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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


0.オープニング・マーダー ――どちらが殺した?

■セレスティ・カーニンガム編【オープニング】

 本当は出逢わなければ、よかったのだろう――。



 ボクがゲルニカに初めて訪れた時には、既にこの状況が確立されていた。
 ”あいつ”は自分の元恋人が探偵(=少年探偵)に殺されたのだと思っていたし、探偵は母親兼助手が”あいつ”に殺されたのだと思っていた。
(――そう)
 元恋人と母親兼助手は、同一人物である。
 もう少し説明するならば、”あいつ”は探偵の父親に当たる存在だった。
 もちろん、血は繋がっていない。
 ゲルニカではそれが当たり前なのだ。


 その事件が起きた時、”あいつ”は既に恋人に振られていた(だからこそ”元”恋人と表現しているのだけど)。原因は”あいつ”が探偵を殺そうとしていたから。その人は”あいつ”よりも探偵を選んだのだった。
 そんな状況の中、その人は死んでしまった。最も傍にいたのは探偵だったけれど、探偵は何故その人が死んだのかわからなかった。
 この確執――戦争は、そこから始まっている。


 そこで皆さんには、ゲルニカへ行って自由に動いてきて欲しい。
 答えはきっと、至るところにばら撒かれている。
 ゲルニカに存在するすべての人が、何かしらの秘密を抱えている。
 その秘密はすべて、”あいつ”の存在に起因しているものだ。
 何故ならこの世界は、”あいつ”がつくったものだから。


 始まりの答えを探して?
 そのためならば、どちらに味方しても構わない。
 ――では、いってらっしゃい。

(桂より)



■旅立ち【都内某ビル:屋上】

「――約束の時間ですね」
 小さくも大きくもない5角形の1角。少年がゆっくりと口を開いた。その手には、長い鎖の懐中時計が握られている。
「これからどこへ行くのか、わかっていますよね?」
 同じ声に、皆一斉に頷いた。
(そう――)
 何故かわかっている。
 私たちはこれから、”ゲルニカ”と呼ばれる異界へ行くのだ。行くために、この日この時間、こうしてここに集まった。
「どうして知っているかなんて、考えない方がいいですよ。世界を疑い始めたら、キリがありませんから」
 釈然としない顔をしている私たちに、少年は笑った。
「まずは自己紹介をしましょう。向こうに行ったらそんな機会はまずないでしょうからね」
 少年は1人で話し続ける。誰にも異論はない。
「ボクは桂(けい)っていいます。これから皆さんをゲルニカへと案内する者です。この空間を飛び越えることのできる時計を使って」
 時計を皆に見えるよう示してから。
「普段はアトラス編集部でアルバイトしてるんですよ。もしかしたらどこかで、会ったことがあるかもしれませんね」
 そこまで言い終わると、少年――桂くんはシュライン・エマさんの方を見た。
「時計回りに行きましょうか」
 シュラインさんは桂くんの左隣だったのだ。軽く頷く。
「私はシュライン・エマ。職業は翻訳家。でも最近は、草間興信所で手伝いをしていることの方が多いわね」
 その自己紹介に私は思わず苦笑する。確かに、翻訳家というよりも、草間興信所事務員という肩書きの方がぴったりくるのだった。
 シュラインさんはさらに、左隣へと視線を送る。
 輪郭から、桂くんと同じ年くらいの少年なのではないかと思った。
「俺は柚木・羽乃(ゆずき・はの)。鎌倉の高校に通ってる高校生です」
 その隣は私だ。
「セレスティ・カーニンガムといいます。財閥の統帥をしておりますが……行っていることはほとんど占いです」
 私は車椅子の上で、肩をすくめながら笑う。
(統帥だからといって)
 一線を置かれてはつまらないからだ。
 そして視線は、最後の1人に移る。
「俺は志賀・哲生(しが・てつお)。探偵をやっている」
 シュラインさんや零ちゃんがいない時の草間さんのような、だらしなさを醸し出している男性。探偵と聞いて納得してしまうのは偏見だろうか。
「これで全員――ん?」
 一周して桂くんに戻ると、桂くんは不意に何かに気づいた。
「? どうした?」
 志賀さんの問いかけに、それでも何事もなかったかのようにすぐ首を振る。
「何でもありません」
 しかし、視力が弱い分他の機能が敏感になっている私は聴いてしまった。
「……アナタがそう望むのであれば」
 そんな桂くんの呟きを。
(何……?)
 それを問おうとするよりも早く、桂くんの口が再び開く。
「皆さんよろしくお願いしますね。それでは、行きましょうか」



 縦に一列になって、全員で手を繋いでいた。そのまま暗いトンネルの中を歩いている。
 私はいちばん後ろで、片手は志賀さんに預け片手で車椅子を操作していた。
(暗い、世界――)
 正確に言えば、そこが本当にトンネルのような形をしているかどうかもわからない。それほど暗く、何も見えないのだ。
 信じられるものは、繋がれた手と。
 先頭を歩く、桂くんだけ。
「ゲルニカがどんな世界かは、ある程度ご存知ですよね?」
 前を向いたまま確認が投げかけられる。当然答えは期待していないようで、桂くんはすぐに続けた。
「向こうに着いたらまず、探偵――少年探偵に会っていただきます。会いたいと思っている方も多いでしょうし」
(確かに)
 私は何故か事前に知っている、ゲルニカについての情報を思い浮かべた。
 世界の始まりとも言える1つの事件――私はそれに興味があるのだ。
(一体どんなふうに)
 どの場所で。
 2人に愛されたその人は亡くなったのだろう?
 それを調べたいと思っていた。
(あくまで、公平な視点で)
 だからこそ、その時傍にいた探偵に話を訊くことは、必要不可欠なことだった。
「――さあ、ゲルニカが見えてきましたよ」
 桂くんの声に、皆前を見ようとそれぞれ頭をずらした。が、行く先には何も見えない。
(光ならば)
 私にも見えるはずなのに。
「……光が見えるのか?」
 柚木くんが不思議そうに問った。どうやら見えないのは、私だけではないようだ。
 桂くんの気配が揺れる。
「見えるのは、闇の中の闇ですよ。ゲルニカは――闇の世界だから」



