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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


クリムゾン・キングの塔 【1】墓碑銘の出現



■序■

 ――手始めだとでも言いたげに、あの天使は東京タワーを変えてしまった。333メートルのタワーは、戻ってこない。現在の港区にそびえたっているのは、真鍮で出来た不可思議な塔である――


 ああ、いやに黄色い夕焼けだった。
 その黄色はレモンの黄色や菜の花の黄色ではなく、錆びついた黄色であって、そう、真鍮色と言ったほうがよかったのかもしれない。
 変化を目にした日本国民は多く、その時刻に港区に居た人間のほとんどがその場で立ち尽くし、侵食されていく東京タワーを、ただ呆然と見つめていた。

 がきん、ばきん、
 ぷしゅう、
 ずごんずごんずごん、
 かんかんかんかんかん、
 がたん、ばきん、
 がこォん!!

 やかましい悲鳴を上げながら、333メートルのタワーは真鍮に食い殺されて、ただひとつの巨大な『塔』へと変貌を遂げた。突如虚空から現れた真鍮のパイプやワイヤー、板やエンジンや歯車が、東京タワーを芯にして、不恰好かつ幾何学的な『塔』を作り上げたのだ。
 『塔』を見上げていた多くの者が、どこか遠くで羽ばたく翼の声を聞いた。


 東京都の電波が錆びついてしまって、今ではどう足掻いても、テレビは真鍮色の放送とか受信できない。
 あの変容の日に東京タワーにいた観光客たちは、多くが無事に戻ってきた。
 多くが。
 そう、戻って来なかった者も居るのだ――。
 辛くも『塔』から脱した者たちは、口を揃えて「『塔』の主と名乗る男に会った」と言うのだった。
 男は名乗りもしたという。名前とは思えない名前を名乗った。
 何と言ったか、ああ、エピタフだ。
 その男が何を目的としているのか、一体何が起きてしまったのか、はたまた何を始めるつもりなのか、問い質した者はまだない。
 『塔』の入口は開いている。


■入口にて■

 ぼんやりと北側から『塔』を見上げているよれた男の姿があった。
 真鍮の塔が出現し、東京タワーが消滅してから4日が経とうとしていたが、日本の各メディアの話題はこの塔に関するものばかり。さきの阪神優勝よりも注目していると言えるだろう。無理もないが、その情報を伝えるキャスターたちは皆真鍮色だ。
 ぼんやりと『塔』を見上げる元刑事、志賀哲生の4日間に渡る調査によれば――民放の色彩がおかしくなっているのは今のところ東京だけらしい。テレビ自体がおかしくなったわけではないようで、録画された映像は鮮明なカラーを映し出してくれた。
「……こりゃ、ゲージュツだな」
 哲生が、ぼんやりと呟いた。
「美しいじゃアねえか!」
 豪快な声がそれに続いた。
 哲生が振り向くと、そこには、蒼い武闘着を着た白い男が立っていた。
 『塔』はすでに自衛隊が包囲している――というよりは、自衛隊の監視下に入っているのだが、何しろ今のところ正体が見えない存在のこと、やっていることと言えば、哲生同様にぼんやりと見上げているくらいのものだ。
 『塔』から距離を置いている自衛隊の姿と、真鍮の塔を見比べながら、白い男は碧眼を細めた。
「来週、映画のロケに使う予定だったんだぜ。しっかし、こんなんなっちまっちゃ、脚本から練り直さねえとな」
「……おまえさん、俳優か何かかい?」
「御母衣武千夜だ」
 武闘着の男は、さらりと名乗った。
「こいつに興味があるだけの野郎さ」
「俺もだよ。気が合うな」
 哲生は気だるく返したが、それはとりあえずとは言え、本音であった。
「東京タワーはゲージュツなんかじゃない。もっとずっとダサいもんだ。聞いたところじゃ、天使様サマがいらっしゃるって話じゃないか……そんなクールなもの、この街に合うもんかよ。この街はずっとダサくて結構なのさ」
 哲生の話を、武千夜はずっと黙って聞いていた。哲生がそこまで話し終えると、武千夜はたしても豪快に笑い出した。哲生はぎょっとはしたものの、悪い気はしなかった。武千夜が自分の主張を馬鹿にしたわけではないことがわかっていたからだ。
「ねえ、ちょっと」
 ふたりに、若い女の声がかかった。
 ふたりは振り返ってみて、声の主がまだ少女であることを知った。銀髪の少女の声は燐としていて、ただ聞いただけでは、20代の女性のような力があった。振り向いてみて、その緑の瞳にも力があることを知ることになった。
「ふたりとも、あの『塔』に入る気でしょ?」
 小首を傾げた少女の笑みは、哲生と武千夜の思惑を見透かしていた。
 ふたりの男は、微かに笑って見せたのだ。
「どうして、そうだと?」
「天使の話をしていたわ」
 少女は手にしていたファイルを示した。
「『塔』に天使がいるなんて、お堅いメディアは報道してないもの。天使のことを知ってる人は、この『塔』に興味がある人よ」
「天使がいるってのは、ただの噂じゃなかったか」
「ええ。集団ヒステリーにしては、見たものに共通点がありすぎるわ」
「……で、お嬢さんもこのゲージュツ的な塔に興味があるって言うのか」
 哲生はわかりきったことを口にした。わかりきったことを言う口元は綻んでいた。少女もまた、哲生のものに似た微笑を返す。
「みんな興味を持っているわよ。ただ動かないだけ。でも、私たちは動く」
 『塔』の入口は開いている。
「あ、忘れてた。――私、光月羽澄」


