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<東京怪談ウェブゲーム アトラス編集部>


エスケープメント

とんでもないことになってしまった。どうやら月刊アトラス編集部で働いている桂という人の、空間をねじ曲げる力に巻き込まれてしまったらしい。素直に出られればよかったのだが、出口を間違えた。桂がありとあらゆる場所をつなぎ合わせてしまったため、写真の中に閉じ込められてしまった。
ただ、写真の中だからといって動けないわけではない。多分、現実世界でこの書斎の写真を見れば、あなたはうろうろ歩いている。なぜならあなたが今手にしている雑誌、月刊アトラスの後記に掲載されている編集部写真の中では彼を巻き込んだ桂本人を含め数人が動き回っているからだ。
閉じ込められた六人は、誰からともなく名乗っていた。
「皆さん初めまして。私はセレスティ・カーニンガム」
わざわざ最初に口を開いたのは、多分ここが自分の部屋でないことを認識したかったのだろう。万が一自分の部屋だとしたら、セレスティは彼ら五人を不法侵入罪で訴えなければならない。彼らは皆互いを警戒するように見回していた、だが、その緊張を黒髪の少女が打ち破る。
「あ……あの、あたし、どうしてここにいるんでしょう?」
少女、雨柳凪砂の視線は彼自身に注がれていた。理由は単純、全員の中で彼が現状に対し最も動揺していないように見えたからだった。セレスティは車椅子の車輪、室内用なので清潔だ、を撫でながら肩をすくめる。
「キミがただ方向音痴で道を間違えただけなら、私に説明はできませんね。けれどキミが私と同じように、同じ手順を踏んでこの空間に迷い込んできたとすれば、キミは私の説明を聞く意味があるかもしれません」
「は、はあ……」
凪砂の他にも数人、現状を把握していないように見える。彼らのためにセレスティは唇と舌を労働に傾ける。だが、セレスティの話はかなり高度な思考で構成されているため、空間と次元の関係について実際理解できたわけではないようだった。
「わかったかい?」
「あ、は、はい」
それでも凪砂は、理解しなければ申し訳ないというように頷いた。善良な精神の持ち主なのだろう。物事を本格的に理解するためにはそうした素直なものの考え方とそしてよく働く脳、理解するための時間と静寂が必要だ。
しかしここに集まった人間の中には静寂を許してくれない者もいるらしい。
「失礼ではなく無礼じゃこの人形!」
部屋の右側から甲高い怒鳴り声。応じるのもやはり子供の声。見ると、和装姿の本郷源と如月縁樹が抱いている人形とが口喧嘩を始めていた。
「人形じゃなくて、ボクにはノイって名前があるんだよ」
「やかまし……」
ノイと源が一触即発寸前のそのとき、源の猫がふと頭の上から飛び降り、セレスティの車椅子に弾み寄った。そしてその足をふんふんと嗅ぎまわっている。
「こら、にゃんこ丸」
お前も失礼じゃ、と源がにゃんこ丸を抱き上げる。セレスティは戸惑いつつも笑う。
「すまぬな。こやつはあまり人に迷惑をかける猫ではないのだがな」
「構いませんよ」
多分私の正体を見破ったのでしょう、というセレスティの呟きは小さすぎて源を含め誰に耳にも届かなかった。再び繰り返すことでもないので、セレスティは口をつぐむ。ふと、隣に立っている綾和泉汐耶も自分と同じような表情をしているのに気づいた。肩をすくめてみせるとそれも同時だった。
「あなたは動揺していないのね」
「動揺したって始まりませんからね」
セレスティは頬杖をつく。この世界には、騒いで解決できるものばかりだと考えている人間があまりに多いがそれは実際正しくない考え方だった。
「彼女からお茶でももらおう」
さっきまで源と言い合っていた人形、ノイの背中からティーセットを取り出している縁樹の姿が目に入る。本当に、不思議なことは多い。だが不思議なことにいちいち首を傾げていては長生きできないのだ。
「私にもお茶を頂けるかな」
「勿論です」
六人分のティーカップを机に並べた縁樹は赤い瞳を細め笑った。
机の周りに全員の椅子はなかったが、広い書斎だったので二人掛のソファがあった。そして高い位置の本を取るための脚立も一台あった。セレスティは元々車椅子だったので椅子は必要なかった。ソファは汐耶と凪砂、そして二人とも痩せていたので間に源が座れた。脚立は歩がもらった。残った縁樹は、全員に飲み物を配った後机とセットで据えられている革張りの、ふかふかとした椅子に体を埋めた。
「悪くないね」
紅茶を一口飲んだ功刀歩がそう感想を漏らした。実際、縁樹の紅茶はこの辺りの喫茶店に決してひけをとらないものだった。ソファの汐耶と凪砂も同意と言わんばかりに頷きながら飲んでいる、源は
「酒のほうがいいのう」
と言いつつ砂糖を二杯も入れながら飲んでいる。縁樹はノイを膝に乗せながら誉められた喜びに目を細めながら紅茶の香りを楽しんでいた。しかし。
「確かに美味しいですが」
最後のセレスティだけが「ですが」と、否定を匂わせる。
「ですが?」
「私たちはどうやってここから脱出しましょうか?」
誰かと一緒にいる時間は嫌いではない。だが、そろそろ一人の時間に戻りたくなってきた。
「確かにどうしましょうか」
「僕、夕方から仕事があるんですけどね」
「私だって同じよ、これでも忙しいんですから」
「源は学校休めるなら楽しいのう」
初対面の時分から薄々感じられていたことではあったが、ここにいる全員が現状、一つの空間に閉じ込められていることに対してそれほど切羽詰った危機感は抱いてはいなかった。むしろ特異な空間を楽しんでいるように思えた。わずかにでも焦りを感じているのは仕事が差し迫っている歩と汐耶くらいだった。
「原因は多分、桂くんね」
「恐らく」
「桂というのは、この写真の少年ですね?」
