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うばわれたもの
------＜オープニング＞--------------------------------------
「―――」
客、なのだろう。
突然黙ったままやってきて、応接用のソファに座り込み、うつむいてテーブルに視線を注いでいる少女は。
草間でも名を知るくらい有名な私立女子高の制服に身を包み、膝をぎゅっと握り締めている。
腰まである三つ編み、何の変哲もない黒いゴム、ルーズソックスなど履いたことがなさそうな…それ以前に膝を覆う長さのスカート。どうみても、ここ数年御眼にかかることがなくなった希少価値の高い人物でありそうだが。
――だが、それよりも。
その首に巻かれた白い包帯が、白々しく光を跳ね返していた。
草間が、どうしていいか分からずに黙ったまま近寄っていく。
少女は、黙ったままがさごそと手元の鞄を漁り、綺麗に封をした封筒をすっとテーブルの上に差し出した。
「これを読めと？」
こくり。
うつむいたままの少女が頷き、草間は初めて、２人の間に意思の疎通を感じた。
『初めまして。突然の訪問に戸惑っているかと思います。
私の名は、堤真由（つつみまゆ）と申します。今日お伺いしましたのは、此方で特殊な依頼を受けて下さるという噂を聞きまして…。
お願いです。ペットの源五郎を探してください。秋田犬で２歳になります。
文章で御恥ずかしい限りですが、最近私は喉をやられてしまい、全く声を出すことが出来ずにいます。源五郎は、私の声を取り戻すために蛇と戦い、そして――』
ふと。手紙を読んでいた草間の視線の端に、白と赤が見えた。それは、少女が鞄から取り出した白いハンカチで…その中に包まれていたものは、赤い、おそらく上等の皮で出来た、首輪だった。ネームプレートに“源五郎”と掘ってある。但し、その首輪は途中で千切れ、染色とは別の赤い――否、赤茶けたモノがこびり付いていた。
再び手紙に視線を戻す。
『残ったものはこれだけでした。私は声と、彼を失いました』
どこからか、聞いてきたのだろう。――この探偵事務所の、もう一つの名を。そして、それにすがらなければならない程の…
『私の声を奪ったのは、黒い大きな蛇でした。一昨日の夜、源五郎と散歩に出かけた折の事です。何故私だったのかは分かりません。家族も医者も、信じられないと言っています。けれど、それなら私に残された跡はどう説明が付くのでしょうか』
包帯への視線に気付いたのだろう。少女が初めて顔を上げ、泣きそうな表情をきりっと噛み締めて抑えながら包帯を解いていく。どうぞ、見てください、とでも言うように。
最初は黒い紐を巻いているのかと思った。
それが、首に幾重にも巻かれた『影』のようなものだと知ったのは、黒い、平べったい其れが、皮膚の上を滑らかに這いまわるのを見たからだった。
『私の声を奪ったアレから、源五郎を取り返してください。声は戻らなくても、彼さえ戻れば構いません』
包帯をくるくると器用に巻きなおした少女が、じっと草間を見詰めた後、ゆっくりと頭を下げた。
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「こんにちは」
所用を済ませた帰り道。近くへ来たのだからと天薙撫子は探偵事務所の戸を叩いた。其処に待っていたものは…。
「いらっしゃい、天薙さん」
ほっとした声の零に何事かと中を見渡せば、其処に居るのは草間と…首に包帯を巻いた少女、それに静かに室内に佇んでいる青年の姿。事務用の席に腰掛けていたシュラインが撫子に気付き、小さく手を振った。
…どうやら、依頼人のようだったが…会話をしているのが草間だけというのが奇妙だった。
草間の質問に続けて、依頼人の少女がこくこくと何度か頷き、膝の上の手をぎゅ…と握り締める。
暫くして、一段落ついたか「分かりました」と立ち上がった草間が、自分の乱雑な机の前に行きかけて２人を見る。
「来ていたのか。丁度いい。天薙に大神、それに――エマ」
「依頼ですね」
