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<PCシナリオノベル(シングル)>


後編D/孤独の居場所〜希み

「…お前らいったい、何を連れて来た――?」
 何処か、虚ろな声で。
 真咲は呟いた。

 それから。

 反射的に真咲がカウンターから出、動こうとする――が、それを遮るように汐耶が自分の前方に手を伸ばす方が早かった。
 汐耶は邪妖精の群れを鋭い瞳で見ている。それを確認し、真咲は動くのを止めた。何故ならそのモーションは、彼女の持つ『封印能力』の発動と見たからだ。
 邪妖精の群れ、即ち『虚無の境界』に狙われたのは自分だと――そう、狙われたのは、汐耶だ――今の間で、気付いたのか。
 真咲は驚いたような顔をして、汐耶の素早い反応を見ている。
 と。
「――綾和泉さん」
 伸ばされた手のその先の。
 邪妖精の、群れが。
 凍り付いたように動かなくなった。
 何者かに呪縛でもされた――ように。汐耶に封印された。その周囲の空間ごと。閉じられた。

 …何だか可愛らしい見た目だけど…真咲さんの顔と反応見るに、危ない相手ってのは確かそうじゃない?

 思いながら汐耶は、邪妖精の居る空間を『封じた』まま、持っていた鞄を探る。汐耶の能力で封印を為すには何か媒体があった方が確りと出来る。逆に言えば何も無しでは不安が残る。鞄の中に封印の媒体としてちょうど良い物はあるか。鞄から出てきたのは三冊の本。読み掛けの推理物の文庫に、友人に返却する予定で持っていた物、今読んでいる物が読み終わったら読もうと思っていた雑学系の新書――である。借り物の本は当然却下。だったら選択肢はふたつ。どちらでも媒体として不都合は無さそうか。だったら読み掛けでない物の方が。…読み掛けは続きが気になるし。
 汐耶は新書を選び取り、再び先程『取り敢えず』封じた邪妖精に向き直る。
 そして。
「…厄介そうだからとっとと終わらせてもらうわね」
 ひとこと告げた汐耶は新書のページの適当なところを捲ると、おもむろに開いたページを邪妖精たちの群がるその一帯に向けた。
 と。
 光が爆発する。
 刹那。
 ――唐突に、邪妖精の群れが消えていた。
 それを目の当たりにした一同は瞠目している。
「…どうかしら」
 そんな面子を気にもせず、静かに本を閉じながら淡々と告げる汐耶。
「…っと。こう言う訳ですから。命に代えてもなんて、思う必要は無いですからね――真咲さん」
 私は私を守れます。
 ちら、とカウンター内側の真咲を見遣り、たった今為した信用に足る行動も合わせて――汐耶はさらり。
 名指された真咲は目を瞬かせた。
「そのようですね」
 そして、ふ、と力が抜けたように微笑む。

