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<PCシナリオノベル(シングル)>


生きている者と死んでいる者

「梦月、今幸せ?」
休日の朝、開店している店舗はチラホラとしかない駅前通りで、そうかけられた声に湖影梦月は明快な喜色を浮かべ、その店先に駆け寄った。
「おはようございます、ピュン・フー様♪」
ぺこりと長い黒髪を揺らして頭を下げる、梦月のそれは丁寧な挨拶に、ピュン・フーと呼び掛けられた青年は、手にしたグラスを掲げた。
 戸外のオープンカフェ、アイスコーヒーに浮いた氷がカランと澄んだ音を立て、涼感を誘う…寒風吹きすさぶ寒空の下。
「相変わらずだな梦、月……ッ!?」
キィン、甲高い音を立て、掲げたグラスの下半分だけが、琥珀の液体と共に重力に従ってテーブルの上に割れ広がる。
「蘇芳、何をするんですの〜ッ?」
梦月は不意に行く手を遮り、何らかの力でピュン・フーを攻撃した…青年のコートを力の限りにぐいぐいと引く。
 だが、青年…忠義に梦月の守護を努める鬼、は主たる彼女の危機とみなしてか、庇う位置から動かない。
 最も、梦月が年齢相応に非力というのも否めないが。
「ピュン・フー、貴様……」
感情を押し殺して低い声、守護鬼の怒りのオーラは熱の如くゆらりと景色を歪ませて、ピュン・フーに叩き付けられる。
「よくも梦月の前にその顔が出せたものだな……」
圧力すら感じるそれを真正面から受け…ピュン・フーは濡れた手をピッと払い、取りきれずに指に絡まる珈琲を舐めとった。
「蘇芳も相変ーらず」
どこか小馬鹿にしたような言動に、ぴしぴしと守護鬼に額に青筋が浮かぶ。
 彼が警戒し、怒るも道理。
『虚無の境界』なる組織活動−主としてテロ活動−に梦月を巻き込み、あまつさえその甚だしく迷惑な行動理念の施行対象とし、命を危険に晒した…それはほんの昨日の出来事だ。
 それだけでも万死に値するというのに、何事もなかったかのように再び顔を見せるとは命が不要だという主張としか思えない。
「恒河沙の死を与えても足りん!」
「うわぁ、蘇芳ってばまたマニアックな数字を……」
恒河沙とは万より12桁上の数値を言う。
 感心と呆れを綯い交ぜたピュン・フーの批評はその意になく、守護鬼は怒気を闘気に変える。
「蘇芳、おやめなさい〜ッ」
梦月の声も届かぬようである。
 椅子の座ったままの相手は動かない的も同然、主に害為す者に手加減は無用、全力で以てこれを消滅せしめる…大義を胸に、守護鬼は己が分を、その言を実行に移…そうとした。
 それを阻んだのは、最早彼のコートにぶら下がらんばかりに全身全霊でその動きを止めようとした、少女の一言である。
「そんな蘇芳、私、大っ嫌いです!」
梦月の発言は、いつでも穏やかにやんわりと、のほほんと。
 春の日溜まりの如き気性を現してのんびりとするそれから、一転した語調でそんな言質を吐かれては……守護鬼が衝撃のあまり、迅雷の速さで振り上げた足を向ける標的を誤った上、一切の動きを止めても責められはしない。
 めきりとテーブルの天板を凹ませて、嵌り込んだ足は型を取ったかの如く。
 固い革靴の踵落としを直に受けていたらば、ピュン・フーは頭の形が変わっていたろう結果は想像に難くない。
 大っ嫌い大ッ嫌い大ッキライ……痛恨の一打が頭蓋の中を反響し、硬直したままの蘇芳を、ピュン・フーが面白そうにチョンと突っつく。
「梦月、いいのかコレ?」
「少し、反省すればいいんですぅ〜」
梦月にしてはごく珍しく、心底から怒りを覚えているようである。
「ピュン・フー様〜、蘇芳が、大変失礼致しましたわ〜…どうぞご寛恕下さいませね〜?」
ピュン・フーの脇まで来て、ぺこりと下げた梦月の頭をピュン・フーは掌で撫でる。
「小さいのに、難しい言葉知ってんだなぁ、梦月は」
くしゃくしゃと撫でられた髪を手で整えながら、梦月はむぅと口元を尖らせた。
「私、小さくありませんわ〜。立派なレディに対するふるまいではありませんことよ〜?」
梦月の主張にピュン・フーは両手を肩の位置まで上げ、「降参」と、肩を竦めてニ、と笑った。
「そいつぁ失礼……んじ、お詫びも兼ねて」
手品のようにその右手、指の間に挟まれたチケットを梦月に差し出す。