■探偵と助手【ゲルニカ:草間興信所】

「こんにちは、探偵サン、助手サン」
 チャイムも鳴らさず草間興信所へと入っていった桂くんは、慣れたように挨拶をした。その視線の先には、いつもは草間さんがいる机におさまっている少年(探偵)と、いつもは零ちゃんが立っている場所におさまっている青年(助手)がいた。
 名ばかりの、草間興信所だ。
「――また来たのか、君は」
 声を発したのは探偵。意外にも、その言葉は歓迎のものではなかった。
「僕はもう君にはどんな感情もはらわないことにしたのだ。帰ってくれたまえ」
 大人びた口調で告げる探偵を、助手が心配そうに見つめている。
 半ば呆然とする私たちを振り返って、桂くんは苦笑まじりに告白した。
「実はボク、この世界で既に3回ほど死んでいるんですよ。つまり探偵はボクのせいで、既に3回も苦しんでいるというわけです」
「!」
「――ということはつまり、この世界で亡くなっても実際の死には繋がらないと?」
 それは重要な問題だった。
 私の問いかけに、桂くんは頷く。
「でも痛いのは痛いですよ。それに死にすぎると、こんなふうに探偵から相手にされなくなりますから気をつけて下さい(笑)。探偵がボクに感情をはらわないということは、”あいつ”もボクを殺そうとはしなくなるということです。一見安全なように見えますが、それでは傍観者になるしかない」
「そうだ。君は傍観者になったのだ。わかったのならすぐに出て行け」
 当然その会話は探偵の耳にも届いていて、拒絶の言葉を叩きつける。
 桂くんは探偵の方に視線を戻すと。
「彼らを紹介してから、出て行きますよ」
「彼ら? 後ろの者たちか」
「ええ。ボクが干渉できなくなるので、代わりに干渉してもらおうと連れてきたのです」
「!」
 探偵は強く机を叩くと、立ち上がった。
「何故……?!」
「連れてきたのはボクですが、集めたのは”あいつ”ですから」
 桂くんはきっぱりと告げる。
 その言葉に、私はこの世界の大原則を思い出した。
”ゲルニカは、たった1人の存在によってつくられている”
 それが”あいつ”と呼ばれる者。
 そして私たちがこうしてゲルニカへやってきたことも、その人の意思だというのだ。
「…………」
 探偵は放心したように、言葉なく椅子へと戻った。
「探偵……」
 相変わらず心配そうな助手。
 それを見届けると、桂くんは回れ右をして玄関へと向かう。私たちは追った方がいいのか迷い、視線を見合わせた。
 すると。
「ボクは外で待っていますから、皆さんは好きなだけ話を聞いてきて下さい」
 ドアの方を向いたまま告げてから――探偵を、振り返った。
「まだ大丈夫ですよ、探偵サン。彼らがアナタの方につくと、決まったわけじゃない。これからボクが彼らにゲルニカを案内します。きっと――すべてはそれからです」
 少し寂しそうに、にこりと笑う。
 対する探偵は俯いていて、表情が読み取れなかったが。
「――覚えておこう」
 それでも小さく、呟いた。



 机の前にある応接用ソファに、2人ずつ向かい合わせて腰かけた。お茶を出してくれるのは、零ちゃんではなく助手だ。
「――で? 君たちは僕に何を訊きたいのだ?」
 挨拶も何もなく、唐突に会話は始まる。どうやらこの探偵、人の名前にはとんと興味がないらしい。
 そんな探偵の問いに、まず答えたのはシュラインさんだった。
「最初の事件のことが知りたいわ」
 ピクリと、探偵の眉が動く。
「元助手の殺人事件? そんなのは訊くだけ無駄だぞ。あれは決して解けない謎なのだ」
 探偵自身でも解けない。だからそんな言い方をしたのだろう。
「自殺では、なかったのですか?」
 私はずっと気になっていたことを問った。
(犯人がわからないのなら)
 当然その可能性もあるのだ。
 しかし探偵は、大きく首を振った。
「まさか、あり得ない。あの人は自殺のできない身体だった。それに自殺をする理由も必要性もない」
(自殺のできない身体……?)
 気になる表現だった。
 皆もそう感じたのだろう、柚木くんが問いかける。
「それってどういう身体なの?」
「彼女の自殺は同時に他殺でもあるのだ。彼女がこれから生むかもしれない尊い命まで失うことになるからね。優しい彼女にそんなことができるわけがない」
 「それくらいわからないのか」といった感情がこもっていることは明白だった。まだ少ししか問いを投げかけていないのに、探偵は既に面倒くさそうなのである。
(子供らしからぬ子供ですね……)
 さらに探偵は、私たちにさっさと帰ってほしいのか急ぐように言葉を繋いだ。
「あの事件について、僕が言うべきことはないのだ。知りたければ、アトラス編集部やゴーストネットにでも行くといい。”時計”なんか僕よりも詳しいはずだ」
「時計?」
「君たちを連れてきた奴のことさ」
(桂くんのことか)
 それならあとで、訊いてみましょう。
「もういいかね?」
 探偵の威圧的な言葉と視線に、私たちが頷きそうになった時だった。
「1つだけ」
 声を挟んだのは志賀さんだ。
「何だ?」
 探偵の促しに、志賀さんは奥のドアを指差して告げる。
「あの部屋には、何がある?」
 探偵の雰囲気が、冷たく変わった。
「――どうして、そんなことを訊くのだ?」
 対する志賀さんは平然と。
「”死の匂い”が、強いからさ」
「! ……そうか、君は同業者か」
「幸か不幸かね」
 苦笑する志賀さんを。
「いいだろう、ついて来い」
 驚いたことに、探偵はその部屋へと誘った。
「他の者は、見ない方がいい。きっと――」
 探偵はそこまで告げると、奥の部屋のドアを開け先に志賀さんを入れた。それからこちらを振り返って。
「きっと僕を、殺したくなるから」
「!?」
 ゆっくりと、ドアが閉まった。