 が。

 転瞬。
 …何が起こったのかわからなかった。
 ただ、汐耶が気付いたその時には。
 カウンターのこちら側、彼女と黒服の間、すぐ近くで真咲が既に激発済みの――銃口から細く煙さえ吐いている拳銃を持っていた。思えば銃声も聞こえた気がする。
 ふと下を見ると、邪妖精が一匹落ちていた。
 更によくよく考えると、汐耶の視界の隅で、小さな何かが鋭く飛んで来ていたような…。あれは邪妖精だったのか。…と、なると群れの中に居た訳では無い?
 …それを撃った、のか。
 今の数瞬の間に、カウンターを越えて、拳銃を。…この拳銃、汐耶の記憶が確かならどうやら先程黒服が持っていた物だ。一度取り出された時に、見ている。…それを奪うと言う行動まで含めて、今の間に?
 ――尋常では無い。
「…俺にはっきりと視認可能と言う事は、投影されただけの映像でも無い限り…例え妖精であろうとなんであろうと、取り敢えず具現化はされている物理存在と見て良いと思われますので」
 大したダメージにはならなくとも、簡単な衝撃くらいは届く筈――極僅かな時間稼ぎくらいは通常武器で充分可能な筈です。
 拳銃を持つ真咲がそう説明し掛けた刹那、いつの間にか黒服の手に握られていた、対魔仕様の霊撃銃の方が床に落ちた一匹の邪妖精に向け数回火を吹いた。
「我々の動きを前提にしますか…」
 邪妖精が動かなくなり、やがて掻き消えるように消滅したのを確認してから長髪の黒服がぼやく。
 今の真咲の行動は、何か為そうと別方向からスピードを上げて飛んできた一匹の邪妖精に気付くなり、カウンターを飛び越え、先程見掛けた――事前に確認できていた黒服の拳銃を奪い、邪妖精を撃ったと言う事だろう。…ここまでの行動は意志による行動と言うより殆ど反射の領域。それは臨戦態勢にある『白梟』の技能。更に言えば邪妖精に通常の拳銃は殆ど効かない。ただそれでも、撃たれればそれなりの衝撃は齎される。そう、飛んでいたところを叩き落とされて、一時行動不能程度にはなる。…殆ど効かないとは言え、ちょっと平手で殴られた程度の効能だけならあるのだ。
 …出鼻をへし折るには充分な。
 但し当然、それだけでは何も根本的な解決にはならない。邪妖精もすぐ復活する筈だ。
 そこで、注意が逸れた黒服がその僅かな時間を活かし霊撃銃を出すと、とどめを刺す。
 …今の動きはそこまで計算していないととても出来ない。
 案の定、当然のように真咲が口を開いた。
「…お前らが遅いんだ」
「我々が『白梟』の反射に勝れるとお思いですか」
「実戦になれば言い訳はいらない。…負けると思うなら勝てる別の手段を用意するだけの事だろう」
 甘いぞ、お前ら。
 あっさりと言い、真咲は表情を変える事もせず銃を持った片腕だけを大きく動かした。別方向。正面から横――右手に。その方向には何も無い――少なくとも何も見えない、が。

