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うばわれたもの
------＜オープニング＞--------------------------------------
「―――」
客、なのだろう。
突然黙ったままやってきて、応接用のソファに座り込み、うつむいてテーブルに視線を注いでいる少女は。
草間でも名を知るくらい有名な私立女子高の制服に身を包み、膝をぎゅっと握り締めている。
腰まである三つ編み、何の変哲もない黒いゴム、ルーズソックスなど履いたことがなさそうな…それ以前に膝を覆う長さのスカート。どうみても、ここ数年御眼にかかることがなくなった希少価値の高い人物でありそうだが。
――だが、それよりも。
その首に巻かれた白い包帯が、白々しく光を跳ね返していた。
草間が、どうしていいか分からずに黙ったまま近寄っていく。
少女は、黙ったままがさごそと手元の鞄を漁り、綺麗に封をした封筒をすっとテーブルの上に差し出した。
「これを読めと？」
こくり。
うつむいたままの少女が頷き、草間は初めて、２人の間に意思の疎通を感じた。
『初めまして。突然の訪問に戸惑っているかと思います。
私の名は、堤真由（つつみまゆ）と申します。今日お伺いしましたのは、此方で特殊な依頼を受けて下さるという噂を聞きまして…。
お願いです。ペットの源五郎を探してください。秋田犬で２歳になります。
文章で御恥ずかしい限りですが、最近私は喉をやられてしまい、全く声を出すことが出来ずにいます。源五郎は、私の声を取り戻すために蛇と戦い、そして――』
ふと。手紙を読んでいた草間の視線の端に、白と赤が見えた。それは、少女が鞄から取り出した白いハンカチで…その中に包まれていたものは、赤い、おそらく上等の皮で出来た、首輪だった。ネームプレートに“源五郎”と掘ってある。但し、その首輪は途中で千切れ、染色とは別の赤い――否、赤茶けたモノがこびり付いていた。
再び手紙に視線を戻す。
『残ったものはこれだけでした。私は声と、彼を失いました』
どこからか、聞いてきたのだろう。――この探偵事務所の、もう一つの名を。そして、それにすがらなければならない程の…
『私の声を奪ったのは、黒い大きな蛇でした。一昨日の夜、源五郎と散歩に出かけた折の事です。何故私だったのかは分かりません。家族も医者も、信じられないと言っています。けれど、それなら私に残された跡はどう説明が付くのでしょうか』
包帯への視線に気付いたのだろう。少女が初めて顔を上げ、泣きそうな表情をきりっと噛み締めて抑えながら包帯を解いていく。どうぞ、見てください、とでも言うように。
最初は黒い紐を巻いているのかと思った。
それが、首に幾重にも巻かれた『影』のようなものだと知ったのは、黒い、平べったい其れが、皮膚の上を滑らかに這いまわるのを見たからだった。
『私の声を奪ったアレから、源五郎を取り返してください。声は戻らなくても、彼さえ戻れば構いません』
包帯をくるくると器用に巻きなおした少女が、じっと草間を見詰めた後、ゆっくりと頭を下げた。
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『涼か。仕事だ、直ぐ来い』
突然の電話が、その日の予定をぶち壊した。
草間探偵事務所に急な仕事が入ったと言う。やっかいな仕事で、人手がいるから来い――とのことだったが、
涼は諦めにも似た気持ちで見えない電話口の相手に向かって頷いていた。総一郎が呼ぶからには何がしかの理由があるだろうと考えてのことだ。
事務所の扉を開くと、既に何人かが揃っていた。ただ、最後ではなかったようでちょっと安心する。
それから少しして、扉が元気良く開いて黒髪の少年がにっこりと笑みを浮かべながら入ってくる。
