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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


ゲヘナの器・上


 2003年12月25日正午過ぎ。
 快晴の空のもと、世界有数の過密空港の空域をひっきりなしに銀色の翼が行き交っていた。誇らしげに掲げられた旗のような垂直尾翼に踊るのは、とりどりの意匠を凝らした航空各社の標章。
 千葉県成田市、新東京国際(成田)空港。
 旅客利用者数で50%以上、貨物取扱量では60%を超える国内シェアを、この農地の真ん中にぽっかりと現れた未来都市のような空港一つでまかなっている。文字通り、「日本の空の玄関」だ。
 一日当たり約7万人の旅客、5万5千トンの貨物が、この空港を通って海外へ、あるいは国内のどこかへ飛び立っていき、またはこの国へと入ってきて全国に散らばっていく。
 暫定を含めた2本の滑走路が受け止める航空機の数は、一日にのべ460機以上。
 総延長約6000メートルのこのアスファルトが、まさに日本の空を司る大動脈だった。
 その成田空港へ、一機のDC−10貨物輸送機が着陸した。ドイツ国内の空港を出発したこの便は、空輸専門の民間輸送会社が所有するチャーター便だった。
 定位置に駐機すると、DC−10は荷揚げハッチを開けた。貨物室の中には、厳重に固定された、でっぷりした印象のカーキ色のタンクだけが積まれていた。


 同日午後2時。
 黒塗りの乗用車が2台、新空港ICを走り抜けていった。料金所ではなく、そのわきのバリケードをどけて急遽開けられた側道を通って。その後ろに、見るからに威圧的なカーキ色の大型トラックが、そしてしんがりをまた一台の黒塗りが。
 黒塗りの3台には、それぞれ警察庁、警視庁、そして防衛庁のキャリア組が分乗していた。大型トラックには、陸上自衛隊の武器科から急遽招集された爆発物取り扱い(主にその解除)のスペシャリスト達。
 最後尾を走っていた警察庁組のバックシートで眉間に深くしわを寄せていた中年の男が、彼らの後へ続こうとしたどこかのSUVが公団職員にせき止められているのをルームミラー越しに目にした。男は、隣にいた若手に目で合図した。
「あの車、調べろ」
 指示はそれだけだった。黙ってうなずく、若手。
 九分九厘、順番待ちに苛ついた若者が、助手席の女性にちょっとワイルドなところでも見せようと張り切ったのだろう。若手はそう予想したし、それは指示を下した男にしても同じだった。
 だが、彼らが直面している状況を考えれば、どんなに小さな危険因子も見逃すことはできない。
 あのSUVのハンドルを握っているのが考え無しの若造なのか、危険思想に染まったテロリストなのか。そんなことを、車の中から当てる能力などなくていい。調べればいいだけだ。
 警察庁官僚に、ヤマカンなどという言葉はなかった。


 ICを抜けた車列は、新東京国際空港へ向けて突っ走っていた。先頭を行くのは警視庁組の車。その黒塗りのセルシオを見やりながら、続く防衛庁組の車の中で、防衛庁事務次官の首席秘書官、大竹雅臣は秘匿回線の車内電話を手に取った。
 メモを見ることもなく、番号を素早く打ち込んでいく。呼び出し音を聞きながら、彼はひざの上に出しておいたファイルを広げてもう一度情報をさらいはじめた。
 事態は実にシンプルで、そして実にやっかいだった。
 彼らを乗せた車がランプを駆け抜けて空港への道に入った時。ちょうど電話の相手も受話器を取った。
「草間興信所」
 愛想のない声が、大竹が耳にあてた受話器から聞こえてきた。


 大竹雅臣からの第一報が入った時、興信所はほどほどの活況を呈していた。
 草間は今どきめずらしい黒電話へ手を伸ばし、受話器を取り上げた。いつもの調子で「草間興信所」と名乗りを上げる。
「草間さん。お久しぶりです。大竹です」
 受話器から聞こえてきた覚えのある声に、草間は眉間へしわを寄せた。机の上から書類をどけ、灰皿を置くスペースを確保すると、シャツのポケットからマルボロを引っ張り出してきてくわえる。
「以前、誰かから『電話をとる時の鉄則』ってのを聞いたことがある」
 火を付けながら、受話器へ語りかける草間。興信所にいた面々は誰からともなく口を閉ざし、彼の方へ注視を向け始めた。草間武彦が電話口で持って回ったことを言い始めるのは、決まって良くないことに巻きこまれそうな時の悪あがきなのだと、ここへ出入りするようになってだいたい一月もすれば覚えるからだ。
 大竹雅臣も、それを心得ていた。彼はもちろん草間探偵の友人などではなかったが、なまじの知人よりは草間のことをよく知っていた。この時も彼は、「続けて下さい」と、軽く笑いながら返している。
 ちなみに、後に大竹が事務次官に提出した200ページに及ぶ詳細なレポートには、この前後の会話は記述されていない。ただ興信所の面々が語った内容によれば、しばし言葉を交わしたあとに草間探偵はひどい渋面を浮かべ、それからいっそ開き直ったように「何の用だ」と問いかけたという。
 そしてこのあとに続いた大竹の言葉こそが本題であり、この場面におけるレポートの記述はここから始まっていた。
「草間さん。信頼の置ける対異能力者戦闘経験者を1時間でできる限り集めて下さいとお願いしたら、何人揃えられますか?」
「藪から棒だな。もうちょっと条件を特定しろよ」
「成田空港にいま、半径2キロを吹き飛ばす威力の爆弾があります。ドイツからチャーター便の貨物機で運ばれてきました」
 草間が大竹の言葉に割って入った。
「あのな。
 世迷い言はどこかよそでやってくれ。どうやったらそんな大型爆弾をドイツから運び出せるって言うんだ? ドイツ税関はザルか?」
「表向きは、工業用原材料です。
 膨大な量の硝酸アンモニウムとマグネシウム、それらを貯蔵する不格好な大型タンクと、大量の蒸留水」
 大竹達の車は成田空港貨物ターミナルへと近づいていた。
「結論から言いますが、成田にあるのは気化爆弾です。今現在人類が握っている非核兵器の中で、最大の破壊力を持った大型爆弾です」
「気化爆弾?」
「港湾地区のガスタンクを見たことが?」
 大竹は切り口を変えた。
「丸い大型タンクか?
 ああ、あるが」
「あれにダイナマイトを仕掛けて、爆発させるとどうなります」
「大ガス爆発、だろうな。近隣一帯は火の海だろう」
「それと同じことができる、もっと威力が大きくてサイズの小さい爆弾が、今、成田に、あるんです」
 草間は口をつぐみ、マルボロを灰皿でもみ消した。
「荷受け人は、工業用原材料の輸入業者になっていました。
 『虚無の境界』が国内に所有する、幽霊会社の一つです」
「……奴ら、何に使う気だ」
「分かりません。が、ともあれ『虚無の境界』が予定通りそれを手にしてしまうことは防げました。
 到着時に成田空港の貨物ターミナル直近の荷揚げ倉庫に入れられているので、今もそこにあります」
「さっさと成田から運び出せよ。俺に電話してる場合じゃないだろう」
「草間さん。これほど危険な代物を、担いで倉庫から持ち出すというわけにはいきません。
 作戦は2つのフェイズに分かれます。まずは倉庫内で信管の無効化を。それから、ヘリで成田から朝霞へ空輸します」
「朝霞?」
「有力な物証です。陸自の駐屯地で保管します」
 言い切った大竹へ、草間は答えた。
「分かったよ。何でも好きなようにやってくれ。
 で、なぜ俺は『信頼の置ける対異能力戦闘経験者』とやらに声をかけなきゃならない?」
「『虚無の境界』は、間違いなく爆弾の奪還に来るでしょう。彼らの信条を考慮すれば、それは異能力者による自爆攻撃ですらあり得る。
 申し上げたとおり、フェイズは2つです。
 一つ、信管の解除を終え、とりあえず爆弾を移送できる状態に持っていくまで、成田と爆弾を『虚無の境界』から守ること。
 二つ、朝霞へ移送するヘリに同乗し、駐屯地まで爆弾を守ること」
「IO2に頼め、そんなことは」
「彼らは彼らで行動しています。
 ですがあいにくと、成田空港ほど衆人環視の中では彼らの存在は目立ちすぎる」
「まだしも、何かあったら「不幸な旅行客が巻きこまれた」ですむ方がいいってか。
 で、どのくらいかかるんだ。移送できるようになるまで」
「たぶん、半日から1日の間でしょう」
「……明日の明け方にはヘリで運び出せる?」
「そう予定しています」
 報告書の第一部は、この大竹の言葉を最後にして会話の描写を終えている。だが実際には、その後にも報告されなかった会話が続いていた。
 電話口の向こうで草間探偵がため息をついたのが分かると、大竹は言葉を続けた。
「引き受けていただけるのであれば、一つだけ注文があります。
 人の出し惜しみはしないで下さい」
「……どういうことだ」
「レナーテ・ルルキア。
 彼女の件については、私もあなたやリヒテ・ルルキア氏と同じ側にいます。
 私が書く報告書に、彼女の名前が挙がることはありません」
 長い沈黙のあとで、草間は「分かった」とだけ答えた。
「1時間後に、興信所へ車を着けさせます。
 詳しい話は、その車中で」
 うなるような草間の声を確かめて、大竹は電話を切った。車外に出る。すぐわきに乗り付けたカーキの大型トラックの中はすでに空で、武器科の隊員達が評価に値する迅速さで現場へ向かっていったことが分かった。
 午後2時14分。事態は動き始めた。


 それとほぼ相前後して。空自のレーダーが、断続的に現れては消える一つの輝点と、それを追うように移動するもう一つの輝点を映し出していた。
 両者の移動速度は約900km/h。分かりやすく言い直すと、ジェット旅客機と同程度。しかしもちろん、その輝点はただの旅客機などではなかったし、この数十分後には航空機でさえなかったということが判明している。
 ともあれ、空自は即座に成田へ急報を入れた。まるで交戦中のようにジグザグに飛行する二つの輝点の向かう先が、方位偏差を元に算出した狭い扇形でディスプレイ上に表示されている。中心角15度ほどのその扇形の真ん中には、新東京国際空港の滑走路とターミナルビルが含まれていた。
 過密する成田空港の上空へ、この正体不明の輝点が飛び込んだなら。密集した蚊柱に炎を近づけるのも同然、空中衝突した航空機が燃え上がる破片となって、雨のように地上へ降り注ぐ事態さえ予測された。


