁いたみそのが、しずしずと男の近くに寄っていく。
『済みません済みません月末には必ず払いますから勘弁してくださいこれ以上苦しめないで――』
まるで呪文のように、床を見つめながら呟き続ける男。その顔は、昨日このビルから飛び出してきた男――先程、持っていた鎌を奪われてその場から消えた男だった。
「お互いにとうに死んでいた筈なのに、執着だけで私の得物を奪い、互いに切り付け合うといった暴挙まで起こしてしまった」
二人のいる間に立つスズキがぽつりと呟く。
「――お陰で『私』までが殺されたも同然です。あの刃を…取り戻して下さい」
鈴木の首に食い込んだままの刃を、別れた恋人を見るような切ない視線で見つめ、お願いします、と消えそうな声で呟く。
「自分で取ればいいんじゃないのか?」
秋隆がすぅ、と目を細めながら聞く。俺だって取れるぜあんなモノ、と言葉に揶揄の響きを込めて。
「それが出来れば良いんですが」
言いながら男に近寄り、首筋に手を伸ばした。――が。
刃を含めてその場に立ち尽くしている鈴木の体を透過してしまう。
「この通りで」
ね?皆を見回すスズキ。
同じ顔が二つもあるだけに、その位置に立っているとどうしても二人を見比べてしまう。「本物の鈴木さんは…動けずにいる方の?」
「彼ですよ。身動きが取れないのは、狭間に縫い付けられてしまっているからでしてね。…この、折れた刃先の作用らしいのですが」
実にあっさりと、そう告げてから初めて困った顔をした。
「残念なことに、私の手ではアレを取ることが出来ないのです。…この道具を取り戻したとは言え、不完全なままでは上手く力を扱うことも出来ませんし…」
くたびれたダークスーツと鎌というアンバランスな格好をなんとも思わないらしく、スズキがはあ、とため息を付く。
「分かった。やるよ」
黄天を手に涼が一歩前に出る。
すらりと抜いたその刀を目にして、スズキがほぅ、と小さな呟きを漏らした。
「何か?」
「――形は違いますが…似ていますね」
何をとは言わなかったが、聞くまでもないことだった。
刀を構えなおし、一点に集中する。――狙いは、首。
一気に力を解放し、男へと足を踏み出して腕を伸ばした。
ざくり、と軽い手ごたえを感じ、深く切り裂く前に素早く刀を引く。

――かつん。

首筋に深々と刺さっていた刃先が床に落ち、不思議な事に輝きを増し、硬い音を立て跳ね返った。
「おぉ」
嬉しそうにスズキが駆け寄り、涼の足元に落ちていた刃を大事そうに拾い上げる。今度は抵抗もなく刃先がスズキの手の中に収まった。
『てめえ、金返せってんだろ!それとも前の女房のトコでも押しかけてもらいたいってのか、ええ!?』
『ひぃ、か、勘弁して下さい』
――身動きが取れるようになった途端、その部屋にいる全ての人間の頭の中に声が響き渡った。
復活した――半透明なままの鈴木が奥で震えている男の元につかつかと歩み寄り、胸倉を掴んで怒鳴りつけたのだ。半分ぶら下った状態の小男が、ごそごそと鈴木から見えないように何かを探す仕草をする。…それは、どうみても安っぽい果物ナイフで。
「危な…」
啓が思わず叫びかけ、みそのがまあ、と呟いて口に手を当てた。
――いやもう死んでるし。危ないって言っても…。
シュラインと秋隆がほぼ同時にそんなことを考えてやや皮肉っぽい視線で以前ここであったのであろう状況を見ていた時。
「そこまでです」
囁きにしか聞こえない其れが、何故か凄まじい重圧感を与えながら部屋の中に響き渡った。
―――!?
その場に居た皆の顔が一瞬にして引き締まる。肌が、ざわざわと…ざわめく。
異質としか言いようの無い雰囲気がその部屋を一気に塗りつぶしたのだ。
だが、殺気ではない。そう判断した涼が、無意識に握り締めていた刀の鞘から力を抜く。強張りが解けるまでには少し時間がかかりそうだった。
喧嘩していた筈の二人が、ぴたりと動きを止めて顔を此方に向ける。
その視線の先を、皆が追った。

