コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<PCシナリオノベル(シングル)>


味方していない者は敵対している

「と、いう事で……おじさん達は、是非協力を求めたくってね」
ひっそりとした口調は対話する人間の耳にのみ届く音量で、果たしてそれが喫茶店という不特定多数の他人と空間を同じくする場で、会話の内容が他者の耳に入っては拙い為の配慮からか、元よりの癖なのかは判じ難い。
 整えられてるとは言い難い髭、眠そうな半眼に緊張感を欠く、飄然とした印象の強い…西尾蔵人、と名乗った男性の申し出はかなりの危険を伴うものだった。
 willies症候群がなりを潜めたかと思えば、今度は連続殺人事件が世間の関心事である。
 20代前後の若い世代、大なり小なりの記録を残したスポーツ選手が被害者である話題性、その身体の一部を持ち去られる猟奇性とに、怨恨か復讐か逆恨みかとマスコミがこぞって取り上げるのに警察もようやく重い腰を上げ、該当すると思しき者に警備が配される事となり…その水面下でどのような手が配されたかは常人に知る由も知る必要もないが、実際の警護にあたるは通称『IO2』、常識的に考えられない、有り得ないとされる超常現象を、一般人にとって有り得ないものとする為の超国家的組織だ。
 一連の事件に心霊テロ組織『虚無の境界』が絡むと践んだ『IO2』は、犯人の捕縛に乗り出すに、骨格から身長、体格が類似し、且つ超常の力に対して護身の可能な人材を囮とする為、蔵人は湖影梦月に助力を乞うてきたのである。
 要求の述べられる間、きちんと膝の上で揃えていた手で、梦月は室温に汗をかき始めたグラスを手に取った。
 銜えたストローに色を鈍らせて乳白色がかった紅茶が、つ、と引き結んだ唇に吸い込まれる間、蔵人は沈黙を守る。
「はぁ……」
息継ぎとも、嘆息とも取れる息を吐き出し、梦月は居住まいを正した。
「……それってピュン・フー様と敵になってしまいますわよね〜?」
「そうなるね」
梦月の一途な眼差しに、蔵人が率直に返答する。
「まぁ上手く彼が出てくる可能性も低いんだけどね……ホラ、あちらさんもそれなりに人多いし」
『IO2』に反したという、青年の名が出ても却って心得た様子で動じない…元より承知、の意味とも取れる言動で、蔵人はやんわりと可能性を否定する。
 その戸惑いからか、警戒からか。
 俯いてしまった少女の決を待ち、蔵人は冷めかけた珈琲を口に運びかけた。
「あ」
小さな声にパチンと手を打ち合わせ、梦月はすっくとその場に立ち上がった。
「でも悪い事を事前に止めて差し上げるのも近しい者の努めですわね…!」
胸中にどのような思考の変遷があったかは、余人に量る事は適わぬけれど、それなりに正統な理由を見出せたのか、梦月は胸の前に握る拳も凛々しく、情熱で持って蔵人に訴えかけた。
「委細、承知致しましたわ〜。微力ながらもお役に立てるのですもの〜、誠心誠意、努めさせて頂きますわ〜」
囮として我が身を犠牲にせんとする意欲は買う。が、如何せん、間延びしておっとりとした口調になんとはなしに緊張感を欠く。
 最も、そのせいだけではないだろうが、蔵人はどこかのんびりとした空気で梦月のやる気を受け流した。
「あ、違う違う」
顔の横でひらひらと手を振り、彼は節ばった指を梦月の隣に向けた。
「借りたいのは彼の方」
「……あら?」
空回り気味の情熱が、梦月の隣……その迫力は威嚇か威圧か、組んだ腕と足に睥睨と称していい眼力の強さで無駄に存在感を強めて座る青年…その実態は梦月の守護を務める鬼であり名を蘇芳という。
「ふ……」
巫山戯るな、と続けかけた言葉は、梦月によって遮られた。
「蘇芳〜、頑張って下さいませね〜?」