 草間探偵が興信所で受話器を置いた時、最初に参与の意向を表したのは榊船亜真知だったということで、草間興信所の面々の意見は一致している。彼女は草間が何も言わないうちから彼へ向けていた顔をついと戻し、黙ってレナーテ・ルルキアのそばに立つと、再びその視線を探偵の方へと投げた。
 榊船はレナーテが草間探偵の興信所へ身を寄せるようになったその発端にも、深く関わっている。一切のトリック無しで電話を盗聴するぐらい造作もない彼女の能力と、榊船がレナーテに寄せる深い友愛の情を考え合わせれば、草間探偵にはもはや一言もなかった。
 その後、彼はため息をついてから、その場の一同へ、大竹の語った言葉を繰り返した。おおむね正確な内容だったが、事後子細に付き合わせてみると、若干大竹の見解とはズレのある部分が見つかる。
 草間探偵の同業であり、この件にも一枚噛むことになった緋磨翔は、そのやりとりを後になっても覚えていた。大竹達が気化爆弾の搬出を成田貨物ターミナルで食い止めたと聞かされて「やるじゃないか」と小さく感嘆の声を上げた彼女に、草間探偵は険しい視線を向けてきたという。
「成田税関の殊勲、てだけならいいんだがな、緋磨」
「千葉県警の殊勲かも知れないさ。
 なんにしても、虚無の境界が危険なおもちゃを握るのは回避できた。違うか?」
「虚無の境界がやることにしては、手段がおおっぴらで素直すぎる。
 まぁ……だからこそIO2を出し抜ける、という狙いもあったのかも知れないが」
 歯切れ悪くそう言って、煙草に火を付ける草間。緋磨は組んでいた腕をといた。
「情報を全部聞かないうちから考えてみても始まらないさ。それに、今さらその電話を聞かなかったことにするって選択肢も、草間さんにはないんだろう?」
 その言葉に煙草をくわえたまま草間が浮かべた渋面は、まるで「吸い込んだのがたき火の煙だったようだ」と緋磨は語っている。
 草間探偵は緋磨から視線を外し、レナーテとその傍らに凛然として立つ和服姿の榊船を見やって、それから、半ば定位置となった自分のいすの斜め後ろに佇む妹、零へちらりと目を向けた。
 緋磨の言うとおり、今さら「何だかしっくり来ないから、この件は流す」とでも断を下そうものなら、榊船と零から手厳しい反抗を受けるのは火を見るより明らかだった。
 再び顔を前に向けてため息とともに煙草を灰皿へ戻す草間探偵に、緋磨は小さく肩をすくめて見せた。
 「結論から考えれば」と、彼女は後日回顧している。
「あの時、草間さんは誰よりも答えに近いものを嗅ぎとっていたのだけれど。残念ながら彼にも私にも、もちろん他の誰にも、それを裏付ける材料はなかったのよ」
 そして、よしんばその材料があったとしても、あの時行動を起こしたことは間違いではなかったと思うと、緋磨は続けている。
 その言葉には、日本人離れした彼女の体つきと同様、穏やかだが豊かで揺るぎない自信が満ちていた。


 宮小路皇騎と六巻雪、そして和田京太郎もまた、草間興信所に大竹からの一報が入った時、興信所の中にいたメンバーだ。
 宮小路はまさしく草間探偵が受話器を置いた時に興信所のドアをくぐっており、六巻と和田は、くだけた姿勢で腰を沈めていたソファの背もたれ越しに電話の間じゅう草間探偵へ目を向けていた。
 草間が電話を置き、興信所を見渡した時。最初に口を開いたのは、和田だった。
「また、面倒ごとっすか」
 唇を引き結んだまま目線で肯定の意を伝えた草間に、問いかける六巻。
「依頼人、今から来るんすか?」
「いや」
 草間探偵は今度は首を横に振り、電話の後一本目の煙草に火を付けた。
「依頼人は大竹だよ。ここには来ない。こっちから行かなきゃな」
「…大竹……すか」
「知ってんのか」
 草間の言葉で微かに眉根を寄せた六巻へ、和田が顔を向ける。二人とも平素は高校生だ。制服を着ていれば徽章で学年も分かったのだろうが、あいにくとこの日は双方ともに私服姿だった。従って、本来年下の和田の言葉に敬意はない。
「知ってるってか……会ったことはねぇけどな。
 草間さんから話は聞いてるよ。防衛庁の官僚で、レナーテと零さんが戦ったのも、あいつの企んだことだった」
「ンだ。だったら放っときゃいいじゃないすか、そんなヤツ」
 再び背もたれに腕をかけ、草間の方へと和田。それを諫めるように否定したのは宮小路だった。
「大竹さんは、「やめときます」「そうですか」なんてやりとりですむような話を持ちかけて来る相手じゃないんだ」
 「皇騎さん」とわずかに声を上げた六巻へ軽く微笑んでから、彼は草間の方へ目を向けた。
「もう知ってるのか」
 さほど驚くことでもないというような口調の草間に、宮小路は顔の横へ右手を挙げた。その手のひらにはPDA。横にいたメンバーには画面が見えなかったが、その液晶面に表示されていたのは受信メール表示画面だった。
「本家にも、連絡が入っていました」
「そこら中に声をかけてやがるな。やっぱり、本物なのか」
 煙草を挟んだままの手で器用に頭をかき、草間がぼやくような言葉を口にした。
 「本物?」と、宮小路と榊船の兄妹をのぞいた興信所の面々が一様に眉根を寄せる。草間は一つため息をつくと、煙草を灰皿へ放ってから、大竹の語った内容を繰り返した。


 草間興信所から防衛庁手配の車で成田へ向かうことになったのは結局、榊船、緋磨、宮小路、六巻に和田、そしてレナーテの六名だった。が、草間興信所が手配できた人材がこれで全てだったわけではない。
 大竹からの決して多いとは言えない情報を伝え終え、成田へ向かうメンバーを決めたところまでで、時間にして20分。現地入りする六名の中に草間探偵本人が入っていないが、これはレナーテと零が引き止めたからだ。
 あの時興信所の中にいた全員が、草間を止めたレナーテの言葉を驚きとともに記憶している。
「武彦。お前も行くつもりなのか」
「……ああ」
 疑ってみもしなかった大前提を問われてとまどいながら頷いた草間へ、レナーテは言い放った。
「大竹は、対異能力者戦闘に長けた人材を必要としているのだろう。
 だとすれば、フロントラインに武彦が出て行っても邪魔なだけだ。それに――」
 と、言葉に詰まった草間に彼女は痛烈な一言を突きつけたという。いつものあの、無感情な声とともに。
「武彦に何かあったら、わたしと零はどこへ帰ればいい」


 殺し文句を受けながら、それでも無駄な反駁をしようとした草間を、今度は零がおさえた。無言のまま、そっと兄の肩へ手を載せる。
 草間はなんとも言い難い表情で振り返り、妹が静かだが異論を許さない微笑みを浮かべているのを見て取ると、ため息とともに首を横に振った。その様子に思わず含み笑いをもらし、草間探偵に睨まれたと緋磨は回想している。
 草間は興信所に残ることとなったが、だからといってあとは座して天命を待つということはなかった。
 大竹が約束した迎えの時間まで、まだ30分以上ある。打てる手は尽きていなかった。「皇騎」と、草間探偵はコンピュータとネットワークに通暁した陰陽師を呼び、訊ねている。
「成田空港近辺にいる連中を見つけたい。出来ないか」
 宮小路はそれに応えた。榊船の力を借りて通信キャリアのネットワークへ強制ダイブし、リンク確立している携帯電話およびPHSの基地局を手がかりに、またたく間に二人のメンバーを割り出した。
 知人を見送るために成田へ向かっていた真柴尚道と、今まさに到着ゲートから日本へ戻ってきたばかりの神山隼人だった。


 真柴と神山へ、草間探偵はそれぞれ電話をかけている。ともに携帯電話で、実はその内容は丸ごと警察庁のチームに傍受されていた。むしろ待ちかまえられていたと言った方がいいのかも知れない。大竹の報告書には、会話中の沈黙までもがしっかりと記載されている。
 草間からの電話を受け、先に行動できたのは神山の方だった。彼は到着ゲートを抜け、ベルトコンベアから自分のスーツケースを取り上げたところだった。
 神山隼人の印象を語る時、「黒いたてがみのライオン」という表現がよく当てはまる。神山は眉目秀麗で背の高い、20代半ばの青年だ。長く伸ばした髪を自然に背中へと流しているが、その姿が嫌味にも不潔感にも結びつかない、そういう気品を保っている。
 柔和な表情と穏やかな人当たりの奥に鋼のような芯の強さと自信を持ち、草間興信所のお声掛かりを受けるくらいだから、その内実は真っ当な「人間」ではない。
 その彼が、スーツの胸ポケットで震えだした携帯電話を取りだし、長い黒髪を優雅に払って耳へ当てた。金色の瞳で荷物を確かめながら、「はい」と低くおだやかな声で応じた神山に、草間は切り出している。
「神山、今お前が立っているところから500mと離れていない場所に、半径2kmを吹き飛ばす爆弾があるんだが」
 その時彼の方を見つめている人間がいたら、神山の双眸に氷のような光が走ったのを目にしただろう。偶然彼と同じ場所で自分の荷物を探していた旅行客は、その時の印象を後にこう語った。
「大きな冷凍室のドアを開けた時のように、形のない冷たい空気が、その背の高い優男から吹きつけてきた」