■1階■

 自衛隊をやり過ごして(と言うよりは、制止してきた若い隊員を言いくるめたのだ。まだ危険だと決まったわけでもなし、そちらも情報も欲しいだろうと)、3人は『塔』の入口に近づいた。入口はやはり、開いていた。
 3人は揃って『塔』を見上げる――
 333メートルの東京タワーよりも、若干とはいえ、高いようだ。それとも、塔が醸し出す威厳のようなものが、古びた鉄塔よりも人を圧倒させているだけの話か。
 錆びた金属をこすったときの、鼻と胸がちくちくするような臭いがした。
 生命の息吹は感じられない。
 ……死の臭いもだ。
 哲生には、死の居場所と企みがわかる。だがそれが微塵も感じられずに、哲生は眉をひそめた。期待していたわけではないが、ただ意外だったのだ。この『塔』に死の危険はない。
「入ってすぐ首を刎ねられるなんてことはなさそうだ」
「わかるのか?」
「わかるのさ」
 哲生よりも先に、その言葉を信用した武千夜が――『塔』に入った。
 確かに、真鍮の丸鋸が飛んで来たりはしなかった。
 哲生と羽澄が、続いた。


 きいきい、と何処かで何かが軋んでいる。
 からん、からん、と回っている。
 ぷしゅう、がたん、何処かで蒸気が上がっている。
 がたん、ごとん、と動いている。
 そこは東京ではなく、21世紀の地球ではなかった。しかしこの地球上で、この真鍮製の仕掛けが動いていた時代が、ただの1分でもあっだろうか。真鍮は――小洒落た飾り物のためのもの。金ではない物を金に見せる。神の偶像、香の受け皿、5円玉、そういったものに使うはずだ。その真鍮が、この塔を生かしている。
 真鍮たちは、4日前に現れたものにしては、古びていた。何千年もの歴史を知っているかのようだった。磨き上げられたものはひとつもなかった。床は、何千もの人間たちが土足で踏み拉いてきたかのように、黒ずみ、輝きを失っている。
 きい、がたん、ごとん、きい、ぷしゅう、からん、からん――
 真鍮のパイプや板や、オブジェじみた突起、真鍮のネジと釘に打ちつけられた真鍮の壁の真鍮板、すべてが訪問者を受け入れて、ただじっと見つめているかのようである。
 変わらず生命の息吹はなく、ただ、真鍮のギミックが意味もなく(そうとしか、今は見えなかった)稼動し続けているのだった。
 道は至極無秩序に張り巡らされているかのようだ。
 真鍮の階段を上ったかと思えば、行き止まり。もしくは、すぐに下り階段が現れる。まるで訪問者たちを謎にかけて観察しているかのようだ。いくつもの真鍮のドアが現れたが、どれにも鍵はかかっていなかった。見事な細工の鍵穴とノブを伴ったドアもあれば――パチンコ店の裏手にある『関係者専用』のように、無愛想なドアもあった。すべてのドアは、ノブを回せば素直に開いた。鍵穴はただの装飾なのか。真鍮の本来の用途を、そこだけが思い出しているのだろうか。
 もう何十度目であろうか、階段を上って、下りて、ドアを開けたのは。
 そのとき、真鍮が鳴る涼やかな音色が『塔』を彩った。そのドアには、ドアベルがついていたのである。


