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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


乾いたメモ

------<オープニング>--------------------------------------

「俺の仲間内で、1人連絡が付かないヤツがいるんです。探してもらえませんか」
 そう切り出してきたのは、山田克巳と名乗った青年。大学生くらいだろうか?短く刈り込んだ頭を寒そうに手で撫でつけ、そして草間に縋るように身を乗り出す。
 珍しく、普通の依頼に何とはなしに嬉しそうな草間。が、無理に引き締めてややしかめつらしい顔を作り、
「話は分かったが…条件や期限はあるのかな。捜索となると、時間もお金もかかって来るが?」
 うぅん、とちょっと渋るような声を上げる青年。金か、出してくれるかな、とぶつぶつ呟きながら顔を上げ、
「そうですね…期間は二週間くらいかな。ヤツが住んでたのはこの住所。最近まではここにいたんですけど、急にいなくなってしまって」
 す、と出したべこべこに歪んだメモに書かれてあるのは、女性の名と住所、それに電話番号。
「尾上秋子さん。…女性か。奴、っていうから男かと思った」
「はは、そうだった。さばさばしていい奴だから、ついね」
「いなくなったのはいつ頃?」
 んー、と顎をさする。無精ひげがぽつぽつ目立つが、それもまたこの青年の味を引き立てているのか不潔な感じではない。
「2ヶ月くらい前かな?急に携帯も繋がらなくなったから」
 これ、その番号、とメモの電話に指を置く。
「彼女の実家の住所とかは分からないかな」
「あー…ちょっと待って。確かここに」
 がさごそ、とジャケットの内側からシステム手帳を取り出すと、張り付いている紙を苦労しながら開き、これこれ、と一枚ぺりっと破いて手渡す。ついでに、ともう一枚メモの部分を切って手渡した。こちらには4人の男女の名と携帯番号が書かれている。
「どうしたの、それ」
「水に落ちちゃって、この通り。買ったばかりで勿体無くて」
 みっともなくてスイマセン、と照れくさそうに笑った青年。癖なのか、再び顎を右手で撫で。
「こっちの4人は俺達の友人です。もしかしたら連絡行ってるかもしれないから、一応」
 受け取った3枚の紙は同じシステム手帳から破いたものらしかった。水に濡れたという染みも歪み加減も殆ど同じ。「でも、住所録とか破っちゃっていいのかな。こっちは助かるけど…」
「ああ、いいんですよ。何とかなりますから」
 笑いながら青年が手を振り、立ち上がりかけてああそうだ、と呟く。
「俺、心当たりを探してますので、連絡は携帯にお願いします。俺の番号は…」
 メモしてくれと言わんばかりの言葉に、草間が手に持っていたペンでさらさらと別のメモ用紙に書き付けた。
「っと、もうひとつ忘れてた。そそっかしくてすいませんが、コレ前金です。残りはまた後で」
 そう言いながら、逆の内ポケットから茶封筒を取り出しかけ、ぽろっと一緒に何かを落とす。
「っとっと」
 それは、赤い小さな林檎のようなもの。慌てたようにそれを掴むと内ポケットに捻じ込んで立ち上がる。
「そ、それじゃ宜しくお願いします」
 青年が足早に出て行った後で、茶封筒に手を伸ばし、それから――ん?と眉を顰めた。
 妙に、固い。
 引っ張り出してみると、万札の束。15枚程入っているのだろうか、だがそれは全部ぴたりと張り付いている。…まるで、『一度ふやけて乾いた後』のように。
「…零、これは金庫の中にこのまま入れておいて。使わないようにな」
 零にそう言って茶封筒を手渡すと、何かを考えるようにソファに身を沈めた。

