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<PCシナリオノベル(シングル)>


求めよ、然からば与えられん

「あんた今幸せ?」
雑踏の中、自然は左右に別れる人の流れを割る形で突如、歩みを止めて立ちはだかった人間にそう声を掛けられれば、困惑に沈黙するのは人として当然だろう。
 氷川笑也はそんなごくまっとうな反応で、眼前に人懐っこく笑みかける青年を見た。
 灰色の濃い、街の風景を人の形に切り取って黒いばかりのその姿。
 まず、印象強いのは黒革のロングコートの重み、インに着込んだ薄手のシャツも同色に、日にあたってなさそうな肌を際立たせ、そして両手の五指に余さぬ銀の指輪、と、風体のアヤシサが困惑を不審に変えた。
 その後に、続けるとすれば無視か拒絶か、そのどちらかであるべき。
 感情を表情に出す事のない笑也が、無表情の中に僅か滲ませたそれを敏感に感じ取ってか、
その青年は、極めつけとばかりに表情を隠して円いサングラス−といえど、それに覆い切れぬ程に楽しげな雰囲気なのだが−を指で抜き取った。
「あ、悪ィ悪ィ。あんたがあんまり目ェ引くもんだからつい声かけちまって」
曰く彼の方が余程に人目につく、と思いつつ、笑也は顕わになったその瞳から視線を外せないでいた。
 まるで、不吉に赤く染まったような、月のような。
「奢るからさ、時間あんならちょっと茶でもしばかねぇ?俺、今暇なんだよ」
僅かな細さに鋭ささえ感じさせる、その眼差しは楽しげな空気に拭われて、微塵も悪意を感じさせない…だが、確かな異質。現世の存在と異なる臭いがする。
「あんた、かなり普通じゃねぇよな?興味あンだよ。そういう人の、」
こちらの反応を見るように、途切れた言葉に笑みが深められ、その月に、笑也の赤い瞳が映り込んで色を増す。
「生きてる理由みたいなのがさ」
言いながら、指差す先には手近な喫茶店の扉。
 考えられる選択肢は否定か拒絶……笑也はカツリと靴の踵を鳴らした。
 示された、扉へ向けて踏み出す一歩。
 取り残される形、ではあったが確かな承諾に肩を竦めると、青年は笑也の後に続いた。