 真柴の方は、成田線の車中で電話を受けた。国外に発つ知人を見送るためで、従ってこの件で成田空港へもっとも直接的な利害を持っていたのは彼だと言えるかも知れない。
 身長190センチ。少しでも目立たないようにと、普段は足元まで伸ばしている髪を短く揃えて伊達メガネをかけ、着衣もこれといって特徴のないパーカーにジーンズという出で立ちだったが、それでも車中の注目を引いていた。
 乗客の一人は、「バスケ選手みたいな人が背中を丸めて居心地悪そうに携帯を使っているので、かえって印象に残った」と言っている。
 表にこそ出さなかったものの、草間からの話を聞いた真柴の心中はおよそ平静ではなかった。
「気化爆弾?」
 声を潜めて聞き返した彼に、草間探偵は手短に説明している。
「乱暴に言えば、ガスタンクにダイナマイトをくくった様な代物らしい。非核兵器の中でもっとも破壊力があるそうだ。
 今ざっと調べてみたんだがな、爆弾ってよりは焼夷弾の親玉と言った方が近いようだ」
「ナパームみたいなもんですかね」
 真柴は訳あってなかなか定職に就けず、しばしば草間から仕事を請け負っている。その意味で、草間は彼のボスでもあった。
「ナパームは炎だけだが、気化爆弾の方は衝撃波も強烈らしい。
 なんにしても、俺だって専門家じゃないからな」
「ガスタンクとか言ってましたけど、丸いんすかね、気化爆弾も」
「何もかも、これから聞くところだよ。現物が成田にあって、虚無の境界が狙ってるらしいってこと以外はな」
「なるほど。で、俺は何をすれば?」
 問い返した真柴に、草間は先述の六人と神山の名前を告げた。
「こっちの本隊が到着するまでは、大竹とも渡りは付かないだろう。が、だからってあと一時間も虚無の境界が指をくわえて待っててくれるとは限らない。
 真柴。お前と神山で、何かあったら空港と爆弾を守ってくれ」
「神山って人、知らないすけど」
「金色の瞳に長い黒髪の、優男だ。こういう仕事を頼める相手だよ」
 あとは気配で分かるだろう、ということのようだ。
「なるほど。で、もう一つ」
 真柴は少しおどけたような調子で続けた。
「なんだ」
「何かあったらって、何があるんすかね」
「そんなこと、俺に聞くな」
 半ば呆れたような口調とともに、草間は電話を切った。真柴も携帯をポケットへしまい込む。
 先ほどの乗客には、電話中の彼の様子以外にもう一つ覚えていることがあった。空港第二ビル駅に着くやターミナルビルの方へと駆け込んでいった、真柴の素晴らしい脚力である。


 12月25日午後2時59分。
 通話記録によれば真柴への通話が終わって8分後。成田空港管制塔は尾を引くような悲鳴に包まれた。
 空自から連絡を受けた、明滅する輝点とそれを追う輝点。その二つが、航空機が着陸を待って密集する成田上空へ、とうとう飛び込んできたのだ。通常周波数帯はおろか非常周波数帯での制止にも応じず、跳ね回るねずみ花火のようにめちゃくちゃな進路で、だが悪意的なまでにはっきりと、順番待ちの航空機の列のただ中へ。
 その二つの輝点が航空機ではなく、そして実際には二つの輝点は三つの個別の構造物だと判明したのはその直後だった。スカイトランザクション航空287便の乗客が窓越しにその三つの構造体を視認したのを皮切りに、五分後には最初の一体がA滑走路に着陸し、残る二体も数十秒後に警視庁撮影隊が据えたカメラのファインダーへ姿を現している。
 高速度シャッターが鮮明に捉えたその姿は、これが現に空を飛んで成田へ飛び込んできたとはとても信じられないほど「人間的な」フォルムを持っていた。
 最初の一体は、中世ヨーロッパの甲冑を思わせるような無機的なシルエット。あとの二体は筋組織にも似たケーブルが関節部でむき出しとなり、曲面が多用されていて、皮膚と脂肪を取り除いた生物を連想させた。全高は三体ともに3.5メートル前後で四肢と体幹および頭部を持ち、全体として人間のシルエットに酷似していた。翼はなく、背部に実装された推進装置で飛行していたと予想されるが、現在に至るまでその技術的スペックは判明していない。
 追跡調査で「彼」らの呼称だけは判明した。最初の無機的な一体が「W・1105」。あとの二体がそれぞれ「F・カイス」と「D・ギルバ」。
 この三体が成田へ向かってきた理由は分かっていないが、「F・カイス」らが「W・1105」の制止もしくは破壊を狙っていたということだけはすぐに判明した。


 午後2時40分。草間からの依頼を受け、神山はまず爆弾の位置を突き止めるところから始めた。
 足早に到着ロビーを抜け、手荷物を律儀にロッカーへ預けると、人波行き交うターミナルビルの片隅で手の平を胸の前で上向け、神山は小声で何事か唱えた。と、LEDのような小さな光がかざした手の周囲を走り、一瞬の後、翼を持った小鬼が五体、彼の手の平に現れていた。大きさはジッポライター程度。半透明で、よほど「いる」と思って注視しなければ気付かないだろう。
 それら小鬼達は、神山の使い魔だった。彼は小鬼達の目を通しても物を見ることが出来、音を聞くことが出来る。
 綿毛を空に放つような仕草で、神山は使い魔を空港内へ散らばらせた。うちの二体は、とりあえず気化爆弾が置かれているはずの貨物ターミナルへ向かわせる。
 彼もこの段階では気化爆弾の外形を知らなかったが、自衛隊員が信管を解除している最中なのだ。ちらりとでも見かければ、状況から推してすぐに分かる。神山はそう判断していた。
 実際その判断は正しく、彼は10分としないうちに気化爆弾の位置を突き止めている。貨物ターミナル一階の中ほど。半径2キロを吹き飛ばす爆弾の前ではなんの気休めにもならないような防護シートの奥で、外科手術にも似た慎重な手さばきでの解体を受けている、カーキ色のタンク。
 それこそが彼らの守るべき「キング」だった。
「さて……」
 神山は呟いた。空港内のカフェテラスで、ゆっくりと紅茶を飲みながら。使い魔の視覚を通じて見る限り、信管の解除作業ははかどってはいないようだ。
 神山はちらりと腕時計を確認して、「やむを得ませんね」とぼやくように口にした。
 時を同じくして、信管除去作業(正確には、その前段階の信管検査作業)にあたっていた自衛隊員は、「電車がトンネルに入った時のような」感覚を覚えたと証言している。もっともその違和感は、ほとんど一瞬で消えたという。
 空間閉鎖。自衛隊員には知るよしもなかったが、500メートル離れたカフェテラスでカップをくゆらせている神山が、万一の事態に備えて爆弾周囲の空間を空港全体から切り離したのだ。


 午後2時55分。
 まるで草間探偵が電話を切るのを待っていたかのように、来客を告げるブザーが鳴った。零が草間の隣を離れ、ドアへ向かう。くすんだ色の鉄扉を開けた向こうには、黒塗りのミニバンを背に、スーツ姿の男が二人立っていた。
 格好はどこにでもいそうなビジネスマン風だったが、その眼光の鋭さだけはデスクワークで日々を消化する人種のものではなかったと、零は言っている。
 男のうち、一歩前に立っていた方が口を開いた。
「大竹秘書官の指示で、お迎えに上がりました」
 振り向いて零は、草間と視線を合わせた。草間はレナーテに顔を向けて「無茶はするなよ」と口にした。
 無言で一つうなずいてから、レナーテは五人の仲間を伴って、興信所のドアを抜けた。


 真柴がホームからエスカレーターで直結しているターミナルビルへと足を踏み入れた時。まだパニックは彼のいる場所まで波及していなかった。
 確認した腕時計が示していた時刻は、午後3時05分。真柴は即座に力を少しだけ解放し、そして同時に、自分とは別の、だが非常に似通った力を持つ何者かが同じフロアにいることに気付いた。
「……神山、かな」
 「正直、一瞬警戒したけどな」と、真柴は苦笑いで回想している。「だけどそんな爆弾を狙うヤツが、サテンできざったらしく紅茶なんかすすってねェだろ、普通は」
 神山の方も、使い魔を通じて真柴が(つまりは、自分と同じような力を持った者が)ターミナルビルへ入ってきたことに気付いていた。彼は真柴が草間興信所の手配でやってきたということを知らなかったが、すぐには行動に出なかった。
 「あせる必要など無かったし」と神山。「子供の相手は、手短にすむ方がいいですからね」


 レナーテと緋磨、宮小路、榊船、六巻と和田を乗せたミニバンは、屋根に取り付けた回転灯を煌めかせながら国道を快走していた。緊急車両の特権で、赤信号を突っ切っていく。ハンドルを握っていない方の男が、後部座席へ収まった緋磨たちに簡単な資料を手渡してきた。
「なんすかこれ」
 受け取ったものをざっと眺め、その中に挟まれていたA4サイズの写真に目を留めて、六巻。さながら「炎の雲」とでも表現できそうな爆炎が、深緑の森のただ中で入道雲のように立ちのぼっていた。写っている森の木々も相当背が高いようだが、伸び上がった炎のかたまりはそれよりもなお天空高くまで達している。一見してスケール感の掴みにくい光景だった。
 彼の隣で、和田も同じ資料を手に、古道具の目利きのように矯めつ眇めつ写真を眺めていた。
「角度変えたって見えるもんは一緒だ」
 六巻が鬱陶しそうにぼやく。彼と和田は背丈こそ似たり寄ったりだが、体つきでは比べるまでもなく和田の方が頑健だ。この二人にはいくつか共通点があったが、言いたいことをずけずけと口にするというのも、その一つだった。「るせぇな」と言い返す和田。
 呆れたように首を横へ振る榊船と緋磨に向け、資料を配った男が補足を加えた。
「その写真は」
 男は指さしながら、事務的に告げた。
「かなり小さな部類に入る気化爆弾が爆発した瞬間を捉えたものです」
 一同の視線が、再び写真の上に落ちた。ファインダーに収まってもいない木々の足元に砂粒のような自分の身を想像してみると、その炎の大きさに冷たい汗が背を伝ったと緋磨は言う。ビルを超える高さ、ドーム球場を包み込む横幅の、大爆炎だ。
「それで」
 彼女は茶色の瞳をあげて、男の方を見た。
「成田にあるのは、この何倍だ?」
「単純計算で、その3倍です」
「それがこれですのね」
 榊船が資料の一枚、不格好な寸詰まりの鉛筆型をしたタンクの写真とそれに付随した短かな説明書きが載っている紙をつまみ上げた。男がうなずく。それは想像していたよりもずっと小さいタンクで、その破壊力は想像を超えたものになると予感できたと、榊船は振り返っている。
 緋磨は資料をひざの上に戻し、「今さらだが」と口を開いた。
「急いだ方が良さそうだな」