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 ウィン・ルクセンブルクが事務所へやって来たとき、其処には所長である草間武彦と、所員の零の他には1人しか見当たらなかった。
 今回はこの人数だけ?と不思議がるウィンに、他の調査員は既に外へ出て行った事を武彦が告げる。
「で、これがその――残して行ったメモですか」
 弧月がテーブルに並べられた品を見、確認するように武彦へと目を向けた。
「メモの筆跡は同じ人間のもののようだ。正確に鑑定したわけじゃないが…」
 武彦が、2人に向ってメモを指し示しながら説明する。そして、もうひとつの…茶封筒をも見。
「裏があるとまずいかと思ってそのままにしてある。調べる分には構わないから好きにしてくれ」
 仮にも人探しを依頼するような人物がこの塊になった札をそのまま持ってくるのは考えにくい、と続け、
「せっかく普通の依頼かと思ったんだが…ふぅ」
 がっくりと肩を落として溜息を付いた。そして、所長用の乱雑に積みあがったもので壁が出来ている机に就いて壁の向こうからひらひらと手を振り、
「後は――まかせた」
 そう言ったきり黙り込んでしまった。時折そこから立ち昇ってくる紫煙が起きていることを証拠付けているが、完全に逃避の世界へ旅立って行ったらしく。其れを見た2人が同じように軽い溜息を付いて、仕方ない、と残されたモノに向き直る。
「ええと…此方を少し見させてもらっていいかしら?」
 興味深げにその残された品を見つめていたウィンが瞳を煌かせながら微笑んだ。どうぞ、と弧月が頷いて、メモを数枚手に取り、少し離れた位置に移動するのを見守っていた。
 少し離れた位置で集中出来そうな場所かどうかを確かめ、手に取った品、数枚の紙切れを調べ始める。
 武彦が言うように、同じ人物が書いたらしいやや癖のある文字が数枚の紙に踊っている。にじみが少ないのはインクの質のせいか。不恰好に歪んだ紙がどこか物悲しかった。
 指先で紙を擦るとざらりとした感触がする。軽く押すとべこんと凹み、戻ることがなかった。
 …濡れたっていうのは本当みたいね。
 一応自分の手と目で確かめると、ふぅ、と息を吐き。歪んだ紙を潰さないようにそっと手のひらを当てて目を閉じた。

 ――遅れた。
 早く、行かなきゃいけない。アレを買ったはいいが、遅れたら何にもならないじゃないか。
 焦りだけが、そこにある。
 早く、早く。
 何度、そう呟きながらカーブを曲がっただろう。

 不意に。

 目の前で、光が弾けた。

 ――それは、

 中央線を大きく越えて曲がってきた、

 2つの、大きな、目――

 ――視線が、纏わり付いて来る。
 大きくは無い、が、強い――視線。
 それは――
 恐怖?
 どうして。怖いのは、こっちなのに。


 割れたヘルメットカバーが、目の前を歪めている。
 暗い。ヘルメットのせいだけじゃなく、暗い。それに、酷く、冷たい。
 息が、苦しい。
 くる、しい。
 もがけばもがくほど、苦しさは増す。指先は何処にいったのか分からない程体中が冷たく、手を振り回しても触れるものは無く。
 動いて隙間が空いたせいか、首周りからどっと冷たい水が体の中へ流れ込んできて、びくんっ、と体が大きく痙攣した。

 そして――ゆっくりと、落ちて、いく。


「―――」
 息を、思い切り吸い込んで咽る。
 吸い込まれそうな感覚と、ひたひたと押し寄せてくる水音にぞくりとして慌てて手を離した。
 目を開ければ、暖められた空気の室内。同じように難しい顔をして茶封筒に手を当てていた青年が腕を組んで何か考え込んでいる。
 部屋の空気は、零の倹約によって低めに設定されてはいるが十分温かく。ほぅ、と息を吐いて冷たく冷えた指先をごしごしと擦った。