「ちわ、お邪魔しまぁす」
軽い調子で声をかけ――涼と目が合った途端、何故か棘のある強い視線を向けて来た。其れが何故だか分からず、首をかしげる。とは言え、其れは一瞬のことで。直ぐに元の笑顔に戻ったのが見事だった。
全員が揃ったところで、今度は草間が別件の調査へと出かけていく。それを見送って、本格的な真由への質問が開始された。――それによると。
散歩のコースは毎日一定ではなく、自分たちで決めた数コースをその日の気分で変えて歩いていること、この日に行った場所はドッグランの設備も整っている半ば愛犬家の為の公園のようなもので、そこの遊歩道の途中で襲われたこと――公園の位置はシュラインが皆が集まる間にプリントアウトしておいた少女の自宅周辺の詳細地図に印を付けて貰った。
遊歩道は、中を突っ切るものと公園をぐるりと取り囲むものとがあり、真由が指差したのは周辺のものだった。只、途中でどういうわけか方向感覚がおかしくなり、襲われた場所をはっきり指し示すことが出来ずに困ったように指がうろうろと彷徨っていた。倒れていた真由が発見されたのは遊歩道入り口だったそうで、あまり参考になりそうもない。
やはり残されたモノを調べるしか…と言う雰囲気になっていた矢先、何か考えていたシュラインが口を開いた。
「個人的なことを聞いていいかしら。声に関係する部活かサークルか…何かやってる？」
その言葉を聞いた途端、真由が息を呑んでその場に凍りついた。
「…やってるのね」
こく、と頷く。『放送部に。でも』と手元のノートに強い字で書き込みながら。自分はまだ新人だからそんなことで恨まれるとは思えない、と続けて。
「けれど、可能性はゼロじゃないわ。連絡網か何かある？少し調べてみたいの」
「……」
暫く躊躇った後、スケジュール帳を取り出してそこから丁寧に折りたたまれた印刷物を取り出して渡す。ざっと開いて見、
「仲の良い人は誰と誰？」
とんとんとん、と何人かを指差した後で、最後に上級生の１人の名を指した。近くに住んでいる憧れの先輩、とノートに書き込んで。他の数人も真由の家からそれほど遠くにあるわけではない。
自分の手帳に素早くメモしていたシュラインが、よし、と呟いて立ち上がった。
「先に細かい情報を調べてくるわ。其処の遊歩道も簡単に見回ってくるわね」
「え、でもそれって危険じゃないの？」
「大丈夫、私にはコレがあるもの」
心配そうに声に、シュラインは笑いながら草間の買い置きの煙草をひとつ手に取る。
「だれかれ構わず襲われているのなら今頃ニュースになってるわよ。だから、詳しい場所の探索と特定お願いね。…私は別方面から探ってみるわ」
念のため、連絡先はココ、と自分の携帯番号を書いたメモを机の上に置き、
「こっちも何かわかったら直ぐ連絡入れるから」
そう言い置いて、颯爽と事務所を出て行った。
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「それじゃ、早速…首輪を調べさせてもらっていいですか」
弧月がそう言い、首輪を取って少し離れた場所へ向かう。
「どうぞ。俺も後で見せてもらう」
総一郎がそう言い、事務所の壁にもたれ掛かった。
「…首輪に構うより、こっちの方が早道なんじゃないか？コレさ、コレ」
自らの首を指しながら一歩近寄ろうとした勝明に、撫子が「お待ちください」と声をかける。
「わたくしがやりますわ。女性の体に男の人が触れるのは…宜しくないかと思いますので。幸い、わたくしも探ることの出来る能力がありますし」
涼しげな顔でそう言ってのけると、了承を得るように真由と目を合わせた。真由が首の調査を言い出した男と撫子とを何度か見、撫子にぺこりと頭を下げる。その後で申し訳なさそうに手を合わせつつ勝明にも頭を下げた。