「ああ。彼女が今回の依頼人だ。早速で悪いが手伝ってくれ」
少女――堤真由の書いた依頼書を手渡され、その上で草間から簡単な説明を受けると、シュラインと大神の２人が電話を取り出すのを横目に、俯いたままじっとしている少女へ近寄っていく。
「初めまして。…天薙と申します。お話は伺いました」
「……」
不安気な顔を上げ、歳のそう変わらない撫子へじっと黒い瞳を向け、訴えかけるように口を小さく開く。その様子に頷いて見せてから僅かに目を細めて微笑を浮かべ、
「必ず、取り戻します。源五郎も――堤様のお声も。ですから、安心して下さい」
恐らく初めての体験で、しかも大事なものを二つも奪われて心細いだろうに、一瞬だけ泣きそうな顔をした少女が慌てて顔を引き締めるとこくりと頷いた。
「今、他の方達をお呼びしていますので、詳しい話はその時にまた訊ねさせてもらいますが、宜しいですね？」
それには是非もない。用意してあったのだろう、鞄から筆記用具とノートを取り出して、気力を込めるようにふっと息を吐いた。
「――そうだわ。皆様、頂きものですけれど、良いお茶がありますの。他の方が集まる前に、休憩しませんか？」
硬くなっている依頼人の気持ちをほぐすように、ぱむ、と手を叩いて微笑む。零がそれに賛成し、撫子と零がいそいそと茶を淹れに給湯場所へと行った。かちゃかちゃと容器を動かす音がし、室内に通常の茶とは思えない香りが漂ってくる。
「どうぞ」
零と手分けして茶を各人に配る。湯気の立つグラスの中には、鮮やかなピンク…花開いた薔薇。
「ローズティの花茶ですの。綺麗でしょう？」
精神安定の効果もあると言われている茶を真由の前にも静かに置く。顔を上げて撫子を見上げた少女に、もう一度大丈夫、と頷きながら請け負う。
真由が小さく頷きながらお茶を口にし、そして、ようやくほんの僅か微笑んだ。
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全員が揃ったところで、今度は草間が別件の調査へと出かけていく。それを見送って、本格的な真由への質問が開始された。――それによると。
散歩のコースは毎日一定ではなく、自分たちで決めた数コースをその日の気分で変えて歩いていること、この日に行った場所はドッグランの設備も整っている半ば愛犬家の為の公園のようなもので、そこの遊歩道の途中で襲われたこと――公園の位置はシュラインが皆が集まる間にプリントアウトしておいた少女の自宅周辺の詳細地図に印を付けて貰った。
遊歩道は、中を突っ切るものと公園をぐるりと取り囲むものとがあり、真由が指差したのは周辺のものだった。只、途中でどういうわけか方向感覚がおかしくなり、襲われた場所をはっきり指し示すことが出来ずに困ったように指がうろうろと彷徨っていた。倒れていた真由が発見されたのは遊歩道入り口だったそうで、あまり参考になりそうもない。
やはり残されたモノを調べるしか…と言う雰囲気になっていた矢先、何か考えていたシュラインが口を開いた。
「個人的なことを聞いていいかしら。声に関係する部活かサークルか…何かやってる？」
その言葉を聞いた途端、真由が息を呑んでその場に凍りついた。
「…やってるのね」
こく、と頷く。『放送部に。でも』と手元のノートに強い字で書き込みながら。自分はまだ新人だからそんなことで恨まれるとは思えない、と続けて。
「けれど、可能性はゼロじゃないわ。連絡網か何かある？少し調べてみたいの」
「……」
暫く躊躇った後、スケジュール帳を取り出してそこから丁寧に折りたたまれた印刷物を取り出して渡す。ざっと開いて見、
「仲の良い人は誰と誰？」
とんとんとん、と何人かを指差した後で、最後に上級生の１人の名を指した。近くに住んでいる憧れの先輩、とノートに書き込んで。他の数人も真由の家からそれほど遠くにあるわけではない。
自分の手帳に素早くメモしていたシュラインが、よし、と呟いて立ち上がった。
「先に細かい情報を調べてくるわ。其処の遊歩道も簡単に見回ってくるわね」
「え、でもそれって危険じゃないの？」
「大丈夫、私にはコレがあるもの」