 店内にさざめくように拡がる会話は、笑いを含んで笑也と、ピュン・フーと名乗った青年とを取り巻いている。
 その、違和感で以て、だ。
 ピンクを基調にした店内には所々に星のオブジェが並び、どこか夜店のとりとめない賑やかさを感じさせ、かつ乙女チックだ。
 黒尽くめのピュン・フーだけでも充分に違和感が溢れているというのに、学生服姿の笑也を伴えばまた浮く事しきり、である。
 客としての男性は彼等だけなのだが、両名共にそれに対する気を払う様子はない。
「名前はなんてーの?」
おしぼりと水、そしてメニューとが置かれた二人掛けのテーブルは、もうそれだけで一杯になる。
 笑也は星形の氷の浮いた水に指を浸すと、つるりと磨かれた机の木目を横切る形で『笑也』と其処に書き記した。
「ふん?」
面白そうに眉を上げ、ピュン・フーも笑也に習って指を濡らすと、笑也の横に『ピュン・フー』と並べた。
 英語圏なのか、それとも東洋圏なのかすら判然としない響きの名だが、それをわざわざ片仮名表記する意味はない。
「ピュンとフーを分けて呼ぶなよ。揃えて一つの名前だからな、ピュンちゃんとかフーくんも不可。ただピュン・フーとだけ呼ぶように」
如何なる拘りがあってかは知らないが、くどいまでの念押しに、笑也は句読点毎に律儀に頷いてやる。
「……笑也ってば、えらく無口なヒト? 喋れない訳じゃねーよな?」
ピュン・フーが自分の喉を示して動作でも問うのに、また首を縦に振る事で意を返す。
「沈黙は金、雄弁は銀って言うもんな。ま、ともかくはなんか頼もうぜ♪」
それを不快とした様子はなく、軽く肩を竦めてピュン・フーは笑也に向けてメニューを差し出した。
 それに感じた意外さを、けれど表情に出す事はなく笑也はメニューを受け取った…普通ならば、笑也が語らぬ理由を問い質して己の疑問を満たそうとするか、納得出来る理由を勝手に作り上げるかだが、そのどちらでもない。
 この青年こそが普通ではない、と思う。
 どちらの世界にも属さぬ曖昧さ。人と魔の狭間の気配と感触。
 適当なメニューを示す間も、その挙動は何処か自信を感じさせて大きい…そしてその動作から、笑也は何故か鬼、を連想した。
 笑也は能楽師である。
 その舞は神を喚び、魔を退ける特殊なものだ…技は枝葉の如く力宿す血に脈々と継がれ、その為、彼の一族は退魔師と呼ばれる事となる。
 が、どの神を喚び下ろすか…女神であれば静かな挙措、男神であれば振る舞いは大きく、花に個性があるように、舞にもまたそれぞれの特性がある。
 それを知る為か、笑也は彼の動きは鬼だと思った。
「そんな見つめられたら照れるじゃん」
笑也の注視をそう冗談めいた口調で、ピュン・フーは目元を覆ったままのサングラスを引き抜いた。
「笑也ってば犬タイプとか言われねぇ?」
言われて腕を組んで首を傾げる…自分を動物に喩えた事も喩えられた事もない為、どのような感じを指してそう称しているのか、見当がつかない。
「絶対に犬だって。しかも大型犬タイプ? 自分がでっけーのわかってっから、小型犬みてーに遊んでって体全体でかかってこねーけど、遊んで欲しくてじっと見つめて待ってるタイプ。なんか忠犬っぽいよな」
赤い目は動物の喩えに悪意のあるそれでなく、つけ加えられた細かな説明に成る程、と頷く。
 笑也がシテにピュン・フーを当て嵌めたように、彼がそう称してみせたというのならば理解も出来る。
 ならば、と目線を向ければ、俺?と、ピュン・フーは難なくその意を察して軽く肩を竦めた。
「んー…、蝙蝠かな」
しばし悩む風で、そう笑った答えは何処か、予め用意されていたような感があった。
「笑也はどう思うよ?」
自らをどう指してそう言うのか、先ほどあったばかりの自分に理解る筈がない、と笑也は首を振った。
 やはり、鬼のようだと思ってしまった印象が勝つ。
 能の鬼は、堕ちた者を顕す事が多い…女ならば鬼道へ、男ならば修羅道へ。神仏の救いなきまま人から魔へ。
 力なき己を悔い、怨み、角を頂いて力を得た彼等は…強い、のだろうか。
 笑也もまた力を求める者である。
 ただ闇雲に求めた強さは魔を屠る為の力…全ては自らの位置も、力の有り様も、強さの本当の意味を知らなかった幼さと弱さ、それを知る代償に母を喪い、生涯消えぬ傷が頬に残った…忘却を赦さぬかのように。
 慚愧に駆られるまま求め続けた願いは形を為して、今、自分は確かに『強い』と呼べるだろう。
 あるべきと定めた自分に沿う為、如何な手段も選ばず、厭わず…だが、望む境地は願う程に遠い。
 まだ足りない。昇る程、高みを望む程に天は見えず、また地は遠ざかる。
 思い悩む沈黙の重さから、更に口元を引き結んだ笑也に、ピュン・フーは軽く眉を上げ、テーブル越しに手を伸ばすと組んだままの腕に張った笑也の肩を軽く叩いた。
「悪かった……そこまで深く悩まなくていいから」
ぽんぽんと、軽く触れる感触、僅かな重み。
「悩むだけ答えが増えるだけだしな」
その手が離れた瞬間にふ、と空虚を感じた。
「どれが自分のホントか、わかんなくなるぜ?」
したり顔でニヤリと笑って戯けた表情でピュン・フーはさり気なく、問う。
「笑也、今幸せ?」
きしりと木製の椅子の背もたれに体重を預け、向けられて僅か細められた赤い眼差しが、それによって影を増し、真紅、に色を変じさせた。
 二度目の問い、だが確と出来ぬ思いは言葉にならない。
 求めたのは強さ、だが得たそれによって満たされているか否かは…。
 待つ、沈黙を守るピュン・フーが僅か首を傾けた、その先を促すような動きに引かれるように、笑也は薄く唇を開いた。
「お待たせしました〜♪」
と、明るい声音を頭上から降らせ、ウェイトレスが注文の品をトトンとどこかリズミカルに机上に並べる。
「ご注文は以上ですね? ごゆっくりどうぞ〜♪」
接客業としては理想、とも言える朗らかさで場の空気を突き崩した彼女を、ピュン・フーはヒラヒラと手を振って労いと挨拶に変えると、早速とばかりにスプーンを手に取った。
「どしたの、笑也。食わねーの?」
はむ、と掬い上げた一口をほおばる…のは、氷イチゴ。
 北の方からは雪の便りも聞こうこの季節に…見てるだけで寒い。
 さり気なく、鳥肌を立てた笑也を意に介さず、サクサクと氷の山を攻略するピュン・フーがふと、左胸を押さえた。
 スプーンを歯で支え、コートの隠しから取り出した携帯電話の着信を確認すると、鼻から小さな息を吐き出す。
「残念、仕事だ」
口をへの字に曲げ、肩でひとつ、息をつくとそのまま勢いで氷をかっこむピュン・フーに、笑也は全身鳥になった。
 こちらは普通のケーキセット、笑也が救いのホットコーヒーに物理的、心理的な暖を求める間にピュン・フーは軽い動作で立ち上がると、サングラスを顔に乗せ…かけた半ばでひょいと身を屈めた。
「笑也が幸せな理由がなんかあんなら、東京から逃げな」
笑いを含んだような瞳…その癖に、真剣な紅、声に籠もる真摯さ。
 それが楽しげな色にとって変わる。
「そんでもし死にたいようだったらも一回、俺の前に姿を見せればいい。ちゃんと殺してやるから」
身を離したピュン・フーは、まるで不吉な予言のような約束を一方的に請け負うと、笑也の左耳の後ろ、そこだけ長く垂らされた髪の一房に触れた。
「お守り?」
笑也の髪と同色の…母の遺髪で作られたそれを指し。
 軽く目を見張った笑也が注ぐ眼差し、それを僅かな笑みで受け止め、ピュン・フーは瞳を遮光硝子の向こうへと隠した。
「じゃあな」
ひら、と振られた手を別れに、向けられた背に意を問う間はなく、立ち去る黒い姿。
 それを見送った後、笑也は疲労を覚えている自分を自覚して強張る首筋に手をやる…指に触れるお守り。
 ファッションだと思われるこれを、一見して守りと看破された記憶はそうありはしない。
 笑也は視線を落とし……沈黙した。
 テーブルの上には、空になった硝子の器、3分の1ほど残ったコーヒー、手つかずのシフォンケーキ…そして、オーダー伝票。
 奢るって言ったのに。
 らしくもなく、すっかり振り回され、調子を崩されてしまった気分で、笑也は大きく大きく溜息をついた。