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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


神の膝元【シーカー】


■序■

 思いつめている様子ではなかったが、リチャード・レイは責任を感じているようで、悔やんでもいるようだった。
 或る神の洗礼を受けた――専門家のものさしからすると、『呪われた』わけだが――少女が姿を消したのだった。
 少女は、蔵木みさとと言った。故あって、イギリスのオカルティストが保護している。これまた故あって、光の元で生きることが出来ない彼女は、レイが留守の間、イギリスの某貴族の邸宅に預けられていたのだった。
 先月のアーカム事件の際は、その邸宅の主も多忙を極めており、その隙をついたのか――つかれたのか――少女は闇夜に消えてしまった。
 戻ってしまったのだと、レイは言いたくないようだった。


  レイさんと、お世話になった皆さんへ。

   ごめんなさい。あたしは、出て行きます。
   いなくなったおじいちゃんたちの居場所は、前から知っていました。
   ブリチェスターの北、ゴーツ・レイクという湖のほとりで、
   『キングダム』の人たちの保護を受けているそうです。
   あたし、東京やロンドンで゛暮らしていくうちに、
   思い知りました。
   あたしはやっぱり、光にあこがれちゃいけないの。
   夜の森と湖がお似合い。
   だから出て行きます。今まで有難うございました。
 
   追伸:
   レイさん、もううっかりしないで下さいね。


「ブリチェスターは危険です」
 物憂げな表情で、レイは手紙を見つめている。
「しかし、問題はそれだけではありません。『ゴーツ・レイク』という湖は、A.C.S.も確認していないのです。わたしも初耳です。ゴーツ・ウッドという森と村があるのは確かですが――湖、とミサトさんはしっかり書いている。書き損じでも勘違いでもないでしょう。ミサトさんを救いたいのは……山々ですが……」
 しかし、A.C.S.の総裁は常々言っているという。
 『助ける、というのは――救いを求めている者に手を差し伸べることだ』。
 レイはかぶりを振って、続けた。
「『ゴーツ・レイク』の探索をしたいと思っています。今は少しでも情報が欲しいところですからね」


■哄笑

 嗤い声が聞こえる。
 きっと疲れているだけだ。
 或いは、星間信人が嗤っているのだ。
 武神一樹は、ロンドン行きの便の中で眉間を揉んだ。いやになるほど長いフライトだった。しかも、きれいなスチュワーデスの話によれば、到着までまだ2時間はかかるらしい。すでに一樹は、いやになっていた。日本を離れるということだけでも気が進まないのに、それがわかっているのに――自分はこうして、リチャード・レイの右隣の席に座っている。
「ねえ、レイさんって、うっかりさんなの? ……じゃなくて、うっかりさんなんですか?」
 レイの左隣に座っている緑の髪の少年は、いやになるほど長いフライトの間、これまで、ずっと口を閉ざすことはなかった。レイはいやになってもいないようで、少年の質問には丁寧に返答していた。
 だが、その質問で初めて、ぐっと言葉を詰まらせた。
 一樹は、思わず笑ってしまった。
「……その辺のものに躓いたりするわけではないのです。気をつけてはいるのですが、肝心なところでいつも取り返しのつかないミスを……」
「そのへんのものにつまずくほうがましだったりしてなのー、ふふー」
「……」
「その辺にしといてやれ、蘭」
「うん」
 一樹が笑いながら諌めると、少年はにこにこと素直に頷いた。
 彼は、いつもレイが呼び集める調査員たちの中では、まさに新顔といえる存在だった。満1歳だと主張する、根元まで澄んだ緑の髪の少年だった。藤井蘭という。典型的な『よいこ』だった。敬語は練習中なのだそうだ。
 一樹は素直な蘭に手を伸ばし(レイが親切にも背筋を伸ばして顎を上げてくれた)、がしがしと緑の少年の頭を撫でた。
「イギリスで、あんまり無茶はするなよ」
「だいじょうぶなの! もりにいくんだもんね? もりはぼくのホームグラウンドなの」
「野生児みたいな自信だな」
「ぼく、おんしつそだちなの」
「なんだそりゃ」
「ねえねえ、レイさん。まだつかないの? ……まだ、つかないですか?」
「あと2時間ほどかかるかと」
「わー、まだまだなの。ぼく、ねるの!」
 先ほどまでの元気はどう説明するつもりなのか、蘭はシートの上で丸くなり、……たちまち寝息を立て始めた。レイが何も言わずにジャケットを脱いで、蘭の身体に掛けた。そのうちスチュワーデスがブランケットなりを持って来てくれるはずではあったが、レイは一応、親切だった。
「今時サスペンダーしてる紳士なんて水谷豊くらいだぞ」
 一樹の顔には憂いが戻ってきたが、その台詞には可笑しげな皮肉が混じっていた。
「イギリス紳士のふりも大変だな」
「ええまあ」
「……お前、たった今うっかりしたことに気がついたか」
「だまれ」