心配そうに声に、シュラインは笑いながら草間の買い置きの煙草をひとつ手に取る。
「だれかれ構わず襲われているのなら今頃ニュースになってるわよ。だから、詳しい場所の探索と特定お願いね。…私は別方面から探ってみるわ」
念のため、連絡先はココ、と自分の携帯番号を書いたメモを机の上に置き、
「こっちも何かわかったら直ぐ連絡入れるから」
そう言い置いて、颯爽と事務所を出て行った。
「それじゃ、早速…首輪を調べさせてもらっていいですか」
弧月がそう言い、首輪を取って少し離れた場所へ向かう。
「どうぞ。俺も後で見せてもらう」
総一郎がそう言い、事務所の壁にもたれ掛かった。
「…首輪に構うより、こっちの方が早道なんじゃないか？コレさ、コレ」
自らの首を指しながら一歩近寄ろうとした勝明に、撫子が「お待ちください」と声をかける。
「わたくしがやりますわ。女性の体に男の人が触れるのは…宜しくないかと思いますので。幸い、わたくしも探ることの出来る能力がありますし」
涼しげな顔でそう言ってのけると、了承を得るように真由と目を合わせた。真由が首の調査を言い出した男と撫子とを何度か見、撫子にぺこりと頭を下げる。その後で申し訳なさそうに手を合わせつつ勝明にも頭を下げた。
「…まあ、仕方ないよな。いいよ」
頭を下げる少女に勝明が手を振って、一歩下がる。
するすると、包帯が解けていく。
その白い首に、鮮やかに浮き上がる黒い帯。それは、禍々しさだけでなく…一瞬魅入られかける程の光景で。
「見た感じ皮膚に傷は付いてない。…けど…黒く塗られたわけでもないんだな」
ぽつりと涼が呟き、邪魔にならないよう少し下がる。其方には弧月もおり、意識を乱さないよう気をつけながら。
撫子が、少女の前に膝立ちになり、着物の袖から細い指を出して、そっとその首に触れた。
ぴくりと少女が動き、喉に巻きついていた影がするすると移動する。
喉に触れた感触は普通の皮膚と変わらない。目を閉じていれば、其処に何かがいる等分からないだろう…普通なら。
「触られたって、分かりますか？」
「――」
僅かに頷いた真由がどうですか？と口を小さく動かして聞いた。声にならずとも、その位はなんとか分かる。
「もう少し我慢してくださいね…――っ！？」
指先に異様な感覚を感じて其方に視線を注いだ撫子が喉元で小さく悲鳴を上げた。今まで真由の首周りにしか存在しなかった黒い影が、撫子の指先に侵入を試みようとしている。
「敵――と、見なされたようですわね…小賢しいこと」
きゅぅ、と眉根を寄せて忌々しげに呟く。パシッと火花が一瞬散り、蛇は慌てたように真由の喉に戻り、撫子がふぅ、と息をついた。真由には痛みはなかったようだが、急に目の前で散った光にぱちぱちと数度瞬きをする。
「さて…大人しくしていて下さいね」
言い聞かせたのは彼女ではなく、黒い帯に。先ほどより強めた能力を広げて、霊視によって本体の探りにかかる。
「…コレはなんなんだ？」
背後から、覗き込むようにして勝明が訊ねて来る。慎重に探りを入れながらも、撫子は小さく首を振り、
「本体――ではなく、尻尾の先のようなもの…かしら。本体に繋がっているようですわ」
胸元に触れて着物の間からきら、と光る糸を取り出し――其れは、撫子の指先から放たれると一瞬でその姿を空に溶かし、真由の喉…言い換えれば、黒い『影』の中へと消えていく。
「辿れるかな」
「途中で切られなければ…でも」
「でも？」
「これは、彼女の声を奪った印。本体を倒さなければ消えはしないだろうし、ということは辿ることも可能ということです」
とは言え。
張られた糸は細く、その道は憎悪…恨みの波動だから下手に辿ると術者が傷ついてしまう。
すぅ、と目を細め…静かに、唯一自らを支える糸の上を、ゆっくりと渡って行く。周りから見れば、真由の喉に指先をあてがいながら静かに呼吸を繰り返しているようにしか見えないだろう。
やがて、歪んだ場から抜け出してみると。
――温かな日差しが差し込む場に出た。