     ★

「気を悪くしないで下さいね。探偵も今はあんなですが、本当はとても優しい方なのです」
 探偵がいなくなると、助手はそう言って頭を下げた。
「ただ参っているのですよ。絶え間なくストレスを受けていますから……」
「絶え間なく?」
 問い返した柚木くんに、助手は苦笑する。
「私の存在自体が、探偵にとっては第一のストレスなのです」
「そんな……」
 否定しようとしたシュラインさんの言葉は、そこで途切れた。理由は明白だ。
(私たちは、知っている)
 何故かわかっている。
 どうして助手が、こんなことを言うのか。
 これも桂くんが言っていたように、”あいつ”の仕業なのだろうか?
(探偵と助手の出会いすら)
 仕組まれていたように。
「――助手さん、少し訊いてもよろしいですか?」
 沈んだ気配を遮るように、私は問いを投げかける。
「ええ、構いませんよ」
「助手さんは、探偵くんの元助手の方をご存知ないのでしたよね?」
 私たちが事前に知っている情報としては、そうだった。
 助手さんは私に頷いて。
「そうです。私が探偵と出会った時、既にその方は亡くなっていて……だからこそ私が助手になることができたのですが」
「じゃあ元助手さんについては、何も知らないんですか?」
「優しい方であったということは聞いておりますが、それ以上のことはよくわかりません」
 シュラインさんの問いに即答すると、助手は表情を曇らせた。もしかしたら、そのことについてあまり訊いてほしくないのかもしれない。
 少し、妙な雰囲気が私たちを包んだ。
 その中で、「あ……」と柚木くんが何かを思いついたような声をあげる。
「ねぇ、アトラス編集部やゴーストネットで調べ物をするのに、なんか必要なものってあるの?」
「必要なもの?」
「そう。例えばお金とか、立場とかさ」
(言われてみれば)
 違う世界であるゲルニカで、あちらのお金を消費するのはおかしい。それに私たちの立場も――今の所はまだ、明確ではない。
「そうですね。”探偵の助手”という立場があった方がいいのであれば、ぜひお願いしたいものです」
(探偵助手ならば)
 もしかしたら探偵や”あいつ”自身も知らない情報を引き出せるかもしれない。
 そんなふうに考えて、言葉を繋いだ。私たちを助手は笑う。
「それは心配ないでしょう。あなた方は”あいつ”に呼ばれた方々ですから。ある程度の行動は自由なはずです。”探偵の助手”という肩書きは、逆に行動を狭めることになると思いますよ。探偵側についたととられるでしょうから」
「あ、そっかぁ。言われてみればそうだね」
 柚木くんの合槌に私も頷いた。
(どうやら彼も)
 まだ選ぶ気は、ないようだ。
 どちらにつく気もないのに、”探偵側”と見なされることは避けたかった。それにより逆に行動が狭まるのならなおさら。
(まだ、事件に触れ始めたばかり――)
 私たちは距離を置いて、見極める必要があるのだ。



■事件を探りに【ゲルニカ:アトラス編集部】

 志賀さんが戻ってくると、私たちは興信所の外で待っていた桂くんと合流して、アトラス編集部へと向かった。
「――ただいま、編集長」
「桂ぃ〜。あなた、遊んでないでしょうね? ちゃんとネタは仕入れてきたの?!」
 編集部には麗香さんがいたが、何故か三下さんはいないようだった。
(どうしたのでしょう?)
 気になるけれど、根本的に向こうとは違う世界。訊いていいのか迷う。最初から存在していない可能性もあるからだ。
「仕入れてきましたよ、ほら」
 麗香さんの問い(脅し?)に、桂くんは私たちを差して答える。
「……俺たちネタ?」
 複雑そうな表情を浮かべる柚木くんに、桂くんはにこりと笑うと。
「これから脂が乗る予定ですけどね」
「うげ」
「編集長、そのために資料室をお借りしたいのですが」
 今度は麗香さんに向かって告げた。なかなか策士のようだ。
「それは構わないけど、散らかさないでね。あとレポート!」
「わかってますって。じゃあ皆さん、こちらへ――」
 散らかり放題のデスクを両脇に見ながら、私たちは編集部の奥の資料室へと向かった。



「さて、あの事件について調べるんでしたね」
 本棚ばかりの狭い部屋。薄暗い空間に5人はちょっときついけれど、文句など言っていられない。
「ここが”あいつ”の世界なら、きっとその時のことを克明に記録したものがあると思うの。それだけで探偵くんを苦しめることができるもの」
 シュラインさんの発した言葉に、頷く。
(確かにそうですね)
 犯人がどちらであれ、探偵にとってそれは辛い記憶であるはずだから。
「ああ、それはありますよ。アトラスはそれを皆に伝えるために、存在しているのですから」
「え?」
 意外にもあっさりと答えた桂くんに、少し拍子抜けする。
「ちょっと待って下さいね」
 告げると、桂くんは本棚の海の中へ入っていった。声だけが聞こえる。
「ボクらは”あいつ”の記録係的な側面を持っているんですよ。だからアトラスは、自由に発行することを許されている」
「その割には、殺されてるんだろ?」
 志賀さんが笑いながら問った。
(本当に)
 それを許されているならば、殺されるのはおかしい。
「ボクは、ね」
 答える桂くんの声も笑っていた。
「記録していくうちに、どんどん探偵側に寄っていってしまうんですよ、困ったことに。それで”あいつ”の機嫌を損ね、探偵を苦しめる道具として使用されるわけです。――お、あったあった」
 何冊かの月刊アトラスを持って、桂くんが戻ってきた。見ると、どうやらバックナンバーのようだ。
「これまでにその事件をアトラスで特集した号です。これを読めば大体わかると思います」
 隅に置かれた小さなテーブルの上に該当ページを広げると、皆食い入るように見つめた。
 概要はこうだ。

