コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<PCシナリオノベル(シングル)>


灰は灰に、塵は塵に


 カタタン、コトトン…。
 規則的な振動に眠りを誘われ、うつらうつらと微睡んでいた湖影梦月はふ、とした拍子でぽっかりと目を覚ました。
 感じた違和感に、きょろきょろと小動物めいた仕草で周囲を見回せば、その空間に存在するのは、梦月ただ一人きりである…前後の記憶が確立されていなければ、世にも奇妙な世界に迷い込んだような、都心ではいっそ現実離れした風景である。
「……蘇芳〜?」
梦月は僅かな戸惑いに、その名を口にした。
「……なんだ」
梦月が腰掛けた長椅子の傍ら、近しさを感じる距離に黒一色の衣服を纏った長身の青年の姿が不意に現れた。
 運行を続ける地下鉄の車内、寸前まで確かになかった青年の存在、そのあり得なさを示してか、地を行く闇を背景に車内を映し込む車窓は、梦月の艶やかに背に流さる黒髪の後ろ姿の像しか結ばない。
 だが、それを不思議とも思わず、梦月はその青年を…彼女を守護する人外の存在、人言わしめる所の鬼、を見上げた。
「お外が随分と暗くなってますわ〜。私、そんなに沢山眠ってしまってましたの〜?」
こしこしと目を擦っての問いに、守護鬼は視線を外に向けて答える。
「外が暗いのはこれが地下鉄だからだ。よく眠ってはいたが」
 その間、乗車した折りにはちらほらと立つ姿まであった他の乗客の姿はなく、今や梦月一人きり、である。
「目が覚めたなら、降りるぞ」
「はい〜…」
小さな欠伸を行儀良く手で覆い、停車駅が近い為か減速を始めた車内を見回して「あ!」と小さな声を上げて不意に立ち上がった。
 その際、膝の上に乗せていた学生鞄が落ちそうになるが、それは咄嗟に守護鬼が受け止めて難を逃れる。
「降りたらダメですわ〜、私達は尾行中、ですのよ〜」
拳を胸の前で握りしめての主張に、蘇芳が嘆息する。
「そうは言うが、追ってどうするつもりなんだ」
こそこそと、今更ながらに椅子の影から隣の車両を覗く…こちらと同じく人の姿はなく、二人連れらしき人間の頭部だけが、窓越しに見える。
「……あら?」
梦月は片頬に人差し指をあて、首を傾げた。
 下校途中、町中で見かけた黒い後ろ姿は見知った人のそれで、梦月はそのまま後を追った…知った人に会ったらご挨拶、が基本な梦月、声をかけるだけのつもりだったのだが、コンパスの長さから距離が縮まらないまま、当初の目的を見失ってしまった様子である。
 その間に、目的の人物は連れと一緒に席を立つ…どうやら次の駅で降りるようだ。
「蘇芳〜、私たちも参りましょう〜」
結局、目的は不透明なまま、その一言で尾行は続行される事になった。


「あれ、梦月じゃん」
ホームに降り立つと同時、そうかけられた声に梦月は咄嗟、蘇芳の影に隠れる。
「何やってんだ? かくれんぼ?」
真っ直ぐに守護鬼のコートに身を隠…そうとしている梦月を映す、真円のサングラスが表情を隠す。
 黒ばかりで色彩の欠ける着衣の中でも黒革のロングコートに代表されるハードな雰囲気を、それ以上の人懐っこさで砕いて楽しげな声音で放たれた問いに、梦月はこっそりと顔だけを覗かせた。
「ピュン・フー様、どうしてわかりましたの〜?」
どうしても何も。
 ホームに降り立ったのは、梦月と蘇芳、そして梦月にピュン・フーと呼びかけられた青年とその連れ、だけで見つからない筈はない。
「あれ、見つかったらマズかった?」
肩を竦めて笑う、ピュン・フーにつられるように梦月も微笑むと、蘇芳の前に出てちょこんと頭を下げた。
「こんにちわですわ、ピュン・フー様〜♪」
「相変わらずだな梦月は」
途中、主旨がすり替わったとはいえ、第一目的が達成出来た梦月が晴れ晴れとした笑顔を見せるのにピュン・フーは苦笑し、それから視線を上げる。
「ついでに蘇芳も」
守護鬼の渋面一歩手前の無表情は、決しておまけの扱いが不満だったのではなく、元より警戒心のない梦月が懐いているこの青年が、ただ単に気に入らないだけである。
「どなたかいらっしゃるのですか?」
その知人同士で交わされる挨拶に、ふと第三者の声がやんわりと入り込んだ。
「お連れ様ですの〜?」
ピュン・フーと共に行動していた黒衣の、とはいえピュン・フーの革を主体としたファッション的なそれでなく、一見で職業を認識できる……神に仕える者の役職を示しての神父服姿の黒、である。