噴水の音ときらきらと輝く水面、周りに茂っているのは様々な季節に其々の顔を見せる樹木。地面はどうやらアスファルトが敷かれているようで、遠くからは子供たちが遊びまわる声が聞こえてきた。
――それでも、此処に…まだ、糸はある。
微妙に揺れ動く度に光を反射する鋼の糸は、真っ直ぐ噴水の置かれている水辺へと向かっていた。
そこは、穏やかに見えて、淀んだ空気がわだかまっている。神経を針のように研ぎ澄まし、更に探る。――と。
今までの風景から僅かにずれたその隙間。其処に撫子が放った糸が飛び込んだ途端、小さな穴から邪気を帯びた霧が見る見るうちに広がり、周りを覆い隠してしまう。――これは、邪気が表に出たのか、それとも邪気の中に潜り込んでしまったのだろうか。
そして。
先程までは只の水辺――コンクリートで固められ、手すりまでつけられていた筈。…だが今は古い淀んだ池。其処からゆらりと何かが身をもたげて来た。
それは、黒い、邪気の塊としか思えない黒さの、巨大な――蛇。
何者かが自分の跡を辿ってきたことに気付いたのだろう、不快な雰囲気を隠そうともせずに頭を動かして探る。やがて、空気に揺らいだ糸の光を追ってぐるりと首を回し。
――しまった！
シャァァッ！
牙をむき出して飛び掛って来た蛇の姿に、慌てて糸を回収しつつ意識を現在の場所に引き戻し、真由の首から指先を離す。…何とか、引き離すことが出来たようだ。
「――」
気付けば、その場にいた皆が息を呑んで此方をじっと見ている。
「…大丈夫…か？」
何が見えるのか。
恐る恐る声をかけてきた勝明に「？」と首を傾けてどうかしたのか聞こうとして、
「――っ、けほ…っ」
不意に襲ってきた喉の痒みに溜まらず咳き込んだ。押さえた袖に小さな血の染みを見つけ、唖然とする。其れと同時に首筋にちくりとした痛みを感じ、震える手で触れた。
「……」
最後の最後で、掠ったのか。
穿たれた小さな穴から、幾筋かの血。
「油断…しましたわ」
精神から実体へのダメージを与える程の相手とは気付かず、歯噛みする。体への傷はほんの掠り傷だったが、其処から体の中へ流れ込んでくるのは――毒と言う名の呪い。急いで呪を唱えるも、中へ巣食った毒の回りは非常に早かった。
――体が…
目の前の歪んだ世界は先程の場へ連れ戻されたようで、無理にでも意識を戻そうとして。
だが――闇が、視界を覆い隠した。
倒れこむ直前に誰かが抱きとめてくれたようだったが、其れを確認することすら叶わぬままに、
撫子は――意識を失った。
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――睨まれていた。
燃えるような赤い瞳の、黒蛇に。
身体にきつく巻きつかれ、その上で正面に顔が来るように鎌首を回し、目の前でちろちろと赤い舌を伸ばし。
少しでも抵抗の意を見せた途端、ぎりぎりと絞り上げてくる。悲鳴を上げても声にならず、漏れるのは喉笛がひゅぅ、と鳴る音のみ。
――声、が――
そうか、毒が回って――
表情の読めない蛇が、にたりと笑って大きく口を開けた――――その牙には、先程撫子の首へ噛み付いた際の血が、べっとりとこびりついている。
ああ…あんなに。噛まれた、の。
そうと分かれば、いつまでも正常な意識を保てているわけはない。自分はコレに深々と噛まれ、声も身体の自由も奪われたのだと納得する――ちりちりとした、違和感が何故起こるのか分からないまま。
再び、ぱかりと口を開ける蛇。撫子を飲み込もうとするかのように、顎を外し、これ以上無いと言う程口を開き――
…今度は、わたくしが、食べられてしまうのですか。
そう呟いて目を閉じる。静かな悔しさがこみ上げてきたが、コレも運命かと享受しようとして。
――厭、です。
奪われた筈の声は、そう呟いた。
――否。此れは、違う――
再び目を開いてみれば、あれほど威圧感のあった黒蛇は荒縄も同然の只の細長いだけの物に過ぎず、手を宛がうと同時に体中のいたる所に仕込んである鋼の糸を一斉放射し、自らを取り巻くモノをずたずたに切り裂いて行く。其れが千切れる都度、撫子の身体は軽くなり、気力も戻ってくる。
今や、すっかり自分を取り戻していた撫子が赤い唇ににっこりと無垢な笑みを浮かべた。