――其処に立っていたのは、既に人ではなかった。
黒い――闇色の衣。
完全に形の整った巨大な鎌を、柄を下に向けて握るその姿は一幅の絵の如く其処に在った。
「ようやく、『私』に戻ることが出来ました…感謝します」
すっぽりとフードで覆われた顔は、陰になって良く見ることが出来ない。もしかしたら絵にあるように、其処には骸骨が虚ろな眼窩を向けているのかもしれないが。
ひぃ、というかすかな悲鳴に皆が視線を向けると、死んでいた二人が恐怖に怯えた目をしお互いに抱き合っていた。ようやく、思い出したらしい。あの日の事を。
「この二人は連れて行きます。…それと…あなた方をも巻き込んでしまった事にはお詫びをしなければなりません」
仕方無しにヒトの手を借りたとは言え、と丁寧な口調で続ける、黒衣の人物。
「――始末を、させてもらいます」
…す、と。
優雅な手つきで鎌を持ち上げ、両手で構える。見えないフードの下で、その人物がふと口元をほころばせた。…実際には、陰になっていて見えなかったのだが、そんな印象を皆が受けた。
そして――

凶器としか見えないその道具を警戒しながら見つめる人々の前で、
無造作に、横に其れを振った。
――ように、見えた。
気が、した。

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エピローグ
――ざ、ざ、ざ、ざ、ざ――
耳の底に、海の音を聞く。
流れのしじま、自らは僅かにその流れとは別の場所に身を置き、そして閉じた瞳で『見つめ』続けている。
「――やはり、無駄でしたか」
ふと。
座しているみそのの目の前に、声と共に闇衣を纏った人影が現れた。手にしっくりと馴染んだ大きな鎌を持ったその顔は影に覆われ、見えそうで見えずにいる。もしかしたらそこには何もないのかもしれないが、深く考える必要のないことでもあった。
「――わたくしは、只。お土産になるようなお話を伺いたかっただけですもの」
時間も、記憶も流れるものならば。…操るのは、容易いこと。
「まいりましたね。出来るなら忘れて欲しかったのですが」
「…本気でおやりになれば、宜しかったのに」
「………」
「貴方の、その鎌。…本気でその力を解放すれば、わたくしのあの時の力などあっさり跳ね飛ばしてしまった筈ですのに。何故ですの?」
「…何故、でしょうね」
表情の見えないフードの奥で、微笑んだ気配がする。苦笑だったのかもしれないが。
「もしかしたら」
――これで、お別れです。
言葉の合間に、声にならない声を挟みながら、人影が闇に溶けていく。
「――誰かに、覚えておいて貰いたかったのかもしれませんね」
その言葉を最後に、人影はすぅ、と闇の中へ消えていった。
「忘れませんわ。…語るに足る物語でしたもの」
みそのは歌い上げるように呟き、見る者とてない深海の底でゆったりと微笑んだ。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086/シュライン・エマ/女/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1388/海原・みその  /女/13/深淵の巫女            】
【1643/佐久間・啓   /男/32/スポーツ新聞記者         】
【1831/御影・涼    /男/19/大学生兼探偵助手         】
【2073/廣瀬・秋隆   /男/33/ホストクラブ経営者        】


NPC
自称「スズキ・セイジ」

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■         ライター通信          ■
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お待たせしました、「糸切りの刃」をお届けします。
如何でしたでしょうか。楽しんでいただければ幸いです。

それにしても、寒くなってきましたね。舞台もそろそろ冬支度を始めた方が良いのかもしれません。
皆様も風邪など引かれないよう、お気をつけ下さい。

それでは、また別の物語でお会い出来ることを願って。