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 外に出ていたらしいみなもが頬を赤くしながら戻ってきたのが丁度その時。集中時でなくて良かった、と2人が思いながらみなもに視線を向け、そしてまた作業に戻った。
「……ん?」
 ふと上がった声。見れば、茶封筒の中を調べていた弧月が何か見つけたらしく、白いものをぺりぺりと音を立てながら引き剥がしている最中。
「給与――明細書…?」
「なんですか?それ」
 横から顔を覗かせたみなもにも見えるように、薄い紙を広げて行く。
「給料明細ですね。――名前は、山田克巳…依頼人に間違いないようですが」
 が。
 そこで、2人とも同じ考えに到ったのだろう、顔を見合わせてえ?と小さく声を上げた。
「それ…支払いはいつになってる?それに、金額は?」
 ウィンがそんな2人に近寄って声をかける。手の中には、『観』終えたメモの紙。
「ええと。約2ヶ月前ですね。金額は…20万弱ですか」
 紙を読み上げた弧月が更に首を傾げ、
「コレを貰った日に、何か買っていたようですし。彼がほとんどの金額を此処に置いていったということになりますけど…」
 先程調べていた間に何かが見えたのだろうか。そんなことを言いながら茶封筒をテーブルに置いた。

 自分の手帳から惜しげもなく住所録を切り取った行為と言い、給料袋を袋ごと渡したことと言い、やはり、とその場に居た皆がほぼ同じ考えにたどり着く。
 すなわち、依頼者の生存について。
 但し、幽霊と考えるには、残されたメモや現金や、あまりにも生身っぽかったというその場に居た者の話から少々戸惑ってしまうのだが。
 自分に連絡を入れる時は携帯に、と言われている訳だし。
「…あと、考えられることは、…コレを持ってきた人が、彼本人かどうかって所ですよね」
「連絡してみませんか?」
「え?――彼に?」
 いいえ、とぷるぷるみなもが首を振って弧月の手の中にある紙をそっと指さす。
「ここの連絡先にです。書かれた日までは働いていたんでしょう?」

 連絡先の事務所へ、最初に言い出したみなもが電話をかけることになった。実際に彼女のような年若い少女が事務所を訪ねていけば何か面倒が起こった可能性もあるが、電話越し故にそれを気遣う必要もなく。落ち着いた声が興信所の中に流れて行く。
 弧月がハンディーボタンを押し、みなもの受け答えする声と向こうの事務所にいた男の声が電話からやや割れた声で聞こえて来る。
『克巳のことか。図体でかい割に大人しい奴だったな』
「だった、と言いますと…辞めたんですか」
『いや』
 電話の向こうの声は、どこか戸惑っている。まるで誰かを探しているように、受話器から聞こえて来る雑音が移動し。
『――ある日急に来なくなったんだ。2ヶ月位前か、そん時の給料日に別れたっきりさ。私物もあるんで困ってるんだがな』

 克巳はギャンブルも付き合い程度にしかやらないし、特に金に困っていた様子でもなく、トラブルを抱えていた訳でもない。実際、実家の方から何度か連絡が来た事もあったようで。電話口の男はそう言いながら困るんだよなぁ、と呟き、
『興信所って事は、アイツを探してるんだよな?…アイツに会ったら、言ってくれないか。連絡くれ、って言ってたってな』
 そうは言いながらも男の口調はあまり楽しげではない。寧ろ、気遣う声。
 男も何か思っているのだろう、急に姿を消した――男の話では実家の人間も行方を知らないらしい――職場仲間のことを。
 みなもの問いに答えていった男が、確認の為、という言葉を信じたのか克巳の見た目で目に付いた部分をいくつか挙げて行く。それを聞く限りでは興信所に現れた青年が本人のようだが、顎を擦る癖は知らなかったと聞いて弧月とウィンが首を傾げる。
 丁寧に礼を言ったみなもが受話器を置いてほぅ、と小さく息を付いた。
「――やっぱり…行方不明なのは、もうひとりいましたね。…依頼人本人が」
「それじゃあ、此処に来た人は誰なの?本人?それとも、別人?」
 眉根を寄せたウィンの言葉に、答えられる者は誰もいなかった。

