コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<PCシナリオノベル(シングル)>


罪が支払う報酬

 ふ、と蝋燭の灯が消えた。
 社殿に唯一の火の気…最も、暖を求める物ではなく灯りとするにも弱い。
 目を閉じて端座する、氷川笑也にとって失われたとしても察する必要すらない些細な変化だが、彼は閉じていた瞼を静かに開いた。
 単衣に浅葱の袴姿は夜目に白く、板張りの社殿に低く籠もる冷気に清と背を張る姿を際立たせる。
 笑也は眉を顰めた。
 それこそが炎のような色の瞳は、闇の先を透かすような確かな眼差しを中空に向ける。
 笑也は視界としてではなく、退魔師として精錬された感覚の懸るそれを掴む為の集中を闇に…場に満ちる空気に求めただけに過ぎない。
 斎域としての浄さを水に喩えれば、其処に墨汁の一滴を落としたように、変化は確と笑也に警戒を促した。
 感じる妖気、と称してようかは解らないが、間違いなく浄化の反対にある気配は内側、最も懸念される、魑魅魍魎の湧き出でる魔穴が開いたそれとは位置からして違い、僅か安堵する。
 が、魔魅の類が神域を侵した事実は動かず、笑也は表情を動かさぬまま立ち上がった。
 気配の移動は速い。
 退魔の舞は相手に対する見極めも要する…そして、発動までにかかる時間も。それに対するには不利だが、退くという選択肢は笑也にはなかった。
 魔とは忌むべきもの。人の世界に在ってはならない存在。故に滅する、それだけだ。
 笑也は社殿を出、空気の流れに肌を刺すような冷気に身を晒した。
 退魔の舞は術が発動するまでに時間を要する。
 そして相対するものを見極めなければならず、笑也は正面、高台に位置する社殿への石段をまさしく飛ぶような速度で近付いてくるそれの気配を逃すまいと集中した。
 夜とはいえ鳥居の向こうは街の明りに仄かに光を帯び、また冬の冴えた星の光に屋内ほど闇は濃くない。
 それを背景に聳える朱の鳥居が縁取る空間の下側から、一塊の影が飛び出した。
「……アレ?」
その影が、妙に明瞭に人の言葉を発するのに、笑也は目を見張った。
 姿は既に笑也の上方…鳥居の上、まさしく止まり木の如くに人の形で頂点に立つ。
 闇にすら溶けぬ、黒い姿。
「笑也じゃん。今幸せ?」
黒革のコートに、夜だというのに円いサングラスをきっちりと顔の上に乗せ。
 背に一対、蝙蝠のそれによく似た皮翼を広げて異形の姿を晒し、ピュン・フーという名で知る青年は笑也に向ってそう陽気に笑いかけた。


 先に見えたのはただの一度、街の中で見掛けた折の異質さは確かだったが、ここまで如実ではなかった。
「あ、何かいーな、それ♪ 神主さんみてぇで」
けれど楽しげな雰囲気は変わらず、鳥居の上にひょいと器用にしゃがみ込んで、笑也の装束に対してそんな呑気な感想を述べている。
「こんな時間にこんなトコで何して……罰ゲームかなんか?」
丑の刻にはまだ早い…が、深夜の神社に袴姿で居るのを彼なりに理由付けたらしいが、見当違いもいい所で、笑也は妙にげんなりとして否定に首を横に振った。
「あ、もしかして丑の刻参りとか? 見たらマズかった?」
どっと疲労が押し寄せ、その場に膝をつかなかったのがいっそ不思議だった。
 俯いてしまった笑也に、ピュン・フーはふわりと…その皮翼が飾りでない事を示して皮膜に空気を孕み、落下を減速させて地に降り立つ。
「だいじょーぶだって、またホラ仕切直せば」
勘違いをそのまま、元気づけられても。
 馬鹿馬鹿しさのあまり、なけなしの説明する気力も失せて笑也は堪えきれずに溜息を吐き出した。
 落とした視線に、ふと近づいてきたピュン・フーが後ろ手に持つ…銀色のアタッシュケースに気付く。
「あ、コレ?」
どうしてそんな所ばかりに聡いのか…ピュン・フーは笑也の目線の移動に気付くと、胸の前に持ち直し、指の背で軽く叩けば、中指、真紅のルビーを眼窩にはめ込んだ髑髏に当たってコンと音を立てた。
「俺の生活必需品♪ 今貰ってきたばっかでまっさら……」
陽気な口調は更に台詞が続く筈だったのだろうが、それは被さる銃声に遮られた。
「其処を、動く、な……ッ!」