――呼んでいる。
そうして、ようやくその『声』が耳に届いた。僅かに力を抜いて委ねると、あっさりと意識の海に飲み込まれ、そして。
「気分はどうだ？」
「――あ…」
薄らと目を開いた撫子が、夢、と呟いて小さく息を付き、もう大丈夫、と答える。そして、自分が目を覚ますまでの間支えてくれていた勝明に礼の言葉を繰り返した。くすぐったそうな顔をしながら、いいよ別に――と受ける。
周りで様子を伺っていた総一郎達が、ゆるく笑みを浮かべながら近寄ってきた。
不思議なことに、だるさは残るものの毒も傷も、すっかり消えていた。
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手に入れた情報を纏めている矢先、外に出ていたシュラインから連絡がきた。それにより、皆で地図を覗き込んでいくつか丸を付け、情報がいくつか重なる場所に目星を付ける。
その過程で撫子が倒れたと言う話になり、シュラインからの要請で撫子が電話を受け取って暫く話をする。
「…さてと。それじゃ、どうする？全員此処に行くか？」
総一郎が地図に何重にも丸が重なった部分――真由の散歩コースである自然公園にとんと指を置く。
「――正直なところ、彼女を１人で置いておきたくはない。…首の跡が残っている限りではな。だが、彼女を此処に連れて行くのはもっと賛成出来かねる」
「それはそうですね。ということは、二手に分かれますか？」
弧月の提案に、「ちょっとお待ちください」と撫子が割り込んだ。
「エマ様が、どなたかお借りしたいと仰っています。堤様のご学友の所へこれから伺うので、万一のことを考えてと」
「…３つに分散するのか」
「公園近くに住まっている方だそうですので、途中までは一緒になりますけれど」
送話口を押さえながらの撫子の言葉に、その場にいた全員がうーん、と唸る。
いくつか提案があったが、結局先程まで倒れていた撫子と、まだ完全に回復しきっていない様子の勝明が残り、シュラインと合流の後弧月が彼女に付いて行く――ということで話はまとまった。
「――お待たせしました。柚品様がエマ様の所へ合流するそうです。後、其方の公園へ向かうのは――」
撫子が受話器に向かって話し掛けている間に、残り組みとそれ以外に分かれ、真由が出かける人々へ何度も頭を下げた。
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「皆様、今頃何なさってるんでしょう」
ほぅ、とお茶のお代わりをした撫子が――当然のように勝明にもその薫り高い茶を勧めていた――小さくため息を付く。
「わたくしも御手伝いしたかったですのに」
きゅ、と唇を噛む撫子に、申し訳なさそうな顔をする真由。其れに気付いて、照れ笑いを浮かべながら、
「あら、わたくしとした事が。堤様の傍にいるのも、立派な御仕事ですものね。――首の印が未だ消えていないのですし」
「ふあー」
そういう背中で勝明の欠伸が聞こえる。
「篠原様」
「――悪い。でも、何もする事がないと眠くてさ」
万一の為とは言え、暇は分からないでもない。が、完全に気を抜くことは流石に不謹慎だ、と撫子が軽く勝明を睨む。分かったよ、と言った様子で勝明が身体を起こした。
「とりあえず、気晴らしに何か話でもしてくんない？――天薙さん巫女さんなんだろ？こう言った不思議な事ってそうそうあるもんなのか？」
「…支障のない範囲で御話させてもらえるのでしたら、ほとんど有り得ませんわね。日常で持ち込まれる御話は、大抵は気の迷いで済んでしまいます」
そう、７〜８割方は。只、それが引き金となることもあり、一つとして疎かには出来ないのだが。
それ以上深く踏み込んだ話はあまりしたくなかったのか、さらりと他の話題にすり替えながら真由も交えて暫く世間話に興じた。それが、悪かったとは思わない。完全に待つだけの姿勢になっていたとしたら、今の状況に咄嗟に対応することなど出来なかっただろう。だが、しかし。
あまりに現れたものが想像の範疇を越えていた為、僅かの間だったが行動が出遅れたことも事実だった。