「初めましてですわ〜。私、湖影梦月と申しますの〜」
それはそれは丁寧に深々と頭を下げた、梦月の視界に白い棒が映り込む。
 それは、神父が手にした白杖…そして穏やかに閉じられた瞼とに、神父の目が光を映さぬのだと知れる。
「これはご丁寧に。私は、ヒュー・エリクソンと申します」
見えよう筈はないが、梦月と同じように金髪の頭を下げ、その体と名の通り西洋人である神父は澱みのない日本語でそう礼を返した。
「そちらは?」
とは、問いは蘇芳に向けて。
「……俺が解るのか」
蘇芳が意外の面持ちで眉を上げる…人ならざる鬼は、必要外では余人に姿を晒さずに姿を消している。
 今もまた、不可視の状態であった筈の守護鬼を難なく看破したピュン・フーとヒューとに口の端に笑いを刻む。
「類は友を呼ぶ、というヤツか」
「心外ですね」
蘇芳の評に気分を害したのか、ヒューは不機嫌に切り返すと、カツと杖先で路面を突いた。
「神の福音を自ら捨て、然るべき時の後に永劫の業火に灼かれ続けても浄化の適わぬ穢れた魂の主……人と共に在る事すら許されぬ者と、同列にされるとは」
声に籠もる軽蔑の響きに、梦月の眉尻が徐々に下がる。
「……ピュン・フー、様〜〜?」
神職者のあからさまな悪意に、梦月はくい、とコートの端を引く。
 だが、向けられた当人はあっけらかんとした表情で、気にしてない…というよりも、気にもならないと言った様子で軽く肩を竦めるに止まる。
「でも私は……ピュン・フー様がその様に言われるのは、とても悲しいですわ〜……」
しょぼんと肩を落とす梦月に、ヒューは穏やかな微笑みを浮かべた。
「己を愛するが如く隣人を愛せよ、と我々に説かれた教えは易いようで難い……その悲しみは清く、主の御心に適う尊いものです」
胸の前で十字を切り、ヒューは取り出した聖書の表紙に手を置くと、出会いに対する感謝の言葉を唱えた。
「ですが、コレとの関わりは、古い革袋に新しいワインを入れるようなものです。手遅れになる前に、関係を絶ちなさい」
言い聞かせる言葉、それ自体の響きは柔らかいが内容は否定を確たるものとし、梦月は困惑に神父を見上げた。
「エリクソン神父様、私にはそれが正しい事とは思えませんわ〜」
「理解り合えないのは、哀しい事です」
少女を相手に、神父は心の底から、そう感じているように沈痛な表情で薄く瞼を開いた。
 焦点のない、瞳の色は湖水を思わせて澄む深い青。
「けれど、貴方の清純さが失われていくのは心苦しい……汚れを知る前に神の御許へ、その為に私を遣わされたのかも知れませんね」
「そういった考え方をする方は……キライ、です」
悪意も殺意もなく、穏やかに紡がれる言葉は、何処か自分との会話の為でないと感じ、梦月は蘇芳の影に隠れた。
「……救いの為と言って、貴方は信じるでしょうか?」
 謂われのない恐怖で心の内から蝕む、救いが。
「人は何れ神の御手に帰ります…けれど、今の世の人々はあまりにも罪深い。天の門に受け容れられるには、現世に於いての贖いも、必要なのですよ」
辛苦がそれに値する、というヒューの言葉は穏やかで、憎しみは欠片もなく…それどころか慈しむ気持ちすら感じさせる。
「魔女狩りをご存知でしょうか……中世に於ける忌むべき習慣、幾人の女性が謂われのない罪に陥れられ、生きながら火刑に処された事か」
ヒューは懐から小さな箱を取り出した。
 粗末な木のそれはたどたどしい削りで両手で包み込める程度の大きさだ。
「これは、その被害者の灰です。火刑に処された骸は弔いすら許されずに川に流される。これらは血縁者が流された川岸を咎められぬよう深夜に探って回って得た、骸です」
ヒューは蓋を開いた。
 それが人だったというにはあまりに小さく、そして冷たく白い。
「彼女たちもただ生きていただけです。それすらも咎とされて受けた責め苦は地獄のそれに値する……けれど、それによって彼女たちは本来の罪が拭われているとは思いませんか?」
 その恩恵を、現代の人々にも。
 神への呼びかけから、静かな斉唱が始まる。
「梦月」
蘇芳が動く。
 梦月を庇って立つ蘇芳と相対する形で、ピュン・フーはその前に移動した…それは、ヒューを護る位置。
「コイツの護衛が仕事なもんで」
ああまで悪し様に言われながらも行動の淀みのなさに、蘇芳は眉根を顰めた。
「酔狂な事だな」
「それが仕事ってモンだろう?」
ニ、と笑って翳した手、その爪が金属の鋭利さで伸びる。
「蘇芳も、ピュン・フー様も、ケンカはいけませんわ〜」