 青褪めた指。
 字が震えてしまいそうになるのは、怖いからか、悲しいからか。
 それでも、死人の指は追伸を書き終え、ゆっくり、丁寧に、想いをこめて四つ折りにすると、デスクに置いた。
 少しだけ考えてから、死人はもう一度ペンを取り、四つ折りの便箋の裏側に短く書き加える。
『皆さんへ 蔵木みさと』
 封筒がなかったのだ。
 誰も、見ていなかったのだ。
 屋敷には昼も夜もなく、大勢が忙しなく出入りをし、ひそひそと緊迫した会話を交わしていた。死人は、大人しくしていた。屋敷のものたちの邪魔はしなかった。
 笑い声、黄色の傘。
 死人はレインコートのフードをかぶり、年代ものの窓を開ける。頬を刺す風。
 暗闇。
 雨。
 死人は、からりと晴れ上がった夜空の下に、飛び出した。

 大英帝国の森の中、男にも女にも見える闇色の女が佇み、小さく溜息をついた。
 そう、溜息を。
 ステラ・ミラが溜息をつくことなど、めったにないことだった。その溜息に、傍らの白い狼が顔を上げ、訝しげに首を傾げてみせた。
「訊かれても、わからないの。何故わたしは、溜息などつきたくなったのかしら……」
 ステラは、手紙をたたむと懐にしまった。
 リチャード・レイから受け取った、蔵木みさとの別れの言葉。蔵木みさと、邪神に魂を奪われた者。隷属するためだけにかりそめの命を繋ぎとめられた、呪われた死人。不幸中の幸いか、それとも完膚なきまでの不幸なのか、邪神の力は弱まっていて、蔵木みさとの精神は、邪神に囚われることなく生き続けている。
 彼女にはその運命を呪うだけの希望があって、闇の世界の向こう側から、針の先ほどの光を求めていた。呪われた彼女の体は、光を拒絶した。だが彼女の魂は、光を求めていた。
 その希望に影を落としたのが――
 黄色の傘。笑い声。雨。
 星間信人。
 みさとが捨て去り、みさとを捨て去っていった、蔵木一族は――イギリスは、ゴーツ・レイクの静かな湖畔に。
 みさとはそれを知ってしまった。
 彼女の中で、様々な思いが渦巻いた。彼女がどれだけ求めても、彼女は光を嫌うしかなかったのだ。森と湖がもたらす夜の闇こそが、自分に相応しいのだと――思い知った。
「たった数ヶ月で、答えを出したなんて」
 ステラは、獣と梟の鳴き声に目を細め、呟いた。
「オーロラ、行きましょう。彼女に教えてもらわなければ。……わたしは全知ではないの。これからも多くのことを、ひとに尋ねるのでしょうね」
 ステラの姿は、白狼とともにかき消えた。
 彼女が踏みしめていたはずの雑草は、すっくと首をもたげて、風に吹かれていた。


