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<PCシナリオノベル(シングル)>


その名はレギオン

 高いクラクションに呼び止められ、久喜坂咲はコートの背を覆って緩やかに波打つ髪を揺らして振り返った。
「Hi,咲ちゃん♪」
渋滞に流れない車の列、その内の一つから高く差し上げられた手が、ひらひらと白い旗のように翻って位置を知らせる。
「ステラさん」
咲は駅前の歩道のガードレールの間から車道へ出、目的の車の傍らへと立つ。
「お待たせしちゃったかしラ?」
運転席側の窓を開け、華やかな笑みを見せた瞳は深く、鮮やかな緑。
 何故だか黒なオープンカーのハンドルを握り、同色のワンピースで肉感的な肢体を包んだ妙齢の西洋人、名を、ステラ・R・西尾と言う。
 名刺を請えば、その名の横に『IO2』と素っ気なく並んだ三文字にキスマークをつきで渡されるだろう…其処には知る人ぞ知る超国家的組織の一員、という肩書きに対する畏怖に、彼女の茶目っ気が共に付加される。
「折角咲ちゃんとデートだっていうのニ、モウ、この渋滞ったラ!」
早く進めと後方から鳴らされるクラクションを、それ以上に攻撃的なクラクションで黙らせると、ステラは自らの頬を指で押した。
「咲ちゃんオススメのケーキヴァイキングってバ、ここから遠いのかシラ。車を停めて歩いた方が早そうだワ」
頬にあてた指はそのまま、肘を動かして扉に頬杖をつく形にステラは咲を見上げて「ネ?」と首を傾げる…仕草が奇妙に子供っぽい。
「そんなに歩かないけど、駅の向こうよ?」
落ちかかる髪を掻き上げながら、咲はついとステラの後方、助手席へと視線を移動させた。
「でも、先に電話に出た方が良くない?」
助手席に置かれたショルダーバッグの中からは、ベートーヴェンの交響曲『運命』の序曲の冒頭が繰り返し、繰り返し奏でられている。
「イイノ。折角のオフにベンの電話には出たくないノ」
ぷん、と拗ねた口調で顔を背ける、省略されて呼ばれた偉大な音楽家は、どうやら仕事先からの連絡を担当しているらしい。
「最近ちっともお休みないし。ダンナ様とお休みが合わないし。仕事で私生活を犠牲にするのガ美徳だナンテ、日本の風習はおかしいワ、安息日になんで皆休まなイノー!?」
と、ドアに突っ伏す…色々と鬱憤が溜まっているらしい。
 先日、猟奇殺人事件の囮役を担った際に出来た縁だが、この裏表のない女性の悪い意味でなく子供っぽい愛らしさに、メール交換や電話等の連絡が私的に親しい付き合いに発展していた。
「そういう時は美味しいケーキでも食べて、パーッと愚痴って忘れちゃいましょ!」
「咲ちゃん、優しいノネ……」
相変わらず扉を叩き続ける運命のノックをバックに、拳を握って元気付ける咲を、ステラは濡れた瞳で咲を見上げ…
「アラ、フェリックスだワ♪」
BGMがメンデルスゾーンの『結婚行進曲』になった途端、パッと身を翻した。
「Hi,ダーリン?」
一転してうきうきとなった声は、まさしく恋する乙女の風情。
「時間取れたノ? 今からでも一緒ニケーキ食べに行きまショ♪」
あまりに楽しげに、嬉しげに頬を染めた姿を傍目にすれば、この美女を夢中にさせる男性はどんなタイプか、想像を逞しくする所である…その通話の先が無精髭もむさいオジサンである事を知る咲にすれば、失礼ながら不思議としか言い様がないが。
「エ? 違うの……? ハイ、ハァイ……解りマシタ。ハイ…………ン、私も愛してるカラ……じゃ、また後で……」 
が、その声は最後に行く程元気を無くして行く。