 間にも、祈りは続く。
「……憐れみによって、御許に召された同胞の亡骸を今御手に委ね、土を土に、灰を灰に、塵を塵に還します」
唱うような聖句が空間に響き渡る。
「主は与え、主は取り賜う。主の御名は誉むべきかな」
額から胸へ、肩を右から左へと指で示すように十字を切り、神父は大切な名を呼ぶように「aman」と祈りの言葉を唱えた。
 ふ、と一息分の灰が中空に浮かび上がる。
「梦月、逃げろ」
短く告げると同時、空気を裂く音ごと衝撃を受け止めた。
「蘇芳、やるぅ♪」
短く口笛を吹き、交差した腕に防ぎきられた蹴撃の勢いに転身し、身軽な動作で元の位置に立つ。
「おやめなさい、二人共ッ!」
常に声を荒げるなどない、梦月が声を張った、その瞬間足下から這い上がるような悪寒が全身を包み込み、膝が細い身体を支えられずにその場で折れた。
 内側から凍えるように、それは肌に達して灼かれるような熱に変わる。
 まるで、氷が炎に変わるような、急激な感覚は高熱に似るが、それには…こんな恐怖は伴わない。
 空気の流れが、耳から入り込む音が、肌に感じる視線の全てが敵意でもって、梦月の心を苛み、『殺される』その一言が、渦巻いて思考を支配する。
 私は違う、そんなコト考えていない、私は違う、誰も呪っていない、私は違う、魔女なんかじゃない…。
「貴様等、梦月に何を……ッ!」
その場に踞り、震える梦月に蘇芳がピュン・フーの胸倉を掴む。
「何って……もしかして、知んねー? 最近流行りのwillies症候群っての」
 ある地下鉄の沿線に添うように発症し、少なからぬ死傷者を出すその突発的脅迫神経症は何等かのウィルスが原因とか、密閉空間に於ける人間の精神作用から生じるものだとか、様々な争論を戦わせながら未だに原因が確定しないまま、willies症候群と名付けられる。
 何かに追われるように突然走り出したり、周囲の人間に殴りかかったり…それが、ビルや駅、同じ施設・空間を共にする女性全てが、突如としてその症状に見舞われるのだ。
 個人差によってほんの十数分で症状が治まる者も居れば、そのまま精神に異常を来してしまう者もいる…症状を示した女性達、証言を得られる者は全て、その間にどうしようもない恐怖に襲われたのだと訴えた。
「貴様等の仕業か……」
「ご名答、てかヒューの仕業な。そりゃそーと、梦月ちゃんと見ててやらねーと、死ぬぜ?」
地面にへたり込み、震える梦月を示してピュン・フーは続ける。
「影響がぬけりゃなんてコトねーけどな……それまでにおかしくならなけりゃ、り話だけどよ」
「貴様……ッ」
激する蘇芳を、細い声が制止する。
「ダメ、ですわ、蘇芳〜……」
「梦月」
小さな少女は自らの肩を抱いた。
 変わらず暴れる恐怖を、押さえつけようというのか…否、それは自らの内に入り込んだ、死霊を抱く、動き。
「痛かったでしょうね、苦しかったでしょうね。でも、もう大丈夫ですわ」
私が、傍に居ます。
 死して後も、恐怖に囚われ続ける不幸な霊魂を否定するでなく、その哀しみに流されるでなく、ただ優しさで以て、抱き留める。
 …梦月の、強く閉じた眦から一筋の涙が零れ、落ちた。
 同時に少女の身体が傾ぐのを、蘇芳が抱き留める。
「蘇芳〜……」
くたりと力の抜けた身体、だが意識ははっきりとして梦月は案じる守護鬼ににこりと微笑んだ。
「大丈夫、ですわ〜……皆様、もうお休みになられましたの〜」
でも少し、疲れました…と、慣れぬ激情に晒された体験に、息をつく。
「すげぇな梦月。なぁ、ヒューお前の術、浄化されちまったぜ?」
その様を楽しげに見、ピュン・フーが後顧するに、何故か神父は満足そうに微笑んだ。
「この救いもまた御心に沿うものなのでしょう」
ヒューは小さく十字を切ると、にこりと微笑んだ。
「貴方に、神の祝福のあらん事を」
梦月に向けて祝福し、一度礼をすると神父はそのまま歩き出す。
 一声もかけられずに、歩き出されたピュン・フーは鼻でひとつ息をつくと自らも踵を返した。
 その背を追う形で、梦月はその名を呼び掛ける。
「ピュン・フー様〜……?」
蘇芳の制止にそれ以上は近付けない。
 だが、名を呼び掛けた事で足を止め、見返るその赤に梦月は身を乗り出すように、問うた。
「今、幸せですか?」
その場所で、その生き方で。
 けれど、ピュン・フーは僅かに曖昧な笑いで、まるで道化のように胸に手をあてた大仰な礼を取ると、「またな」と口の動きだけでそう言い、背を向けた。