 哄笑は止まぬ。
 星間信人はいま、笑いをこらえるだけで精一杯なのだ。
 こんなに晴れ上がった夜なのに、彼は黄色の傘を持っていて、さざなみさえ起きない湖のほとりに座っている。
 油断すると、ゆるんだ唇の間から、自然と哄笑が漏れるのだった。ははは。
 哄笑を浴びてもなお、湖面はまるで漆黒の鏡のように沈黙している。風が吹いて、ゴーツ・ウッドの木々を慌しく騒がせても、湖はだまっていた。
 信人はある日を思い出す。アーカムという、隠された都市が滅びかけた日のことだ。『キングダム』という組織が、引鉄だった。信人は風の信徒ライアン・ビショップと出会い、別れて、風を見た。ははは。
 気にかかるのは、『キングダム』が風をヒヤデスから呼びつける際に、本来ならば目を合わせることもない水のものたちが――協力していたことだった。手を貸していたのは、交渉次第では(快くとはいかないまでも)比較的簡単に手伝いをしてくれる魚人どもにすぎなかったが、それでも、なかなか驚くべきことであった。
 ライアン・ビショップは、風が利用されただけだと言っていた。
 『キングダム』は、風と水で何を成そうと――
「いや……」
 信人の目に、ふと、才知豊かな光が灯った。
 今夜はお留守だが、ブリチェスターを護るのは、地の女神。豊穣と腐敗の女神。この森に住みつくのは、生ける木。
 イタリア、ナポリは復興の兆しを見せている。先日のヴェスヴィオ噴火の記憶は新しい。眠っていた山を呼び起こし、周辺地域を焼き尽くしたのは、フォーマルハウトから呼び寄せられた生ける火の神だ。
 『キングダム』は、風と水と火と土で、何を成そうとしているのか?
 ははは。


■信じる者は、

 新月の夜だ。
 まだ、そのはずだ。
 膿み爛れる女神の姿はどこにもない。森は不安げだった。風に揺られて、囁き合っている。
『よそものか』
『何の用だ』
『何のつもりだ』
『よそものめ』
『くにへ帰れ』
『帰れ』
『よそものが』
『呪われろ』
『裁かれろ』
『入るな』
 蘭は肩をすくめて、耳を塞いだ。ブリチェスターの外れから広がる森は、どうしようもないほどの敵意を抱いていた。何に対する敵意なのかは、蘭もすぐにはわからなかった。あまりにも幅が広い敵意だったのだ。
 この森は、この土地に住む者以外すべてに敵意を抱いている。
「このもり、はいらないほうがいいなの」
「おいおい、ホームグラウンドなんだろ」
「でもぼく、こんなきげんわるいもり、はじめてなの」
 だが蘭は、そう言ったところでどうにもならないことがわかっていた。自分たちは行かなくてはならない。この森の中に未知の領域があって、しかも危険性を孕んでいる可能性がある。調べなくてはならないものがあるのだ。
『入るな』
『行くな』
『迷いたいか』
『狂いたいのか』
『入るな』
 木々は、半ば必死になって3人を拒んだ。
 だがその必死すぎる想いが、蘭に行くべき方向を伝えるのだ。
「あっちのほうにいってほしくないみたいなの」
 蘭が暗闇の中を指差すと、ざわざわと森が声を上げた。
「はは」
 一樹は顎を撫でながら軽く笑った。
「信じよう。随分慌ててるみたいだからな」
「たけがみさんも、もりのことばわかるの? ……わかるですか?」
 ぱっと顔を輝かせる欄に、一樹はそのままの笑みを返した。
「お前にはかなわないだろうけどな。それと、……べつに敬語はいいぞ」
「案内をお願いします」
 森の闇を睨んでいたレイが、ようやく蘭を見下ろして微笑んだ。蘭は頷くと、ふたりの先を歩き始めた。森はいよいよ、凶暴な喚き声を上げ始めたのだった。

 ――カッパきたおんなのこなの。レイさんからきいたの。くらきみさとさん。さがしてるの。みたでしょ? おねがいなの、おしえてなの!
『出ていけ』
『黙れ』
『滅びよ』
 ――ゴーツ・レイクってみずうみにいったって……おしえてなの。どういうところなの?
『黙れ!』
『死ね!』
『逝け!』
『出ろ!』