 ”あいつ”は恋人と共に探偵となる前の赤ん坊を拾った(ゲルニカでは子供が生まれるとまずは所定の場所に捨て、欲しいと思った人が勝手に拾っていくということが一般的に行われているのだと、桂くんが教えてくれた)。
 それは2人が望んで拾った2人の”子供”であったはずなのだが、恋人の方が徐々にその赤ん坊に夢中になっていったために、”あいつ”は赤ん坊に嫉妬するようになった。
 浮気をしているわけではない。彼女の行動は母性の表れであり、いわば仕方のないものだったはずだ。
 しかし”あいつ”はそんなふうに恋人を魅了する赤ん坊が許せず、こともあろうか殺そうとした。
 だがその目論みは医学探偵によって阻まれ、それによって恋人は、”あいつ”が赤ん坊を殺そうとした事実を知ってしまう。
 そんな彼女がとった行動は――赤ん坊を捨てることではなく、”あいつ”と別れることだった。
 生まれた瞬間から意識があったというその赤ん坊はそれから”探偵”となり、母親だったその女性を助手にした。
 そうして、少しの時が過ぎた――
 事件は突然起こる。
 少年探偵となった探偵と、助手として尽くしてきた彼女は、当時請け負っていた事件の捜査の一環としてゴーストネットを訪れた。その時突然、彼女が亡くなってしまったのだ。
 その時その部屋には、探偵と彼女しかいなかった。それはゴーストネットの職員も証言しているし、探偵自身も証言している。
(――そう)
 最も怪しいのは、明らかに探偵なのだった。
 しかし探偵はそれを否定し、彼女の死因もわからなかったので、探偵を責める者はいなかった。
 ――”あいつ”以外は。

「わかったような、わからないような」
 柚木くんが呟く。
(確かに、掴み所がないのですよねぇ)
 この内容からいけば、最初に悪いのは”あいつ”の方だ。――いや、子供に夢中になってしまった恋人の方かもしれないけれど、女性としてそれは仕方がないことだと思う。
 しかしあの事件そのものに関しては、どう考えても探偵の方が怪しい。それなら今現在の”あいつ”の行動は、筋が通っているということになる(関係のない人物を殺すことはどうかと思うが)。
「探偵くんはキミの方が事件には詳しいと言っていたけれど、キミはこの事件をどう思うのですか?」
「ボク? 探偵がそんなことを言ったの?」
 ふと思い出して問った私の言葉がよほど意外だったのか、桂くんは目をぱちくりさせた。
「確かに言ってたな」
 志賀さんをはじめ皆も頷く。
 すると桂くんは苦笑して。
「どうかな。探偵が決して考えることのできない疑いを持てる、ということはあるかもしれないけど……」
「疑い?」
「あの事件の時、”あいつ”には1人でいたというアリバイがあるのです」
「…………」
 桂くんの答えに私たちは言葉を失った。それが”逆”であったからだ。それを問いただすように、シュラインさんが口を開く。
「待って。おかしくない? 普通は1人でいたら、アリバイが”ない”とされるはずだけど?」
 だからこそ事件の犯人はよく、偽の犯行時間に自分の姿を誰かに目撃させることで、アリバイを作るのだ。
 しかし桂くんは首を振った。
「彼女が亡くなった時間帯、ゲルニカの中で”あいつ”の姿を見た者はいませんでした。それは探偵自身もそう証言していることです」
「! それは……”あいつ”がその時間何をしていたかわからないけど、少なくとも元恋人の傍には行っていないということ?」
 柚木くんに頷き、口では真逆のことを言う。
「ボクが疑っているのはそこですよ。もしかしたら探偵は、嘘をついているのかもしれない」
「な……っ」
(それはつまり――)
 3人は同じ部屋の中にいた可能性もあるということ……?
「しかしそれでは、探偵くんが”あいつ”をかばっていることになりますよ?」
(探偵がそれを明かさなければ)
 犯人として最も疑われるのは自分なのだから。
 そう思って投げかけた問いに、桂くんは力なく頷き。
「そうです。ですから探偵は、もちろんその説を否定するでしょう。ボクだってこうして中立にならなければ、思いつかなかった説なんです。皆さんにそんなことを言ったのは、きっとボクが本当に中立であることを確かめたかったからでしょう」
 それは自分が哀しまないためであるし、同時に桂くんを苦しめないためであるはずだ。
(ほんの少し)
 探偵の優しさが垣間見えた。
「――ところでさっきの話だが」
 切れた会話を見計らって、志賀さんが口を開く。
「遠隔殺人、なんてことはないのか?」
「探偵は否定しています」
 即答した桂くんに、志賀さんは「ふん」と鼻で笑って。
「あの坊やが犯人かそうでないかわからない以上、その言葉を信用するわけにはいかないな。――ゴーストネットに連れて行ってくれ。現場を見てみたい」



■言霊の反乱【ゲルニカ:ゴーストネットOFF】

「――そもそもさ、何で探偵は”あいつ”が犯人だと言い出したんだろう?」
 ゴーストネットに向かう道すがら、柚木くんはそんな問いを口にした。
「どうして?」
 シュラインさんが合いの手を入れると。
「だってね、”あいつ”が関与していないことは、ゲルニカ中の人が知ってるみたいじゃない。それに本当に”あいつ”を犯人にしたいなら、さっきの話じゃないけどその場に”あいつ”がいたって偽証すればいいんだよ」
「おー、頭が回るな坊主」
「坊主って言わないでよっ」
 ぽむぽむと叩いて告げた志賀さんの手を、柚木くんは振り払う。その仕草が先生と生徒のようでおかしくて、私は気づかれないように笑った。
「――確かに、そうですね。それをやらなかったということは、やはり探偵が犯人ではないと見ていいのでしょうか」
 それでも頭の中ではしっかりと考察が回っていて、私は口にする。
 それを引き継いだのは、桂くんだった。
「探偵が”あいつ”を犯人だと考える理由は2つあります。1つは、”あいつ”以外に動機が存在しないこと。もう1つは――本当のターゲットが探偵であった可能性」
「!?」
「ボクらアトラス編集部が調べた結果によると、1つ目の方は確実でした。彼女は美しく温厚な人物で、別れた”あいつ”以外に彼女を恨むような人は存在しません。同じく探偵も、口調はああですが腕は確かなので、多くの人に信頼され受け入れられていました。もし犯人の本当のターゲットが探偵であり、誤って彼女の方を殺してしまったとしても、動機を主とした時最も疑わしいのは”あいつ”なんですよ」
 状況から見れば、最も怪しいのは探偵。しかしそこに動機を持ち出すと、”あいつ”以外にはあり得なくなる。
(動機が引く逆転のトリガー)
 答えはその先にある……?
 互いの言葉だけが証拠となる実情に、私は軽い絶望感を覚えた。