「かれが悪戯をしていたようだね」
 真鍮の暖炉に腰掛けていた男は、漆黒のカソックを着ていた。真鍮の壁飾りを後ろにして、脚を組み、『考える人』のように頬杖をついていた。
 錆びた黄金色ばかり見ていた3人にとって、そのカソックの黒はやすらぎであった。だが男の声は、人間のものではなかった。真鍮製の蓄音機が奏でる、錆びついた金属音のようだった。
 羽澄は、背に回した手に鞭を握り締めていた。この鞭が必要ではなくなることを願いながら、顔を上げた男の目を、正面から見据えてみた。
 敵意も悪意も善意もない。
 子供のように無垢な好奇心と歓迎。
 羽澄は、鞭を持つ手の力を緩めた。
「僕から謝るよ。『どのくらい歩いたんだい?』」
 その、質問が――
 ずしん、と心に突き刺さった。
 真鍮の剣が、三人の心を貫いて、真鍮の金槌が、その剣の石突を打ちつける。
「1時間くらいな」
 武千夜が、答えるような、同行者に同意を求めるような、そんな言葉を口にした。羽澄と哲生は頷いた。
「『かれには会わなかったのかい?』」
 ずしん。
「……いいえ」
「……というか、誰だ、かれって」
「この塔で会った他人は、あんたが初めてだ」
「そうか」
 男は嬉しそうに笑うと、暖炉からゆっくりと降り立った。
 3人は、思わず口を開けた。
 男の背後にあった、幾何学的な真鍮のオブジェは――男とともに動いた。それはオブジェではなかった。男が背負っていたのだ。
「――『墓碑銘』?」
 羽澄が尋ねた。
「ああ、エピタフだよ」
 天使が微笑んだ。
「『この塔に、何の用だい?』」

 ずしん!


■墓碑銘との問答■

 3人の目的は大体のところで共通だった。
 東京タワーがこの『塔』と化したあの日あの時、展望台や、古き良き土産物屋、レストランに、人がいなかったわけはない。東京タワーは東京の名所で、いつでも訪問者を歓迎していたのだ。この『塔』と同じように、いつでも入口は開いていた。
 東京タワーが真鍮に侵食されてからすぐに、タワーに居た客や従業員の9割が、血相を変えて脱出した。だが、9割なのだ。
 戻らなかった人間は、未だに戻ってきていない。
 この『塔』が危険か安全か、その未帰還者の状態が決めること。
 包み隠さず、3人は話した。行方不明者を探し出したい気持ち、それが共通していたのだから。
「なるほど」
 エピタフは無髯の顎を撫でて、感慨深げに頷いた。
「大丈夫だよ。心配しなくても、僕らはきみたちに危害を加えるつもりはないから」
「僕『ら』?」
「ああ。ここに居るのは僕だけじゃないからね」
「他にも天使サマがいらっしゃるってのか」
「僕らが天使か神か悪魔かただの人間か、決めるのはきみたちだ。それはともかく、この『塔』は僕が管理しているけれど、創るのも壊すのも頂上に住むのも徘徊するのも、僕じゃない」
「その他のひとたちに会えるかしら?」
「お互いに会おうと思えばね」
 3人は顔を見合わせた。
 羽澄と哲生の調べによれば、『塔』で目撃されたのはこのエピタフだけだ。黒髪、40代の白人、背に生えている真鍮の飾り物――証言と何もかもが合致――いや、ひとつだけ違う点がある。それは目だ。
 エピタフの目は、3人には透き通った青に見えた。それが、かき集めた情報では、はしばみ色であったり、黒であったり、赤であったり、まちまちだったのである。
「エピタフ」
 呼ぶと、天使は羽澄を見た。
「帰れない人たちを探してもいい?」
「いいとも。でも、帰られるかどうかは彼ら次第だよ。きみたちが如何こうできるものじゃないだろうな」
「言いやがる。まるで天使サマだな」
 思わず毒づいた哲生に、エピタフは悲しげな色を見せた。
「何かの心を傷つけるようなことを言うのは感心しないよ」
「おまえは傷ついたのか?」
「少しね。ちょっとだけ、『罰』」
 じぃーっ!
 その音は、幻か現実か。エピタフが、己の唇に手をやって――ジッパーを締めるような仕草を見せた。
「『きみは締めたジッパー』」
「……!」
「反省してね」
「……」
「反省した?」
「……」
「もういいよ」
 じぃーっ!
 ぷはッ、と哲生が息をついた。
「おい、……どうかしたか」
 武千夜がとりあえず、気遣った。哲生は思わず肩で息をしていた。息が出来なかったわけではない。ただ――
「……締めたジッパーになった気分だった」