『まって』

「まって」
 蘭がぴたりと足を止め、銀の目をすがめた。風はそれほどでもないのに、森の木々は凄まじい音を立てていた。蘭の「まって」を聞き取るにも、苦労するほどだ。レイと一樹は、言われるままに立ち止まった。ふたりにとっては、右も左もわからない原生林なのだ。
 蘭はかがみこみ、足元の雑草に引っ掛かっていた綿毛を手に取った。
「タンポポさん……」
『わたし、こんなところにとんできちゃったの。おんなのこ、みたわ。おしえてあげる。だからこのもりのそとにつれていって。ここ、……こわい』


 鏡のように不動の湖面。
 蔦がからむロッジの傍らで、夜の闇を浴びながら、少女がひとり座りこんでいる。
「みさとさん」
 女が声をかけると、少女は振り向いて、
 膝を抱えて泣き出した。
 湖面はぴくりとも動かなかった。


■アルファでありオメガ、その名をみだりに口にするな

 ステラ・ミラはその長身を屈め、みさとを覗きこみ、少し考えたあと――みさとの隣に座った。
 ステラの聴覚は、彼方の爆発音をとらえた。ブリチェスターでの事件も、間もなく終焉を迎えるだろう。それが、この世界を良い方向に変えるかどうか、ステラにはわからなかった。彼女にもわからないことがある。
 みさとの隣に、白い狼が寄り添った。だが、彼のはしばみ色の瞳は、予断なく湖面に向けられていた。
「ちょっとだけおじいちゃんと伯父さんに怒られたんです。本当にちょっとだけ」
 膝を抱えてうつむいたまま、蔵木みさとはそう言った。
「みんな行っちゃいました。ブリチェスターに」
「あなたは、行けなかったのですね」
「怖かったんです。みんな、前よりずっと強く神さまを信じているんだもの。何も見えていなかったんです。あたしは、信じたふりをして。……あたし、やっぱり、おじいちゃんたちと一緒に暮らすことなんて出来なかった」
「書き置きを読みました」
 ステラは湖面に目をやった。
 書き置きを譲り受けていて、この場にも持って来ているとは言わなかった。
「あなたは、つらい思いばかりしているようです。それを思うと、わたしは何故か哀しくなります。どうしてなのか、よくわからないのだけれど――ああ、そうですね――教えていただけますか。何故わたしは、今哀しいのかしら?」
 みさとがのろのろと顔を上げた。
「……あたしが、ステラさんに、何かを教えることなんて……」
「出来ます」
 ステラの言葉には力があった。
 ふたりの前に広がる、ゴーツ・レイクの湖面を震わせそうなほどに。
「わたしは、あなたたちよりもものを知らないかもしれないから」
 がさり、と遠くの低木が不自然に揺れた。みさとが、はっと怯えた目を後ろに向ける。だが、ステラは落ち着いていたし、白狼も静かに音の出所を見やっただけだった。
「みさと!」
 押し殺したような、ほっとしたような声に――
 みさとはまた、ぽろぽろと涙を流し始めた。
「レイさん……武神さん……」
「藤井蘭様、です」
 みさとが知らない緑の髪の少年を、ステラが手短に紹介した。
「皆さんは、あなたを心配して、ここまで来ました。レイ様は、この湖を調べたいという大義名分をつくっていましたけれどね。きっと、皆さんと同じくらいあなたを心配していますよ。長く生きているから、すこし頑固なのでしょう。一樹様は、もっとわかりやすい親切な方ですよ。あなたのことだけを考えて、こちらに」
「……さようならって、言ったのに」
「連れ戻しに来たわけではありません。迎えに来ただけです。すこし、遠いから」
 だから帰るか留まるか、行くか留まるかは自分で決めて。
 ステラはそれ以上は何も言わなかった。彼女は、ただみさとに尋ねたいだけだったから。彼女がここを故郷だと思うのならば、無理に日本やイギリスに連れて行くつもりはなかった。助ける、というのは――救いを求めている者に、手を差し伸べることだ。
「ステラさん、お願い、あたしを助けて」
 みさとは立ち上がらず、近づいてくる人影にも涙まじりの声を上げた。
「武神さん、蘭くん、レイさん、お願い! あたしを助けて!」