 ガゥン

 些かの躊躇いも見せず再び真咲が発砲した。
 と。
「きゃうっ!」
 この場に似つかわしく無い、少女の物と思しき悲鳴が響く。
 続き――何も無いと思えたそこに、ツインテールの少女がへたり込んでいた。
 ぱたぱた、と数匹の邪妖精が少女を庇うように飛んでいる。
「…邪妖精の召喚師ですね」
「なっ…なんでっ…!」
 銃撃された事、それと合わせ――そこに居るとバレた事に慌てる少女。
 今、彼女の姿は――邪妖精の手による幻覚で、隠されていた筈なのに。
 彼女――リカテリーナ・エルは、銃撃された事にがたがたと震えながら真咲を見上げる。
「俺に幻覚の類は殆ど効きません」
 そのタイミングで真咲が口を開いた。
「…ついでに言うと、今貴女を撃ってはいませんよ。何処も痛くは無いでしょう? …銃を向けられるのは初めてですか」
 事実、リカテリーナの方に怪我をした様子は無い。よくよく見れば…彼女のへたり込むその膝の少し前辺り、床に弾痕が穿たれて薄く細い煙を立ち昇らせている――どうやら、初めから外す気で外している。
 とは言え、普通の神経なら、これだけでもかなり効く筈だ。今の真咲の、そうするのが当然、とでも言いたげな態度での撃ち方はまさか予め外すつもりだとは思えない。実際に撃たれた訳では無くとも精神的にショックは来る。
 …但し、邪妖精召喚師…虚無の境界となると、例え見た目が子供であっても普通の神経かどうかはわからないが。ある意味、賭けのようなものではあった。
 まぁ今の場合に限っては――真咲は十中八、九、これで召喚師の足が竦むだろうとは思っていたが。
 何故なら――。
「可憐な女の子脅してるんじゃないよ。オニイサン」
 ――唐突に。
 今までそこに居なかった筈の別の声が響いた。
「真咲さんっ!」
 汐耶は突然現れたその声の主の姿を目で捉えるなり、注意を促そうと咄嗟に叫ぶ。
 が。
 …その現れた声の主により真咲の身体がボックス席のテーブルに吹っ飛ばされる方が早かった。
 人間ひとり分の塊が投げられる荒っぽい音が店内に響き渡る。
「…やはり伏兵が居ましたか」
 吹っ飛ばされた真咲は、ゆっくりと立ち上がりつつ、存外平然と、突然現れた声の主――鬼湖藍灰を見遣る。
 その態度を見、湖藍灰はすぅと目を細めた。
「ふぅん。…俺を引っ張り出す為にリカ撃った訳か?」
「…本当に撃ってはいませんよ」
「…リカを本当に傷付けてたら殴り飛ばす前に速攻で殺してるよ」
「でしょうね――この子は貴方の『お気に入り』、ですか」
「それをわかっていてリカに銃を向けた、と」
「…わかっていたから撃たなかったんですよ。貴方のような方の『お気に入り』に、虚無の境界の名に相応しいような明らかな異人が居るとは到底思えませんからね」
 実際に撃つ必要も無いと判断しました。その方が良策だと。
 湖藍灰は僅かに片眉を跳ね上げた。
「…ほぉ。リカでは無く俺の方を意識していたとはね。案外平気な顔して立ってるのもそれ故か?」
「貴方のような方に本気で抗せるとは思ってませんから。来ると思ったら受身を考えていた方が建設的でしょう」
「闘い慣れてるね。さすが春のお気に入り」
「…まさかあの人と同じ『気』を持つ方が虚無の境界に居て動いているとは思いませんでしたが」
「そっか、お前は春――春梅紅だけじゃなく、『兄貴』のお気に入りでもあったんだっけ。と、なると俺みたいなのは慣れてる訳か。ちょっとした誤算だったな」
 簡単に言うと湖藍灰は小さく肩を竦める。
「その通りです。『慣れてます』から。俺では貴方には敵わない。もう、肌で感じられますからね」
 言いながら、真咲は再び銃口を上げた。今度は――リカテリーナを拳銃で狙っていた長髪の黒服に。
「…やめろ」
 真咲のその行為と声に黒服は目と耳を疑った。
 邪妖精の召喚師。そんな専門職は虚無の境界以外には居やしない。――どんな見た目の何者であろうと、虚無の境界である事がわかった時点で殺すのが最上の手段。
 何故止める!?
 …IO2から抜けるのみならず虚無に寝返るか!?
「何のつもりですか!?」
 黒服は思わず声を荒げた。
 が、それに返るのは淡々とした真咲の声。
「…その娘を傷付けたらお前らが死体になるだけだ。この男に瞬殺される。無駄死にする気か?」
 言って、顎で湖藍灰を指し示す。
「な…!?」
「そうですよね。…ああ、お名前を伺っておりませんでした」
「名前…そうだったね。湖藍灰(ふーらんほい)だよ。湖の青色を示す名でね。そう言うお前は確か真咲御言だったか」
「ええ」