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 ばらばらに出て行った他の人たちはどうしただろうか。
 メモにある連絡先にも電話してみた所が、1人は留守。後の3人の所には他の者から連絡が行っていたようでちょっとした騒ぎになっていた。尤もな話だろう。日に何度も興信所を名乗る者達から、友人が行方不明になったことについて聞かされていれば。
 だが残念なことに、彼らは詳しいことを知らずにいた。特に連絡の取れた3人は一足先に大学を卒業しており、仕事が忙しく疎遠になりかけていたと残念そうに告げる。
 連絡の取れなかった1人は比較的連絡をし合っていたようだ、と言うが彼女の携帯に電話しても繋がらずに手詰まり状態。
 同じく克巳に連絡を入れて見たもののどういうわけか電源が切られた旨のメッセージしか流れて来ず、どうしたら良いのかと途方に暮れる。
 その時、
『彼女、見つかったわ。そっちはどう?』
 シュラインからの一報で事態は急変した。
『――山田さんとは連絡が取れないのね?分かった、取りあえず合流しましょう。詳しい話は其処で聞かせてもらうわ。…ちゃんと見張っていないと、彼女また逃げるかもしれないから』
 これまた不審な台詞に、説明は入れず住所を告げ、なるべく急ぎで来るようにと言う言葉を最後に電話はあっさりと切れた。

「タクシーを使えば行けそうですね。…俺、念のために愛車で先行きます。いいですか?」
 下にバイクを置いてある弧月がそう言い、急ぎ足で事務所を出て行く。頷き見送ったウィン達がすかさず電話し、タクシーを呼んでシュライン達がいるであろう場所へと向う。
 幸い、酷い渋滞に遭うことも無く。
 タクシーから見える場所に立っていたシュライン達に手を振りながら近づいた。
「早かったわね。…1人は留守番かしら?」
 え?
 シュラインの言葉に2人が顔を見合わせた。
「柚品さんなら、一足先にバイクで此方に向った筈ですけど…まだ、着いていないんですか?」
 みなもの言葉に今度はシュラインが不審気な顔をする。
「迷ってるのかしら?…まあ、いいわ。此方も急ぎだし。後で連絡しましょう」
「エマさん、こっち。彼女、まだ部屋から出た様子はないわ」
 百合枝がぱたぱたと急ぎ足で来、集まった2人に軽く会釈すると何か判った?と訊ねて来る。
「山田さん、2ヶ月前から消息不明だそうです」
 其れを聞いたシュラインと百合枝の2人がぴた、と足を止めた。
「…それってどういうこと」
 分かりません、と首を振るウィン。
「職場の方が困ってました。家族の方からも連絡が来て、行方不明なのが分かったって」
 ………。
「…と、とりあえずは。先ずは、彼女よ。彼女も自宅に最近帰ってないことは分かったんだから」
 行方不明が2人って言われてもねえ…。
 百合枝が不満げにぶつぶつ呟きながら、こっちよ、と3人を受付へ案内した。

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 そこは、ビジネスホテルの一室。数日前から泊まっていると言う女性が目的の人物であるらしい。どうやってそこまで突き止めたのかは追いついた2人には分かりようが無かったけれど、意外にあっさりと判明したようでどこか釈然としない顔のまま部屋の前に立ち、百合枝が部屋をノックする。
 ――返事は無い。
 もう一度。先程より大きな音で、数回ノック。