「…まあ、仕方ないよな。いいよ」
頭を下げる少女に勝明が手を振って、一歩下がる。
するすると、包帯が解けていく。
その白い首に、鮮やかに浮き上がる黒い帯。それは、禍々しさだけでなく…一瞬魅入られかける程の光景で。
「見た感じ皮膚に傷は付いてない。…けど…黒く塗られたわけでもないんだな」
ぽつりと涼が呟き、邪魔にならないよう少し下がる。其方には弧月もおり、意識を乱さないよう気をつけながら。
撫子が、少女の前に膝立ちになり、着物の袖から細い指を出して、そっとその首に触れた。
ぴくりと少女が動き、喉に巻きついていた影がするすると移動する。
その様子を見ながら、弧月と総一郎の傍へ近寄った。弧月は弧月で、目を閉じて首輪の中からメッセージを読み取ろうとしている。順調なようで、頑張れー、と内心でエールを送る。
が、その様子が急変した。何を見ているのか、ぶるっ、と一度大きく震えると
「ぅぁぁぁっっ！？」
悲鳴を上げて、ばっ、と首輪から手を離す。
小さく呟いている弧月に、涼が心配そうに近寄って行く。
「大丈夫かい？」
「…源五郎の意識に触れたみたいです」
軽く、呼吸。
「よっぽど堤さんのことが大切だったんでしょうね。凄い…あれは」
「――そうだろうね」
「ふ――っ」
一度立ち上がり、大きく呼吸を数度繰り返してあれ？と言う顔をし。再び机の前に移動して再行使を試み始めた。そんなに続けざまにやって大丈夫だろうか、という涼の心配を他所に。
それから少しして、どこか満足げな顔をした弧月が首輪を手に立ち上がり、テーブルに戻しに行った。
その、直後。
――――！？
何を呼んだのか、一瞬で部屋がどす黒い気に包まれ、再び一瞬で潮が引くように消える。
小さく咳き込む声と、そして、勝明の腕にくたりと倒れこむ姿。
「――おい、おいっ」
勝明が倒れた撫子を抱き起こし、声を荒げて呼びかける。
「――ちっ、だから俺がやるって…」
みるみる顔色が変わってくる撫子を真剣な顔で見ると真由を見ながら先程まで弧月が触れ、テーブルに戻した首輪をがっ、と掴む。
「悪い。この首輪、大事なものかもしれないけど…壊させてもらうよ。『毒』を吸い出す道具がいるんだ」
「……」
真由は一瞬辛そうな視線を走らせはしたが、直ぐにこくりと頷く。
勝明がその頷きを見るや、躊躇いなく撫子の首を…傷跡を覆うように片手で掴み、もう片方の手で強く首輪を握り締める。急な能力解放によるためか、ふつふつとそのつやつやした額に大粒の汗が浮かび上がった。
７分…１０分と、息詰まるような時間が過ぎていく。
「…っ」
ぐ、と唇を噛み締めた勝明が、叩きつけるようにテーブルの上に首輪を置いた。――壊れる、と言った通り、その首輪には細かい亀裂が何十となく走っており、プレートも彫ってあった名に沿って鱗のような亀裂がびっしりと浮き出ていた。
肩で荒い息を繰り返す勝明に抱きとめられたままの撫子は、意識は戻らないものの呼吸は元に戻っていた。
「…其れ。今ちょっとした呪いのアイテムになってるから、処理しておいて」
――御影さんなら…出来るよね？
叩きつけられたのは、首輪と、視線。何を思っているのか期待しているのか、殊更に名を強調された呼び名にも。
「――」
無造作とも思える動きで、首輪を掴み…瞬間、手から伝い来る『悪意』に顔をしかめる。
首輪から這い出た半透明の黒蛇が、自らの体をくねらせて涼の腕の中へ、意識の中へと潜り込もうと…。
「…本体から離れた『欠片』に畏れを抱く者が何処に居る？」
口をついて出たのは、そんな冷ややかな囁き。其れに対し何のリアクションも無い所を見ると、本体からは完全に接触が切れているらしい。それなら、と。
――手の平で一瞬だけ具現化させた刀は、首輪に残っていた残滓も残さず切り落とした。