「…お前が今IO2に居ない事が凄く有難く感じるねえ」
「それはあまり嬉しくない感想ですね。虚無の境界の構成員に言われては、戻らなければならなくなるじゃありませんか」
「本気?」
「どうでしょう?」
 言いながら、真咲は銃口を黒服から湖藍灰に移動させた。
「…この場の平穏を守る為にどうしても必要だと言う事なら、IO2の一兵卒に戻る事も辞しませんが――」
 と、そこに。
「…さっきまで言っていた事と逆ですよ、真咲さん」
 毅然とした声が飛ぶ。
 汐耶。
 真咲はその姿を視認した。
「…あのですね、綾和泉さん」
「冗談でもやめて下さいね」
「本気ですよ。それがここを守る為に必要と言うならば。俺はここに居るべき人間では無いんですから」
「そんな言い方していると私怒りますよ」
「…」
「IO2に居たくなくて出て来たのなら、最後までそれ貫いて下さいね。それでもし守られたとしても、自分が情けなくて気分が悪くなりますから。…それに、そう思う事こそ、巻き込まれた人間に対して無責任だと思いませんか。居るべき人間じゃないなんて、そんな風に言わないで下さい。
 真咲さんはもう結構長い事ここに居るんですよね。だったら…マスターだって、私と同じだと思います。真咲さんの犠牲で守られたとしても、何も嬉しくありません」
 きっぱりと言う汐耶。
 数瞬の静けさ。
 やがて、小さく息を吐くような…音がした。
「…忘れるところでしたね」
 迷惑ならば初めから。
 けれど、その迷惑を今更覆すと言うのなら――彼らは、更に迷惑と思うだろう。ひょっとすると、無力感さえも与えてしまう。
 自分の我侭で迷惑を掛けた今までを、すべて無駄にするような事になる。
 …そんな、莫迦にした事を。
 今更?
 緩く頭を振りつつも、真咲は拳銃を湖藍灰に向けたまま。腕は指はぴたりと動かないまま、銃口が僅かにブレもしない。
「有難う御座います。汐耶さん」
 思い出させて頂きまして。
 言うと、真咲は湖藍灰を見ている。
 …汐耶は、真咲に汐耶さん、と姓ではなく名の方で呼ばれた事に思わず目を丸くしていた。
 が、真咲は特に気にもせず、改めて口を開く。
 今度は、湖藍灰に。
「…退いては頂けませんか」
「どうして?」
「険呑な方に居座られては商売に差し障りがありますので。まぁ、諦めてこちらに余計なちょっかいを出す事を止めて頂けるのなら――別段貴方がたがその後ここに居ようと構いはしませんが」
「…おいおい。『虚無の境界』に対して説得が効くと思うのか?」
 苦笑しながら湖藍灰。
「貴方のような方相手ですから話を試みているだけですよ」
「…信用されてるもんだね。『姉貴』も」
「信用とは少し違いますね。春梅紅の――貴方のような方の取りそうな、行動原理を知っているだけですよ」
「へぇ?」
 試すように先を促す湖藍灰。
「そうですね。先程から貴方がリカと呼んでいる…この彼女が、理由でしょうか?」
 貴方が『そこ』に居るのは。
「そう思えるならお前は甘いよ」
「…そうでしょうかね。幾ら鬼家の仙人とは言え…正道の戒律を破るのはあまり好まない筈でしょう?」
「戒律なんぞ嫌いだね。元々『鬼』は隠者の道。しがらみは一切好まない。ただ在るがまま、誰にも文句は言わせない。それが我らさ」
「…それでも仙界に在る以上」
「階級は無視出来ない筈だろうって?」
「正道では貴方の立場は穢れに含まれる。違いますか」
「…違わんよ。『鬼』の名は伊達じゃない」
 穢れも何も関係ないさ。
「知っていますよ。…けれど鬼家の仙人は――たったひとつだけ、自ら好んで捕らわれるしがらみがある。そしてその、たったひとつのしがらみを護る為ならば――どれ程己の立場が不利になろうと、何でもするんですよね」
 どんな事でも厭う事無く。
 本来ならば意に染まない筈の事でも平気でやるでしょうね。
 ただ、『お気に入り』のその相手を際限無く甘やかす訳じゃない。
 ――『お気に入り』のその相手が、在るがままで『生きる』事をただただ護り続ける。
 その生き方が間違いであろうとなかろうと。
 人に後ろ指差されるものであろうとなかろうと。
 正す為の介入などは一切せずに。
 ただ、その相手の天命が尽きるまで。
「…」
「俺はその事も良く知っているんですよ」
 静かに告げる。
 そして真咲は銃口を下ろした。
「代行っ!?」
「真咲さん!?」
「…驚く必要はありませんよ。どうせこの相手には銃を向けていても無駄なので」
 撃ってもまず当たりませんし。
 万が一当たってもその時点で報復食らってこちらが殺される可能性も高いですしね。