 ゴーストネットの外観は、現実のものとまったく同じだった。
「いらっしゃいませー。どんなご用件ですか?」
 入り口の自動ドアをくぐると、受付嬢が明るい声で訊ねてくる。
(中は、全然違いますね)
 まずインターネット・カフェなら、基本的に客は皆ネットをしにくるのだ。用件など訊かれない。訊かれるならば人数や時間、コースだろう。
「始まりの事件のあった部屋を、見学したいのですが」
(始まりの事件――)
 ゲルニカではそう呼ばれているようだった。
 桂くんがズバリ告げると、受付嬢は笑顔のまま対応する。
「ではただ今案内いたしますので、少々お待ち下さいませ」
 どうやらその部屋は、ゲルニカの観光スポットになっているらしい。
 受付の前に立ったまましばらく待っていると、やがて案内役の女性がエレベーターから降りてきた。
「見学希望の皆様、こちらへどうぞ」
 ぞろぞろとカラのエレベーターに乗り込むが、桂くんだけは何故か乗らない。
「桂くん?」
 短く訊ねたシュラインさんに。
「ボクはここで待っていますよ。内部のことはその人の方が詳しいでしょうし――”ボク寄り”には、なってほしくないですから」
 そう笑った。笑顔が、両側から遮断される。
「例の部屋は、今現在も言霊置き場として使用しておりますので、置かれている言霊を壊さぬようお願い致しますね」
 静かに動き出したエレベーター。上へ向かいながら、女性はそう念を押した。
(言霊――)
 何故か最初から知っている、識を呼び起こす。
(言葉を閉じこめたガラス玉、でしたね)
 ゲルニカでは手紙よりも、この言霊をやり取りすることが多いという。ちなみにコンピューターは存在しないので、Eメールも当然ない。
 だが一概に、どちらの文明が高度などとは言えないようだった。
 そんなことを考えていると、ふとシュラインさんの言葉が耳に入る。
「手紙の代わりに言霊が使われるのなら、彼女の遺言……もしくは遺書も、もしかしたら言霊として残されているんじゃないかしら?」
「?!」
 エレベーター内の空気が、一瞬にして変わった。その言葉があまりにも高い可能性を秘めていたからだ。
(もしもあるのなら)
 それを聴けば何かわかるかもしれない。
「ねぇキミっ、死んだ人の言霊って、取っておいてる?!」
 柚木くんが女性の服をぐいと掴んで訊ねる。当然話を聞いていた女性はその言葉が何を意味しているのか悟り、適切な答えをくれた(服を掴まれたまま)。
「通常亡くなった方の言霊はご遺族の方に返されるのですが、少年探偵様とあの方はその時、母子ではなく”探偵”と”助手”という関係でしたし……”あいつ”様とも関係が切れておりましたから、あの方のものはそのままの場所に保管されております。あの事件に関わっていると思われる大事な物ですので、簡単には処分できないのです」
「それで、その場所は?」
 矢継ぎ早に問うと。
「これから向かう部屋――事件のあった部屋ですよ」
 女性はためらいがちに答えた(服を掴まれたまま)。
(!)
 果たしてそれは、偶然なのだろうか……?
 私の中で、疑問がわきあがった。
  ――チンっ
 目的の階についたのか、ゆっくりとドアが開く。
「早く行ってみよう」
 いちばんに飛び出した柚木くんにつられて、女性も出てゆく(服を掴まれたまま)。
「あのー……いい加減放していただけませんか?」
「あ、ごめん。で、どこ?」
 女性は苦笑しながら着衣の乱れを直すと。
「見るのは構いませんが、聴くことはできませんよ?」
「何でだ?」
 最後にゆっくりと降りてきた志賀さんが問う。それは皆の気持ちを代弁していた。
 女性は表情を戻してから。
「亡くなった方の言霊を聴けるのは一度だけ。故人と生前関係の深かった人物2人以上の前で、という決まりがあります。彼女の場合は、それが少年探偵様と”あいつ”様なのです」
「げ」
 私たちは顔を見合わせた。ならば当然、”あいつ”も探偵も、それを聴くことができないはずだ。
(”あいつ”は逃げている)
 探偵はそれを追っている。
 同じ部屋で仲良く言霊を聴くなんて、あり得ない。
「その聴くべき人物を決めるのは……?」
 おそらく私のその問いは、確認作業でしかなかった。
「”あいつ”様です」
「おとなしく決まり守ってるんだ?」
 柚木くんのそれは、本当に素直な感想だ。
(私も同感ですね)
 ”あいつ”が聴きたいのなら。聴く必要があるのなら。そもそもそれを自分と探偵くんにはしないだろうし、そんな決まり、守る必要もない。
「聴く必要がない、もしくは――」
「聴きたくない、ですか」
 志賀さんの言葉に私が続けた。
 そしてそれは、ますます聴く必要があることを裏づけていた。
 もう一度、皆で視線を合わせる。
(――やりますか)
 小さく頷き合った私たちに、女性は気づかなかった。