しかも、暖かな両手で手を包まれた上に笑顔に、断る可能性など微塵も考えない信頼しきった眼差しのダメ押し付きで。
 蘇芳にしてみれば、もう二度とあの危険人物を梦月に近寄らせまいと、誓った直後に提示されたこんな申し出を受けるつもりは毛頭無…かったにも関わらず、梦月はこうと決めた時に揺るがない芯の強さを強引さに変え、蘇芳に反論に暇を与えない。
「私も精一杯、お手伝いしますわ〜」
ふわりとそれこそが花のような、極上の微笑みを向けられて蘇芳が二の句が継げない間に、梦月はくるりと蔵人に向き直る。
「よろしくお願い致しますわね、西尾様〜♪」
そのままぺこりと頭を下げた主に、蘇芳は従うより他の選択肢は与えられなかった。


 まぁ、考え方を変えれば。
「ヤツと決着が付けられるとでも思えばいい」
パン、と音高く片掌に拳を打ち付け、蘇芳は周囲に胡乱な眼差しを向けた。
 所は市営の体育館、警護の対象は将来を嘱望された合気道の選手である…対象の師範が週に二度開く公共の教室を手伝って稽古をつけている、更衣場で成り代わって以降、蘇芳はその生活を踏襲する手筈になっている。
「蘇芳、頑張って下さいませね〜♪」
ぶんぶんと、体育館の端で手を振るのは俄マネージャーと化した梦月である…『IO2』は、囮の役に相応の報酬に、その間の梦月の警護も併せて条件として提示したのだが、当の梦月が、「蘇芳と一緒でなければ、絶対にイヤです〜」と嬉し…基、困った我が侭を通した為、より厳重な警護を条件に付加して同行する事と相成った。
 一応、二人で1セットの勘定とはいえ、対象の囮である蘇芳だけならまだしも、警備の対象が二分されるに『IO2』もご苦労な事である。
 梦月の両脇は、万一に備えて警察官に扮した構成員が固めてはいるが、やはり傍らに居ないと落ち着かないのか、無駄に苛立った動きの蘇芳を、梦月の右に立った一人…蔵人が相変わらずのんびりとした口調で評した。
「アレだね……動物園の檻に入った熊、とかを見てる気がするね」
「西尾様は熊さんがお好きなんですの〜? 私は、キリンさんが大きくて可愛くて好きですぅ〜♪」
この事態に全く以て、緊張の欠片もない会話である。
「そうだねぇ、おじさんも動物園は好きだねぇ……湖影クンは他にどんな所に遊びに行くのかな?」
「えーと、え〜と……色々な所に参りますわ〜。兄様達や、姉様が連れて行って下さるんですの〜♪ 蘇芳もいつも一緒に参りますのよ?」
楽しげに話す梦月が微笑ましく、教室に通う生徒に紛れた構成員も、どこかほのぼのとした空気に失笑を禁じ得ない。
「彼とは、随分と仲良しなんだねぇ」
だが、蔵人は梦月との会話を至極真面目な表情で続けている。
「はい♪ 子供の頃からずーっと、ずーっと一緒に居ますの。あ、でも……」
両の掌を胸の前で合わせて、梦月はふふ、と小さく笑う。
「この間、初めて蘇芳と別に水族館へ参りましたの〜。蘇芳が側に居ないのが少しおかしな感じでしたけれど、とっても楽しかったですわ〜♪」
蘇芳が聞いたら泣きそうだ。
 蔵人は、「それは良かった」と頷くと、首の筋を伸ばすように頭を傾けた。
「でもね、おじさんはもう、あの子とは遊ばない方がいいと思うな」
水を差して悪いんだけどね、と大きな目を拡げて見上げる梦月に蔵人は困ったように「んー」と唸りつつ、反対側に首を傾ける。
「ピュン・フー様は、良い方ですのよ?」
蔵人の差して言うあの子、の意味を正確に酌み取り、梦月はこの男性にピュン・フーの良さを伝えようと躍起になる。
「いつも、とても優しいですわ〜、悪い方ではありませんの〜、本当に、私に良くして下さって……」
一生懸命なあまり、言い募るだけ言葉が出てこずに焦る梦月に、蔵人はその場にシャガミこんで梦月と視線の位置を合わせると、その黒髪をぽんぽんと軽く手を置いた。
「うん、ゴメンね。湖影クンの言いたい事は、おじさんすごくよく解るんだけどね……」