「…ってさ、結局『姉貴』が心底信用されてる事は変わらないんじゃないの」
「まぁ、そうとも言いますね」
「…でも俺の立場ってものもあるんだよ」
「考慮しましょう? 但し、だからと言ってそちらの思惑通り大人しくされるがままになる気はありませんが」
「そりゃ随分譲歩した言い方だな?」
 …元IO2の…それも元『テロ対策班』統括代行の発言とは思えない。
「俺はIO2ではありませんから」
「そこに捜査官がふたり居るが?」
「末端の兵隊をふたり殺しても貴方がたにとって大した意味は無いと思えますが」
「まぁな。いや…ああ、そう言う事か、連絡されるとお前も困る訳だもんなあ」
「…それはこの際どうでも良いですよ。貴方がたがどうしても諦めないと言うなら、最後の手段として俺自身でもIO2に連絡入れる覚悟はありますし。何だかんだ言ってもあそこが一番、対・虚無の境界を考えるなら有効な組織である事は確かですから。まぁ…なるべくならそうはなって欲しくないですけどね」
「じゃあ取り敢えず俺たちに求める事は…帰れと言う事だけで良いのかな?」
「…まぁ、そうですね。それと、もう二度とここに妙な事を仕掛けて来ない事も肝要です」
 先程も申し上げた通り、ただの客として来るだけならば文句は付けませんが。
「ちょ…真咲さん!?」
「…無論、他のお客様に御迷惑を掛けない事を前提で。…そうですね、ひとまず、汐耶さんの命を狙っている以上はとても、貴方に良い顔は出来ませんよ」
「…そうだろうね。このお嬢さんはお前にとってどうやらちょっとばかり特別な様相だ。ま、仕方無いか」
「ちょっとどゆ事!? 湖ちゃんっ」
「さっきも言わなかったっけ、こいつ『姉貴』のお気に入りなんだよね」
「それって何も理由にならないよっ!!」
「まぁその通り。でもね、ひとつだけ図星な事があっちゃったからなあ」
 のほほんと言いながら湖藍灰はリカテリーナに向け、意味ありげに微笑む。
「…?」
 首を傾げるリカテリーナ。
「わからないならまぁ良いや。とにかく弱点突かれちゃった以上ねえ、俺としては撤退したいんだよね」
「は? 湖ちゃん!?」
「リカの邪妖精は殆どそこのお嬢さんにあっさり封印されちゃったし、実は今回打とうと思っていた手は殆ど塞がれちゃってるんだよね」
「ええーっ!? でもでも今回の計画失敗しちゃったら…!」
 虚無の境界が困るんじゃ…!
「いや、それは別に良いんだよね。今回は様子見だから」
「…は?」
「できるようならやっちゃえって話ではあったんだけどね、ちょっと無理でしょ」
「聞いてないっ」
「リカには言ってないもん」
 一瞬、沈黙が通り過ぎた。
「どーしてーっ!?」
「今回の計画、お前の教育も含めてたって知ってた?」
「え?」
 きょとんと湖藍灰を見るリカテリーナ。
 澄ました顔で湖藍灰はちらりと視線を返す。
「状況の判断を養う為のね。…さて、今回の目的はなんだったっけ?」
「…リカの邪妖精で場所を攪乱して、その女を殺す…んだよね」
 その女、と言いながらちらりと汐耶を見る。
「そう。俺は作戦に手を出さないって予め言ってたよね」
「でもっ!」
「じゃあ、今のリカに打てる手は?」
「…う」
「リカ?」
「…無理なら…取り返しのつかない失敗するよりは、撤退…した方が良いんだよね」
「よくできました」
 リカテリーナに向け、湖藍灰はにっこりと微笑む。
 そして。
「…とは言えやっぱり建前ってモノもある」
 ひょい、と何処からともなく湖藍灰が取り出したものは懐中時計。
 黒服たちは眉を顰めた。
 その『時計』、何処か、異様な気配が…?
「タイムリミットは五分。それを過ぎれば、この『時計』が無差別で近隣一帯の怨霊を引き寄せる『核』になる。どうなるか予想は付くかな?」
「なっ…こんなところに人為的に怨霊を集めれば…っ!」
「…?」
 黒服の反応に訝しげな顔をする真咲。
「どう言う意味だ」
「この場所は…霊的な磁場が高いんです。我々がここに来たのも…それを調査する為の事…!」
「…元々、虚無の境界の標的になると見てここに来た訳か」
「そこに貴方が居た事こそが想定外も良いところだったんです!」
「…そりゃ悪かった」
 少しも悪びれずぽつりと言う真咲。
「そ。そちらの黒服さんの言う通り虚無の境界にとってここは目を付けている場所のひとつ。つまり俺個人は完全に手を引いたとしても他の誰かはいずれ来る訳だ」
「でしたら、平気な顔で貴方がたに店内に居てもらう訳には参りませんね」
「だろうね」