『――――はい』

 ややあって、酷くためらったような、小さな声がドア越しに聞こえてきた。
「尾上秋子さんですね?」
『…誰?』
 草間興信所の者です、とシュラインが告げる。がたがた、と音が聞こえ。
『…興信所…って、何で!?だ、誰があたしを…?』
「山田克巳さん、ご存知ですね?」
『――か、帰って!出て行って!!』
 その名前を出した途端。
 ドア越しに泣き声とも悲鳴ともつかない声で、そう叫んできた。
「話だけでも聞いてもらえないかしら」
『嫌…もう、いやぁ…構わないでよぉ』
 声が、下に下がって行く。かすかながら泣き声が聞こえてきて、そして4人が顔を見合わせて。
 もう一度、ドアをノックした。
「尾上さん。私達、あなたを探して欲しいって頼まれたの。…山田克巳って言う人から」
 ――それに対し、返事は無い。
 何度か呼びかけても。すぐ近くにいるだろう、息遣いまで聞こえてきそうな雰囲気はあるのに。
「…一度、出直しましょうか?」
 みなもがこの重苦しい雰囲気に耐えかねたか、皆に提案した。
「そうね…」
 そう、シュラインが呟いた時。
「――待って…ごめんなさい」
 空気が動き。
 ドアが、おずおずと、開いた。

 改めて明るい室内で彼女を見た4人が息を呑む。
 げっそりとやつれたその女性は、聞いた年齢よりは10も老け込んで見えた。
「克巳から――って、どういうことなのか、教えて」
「あなたが行方不明だから探してくれって、事務所にやって来たのよ」
「…やって…来た?彼が?」
 秋子が勢い込んで聞き、それから目を逸らす。
「そんなはず、ない」
「どうして?」
 だって、と言いかけた秋子がはっと顔色を変え、慌てたようにドアに駆け寄って鍵とチェーンをかけた。小さく息を付いて戻ってくると、僅かに開いていたカーテンをしっかり閉じて不安げにきょろきょろあたりを見回す。
「…彼、死んだもの」

「どうして…あなたが、それを知ってるの」
 俯いた秋子が、ぎゅぅ、と自分の手を握り締める。ふるふる、と小刻みに震える体。やがて開いた口は、意味のない呟きを洩らし。
「――あ、あたし、が…あいつ、殺しちゃった…」
 ようやく言葉を結んだ、その答えに。
 皆、何も言えず、黙り込んでしまった。

 秋子は握り締めた拳に歯を当てながら、ぐ、ぅぐ、と声にならない泣き声を上げている。意地でも声高に泣かないつもりか、それとも音を極力控えているのか。

「…待ち合わせに来なかったの。携帯にも出なくて…だから、車で迎えに行ったんだけど」
 約束に遅れた克巳に苛立ちながら、買ったばかりの車で克巳の職場まで走らせた――その途中で、ハンドル操作を誤ってカーブに突っ込んでしまうなどと思わず。

 まさか、目の前にバイクが現れるなんて。
 まさか――それが、克巳だったなんて。

 ガードレールを飛び越えた克巳がバイクごと下に落ちていくのを呆然と眺めていたと、秋子は語った。そのすぐ後に水音が聞こえ、慌てて車を降りてガードレールから覗き込んだ其処には、もう、黒々とした湖しか見えず。
 次に気がついた時には、自分のアパートの中で震えていた。
 信じられなかった。何もかもが。
 だから、つい1週間程前に克巳から電話がかかってきた時には夢かと思った。だが。
『おくれてごめん。…いまからいくよ』
 聞こえてきたのは、そんな言葉。今までの経過も事故のことも何も話すことなく。
 ――ぞっと、した。
 何よりも…秋子の持っていた携帯は、数日前に落として壊してしまい、新たに変更したばかりで。番号すら、変わっていたものだったから。
 …どうして…知ってるの?

 その日、秋子は慌しく荷造りをしてアパートを飛び出した。

 携帯は直に解約し、それでも不便とプリペイドをひとつ買う。
 が。
 直後、かかって来た電話に水を浴びせられた気がした。
『また壊したのか?相変わらずだな、お前も』
 くく、と笑う声はいつもの声なのに。
 買った店の店員しか知らない番号に、どうやってかけることが出来るというのだろう。
 その場で携帯を店に叩き返したのは言うまでも無く。