 W・1105とF・カイス、D・ギルバの交戦は、仮借無くその射線上にある航空機を巻きこんだ。先述の撮影班が記録したテープとレーダー上の航跡から判断するに、F・カイスとD・ギルバは被害をおさえる側に回っていたようだ。が、少なくともW・1105だけは旅客を満載した航空機を都合のよい遮蔽物程度にしか見ていなかった。
 午後3時04分。W・1105が着陸態勢に入っていた全日空機と併走して滑走路へランディングし、そのまま乗客320人を載せた同機の下を交差するようにすべり抜けながら、人間で言えば「背中走りをするような姿勢」で上空へ向けて盾状の装甲板を差し向けた。
 虚空へ盾を構えたのではなく、その内側に架装された重機関銃を追撃してくるF・カイスらに向けたのだ。警視庁撮影班は、その瞬間をカメラに収めることに成功した。
 口径24ミリ。1秒間に70発。スコールのような銃弾の奔流が、W・1105の盾から上空800メートルのF・カイスらに向けてほとばしった。空自の戦闘機に搭載されている物より口径の大きいバルカン砲はほとんど推進器じみた反動を生み、ただでさえ不安定なマン・シェイプのW・1105は倒れ込んだ背中でアスファルトを300メートルに渡って削った。
 放たれた弾丸は約250発。おそらく5%がD・ギルバに命中していると考えられ、きっかり10発が交錯した全日空機の右主翼に命中、その翼端を吹き飛ばした。前縁フラップを失って同機は滑走路を逸れ、緩衝帯を車輪で抉り返しながらようやく停止した。重傷を含めた負傷者は50人を超え、死者が出なかったのだけが行幸だ。
 F・カイスとD・ギルバはいったん高空に逃れ、野ウサギを追うハヤブサのような急降下でW・1105に肉薄した。迎え撃つW・1105は、捨て身じみた銃撃を繰り出したにもかかわらず、すでに体勢を立て直していた。
 それをして、「他の二体についてはなんとも言えないが」と分析班の主任は半ば呆れたように首を横に振った。「W・1105はおよそ正気を疑う設計思想で作られ、良識から外れた戦略で運用され、常識を越えた能力を持っていることを見せつけました」
 常識外れということでは、F・カイスとD・ギルバも負けてはいなかった。バルカン砲の攻撃を受けていったん退いた後、鋭角に転進してW・1105へ迫る。その転進Gはどう少なく見積もっても30の大台に達していた。
 標準的な人間が自動車並みの重さに跳ね上がるその加速度をものともせず、D・ギルバはその背に乗っているとおぼしきF・カイスとともにW・1105に急迫。この交戦を通じて、D・ギルバもF・カイスも射出兵装を利用することはなく、従って今度の攻撃もアメフトのフルバックのようなタックルだった。
 W・1105は瞬時に迎撃体勢を取った。脚部のアンカボルトで滑走路の真ん中に自身を固定、短距離走のクラウチングスタートのような姿勢を取る。D・ギルバらに向けられたのは、両肩後ろに架装されたカノン砲。40ミリ整形炸薬弾が装填されていたものと推測され、それを分かりやすく言えば「当たれば戦車が紙吹雪になる」レベルの破壊力だということになる。
 機長の判断で強行着陸したスカイトランザクション航空機が、F・カイスらに先駆けて滑走路のアスファルトに固定されたW・1105に迫ってきた。W・1105は動かない。ジャンボ機のランディングギアが接地し、ゴムの灼ける白煙を引きながらW・1105のわずか1メートルわきを擦過した。
 主翼が頭上を通過した瞬間、W・1105は二門のカノン砲を立て続けに放った。アンカボルトが軋むほどの衝撃を残し、整形炸薬弾が二条の光跡になってD・ギルバらに吸い込まれていく。
 ガラス張りのターミナルビルを揺らすほどの爆発音が響いた。滑走路上で巻き起こった炎と黒煙は、旅客であふれる出発ロビーからも目撃できた。


 カフェテラスの神山もまた、爆炎を見た。よもやと思い、気化爆弾近傍に配置してある使い魔と視覚を重ねる。自衛隊員達が不格好なタンクに貼りついて作業を続けているのを確認しながら、カップに唇をつけた。
 他の利用客達が何事かと窓の周りに集まっていくのを尻目に、神山は腕時計へ目を走らせた。午後3時05分。あの爆発が気化爆弾のものでない以上、答えは一つだと思えた。
「来たようですね」
 呟いてカップをソーサーに戻したが、まだ席を立とうとはしなかった。滑走路上の異変を見た店内の人々は、足早にその場を去り始めている。
 神山には考えがあった。「といっても、それほど大したことではなかったのですけれどね」と、のちに彼は魅力的な苦笑いとともに言っている。
「その直前に飛び込んできた彼がいましたから。矢面へ出て行くのも嫌いじゃないが、あまり目立ちたくもありませんでしたし」
 神山の言う「直前で飛び込んできた彼」とはもちろん真柴のことであり、その真柴はまさに成田空港3階の出発ロビーへたどり着いたところで、爆発を目にすることとなった。
 これから飛行機に乗ろうとする集団と、あとはどのみち空港を離れてしまえばいいだけの集団とでは、滑走路上の出来事への関心度が違う。ロビーの中はたちまちパニック状態に陥った。
 身長のある真柴はどうにかその人波に飲み込まれずにすんだが、とても知人を見つけるどころではない。とりあえずこれ以上の混乱拡大を避けるために解き放つ力を強め、無生物の気配も探知の範囲内に入れた。
「不幸中の幸いってか、不幸中のまだマシな不幸ってか」
 バンダナの奥に隠した第三の瞳を軽くなぞるようにして、真柴は言う。
「あと1秒遅かったら、ぶっ飛んできた――W・1105だっけ? あれの下敷きになって、絵にならない死に方してたかもな」


 バンのハンドルを握っていた男が、わずかに舌打ちをした。
「何か?」
 問いかけた緋磨に、彼は耳掛け式のヘッドセットを指で叩いてみせる。
「成田の指揮車から連絡が入りました。空港内で爆発が確認されています」
「気化爆弾か!?」
 男の言葉に、六巻と和田が異口同音に反応した。が、「それはないですね」と宮小路。彼はバンに乗り込んだ直後から携帯とPCをフル稼働させ、忙しなく方々へ連絡を取っていた。
「んでアンタにそんなことが分かんだよ」
 間髪入れずに返された言葉にむっと来たようで、突っかかる和田。宮小路はPCからわずかに目を上げて彼を見ると、
「爆発は滑走路上です。ターミナルビルではない。威力も小さい」
 淡々とした口調でそう答えた。そして、なお言いつのろうとする少年に、「前を見るように」と指を差す。和田が振り返ると、運転席の男も首を縦に振っていた。
「滑走路に進入した何者かが、戦車砲のようなものを放ったようです。詳しいことは分かっていませんが、空港にはパニックが広がりつつあります」
「40ミリ整形炸薬弾。二発。混乱がいちばん激しいのは、3階出発ロビーのようですね」
 男の言葉を、同じバンに乗っている宮小路が補足した。さすがに男からも訓練された無感情さが剥がれ、「情報が早いですね」と、ぼやくように。
「皇騎兄様の情報網を甘く見てはいけませんわ」
「なんでお前の方が偉そうなんだよ」
 胸を反らした榊船に、和田が呆れ半分の眼差しを向ける。苦笑いで「本家の情報網だよ、正確にはね」と訂正した宮小路に、
「ってか、さっきから何やってるんすか」
 手元をのぞき込むようにして、六巻。宮小路は小さく肩をすくめた。
「本家に連絡を入れて、対異能戦の経験がある者を集めてもらってる。平行して成田の監視情報のシェアリングもね」
「はぁ。間に合いそうすか、そいつら」
 聞き返した六巻へ「兄様を甘く見ては――」と言いかけた榊船だったが、宮小路自身が苦笑いで首を横に振った。
「かなり厳しいね。即応できる優秀な人材が揃っているという点で草間興信所に目をつけた大竹さんは慧眼だよ」
「偉そうなこと言って、要は俺らが行かなきゃ間にあわねぇってコトだろ」
 ウズウズするとばかり、和田がシートを拳で叩く。「それで」と、そのとき初めてレナーテが口を開いた。
「誰にせよこの事態を収拾する能力のある人間は、間に合いそうなのか?」
「真柴さんと神山さんが善処してくれてはいるようですが、僕らが間に合わない限り誰も間に合わないでしょう」
 宮小路の答えに、緋磨が悠然とした笑みを浮かべた。
「シンプルでいい」
「最悪の事態とは、たいていシンプルなものです」
 宮小路も苦笑いで答えた。
「そしてシンプルだからこそ、対処には実力だけが問われます」
 レナーテが無言で手の平を宙に伸べ、軽く目を閉じた。燐光が手の平へ収斂し、あの白い銃が現れる。
「それを、使うんですの?」
 さすがに表情を曇らせた榊船だったが、レナーテは「仕方ないだろう」と答えながら、銃をジャケットの内側へしまった。
「鍛造刀もオートマチックも、興信所へ世話になる条件として武彦に取り上げられてしまった」
「お。そういや俺も、武器持ってきてねぇぞ」
 和田が頭をかく。が、同乗の男がシートの下からジュラルミンのケースを取り出すと、鍵を開けて蓋をあげた。中には和田が必要とする以上の銃器が揃っていた。
「防衛庁の車も、甘くは見ないで頂きたい」
 告げる男の口元が、わずかな笑みの形に動かされた。


 「空港が混乱状態になりつつあるということでしたが、わたくしに少し考えがあるのですけれど」と、和田とレナーテが拳銃を選んでいる間に榊船が宮小路に耳打ちした。
「考え?」
 問い返した兄へ、「ええ。空港の混乱を収めるために、まことしやかな情報を流してはいかがかと」とうなずきながら続ける。
「やってみる価値はあるかも知れないが、僕らが空港に着く頃には、パニックは収拾のつかないことになっていそうだよ」
「ですから、今ここから。
 空港内のシステムへダイブして館内放送設備を支配、『空港で大規模な映画撮影がある』とでも情報を流せば、幾分かは混乱も鎮まると思います」
「そうだろうけどね。それをノートPCと携帯電話で、リモートからやれっていうのかい?」
 苦笑いとともに、宮小路。
「わたくしもお手伝いいたしますわ。皇騎兄様の口から「ムリだ」とか「出来ない」などというお言葉は、聞きたくないのですけれど」
 半ば以上脅迫じみたその台詞に、彼はもう一度苦笑いで首を横に振ってから、ノートPCへ向かった。