     ★

 音の洪水が、私を呑みこもうとする。
 小さく閉めきられた部屋の中。壁際に整然と並べられた言霊たち。
 そこに――吹くはずのない、風が吹いた。
  ――ガシャン ガシャン ガシャン……
 ガラス玉が割れる音すら反響し、とまらない。
  ――あえおりがひぅえrはぃえるはぃせhらぃすえhらぃせうhりぁりうhl……
 そこからもれ出る言葉は混ざり合いすぎてわからない。まるで色を混ぜすぎた絵の具のように、汚い音として――強大な音として、私の耳に届いた。
(これは一体……?!)
 皆耳に手をやり、頭が割れそうなほどくり返される無意味な騒音をやり過ごそうとしていた。しかし耳は、完全に閉じることのできない唯一の機関だと言われているだけあって、隙間から容易に音を拾ってしまう。ただでさえ聴力の敏感な私は、なおさらだった。
(耳の良さが、仇になるとは……)
 私は車椅子の上で、身体を半分に折っていた。頭は重く鳴り響き、あげることなどとてもできない。
 ――何故、こんなことになったのか。
「部屋の中では一言も喋らないで下さいね。室内の壁はリピーター製です。万が一言霊が割れてもいいように、音を反射し続けるようにできているんです。歩く時もなるべく音を出さないようお願いします。万が一大きな音を出してしまったら、すぐに窓を開けて下さい。そうすれば音は外へ逃げますから」
 案内役の女性はそう告げると、ドアの鍵を開けた。ノブにかけられたその手を志賀さんが抑え、そのままドアを開ける。
「? あの……?」
 不思議そうな顔をする女性に、志賀さんはただ笑った。その隙に私たちは中へと入ったのだ。
 最後は簡単で、志賀さんはそのまま女性から鍵を奪うと。
「すまんな」
 廊下に一言残して、女性の前でドアを閉めた。
(そう――)
 私たちは勝手に言霊を聴こうとしたのだ。
 その言霊が事件の解決に繋がる、何か重要な意味を持っている。皆がそれを確信していたから、罪悪感などというものはなかった。
(あるとしたら)
 知りたいと願う、比類ないまでの探求心――
(――窓を、開けられたら……)
 音に攻撃をされ続ける中、それでも私の思考はそこまでたどり着いていた。しかしそんな行動を起こす余裕が、私にはない。無駄だとわかっていても、耳を塞ぎ続けることで精一杯なのだ。
 ――と。
 突然、再びあり得ないはずの突風が吹いた。しかも最初のものよりもずっと強く、その風は――窓ガラスをも、破壊した。
(!?)
 音がしなかったのは、音にまぎれたせいだ。
 徐々に私たちを包んでいた騒音は小さくなり、窓から音が外に逃げていっているのがわかった。
 声を反射させないために、やっと動きを取り戻した皆は自然と窓の傍に集まる。
 窓から顔を出して下を見ると、落ちたガラスがキラキラと輝いていた。解き放たれた音たちの、喜びのように。
「――はぁ……酷い目に遭いましたね」
「まだ頭がガンガンするぜ」
「何だったんだろ、今の風……」
「でも皆頭を低くしててよかったわ。窓を割るくらいの突風――もし立ってたら、一緒に飛ばされてたかも」
 シュラインさんの発言に、思わず顔を強張らせる。
(殺されかけたのか)
 助けられたのか。
 誰にもわかりはしないのだ。
  ――バンっ
「一体何があったんで……あ!」
 スペアキーを取ってきたのだろう。案内役だった女性は部屋の惨状を見て言葉を失った。
「逃げるぞ」
 外へ向かって呟いた志賀さん。皆の行動は――速い。
「あ、ちょ……っ」
 何かを告げることも許さず、私たちは動き出した。