 印刷された濃いブルー。
 無数の気泡、それを遮る影…の片隅に水中から顔を出したアシカが「みんなで来てね♪」と手を振っている。
「水族館……?」
しかもペアチケット。
 しかつめらしく、眉に力の入っていた梦月の表情がふわりと笑顔に溶けた。
「水族館ですかぁ? 私好きですわ〜」
満面の笑顔で、受け取ったチケットを大切そうに胸に抱く。
「今日は俺、オフなんだよ。暇だったら一緒しねぇ?」
その誘いに、うんうんと何度も頷く梦月、喜びに言葉が声にならないらしく、チケットの上から胸を両手で押さえて深呼吸をひとつ。
「ピュン・フー様と一緒に行けたらもっと楽しい気がしますぅ☆」
吸い込んだ息の分だけで、言わねばならない主張を一気にいいきり、僅か紅潮した頬でピュン・フーを見上げた。
「……なんかものごっつ、イケナイお兄さんな気分……」
あまりに真っ直ぐなその眼差しに、ピュン・フーは苦笑気味にぽり、と片頬を掻くと、梦月に右手を差し出した。
「じゃ、行くか♪」
「はいですわ〜♪」
ピュン・フーの手をきゅと握り、梦月は大切に握ったチケットを落とさぬよう、気を取られながら連れ立って店を後にする……そして哀れ、守護鬼はテーブルに足をめり込ませたまま、すっかり忘れ去られていた。


 時は流れて所移って。
「イルカさん、とっても可愛かったですぅ〜♪」
水族館のイルカショーを観終った梦月は、興奮醒めやらぬ様子で紅潮した頬を押さえてほぅ、と息を吐く。
「美味そうだったよなー♪」
「………ピュン・フー様…?」
朗らかに告げられた不穏な同意を、意味として脳が理解するまでのたっぷり三秒。
 ピタと足を止めた梦月に、ピュン・フーは二、三歩先んじる形に、「誉めてんだって」とヒラヒラと手を振って梦月を呼ぶ。
「イルカさん食べちゃ、ダメですのよ〜?」
呼ばれた手をはっしと両手で握っての梦月の主張に、ピュン・フーは、ん、と首を傾ける。
「だから誉めてんだって。知ってっか? 人間が魅力として感じるのは本能の担う部分が多いんだけどな。優先順位として強さがまぁ一番、それに次ぐのが、食べやすそうとか美味そうとか……」
梦月が真面目な顔で熱心に耳を傾けている様子に、其処で言を区切る。
「……子供向きの話題じゃなかったな」
「まぁ〜、失礼ですぅ〜。私、子供じゃありません事よ〜?」
ぷぅ、と頬を膨らませての梦月の主張に、ピュン・フーは軽く笑ってその頭をぽんぽんと叩く。
 情景としてはほのぼのと…している筈なのだが、如何せん、ピュン・フーの風体の怪しさに、拐かされた女児と誘拐犯の図式が拭えない。
 通報の憂き目にあっていないのは、ひとえに梦月のピュン・フーを信頼しきった言動に救われてである。
「……あぁっでも、まだお金をお支払いしていませんでしわ〜」
不意にそう手を打って、梦月は肩から斜めにかけたショルダーバックから財布を取り出した。
「自分の分のお金はちゃんと払いますわ〜。『自立した女性』としては当然ですわー」
その手を上から押さえてピュン・フーは、梦月の目線に合わせる為ひょいと屈み込む。
「まだまだ判っちゃねーなー。其処で男の顔を立てて奢らせておくのが、ホントの意味でのイイ女だぜ?」
男女間の機微を引き合いに出さずとも、相手は可憐な中学生。入場料を個人負担にしようものなら、男の顔より先に大人の面子が崩壊の危機に瀕する。
「……そうなんですの〜?」
「そうそう。ここで俺の面子を潰さないでくれよな? こーゆートコでしか男の甲斐性は見せ場がねーんだから」
それもまたどうかと思うが。
「そうなんですの〜?」
解せぬ様子の梦月の頭を、ピュン・フーはまた軽く撫でる。
「そうなんですの♪」
言って突然、膝裏から掬い上げるように抱えたピュン・フーの手に、「キャッ?」と梦月が短い悲鳴を上げれば、周囲の人々がぎくぎくっと身を強張らせて二人を見る…よもや!という一様の視線を存ぜぬ風で、ピュン・フーは片腕に梦月を抱いてそのまま歩き出した。
 どっから見ても拐かし、であるがピュン・フーの首に腕を回して安定を得た梦月の笑顔に、分別のある年代の方々はそれが杞憂だと半ば無理矢理に自分を納得させて、彼等を視界から外す。
「兄様達がよく、こうしてくれるんですぅ〜♪」
少しくすぐったそうな梦月の笑みを、円いサングラスに映したピュン・フーの口の端が僅か上がった。