 爆発の煙が収まると、F・カイスとD・ギルバがその向こうに立っているのが見て取れた。カノン砲の直撃を受けたにもかかわらず、損傷らしい損傷は見受けられない。F・カイスが左腕に携えた大盾が、その衝撃を全て受け止めたようだった。
 D・ギルバが再びW・1105に急迫した。W・1105はアンカボルトを爆破切除、背部の推進器で再度高空へ離脱しようとしたが間に合わず、D・ギルバのタックルを下肢部に受けた。
 金属のかたまりがぶつかる重く高い音とともにW・1105はターミナルビルの方向へと弾き飛ばされ、
「何事かと思いましたね。使い魔が幻覚を見たのではないかと」
「ガラス張りの壁が、いきなりスクリーンになったみたいだった。映画でなきゃありえねェシーンだったからな」
 神山と真柴が口を揃えるとおり、およそ信じがたい巡り合わせで、3階出発ロビーに飛び込んできた。幸いパニックは人波を窓から遠ざけており、ロビー内でただ一人窓のそばへと向かっていた真柴は、その直前に滑走路上での格闘戦を知覚していた。
 彼はすんでの所で窓際から飛び退り、砕かれてロビー内へ銃弾のように降り注いだガラスは、2階下の神山が相も変わらずカップを片手に念動で食い止めた。
 ロビーに突っ込んだW・1105は3メートルを超すその機体を起こし、ほとんど反射的と言える素早さで真柴へあのバルカン砲を仕込んだ盾を構えた。
「モノがなんなのかはすぐ分かったよ。見たことあるからな。それこそ映画の話だけど」
 振り返ってみれば苦笑いの真柴だが、その瞬間にはそんな余裕はなかった。避ければ後ろにいる旅行客達に銃弾が当たり、避けなければ自分に当たる。W・1105が引き金を引くまでのタイムラグと同様、彼の選択もまた瞬時だった。
 その場を退かず、ほとんど一本の棒のような間隔で打ち出されるバルカン砲の弾丸を念で破壊。W・1105が効果が薄いと見て取って砲撃を止めた瞬間、一気に力を開放してバルカン砲を盾ごと粉砕した。短く切っていた髪が力を使ったことで元の長さに戻り、床をなでる。
 兵装を失って唖然としたような一瞬の空白の後、W・1105は推進器に火を入れ、全速で離脱していった。壊れたガラス張りの壁面から一気に上空へ抜ける。後を追うように、F・カイスとD・ギルバも滑走路上から飛び立った。
 飛び込んできた時と同じく、三機は唐突に成田から離れていった。
 あとには損傷を被った出発ロビーと滑走路、翼端の吹き飛んだ航空機、そして、
「……なんだったんだ、あいつら…」
 あっけにとられて呟く真柴だけが残された。


 宮小路と榊船の試みは、それなりに奏効した。とりあえずW・1105らが成田から姿を消したということもあり、旅行客達は館内放送で流された急場しのぎの説明に、いちおうの納得がいったようだった。
 それなりに平静を取り戻し始め、職員が応急の対応に慌ただしく駆け回りだした空港内で、神山は依然としてカフェテラスに腰を下ろしていた。そして真柴が足早に近づいてくるのに気付くと、悠々と顔を向けて軽く手を挙げる。
 真柴は彼の向かいにいすの背もたれを前にして腰を下ろし、「あんたが?」と問いかけた。軽く首をかしげるようにしてうなずいて、
「何か飲みますか」
 場違いなほどゆったりした挙動とともに、神山。
 真柴が肩をすくめて「コーヒー」というと、神山はウェイターを呼んでホットコーヒーと紅茶を注文した。
「ずいぶん余裕があるな」
「焦ってもはじまりませんからね。草間さん達もまだ到着しないでしょうし」
「気化爆弾の守りはどうなってんだ?」
「気化爆弾の周囲に私の手足となってくれる者を貼り付けてあります。今のところはそれで充分でしょう」
「じゃあ、見てたか? さっきのも。
 あいつらは何なんだよ」
「私が知るわけはありませんよ。
 味方ではなし、今はもう敵でもなし。それだけ分かっていれば足ります。
 戻ってきてしまったら、また追い返せばいいでしょう」
 軽く肩をすくめた神山を見、「ま、そりゃそうだ」と真柴はいすに座り直た。そして彼らは運ばれてきた飲み物に口を付け、結局レナーテ達が成田に到着するまで、そこで悠然と時を過ごしていた。


 成田空港貨物ターミナルわきに停めた指揮車の中で、大竹達はじっと腕組みをしてパイプいすに腰を下ろしていた。大型のトラックを改造した指揮車の中はそれなりに広い。「秘書官、通信が」と声を掛けられ、大竹は耳に掛けたヘッドセットのスイッチを入れた。
「遅いな」
 前置き抜きで、マイクからうなるような男の声が聞こえてきた。空港まで同道していた、警察庁幹部の男だ。「本当に来るのか」と苦々しげに続けた彼に、大竹は腕時計に目を走らせてから答えた。
「来ますよ」
 大竹の視線が今度は信管解除作業中のターミナル内を映したディスプレイに向けられる。
「奴らを甘く見てはいけません」
 解除作業は続いていた。


 午後4時10分。レナーテ達六人を乗せたバンが、ようやく成田空港ターミナルビル前に到着した。興信所へ迎えに着たスーツの男に先導され、次第に利用客が捌けはじめたビルの中を足早に突っ切る。
 到着ロビーの一角にあるカフェテラスでくつろいでいた真柴と神山も、異様に忙しないその一団に気付いた。スーツの男の後ろを行くレナーテの姿が二人の目にとまる。
 真柴と神山はどちらかともなく顔を見合わせて軽く肩をすくめると、席を立った。後からついてきた二人に気付いた緋磨が、振り向いて軽く目をすがめ、問いかけた。
「草間さんが呼んだ二人か?」
 神山はわずかに首をかしげるようにして、真柴は片手を胸に当てて、それぞれ名乗った。忙しなく足を運ぶ一団について歩きながら、「私は緋磨翔。握手をしてるヒマは、ないようだが」と緋磨が苦笑いで答える。
「この件が終わったら一杯付き合ってくれりゃ、握手するより親しくもなれるさ。」
 おどけたようにそう言った真柴を、緋磨は足を止めずに暫時見つめていてから、にやりと笑って左手を顔の前に持ってきた。そしてその薬指に光るプラチナのリングを、軽くつついてみせる。
「少し遅かったな」
 言って、緋磨は前へと向き直った。やれやれというようにすくめた真柴の肩へ、神山が手を載せた。
「私でよければ付き合いますが」
「言ってやがれ」
 からかうように口にした神山へ、真柴は苦笑いとともに吐き捨てた。


 午後4時20分。真柴、神山を加えた八人(緋磨、宮小路、六巻、和田、榊船にレナーテ)の姿は指揮車の中にあった。大竹へ手短に挨拶してから、状況の説明を受ける。
「要約すると」
 担当官からの話を聞き終えて、榊船が口を開いた。
「やっと実際の信管解除作業に入ったところで、順調に行って終わるのは明日の午前4時ってことですのね」
「そして今のところ、滑走路で暴れた三体の正体不明機以外、不審な動きはない、と」
 宮小路がそれを補足した。大竹はうなずいた。
「気化爆弾は、隣にあるあの貨物ターミナルビルの中で解除作業を受けています。陸自と警察は配備していません」
 「足手まといが少なくていいぜ」と、和田が拳を握った。彼は送りの車中で、オートマチック二丁と消音器を借り受けていた。
「わたし達の配備はどうなる?」
「お任せします。こちらには虚無の境界のような異能力者を相手にした経験が乏しいからこそ、あなた方をお呼びしたのです」
 レナーテの言葉に、大竹が答える。
「全員が最前線に出ていても効率が悪いですね。前衛と後衛を分けた方がいいでしょう」
「じゃ、俺は前衛だな。爆弾の周りにいるよ」
 皇騎の提案に、六巻は軽く手を挙げた。
「何しろ、俺の能力は周りに人がいると使いにくいからな」
「俺も前衛だぜ。後ろでなんかこちょこちょやってるのは性にあわねぇ」
 荒っぽくオートマチックをコッキングさせながら、和田。
「……間違っても気化爆弾に当てんじゃねぇぞ」
「お前じゃねぇ。そんなドジ踏むかよ」
「仲がいいな、少年達は」
 またしても始まりそうになった憎まれ口のたたき合いを遮って、緋磨が一歩前に進み出る。そして、「私も前線に出よう。補佐する方が得意だが、後ろに下がっていては役立てそうにないからな」と、二人の少年の肩にそれぞれ腕をかけた。身長175センチ。六巻と和田よりもわずかに高く、さながら姉がやんちゃ坊主な弟二人をおさえているようだ。
「俺も前だ。後ろにいてもやることがねェ」
「では私は後ろへ。荒事は若者達に譲るとしましょう」
 真柴が腕を広げてそう言うと、神山が柔和な微笑みとともに後衛へ回る意志を示した。
 宮小路は「前衛ばかりですね」と苦笑いを浮かべ、
「私は後衛に回りますか。亜真知はどうします?」
「わたくしはレナーテと一緒にいますわ」
「わたしは定位置を持つよりも遊撃できる方がいい。後衛を守りながら、適宜前衛にも出よう」
 和田と同じく借り受けたオートマチックのセーフティを静かに外してジャケットの内側に戻し、レナーテ。宮小路はなぜとはなく神山と目を見合わせ、わずかに肩をすくめた。
「決まりましたね」
「そのようだな」
 宮小路の言葉に、うなずく緋磨。「それでは」と、大竹が口を開いた。
「よろしくお願いいたします」


 前衛を引き受けた緋磨、真柴、六巻、和田の4人はいったん指揮車を出、貨物ターミナルへ向かった。
「けどよ、これだけ雁首揃えてただ爆弾の周りに座ってるってのも、芸がねェよな」
 一辺の長さ100メートル、4階建ての四角柱型ビルを見上げて、真柴。緋磨は羽織っていたジャケットの内ポケットから木製の小刀を取りだして小さく素振りし、
「爆弾に貼りつくのは真柴さんだけで充分だろう。私は二人のサポートにつく」
 少年達の隣に立って意味深な笑みとともに告げた。
 和田が「いらねぇよ」と憮然とした声を上げ、六巻は困惑したように視線を逸らす。「嫌われてんなぁ」と苦笑いの真柴に、緋磨は「信頼のあらわれだよ」と難なく切り返した。
 神山が施した空間閉鎖は、前衛の四人が防衛に当たるということで解除してあった。前衛側の布陣は、信管解除作業中の気化爆弾に最も近い貨物ターミナル内に真柴、ターミナルの同じフロアの入り口近くに六巻、外に和田、そのそばに緋磨というかたちになった。
 和田は狼の姿をとった霊獣を喚びだして入り口を見張らせ、同時に、解除作業にあたる自衛隊員へ悪影響を与える精神攻撃が加えられないよう、風の精霊の力添えを受けた。
 六巻は緋磨の持つ異能拡張能力の助けを得て、貨物ターミナルを取り囲むように掘り下げ式の落とし穴を作った。表面を紙のように薄いコンクリートが覆っており、外から見ただけでは堀割のような落とし穴があるとは気付きようがない。
 そして真柴はいつでも自分を盾に出来るよう、周囲の気配に留意しながら気化爆弾のそばで立哨していた。