おじさん、大人だから、と少し笑って蔵人は続ける。
「ピュン・フーはねぇ……人の間に入るのが上手だし、わりと我が侭なトコロも多いけど、それが憎めない魅力みたいなモノがあると思うよ。そんな彼を友人と思ってるヒトも多かったと、思うんだけどね」
でも、と少し言葉を切る。
「沢山、殺してる。知ってるヒトも、知らないヒトも彼は殺せるんだよ……多分、君もね」
だから。
「関わらない方がいいと、おじさんは思うな」
蔵人はゴメンねと小さく呟いて、梦月の髪を撫でる。
「でも……」
悄然と肩を落とした梦月は、感情を上手く言い表せないもどかしさに言葉が継げない。
「でも……」
俯く梦月の異変に気付き、蘇芳が組み手の相手を放り投げて駆け戻ってくる。
「貴様、梦月に何を……ッ」
二人の間に割り込む形で、背に梦月を庇って咎める蘇芳、うっかりと守護鬼の地雷を踏んでしまった蔵人がその勢いに弁明しようとした瞬間。
 空間は、静寂に満たされた。
「ありゃ、失敗」
呑気な口調の、その声の方向に視線を向ければ。
「あんた、今幸せ?」
と、挨拶代りの問い掛けにといつもの楽しげな笑みを浮かべた、黒衣の青年が其処に立っていた。


 先までの体育館と場所は変わらない…が、足下をたゆたう霧に、確かにあった他者の気配は姿形と共に消え去り、この場は梦月と蘇芳と、相も変わらず黒革のロングコートに身を包んだ、ピュン・フーのみである。
「そんなくっついてるから、女の子まで引き込んじまったじゃん、可哀想に」
あーあ、と続けてピュン・フーは遮光グラスで覆っても隠しきれない表情でにこりと笑む。
「ま、大した手間じゃないし、いっか……って、梦月じゃん、何してんのトコで」
続けた言葉で少なからぬ驚きと共に名を呼ばれた事が嬉しく、梦月はぴょこんと頭を下げた。
「ピュン・フー様、今日和ですぅ〜」
「梦月!」
蘇芳の強い制止に、けれど応じず、梦月は足下にそのままだった鞄をよいせと取り上げた。
「って……アンタもしかして、蘇芳!?」
そしてこちらは間違いのない驚愕に、ピュン・フーは無礼にも梦月を庇う位置を崩さない守護鬼を指差す。
 警護の対象は、将来を嘱望された合気道の選手である……中学生の部で、優勝した。
 その囮であるというのならば、それ相応のサイズである事が求められる。
 それに応じた若さに変じた蘇芳に、ピュン・フーは頬を引きつらせた。
「また……えらく縮んじまって……」
咄嗟、口元を手で押さえるが、「ぶほッ」と吐き出された笑いを覆い隠すまではいかない。
「梦月、見ない方がいい」
堪えきれず、身を折るようにその場にしゃがみ込んで、床がばしばしと叩いて声にすらならない笑いに耐えるピュン・フーを蘇芳は殺る気満々である。
 最も、わざわざ手を汚さなくても、今のピュン・フーならば目の前に箸を転がしただけでも窒息死出来そうだ。
「蘇芳、止めないで下さいましね〜」
持ち上げればカチャ、と何か固い物が合わさる音を立てる鞄を持ち上げ、梦月は庇うと同時に制する蘇芳の腕を潜る。
「梦月! ダメだ!」
強い語調に譲れない意思を込めた守護鬼に、梦月は肩越しに振り返る。
「手を出したら、嫌いになりますわよ〜?」
途端、忠義な鬼は動けなくなる……先日の大ッ嫌い発言が軽いトラウマとなった彼の行動を阻んだ。
「ピュン・フー様〜」
しつこく笑っているピュン・フーの前に膝を揃えて座り込み、梦月はその発作が収まるまで辛抱強く待つ。
「あ〜、笑った……で、なんだったっけ?」
サングラスを外し、目尻に浮いた涙を指で拭いつつ漸く笑いを納めたピュン・フーに梦月は笑みかける。
「私、今日はお渡ししたい物があってお待ちしてましたの〜」
にこりと笑って差し出された鞄、ピュン・フーが何気なく支えて受け取った片手を、梦月はぎゅっと両手で握った。