「怖いの!」

 湖面がそのとき、確かに揺れた。


 風に乗りて歩む哄笑がある。
 武神一樹の目に、鋭さが戻った。みさとを受け入れるために、彼の視線はその直前まで温かかった。彼は哄笑を聞きつけていたし、ゴーツ・レイクと思しき湖の、漆黒の湖面が不自然に揺れたのも見たのである。
「タケガミさん、どちらへ?!」
「あいつが来ている!」
「ま、まってなの! あぶないの! ぼくもいく!」
 みさととの再会を喜ぶ暇もなく、一樹は湖畔を全力で走り始めた。蘭が慌ててそのあとを追いかける。
「レイさん! この湖には何かいるの!」
 こちらも再会を喜ぶ暇もなく、みさとは金の目を見開いて、灰色の男の腕を掴んだ。レイは眉を寄せたあとに、ステラに目を向けた。
「グラーキではありません」
 ステラは湖面からレイに目を移して、事も無げに言い放った。
「『キングダム』の人たち以外みんな、憎んでる神さまだって……おじいちゃんたちは、昔から信じてた神さまと一緒に、ここの神さまも拝むようになったの。信じれば救われるって! レイさんなら知ってるでしょ?! 『偉大なるもの』!」
 Great Thing .
「『大いなる者』では、ないのですか?」
「『キングダム』の人たちは、『偉大なるもの』って!」
 湖面が、再び揺れた。
 レイは呆然と首を振る。
「馬鹿な」
 Great Thing .


「『偉大なるもの』ですよ」
 みさとと同じような体勢で湖面を見つめている星間信人は、思い出し笑いをしているかのような笑みを湛えていた。そう言ってから、初めて一樹と蘭の姿に気がついた素振りで――顔を上げ、律儀に頭を下げた。
「こんばんは、武神さん。お久しぶりです。はじめまして、緑の髪の元気なお方。お好きにどうぞ。僕は何もしませんよ。その辺に生えている雑草と同じです。踏むも放っておくも、近くの人間の良心次第というわけですよ」
「星間、――お前、どうした」
 信人はもとよりまともな男ではなかったが(少なくとも一樹はそうとらえている)、しばらく見ない間に随分と症状が悪化してしまったようだった(少なくとも一樹はそうとらえた)。蘭は初対面だったが、その表情から、空恐ろしい何かを感じ取った。無意識のうちに、一樹の羽織の袖を掴んで、顔を強張らせていた。彼は誰にでも懐こく話かけるたちであったが、信人ににこにこと言葉をかけるのはどうにもはばかられた。
「武神さんも、一体どういうおつもりです? 自分の意思で家を出た少女を、無理矢理連れ戻しに来るとは」
「俺は迎えに来ただけだ。人は望む世界で生きるべきだ。光を望むあいつは、光のもとで生きるべきなんだ。……みさとに余計なことを教えたのは、お前だな」
「ははは、僕は見ました。ははは」
「おい」
「失礼。ああ、女神はお帰りになったようです。ご安心を。まあ、一難去ってまた一難といったところでしょうがね」
「なに?」
「……あれ!」
 蘭が、一樹の袖をぐいと引っ張った。


 コールタールのように沈黙していた湖面が、どうん、と揺れた。
 波紋が広がる。
 見えた。
 風、火、土、水が砕かれる様が。


「『偉大なる者』、」
 信人がすっくと立ち上がった。
「僕は見た!」

 一樹はその瞬間に湖から眼を背け、蘭の頭を抱き抱えた。
 見てはならない。
「星間! 見るな!」
 だが、これこそ馬の耳に念仏、狂人の耳に警鐘だ。

『消える』
『終わる』
『人間ども』
『消える』
『生まれる』
『また、始まりだ』
 木々が畏れをなして、がさばさと囁きあった。
 ――にんげんがきえる? じゃあ、ぼくのもちぬしさんは? せっかくみつけた、みさとさんは? レイさんと、たけがみさんは? この、へんな……ほしまさんも? へいきなのは、ステラさんと、ぼくだけなの?
 怖い、怖い怖い怖い、森と草花の恐怖が、蘭に打ち込まれていった。
 蘭が踏んだ雑草が伸び、水神の髭のようにのたうった。
 信人はそれを見て、笑ったり罵ったりしながら、のたうつ草を踏みしめ、引き千切った。

 ――そんなのいやだ、いやなの!