 後衛に回った宮小路と神山、そして遊撃の榊船とレナーテもまた、行動を開始した。
「さて。後衛を引き受けたはいいですが、なにをしましょうかねぇ」
「私は成田のネットワークを支配下に置いておきます。引っかかってくれるとは思えませんが、ダミーの情報も流しておきましょう」
 スーツのえりを正しながら口を開いた神山に、宮小路は指揮車の一角に席を取ってPCを立ち上げながら答えた。瞬時のうちに成田の情報網を掌握し、必要な情報を出し入れしていく。流れ出すデータの一つをすくい上げ、「今日の最終便は10:35ですね」と小さく告げた。
「それでは私は、皆さんの『目』になりますか」
 肩をすくめて呟くようにそう言って、神山はまた使い魔を成田の中へ放った。
 一方の榊船達は、とりあえず空港ビル内に戻り、利用客の様子を探っていた。人の入れ替わりが激しい空港のこと、すでにパニックの影響は感じられず、ただかしましい雑踏だけがあった。
「虚無の境界は、どう出るでしょうね」
 榊船の問いかけに、「わたしなら」とレナーテは口を開いた。
「やり方は二つだ。気化爆弾をどこでであれ爆発させてしまうつもりなら、たった今このときになんとしても点火する。
 一方で、どこで使うかが決めてあるのなら、奪還は空港が業務を終えてからだ」
「夜、ですか」
「どこから入ってどこへ持って行くつもりにせよ、間断ない航空機の離着陸とこの人ごみは虚無の境界にとっても足かせだ。
 しかも向こうは、こちらがそう簡単には気化爆弾を運び出せないことを知っている」
「強行はしないとお考えですのね」
「わたしならな」
 レナーテは寄り添うようにして立つ振り袖姿の少女を真っ直ぐに見て、繰り返した。
「わたしならしない」
 午後5時00分。新東京国際空港内で、全ての人員が配置についた。


「平和ですね」
 指揮車の中でパイプいすに腰を下ろし、神山がのんびりした声を上げた。午後10時00分。この時点まで、虚無の境界襲撃の気配はなかった。時折誰かが身じろぎをする程度の重苦しい沈黙に包まれていた車内で、宮小路は睨んでいたモニターから顔を上げた。「こういう緊迫感は、平和とは言わないですけどね」と、苦笑いで口を開く。
 神山は軽く肩をすくめてから宮小路へ向き直った。そして「彼らはどう出てくると思いますか?」と問いかける。宮小路は一度モニターに視線を落とし、
「具体的にどうなるかは分かりませんが。急襲してくる様子がない以上、いざ始まれば熾烈な攻撃になるでしょうね」
 声を低めてそう答えた。
 動きがなかったのは後衛側だけではなく、前衛も同じだった。真柴が一時期レナーテと榊船に位置を変わってもらい、今度こそちゃんと知人を見送ってきた以外、これといって何も起こっていない。
「まさか、このまま何事もなくハイ終了ってなことにならねぇだろな」
 オートマチックを握ったままぼやくように呟いた和田へ、「それならその方がいいだろうが」と六巻が返す。だが彼も手持ちぶさたになっているのは否めなかった。
「あせるな少年。防衛戦とはこういうものだ」
 その中にあって一人悠然と、緋磨。
 さすがにフロアの奥へさがっていては時間の潰しようもなく、誰からともなく入り口門扉の周りに集まっていた彼らの見送る先で、滑走路を最後の便が飛び立っていった。
 午後10時35分。新東京国際空港に、静寂が訪れた。


 午後11時02分。指揮車の中で神山が微かに顔を上げたのと宮小路がモニターを注視したのは同時だった。照明が落とされ夜闇に沈んだフェンス際で、何かが滑走路補修工事の作業灯を照り返す。それを神山は空港内に放った使い魔の目を通して、宮小路は支配下に置いた監視カメラの映像から察知した。
「今何か……」
 宮小路が神山の方を向き、そう口を開いた時。フェンス際から地上1メートルの高さに白の光跡を曳いて貨物ターミナルの壁面に何かが突き刺さり、爆発。ターミナル周囲をオレンジ色の炎で照らし出した。
 指揮車の中がにわかに慌ただしくなった。
「来ました」
 宮小路がマイクに向けて短く告げる。その声はネットワークを介し、貨物ターミナル1階天井のスピーカーから再生された。冷静なその声に、「分かってるわボケェ!」と和田が口汚く怒鳴り返す。
「ついに始まったか……」
「フェンス近辺から無数の人影が、貨物ターミナルへ向かってます」
 緋磨の呟きに、宮小路の声が重なった。「無数ってのは、何人だ」と天井へ向かって問い返す和田。同じスピーカーから返ってきたのは、「数えてられないから無数というんですよ」という神山の声だった。
「……おい。あいつら何とかしろ」
 苛立ちを押し殺した声とともに天井を親指で指し示し、和田が六巻に一歩詰め寄る。
「なんで俺に言うんだよ」
「片方はお前の知り合いだろ」
 半眼の六巻へ、さらににじり寄る和田。緋磨は身体を割り込ませ、
「気持ちは分かるが、前線が後方のことでケンカしていても始まらない」
 二人の肩へ手を掛けてそう言うと、「さぁ二人とも。最前列は私たちの持ち場だ」とターミナル入り口の方へ背中を押した。
「俺にもちょっととっとけよ」
 真柴の軽口へかぶせるように、二発目の爆発音がビルの壁を震わせた。


 すぐそばの貨物ターミナル外壁で炸裂する対物火器の音と振動は、大型トラックの指揮車をも容赦なく震わせていた。宮小路は監視モニターとPCのディスプレイの間で忙しなく視線を動かし、キーボードを叩いて情報を受け取っては処理して流していく。
「個人携行式の対戦車火器ですね。おそらくRPG−7でしょう。弾頭さえ揃えているなら何発でも撃ってきますよ。
 そう簡単にコンクリート壁が抜けるとは思えませんが、六巻君達に当たれば一巻の終わりです」
「なんでもよくご存じですね」
 相変わらず悠然として、神山。その様子に、「元から知ってるわけじゃありません。現状を分析して、調べているんです」と、さすがに宮小路も少し苛立った声を上げた。
「で、あなたはそこで何をしているんですか、神山さん」
「私は悪運が強いですから。ここにいるだけで、幸運のお守りみたいなものなんです」
 パイプいすに腰を下ろして足を組んだまま、神山は穏やかな微笑みで答えた。呆れて首を横に振り、宮小路がディスプレイに視線を戻す。その目に、真っ直ぐ指揮車へと向かってくる光跡が映った。
 「しまった」と吐き捨てる間もあらばこそ。装甲車を吹き飛ばす破壊力を秘めた弾頭が指揮車の側面に迫り――――そして命中する寸前で急に制動を失なうと、あらぬ方へ飛んでいって爆発した。
 神山の使い魔が弾頭の安定翼をへし折り、推進剤が火を噴いている尾部をめいっぱい蹴飛ばして方向を変えたからだが、それを察知できたものはいなかった。宮小路だけがいぶかるような視線を神山に向け、
「弾頭が故障したみたいですねぇ。この幸運を天に感謝しましょう」
 当の神山は白々しく微笑みながら、胸の前で両手のひらを組んだ


 旅客ターミナルビルの方を巡回していた榊船とレナーテにも、貨物ターミナルの方で起きた爆発音はよく聞こえた。窓際に駆け寄り、外を確かめる。ターミナルビルの外壁を照らし出すオレンジ色の爆炎がはっきりと確認できた。
「行こう」
 端的に告げ、ジャケットの裾を翻して走り始めるレナーテ。榊船もすぐにその後を追った。
 そして二人が旅客ターミナルビルを抜け、滑走路へ出た瞬間。不意に横から発砲を受け、レナーテは榊船をかばって足を止めた。銃弾はレナーテに触れる直前で、炎に近づけた氷のように蒸発する。榊船が万一の時に備えてレナーテの周囲に展開していた防御シールドの効果だった。
 レナーテはあの白い銃を顕現化しているので、従って今は周囲の異能力を中和する力を発揮していない。
 足を止めた二人に銃口を向けていたのは、金髪を長く伸ばし、都市迷彩の軍服に身を包んだ少女だった。小柄で、レナーテと榊船を見据える赤い瞳はただ淡々としていた。
 「その目には、なんの感情も浮かんでおりませんでした。まるで機械のようでしたわ」と、榊船はその印象を語っている。
 レナーテは一瞬のうちにジャケットの下からオートマチックを引き抜き、三点バーストで発砲した。銃弾を受け、金髪の少女が大きく後ろによろめく。しかし、少女は倒れなかった。踏みとどまり、再び銃を構えてくる。レナーテの銃弾が当たった場所は血の色をした泡をふきながら、見る間にふさがっていった。
「その光景には、見覚えがありましたわ。零様がお持ちの超回復と、同じ能力でした」
 そう振り返る榊船の表情は、険しい。
 レナーテの判断もまた、榊船と同じだった。逆の手で白の銃を抜き、撃発。榊船が展開していたシールドを内側から砕いて飛んだ反異能力の銃弾は少女の右肩から先を吹き飛ばした。もんどり打って倒れる少女。
「これは、一体……?」
 さすがに動きを止めた少女を見下ろして、榊船の口から呟きがもれた。レナーテは銃をジャケットの下へ戻し、「味方ではない」と短く答えると、
「行こう」
 再び走り始めた。