「行っておいで」
 エピタフは微笑んだ。
 その笑みは、天使のものか、神のものか、はたまた悪魔のものなのか、真鍮のロボットのものなのか。それは、3人が決めること。
「見つけようと思えば、見つかるよ。かれに会ったら、案内を頼むといい。悪戯のお詫びをしてくれるさ」


■ホウ・ハイ!■

「ひでエ目に遭ったな」
「あいつは悪魔だ」
 武千夜に背中を叩かれながら、哲生はむっつりと毒づいた。
「ねえ、哲生さんは『罰』を受けたのよね」
「みたいだな」
「帰らなかった人たち……ひょっとしたら、エピタフを傷つけたんじゃないかしら? それで、『罰』を受けてるのよ。エピタフについた傷に見合った『罰』」
「あいつ、ひょっとすると、教えてくれただけじゃアねえのか?」
「……俺をダシにしたのか」
「説明しづらいなーって思ったときに、哲生さんがあんなこと言うから……」
「言いやがる」
 また、哲生は毒づいた。哲生は哲生のままだった。彼は、真鍮のジッパーなどではない。

 1時間歩き回ってもなかったものが、エピタフが居た部屋を出たあとには――出現していた。上の階層へと続いているらしい、真鍮の梯子だった。
「レディーファースト、ってな。お先にどうぞ、お嬢さん」
「……武千夜さん、私、スカートなんだけど」
「おっ? そうだったか。スマンスマン、わっはっは!」
 反応に困る羽澄と哲生をよそに、武千夜が梯子を上り始めた。羽澄と哲生は無言で顔を見合わせ、哲生が何も言わずに頷きながら、武千夜のあとに続いた。

「ホウ・ハイ! ホウ・ハイ! ヨイ・ホウ・ハイ! おまえの頭に8印!」
『タツカナマス、ダンソアハキサ』
 錆びた笑い声が、梯子を上りきった3人を出迎えた。
 そこでは、風が吹いていた。
 かつて東京タワーであった頃、ここには展望台があった。スモッグがかった東京を見渡せたのだ。
 真鍮の柱が天井を支えていたが、壁はなかった。風が絶えることなく吹き抜けていく。壁のない展望台の隅に立っているのは、エピタフと同じ、翼状の真鍮飾りを背に負った――
「神父の次は船乗りか」
 哲生が呟いたように、ブリキのオウムを肩に止まらせた、大航海時代の船乗りだった。遠めがねで東京を眺めている間じゅう、船乗りは酔っ払ったような奇声を上げている。
「ホウ・ホウ・ハイ! ヤイ・ヨー、ヨー・ホー、足伸ばせ!」
「おい、あんた!」
 武千夜が声をかけると、船乗りはぐむっと文句を喉に詰まらせた。振り向いた男は、エピタフと同じような白人系の顔立ちだったが、見事に日焼けしていた。
「なんでェ、スミス」
「おいこら、俺はスミスじゃない。御母衣武千夜だ。ここに人間が居ただろ。帰れなくて困ってるやつを助けたい」
「ヨウソロわかった水夫長、南南西に舵取りな!」
『ルケアオチミノイセンナンナ。イヨガクイニモトトマカナ』
 船乗りは、びしと南南西を指差した。ブリキのオウムが、耳障りな鳴き声を上げた。
 何のことやら。
「おい、旦那!」
 武千夜が振り返ると、哲生が顎をしゃくった。
 がこん、ばきん、がしゅん、
 真鍮の歯車が音を立て、展望台が動き始めた。
 柱が沈み、天井に収納され、壁が現れ、真鍮板の通路が出来る。
「ヨイ・ホウ・ハイ! 錨を上げろ! 帆を張りやがれ! ホウ・ホウ・ホウ!」
『チタヨリンハノワトノウオノクンシ、ウオアタマ』

「……あいつは何だ、言ってることがさっぱりわからんかったぞ」
「酔ってたな」
「オウムはちゃんと喋ってたわよ」
「なに?」
「ホントか?」
「……と、思うけど」
 羽澄がそこで、あ、と声を上げた。罪人が罰を受ける、地獄がそこにあったのだ。
 無音の地獄であった。