「並大抵の力ではないな。声だけ奪われたのが不思議な位だ。…それだけ、この首輪の主が全力で護ったということなのだろうが」
近くでその手並みを見ていた総一郎が、ぼそりと呟く。
涼が、手の平に残る柔らかな皮の感触を確かめるように軽く握り締める。
「――総兄」
「何だ」
「…助かるよね」
「―――」
小声で訊ねる涼に、総一郎は黙ったまま何も答えることはなく手を差し出した。
「やれるだけの事はする。忘れるなよ、…俺達が入り込めるのは依頼人の世界のごく僅かな部分だけだ」
「分かってるさ」
――ほんの少しの、きつい視線。それは、涼よりは人生の重みを知っている者の目だっただろうか。
涼は黙って、差し出した手に、柔らかくなった皮を置いた。
「見事に何も残っていないな」
総一郎が笑みを含んだ声を向け、壁にもたれかかる。手の中に握りこんだ皮に意識を集中し始めたのか、穏やかな表情は消えうせ――元々の顔の造りが良いだけに、無表情で動かずに要る様はまるで彼がいつも身につけている面そのもので。
なるべく、邪魔にならない様近くには寄らず、だが精神統一の手助けになるようあまり遠くにも行かないまま、じっと待つ。そうこうしている内に、ソファにもたれさせ、勝明が支えていた撫子が小さく身じろぎして静かに目を開いた。
「――気分は？」
すかさず訊ねた勝明に、大丈夫です、と答える声が聞こえ、其れを見た涼が壁に立っている総一郎へ声をかけた。
「総兄？」
「っっ」
びくりと身体を動かした総一郎が、ふーっと息を付きながら片手を顔に当てる。それから静かに顔を上げ、何だ？と問い掛けてきた。
「彼女、目を覚ましたよ。――もしかして…何か、見えてた？」
「情報になるほどのものじゃないがな。水の音が聞こえた」
どうやら思い切り探索の糸を切ってしまったらしい。申し訳なさそうな顔になったか、総一郎が小さく笑う。
「頼んだことをして文句などあるはずないさ。――様子は？」
「大丈夫だって。顔色も元に戻ったし」
其の言葉を聞き、そろそろ情報を交換するか、と撫子の周りへ集まっていく。
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手に入れた情報を纏めている矢先、外に出ていたシュラインから連絡がきた。それにより、皆で地図を覗き込んでいくつか丸を付け、情報がいくつか重なる場所に目星を付ける。
その過程で撫子が倒れたと言う話になり、シュラインからの要請で撫子が電話を受け取って暫く話をする。
「…さてと。それじゃ、どうする？全員此処に行くか？」
総一郎が地図に何重にも丸が重なった部分――真由の散歩コースである自然公園にとんと指を置く。
「――正直なところ、彼女を１人で置いておきたくはない。…首の跡が残っている限りではな。だが、彼女を此処に連れて行くのはもっと賛成出来かねる」
「それはそうですね。ということは、二手に分かれますか？」
弧月の提案に、「ちょっとお待ちください」と撫子が割り込んだ。
「エマ様が、どなたかお借りしたいと仰っています。堤様のご学友の所へこれから伺うので、万一のことを考えてと」
「…３つに分散するのか」
「公園近くに住まっている方だそうですので、途中までは一緒になりますけれど」
送話口を押さえながらの撫子の言葉に、その場にいた全員がうーん、と唸る。
いくつか提案があったが、結局先程まで倒れていた撫子と、まだ完全に回復しきっていない様子の勝明が残り、シュラインと合流の後弧月が彼女に付いて行く――ということで話はまとまった。
「――お待たせしました。柚品様がエマ様の所へ合流するそうです。後、其方の公園へ向かうのは――」
撫子が受話器に向かって話し掛けている間に、残り組みとそれ以外に分かれ、真由が出かける人々へ何度も頭を下げた。