「――な、なんですの、此れはっ！？」
「俺が知るかよ…っ！！」
不意に、びくりと身体を竦ませた真由。そして、其れは唐突に現れた。
黒い――何と表現したらいいのだろうか。簡潔に言えば黒くやたらと太い、生きている紐。頭も牙も無く、真由の首から出現した其れは、胴体の中に何か別の蠢くモノを抱えた姿で応接スペースを占拠した。
「――え――」
何を其処に見たのか、勝明が胴体を見つめる。其れはみるみる内に険しい顔になり、撫子が止める間もなく黒い塊に飛びつき、その肌に手を押し当てた。歪む、顔。
「―――っっ！」
気合の篭った声を喉から発している勝明を横目に、撫子が傍らに備えていた剣を鞘走らせる。と、同時に今までの柔和な顔つきを一変させ、凛とした顔つきで自らの身体数箇所に触れて何かを取り出す仕草を見せると、
「――逃がしませんわ」
先程の毒を喰らった事を思い出したのだろう。視線だけで身体を断ち切りそうなキツい眼差しを向けつつ、事務所の隅から隅まで素早く鋼鉄の糸で結界を張る。そして、手に持った刀をもう片方の手に沿え、真由の首すれすれに振り下ろした――ぎりぎりまで、しつこく残っていた首の『印』に。
ばっ、と黒い塊がその部分だけ霧散し、真由の元からの白い首が顕になる。
「ナイス」
その攻撃で別世界との繋がりを断たれた為か弱体化したその身体を両手で断ち割り、中に手を突っ込んでぐったりした犬を引きずり出した勝明がそう言って撫子たちに笑いかけた。
「篠原様は…其方をお願い致します。わたくしは、此れに決着を付けますので」
「ああ。――無理なら手伝うから、言えよ？」
「ええ」
言いざま、真由の前に移動し、其処から黒い物体に刀を躊躇いも無く切りつけた。切られた部分が、戻る力もないのか切られるままに消えていく。実体ではない証拠に、血は流れることもなく、瘴気が飛び出しては結界にぶつかって弾け飛ぶだけ。流れるような動きは、着実に相手を押し込み、切り刻んで。
足を取ろうとしたのか、不意に伸ばされた尻尾らしき先の部分に切っ先を突き立てて冷たい目で見下ろす。
顔も、目も無い半端な身体では、致し方なかっただろう。其れでも、逃げた先に誰も居なければまだ逃げようもあっただろうが…。
散り散りになった身体が合体する事も叶わないまま溶けるように消え去った後で、静かに結界の糸を外した撫子が、一転心配そうな顔になって横たわっている犬の傍にいる２人に駆け寄った。奥で入るに入れずにいた零が新聞紙の束を持って同じく駆け寄ってくる。
「――源五郎は？」
「あ？うん。――大丈夫。あちこち怪我はしてるけどさ」
「まあ、大変っ」
手を出したくておろおろしている真由を落ち着かせ、救急箱から消毒薬と包帯を取り出し、勝明が受け取って器用に手当てをしている様子を見る。
「そうだな。――ああ、頑張った」
勝明がそう呟きながら、手当てしている手を時々休めて源五郎の耳や首を掻いてやる。意識を取り戻したらしい源五郎は、目をぱちりと開いてそれでも何をしているか分かるのか、じっと、動かずにいた。
それから少しして、外に出ていた皆が戻ってくる。
「おかえりなさいませ」
首尾はどうだったのかは、聞くまでも無く。そして、皆の心配が背後の様子を見て一気に解けたのを見て微笑む。
「さあさあ、堤様がお待ちかねですわ」
撫子がそう言い、皆を中へと招き入れた。
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「――」
撫子が、受け取った珠を真剣な顔で真由の白い首に当てる。息詰る空気の中、不意に珠が喉元に溶けるように消え。
「…ぁ…」
何か言いかけて、こほっ、と小さく咳き込んだ真由が呼吸に失敗でもしたのか何度かけほけほと咳き込み、顔を上げて小さく笑い、
「ご、ごめんなさい。何か言おうとしたら息飲み込んでしまって…」
透き通った、癖の無い声。今は笑みを含んでいるが、それさえも聴く者を穏やかにさせる。
「こっちも、終わりだ。――ほら行けよ」
事務所の床に新聞紙を山ほど敷きながら怪我の手当てをしていた勝明が、じっと終わるのを待っていた犬の背をぽんと叩いた。