高圧的なそれが切れ切れなのは、声を発した者が激しく息切れを起こしている為である。
 境内に入るまでの石段の傾斜は、少し均衡を崩せば足を使わず麓まで下りられる急な仕様になっている…ただ歩いて上るだけでも息が切れる其処を駆け上がってくれば息も上がる。
「あの階段走って来たのか? パワフルー♪」
因みに皮翼で以て飛び上がって来たピュン・フーは、短い口笛でその労苦への感心を示したが、相手は銃口に収束された敵意を返した。
「黙れ、裏切り者」
言葉と共に叩き付けられた、それを軽く肩を竦める動作で受け流すピュン・フーに、済し崩しに場を同じくする笑也は交互に銃を手にした男とを見遣る。
 それに気付いてか、目線だけでちらりと笑也の姿を認め、質は違えどまるで揃えたかのような黒服の男は言う。
「お前はここの者か? この場はなかった事にして早く行け」
こちらは正しい認識に、ピュン・フーがポンと手を打つ。
「あー、そうか! ここの子だってェ選択肢は盲点だったな!」
先ずそれが第一の可能性に挙がらないあたりに、彼の特異な思考形態を垣間見る。
「そうかそうか神社の子か」
うんうんと一人、しつこいまでに納得しているピュン・フー。
「黙れ」
それに再度の警告が為され、銃声と共に、ピュン・フーの足下の土を弾が穿った。
「大人しく投降するなら検体として連れ帰ってやる。さもなければ……」
「殺す?」
黒服の台詞を奪ったピュン・フーが…笑みを零したのが、気配で知れた。
 笑也に背を向ける形に皮翼が大きく視界を遮り、半ば鳥居に身を隠す黒服が緊張を増す。
「俺を知らないのか? それともよっぽど自信があんのか? ……でもなぁ」
楽しげに笑みを含んだ口調は変わらない。
「お前にゃ、無理」
ピュン・フーの手から落下したアタッシュケースが、ガッと角を当てて地面に転がる。
 取り落としたのではなく、ピュン・フーが自分の眼前にすいと片手を翳す流れに手を離した無造作な動作。
 無形の何かを握る形に五指の関節を折り曲げた爪が、不意に伸びた。
 厚みを増して、白みに金属質の光を帯びた鉱質の感触は十分な殺傷力を感じさせる。
「じゃぁな」
その短い一言に、戦端を開いた。
 黒服は、先ずはピュン・フーの動きを計ろうとしてか、油断なく銃口を向けたままでその場を動かない。
 鋭利な武器と化した爪先を揃えてく、と手首が動く。
 力を溜めて撓めるように膝を沈める、ピュン・フーに笑也は咄嗟…その地を擦ったコートの端を踏み付けた。
 結果は推して知るべし。
 べしゃりと間抜けた音を立てて、顔から地面に突っ込んだピュン・フーが予想の範囲外だった為か、黒服は反射的にトリガーにかけたまの指を引いた。
 発された銃弾は、ピュン・フーの立ち位置に心臓の位置、だが、標的が其処から失した今、その後ろの位置に立った…笑也の肩を抉った。
 白い麻の生地を瞬時に染めた赤に、笑也は顔を顰めはしたが、痛みの声ひとつ洩らさず、ピュン・フーのコートに踏み込んだ右足にそのまま左足を添え、タン、と。
 打ち鳴らすのは、舞初め。
 衣装は元より、面もない。
 だが、空を滑る手の動き、体重の動きを感じさせない足の運びは、たおやかな中に力を秘めた女神の舞だ。
 誤射したそれもあってだろうが、黒服が笑也の行動を諫めぬ間に、彼は術の支配に置かれた。
 パタ、と男のそれである笑也の手が繊手の如く翻り、パタ、と指先から滴った赤は血でなく、ひらと舞う紅の一葉。
 それを知覚した途端に、視界は舞い散る無数の紅葉に包まれる。
 幻惑、と判じる思考は赤い風景に覆い隠され、逃れる術の模索も叶わぬ間に黒服の意識は紅葉の群れの向こう、押し寄せる清流の流れに共に呑み込まれた。


「痛てて……」
ピュン・フーが強打した鼻を押さえて身体を起こした。
 あるまじき流血は免れ得たのかが気になるのか、鼻の下を押さえて鼻を鳴らし「あ、ラッキー、ダイジョブダイジョブ」などと呟いて漸く、鳥居の下に昏倒する黒服の姿を認める。
「アレ?」
それにあっけらかんとした調子でそう呟き、ピュン・フーはくんと首を後ろに傾けた。
「笑也がやったのか?」
立つ笑也を見上げる、不吉な赤い月の瞳が笑って礼の言葉を続けた。
「サンキュ」