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「お疲れ様。…あっちは大丈夫？」
「心配ない。２人待機しているし、一時はどうなるかと思ったが…大事ないようだしな」
そちらこそ、と言われてシュラインが曖昧な笑みを浮かべ、
「表向き何にもない場所を歩いて回っただけよ。…でも、私の想像が正しければ今回の根は浅いわ。で、これから私が行く場所は五代綾香さんの自宅よ。彼女、ずっと家にいるみたいだから」
「…あれ？その名前って確か」
「名簿に載っていた先輩の名ではなかったかな。――と、言うことは？」
「実際には聞いてみないと分からないけどね。もし根っこが彼女なら、片を付けるのはそれほど難しくないでしょ」
シュラインはそう言い、だから念のためにね、と続けた。
「さあ、行きましょうか」
「この辺りだな。石と地蔵が在ったと言うのは」
明るい日の光の中、ぴたりと足を止める二人。お互い自然体でいるようでいて、真剣な眼差しが其れを打ち消している。
「そんな風には見えないけどな」
「そうか？」
「――聞き返さなくても。分かってる癖にさ」
水の上、ゆらゆらとわだかまる陽炎の様な――歪み。其れにちらりと目をやりながら、どうする？と総一郎に目顔で問い掛ける。
「来てもらうか、此方から行くか。…切れば厭でも気付くだろうな」
辺りは当然の如く、まだ日中のため人通りもある。其処でいきなり刀を振り回す訳にもいかず、と総一郎を見ると、何気ない仕草で手の平の上に鉤状に見える小さな輝きを具現化させていた。自らの身体を盾に、周りに見えないよう其れを揺らぎの場へと飛ばす。
小さな、だがその大きさにそぐわない力を込めた『爪牙』が、素早く其処を切り裂いた瞬間。
「――っ」
吹き出した瘴気が、瞬く間にその場を飲み込んだ。目は閉じることなく、吹き付ける瘴気に腕で覆いながら目の前を透かし見る。
――目の前には、見るからに淀んだ池。一面の…霧だろうか、厭な気が身体に染み付いてしまいそうで顔をしかめながら、辺りを見回す。
涼と総一郎が立っているその部分は、遊歩道に敷かれたアスファルトそのままで、水辺と道を分けていた手すりが溶けて消えていた。その部分から、微妙に互いが混じり合ってなんとも言えないアンバランスな場になっている。
前に意識を集中しながら後ろにちらりと視線を送るが、数メートルを隔てて其処から先は何も見えず。
――ウォン！
別の場に連れてこられたかと思った涼の意識を戻したのは、猛々しい獣の吠え声だった。そして、目の隅に映る黒と茶の素早い動き。
「源五郎！？」
総一郎と同時に叫んで、映った方向へ視線を向け――言葉を失った。
身の丈数メートルは軽くある…どころか、胴回りだけでもメートル級はあるかと思われる黒い蛇に、がっしりしているとはいえ普通サイズの犬が飛び掛り、噛み付いていたのだ。蛇はどういうわけか、尻尾が異様に長く…まるで不自然に伸ばされたゴムのようにも見える。
『ええい！鬱陶しい！！』
雄々しい言葉…と裏腹の、鈴の鳴るような少女の声が響き渡る。身体を食いちぎり、更に攻撃を加えようとする敵に頭から体当たりし、そして。
ギャンッ！
池のほとりにあった石の地蔵だろうか。それに派手にぶつかって悲鳴を上げ、ぐったりと横たわった。
『く…油断したわ、この様な輩に…』
やはり痛いのか、白い肉が覗く傷口をぺろぺろと舐める、巨大な黒蛇。
「――『天狼爪牙』」
ぞくり、と。
総一郎の激しい怒りの声を――静かな、炎を燃やす怒りの声を聞いて涼が足を竦ませる。
『――――！？』
先程の犬とは比べ物にならない程の大きさの牙と、爪が――油断しきっていたのか、黒蛇の身体の数箇所を一瞬にして抉り取った。甲高い悲鳴を上げた蛇が、ようやく痛みから立ち直ったかのろりと首を傾けて２人を見る。