「フェリックスのバカ……」
ぷちり、と通話を切った後にそう責められても、フェリックス・メンデルスゾーンだってきっと困る。
 ステラは上目遣いに咲を見上げ、掌の間に携帯を挟む形で両手を合わせた。
「咲ちゃん、ゴメンなさい……お仕事、入っちゃっタ……」
待たされた挙句のドタキャン、けれど表情は心底申し訳なさそうで、その上「お休みだったのニー」としくしくと落込まれては、責めるどころではない。
 しかも、どうやら呼び出しに応じないステラに業を煮やして電話をかけて来たのは、同じ職場に勤める彼女の夫であるのは明確で、慰めの言葉も見つからない。
「ステラさん……」
咲が取り敢えず差し出したハンカチの間から、ステラの膝にぽとりと軽い音を立てて…落ちる、桜色。
「アラ? これ貝……?」
アイラインが落ちぬよう、渡されたハンカチで目尻を拭いながら、ステラは黒い生地の上で淡く、それだけに輪郭の確かな桜貝を摘み上げた。
「ステラさん……今からのお仕事ってピュン・フー絡み?」
「咲ちゃん、守秘義務って知ってル?」
途端、真面目な表情で姿勢を正したステラ…持ち出した名に、関係があると言わんばかりに。
「私、一度戻って装備整えなきゃなノ……今日はこのまま真っ直ぐ、一駅向こうの公園に寄ったりしないで帰りなさいネ?」
渋滞の先に目をやりながら、ステラは咲の手を取るとその掌の上にハンカチと貝とを戻す。
 それを片手に握り込み、咲は胸中に言葉を探して、沈黙する。
「……ありがとう」
一言。
 感謝だけをステラに告げ、咲はそのまま駆けだした。


「おや、これは」
全力疾走に肩を揺らし、芝生の敷地に入り込んだ咲を穏やかな声が迎えた。
「お久しぶりですね、咲さん」
芝生の上、長身を包む神父服は宵に融けかけ、肌と、手にした杖の白を浮き上がらせたような静とした立ち姿で、ヒュー・エリクソンはいつぞやと変わらぬ笑みと際会の挨拶を投げかける。
「……本当に、お久しぶりですね神父様」
『虚無の境界』に属する、神父に気を払ったまま、咲は周囲に視線を巡らせた。
 太陽は地平の彼方に僅かな残光を残すのみの薄暮、咲とヒューの他…人間の、姿はない。
 宵闇よりも濃密な、闇色に輪郭を際立たせる…人の形をした異形を、その内としなければ。
「ピュン・フー……」
いつもと同じ黒衣、印象に強い黒革のロングコート…影よりも暗く、闇よりも濃いそれが、既に見慣れたと言っていい、人で有り、人で無い彼の姿を遠く見せる。
「それは、すぐに彼の名ではなくなります」
やんわりとした、神父の否定に咲は先を促す仕草で視線を向けた。
 勿論、盲目の神父にそれが判じられる筈はない…が、彼は行く手を遮るかのように咲に向き直り、白杖を両手で支えて地面を緩く突く。
「じゃ、何て呼べばいいのかしら? ピュン君? ピュン吉? それともピュンキー?」
「……その名を、レギオンと呼ばれる事になります」
態と巫山戯た咲に、ヒューは吐息に返答を乗せた。
 その名の持つ、意。
 聖書に記された記述、知識として持つそれをそのまま、咲は口にした。
「大勢を指すもの……または悪霊の群れ、だったかしら?」
よくご存知ですね、とヒューは僅かに笑んで続ける。
「霊鬼兵、というものは人と機械……場合によっては動物、とを繋ぎ合わせて作られるそうですが、制御の為に核には人間の部品が必要だと聞きます」
咲はいつか、赤い薬を巡っての悶着に巻き込まれた夜を思い出す。
 自らの胸を示して、其処に埋め込まれた代物を無頓着に告げてみせた、そのあっけらかんとした表情。