 階段はなく、エレベーターで1階に戻ると、何故か桂くんの姿が見当たらない。
(もしかすると……)
 とそのまま外に出てみると、案の定桂くんは外から窓ガラスが割れた部屋を見上げていた。
 その桂くんに声をかけ、一緒に逃げる。
「皆さん……一体何をしでかしたんですか?!」
 走りながら呆れたように叫んだ桂くんだったけれど、薄々は気づいているようだった。
(――当たり前、ですね)
 あの部屋からもれ出た音たちが、聴こえたはずだ。
 後ろを振り返る。不思議なことに、追って来る人は誰もいない。
 皆は徐々に小走りになり、やがて歩いた。
 そして一様に無言を通す。
 言葉にはできない、恐怖に似た感情が私たちを取り巻いていた。
「――探偵の所へ、戻りますか?」
 それを知らない桂くんが告げる。
 私はすかさず、浮かんでいた疑問を口にした。
(事件のあった部屋と)
 彼女の言霊が置かれていた部屋。
 それが同じだったのは、本当に偶然だったのか。
「その前に、1つ聞かせて下さい。2人がゴーストネットへ行くきっかけとなったその事件とは、どんなものだったのですか? もしかしたらそれは、彼女が探偵に言霊を渡そうとしたゆえの――」
「それはありません」
 立ちどまった桂くんは、その言葉を強く遮った。どこか怒って、いるようにも見える。
「彼女の残した言霊を、聴こうとしたんですね。だから拒絶された」
「”あいつ”に?」
「そうとは限りません。”あいつ”側の人間はいくらでもいますし、だからといってその人たちが100%”あいつ”の言いなりになるわけではありませんから」
「…………」
 合わせるように立ちどまった私たちを置いて、再び歩き出す。
「事件は単純なものでしたよ。死の間際に被害者が、犯人の名前を電話から言霊に録音していた。2人はそれを確かめにゴーストネットを訪れた。――ただそれだけのことです」
「その犯人は、誰だったんだ?」
 流れとして当たり前に問った柚木くんだったが。
「”あいつ”――でした」
「?!」
 その答えに息を呑んだ。
「探偵が”あいつ”を元助手殺しの犯人だと考える理由がもう1つあるとしたら、これでしょう。そんな事件を起こすことで、2人をゴーストネットへと導いたと考えることができますから」
 複雑に絡み合った事象。
(公平に見ようとすればするほど)
 どちらにも疑われる原因があり、どちらにも否定する理由があることがわかる。
(探偵自身は、あまり語りたがらない)
 では――
「”あいつ”に、会いたいわね」
 シュラインさんが呟く。
「――本気ですか?」
 桂くんは少なからず驚いたようで、探るような視線でシュラインさんを見た。
「皆もそうでしょう?」
 振られた私たちは、頷く。
(会う必要がある)
 ”あいつ”はこの事件に関して、一体何を語るのだろう。
「”あいつ”側に、なるつもりですか?」
「俺はどっちの味方にもならないよ」
 どこか抵抗があるような桂くんの言葉に、きっぱりと返したのは柚木くんだ。
「どうしてどちらかにつかなきゃならない? 2人とも何を見ているんだろうね。だって、誰かだけが悪いってそんな馬鹿な話はないじゃないか」
 その言葉は酷く正論だった。
「中立を選ぶのですか?」
「キミも今は、そうなのですよね?」
 加勢するように、問い返したのは私。
「そうですけど――中立にも3種類あるんです。『どちらも邪魔する』、『どちらも手伝う』、『どちらにも干渉しない』。どちらかだけを手伝ったり、邪魔したりする行為は、心が伴っていなくともそちら側についたと見なされます」
「誰によって?」
 志賀さんの問いに、桂くんは即答する。
「ゲルニカの、意志によって」
「つまり”あいつ”のか……」
 何かを諦めるように、柚木くんが呟いた。
 桂くんは続ける。
「中立であることが悪いとは言いません。ただ中立であり続けると、様々な問題が出てきます。例えばボクのように、既にどちらにも干渉しない――できない立場にあれば、狙われることはない反面、行動が制限されてしまうわけですけど。どちらにも協力する・しないという立場を永く取っていると、必然的に両方から恨まれる立場になってしまうわけです。もしくはいいように利用されるか、ですね」
 言われてみれば確かにそうだ。どちらかを手伝えばもう一方に不利益が生じ、どちらかを邪魔すれば邪魔した方に不利益が生じる。結果、両方から”邪魔者”と思われる可能性がある。
「中立でありたいなら、バランスが大事だと思いますよ。これから皆さんはゲルニカで様々な経験をするでしょう。その事象すべてにおいて、片側に賛成できるとは確かに考えにくいです。ボクがいつも探偵側についていたのは、探偵を苦しめるために関係のない人々を殺していた”あいつ”が嫌だったからであって、すべてにおいて探偵の考えに賛成していた……というわけではありませんでしたから」
「臨機応変に、動いてもいいということ?」
 シュラインさんの問いに、桂くんはゆっくりと頷いた。
「”あいつ”もそれを、望んでいるのだと思います。ボクに皆さんを案内させている時点で」
 ”させている”という表現が、気になって私は喰らいつく。
「そのキミの行動自体は、”あいつ”側にいる証拠ではないのですか?」
 しかしそれは、あっさりとかわされた。
「それはボクの意思ですよ。自分意思に”あいつ”の意思が混じることは、ゲルニカではある程度仕方のないことです。それに”あいつ”側についたと判断される材料は、『”あいつ”が探偵に罠を仕掛けることだけを手伝う』、『探偵が”あいつ”に対抗することだけを邪魔する』の2つだけですから」
「あー、なんか混乱してきた〜」
 頭を抱えた柚木くんに、桂くんは笑った。が、すぐに神妙な顔に戻して。
「まあとにかく、永く中立でいるのは危険なので、たまにはどっちかにつくのがいいですよ――ということです」
 そんなふうにまとめた。
 それを心に刻んで、私たちは頷く。
 桂くんも満足そうに頷き返すと。
「”あいつ”に会いたいんでしたね。でも残念ながら、”あいつ”は今の皆さん方に会うつもりはないようです。あったらとっくにどこかで遭遇しているはずですから」
(それはつまり)
 ”あいつ”側につくと決めた人の前には、自ら現れるということ?
 きっと――そうなのだろう。
 そしてそれ以外の人は、追いかけて捕まえるしかないのだ。探偵がやろうとしているように。
 ふと思い出したように、シュラインさんが口を開いた。
「さっきの風は、”あいつ”とは無関係なのかしら?」
「ああ――皆さんには見えなかったんですね。ボクは既にどちらにも不干渉な立場を取っていますから、見えました。あの窓から、能面をした美しい黒髪の女性が飛び去っていきましたよ」
「……は?」
 あまりにも予想外な言葉に、皆はしばし呆然とする。
(私たちの邪魔をした……?)
 ならば私たちが――もしくは私たちを、知る者か。
「他の特徴はありましたか?」
 私は冷静に問った。
 そもそも能面で顔を隠していたことが、最も怪しいのだ。万が一見られてしまうことを、想定していたのかもしれない。そして見られても、誰であるのかバレないように。
 桂くんは考える仕草をすると。
「そうですねぇ……巫女服を着ていて、あれは――錫杖を持っていたと思います」
 しかし残念ながらそんな人物に、覚えはない。皆も同じようだった。
 首を傾げる私たちを、桂くんは笑う。
「ボクには予想つきますけどね。ゲルニカにやって来たのは、ボクを含めて6人でしたから」
「え?!」
「簡単なことです。最初から意思の固まっていた人がいる、ただそれだけのこと。清々しいまでの潔さも、時には必要なんですよ」