 いつも、誰かが見ているような気がした。
 人殺しだと、教えられているような気がした。
 そして――そんな自分を、克巳が追いかけてきているような気がした。

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 PRRRRRRRR。
 会話を断ち切るような、電話の音。
 びくっ、と身体を竦ませた秋子に手で制して、シュラインが自分の携帯を取った。
「はい」
 瞬間でシュラインの表情が厳しいものへ変わる。そして――
 部屋のドアが、ノックされた。

 その場にいる全員がはっとしたようにドアを見つめ、百合枝がそっとドアに近づいて行く。
「い、いや…やめて、開けないで…」
 震える制止も聞かず。

 聞こえる声は一足先に出ていた京一と倉菜の物。何となくほっとし、視線を元に戻した其処に。
 ――男が立っていた。

「いやぁぁぁ!」
 一瞬の空白の後、ようやく事態を把握した秋子が切り裂くような悲鳴を上げ、慌てふためいて逃げようとして――転ぶ。

「なんでそんなに驚いてるんだ?きっと行く、って、言ってた、だろ」
 ぎこちない笑み。ざらりと顎を撫でると、一言一言説明するように力を込め。
「ようやく上がって来れたのに、落し物してて…相変わらずそそっかしいよな、俺ってば」
 マイペースなのか、ゆったりと笑いながら秋子に手を伸ばし、そして部屋の隅に逃げて行った秋子を首を傾げて見る。足元がおぼつかないのか、ふらっと揺れてすとん、とその場に腰を下ろし。
 視線はひた、と彼女にのみ注がれている――この場に居た者にも、後から走りこんできた2人にも全く意識を向ける事無く。
「いつの間にここに来たの――何処から、入ってきたのよぅ」
 秋子の視線も、囚われたように外せずにいる――止め処なく流れる涙に曇ってはいるだろうが。
「必ず来いって言ったのは、お前だろ?」
 にっこりと笑いながら、座ったその場からひらひらと手招きする克巳。声もなく、いやいやと首を振る秋子。
「…なんだっけなあ。お前に言わなきゃいけない事があったんだが…もう…忘れちまった」
 無邪気な笑みは、急速に冷えて行く室温に反し、とても柔らかく。
「あとは――ああ、そうだ。これ…わたさな、きゃ、って、おもって、…」
 何か言いかけ、止まる。それが不自然な仕草だと全く気付く様子はなく、急に再び動き出すと体のあちこちを探り、そして取り出した。小さな、手の平の中で転がる林檎…色も褪せて、毛羽立った。
「秋子」
 伸ばした手は、届きようがなく。ドア間際で身を竦めている秋子の、押し殺した泣き声だけが部屋の中に響く。
「――あ、きこ」
 ぽとり、と音を立てて其れが手から離れた。
 徐々に小さくなっていく声。先程から気付いていたのか…画像がブレるように…影が、ジャケットの黒ずんだ色に馴染んで行く。うずくまった『影』が、じわ…っと床に広がって行った。

 シュラインが、落ちたままの林檎を拾い上げる。ざらりとした手触りは以前触れたことがあり。
「ジュエルケース…なのね」
 ぱかりと開いた中には。
 黒ずんだ、指輪が。
「―――尾上さん」
「……あ―――――」
 うそ、と言う呟きは、小さかったが部屋中に響き。
「…コレ…欲しいって、一度だけ、言った事ある…」
 受け取った指輪を指に嵌め…そして、親指ですらぶかぶかなのを見て、笑いかけ。
 ――再び、涙が溢れた。
「ば…かじゃない。人のサイズも調べないで…」
 ――ぽとり、と。
 顔を覆った指から外れて落ちた指輪が、
 ころころ…と転がって、思いのほか綺麗な金属音を響かせた。

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 一段落着いた所で、しおらしくベッドに腰掛けている秋子を横目に、みなも達が電話をかけている。恐らくは合流する筈の弧月にだろう。
「あたし…警察、行きます。全部話します…あの日のこと」
 真赤に泣きはらした目の女性が、俯いたままそう告げるのを、そうね、とウィンが呟いてぽんぽん、と背を叩く。
 付き添いは興信所の所員であるシュラインが付き添うことにし、何故か事故現場付近で気がついたという弧月に合流することにした。