そのあまりの他意の無さに、笑也は目を瞬かせて視線を落とした。
 同色、とはいえ、質の違う赤の視線が混じり合う…見下ろす困惑を見上げる愉楽で受け止める。
 どんなに人に見えようとも、魔は魔だ。
 退魔師でありながら、という外聞的な感よりも先、それまで抱いてきた憎しみを忘れた自分こそが困惑の原因だった。
 憎しみを叩き付けて然るべき、狩り出し、滅する為だけのそれを……守る、などとは。
 ピュン・フーを止める意味でも黒服に幻術を施したのだが、何故か彼が人を殺す様を見たくはなかった自分にも愕然とする。
 この、男は常に相対するそれ等と違うと思いたいのか。
 笑也の心中の煩悶にもたらされる重い沈黙に、ピュン・フーは軽く笑うと、傍らに転がるアタッシュケースに手を伸ばして引き寄せた。
 片手でパチパチと留め金を外し、蓋を開く…緩衝剤の中に並ぶ小さな筒状の注射器は、赤く透明な薬剤の色に紅玉を並べたようだ。
 当然の如く、硝子の材質であるそれをあれだけ手荒に扱っていたのかと、笑也が呆れるより先、ピュン・フーは何を思ってか、取り上げた一本をぐ、と掌の内に握り込んだ。
 バキリ、と注射器は容易に砕け、中から溢れる薬剤と深く肉に食い込むガラス片とに赤い滴りが生まれた。
 何を、と問うより先に無事な方の手を取って引かれる強さにその場に膝を付く。
「笑也、傷!」
端的な言葉が要求する所を察し、慌てて袖を捲り上げれば、今更ながら銃弾に抉られた組織が痛みを発して、笑也は顔を顰めた。
「銃の傷は痕が残るからな……ちっと辛抱しとけよ」
握り込んだ拳から滴らせた赤を、ピュン・フーは笑也の傷に垂らした。
 その意が察せず、咄嗟身を引こうとした笑也を止め、ピュン・フーは軽く肩を竦めた。
「そんな心配すんなって、感染りゃしねーよ。ちょっぴり血は使っちまうかもだけど、傷塞ぐ位だからたいした事ねーって」
どうやら手当のつもりらしい、がどう考えてもおかしい治療に身を引こうとする笑也に、ピュン・フーは更に詳しい説明を付加する。
「俺、『ジーン・キャリア』っつって、バケモンの遺伝子を後天的に組み込んで爪生えたり皮翼生えたりすんだけど、定期的にこの薬がねーと吸血鬼遺伝子が身体ん中でおいたを始めるんで命がヤバいワケ……んでもって外傷みたくに単純な代物なら、俺の血をこの薬で相殺して治せ……た事もあった。二度ほど」
そんなあやふやな治療があったものかと青ざめる笑也。
 痛みがチリと焼くような感覚に覆われるのに、今度は渾身の力で以て逃れようとした笑也に、ピュン・フーは傷つき溢れた血と、箇所をぐいと拭った。
「お♪ 成功、成功」
流れた血の色に染まった肌はそのままだが、拭い取られたその箇所…肉を抉っていた傷口には皮膚が張り、その所在を消し去っている。
 …失敗していたらどうなっていたのか、言及したいようなしたくないような。
「珠のお肌にこれ以上傷残すワケにもいかねーもんな。心配してくれっ人もいんのに」
そう、笑也の頬に一条走る傷痕を指でなぞり、その反対側、一房の髪の束をちょいと弾いて笑うピュン・フーを笑也はまじまじと見た。
 自分のペースにこちらを巻き込むのは相変わらず、くだらない勘違いも多いくせ、こちらが何も、言わない事を看破して見せる…笑也の真実とする場所と違う個人の価値観に則した判断に一々の説明を要するのは億劫、主張するのも難ならば好き勝手に言わせておこう、という無口無表情も筋金入りな笑也に、その確信だけを得てこちらに求めのない人間-ではないが-は初めてで、内側深くにあまりに自然に入り込んで来た者は、ここ数年居ない事に気付く。
 概して、喋らない自分に其処までの親しさを見せた者はない…そして、自分に興味を抱かせる者も。
 注視する視線をそのまま受け止めてピュン・フーは微笑い、立ち上がるとパタパタと形ばかりにコートを裾を払う…舞っている間にか、その爪と皮翼は姿を消し、大きく破れたコートの背を別とすれば、初めて会った時のその姿のままで。
「まぁおかげさんで、神社で殺生せずに済んだ……寿命が三年縮むんだっけ?」
それは墓場で転けた時…と、妙な迷信深さを覗かせたピュン・フーに、笑也は少し笑い、違う首を振って否定してやった。