「レギオンとは、六千人からなる軍の単位です。魂は別として吸血鬼は……こと、銀と陽光にまで耐性を持つジーン・キャリアは素体として素晴らしいですね。アレの心臓を核とする怨霊機で一時的に実体化させるのではなく、怨霊に血肉を……免疫抑制剤を断ち限りなく吸血鬼の不死に近づけたアレを苗床に、実体を与えて放てば、導き手を見失って久しい我々の贖いがどれだけ具現する事でしょう」
ヒューの言う贖い…現世での恐怖と苦痛、それによってこそ生を重ねるに知らず汚れた魂が救われる、その盲信的な思想。
 咲は静かに、そしてにべもなく打ち消す。
「名はその人を、在り方を現すの。その名は彼に合わないわ」
それは否定であると同時、阻む決意の表れでも、ある。
 胸の前で小さく十字を切り、笑みを絶やさぬままヒューが更に続けた。
「かつて神の子は、六千の悪霊に憑かれて苦しむ男に救いを与えられました……貴方にもそれが可能でしょうか?」
片手を差し延べる…先には、緩く空を見上げるようにただ一人立つ、黒い姿。
「出来るわ」
強い瞳で先を見据え、咲は静かに強く言い切った。


 さく、と足の下で踏み分ける芝生が小気味よい音を立てる。
 一歩ずつ確かに縮まる距離、その分だけ視線の先に据えたピュン・フーの姿が見て取れる…違和感。
 印象の中で、トレードマークと化している円いサングラスはなく、それに伴って想起される楽しげな笑みもない、感情の欠落した無表情は黒い姿に、どこか、弔いを思わせる。
 そして、常にはないピュン・フーの両の手首を戒める形で繋ぐ銀鎖は、同じ無骨な銀の輪へ連なり、自由を奪う。
 その身を縛る、その意味で即物的に、そして象徴的に。
 だが、縛られているという意味では咲とて変わりない。
 久喜坂という家で、力を持つという意味。
 力ある身でありながら男ではない、ただそれだけで周囲は期待と同じだけの落胆を咲に向け、弟や従兄弟が当然のように進んで行く場所に…どうしても、行き着けない。
 女であるから、女だから。そう否定される度に鈍る足を自ら鼓舞し、歩いてきた道が、振り返れば見えるような気がした。
「……でも、関係ないのよね。性別も生まれも」
そう、小さく呟いて咲は感傷を振り切る。
 後数歩の位置で足を止め、咲はその名を呼び掛けた。
「ね、ピュン君」
唐突に求められた同意に、視線を失っていた赤い月のような瞳が、不意に焦点を取り戻す。
「……ピュン君、ゆーな」
いつもの応対に、少なからずほっとする。
「ったく……何してんだよ、んなトコで」
緩く頭を振る仕草、それだけでよろめくのは強く鼻腔をくすぐる血臭の為か。
「殺すぜ?」
はぁ、と痛みを混じらせて吐き出す息で、ただ事実を告げる口調…チャリ、とピュン・フーの腕を繋ぐ鎖が鳴った。
「そのつもりなら、覚悟してねって言ったでしょう?」
その手に触れた指がひやりと冷え、咲の背筋に一瞬悪寒が走る…まるで死者のような、その温度。
 本能が怖じるのを意志の力で止め、咲は微笑む。
「ね、ピュン君。私達気が合うじゃない? 何でも言い合って気がねなくて…いつでも力になれる」
冷たい手の甲を両手で握り締め、咲は言い繋いだ。
「だから、貴方が何をしたいのか……教えて?」
その、問いに。
 ピュン・フーの欠けたままの表情が、一瞬だけ何処か意表を突かれたような、そんな変化に口元が動きかけた。
 それが、不意に噛み締められる。
「ピュン君ッ?」
咲の手を払って、自らの肩を抱くように、そして押さえるように両手で掴み、ピュン・フーは身を折って、喉の奥から声を絞り出す。
「行け……、て……ッ」