「オイオイ、こりゃなんの冗談だ?」
 貨物ターミナルビルの門扉を抜けた和田が思わずそう呟いたほど。ざっと見ただけで確かに数える気をなくす量の奇妙な人影が、滑走路を横切ってこちらへ向かってきていた。
 宮小路が空港のコンピュータを操作して照明を全開にしているため、眩いほどの光の中でその姿がはっきりと見て取れる。それは背丈が1メートルほどで、せむしの様に背が丸く、角の生えた老人の顔を持っていた。事後調査で、少なくとも533体のこの「小鬼老人」がいたことが突き止められた。
 動きはそう速くないが、たかられれば身動きがとれなくなることは目に見えていた。
「おい、六巻」
 和田は隣に立った六巻へ、声を掛けた。
「落とし穴作戦は、変更だな」
 ひょこひょことした足取りで近づいてくる小鬼の群れを見据えたまま、六巻が先んじて答える。「10匹や20匹は掛かったかも知れねぇケド」と、のちに六巻は軽く頬をかきながらこう言った。
「それじゃ焼け石に水だ。向こうの姿が見えたんだから、もっと攻撃的な手にでる必要があると思ったんだよ」
 和田は六巻の言葉ににやりと笑うと、「攻撃あるのみ、だぜ」と愛用のサングラスを掛け、すぐ後ろに立つ緋磨を振り返った。
「アシスト頼むぜ、おばさん」
 言い放つなり前へ向き直った彼は、緋磨の口元が剣呑に引きつるのを見ずにすんだ。後日、彼女は苦笑いで語っている。
「はり倒そうかと思ったけど、六巻クンの方が申し訳なさそうに頭を下げてたから、聞かなかったことにしてあげたのよ」
 それからの3人の連携は見事の一言に尽きるだろう。六巻は土石を操る能力でアスファルトを礫にし、群れなす小鬼へ散弾銃のように撃ち出す。それだけでは完全でない石弾の威力を、和田が暴風の力で倍加。そしてその二人の能力を緋磨が拡張して射程と破壊力を指数的に高め、まるで無数の重機関銃で乱射を浴びせているかのような攻撃力を実現していた。
 その様子もまた警視庁撮影班のカメラはつぶさに捉えており、それを一見して分析班主任は、「陸自最新の戦車でも」とW・1105の時以上の苦笑いで述べている。
「あの石礫の嵐には、10秒でスクラップにされるでしょう」
 その暴威にさらされた小鬼達には為す術などなかった。かすっただけで四肢をもぎ取っていくような石弾のスコールの中、見る間に体中を吹き飛ばされていく。確かに頭数だけは揃っていたものの、そんなものは文字通りものの数にならなかった。


 完膚無きまでに一方的な防衛戦ののち。榊船とレナーテが貨物ターミナル前にたどり着いた時には、もう滑走路上に動くものの姿はなくなっていた。
 午後11時14分。戦闘は第一段階を終え、
「おととい来やがれ!」
 親指を立てて声高に吐き捨てた和田の言葉に答えるかのように、再びフェンス際から光跡とともに飛来した一発のRPG−7で第二段階に突入した。
 榊船が即座にシールドを展開し、弾頭から一同を守る。スピーカー越しの宮小路の声が、開け放たれたターミナルビルの門扉を通して聞こえてきた。
「主力が来ます」
 その言葉の通り。轟然と風を巻いて滑走路をよぎり、巨大な白銀の獅子がターミナルビル前の一同へ挑みかかってきた。余勢を駆った体当たりを榊船のシールドがどうにか阻む。不可視の防壁が、あり得ないほどの圧力に軋みをあげた。
 白銀の獅子は防壁を突き放すようにして、いったん榊船達から間合いをとると、後ろ足ですっくと立ち上がった。体長2メートルを超す巨躯は岩のような筋肉でおおわれ、呼吸に合わせて毛皮の下で筋繊維が動くのが見て取れた。
 「それに、あの赤い瞳」と、和田は拳を手の平に打ち付けながら、語る。
「あの目にしたって、ただの獣のモンじゃなかったぜ。もっと知性のある生きモンの目だ」
 その時その白銀の獅子は当然名乗りなどあげなかったし、その場にいた誰一人として彼に名前を尋ねようという人間はいなかった。聞かれれば、彼は唸るように低い声で答えていたかも知れない。
 「ファング」。それがその白銀の獅子の名前であり、彼が人の姿をとることも出来て、そして裏世界の傭兵としてならしているということは、事後調査を開始したとたんに判明した。
 ファングは無敵の傭兵として、その世界ではあまりにも名高かったからである。


「おや」
 指揮車の中で、神山は小さく声を上げた。彼は使い魔の目を通し、後ろ足で立つ白銀の獅子を見ていた。それが与しやすいと言える相手ではないことは、前衛と遊撃を合わせたメンバーが非常に優秀であることを考慮に入れても、神山には明らかだった。
 神山はその時の状況を回顧して、「放っておいても、皆さん負けはしなかったでしょうけれどね」と、笑いながら軽く首をかしげてあとを続けた。
「でも誰かが深刻な手傷を負った可能性は高いでしょう」
 神山はこのときも自ら最前列に出ることはなく、使い魔を通じてファングの行動を邪魔するにとどめている。


 ファングと前衛の格闘戦は熾烈を極めた。戦闘が完全にゼロ距離の格闘戦――それも入り乱れての乱戦――になってしまったことで、榊船のシールドは、直接打撃に加わらない二列目だけにしか展開できなくなった。そしてその、シールドのないもっとも危険な最前列を担ったのが、和田とレナーテである。
 自在に動いての突進を許せば手を焼かされるのは目に見えていたので、六巻が足元のアスファルトを操り、ファングの自由な移動を阻む。その最中、誰にも気付かれないよう、神山の使い魔たちもまたファングの四肢にしがみついてその動きを制限していた。
 榊船は最悪の場合には空港全体を空間閉鎖できるように備えながら、二列目(六巻、緋磨、榊船)にシールドを展開。そして緋磨は和田の能力を拡張させて、その格闘戦を補佐していた。
 しかし、それだけのバックアップを向こうに回してなお、ファングは和田とレナーテに決してひけを取ってはいなかった。
 金属を編んだように頑丈な毛皮はピストル弾の貫通力をほぼ完全に殺し、俊敏な動きは和田が召喚した狼の霊獣でさえ完全には捉えきれないほどだった。のみならず、圧倒的な体格差と体重差が打撃の威力さえ削いでしまう。
 特にレナーテの打撃はほとんど効果を持たず、かと言ってこれほど周囲が異能力での補助を受けている状態で白の銃は使えない。彼女はしなやかな動きでファングの攻撃をかわしながら、オートマチックで顔やつま先、靱帯など少しでも衝撃に弱い部分を狙って銃弾を放っていた。
 一方の和田は、緋磨の能力拡張による援護を受けていることもあり、ほとんど一人でファングの相手をしているような奮闘ぶりを見せていた。
 プロボクサーのパンチを上回る鋭さで繰り出される、かぎ爪のついた丸太のような腕を体を沈めていなし、頭上を擦過する肘関節へ向けてトリガーを引き絞る。握ったグリップから風の力を付与された銃弾が解き放たれ、白銀の毛皮をピストル弾が食い破り、赤い血飛沫が舞う。意にも介さないというように、ファングは低い位置へ降りてきた和田の頭部へ後ろ足でひざ蹴りを。
 和田は自分の足元で瞬間的に気流を爆発させ、予備動作なしでバク宙してそれをかわした。着地の瞬間、射線の通ったファングのわき腹へ立て続けに撃発。装弾が底をつき硬い撃鉄音だけが響くと狼の霊獣をファングに飛びかからせ、素早く相手の攻撃範囲を脱してマガジンを替えた。
 和田が撃鉄を起こすより先になぎ払おうとファングが振るった腕は、六巻が打ち立てたアスファルトの柱に阻まれた。
「あせっちゃいけない。相手が強いほどな。あせりゃ、勝てる相手にだって勝てなくなる。
 逆に言や、相手をあせらせられりゃこっちが有利になるってことさ」
 のちに和田がそう訓を垂れたとおり。地道な削りあいが続くうち、さしものファングにもダメージの色がうかがえはじめた。一撃一撃はさしたる効果のないものだったが、積み重なれば響いてくる。
 針でつつくような和田とレナーテの攻撃は着実に命中し、一発当てれば全て終わりにできるような自分の攻撃が、ことごとく宙を切る。その現実に苛立ったのか、ファングの攻撃は次第に力任せの大振りが目立ってきた。
 和田は勝負に出た。すでに弾倉に1発しか残っていないのを承知の上でファングの真正面にまわり、微妙に距離をとりながら巨躯の獅子を誘い込む。つかず離れずの動きにファングが焦れて大きく踏み込んできたところを、再び気流を爆発させて後ろへ飛び退り拳銃のレンジへ。ファングが一瞬自らを呪うように唸ったのを聞きながら、和田はトリガーを絞った。
 撃発音は一発だけ。白銀の毛皮の上でピストル弾が空しくはじけ、二撃目の撃針がカラになった薬室でカチリと乾いた音を立てた。
 ファングは罠にかかった。この好機を逃さぬとばかり、伸び上がるようにして和田へ襲いかかる白銀の獅子。
 誘い込んだ和田は当然に冷静だった。躊躇なくオートマチックを手放し、緋磨の力を借りて増幅された暴風エネルギーを拳に乗せて足を踏み出す。
 ファングから逃れる方へではなく、まさにその懐の中へ。
 そして。気を抜けば暴走して竜巻を生みそうなほどのそのエネルギーを、和田は全身で押し込むようにファングへ叩き付けた。