「何があったんですか?」
 集まってきた皆に、茶を啜りながら弧月が訊ね、
「…それはこっちの台詞だよ、柚品君。合流する筈の場所には来ない、連絡はまるで取れない、かと思えばこんな場所に来ていると言う。私達は向こうで彼女に話を聞いてようやくこの場所が判ったというのにね」
 京一が顔をしかめてみせた。その隣では、その場に集まった者達がこくこくと頷いて弧月の答えを待っている。
「俺も良く分からないんですが…気付いたら、当たり前のように此処に来ていたんです」
「――事故を起こしたりはしなかったのよね?」
 ウィンが、そこで口を挟んだ。弧月がウィンと目を合わせ、
「俺はこの通りぴんぴんしてますからね。…でも、そう言えば…気付く直前に跳ねられかけたような」
「湖のすぐ近くで?」
 不思議そうに頷く弧月と、思わず目を見合わせる一同。
「今回依頼して来た人が事故に遭った場所が、その場所です…恐らく」
 みなもがそっと、何かあたりを窺うような声で告げた。
「バイクに乗ったから、此処まで来たと…?」
「…山田さんの記憶を追体験したんじゃないかと思うんです」
 確証はないんですけれど、と続けて言い訳しながらウィンがそう言った。

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 年末頃から行方不明だった山田克巳の遺体は、事故現場付近で発見された。
 死亡推定時期と目撃証言の時期が激しく食い違っていること、湖に沈んでいた遺体から発見された携帯電話もとうに壊れている筈なのにごく最近使用された形跡があること、運転中に湖に落ちたという話だがヘルメットやジャケットは脱いできちんと岸辺に置かれていたことなどが捜査員を混乱させてしまったようだった。
 表のニュースでも、固い新聞等でも載らなかったこの話題は、ゴシップ誌等が細々と扱っていたがいつの間にか話題にも載らなくなっていった。
 そして、当の秋子は、というと。
 捜査員の頭を悩ませた矛盾する事柄を折半するような形で決着が付いた。すなわち、過失致死とはしない代わり人身事故の加害者として責任を取るように、と。
 元より秋子に異存のある筈は無い――いや、寧ろ。
 彼女は…克巳を殺した人間として、裁いて欲しいと思っていたかもしれなかった。

 そして、依頼人が死んでいたと分かった今では後金の請求も出来ず。前金も使ってしまっていいものかと暫くの間武彦の頭を悩ませた。



 ――更に、後日。
 京一が自分の勤める病院で調べた結果をもたらしてくれた。あの日、彼が触れた事務所のノブと秋子の車から採取したモノ。それは――克巳と同じ血液型の人間の…生活反応のとうに消えた皮膚片と…体液の一種だったと言う。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086/シュライン・エマ   /女性/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員 】
【1252/海原・みなも     /女性/13/中学生               】
【1582/柚品・弧月      /男性/22/大学生               】
【1588/ウィン・ルクセンブルク/女性/25/万年大学生             】
【1873/藤井・百合枝     /女性/25/派遣社員              】
【2194/硝月・倉菜      /女性/17/女子高生兼楽器職人(神聖都学園生徒)】
【2585/城田・京一      /男性/44/医師                】

NPC
草間武彦
  零

山田克巳
尾上秋子

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■         ライター通信          ■
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お待たせしました。「乾いたメモ」をお届け致します。
今回少しばかり体調を崩してしまい、作業の進みが遅く…申し訳ありませんでした。幸いインフルエンザではなかったものの、体調管理が不備だったことに反省です。うぅ。
皆様もどうか体調にはお気をつけ下さい。ご近所でも咳のオンパレードで、伝染させる心配よりも自衛の為のマスクが必要だなと思っている今日この頃…。

参加して下さった皆様ありがとうございました。
またいつか、機会があればお会いしましょう。
間垣久実