『お…おのれ、卑怯な。三方向からとは』
「卑怯はどっちだ！彼女の声を奪い、源五郎まで奪い去って疵付けた癖に」
既に片手に霊刀である『黄天』を具現化させ、言葉を発する前に池の脇で傷を受けている蛇に数歩踏み込んだ。切っ先が触れれば、上等。常になく浄化の能力を増加させている為、負の存在である黒蛇は、周りの空気ごと激しく切り裂かれてのた打ち回ることになる。
『グ――』
ぐらり、とよろめいた蛇に、横殴りに爪牙が突き刺さる。其れをどうにか振り払うと、今度は総一郎が既に構えていた『天覇』の一撃が。
『ま――待ってくれ』
刀傷が２桁をゆうに越した頃、初め見た時より大分縮んだように見える黒蛇から微妙に弱々しい声が上がった。何を言うか、と思いながらも、構えは崩さないままじりじりと相手に近寄る。
『わ、我は――目覚めさせた礼に願いを叶えただけだ。この様な攻撃は本来我に対するものではないだろう？』
「…願いを、叶えた」
刀がきらりと輝くたびにびくりと身体を震わせる蛇が大きく、頭を上下させる。気のせいか目の光も弱々しい、が。
「その身体に似合わぬ声は…彼女から奪ったものではないのか？」
ぴしりと、鞭がしなるようなキツさで総一郎が問い掛ける。う、と何か言いかけた蛇が口ごもり、ちろちろと舌を動かして――ふと、別方向を向いた。先程とは違い、明らかに苛立った様子。
『また…いい加減に』
「何をしている。…我々のやる事は、誰が、何をしたか、では無い。声と犬を取り戻せば其れで良い」
『犬だと！？』
ぺっ、と唾を吐き散らしそうな勢いで蛇がぎろりと２人を見る。
『――アレを、犬と言うか！？』
ぴくりとも動かなかった筈の、その犬は。
ゥヴヴゥゥゥゥゥ…
いつの間にか、じっと、機会を狙っていたのか。
低く伏せた、狩人の姿勢で――抑え切れない獲物への感情を低く唸る声に表し、
『赤』く光る瞳を爛々と輝かせ、此方を向いた蛇の一瞬の意識の移動を見逃さずに飛び掛って来た。
グワァァウ！
くぐもった声が犬の喉から聞こえて来る。其れは、大きく開けた口で噛み付いている為で。
『しつこいぞ！ヒトの相手している間くらい、大人しくしておれ！！』
刀は構えたままだが、視線は彼らから離すことが出来ずにいる。
「――涼」
「気付かなかったよ。…当然だったんだ。こんな世界に居続けてマトモな神経でいる筈がない」
犬は――源五郎は、全身に怒りのオーラを纏いつかせ…怪我をしていた筈が、身体の何処も傷一つ無い姿で蛇に襲い掛かっていた。噛み付かれる度に、蛇が身を捩る。先程の２人の攻撃で相当の深手を負っているらしく、その姿がぶれてさえ見える。
「…あちらも浄化しなければいけないのか」
呼び戻した爪牙を手に、総一郎がどこか鎮痛な面持ちで呟いた。――そう。既に全身が闇に喰われてしまっていたなら…実体が在るとは言え、怨念と変わらない。そうなれば…後は消え去るのみ。
「何とかならないのか」
「それは、源五郎の…精神力次第だ」
「総兄！」
手から爪牙を手放し、其方は蛇の周りに舞わすと、刀を構えなおす。
「お前は本体に行け」
総一郎が涼に言い放ち、犬に向かって走り出した。
「く、っそぉ…！」
ぎりりと歯を噛み締め、犬とまだ戦っている蛇へと、地を蹴った。
総一郎とは反対側へ、つまり、蛇の死角へと。
『――何！？』
一歩、二歩。三歩目で地面を蹴る。
風を切る音が耳元に鳴り響く。常人とは思えない、その速度が蛇の思考を鈍らせる。かつては畏れられた存在も、目覚めてまだ日も浅く――
一撃。二撃。
切り裂く度に蛇が悲鳴を上げる。其処から漏れるのは血ではなく、凝り固まった負の想い。す、と不穏な気に身体を避けるとがちんと牙が鳴り、其処を上から総一郎の飛ばしている爪牙が襲い掛かる。