■”あいつ”の輪郭【ゲルニカ:高峰心霊学研究所】

 ”あいつ”に直接会えないなら、せめて情報だけでも――と、”あいつ”の研究をしている高峰・沙耶さんのもとを訪れた。
 ただし、志賀さんだけは先に探偵の所へ行ってしまったのでいない。
「俺はとりあえず今回は、坊や側にいることにするよ。”あいつ”の傍は俺には刺激的過ぎる……そんな気がするんだ。それに――」
 志賀さんはそこで言葉を切ってから。
「1つ訊きたいこともあるしな」
 そう言い残して。
(そういえば志賀さんは、あの奥の部屋の中身を見たんでしたね……)
 もしかしたらそのことと何か関係があるのかもしれないが、そこまでつっこんでは訊けなかった。
 さて、ゲルニカの沙耶さんはというと……表面的には、いつもの沙耶さんと何ら変わらないように見えた。
「あら、いらっしゃい。今日はずいぶんと大人数なのね」
 たった4人だけれど、いつもが1人なら4倍だ。ある意味大人数なのかもしれない。
「”あいつ”のことを知りたいの? そう――”あいつ”ったらね、”あいつ”ったらね……」
 嫌な予感がした。
「硬派でかっこいいのよ〜vv」
(!?)
 いつものキリリとした沙耶さんからは考えられないような、口調と態度だった。
「さ、沙耶さん……?」
 そこから沙耶さんの独り言はとまらなかった。よほどご執心のようだ。
 沙耶さんの研究対象は心霊学。ではそれと”あいつ”がどう関係しているのかといえば――沙耶さんは”あいつ”という器の中に様々な人間の魂が乗り移っているのではないかという奇妙な説を展開しているのだ。
 話によると”あいつ”の性格は時と場合によりガラリと変わり、まるで多重人格者のようだという。しかし通常多重人格というものは後天的なものであり、生まれながらそうであったという話はまったく聞かない。
(しかし――)
 ”あいつ”は生まれた時からそうであるというのだ。
 だからこそ沙耶さんは、魂憑きであるという説を打ち出したのである。
 そしてもう1つ。
「彼が喋らないのは、きっとその影響なのだと思うわ」
 ”あいつ”は声を出さないのだという。喋らないのか喋れないのかはわからないが、いつも人とは筆談により会話するそうだ。
 さらに極めつけは――
「外見? さあ……いつもシルエットだもの」
「シルエット?」
「ええ、彼の存在自体が。間に何も遮るものがなくても、彼の姿はシルエットにしか見えないわ。おそらく彼がそういう世界に変えてしまったのよ」
(あり得ない――)
 そんな言葉を誰もが呑みこんだ。
 たった1人の存在から、つくられている世界。
 そんなふうに自らのすべてを隠して、彼は一体何をしようとしているのだろう。
(始まりの事件)
 事件の答え。
 永く見つからなかった答えは、彼がその姿を表すまで。
(きっと、解けない――?)
 そんな気がした。



■突きつけられた現実【ゲルニカ:草間興信所】

 志賀さんと合流するために草間興信所へと向かった私たちは、興信所の前で1枚の紙を拾った。
 そこに書かれていた文字を見た途端、桂くんの顔が凍りつく。
「これは……」
「どうしたの?」
 訊ねたシュラインさんを無視して、今日初めて訪れた時と同じように事務所へと入っていった。
「探偵サン。いつもの――」
 ソファに腰かけていた志賀さんの前を通り過ぎて、桂くんは探偵の目の前にその紙を置いた。
「”あいつ”からか」
「!」
 驚いた様子はない。むしろ驚いたのは私たちだ。
(”いつもの”、ですか……)
 もしかしたら”あいつ”からの手紙は、日常的にあることなのかもしれない。
 私たちも机に近づいて、探偵を見つめた。もちろん読んで欲しかったからだ。
 そんな私たちの視線を敏感に感じ取ったのか、探偵は1つ大きな息を吐く。
「――知らない方がいいことも、あるのだがね」
「ダメですよ、探偵サン。それがこの謎の答えなのですから」
 探偵が言わないのなら自分が……といった勢いで告げた桂くんに、探偵は苦笑してから今度は大きく息を吸った。
「――『真相がどちらであれ、ゲルニカは変わらない』――」
「!?」
 その瞬間唐突に、私たちは気づいてしまった。
(そういうことですか――)
 ――もしも探偵が犯人だったら?
 ”あいつ”の行動には筋が通っていて、本来なら探偵に抗う資格はない。それでも苦しみから逃れるためには、行動を起こすだろう。そして自分ではないと、言い続けるはずだ。自らを苦しめる”あいつ”を、憎むはずだ。
(それは現状と同じ)
 ――もしも”あいつ”が犯人だったら?
 自分はやっていないと嘘をつき、探偵に罪をかぶせるため探偵を憎む”振り”をするだろう。しかしそれはハタから見れば、実際に憎んでいることと何ら変わらない。探偵は探偵で、実際にやっていないのだから罪を否定し続ける。
(それも現状と同じ)
「真相がどちらであれ……ゲルニカは変わらない……」
 呟いたのが誰かなど、どうでもよくなっていた。
(今)
 突きつけられた言葉の正しさに、抗うことができない。
(探偵と、”あいつ”)
 そのどちらもが。
 この苦しさから、逃れられないように――。

■終【0.オープニング・マーダー】



■登場人物【この物語に登場した人物の一覧:先着順】

番号|P C 名
◆◆|性別|年齢|職業
0086|シュライン・エマ
◆◆|女性|26|翻訳家&幽霊作家+時々草間興信所でバイト
2266|柚木・羽乃
◆◆|男性|17|高校生
1883|セレスティ・カーニンガム
◆◆|男性| 725|財閥統帥・占い師・水霊使い
0164|斎・悠也
◆◆|男性|21|大学生・バイトでホスト
2151|志賀・哲生
◆◆|男性|30|私立探偵(元・刑事)



■ライター通信【伊塚和水より】

 この度は≪闇の異界・ゲルニカ 0.オープニング・マーダー≫へのご参加ありがとうございました。
 当初の予定どおり説明の多い内容になりましたが、大体どんな世界であるのかおわかりいただけたでしょうか。特に皆さんの立場に関しては、改めて細かく説明させていただきました。今回中立希望者が多かったこともあり、期間限定で中立もOKとすることにしました。どれくらいの間それが許されるのか……それは物語の流れによって決まってきますので、決して一定ではありません。それぞれ自分なりに見極めて、臨機応変に対応していただければと思います。
 ちなみに。この事件の謎は永遠に解かれないのかといえば、そうではありません。物語が進むにつれ自ずとわかってくるでしょう。
 それでは。またこの世界で会えることを、楽しみにしています。

 伊塚和水 拝