「しっかし梦月は軽いなぁ、もちっと食えよ?」
「ちゃんとお食事は頂いてますわ〜。成長期ですもの〜」
具体的にどこら辺りが成長しているかの疑問に対する言及は避け、ピュン・フーと梦月はあたりさわりのなく、順路に並ぶ海洋生物を話題のネタにしながら標示通りに進む。
 暗くトンネルめいて、夜行性の生物を主としたコーナー、仄か、自ら発光するそのあえかな光に梦月が目を取られた、その間にピュン・フーが低い天井を抜けた。
 その蒼は一瞬、見上げずに居られない、透明な圧力で其処に在った。
 水族館の大水槽、その青に透過された光線が、魚影が過ぎる影を揺らめかせる。
 奥深く広がる水槽の中…閉じられた空間は岩を模し、水を満たし、生命を維持の為の酸素がコポと気泡となって天へ昇る。
「ふわぁ……」
梦月は視界一杯に拡がる蒼、に言葉を失う。
 その様子に、ピュン・フーはすいと屋内でも外さぬままだったサングラスを引き抜くと、その不吉に赤い月と色を同じくする瞳を晒した。
「梦月、今幸せ?」
問い掛けに笑みに似て細められた眼は、その蒼を透かしても変じぬ程に深く紅い。
 梦月は大水槽に目を奪われたまま、半ば無意識に答える。
「水族館は大好きです。水槽で泳ぐお魚さん達を見てると『和み』ますよねぇ、幸せですぅ」
開いたままで大きな眼が乾いてしまったのか、幾度か瞬きをし、語尾でにっこりと梦月はその漆黒の眼差しを至近のピュン・フーの眼に合わせた。
 が、その表情に少し憂いを含ませて眉尻が下がる。
「でも……本当はここにいるお魚さん達は幸せではないのかもしれませんね…。私達の勝手な都合でこんな所に閉じ込められているんですもの……」
 きゅ、とピュン・フーの首に回された手に力が籠もる。
 ピュン・フーは、梦月を支えた手と逆の手を水槽へと伸ばした。
「生と死とを決定的に分ける要素ってなんだと思う?」
指が水槽を叩く…波紋を生みそうな錯覚を覚えるが、それは固い音を立てるのみだ。
「今まで空気ン中で生きてたのが、この水ん中でしか生きれねぇヤツらみたいに変わっちまう……いきなりあっち側のモンになっちまうのって乱暴なシステムだと思わねぇ?」
下から見上げれば、水面が光を弾いてきらめく様が見て取れ、それを見上げるピュン・フーの顔に波紋の影が揺れた。
 微かに笑みを刻んだ横顔が、言わんとする所が察せず、梦月は首を傾げた。
 さらりと流れた黒髪がピュン・フーの頬を撫でる。
「よく……わかりませんわ。でも、生きてる方もそうでない方も……いつでも、とても優しいです」
怨念を呑んで死した魂を、その身に宿して癒したのは、ほんの昨日の事…無理矢理に宿されたそれ等が浄化されるまだの間に梦月に与えた恐怖と苦痛は如何ばかりか、それまでの被害者の数からも察せぬ代物ではない。
 が、それすらも優しいとそう言い切って、与えた疑問の答えを胸の内に探そうとする、少女の真摯な表情に、ピュン・フーは僅か目を見張った。
「……あ!」
不意に梦月が短い声を上げた。
「すごいですわ〜、大きいですわ〜。ピュン・フー様、あっち見てみたいですぅ〜〜☆」
周遊する魚の群は、大水槽の端に沿うように、その上を巨大なマンタの影が横切る様に、梦月が興奮の面持ちでねだる。
「はいはい、お姫様」
よいしょ、と梦月を一度抱き直し、ピュン・フーは苦笑混じりに、悠々と泳ぎ去る軟骨魚を追って、大回りに水槽沿いに歩き出した。
 先の応答はすっかり忘れた風でご機嫌に、進行速度を同じくする鯵の群の、鱗のきらめきを見上げていた梦月は、ふと真っ直ぐな視線を紅い瞳に向けた。
「そういえば……」
「ん?」
足を止めたピュン・フーに、梦月はにっこりと笑みかける。
「今日、ピュン・フー様は『幸せ』でしたか?」
不意の問いに虚を突かれたか、ピュン・フーは一瞬表情を失った。
「ピュン・フー様?」
「ピュン・フー、貴様ァッ!」
そう、名を呼ぶ梦月の声を掻き消して。
 憎々しげな呼びかけは正面から、ピュン・フーはひらとそちらに向って手を振り、にこやかに笑いかけた。
「あれ、蘇芳じゃん、元気ー?」
敵と主の睦まじい様にすっかり色を失っているのは、置いてきぼりをくらった上にすっかり忘れられていた守護鬼…。
 第2ラウンドの、開始のようである。