最後に、深々と刃を潜り込ませ、遠くで犬の悲鳴が聞こえたかと思った瞬間、傷だらけの蛇の身体からもう一体飛び出し、涼の背後の世界を突き破った。
「――逃がした！？」
慌てて見るが、一瞬見えた現実世界の切れ目は直ぐに塞がってしまう。
「何をした！？」
『――したのは、其方だ。…抑えつける力を失った“呪”が、主へと戻ったのだ』
言うなり、
――とさり、と。
思いがけない軽い音を立てながら、蛇が池からはみ出した身を地面に横たえた。しゅるしゅる…とでも音が付きそうな勢いで、みるみる蛇が縮んで行く。やがて、不自然にぽっこりと喉を膨らませた２０センチ程の、傷だらけの黒蛇が其処に横たわっていた。
『流石に…この大きさでは苦しいの。この様なモノ、我には要らぬ。持っていけ』
言うなり、ごぽりと喉から吐き出したのは、虹色に輝く、手のひらサイズの珠。
「――此れが、『声』だな。成る程、具現化させたか」
何時の間に来ていたのか、総一郎がひょいと手に取って眺める。其れを恨めしげな目で眺めながらも、まだ未練有り気に珠を見上げ、ちろちろと赤い舌を出す蛇。『声』を失くした身には、もう語るべき言葉は無く。
「それにしても、良くここまで傷もなく持っていたモノだな？――余程大切な品だったのだろう？」
何か知っているのか、からかうような総一郎の言葉に蛇がぷい、と横を向き、よろめきながら身体を起こすと、傷だらけの身体で池に潜って行く。其れと同時に霧が晴れ、じわりと現実世界が闇を飲み込み――。
「――っとっと」
気付けば。
池に近い位置にいた涼は手すりを越えて水辺ぎりぎりの縁に立っており、慌てて手すりを掴む。その向こうにはちゃっかりと最初の位置に戻っていた総一郎が涼しい顔で手の中の珠を大事に布で包み、ポケットにしまい込んでいた。
「水に入るにはまだ早いぞ」
「からかうなよ…って、そう言えば源五郎は！？…一緒に…消えたのか？」
「――ああ。だが」
ふと遠い目をした総一郎。が、直ぐに強い眼差しを向けて向きなおり、
「戻ったようだ」
「え？」
「詳しいことは事務所に戻れば分かる。…彼らと合流しよう」
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シュライン達と合流し、互いに話を補いながら事務所へ向かう。そこには今源五郎が居る筈で――他のモノも居る筈、で。だから、尚更急いだ。
戻った事務所内では、椅子に座ってじっと耐えている真由が――首の跡はすっかり消えていたが――只一点をじぃっと見つめていた。その先に居たのは、大人しく勝明の手当てを受けている立派な体格の一匹の犬の姿。
「おかえりなさいませ――さあさあ、堤様がお待ちかねですわ」
撫子がそう言いながら、笑顔で皆を迎え入れた。
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「――」
撫子が、受け取った珠を真剣な顔で真由の白い首に当てる。息詰る空気の中、不意に珠が喉元に溶けるように消え。
「…ぁ…」
何か言いかけて、こほっ、と小さく咳き込んだ真由が呼吸に失敗でもしたのか何度かけほけほと咳き込み、顔を上げて小さく笑い、
「ご、ごめんなさい。何か言おうとしたら息飲み込んでしまって…」
透き通った、癖の無い声。今は笑みを含んでいるが、それさえも聴く者を穏やかにさせる。
「こっちも、終わりだ。――ほら行けよ」
事務所の床に新聞紙を山ほど敷きながら怪我の手当てをしていた勝明が、じっと終わるのを待っていた犬の背をぽんと叩いた。
途端、弾丸のように飛び出す――茶色い塊。
「――お帰りなさい、源五郎」
床を蹴って真由の膝上まで一気に飛び上がった源五郎が、千切れる程尻尾を振りながら真由の顔を舐め回した。くすぐったいのか、少女が其れを途中で止めさせて床に伏せさせる。しぶしぶながらもきちんと言う事を聞いた犬が、床の上からじぃ、っと真由を見上げて次の命令を待つ姿勢に入った。