膝を折って丸めた背、黒革のコートがベキバキと、異様な音で自体が生あるモノのように迫り出す。
 急激な変化はいつか見た以上の激しさで、まるで何かが羽化、するように、常の倍以上はある、一対の皮翼が背に拡がった。
 その皮翼、骨の間に滑らかな天鵞絨を思わせる質感の皮膜が、禍めいて形を変え続ける模様に波打つ…それは、現世に届かぬ怨嗟を叫び続ける、死霊。
『何故死ンダ何故生キテイルソノ生ガ恨メシイソノ命ガ欲しイ欲シいホしイホシイィ……!』
叩き付けられる悪意は、その皮翼に宿った怨念に圧力さえ伴う。
 ただならぬ狂気は、皮翼が主の意思に関係のない、それどころか筋肉や骨を全く無視して好き勝手に狂惑めいた動きの内から響いた。
 皮翼から、それを支える背から流れる血は、彼の足下に影の如き濃さで、地に吸われる事なくわだかまる。
 その、落込むような暗さの赤、ピュン・フーの存在自体を闇へと呑み込むような錯覚に、くらりと眩暈を覚える。
 それでも、自分の中で冷静な部分がその経験から現状に則した答えを弾き出す…動かぬ間に、消してしまえばいい、と。
 皮翼に宿る怨霊は数知れない、それが完全に形を得てしまう前に、その血肉を支える物を浄化してしまえば守れる、と。
 力持たず、世界の一面しか知らず、闇の裏側を見ようともしない人々を。護る、それが久喜坂の責務。
 闇の内で苦も痛みも、感じさせない程に明るく笑う、ピュン・フーという名を知る彼を消してしまえ、と。それを知る咲に。
 逡巡の間にも、怨霊は実体を纏い始め、皮翼のあちこちで抜け出そうとする動きが新たな血を流し、堪える息を詰めていたピュン・フーが顔を上げた。
 開かれた目は血を流し込んだような真紅に染まり、瞳を失くす。
 立ち上がる動きは、背に負ったそれらの重みにゆっくりと、肩を掴んでいた手は下ろされて地につき、体重を支えて張る、鋭利に伸びた爪が土を抉った。
 黒と紅と銀と。纏うどの色も、咲の目にはただ暗く……昏い。
 直視するのが辛く、落とした視線の胸元。黒を背景にした濃紅、けれど輪郭を失う事なくひらりと左の胸の位置に揺れて目を惹くのは…いつか、渡したリボン。
 護身の呪を織り込んで、願いと共に渡した、それ。
 咲は一つ、息を吐く。
 そして踏み出す足に迷いはなく、ピュン・フーがその鋭利な爪で、咲を傷つけるに充分な間合い、赤い血の領域に足を踏み入れて、ふわりと柔らかに、笑んだ。
「ピュン・フーの願いがどんなども……きっと何でも出来るわ。二人揃えばきっと無敵になる。私達大親友だもの」
血に汚れるのも構わずその場に跪き、リボンを心臓の上に押しつける位置で触れ、ピュン・フーの頭を胸に抱く。
 その腕が、しなやかで良かったと思う。力だけに振るわれる者でなくて良かったと…この身がこうして、誰かを優しく抱き締める為にあるのかもと思えただけで、何も無駄ではなかったと、感じる。
 口中に呪を紡ぐ。
 リボンに篭めた護身の術の指向は常に外へ向けて、それを深く深く、ただ内へと収束させて行く。
 霊的な全てを断ち切る対象を一点を変えて封じるのは…その胸の内、心臓と同じ位置にあるという、怨霊機。
 抱いた胸に、首筋に添えた手に、強張る筋肉の動きに、熱の形で脈打つ苦痛が伝わる。
 けれど、それに怖じてはいけない、ここで止める訳にもいかない、ならばせめてその苦痛を存在の全てを胸の内に抱き留め、欠片も零さずに残さず、覚えておく為に。
 咲は目を閉じた。
 ピュン・フーの左の胸に添えた手に、抱き締める片手に力を込めて、紡ぐ呪が完成したのはそれと、同時だった。