途端、弾丸のように飛び出す――茶色い塊。
「――お帰りなさい、源五郎」
床を蹴って真由の膝上まで一気に飛び上がった源五郎が、千切れる程尻尾を振りながら真由の顔を舐め回した。くすぐったいのか、少女が其れを途中で止めさせて床に伏せさせる。しぶしぶながらもきちんと言う事を聞いた犬が、床の上からじぃ、っと真由を見上げて次の命令を待つ姿勢に入った。
「偉いもんだな」
「…人様にご迷惑をかけさせるわけにはいきませんから」
そう言った真由が、ふーっと一つ息を吐いて立ち上がり、形を改めて深く腰を折る。
「本当に、何から何まで…何とお礼を申し上げて良いか。源五郎だけでなく、私の声まで取り戻して下さって」
震えかける言葉をぐ、と堪え、にっこりと微笑み、
「ありがとうございました」
そう、締めくくった。
首輪が無い為に、真由のハンカチを首にぐるぐると巻きつけ、紐で繋がれた源五郎はそれでもどこか誇らしげで、きりりとした顔付きそのままに真由に寄り添ってトコトコ歩いていく。
…真由はどうやら、噂に付いては全く知らずにいたらしく、其の話を聞いて心底びっくりした顔で大きく首を振っていた。そして、今回の真相を聞いて、少なからずショックだったようで小さく息を付いてからぷるぷると首を振り、暫く考え込み…それでも最後には教えてくれて有難う、と言ったのだった。
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――数日後。
綾香と共に依頼料の清算をしに再びやってきた真由は、前回訪れた時とは別人のような朗らかさで、あの日途中から他所に行っていた草間を驚かせた。きちんと料金＋αの報酬を置き、あの後の事に付いて触れる。
「コンクールの件、噂だけだったみたいです。ほっとしました」
そう言って、顔を見合わせて互いに照れ笑いをする。
…結局、数人の人間が振り回され、余計なものを呼んでしまったのだろう。
運悪く、機会と手段、それに力が重なってしまった。其の割に被害が少なかったのは良かったということだろうか。
源五郎も相変わらず元気でやっているらしい。そして最後に、
「先輩とも、良く話し合いました。…源五郎には悪いけど、こういう機会があって良かったと思っています」
申し訳なさそうに告げ、
「――お世話になりました。助けていただいた皆様にも感謝します。ありがとうございました」
ぺこり、と２人共に頭を下げて、出て行った。
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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【0086／シュライン・エマ／女性／26／翻訳家＆幽霊作家＋草間興信所事務員】
【0328／天薙・撫子 ／女性／18／大学生（巫女） 】
【0932／篠原・勝明 ／男性／15／某私立中学３年 】
【1582／柚品・弧月 ／男性／22／大学生 】
【1831／御影・涼 ／男性／19／大学生兼探偵助手？ 】
【2236／大神・総一郎 ／男性／25／能役者（神想流大神家次期家元） 】
ＮＰＣ
堤 真由（つつみまゆ）
源五郎
五代綾香（いつしろあやか）
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■ ライター通信 ■
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お待たせしました。「うばわれたもの」をお届けします。
期待して待って下さっている皆様に、もう少し早く届けられれば良いのですが…。要修行です。
今回はちょっと厳しい戦いだったのですが、楽しんでいただければ幸いです。
あ、何人かが負った怪我や疲労等は後（痕）に残ることはありませんので、ご安心下さい。
それでは、また次の機会に…。
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