 あっさり答えたその時には、湖藍灰の姿は――彼に抱き上げられるような形になっているリカテリーナと共に店の出入り口のすぐ側に移動していた。
 中途半端に開かれたドアのベルが不規則に鳴っている。
「じゃ、またな?」
 悪戯っぽく言うと、湖藍灰はそのままリカテリーナを連れ、ドアの外に身を翻した。
 それを見るなり黒服が彼らの消えた店のドアに駆ける。
「追うな!」
 真咲のその声にもかかわらず、ふたりを真っ先に後を追跡しようとした長髪の黒服は、彼らの消えたドアにがん、と張り付く。が、そこから外を見た時には既に、当然の如くふたりの姿は無い。後を追うにも気配も何も残っておらず、仕方無く踵を返し戻ってくる。…からんころんと空しくドアベルが鳴っていた。
「…それよりこっちだ」
 示されたのは残された『時計』。
 不用意に触れる事も躊躇われる、呪物。
 かちり、かちり、と時間を刻んでいる。アナログの時計。針は十二時の、四分…三十五秒前。本来の時間とは違う位置に針がある。わざわざその時間に合わせてある。つまりこの時計で十二時になったら、と言う事か。
「見せて下さい」
 鋭い汐耶の声。
「つまりこれって霊的な時限爆弾と考えれば良いんですよね…だったら…『封じて』みます」
「…汐耶さん」
「封印なら私の専売特許ですから」
 言って、汐耶は湖藍灰の置いて行った懐中時計に触れる。
 と。
 程無く懐中時計の針が停止した。
 真咲が汐耶をちらと見る。
「…御苦労様です」
「できた、と思って良いのかしら?」
 そろそろと『時計』から指先を離し、汐耶。
「針が止まりましたから。呪物の『時計』である以上、針が止まったと言う事は時が止まった事になります」
「呪物…」
「貴女がお仕事で取り扱っている『曰く付きの本』と似たようなものだと思って頂ければ」
「だったら…これで封印出来ている筈です」
 改めて汐耶は頷く。
 いつも取り扱っている本と似たようなものだと言われれば、封印の中でも一番の得意分野と言える。ならば、これで封印出来たと汐耶当人にも確信できる。
「そうですか」
 ほっとしたような顔で真咲が汐耶を見る。
 と、先程真咲に名の方で呼ばれた事を改めて思い出し、汐耶の顔が俄かに赤くなった。
 それを見、小さく微笑んでから真咲は顔を上げる。
 先程の拳銃を漸く、黒服に手渡した。渡された方は複雑な表情で真咲を見ている。
 と。
「…マスター」
「なんだ」
「どうしてもお願いしたい事があるんですが、宜しいですか」
 唐突に自分を呼んだ真咲のその科白に、紫藤は訝しげに目を細めた。
 そして、ゆっくりとその顔を見返す。
 …と、真咲が店の前に転がっていた七年前のあの日――初めて見たその時と、同じ瞳をしていた。
 但し、過去に得た猛禽の名に似合わぬ、ごくごく僅かな脅えの――負い目の光は、そこにはもう無い。
 と、なれば。
「…もう『要らん』と言う事か」
「はい」
 静かに頷く。
 黒服ふたりも訝しげな顔をした。
「…何です?」
 体格の良い方の黒服が問う間にも紫藤は無言のまま指先でちょいちょいと真咲を近場に呼び付けている。素直にそれに従う真咲のその首根っこを、手が届く位置に来るなり乱暴にぐいと引き寄せた。が、あれだけ動ける人物である以上抵抗のしようは幾らでもある筈なのに真咲も特に抵抗せず引っ張られるまま。どうやら予想の範囲内の様子。そして紫藤は、真咲の首根っこだけを引き寄せた状態で、何やら鍵盤でも叩くように、引っ張られバランスが悪い立ち方のままである彼の項辺りをぱたぱた指先で叩き始めた。遅れて真咲が自分の立つ位置を紫藤の近くに調整しバランスを戻す。
「…何してるの?」
 何だか妙な遣り取りにきょとんと目を瞬かせる汐耶。
『…全部こいつの我侭だ』
 返るのは、珍しく吐き捨てるような紫藤の声。
 更には、微妙に普段とは声の質が変わってもいる。
「…まぁ、そうです」
 されるがままの状態で、苦笑混じりに呟く真咲。
「もう二度と頼みませんから」
『…頼まれたって二度とやらんよ』
「でしょうね」
 身も蓋も無い応酬。
 やがて紫藤が指を止め、軽く突き放すように真咲の項を押す。
『…上がりだ』
 そして後ろから軽く押されるまま、その僅かな勢いを殺さず素直に真咲は一歩前に出た。そこで止まると、自分を押した相手を振り向き、口を開いた。
「御面倒お掛けしました」
「――…本当に面倒だよ。厄介な男だな。まったく」
「その厄介な男を拾ったのは貴方ですが」
「違いないさ」
 紫藤は肯定するなりそっぽを向く。
 真咲は改めて汐耶を見た。