■日本へ

「レイさん、大丈夫かな……」
「大丈夫ですよ。少し驚かれただけのようですから」

 その会話を聞き、目を開けたレイの視界に飛び込んできたのは、白狼オーロラの顔だった。何事か叫んで、レイは飛び起きた。次の瞬間、目が合ったのは、武神一樹の一応心配そうな顔だった。
「一丁前にのびてたな、パ=ドゥ」
「……レイです」
「この調子なら大丈夫だ」
 一樹が言うと、みさとが笑った。
 リチャード・レイは、ゴーツ・レイクから飛び出したものの尾か触手か指の先を見てしまった。彼は即座に意識を失い、真後ろに倒れた。気を失っていたのはものの10分ほどであった。
「『偉大なるもの』、」
 一樹は顎を撫でながら、沈黙を取り戻したゴーツ・レイクを見つめた。湖面は、黒曜石を削った平板のようだった。星の光すらも映してはいないのだ。
「初耳だぞ」
「忘れられた神です。地球の地水火風によって縛られていました。ここのところの『キングダム』の立て続けの召喚が――地水火風すべてを弱らせてしまった。かれは久し振りに目を覚まして、喜んではいるけれど……とても機嫌が悪いようね」
「それが連中の目的だったってわけか。星間も利用されてたクチか……? あいつに悔しがる余裕が残ってるといいんだが」
「にんげんをけすって」
 蘭が、呟いた。
「ぼくのもちぬしさんも、みんなけされるのかな」
「おそらくそうでしょうね」
 レイが救いのない答えを返したかに見えた。
「――何もしなければ」
 空は闇だった。
 月はない。
 雲が多くなってきている――間もなく、北極星も見えなくなるだろう。


「それで、みさと。お前は、どうする?」
 一樹の質問は、笑顔で成された。
 ステラがだまって、同じ質問をしている。
 レイもだ。顔は青褪めているが。
 みさとは青褪めた顔に――微笑を浮かべた。
「信じて待つよりは、考えるより先に行動したいです。皆さんと同じように」
「帰る場所は?」
「眩しくないけど、真っ暗ではないところ」
「いこうよ」
 蘭が土で汚れた手を伸ばした。
 みさとが手を握った。その手の中に、タンポポの綿毛があった。それに気がつくのは、森を出て初めて蘭と手を離すとき。


 しかし星はとまり、その日から、確実に消え始めた。
 脳裏に浮かぶは、ロバート・ブロックのことば――
『時が止まった。
 死が、死にたえた。』




<了>

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   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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【0173/武神・一樹/男/30/骨董屋『櫻月堂』店長】
【0377/星間・信人/男/32/私立第三須賀杜爾区大学の図書館司書】
【1057/ステラ・ミラ/女/999/古本屋の店主】
【2163/藤井・蘭/男/1/藤井家の居候】

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               ライター通信
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 モロクっちです。お待たせ致しました。『神の膝元【シーカー】』をお届けします。
 えらいことになりましたが、プレイングがもっとえらいことになっている方がおひとり……(笑)今回『見た』ことによって、ますますえらいことになってしまわれたのではないでしょうか。1D256で正気度チェックお願いしますよ(笑)。こちらのノベルは皆さんの心情が入り乱れ、人数のわりには書きごたえがありました。
 さて、大変なものが目覚めてしまいましたが、もちろんこの展開はモロクっちのクトゥルフ大イベントでのみの出来事となります。気にせず、年越しそばを食べ、お正月を過ごして下さい(笑)。ちなみに『偉大なるもの』はモロクっちオリジナルのカミサマです。
 お時間があれば、アトラス側のノベルにも目を通して下さると幸いです。
 それでは、また!