「ピュン・フー様のお薬ですわ〜。これだけあればしばらくは大丈夫でしょう〜?」
『IO2』の協力要請に応じる報酬、として梦月が求めたのは抑制剤…ピュン・フーの命を支えると言うそれである。
「何だ、コレの為にそっち側についたのか。またてっきり俺に殺……」
されたいのかと、と続けかけたピュン・フーの言はそれだけで射殺せそうな蘇芳の眼差しに阻まれ、最後まで言い終えずに肩を竦めるだけに止める。
 そのピュン・フーの、不吉に染まった赤い月と同色の瞳を、梦月は星を湛えた夜空の如き漆黒の瞳で真っ直ぐに見つめ、握る手に力を込めた。
「ピュン・フー様、はぐらかさずにお答え下さいませね? あなたの幸せはそこにありますの? 今、幸せですか?」
梦月は必死に問う…『虚無の境界』の神父も、『IO2』の人間も、共にピュン・フーを否定する、それが、彼女には我が事のように悲しく、寂しい。
「何で、そんな事聞くんだ?」
ピュン・フーは困ったように、空いた片手を梦月の頬に添えた。
 梦月はふるふると頭を振る…何故かは解らない、けれど自分よりもピュン・フーを知るであろう人達に、気持ちを否定される事が辛くて仕方がない。
「そういう、梦月は? 今幸せ?」
苦笑めいた微笑みに目を細め、ピュン・フーは梦月の頬に手をあてたまま、親指で撫でるように頬の線をなぞる。
 その冷たさが、湧き上がる感情にほてった頬に心地よく、梦月はひとつ、息をつく。
「……ピュン・フー様といると私幸せです」
言葉を探す必要はなく、自然と気持ちは形になった。
「またどこかに連れていって下さいね、約束ですよ」
ピュン・フーの片手を握り締めた両手を解き、鞄の持ち手を支えて曲げられた小指に、同じ自分の指をひっかけた。
「また水族館に行きましょうね。動物園もきっと楽しいですわ……ピュン・フー様も私と一緒にいて幸せだと思って頂けると、凄く、凄く嬉しいですわ」
そう、梦月は極上の微笑みをピュン・フーに向けた。
 ハ、と短く、笑いとも溜息ともつかない息を吐き出し、ピュン・フーは梦月の頬から手を離すと、背けるようにした顔の半面をその手で覆った。
「……流石、普通じゃねぇなぁ、梦月」
「もう、はぐらかさないで下さいませ!」
真剣なだけに、ピュン・フーの応じが気に入らず、梦月は、拳を握って膝を軽く叩いた。
「違うな梦月」
其処で漸く復活したのか、背後に立った蘇芳がふんぞり返った。
「照れてるんだそいつは」
「ば……ッ!」
勝ち誇る蘇芳に声を荒げかけたピュン・フーだが、ここでむきになって否定すれば認めたも同然と気付いてか、軽い咳払いに誤魔化す。
「……思わずクスリも貰っちまったし」
膝に手をついて立ち上がる、動きに揺れた鞄からまたカシャリと硝子の触れ合う音がする。
「なんかこれで終わりってのも物足りねーけど……今日はこん位にして、また遊ぼうな♪」
ピュン・フーは蘇芳を見てにやりと笑うと不意に身を屈め、梦月のこめかみに軽く口付けた。
「ピュン・フー、貴様ッ!!」
怒髪天を突く勢いで、地雷どころか核弾頭の発射ボタンを16連打したような蘇芳の怒りに、ピュン・フーは飛び退くと同時に皮翼を拡げた。
「じゃぁな、梦月、蘇芳」
拡げた片腕に応じるよう、地を滑る霧が立ち上ってその黒い姿を覆い隠し、戸口へ吸い込まれるように消えていく。
 まるで世界を塗り替えるように、霧が去った場所から人間の姿と、消えた自分達を探していたろう騒然とした気配が伝わる。
 怒り収まらぬ蘇芳が、そのままの勢いで戸外へ飛びだしていく後を追って数人が続き、残された梦月の身を案じて幾人もの人間が駆け寄る。
 かけられる言葉に上の空に、梦月はピュン・フーの唇が触れた箇所、まだ感触が残る其処に指で触れ。
「また、遊びましょうね〜、ピュン・フー様〜」
そう、梦月は花が綻び開くような極上の微笑みを浮かべた。