 と、自分を見る真咲の姿を見てふと汐耶が考えるように首を傾げる。
 ――何だろう。
「…今までと何かちょっと違うように感じるのは気のせいでしょうか」
 やや別人…のような気配に思えるんですけれど。
「気のせいじゃありませんよ。『周囲の方々にそう思ってもらう為だけ』にマスターに『これ』を頼んでいた訳ですんで」
「え?」
 汐耶が小さく疑問の声を上げるなり、体格の良い方の黒服が何処か茫然と目を見開いていた。
「…代、行?」
 ぽつりと呟く。
「俺は代行じゃなく真咲、です。…仕事先の手前それで呼び難かったら下の名前の御言でどうぞ」
 静かに否定する真咲。
 その纏う気配は、確かに今までとは何処か違っていて。
 実は『今の』この真咲御言が居たならば、黒服たちはここに足を踏み入れた時点で、初めから…彼がここに居る事に気付いていたと言い切れる。…自分たちの前に酒の入ったグラスを出す指先を見るまでもなく。
 即ち、今の真咲が纏っているのは、黒服たちの知っている、気配。
 それでいて、汐耶の知る今までとはやや違う気配。
 …汐耶が不思議そうに自分を見つめているのに気付いたか、真咲は種明かしするように口を開いた。
「実はここ――暁闇に来てから、暗示を掛けて意識の一部を縛ってもらってたんですよ」
 前よりも何処か赤みを帯びてさえ見える、異形の金の瞳。
「…暗示だと!?」
 驚いたように叫ぶ長髪の黒服。
 彼の記憶にある『白梟』――真咲御言は、精神系の干渉が極端に効き難い事が知られていた筈だ。
 そして、暗示と言えば…もろに精神に干渉していると言えないか。
 …あの『白梟』に平気で暗示が掛けられる。それだけでもIO2にとっては価値がある力と見られる筈だ。
「紫藤は暗示能力に非常に優れていまして。…ああ、心配なさらないで下さい。七年前の俺の件ではかなり性質の悪い我侭を言いました。その結果です。普通に日常を送っている限り、紫藤はこの能力は一切使わないと言い切れますよ」
 俺も今の暗示解除で最後ときっぱり断られてしまいましたし。
 元々隠居がてらこの店を開いていると言う事でもありますし、IO2で目を付ける必要はありません。
 静かに、それで居て有無を言わせぬ口調で真咲はきっぱりと言う。
「…それに、紫藤の事を上に連絡するなら俺のこの件が証拠として必要と思えますが」
 俺を見逃してくれると言うのなら、紫藤の事は報告出来ませんよ?
「そこまでは言っていません…それに、我々と縁を切りたいと言う事は…この場は貴方が守るのでしょう? ならば我々は一切手を出さない。例え貴方がこの店がどんな窮地に陥ろうとも。それで満足なのでしょう…?」
 苦虫を噛み潰したように、体格の良い方の黒服。
「…そんなに拗ねないで下さいよ」
 宥めるよう、苦笑しつつ真咲。
「ってあの、つまり…?」
 どう言う事?
 汐耶はいまいち要領を得ない。
 と、すみません話が見えなくて、と真咲が再び汐耶に向き直る。
「俺がIO2からまともな抜け方をしていないとは先程話しましたよね。つまり、IO2の目から隠れる為に、俺が元々持っていた気配を紫藤に頼んで予め変えておいた訳なんです」
「隠れる為に、ですか」
「はい。なるべく目立たない方が良いと思いましてね」
「…なのに名前はそのままで?」
 真咲なんて、あまり見掛けない名前。
「ああ、それは…折角あの人から頂いた名前を今更捨てられませんから」
 …そもそもIO2で結構要職にあった養父の姓なんですよ。『真咲』って。
 だから彼らの場合呼び難い可能性もある訳ですが。
 言って、黒服ふたりに目をやる。
「…それはっ」
「…そんな事にいちいちこだわっていたらキリがない。IO2じゃ真咲姓が何人居ると思ってる」
 むしろ紛らわしいと言う要素はあるが。
「では、先程の件も――御言では無く真咲で構わないのだと受け取りますよ」
 真咲は黒服に向け静かに微笑む。
「それと、別に俺は貴方個人と縁を切りたいとは言っていません。ただ、IO2と言う組織の駒になるのは勘弁して欲しいと言うだけです」
「…でしたら」
 汐耶が言う。
 …真咲の答えは、もう、予想が付くから。
「ええ。色々と御迷惑を掛けてしまうでしょうが…それでも、俺は、ここにいますよ」
 皆さんが許して下さるならば。
 俺は、この場所と、俺を『救って』下さいました皆さんを、俺のすべてで、護りたいと思いますんで。

 もう『隠れる』のは止めました。
 無謀だと思うなら、どうぞ呆れてやって下さい?

 真咲はそう言って、珍しく――悪戯っぽく微笑んだ。

【了】