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<東京怪談ノベル(シングル)>


奇妙な羊

 夜であった。万物の寝静まる満月の晩、部屋は不気味な静寂に包まれていた。
 部屋は、四角かった。
 四方を壁に囲まれた、簡素なものだった。
 壁は、白と黒の市松模様で彩られていた。
 床も、同じタイルが一面に敷き詰められている。
 市松模様の部屋。
 そこに、少女が寝ていた。
 白を基調にしたシーツとふとん、そして枕。
 金属のベッドの上に、静かに横たわっていた。
 くうくうと、安らかな寝息を立てて眠っていた。
 入り口は、ない。
 窓も、ない。
 どこであるかもわからない。
 だが、少女はそこにいた。
 海原・みなも。
 それが、少女の名前だった。
 みなもは、ふと目覚めた。突然、何かの気配を感じたのだった。
 それが、何であるのかはわからない。
 だが、しいて言うならば――眼に見えぬ、妖気。
 みなもは本能的に、それをとらえたのだった。
 みなもは、とっさに動こうとした。
 だが。
 動かない。
 何度やっても。
 動かない。
 いや。
 動く。
 正確には、首だけが。
 そして、首から下は、動かない。
 かち、かち、かち、かち。
 どこからか、時を刻む音が聞こえる。
 それは、大きく。
 時には、小さく。
 上から。
 下から。
 右から。
 左から。
 かち、かち、かち、かち。
 7時です。
 12時です。
 5時です。
 9時です。
 わからない。
 すべての時は、狂っている。
 かち、かち、かち、かち。
 すると、今度は、ぽこりという音が聞こえた。
 かち、かち、かち、かち。
 もうひとつ。今度は、大きく。
 ぽこり。
 かち、かち、かち、かち。
 みなもは、感じた。
 ――あたしの脚が、抜けました。
 かち、かち、かち、かち。
 ――けれど、痛くありません。
 かち、かち、かち、かち。
 ぽこり。
 ――今度は、手が、抜けました。
 かち、かち、かち、かち。
 時は、正確に時を刻む。
 みなもは、自分の抜け落ちた手足を見ていた。
 それは、マネキンのもののように、奇妙に現実感がなかった。
 しかし、断面ははっきりと見えていた。
 薄桃色の肉、複雑に絡まった神経、脈打つ血管、そして、真ん中に見える、白い骨。
 それらが、ぴくん、ぴくん、と脈打っていた。
 それは、生きていた。
 それぞれが別の存在であるかのように、這いずり回っていた。
 かち、かち、かち、かち。
 ぴくん、ぴくん、ぴくん、ぴくん。
 気づくと、鼻も、口も、すべてが、床におちていた。
 ぴくん、ぴくん、ぴくん、ぴくん。
 ――今は、目しかありません。
 ベッドには、ふたつの小さな眼球が、無造作に転がっていた。
 ――でも、なんだか気持ちがいい……。
 ぴくん、ぴくん、ぴくん、ぴくん。
 かち、かち、かち、かち。
 手は、手として。脚は、脚として。口は、口として。鼻は、鼻として。胴体は、胴体として。
内臓は、内臓として。胃は、胃として。腸は、腸として。骨は、骨として。神経は、神経として。
血は、血として。細胞は、細胞として。
 あれは、あたし。
 あたしは、あれ。
 あれが組み立てられると、あたしはあたしになる?
 かち、かち、かち、かち。
 ぴくん、ぴくん、ぴくん、ぴくん。
 と。
 かさり。かさり。かさ、かさ、かさ。
 ――あたしの一部が、なにかになる。
 手は、ベッドの下にもぐりこんだ。
 がちゃがちゃがちゃ。
 何かが、くっつくような、音。
 すると、手がにゅうと伸び、足を掴んだ。
 足は、じたばたともがきながら、ベットの下に消えていった。
 がちゃがちゃがちゃがちゃ。
 しばらくすると、おとなしくなった。
 また、手がにゅうと伸びた。
 今度は、口だった。
 鼻だった。
 内臓だった。だった。だった。だった。だった。
 そして、みなもの目が掴まれた。
 ――あたしは、あたし?
 がちゃがちゃがちゃがちゃ。
 奇妙に暗い闇の中。しかし、月明かりは感じられる。
 かち、かち、かち、かち。
 かちゃり。
 すべてが、組み立てられた。
 ――あたしは、あたしになった。
 けれど。
 ――立てない。
 なぜか、立てない。
 いや、立てる。
 四足で。
 獣のように。
 這いずり回る。
 四足で。
 ケモノ?
 ――ああ、獣だ。
 それは。
 ――羊。
 やわらかい羊毛に覆われた、羊。
 頭には、くるりと巻いた雄雄しい角。
 ――ヒツジ?
 ぼーん、ぼーん、ぼーん、ぼーん。
 めぇぇ。
 13時の鐘の音。
 ぼーん、ぼーん、ぼーん、ぼーん。
 めぇぇ。
 ぼーん、ぼーん、ぼーん、ぼーん。
 めぇぇ。
 ――あたしは、歩く。この狭い部屋を。
 そこは、いつのまにか市松模様の部屋ではなかった。
 草が生い茂り、風が吹き渡る、草原。
 遥か向こうには、仲間達がゆったりと草を食んでいる。
 ――おいでよ。おいでよ。
 ――青い羊さん、おいでよ。
 ――可愛い羊さん、おいでよ。
 ――草は美味しいよ。
 ――ねえ、おいでよ。
 ――青い、羊さん。
 めぇぇ。めぇぇ。めぇぇ。めぇぇ。
 行かなきゃ。行かなきゃ。
 ――あたしも行かなきゃ。
 けれど。
 進まない。進めない。
 足が、動かない。
 かち、かち、かち、かち。
 頭の中で響くのは。
 ――13時の、鐘の音。
 13時13時13時13時13時13時13時13時1111111333333……。
 ぼーん。
 その時、すべてが光に包まれた。


 みなもは、目醒めた。そこは、いつもの自分の部屋だった。窓から白い光が差し込み、晴天を示している。
 みなもはいつもの格好で、ベッドに横たわっていた。
 何も、変わらない。
 ――あれは、夢?
 みなもは、髪をかきあげた。
 しかし、ふと横を見ると、一枚の写真が目に留まった。
 それは。
 ――ヒツジ。
 それも普通の羊ではなかった。
 輝くばかりの青い毛並み。
 青の羊だった。
 ――あたしは、アタシ?
 時は、静かに時を刻み続ける。
 かち、かち、かち、かち。 

                                       了