雑誌の中で動き回っている少年を、セレスティは指差す。汐耶、歩、セレスティの頭が集まると会話は冷静に進む。それぞれフランス人の思考方法を尊んでいるように見える、外国のことわざだ。
「イギリス人は歩きながら考える。フランス人は考えた後で走り出す。そしてスペイン人は、走ってしまった後で考える」
一方源、凪砂、縁樹とノイはスペイン人の思考方法が気に入っているらしく。
「この扉から出てどんどん進めば出られるのではないか?」
「でも、セレスティさんがここは写真の世界だと仰ってましたよ。ただ歩くだけじゃ写真の世界からは出られませんから、本当の世界との接点を見つけなければ……」
それでも縁樹はいくらか冷静だ。
「匂いで辿れるでしょうか?えっと、あたし、そういうの得意なんで」
「面倒だなあ。いっそのことこの世界破壊しちゃえば早いよ」
言うが早いかノイが背中から巨大な大砲を取り出す。既に弾丸まで充填されているらしく、あとは発射のみである。だがそれはさすがに止めなければならない。
「キミ、それは感心しないね」
「ここに並んでいる本は、どれも歴史的に価値があるものよ」
これなんて三冊しか現存してないのに、と汐耶が抜き出した革張りの本、十七世紀に出版された演劇論の初版だねと歩が答える。
「それよりやっぱり、桂氏に連絡をとるべきだよ」
「どうするのじゃ?」
源が首を傾げる。足元のにゃんこ丸もにゃあと鳴く。すると、汐耶がハンドバッグの中からなにかを取り出した。折りたたまれているそれをぱちんと開き、そして。
「携帯電話、つながるかしら?」
この不可思議な世界においてあまりに常識的な意見だった。
机の上に置かれた月刊アトラス、編集後記の写真の中で桂は動き回っていた。なにか資料集めをしているようなのだが、ふとなにかに気づいて顔をあげ、ポケットを探り出した。
「つながったみたいね」
携帯電話を耳にあてた汐耶は呟いた。
「もしもし?」
雑誌の中から桂の声が聞こえた。電話の中で聞こえるはずの声が逆の耳から聞こえるというのはなんとも不思議な感覚だった。
「もしもし、綾和泉ですけど」
「ああ、汐耶さん」
写真の中で桂がにこりと笑うのが見える。どうしたんですか、と答える声は六人の現状を知らないせいか明るい。
「今編集部かしら。もしそうだったら、コピー機のそばにあるインテリア雑誌を見てごらんなさい」
「はい?」
桂は意味がわからない、という顔をしながらコピー機の周囲を見回している。やがて目的の一冊を取り出し、なにげなくページをめくり、今自分が会話している女性とさらに五人が閉じ込められているページに出くわす。
「あれえ?」
「なにが起きたか説明できるかしら。いえ、説明してもらえるかしら」
どうやら僕のせいみたいですね、と桂が素直に非を認める。電話で話しつつも、桂は雑誌の写真に目を落とし続けている。もしもその写真を自分たちが見られれば、とセレスティは思った。写真の中に自分たちの姿を見る、そしてさらにその奥にもっと小さな自分たち。永遠のパラドックスに囚われるはずだった。しかし桂の持っている角度からではどうやっても雑誌の中を見ることはかなわなかった。
「私たちここから出たいんだけど」
「ええ、碇さんが国会図書館まで調べものをお願いしていたんですよ。だからそこにいられると僕も困ってしまいます」
「だったら早くしてくださいよ」
横で聞いていた歩が痺れを切らしたように口を出す。
「それじゃあみなさん、目を閉じて」
「目?」
おうむ返しに対し桂は続けて言った。
「知らないんですか?目は、人間の一番身近にある扉なんですよ」
扉を閉じて、開けてください。そうすればあなたたちの行きたい場所へ僕が空間をつなげます。桂に促され、全員が目を閉じた。そして再び開いたとき、全員はあるべき場所に立っていた。
セレスティは目を開けた。そして自分が、元の自分の部屋にいることを知った。自室はあの書斎によく似ていて、つまり広く蔵書も多くて、ぼんやり天井を見上げているとまだあの写真の中にいるような錯覚を覚えた。けれど。
「やっぱり自分の部屋が一番落ち着きます」
あの書斎にはなかった、机の上の水差しを手にとり瀟洒なグラスに水を注ぐ。淡い光を放っているようにも見えるその水で喉を潤す。静かだった。あの耳を騒がせていた時間は、いつの間にか終わっていた。
「楽しい夢でした」
セレスティはゆっくり瞼を閉じた。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

1108/ 本郷源/女性/6歳/オーナー・小学生・獣人
1431/ 如月縁樹/女性/19歳 /旅人
1449/ 綾和泉汐耶/女性/23歳/都立図書館司書
1847/ 雨柳凪砂/女性/24歳/好事家
1883/ セレスティ・カーニンガム/男性/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い
2346/ 功刀歩/男性/29歳/建築家・交渉屋


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■         ライター通信          ■
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明神公平と申します。
作品ではいつも、各キャラクターの個性を出せるよう意識して書いていきたいと思っています。
あと不思議な空間における日常の面白さとか。
セレスティさまはすごくマイペースな方、というか自分のペースを崩さない方という印象です。
雰囲気自体空間の中を一番仕切れそうな感じで、場面転換などに登場していただきました。
それらの印象が、作品中にうまく覗いていれば、幸いです。
またご縁がありましたらよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。