「偉いもんだな」
「…人様にご迷惑をかけさせるわけにはいきませんから」
そう言った真由が、ふーっと一つ息を吐いて立ち上がり、形を改めて深く腰を折る。
「本当に、何から何まで…何とお礼を申し上げて良いか。源五郎だけでなく、私の声まで取り戻して下さって」
震えかける言葉をぐ、と堪え、にっこりと微笑み、
「ありがとうございました」
そう、締めくくった。
首輪が無い為に、真由のハンカチを首にぐるぐると巻きつけ、紐で繋がれた源五郎はそれでもどこか誇らしげで、きりりとした顔付きそのままに真由に寄り添ってトコトコ歩いていく。
…真由はどうやら、噂に付いては全く知らずにいたらしく、其の話を聞いて心底びっくりした顔で大きく首を振っていた。そして、今回の真相を聞いて、少なからずショックだったようで小さく息を付いてからぷるぷると首を振り、暫く考え込み…それでも最後には教えてくれて有難う、と言ったのだった。
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――数日後。
綾香と共に依頼料の清算をしに再びやってきた真由は、前回訪れた時とは別人のような朗らかさで、あの日途中から他所に行っていた草間を驚かせた。きちんと料金＋αの報酬を置き、あの後の事に付いて触れる。
「コンクールの件、噂だけだったみたいです。ほっとしました」
そう言って、顔を見合わせて互いに照れ笑いをする。
…結局、数人の人間が振り回され、余計なものを呼んでしまったのだろう。
運悪く、機会と手段、それに力が重なってしまった。其の割に被害が少なかったのは良かったということだろうか。
源五郎も相変わらず元気でやっているらしい。そして最後に、
「先輩とも、良く話し合いました。…源五郎には悪いけど、こういう機会があって良かったと思っています」
申し訳なさそうに告げ、
「――お世話になりました。助けていただいた皆様にも感謝します。ありがとうございました」
ぺこり、と２人共に頭を下げて、出て行った。
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■ 登場人物（この物語に登場した人物の一覧） ■
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【0086／シュライン・エマ／女性／26／翻訳家＆幽霊作家＋草間興信所事務員】
【0328／天薙・撫子 ／女性／18／大学生（巫女） 】
【0932／篠原・勝明 ／男性／15／某私立中学３年 】
【1582／柚品・弧月 ／男性／22／大学生 】
【1831／御影・涼 ／男性／19／大学生兼探偵助手？ 】
【2236／大神・総一郎 ／男性／25／能役者（神想流大神家次期家元） 】
ＮＰＣ
堤 真由（つつみまゆ）
源五郎
五代綾香（いつしろあやか）
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■ ライター通信 ■
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お待たせしました。「うばわれたもの」をお届けします。
期待して待って下さっている皆様に、もう少し早く届けられれば良いのですが…。要修行です。
今回はちょっと厳しい戦いだったのですが、楽しんでいただければ幸いです。
あ、何人かが負った怪我や疲労等は後（痕）に残ることはありませんので、ご安心下さい。
それでは、また次の機会に…。
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