「表はにぎやかだな、おい」
 持ち場の関係上そこを動くわけにいかない真柴は、一人貨物ターミナル内に残ったまま、外から響いてくる激闘の物音だけを聞いていた。適材適所で自分がここを守るのがベストだと分かってはいたが、真柴は真柴なりに、虚無の境界に一矢報いてやりたいという気持ちがあった。
 だが状況から判断するに、自分の出番は残されていないようだ。
「ま、しょうがねェけどよ」
 真柴がぼやくように口にした時。出し抜けに天井のスピーカーから、「真柴さん、何か来ます。気を付けて下さい」という宮小路の声が聞こえてきた。
 辺りを見回すが、防護シートの奥で作業を続けている自衛隊員以外に人影はない。真柴は力を解放し、フロア全体を索敵した。その意識の片隅に、フロアの反対側をおぼつかない足取りで進む人影の存在が映り込む。どこから入ったのかと思いきや、換気口から侵入したらしい。確かに人影は小柄で、その気になればできない芸当ではなかっただろう。
 真柴は防護シートを回り込み、察知した侵入者が姿を現すのを待った。やがて、整然と並んだコンテナの向こうから小さな人影が。その姿を目にして、真柴は言葉を失った。
 金髪を長く伸ばした小柄な少女。赤い瞳に感情の光はなく、都市迷彩の軍服に包んだ身体には、右肩から先がなかった。ケロイド状に盛り上がった肉塊で傷はふさがれつつあるものの、流れ出した大量の血液がグレーの軍服を赤黒く染め、少女が歩くたびに浸潤するように新たな血液が肉の間から染み出してくる。
「表情は全然動いてなかったんだが……」
 振り返るだけで痛むものがあるのか、真柴は視線を落とし、低い声で先を続けた。
「痛みや苦しさを感じてないってよりは、それを表現する方法を知らないって感じだった」
 真柴は反射的に少女へ駆け寄ろうとした。だが彼女は無表情な瞳のまま、失血でふらつく片腕を持ち上げて、握っていた銃を真柴へ向けた。ためらうことなく細い指が引き金を引き、弾丸が放たれる。もはや反動をおさえる力も残っていない少女の身体が泳ぎ、銃弾は真柴の二の腕に小さな穴を穿つにとどまった。彼にとっては、傷のうちにも入らない程度のダメージだった。
 少女の青ざめた手が再び動かされ、銃口が真柴の額をポイントした。当たらないのなど分かり切っていた。それどころか、重たいオートマチックの引き金を引く力が残っているのかどうかさえ怪しいものだった。
 真柴は一気に距離を詰め、少女の額に手を触れた。その動きについて来られたのは、赤い瞳だけだった。つつけば倒れてしまいそうな身体を静かに支え、「もういい」と真柴は耳元で囁いた。
 力を解き放つ。送り込まれた念が少女の脳幹を瞬時に破壊し、小柄な身体から力が抜けた。
 永遠に苦痛から解放された身体をそっと抱きとめて、床に横たえる真柴。彼は他のメンバーが少女の姿を確認する前に、その遺体を処分した。
「……最後は穏やかな顔だったと言わせてくれ」
 その死に顔については、真柴の言葉を信じるより他ない。


 和田の一撃はこれ以上ないほど確実にファングを捉えていた。隙の生まれた胴にハリケーン並みの衝撃を叩き込まれては、さしもの白銀の獅子といえどもそのダメージは深刻だった。
 大きく跳ね飛ばされ、小鬼の残骸が散乱する滑走路に叩き付けられる。どうにか起きあがり、貨物ターミナルビル入り口前のメンバーに対峙はしたものの、受けた傷の深刻さは隠しようもなかった。裂けた毛皮の奥に、鮮紅色の筋組織までもが垣間見えている。このまま戦い続けても勝機は薄いばかりか、命を落とす可能性の方が高かった。
 ファングは己の毛皮をぬらす血潮を見、さも口惜しげに唸りを上げてから、素晴らしい潔さできびすを返し、風のように走り去っていった。

 脅威は去った。
 午後11時32分。新東京国際空港での戦闘は終結した。


「やれやれ。無事に終わったようですね」
 指揮車の中で、モニターをのぞき込んだ神山がのんきな声を上げた。宮小路は半眼で、
「結局神山さんは、そこでそうして座ってるだけでしたね。
 第一、まだ終わったものとは限りませんよ。ヘリでの空輸も残っています」
「これだけ一方的な敗北を喫したんですから、もう地上では襲って来ませんよ」
「……だといいですが」
 あくまでものほほんとした神山の言葉に、いっそ深刻になっているこっちが滑稽に見えると、宮小路は苦笑いでうなずいた。
「さて。信管解除作業の進み具合はいかがです?」
「順調ではあるようですね。予定通り、翌朝4時には終わるでしょう」
 答えながら、宮小路はいすの上で軽くのびをした。まだ先は長い。再度の襲撃がある可能性は低いにせよ、監視を司っている宮小路はこの先も気を抜くわけにはいかなかった。
 彼はパイプいすに腰掛けたきりの神山へ顔を向け、告げた。
「神山さん。余裕があるなら、前衛のメンバーの様子を見てきて下さい。怪我や疲労がないかどうか。
 ヘリが来るまでは、油断はできません」


 翌朝、午前3時30分。航空自衛隊木更津基地から、双発大型ヘリCH-47が成田に到着。
 同日午前4時00分。気化爆弾の信管解除作業終了。
 午前4時05分。CH−47への積み込み完了。
 午前4時10分。ヘリのターボプロップエンジンが始動し、機は爆弾を積んで成田から朝霞へフライトする準備が整った。
 同日同時。新東京国際空港での気化爆弾防衛任務は終了した。


                        ――――ゲヘナの器・下 へ続く


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  ■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

0461/宮小路・皇騎(みやこうじ・こうき)/男/20/大学生(財閥御曹司・陰陽師)
2355/D・ギルバ (でぃー・ぎるば)/男/4/墓場をうろつくモノ・破壊神の模造人形
2319/F・カイス (えふ・かいす)/男/4/墓場をうろつくモノ・機械人形
1837/和田・京太郎 (わだ・きょうたろう)/15/高校生
1593/榊船・亜真知 (さかきぶね・あまち)/女/999/超高位次元知的生命体・・・神さま!?
2263/神山・隼人 (かみやま・はやと)/男/999/便利屋
2158/真柴・尚道 (ましば・なおみち)/男/21/フリーター(壊し屋…もとい…元破壊神)
1308/六巻・雪 (ろくまき・ゆき)/男/16/高校生
2124/緋磨・翔 (ひば・しょう)/女/24/偵所所長
2457/W・1105 (だぶりゅー・いちいちぜろご)/男/446/戦闘用ゴーレム

 ※受注順に並んでいます。

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    ■         ライター通信          ■
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 初めましての方、初めまして。
 お久しぶりですの方、お久しぶりです。草村悠太です。m(_ _)m

 お待たせいたしました。『ゲヘナの器』(上)をお届けいたします。
 何だかもう、自分でもツッコむ気にさえなりませんが、今回もまた長いです……(^^;
 『ゲヘナの器』ではいままでとはちょっと作風を変えて、ドライに事実だけを述べていくドキュメンタリー風を目指したのですが、それでも個人的未踏の10人+NPC1人という大人数でこれほどの分量になってしまいました。
 作風を変えてみたのが奏効しているのかいないのか本人としてはなんとも言えませんので、感想などいただけましたら幸いです。お叱りのお言葉もお待ちしております。

 それでは、各PC様についてコメント(主に言い訳)を付させていただきたいと思います。

■宮小路・皇騎 さま
 お久しぶりです。いつもありがとうございます。
 皇騎さんには今回、防衛陣の最後衛で情報処理に当たる、という役割を負っていただきました。プレイングで直接戦闘についても触れられていたのですが、前衛がたくさんいらっしゃったので、このようなかたちに……ご了承いただければと思います。

■D・ギルバ さま
 初めまして。オリジナリティあふれるキャラクターで、どう動かしていいものかかなり迷いました…(^^;
 しかし、今回のようにある程度の隠密性が求められる依頼で草間探偵がこれほど目立つPCに声を掛けるとはちょっと思えないので、作中ではあのような形にさせていただきました。

■F・カイス さま
 初めまして。ご参加ありがとうございました。D・ギルバさんと同じく際だったキャラクターで、使いどころは難しかったです。
 人称が「俺」「おまえ」で口調が「礼儀正しい」という設定もなかなか面白かったのでぜひしゃべっていただきたかったんですが、作品の視点上、会話を拾うことができませんでした……残念です。

■和田・京太郎 さま
 初めまして。ご参加ありがとうございます。「乱文で失礼だったかと」と仰っていましたが、全然そんなことはありませんでした。(^^
 参加PCで同じく高校生がいたので、対比のためにちょっと不良っぽさを増してみたのですが……とんがりすぎたかなと、やや気になっております。
 お気に召していただけるとよいのですが……(・_・;

■榊船・亜真知 さま
 ご参加ありがとうございました。皇騎さんと同様、亜真知さんも今回はいぶし銀な後方支援でのご活躍となりました。空港内の混乱を回避するためにあらかじめ手を打つなどのプレイングは技ありだと思います。
 レナーテと一緒に行動とのことで、戦闘ではあまり目立った活躍が描けなかったのですが、シールドはレナーテの命を救いました。

■神山・隼人 さま
 初めまして。ご参加ありがとうございました。お楽しみいただけましたでしょうか。
 人当たりがよくて優しげというより、後半ではつかみ所のない不思議な青年になってしまっていますが、書いていて非常に楽しいキャラクターでした。
 いつでも余力のある悠然としたPCとして描いたつもりですが、気に入っていただければ幸いです。(^^;

■真柴・尚道 さま
 真柴さんも初めまして。参戦ありがとうございました。
 真柴さんはプレイングにないことをけっこうやっていただいてしまいました。微妙に貧乏くじを引かせてばかりでしたが、神山さんと同じく書いていてとても親近感のわく素敵なPCだと思いました。

■六巻・雪 さま
 お久しぶりです。毎度ありがとうございます。
 何だかジミーな描写になってしまいましたが、倒した相手の数なら群を抜いています(笑)。今回は高校生コンビということで和田さんと徹底的に絡んでいただきました。そのわりに描写が少ないですが……(^^;
 きっと大竹の報告書からは、高校生二人の会話はかなり削られているのでしょう。(どういう言い訳の仕方だ)

■緋磨・翔 さま
 初めまして。ご参加ありがとうございました。
 緋磨さんは描くほどに味の出てくるキャラクターで、最終的にはかなりゾッコンになってしまいました(笑)。いえ、ライターとしては公平に取り扱わせていただきましたが。(あたりまえ)
 プレイングで直接攻撃についても言及されていたのですが、人数的なものもあり組み合わせの問題もありということで、今回は補佐一辺倒で行かせていただきました。

■W・1105 さま
 初めまして。参戦いただきましてありがとうございました。
 F・カイスさんたちと同様、「どう使おう」とかなり頭を悩ませました。K−1に機関銃を持った兵士が参戦してくるようなものでしたので……(^^;
 プレイングもあのようでしたので、作中ではこのようになりました。(なんなんだ)
 戦闘シーン自体は書いていて楽しかったです。W・1105さんにも楽しんでいただけることを祈りたいと思います。


 以上です。
 参加いただきましたPCの皆様、本当にありがとうございました。
 『ゲヘナの器』は下に続きます。今度は空中戦です。(たぶん)

 『ゲヘナの器・下』のオープニングは、1月中旬の公開を予定しております。
 ご興味をお持ちいただけましたら、チェックして下されば光栄です。

 それでは、また。
  m(_ _)m


   草村 悠太