■エピタフへの問い■

 救うことは出来なかった。
 彼らはただじっと横たわっているか、立ち尽くしているか、ネジを回し、釘を打っているだけ。
 彼らは望遠鏡、ソファー、ドライバー、金槌、……『道具』であった。
 哲生があの一瞬、ジッパーになってしまったのと同様だ。
 釘を打つ手から血が噴き出しても、ネジを回す指の爪が欠けても、道具は文句を言わず、また、道具であることをやめることは出来ない。
 エピタフは言った。傷ついた、と。
 人を傷つける人は、罰を受けるべきなのか――
 3人は、一心不乱に手で釘を打ち続ける若い男を、取り敢えず叩いたり引っ張ったりしてみた。だが、男は何も言わなかった。3人が見えていないかのように、黙って、血が流れ肉が裂けている手で、真鍮の壁に真鍮の釘を打ち続けている。
「どうして?」
 羽澄は、柱の陰で空気椅子をしている男を見つけた。この男は、椅子なのだ。その膝に腰かけても、きっと文句を言わないだろう。
「どうしてこれが、罪人のあるべき姿だと思うのかしら? どうしてこの塔の色が、あるべき未来だなんて思えるの? ――エピタフ!」

「こわいわ、レタスよ。キャベツみたいなレタスよ。こわいわ、えぅ、ぇう、ぇう!」

 透き通った少女の声が聞こえて――床の、3人が立っている部分だけが、唐突に消え失せた。
「ぅおッ、と!」
 真鍮色の奈落に落ちる中で、哲生が手を伸ばした。
 黒いような灰色のような、そこにあるようでそこにはない、死臭がする鎖が、哲生の手から伸びた。鎖は意思あるもののように、真鍮のパイプに絡みついた。
 哲生の足を、武千夜が掴んだ。
 その武千夜の足に、ほそい鞭が巻きついた。切れそうで切れない鞭は、羽澄のもの。
 3人は、風が吹き荒ぶ外にいた。
 監獄の真下は、地上20メートルの吹きさらし。
「……何だ、俺たちァ、いつの間にこんな高いトコまで?」
「旦那……足が千切れる……」
「ね、聞いた?」
「……何を?」
「女の子の声がした……」
「俺は、それどころじゃ、ないぞ」
 哲生は鎖に両手ですがった。
「でも、聞いた」

 3人は、落ちた。
 だが下ではすでに自衛隊がクッションを広げていてくれていた。
 3人が見た『塔』は、入ったときよりも高くなっているような気がした。『塔』の北側は大変な騒ぎになっていたが、どうやら塔の南側でも騒ぎが起きているようだった。
 訪問者は、3人だけではなかったようなのである。


「エピタフ、あんたァ、何のつもりだ」
「人間の為にやっていることだよ」
 武千夜の問いに、エピタフの錆びた声が答える。
「きみたち森の人々は、本当に、いつまでも変わらないね」
「……前にもあんたらは、来ていたのか」
「1000年前に来たよ。2000年前にも来た。変わらないきみたちと、変わっていく人間たちを導いたよ」
「で、また導くために、来たってのか」
「僕らは、そのつもりだけれどね」
 声は今や、真鍮の塔の上から聞こえてくるのである。


 そうして、『塔』は、入口を開けたままにしている。




<了>

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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【0086/シュライン・エマ/女/26/翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト】
【1282/光月・羽澄/女/18/高校生・歌手・調達屋胡弓堂バイト店員】
【1533/藍原・和馬/男/920/フリーター(何でも屋)】
【1803/御母衣・武千夜/男/999/スタントーディネーター】
【1943/九耀・魅咲/女/999/小学生(ミサキ神?)】
【2151/志賀・哲生/男/30/私立探偵(元・刑事)】

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               ライター通信
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 モロクっちです。お待たせしました。『クリムゾン・キングの塔【1】』をお届けします。初めての「界鏡現象〜異界〜」ノベルということで、緊張しましたが、好きな世界を描くことができました。
 今回のノベルはふたつに分割しています。先行組と後行組ですね。ふたつ合わせて読むと、片方ではわからなかった事実が見えてくるかと思います。タワーに行って戻らなかった人々は、皆さんのおかげで生還することが出来ました。大変な状態ですけど(汗)
 ほんの少しですが、個別の部分もあります。皆さんの個性がここで出せていれば幸いです。

 『塔』はまだ、誰も『クリムゾン・キングの塔』と呼んでいないことにお気づきでしたでしょうか。いつしか、呼ばれることになるのです。まだこの段階では、謎の真鍮の塔です……。

 この異界がお気に召した際は、また是非お越し下さいませ。
 エピタフ同様、お待ちしております。